天野 祐吉(あまの ゆうきち、1933年〈昭和8年〉4月27… 天野 祐吉(あまの ゆうきち、1933年〈昭和8年〉4月27日 - 2013年〈平成25年〉10月20日)は、日本のコラムニスト。雑誌『広告批評』主宰者、マドラ出版社主。 出身地は東京府東京市足立区(現在の東京都足立区)。愛媛県の松山一高併設中学校(旧制松山中学校、現在の松山東高)、松山南高を卒業し、明治学院大学を中退後、創元社、博報堂を経て独立し、雑誌「広告批評」を創刊する。広告に対する批評で知られる。 1984年、朝日新聞において後に「CM天気図」と改名する「私のCMウオッチング」を開始し、2013年10月16日まで1132回連載した。 2000年、67歳のとき31歳下の伊佐子と再婚する。朝日新聞の連載コラム「天野祐吉のCM天気図」はまず妻に読ませ、反応を見ながらより分かりやすい文章に仕上げていた。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 20… 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。 東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した。 テレビ番組は、日テレ系の番組に限って出演している。
中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006… 中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006年1月14日)は、日本の社会学者、法政大学名誉教授。
坂本 忠次(さかもと ちゅうじ、1933年4月26日 - 2… 坂本 忠次(さかもと ちゅうじ、1933年4月26日 - 2011年1月9日)は、日本の経済学者。岡山大学名誉教授。専門は、地方財政論。経済学博士(京都大学、1990年)。岡山県生まれ。
福沢 周亮(ふくざわ しゅうすけ、1933年4月26日 - … 福沢 周亮(ふくざわ しゅうすけ、1933年4月26日 - 2018年9月15日)は、日本の教育心理学者、筑波大学名誉教授。 長野県生まれ。1956年東京教育大学心理学科卒、1963年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。1973年「漢字の読字学習に関する教育心理学的研究」で教育学博士の学位を取得。埼玉大学教育学部助教授、東京教育大学教育学部講師、助教授を経て、筑波大学心理学系教授。1997年定年退官、筑波大学名誉教授。同年から聖徳大学児童学部児童学科教授、児童学研究科長を務め、2015年に退任。同年、聖徳大学名誉教授。1996~1999年には、日本読書学会会長を務めた。2018年9月15日、敗血症により85歳で死去。
小林 陽太郎(こばやし ようたろう、1933年(昭和8年)4… 小林 陽太郎(こばやし ようたろう、1933年(昭和8年)4月25日 - 2015年(平成27年)9月5日)は、日本の実業家。経済同友会終身幹事(元代表幹事)。富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)元代表取締役会長。日本電信電話取締役。国際大学理事長。慶應義塾評議員会・理事。 ロンドンでのちに富士写真フイルム第3代社長兼富士ゼロックス初代社長となった小林節太郎の子として生まれる。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校から1956年(昭和31年)慶應義塾大学経済学部卒業、1958年(昭和33年)ペンシルベニア大学ウォートン・スクール修了(MBA)。 1958年(昭和33年)に富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)に入社、1963年(昭和38年)に富士ゼロックス(現:富士フイルムビジネスイノベーション)に転じ、1968年(昭和43年)に取締役。
毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、… 毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、日本の元女優。グラマー女優と称され時代劇でも活躍したが、男女関係のもつれから妻子持ちの男性を刺殺し3年間服役していた。 1933年(昭和8年)4月25日、高知県幡多郡宿毛町(現:宿毛市)の呉服商の家に生まれる。高知県立宿毛高等学校を卒業後、親戚の経営する大分県別府市の旅館でフロント係を勤めていた1955年(昭和30年)、「全国温泉旅館美女コンテスト」で「ミス温泉」に選ばれた。日本生まれの中国人ヤクザに強姦され、福岡中洲のクラブで働かされたのち、地元暴力団の親分の妾となる。 その後上京し、俳優座の委託研究生を経て大映に第10期ニューフェイスとして入社したのは1956年のことである。
丸山 圭三郎(まるやま けいざぶろう、1933年4月25日 … 丸山 圭三郎(まるやま けいざぶろう、1933年4月25日 - 1993年9月16日)は、日本のフランス語学者、哲学者。 ソシュール研究の第一人者であり、終生「コトバ」の本質を追究した現代日本屈指の言語学者・哲学者。著書に『ソシュールの思想』(1981年)、死の不条理と向き合った『生の円環運動』(1992年)など。 東京都生まれ。東京教育大学附属高等学校を経て東京大学仏文科卒、同大学院修了。国際基督教大学准教授(アソシエイト・プロフェッサー)を経て中央大学教授。元はフランス語教師で、数多くのフランス語教科書を刊行していたが、そのうちソシュールの言語学に関心を抱き、研究を始めた。日本におけるソシュール言語学研究の第一人者にして、丸山言語哲学とも呼ばれる独自の思想を打ち出した。
五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日… 五味 芳保(ごみ よしやす、1933年(昭和8年)4月25日 - 没年不明)は、日本の元スピードスケート選手である。長野県茅野市出身。 1952年(昭和27年)冬季オリンピックのオスロオリンピックに早稲田大学在学中18歳で出場し5000mで10位、10000mで14位となった。 4年後の1956年(昭和31年)コルティナダンペッツォオリンピックでは10000m23位、5000m27位、1500m39位タイの成績を残した。 全日本スピードスケート選手権大会では1952年と1954年の2回優勝している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )… 服部 公一(はっとり こういち、1933年4月24日 - )は日本の作曲家、随筆家、音楽評論家。神奈川県鎌倉市在住。 昭和8年(1933年)、山形県山形市生まれ。音楽教師であった祖母の指導で幼少時よりピアノを始める。 山形県立山形東高等学校卒業後、学習院大学文学部哲学科に入学し、久野収ゼミに所属。大学では皇太子・明仁親王と同学年。学部が違ったためいわゆる「ご学友」ではなかったが、「美術史」など一般教養科目をともに履修し、親しく言葉を交わすこともあったという。現在も宮中の茶会などに招かれる間柄である。学生時代からアマチュアの音楽家として活動し、中田喜直・山田耕筰・團伊玖磨らの知遇を得る。同大学4年の時NHKのオーディションに合格。
辛島 昇(からしま のぼる、1933年4月24日 - 201… 辛島 昇(からしま のぼる、1933年4月24日 - 2015年11月26日)は、日本の東洋史学者。専門は南アジア地域。東京大学名誉教授、大正大学名誉教授。 1933年、東京で生まれた。神奈川県立湘南高等学校を卒業し、東京大学文学部に入学。東洋史学科で学び、1958年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1961年に修士課程を修了、1964年に博士課程を単位取得退学。 同1964年、東京大学文学部助手に採用された。1967年、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所講師となった。1971年、同助教授に昇格。1974年、東京大学文学部助教授に転じ、1981年に同教授昇格。1993年、学位論文『ヴィジャヤナガル王国支配下の南インド社会:新しい体制の成立へ』を東京大学に提出して 文学博士号を取得。
小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、… 小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、日本の政治家、教育評論家。元参議院議員(1期)。日本教育再生機構」代表委員、教科書改善の会賛同者、日本の教育改革を進める会理事、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)教育制度部会長、新しい憲法をつくる国民会議理事、協和協会理事、新しい歴史教科書をつくる会会長、世界戦略総合研究所評議員、全国教育問題協議会顧問などを歴任。 かつて日教組で活動していた際には、右派の現代教育労働運動研究会(現教研)の中心人物の一人。現教研出身の田中一郎委員長が落選中の西岡武夫を激励したことを切っ掛けとして日教組が内紛状態に陥った際には、監査委員として左派の批判を封じる役回りを演じた。
赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)… 赤江 瀑(あかえ ばく、本名:長谷川 敬(はせがわ たかし)、1933年4月22日 - 2012年6月8日)は、日本の小説家。歌舞伎や能などの伝統芸能を題材にした小説や、京都を舞台にした作品を数多く発表。耽美的、伝奇的な作風で、熱烈な支持者を持つ。 2度候補となった直木賞受賞はならなかったものの、『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞、『海峡』『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞している。 1933年、山口県下関市で教員の両親の間に6人兄弟の次男として生まれる。本名:長谷川敬。戦争中は豊浦郡豊東村(現・下関市菊川町)に疎開した。 1946年、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)に入学。
青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - … 青木 正美(あおき まさみ、男性、1933年4月22日 - )は、古書店主、日本近代文学研究者。
久米 あつみ(くめ あつみ、1933年4月22日 - 202… 久米 あつみ(くめ あつみ、1933年4月22日 - 2026年6月1日)は、日本のフランス文学者、キリスト教神学者。東京女子大学名誉教授。ジャン・カルヴァン研究者。 長崎県佐世保市に牧師・小塩力の娘として生まれる。兄は独文学者・小塩節。夫は哲学者・久米博。青山学院高等部卒。1957年東京大学仏文科卒、1959年同大学院仏文学専攻修士課程修了。1966年から1967年にストラスブール大学神学部大学院に学ぶ。東京女子大学助教授、教授、帝京大学教授、2004年定年退任。
山之内 靖(やまのうち やすし、1933年4月22日 - 2… 山之内 靖(やまのうち やすし、1933年4月22日 - 2014年2月2日)は、日本の社会学者、歴史学者。東京外国語大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。専門は、現代社会理論、歴史社会学。 1933年、東京で生まれた。東京大学経済学部に入学し、大塚久雄に師事。卒業後、同大学大学院社会科学研究科に進んだ。 その後、東京外国語大学外国語学部教授に就任。1968年、学位論文『イギリス産業革命の史的分析』を東京大学に提出して経済学博士の学位を取得。在任中には附属図書館長も務めた。1996年からフェリス女学院大学文学部および国際交流学部で教鞭をとった。 2014年2月2日死去。80歳没。
阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - … 阿座上 洋吉(あざがみ ようきち、1933年4月21日 - )は、北海道出身の経営学者。専門は、経営管理、簿記会計、流通経済、建設経営など。北海道における簿記会計の第一人者。現在、地域経済研究所理事長、北海学園北見短期大学名誉教授。 北海道建設業審議会長、国土交通省北海道開発局入札監視委員会委員長、北海道経済産業局官公需適格組合諮問委員会委員長 阿座上は、体をこわして休学して長期入院したため、8年間に渡り在学した。しかし、「この8年に、法律の勉強もした。この在学経験が、のちの教員人生にもいい影響を与えた」と、述べている。
鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日 - )は… 鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日 - )は、日本の女優。東京都出身。宝塚歌劇団出身(1950年入団、1958年退団)。宝塚歌劇団37期生。旧芸名は鳳八千世。妹は女優の朝風みどり。 1950年に埼玉県立越ヶ谷高等学校を中退して宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は43人中5位。配属組は最初月組で、その後、花組である。宝塚歌劇団在団中は主演娘役として活躍し、1955年の花組の舞台『キスメット』(相手役のトップスターは春日野八千代)はカラーフィルムが現存する。1958年3月31日をもって、宝塚を退団。最終出演公演の演目は花組公演『赤と黒』である。 宝塚退団後は松竹に入社し映画に出演。その後、吉田史子事務所、劇団欅、劇団昴に所属し、新劇の舞台でも活躍した。
井村 順一(いむら じゅんいち、1933年4月21日 - 2… 井村 順一(いむら じゅんいち、1933年4月21日 - 2021年9月23日)は、フランス文学者、東京大学・獨協大学名誉教授。専攻は、17・18世紀フランス語・フランス文学。児童文学にも深い関心を持つ。 東京都に生まれる。東京都在住。日比谷高校卒、1956年東京大学文学部仏文科卒。1959年同大学院修士課程修了。1962-1964年パリ大学。1966年東京大学教養学部助教授、1988年教授。1994年定年退官、名誉教授、獨協大学教授、2004年退職。
兵藤 釗(ひょうどう つとむ、1933年4月21日 - 20… 兵藤 釗(ひょうどう つとむ、1933年4月21日 - 2022年12月13日 )は、日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市)生まれ。挙母尋常高等小学校(現・豊田市立童子山小学校)、旧制愛知県挙母中学校・新制愛知県立挙母西高等学校(現・愛知県立豊田西高等学校)卒業。1957年、東京大学経済学部卒業。1962年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 東京大学経済学部教授を経て、名誉教授。1984年から1986年まで社会政策学会代表幹事。1994年から1998年まで埼玉大学経済学部教授。1998年4月から2004年3月まで埼玉大学学長。2007年から2011年まで学校法人成城学園学園長。
島原 幸雄(しまばら ゆきお、1933年4月21日 - 19… 島原 幸雄(しまばら ゆきお、1933年4月21日 - 1995年1月6日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(投手)。西鉄ライオンズのエース投手として、1956年から1958年の日本一3連覇に貢献した。
原田 平作(はらだ へいさく、1933年4月21日 - 20… 原田 平作(はらだ へいさく、1933年4月21日 - 2023年9月26日)は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授。愛媛県美術館名誉館長。 東京生まれ。1963年京都大学大学院美学美術史博士課程中退。1962年京都市美術館勤務、学芸課長。1994年大阪大学文学部教授、1997年「日本の近代美術 -欧米と比較して」で阪大文学博士。同年定年退官、名誉教授。愛媛県美術館長、名誉館長。 2023年9月26日、腎盂がんのため死去。90歳没。
兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日… 兼子 隆(かねこ ゆたか、1933年4月21日 - )は、日本の元レスリング選手。 東京都出身で、中央大学を卒業した。中央大学では笹原正三の後輩で、1955年度にはレスリング部主将を務めている。アジア競技大会では大学在学中の1954年大会から1962年大会まで同一階級で3連覇を果たし、これは日本のアマチュアレスリング選手としては初めてだった。 1960年ローマオリンピックに出場し、4位に入賞した。
松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2… 松本 益弘(まつもと ますひろ、1933年4月21日 - 2025年11月17日)。日本の商学者。元・北海商科大学(北海学園北見大学から改称)教授。兵庫県神戸市出身。 専門は、観光学(観光政策論・国際観光論・観光産業経営論、観光マーケティング・地域観光振興論)。 このほか数多くの国土交通省、観光団体、北海道、北見市に関する公職を務める 日本観光研究学会、総合観光学会、北海道経済学会などに所属 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
高牧 實(たかまき みのる、1933年4月21日 - 202… 高牧 實(たかまき みのる、1933年4月21日 - 2023年10月17日)は、日本近世史研究者、聖心女子大学名誉教授。 岐阜県飛騨高山に生まれる。1956年東北大学文学部国史学科卒業。大垣女子短期大学助教授、1971年岐阜県芸術文化研究顕彰を受賞。1975年聖心女子大学文学部助教授、教授、1988年「宮座と村落の史的研究」で東北大学文学博士。2002年聖心女子大名誉教授。
鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005… 鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005年10月16日)は、日本の彫刻家。 愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業(4回生)し、上京してその年女子美術大学彫刻科に入学し同大学を1956年(昭和31年)卒業した。 女子美術大学を卒業した後、大学に残り同大学教授、同大学名誉教授を務めた。 母校の教授を務めながら二科展役員を務めた。 2005年10月16日、胃癌のため東京都足立区の自宅で死去、72歳没。
杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は… 杉谷 和男(すぎたに かずお、1933年4月20日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では1951年に第33回夏の甲子園に出場。1回戦の小倉高校戦で大会第2号となる本塁打を打っている。 1952年に大映スターズへ入団。1955年に退団した。
安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 20… 安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 2008年5月29日)は、日本の英文学者、演出家。上智大学名誉教授。専門はイギリス文学、特にウィリアム・シェイクスピア。日本のシェイクスピア研究の第一人者である。大学での研究教育の他、自身の著書多数あり、演劇集団「円」では演出家・翻訳家として活動した。 1933年、愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校時代の友人に伊丹十三がいる。1958年愛媛大学文理学部を卒業。上智大学大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を中退して、上智大学の講師となる。1970年より助教授、1978年より教授。2003年に定年退任し、同校名誉教授となった。 1975年、芥川比呂志らと演劇集団 円の創立に参加、訳・演出によるシェイクスピア作品を多数上演し、近年ようやく安西訳によるシェイクスピア作品の刊行が始まった。
重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 -… 重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 - )は、日本の政治家。元・自由民主党参議院議員(竹下派、1期)。 福岡県出身。1952年福岡県立八女高等学校、1956年九州大学経済学部卒業。1960年防衛施設庁に入る。1981年臨時行政改革推進審議会事務局総務課長。1984年参事官に就任した。1986年中部管区行政監察局長。1987年審議官。1988年行政情報システム参事官を経て、1989年官房審議官。1990年12月に退官。1991年の福岡県知事選に出馬したが落選。同年9月の参院補選に自民党公認で立候補して当選。1992年に落選。1995年の福岡県知事選に再び立候補したが落選。同年の参議院選挙で無所属から立候補したが落選した。
堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日… 堀 吉孝(ほり よしたか、1933年4月20日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。 樺太出身。第二次世界大戦後苫小牧に引揚げ、苫小牧市立苫小牧東小学校、苫小牧市立苫小牧東中学校、苫小牧工業高校を経て富士製鐵室蘭製鉄所に入社。 1956年にコルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m17位、1500m23位、5000m46位だった。 4年後のスコーバレーオリンピックでは500m16位、1500m29位だった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
戸沼 幸市(とぬま こういち、1933年4月19日 - )は… 戸沼 幸市(とぬま こういち、1933年4月19日 - )は、日本の都市計画家。建築家。工学博士。早稲田大学名誉教授。 日本都市計画学会会長、早稲田大学専門学校校長、早稲田大学芸術学校初代校長、新宿区都市計画審議会会長、 及び第一生命財団理事等を歴任。2016年瑞宝中綬章受章。 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町生まれ、北海道函館市育ち。1970年から東京都の景観をつくる都民会議に参画。1979年から1985年まで、国土庁首都改造計画委員会委員、1990年から1992年まで首都機能移転に関する懇談会委員。 1959年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学大学院に進学する。1966年、博士課程修了。学位を取得し、建築学科都市計画コース講師に任用される。
田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001… 田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001年5月5日)は、日本の社会学者。 和歌山県橋本市出身。1959年、関西大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。関西大学社会学部助教授、教授。差別問題、マスコミ論などを論じた。在任中に死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野村 三郎(のむら さぶろう、1933年〈昭和8年〉4月17… 野村 三郎(のむら さぶろう、1933年〈昭和8年〉4月17日 - )は、ウィーンに拠点を置く、日本の音楽評論家、音楽社会学者。ウィーン・メロス音楽研究所代表。日本ラトビア音楽協会の創立発起人の1人であり会員。TDU・雫穿大学のアドバイザーも務める。 「ウィーンの音楽界では最も著名な日本人」と評される。 1933年(昭和8年)、鹿児島県に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業後、1952年(昭和27年)に上京し早稲田大学文学部哲学科で学び、早稲田大学大学院の文学研究科では音楽社会学を専攻し博士課程を修了。早稲田大学ではグリークラブに所属。 1966年(昭和41年)3月に立ち上げられた鹿児島短期大学設立準備委員会において、鹿児島の教員やスタッフが東京や文部省との綿密な連絡や教員についての情報収集を行うのは非効率的との判断により、同年6月1日付で野村が同準備委員会の東京駐在員に着任し、教養科教育課程作成の検討や原案作りなどを行う。
松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、… 松橋 功(まつはし いさお、1933年4月16日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社日本交通公社元代表取締役社長、会長。現在JTB相談役。 埼玉県立春日部高等学校を経て、1956年4月早稲田大学商学部卒業後、財団法人日本交通公社に入社。人事部次長、新宿支店長、国内旅行部長、関西営業本部長などを経て、1990年6月から株式会社日本交通公社代表取締役社長、1996年6月から同代表取締役会長、1998年フランス共和国よりレジオン ド ヌール シュヴァリエ勲章受章。2004年6月からJTB相談役に就任。他にも、成田国際空港(NAA)取締役会長、日本経済調査評議会「調査専門委員会」委員長、日本観光通訳協会会長などを歴任。
田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 197… 田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 1972年1月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄投手の武智文雄は兄、東映内野手の田中和男は弟。 岐阜高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。ここではあまり出番がなく、1954年オフにトンボユニオンズへ移籍。1956年には先発陣の一角に食い込み、7勝をあげる。翌年は球団合併により大映ユニオンズに所属するが、1958年に兄文雄がいる近鉄パールスに移籍し、同年限りで引退した。下手投げから、スライダー、ドロップ、カーブとシュートを武器にした。 1972年1月19日に38歳で死去した。
加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月1… 加守田 章二(かもだ しょうじ、1933年(昭和8年)4月16日 - 1983年(昭和58年)2月26日)は、日本の陶芸家。 伝統にとらわれないモダンなデザインを研究し独創的な器の形を創作し様々な形で広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え多くの人を引きつけるとともに高い評価を受け、現在も多くの陶芸家たちに影響を与えている。 1933年(昭和8年)4月16日、大阪府岸和田市に加守田貞臣、八重子の長男として生まれる。 大阪府立岸和田高等学校在学中に油絵に興味を抱き、卒業後上京して学ぼうとしたがこれを断念し、1952年(昭和27年)に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻に入学。
渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 19… 渡辺 岳夫(わたなべ たけお、1933年4月16日 - 1989年6月2日)は、日本の作曲家、音楽家、詩人。東京都出身。愛称は「ナベタケ」。アニメ・テレビドラマ・時代劇映画などの主題歌や劇伴を数多く手がけた。 作品によっては「渡邊岳夫」と表記する場合もある。 作曲家である渡辺浦人の長男として生まれ、武蔵高校、武蔵大学経済学部を卒業した。 23歳の時にフランス・パリへ留学してクラシックを学び、スコラ・カントルム音楽院卒業。その後ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)へ入社し、演出部でテレビドラマの制作をするうちに音楽に対する想いが強くなり、同社を退社して音楽家に転身した。 様々なジャンルの作曲を手がけており、特に時代劇やアニメーション作品で印象に残る曲を残している。
岡 亮二(おか りょうじ、1933年4月16日 - 2007… 岡 亮二(おか りょうじ、1933年4月16日 - 2007年2月16日)は、日本の仏教学者。浄土真宗の僧。 和歌山県生まれ。別名・亮爾。1958年龍谷大学文学部真宗学専攻卒。63年同大学院博士課程満期退学。1967年龍谷大学文学部助手、講師、助教授、77年教授。2000年「『教行信証』「行巻」の研究 第十七願の行の解明」で文学博士。2002年定年、名誉教授。念誓寺住職。
大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、… 大舘 右喜(おおだち うき、1933年4月15日 - )は、日本の日本史学者。 埼玉県生まれ。弟は大舘勝治。國學院大學文学部史学科卒。1996年「近世社会の支配と構造」で國學院大學から博士(歴史学)を授与される。帝京大学文学部教授。2004年定年。
中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年… 中山 恒夫(なかやま つねお、1933年4月15日 - 没年不明)は、日本の古典古代文学者。古代ラテン文学を専攻。 長野県松本市生まれ。1956年東京大学教養学部教養学科卒。1958年同文学部言語学科卒業。1965年同大学院西洋古典学専攻博士課程満期退学、順天堂大学助教授、1970年教授。1975年「ホラティウスと民衆」で文学博士。1978年大阪大学言語文化部教授。1990年筑波大学教授。1997年定年退官、共立女子大学教授。2004年退職。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 20… 黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 2023年5月17日)は、宮崎県児湯郡高鍋町出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 大洋ホエールズで活躍した黒木基康は実弟に当たり、1960年には大洋でチームメイトとして所属した。 高鍋高校在学中は甲子園出場なし(弟の基康は1954年、3年生の時に一塁手として夏の甲子園に出場している)。1951年夏の甲子園予選東九州大会に進むが、1回戦で大分上野丘高に惜敗。高校同期に大学、プロ野球と行動を共にする岩岡保宏がいた。 高校時代、たまたま宮崎に来ていた明大の原勝彦らの指導を受けた縁で、岩岡とともに明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 202… 宮田 満雄(みやた みつお、1933年4月14日 - 2025年1月12日)は、日本のアメリカ文学者。関西学院大学名誉教授。関西学院大学社会学部教授、関西学院大学院長、聖和大学学長を歴任した。 1952年3月に関西学院高等部を卒業、1956年3月に関西学院大学文学部英文科を卒業し、同年4月から関西学院高等部教諭に就いた。 1960年7月から1962年3月まで、ペンシルバニア大学大学院に留学し、帰国後の1966年4月、甲南女子大学文学部専任講師(英語・米文学)に就任。1968年4月、関西学院大学社会学部専任講師、1970年4月同学部助教授、1976年4月同学部教授にそれぞれ就任する。 1989年4月から1998年3月まで、公募制復活後初の学校法人関西学院院長を務める。
清水 宏員(しみず ひろかず、1933年4月14日 - )は… 清水 宏員(しみず ひろかず、1933年4月14日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(投手)。
藤澤 道郎(ふじさわ みちお、1933年4月14日 - 20… 藤澤 道郎(ふじさわ みちお、1933年4月14日 - 2001年9月30日)は、日本のイタリア史学者。専門はイタリア史、イタリア文学。 京都府京都市生まれ。1957年、京都大学文学部イタリア語学イタリア文学専攻卒業。1962年、同大学大学院文学研究科言語学専攻博士課程単位取得満期退学。1967年桃山学院大学専任講師、1969年同助教授、1975年同教授。2000年、選択定年により定年退職、名誉教授。 当初はマルクス主義者として、アントニオ・グラムシの翻訳研究などをしていたが、ルネッサンス期イタリア史研究に転じた。『マキァヴェッリ全集』(共編訳、筑摩書房、1999-2001)によりピーコ・デッラ・ミランドラ賞を受賞した。
内田 貞夫(うちだ さだお。1933年4月13日 - 202… 内田 貞夫(うちだ さだお。1933年4月13日 - 2021年1月11日)は、日本の実業家。 三共株式会社代表取締役副社長、和光堂株式会社代表取締役社長、和光堂株式会社代表取締役会長を歴任した。 静岡県小笠郡菊川町(現在の菊川市)出身である。静岡薬科大学薬学部に進学し、薬学士の称号を取得し、1957年に卒業した。卒業後、当時の三共株式会社(現在の第一三共株式会社)に入社した。 薬学部出身ながら三共では営業を中心にキャリアを積み、名古屋支店や東京第一支店にて支店長を務めた。学術部の部長に就任した際に取締役となり、のちに営業本部の本部長を兼任した。 常務、専務を歴任したのちに、代表権のある副社長に就任した。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12… 上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12日 - 2024年〈令和6年〉11月1日)は、日本の日本画家。特に花鳥画を能くした。本名は上村 淳(読み同じ)。位階は従三位。画業で日本芸術院会員に選ばれ、文化勲章を受章したほか、大学で美術教育にも努め、京都市立芸術大学教授(のちに名誉教授)、京都市立美術大学教授・副学長を務めた。愛鳥家であり、作画の参考を兼ねて自宅で数百種類の鳥を飼っていた。日本鳥類保護連盟奈良研究所所長。 美人画の巨匠である上村松園(しょうえん)を祖母に、花鳥画の名手上村松篁(しょうこう)を父とする画家の家系で京都市に生まれ、自らは晩年にかけて奈良市に暮らした。 京都市に生まれ、京都小学校特別科学学級での同級に伊丹十三がいた。
品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )… 品川 隆二(しながわ りゅうじ、1933年4月11日 - )は、日本の俳優、作詞家、ナレーターである。山梨県出身。 1933年4月11日(火曜日)、山梨県南都留郡宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親の援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。
川並 弘昭(かわなみ ひろあき、1933年4月10日 - 2… 川並 弘昭(かわなみ ひろあき、1933年4月10日 - 2011年5月30日)は、日本の教育者。学校法人東京聖徳学園理事長・学園長、聖徳大学・聖徳大学短期大学部学長などを務めた。 東京聖徳学園の創立者である川並香順・孝子夫妻の子として生まれる。誕生日は聖徳学園として最初の学校である聖徳家政学院・新井宿幼稚園が開校した日である。 東京都立大森高等学校を経て早稲田大学第一文学部哲学科を卒業した。 1966年、香順の後を受けて理事長に就任した。1973年、聖徳大学短期大学部の前身である聖徳学園短期大学の学長だった孝子の後を受けて学長に就任した。1990年、聖徳大学の初代学長に就任した。 この他に日本私立短期大学協会会長、財団法人短期大学基準協会理事長、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会教員養成部会委員など多くの役職を務めた。
永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016… 永 六輔(えい ろくすけ、1933年4月10日 - 2016年7月7日)は、日本の放送作家、作詞家。本名:永 孝雄(えい たかお)。 テレビやラジオなどを中心に活躍。軽妙な語り口と歯に衣着せぬトークで人気を集めた。1961年7月に坂本九により初演され、その後世界中でヒットしたポップソング『上を向いて歩こう』の作詞者として知られる。また短く簡単な言葉で物事の本質を突く、短文の名人としても知られ、著作も多い。『大往生』は200万部を超える大ベストセラーとなった。 “旅の坊主”、“ラジオ屋”、“テレビ乞食”、“遊芸渡世人”、“男のおばあさん”などを自称。晩年の所属事務所は「オフィス六丁目」だった。角刈り頭と細長い顔がトレードマーク。