菅谷 規矩雄(すがや きくお、1936年5月9日 - 198… 菅谷 規矩雄(すがや きくお、1936年5月9日 - 1989年12月30日)は、日本の詩人、ドイツ文学者。 東京府出身。1959年東京教育大学独文科卒、東京大学独文科に学士入学し、62年卒業、64年同大学院修士課程修了、神戸大学助手、66年10月名古屋大学講師。天沢退二郎らと詩誌『暴走』、『凶区』に拠り、詩や評論を発表。69年10月東京都立大学 (1949-2011)助教授となるが大学紛争で71年6月懲戒免職。日本語のリズム、韻律について理論的に考察した『詩的リズム』など、詩論において大きな功績を残した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 -… 原 道生(はら みちお、1936年(昭和11年)5月9日 - 2023年11月23日)は、日本近世演劇研究者、明治大学名誉教授。 東京生まれ。1955年成蹊高等学校卒業、1960年東京大学文学部国文科卒、1966年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手。1971年横浜市立大学文理学部助教授、1981年明治大学文学部教授。2005年同図書館長。2007年定年退職、名誉教授。歌舞伎学会会長、義太夫協会代表理事などを務めた。 2014年第46回河竹賞、第36回角川源義賞受賞。2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 2023年11月23日、誤嚥性肺炎のため東京都の病院で死去。87歳没。
小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわ… 小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までの筆名は小池 一雄。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 秋田県大仙市出身。中央大学法学部卒。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。
結城 昭康(ゆうき あきやす、1936年5月8日 - 199… 結城 昭康(ゆうき あきやす、1936年5月8日 - 1991年5月2日)は、福岡県出身の元ラグビー選手、ラグビー指導者。元ラグビー日本代表選手。キャップ1。主なポジションはプロップ(Pro.)。
在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 201… 在原 兵次(ありはら へいじ、1936年5月7日 - 2013年9月16日)は、千葉県君津郡袖ヶ浦町(現在の袖ケ浦市)出身の元プロ野球選手。甥は同じく大洋に在籍した在原昭彦。 千葉関東高校から立川AIO、横浜日野ディーゼルを経て、1962年に大洋ホエールズへテスト入団。翌年1試合に出場し、引退。 2013年9月16日、77歳で死去した。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。
切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の… 切畑 健(きりはた けん、1936年5月7日- )は、日本の伝統服飾の研究者、京都国立博物館名誉館員。 大阪市生まれ。京都市立美術大学日本画科卒業。京都国立博物館に入り、京都文化資料研究センター調査資料室長、普及室長を経て、大手前女子大学文学部教授。2007年退職。
山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日… 山田 二郎(やまだ じろう、1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー。 東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身。浪曲師の広沢虎造(2代目)の次男。趣味はゴルフ。早稲田大学第一文学部 卒業。 1959年、NHKにアナウンサーとして入局。元々は落語家を志望しており、大学卒業後に弟子入りする師匠が決まっていたが、当時 所属していた放送研究会の仲間と試しに受けたNHKの試験に合格。師匠からも安定した職に就くことを勧められたため、アナウンサーの道へ進んだ。 NHK佐賀放送局で勤務の後、1960年3月、ラジオ東京(後の東京放送 → 東京放送ホールディングス → TBSホールディングス、以下TBS)に中途経験者採用により移籍。
本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、… 本田 維憲(ほんだ これのり、1936年5月6日 - )は、日本の政治家。元大分県速見郡日出町長(2期)。株式会社ハーモニーランド監査役、株式会社日出ハイテック代表取締役社長を歴任。 1936年(昭和11年)5月6日、大分県直入郡松本村(現・竹田市)で軍医をしていた本田文生と妻[歯科医師]千枝の三男として生まれる。 大分県立竹田高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1960年(昭和35年)に株式会社ラジオ大分(現・株式会社大分放送)に入社。秘書部長、総務局長等を歴任し、1994年(平成6年)に大分放送を退職。この間、1975年(昭和50年)に日出町に移住。 1996年(平成8年)に民間出身として初めて日出町長に当選(一期)。
所 京子(ところ きょうこ、1936年5月6日 - )は、日… 所 京子(ところ きょうこ、1936年5月6日 - )は、日本の国文学者、岐阜聖徳学園大学名誉教授。 福島県生まれ。旧姓・菊池。夫は所功。1960年京都女子大学文学部東洋史学科(日本史専攻)卒業。1968年同大学院文学研究科修士課程修了。1980年聖徳学園女子短期大学専任講師(国文学)。1984年助教授。1989年教授。1996年聖徳学園岐阜教育大学(現・岐阜聖徳学園大学)外国語学部日本語学科教授。2002年退任、名誉教授となる。 1992年「斎王和歌文学の史的研究」で博士(文学)(愛知学院大学)。
市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は… 市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は、東京都出身の日本の俳優、声優。身長170 cm。体重63 kg。血液型はB型。 東京都立立川高等学校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。1962年に劇団三期会(現 - 東京演劇アンサンブル)に入団。初舞台は『日本人民共和国』の矢田部一役。 かつては東京演劇アンサンブル、独立企画、アクターズ・カンパニー、希楽星に所属していた。 特技はジョギング。趣味は野球。
桑原 敏明(くわはら としあき、1936年5月5日 - 20… 桑原 敏明(くわはら としあき、1936年5月5日 - 2019年7月27日)は、日本の教育制度学者、筑波大学名誉教授。フランス教育制度の研究を専門とする。愛媛県生まれ。 1960年東京教育大学教育学部卒、1966年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程中退。同年東京教育大学教育学部助手に就任し、1968年から愛知教育大学教育学部講師・助教授・教授を経て、1975年に東京教育大学教育学部助教授。1976年に筑波大学教育学系助教授、1986年に教授を経て、筑波大学副学長の後に定年退官。昭和女子大学教授も務めた。日本教育制度学会創設に尽力し、1999年から会長。日本フランス教育学会理事も歴任。2019年7月27日、心不全のため死去。
鶴岡 俊彦(つるおか としひこ、1936年5月4日 - 20… 鶴岡 俊彦(つるおか としひこ、1936年5月4日 - 2008年7月14日 )は、日本の農林官僚。水産庁長官、食糧庁長官を務めた。香川県出身。 1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に農林省に入省した(林野庁林政課)。1988年7月に大臣官房総務審議官に就任し、1989年に大臣官房長、1991年に水産庁長官、1992年に食糧庁長官を経て、1997年から2003年10月までに農林漁業金融公庫総裁を務めた。 2006年4月に瑞宝重光章を受章。 2008年7月14日肺炎で死去。72歳没。
嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 -… 嶺 貞子(みね さだこ、1936年〈昭和11年〉5月4日 - 2018年〈平成30年〉10月13日)は、日本の音楽家。声楽家(ソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。イタリア古典歌曲の権威。イタリア歌曲の第一人者であった。本名は峰村貞子。 長野県下水内郡飯山町(現: 飯山市)出身。長野県飯山北高等学校を経て、東京藝術大学声楽科卒業。同学大学院独唱科修了。在学中に安宅賞、野村学芸財団あらえびす賞受賞。長坂好子に師事。1970年(昭和45年)よりイタリア、スペイン、西ドイツ、イギリスなどに留学し、キジアーナ音楽院(イタリア、シエーナ)歌曲コースディプロマ取得。ハイドンのオラトリオ『天地創造』の独唱者としてデビュー。
稲葉 一郎(いなば いちろう、1936年5月3日 - 201… 稲葉 一郎(いなば いちろう、1936年5月3日 - 2017年9月23日)は、日本の歴史学者である。関西学院大学名誉教授。文学博士。専門は東洋史学思想史。 1936年、大阪市生まれ。京都大学文学部卒、1966年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。学部・大学院では宮崎市定に師事した。 1967年より立命館大学文学部助手。その後、同助教授・教授。1980年に関西学院大学文学部教授となる。1989年、「中国史学史研究」を京都大学に提出して文学博士号を取得。2005年に関西学院大学を退職して名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日… 西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。 東京都生まれ。小学6年のときに高松に移り住む。香川県出身。香川県立高松高校を経て、1959年に東京大学工学部航空学科を卒業した後に三菱重工業に入社した。 1992年6月に取締役に就任し、常務を経て、1998年6月に副社長に就任した。1999年6月に社長に昇格し、2003年6月から2008年6月までに会長を務め、2008年6月から相談役を務めた。 2009年から2013年までに日本郵政会長を務め、三菱自動車工業会長や東京電力監査役や日本経済団体連合会副会長なども歴任した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
小川 博久(おがわ ひろひさ、1936年5月1日 - 201… 小川 博久(おがわ ひろひさ、1936年5月1日 - 2019年9月18日)は、日本の幼児教育学者。日本保育学会会長、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。 東京学芸大学、日本女子大学等で研究、教育活動を通して長きに渡り幼稚園教員の養成を行ってきたほか、日本保育学会会長や野外文化教育学会会長等を務め、文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会の各部会で専門委員として活動した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月… 足立 明(あだち あきら、1936年5月 - 2012年1月6日)は、日本の放送作家、脚本家、劇作家、児童文学作家、実業家、作詞家。本名、足立昭。 島根県仁多郡奥出雲町八川出身。 1962年に国連劇脚本に入賞、サンデー毎日への応募脚本を期に東宝演劇文芸部に在籍する。1967年に劇団ピッカリ座を創立、ぬいぐるみ人形劇の創作を行う。多くのテレビアニメの原作脚本を手掛ける。仁田 信夫の名義で原作を手掛けることもある。 2012年1月6日、肺炎のため死去。75歳没。
亀井 善之(かめい よしゆき、1936年〈昭和11年〉4月3… 亀井 善之(かめい よしゆき、1936年〈昭和11年〉4月30日 - 2006年〈平成18年〉5月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(自民党、9期)。位階は正三位。 運輸大臣(第1次橋本内閣)、農林水産大臣(第1次小泉内閣・第2次小泉内閣)を歴任した。 神奈川県中郡成瀬村(現伊勢原市)出身。亀井善彰の四男。 1955年(昭和30年)、神奈川県立湘南高等学校卒業。1962年(昭和37年)、慶應義塾大学経済学部卒業。大日本製糖、神糧物産でのサラリーマン生活を経て、父親の秘書となる。 1979年(昭和54年)、自由民主党から衆議院議員に初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・船田元など)。
蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月2… 蓮實 重彥(はすみ しげひこ、1936年〈昭和11年)4月29日 - )は、日本の文芸評論家・映画評論家・フランス文学者・小説家。 専門はフローベール研究だが、ロラン・バルトやミシェル・フーコーなどフランス現代思想が1970年代から日本へ紹介される際に中心的役割を果たす1人となったほか、近現代文学・映画評論の分野でも数多くの批評を手がけている。 1980年代以降は各国の映画製作者とも幅広く交流し、小津安二郎など日本映画の世界的再評価に大きく貢献した。東京大学教養学部教授(表象文化論)、第26代東京大学総長(1997年-2001年)を歴任。東京大学名誉教授。 蓮實は、雪舟などの研究で知られた日本美術史家・蓮實重康の息子として、1936年に東京で生まれた。
アドルフォ・ニコラス・パション(スペイン語: Adolfo … アドルフォ・ニコラス・パション(スペイン語: Adolfo Nicolás Pachón, 1936年4月29日 – 2020年5月20日)は、カトリック教会のスペイン人司祭、神学者。第30代イエズス会総長(2008年1月19日 -2016年10月3日)。 アドルフォ・ニコラスはスペインのパレンシア県ビリャムリエル・デ・セラートに生まれ、1953年イエズス会に入会し、アランフエスで修練生となった。アルカラ大学で哲学学士号 (Licenciatura) を得た後、来日した。1960年まで日本で日本語とその文化を学んだ。ニコラスは、1964年上智大学神学部に入学して神学を学び、1967年3月17日に司祭に叙階。
堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015… 堀 長文(ほり ながふみ、1936年4月29日 - 2015年11月7日)は、日本の元演出家・プロデューサー。元東映東京撮影所所属。香川県出身。早稲田大学卒業。企画会社堀屋ほり長の社長としてドキュメンタリー番組の制作に携わっていた。おいはファニメーション社長のゲン・フクナガ。 大学を卒業後、1961年に東映東京撮影所に入社。主に深作欣二に師事し、社員監督の立場で数々の作品に携わるが、監督としてはあまり作品にタッチできなかった。主な助監督作品に『刑事くん』『ジャイアントロボ』など。1971年放映『キイハンター』の一編にて監督デビュー。その後、『Gメン'75』で助監督兼監督を務めたり、大正製薬の『リポビタンD』のテレビコマーシャル演出などに携わるが、1983年よりプロデューサーの鈴木武幸からの招きで、スーパー戦隊シリーズの『科学戦隊ダイナマン』より特撮作品の演出を担当。
中 利夫(なか としお、1936年〈昭和11年〉4月28日 … 中 利夫(なか としお、1936年〈昭和11年〉4月28日 - 2023年〈令和5年〉10月10日)は、群馬県前橋市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 登録名を頻繁に変えており、入団時は「利夫」、その後は1964年に「三夫」、1965年に「暁生」、監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」もしくは「利夫」。解説者としては本名の「利夫」を使用。 前橋高校では1年生時の1952年秋からエース、中軸打者として活躍、主将も務めた。1953年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、桐生工に敗退。同年の秋季関東大会県予選も準決勝で桐生高に敗れる。3年次の1954年には春季関東大会県予選決勝で桐生工を降し優勝、関東大会に進むが準々決勝(初戦)で水戸農に惜敗した。
西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日… 西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。代表作は産経新聞朝刊に連載されていた4コマ漫画『サラリ君』。 大阪府泉大津市出身。手塚治虫の漫画に親しみ、中学生時代から雑誌『漫画少年』の懸賞投稿の常連となる。泉州地域で漫画が得意な少年として著名になり、大阪市立工芸高等学校在学中の1951年、『阪南新聞』に4コマ漫画『トンマ君』の連載を開始しデビュー。そのころ中学時代の恩師が、その同級生のサトウサンペイを西村に紹介する。当時サトウは大丸本社の宣伝部に勤務しながら漫画の連載をおこなっており、西村は週に1度サトウの職場をたずねて原稿の添削を受けた。『トンマ君』は新聞の廃刊にともない、1年半で終了している。
篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )… 篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。男性。愛媛県新居浜市出身、現在は大阪府八尾市在住。愛媛県立新居浜工業高校卒業。 代表作に『さそり』『にっぽん競馬伝』『ワニ分署』『河内残侠伝 軍鶏』など。 ヒロイン・アクション劇画の第一人者にしてパイオニア的存在で、多くの作品が映像化されているが、アニメ化された作品は一本もない。映像化された作品は怨念が強調されたピンキーバイオレンスが多く、原作のほうも初期はそうした傾向があったが、前述の「夜光虫」事件以降は明るいお色気と娯楽色が前面に出たものが目立つ。 一貫して強く賢明な女性主人公を描き続け、男性はたいてい悪人か無能者、良くて若干抜けたところのある協力者というポジションで描かれる。
草薙 裕(くさなぎ ゆたか、1936年4月28日 - 202… 草薙 裕(くさなぎ ゆたか、1936年4月28日 - 2024年9月11日)は、日本の言語学者。専門は日本語教育と計算言語学。筑波大学名誉教授。 1936年、日本の植民地であった台湾台北州台北市に生まれ、10歳前後まで台湾で育った。そこで、自分とは異なる言語を話す人がいることやものの考え方にも違いがあることを子供ながらに無意識に感じ取り、戦後日本に引き揚げたのち徐々に言語や異文化に興味を持ち始める。中学時代に習った国文法には興味を持てなかったものの、ゼロから学び始めた英語に惹かれる。 1960年に上智大学外国語学部英語学科を卒業し、英字新聞の記者となる。その後渡米してジョージタウン大学大学院言語学研究科博士課程を修了し、1970年には言語学においてPh.D.を取得する。
中山 靖夫(なかやま やすお、1936年4月28日 - 20… 中山 靖夫(なかやま やすお、1936年4月28日 - 2001年2月21日)は、日本の経済学者。 東京・神田三崎町生まれ。1965年日本大学大学院博士課程満期退学、日本大学経済学部講師となり、助教授、教授。1991年「貨幣経済の分析」で日大経済学博士。2001年、在職中に肺癌のため死去した。
熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月… 熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月28日 - )は、元航空自衛官、軍事史学者、軍事評論家、歴史評論家である。ペンネーム熊谷 直(くまがい ただす)を著作の種別により用いる。 父方・母方ともに長州藩士の家系であるという。
薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日… 薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日 - 2024年〈令和6年〉12月31日)は、日本の神職、宗教学者。秩父神社元宮司。京都大学名誉教授。 宗教学や民俗学の視点を入れた神道研究、日本宗教史研究を行う。2002年5月、京都・賀茂御祖(下鴨)神社糺森研修道場において、上田正昭らとともにNPO法人社叢学会を設立した。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1960年に東京大学文学部宗教学科を卒業、1965年に同大学院博士課程満期退学。1972年に國學院大學文学部講師、1974年に同助教授、1981年に同教授、1991年に京都大学教養部教授、のち京都大学総合人間学部教授、2003年に國學院大學神道文化学部特任教授、皇學館大学大学院特任教授を歴任。
寺田 明彦(てらだ あきひこ、1936年4月27日 - 20… 寺田 明彦(てらだ あきひこ、1936年4月27日 - 2019年9月28日)は、日本の実業家。保育総合学院(現在のニチイ学館)の創業者。長野県出身。 1957年に早稲田大学教育学部を中退し、病院での勤務を経て、1973年に保育総合学院(1976年にはニチイ学館となる)を設立し、社長に就任。2005年6月に会長に就任し、2014年10月から2017年12月までに社長も兼任した。1974年には日本医療教育財団理事長に就任。 2019年9月28日膵臓癌のために死去。83歳没。
十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 200… 十時 啓視(ととき けいし、1936年4月25日 - 2001年9月27日)は、光写真印刷株式会社の元社長。プロ野球選手。引退後の姓は「惟村(これむら)」。 山口県岩国市出身。岩国高校では、1953年秋季中国大会準決勝に進むが、広島観音高に延長13回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、萩高に延長16回敗退、甲子園には出場できなかった。 卒業後、1955年に読売ジャイアンツに入団。1956年に一軍に上がり、8月から右翼手として16試合に先発出場。同年の西鉄との日本シリーズは4試合に出場し2四球を選ぶ。1957年の西鉄との日本シリーズでは第1戦、第4戦に代打で起用され連続安打。
吉田 克郎(よしだ かつろう、1936年〈昭和11年〉4月2… 吉田 克郎(よしだ かつろう、1936年〈昭和11年〉4月24日 - )は、日本の実業家、岩手銘醸会長。元岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)議会議員(4期)。元プロ野球選手の経歴も持つ。 岩手県胆沢郡前沢町出身。岩手県立水沢高等学校では野球部に所属。1954年の3年生の夏、投手で4番の打順で全国高等学校野球選手権岩手大会に出場したが、チームは敗退し、全国選手権大会出場はならなかった。しかし、179cmの体格からのアンダースローを武器に剛速球を投げることがプロ野球のスカウトの目に留まり、試合後、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のスカウトが自宅を訪ね、入団を勧められ、その場で快諾。大洋ホエールズへの入団が決まった。
三末 篤實(みすえ あつみ、Joseph Atsumi Mi… 三末 篤實(みすえ あつみ、Joseph Atsumi Misue, 1936年4月24日-2016年6月28日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック広島司教区第2代司教。洗礼名は「ヨゼフ」。 長崎県平戸市で祖母を隠れキリシタンに持つ6人兄弟の3男として生まれた。当時は生後間もなく亡くなることもあったため、生後2時間に宝亀カトリック教会で受洗している。1952年3月に平戸市宝亀中学校卒業後、長崎公教神学校に入った。1955年3月に長崎南山高等学校を卒業し、1962年3月に福岡サン・スルピス大神学院卒業。同年3月19日に大浦天主堂で長崎教区山口愛次郎大司教から司祭に叙階された。 叙階後は、飽の浦、大浦、浦上教会の助任司祭を経て1969年に神ノ島教会で主任司祭。
渡辺 馨(わたなべ かおる、1936年4月24日 - )は、… 渡辺 馨(わたなべ かおる、1936年4月24日 - )は、日本のソプラノ歌手。 1959年、東京芸術大学音楽学部を卒業後、イタリアの聖チェチーリア音楽院研究科に留学しピア・タッシナーリ、アルファーニ・テッリーニに師事。 1969年、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」のミミ役でオペラ・デビューを果たす。その後も「蝶々夫人」、「アイーダ」等のオペラに出演した。 1975年、スペインの国際講習会ムシカ・デ・コンポラスに参加し、スペインの作曲家モンプーに認められる。 1977年、初めて日本のオペラに取り組み、大栗裕の「赤い陣羽織」の奥方役で出演。1983年、日本大学芸術学部教授、2009年、同大学名誉教授に就任。
齊藤 友紀雄(さいとう ゆきお、1936年4月24日 - 2… 齊藤 友紀雄(さいとう ゆきお、1936年4月24日 - 2025年2月25日)は、日本のキリスト教神学者、牧師、臨床心理学者。東京都出身。 東京神学大学と米国ランカスター神学校と同市総合病院で神学と臨床心理学を学ぶ。日本基督教団牧師。 現在、社会福祉法人日本いのちの電話連盟常務理事、日本自殺予防学会理事長、民間相談機関連絡協議会会長、青少年健康センター会長、北の丸クリニック常任理事、日本臨床死生学会理事を務める。 1997年、自殺予防活動への社会的貢献により国際リンゲル賞受賞。2012年藍綬褒章。 2025年2月25日に逝去。88歳没。
佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、… 佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、日本の裁判官、弁護士。東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官、司法研修所上席教官、横浜地方裁判所所長、早稲田大学法学部特任教授、司法協会理事長、TMI総合法律事務所顧問弁護士等を歴任。 1955年秋田県立角館高等学校卒業。1959年中央大学法学部卒業。1964年裁判官任官、仙台地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、司法研修所教官(民事裁判担当)、東京地方裁判所判事、最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長、東京地方裁判所部総括判事、司法研修所教官(第一部裁判官担当・民事)、最高裁判所上席調査官、東京地方裁判所所長代行等を経て、1996年新潟地方裁判所所長。
恵川 康太郎(えがわ やすたろう、1936年4月22日 - … 恵川 康太郎(えがわ やすたろう、1936年4月22日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手。
市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2… 市村 緑郎(いちむら ろくろう、1936年4月21日 - 2014年4月27日)は、茨城県下妻市出身の彫刻家、日本芸術院会員。 茨城県立下妻第一高等学校卒業。1961年、日展初入選。1962年、東京教育大学教育学部芸術学科彫塑専攻卒業、同大学院に進むが6月に中退。 1977年、文部省在外研究員として渡欧。1983年、埼玉大学教授。1986年、白日会会務委員、1987-1992年・彫刻部事務局長。1987年、日展審査員。2001年、日展評議員。2002年、埼玉大学定年退官、名誉教授。崇城大学美術学科教授。 2005年、さいたま市文化賞。2006年、日展理事。日本芸術院賞受賞。2008年、日本芸術院会員。
石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )… 石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )は、日本の実業家。九州電力副社長や、九電工会長、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長等を歴任した。 福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学経済学部卒業。1959年九州電力入社。九州電力取締役営業部長を経て、1995年九州電力常務取締役。1998年九州電力取締役副社長。2004年九電工取締役会長。福岡経済同友会代表幹事、九州経済同友会代表委員、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長。2004年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2005年山崎広太郎福岡市長を支持するために大手企業らで設立された希望ふくおかの会長に就任。
海老根 宏(えびね ひろし、1936年4月19日 - 202… 海老根 宏(えびね ひろし、1936年4月19日 - 2025年8月7日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 19世紀英国小説を専門とし、トマス・ハーディなどを研究、またノースロップ・フライの理論の紹介にも努めた。 都立日比谷高校卒業、1959年東京大学教養学部教養学科イギリス分科卒業。1962年、東京大学大学院人文科学研究科英文学専攻修士課程修了、大阪大学教養部講師、1967年助教授、1966年シカゴ大学修士課程修了、1969年東京大学教養学部助教授、1979年東京大学文学部助教授、1988年教授、1996年定年退官、東洋大学教授。1992年から1996年まで日本英文学会会長。ほかに、日本ブロンテ協会会長、日本ジョージ・エリオット協会会長などを歴任。
河村 錠一郎(かわむら じょういちろう、1936年〈昭和11… 河村 錠一郎(かわむら じょういちろう、1936年〈昭和11年〉4月19日 - 2025年〈令和7年〉9月19日)は、日本の美術評論家、英文学者、比較芸術学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。専門はイギリス美術史、特にラファエル前派。 東京市浅草区生まれ。1960年(昭和35年)東京大学文学部英文科卒、1965年(昭和40年)同大学院博士課程中退、一橋大学経済学部講師。1969年(昭和44年)助教授、のち教授。1996年(平成8年)言語社会研究科教授、2000年(平成12年)定年退官、名誉教授。帝京大学教授。のち客員教授。2015年(平成27年)11月の秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章する。 門下に加藤光也(元旧・東京都立大学教授)。
早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、… 早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、日本の俳優である。本名は持田芳男(もちだ よしお)。神奈川県川崎市出身。
栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、… 栗原 彬(くりはら あきら、1936年4月18日 - )は、日本の社会学者。立教大学名誉教授。立命館大学研究顧問。専門は政治社会学。 栃木県宇都宮市生まれ。東京大学教養学部卒業。三井物産勤務を経て、東京大学大学院社会学研究科で学ぶ。立教大学法学部助手、武蔵大学人文学部講師、立教大学法学部助教授・教授、2002年定年、名誉教授、明治大学文学部教授、2007年立命館大学特別招聘教授。水俣フォーラム代表および日本ボランティア学会代表。
矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 … 矢野 暢(やの とおる、1936年〈昭和11年〉4月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治学者。専門は東南アジア地域研究。1986年『冷戦と東南アジア』で吉野作造賞を受賞。 ノーベル賞に関するテレビ番組等にゲストとして出演するなどマスコミ露出も多く、アウンサンスーチーの京都大学留学時代の恩師とされる。1993年に発覚した「矢野事件」で知られる。事件の責任をとり同年末に京都大学を辞職した。 熊本県生まれ。生後満洲国関東州の大連に転居。八代市内の高等学校(現在の熊本県立八代中学校・高等学校)を経て、1959年京都大学法学部卒業、1961年同大学院修士課程修了、1965年同大学院博士課程修了。
田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日… 田中 努(たなか つとむ 1936年4月17日 - )は、日本の官僚。経済企画事務次官。
江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日… 江坂 彰(えさか あきら、1936年4月17日 - )は、日本の経済評論家。 京都府生まれ。本名・海老名彰一[要出典]。1961年京都大学文学部卒業。東急エージェンシー本社マーケティング局長、関西支社長などを経て、1984年独立。『冬の火花』でデビュー。サラリーマンたちの人生を見つめた著作を発表。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17… 川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17日 - )は、日本の政治家。鹿児島県南さつま市長(1期)、同加世田市長(3期)を務めた。 鹿児島県南さつま市の旧加世田市地域出身。熊本大学法文学部卒業。1960年鹿児島県庁に入り、行政考査監(1982年)、企画部調整課長(1984年)、商工労働部工業振興課長(1986年)、商工政策課長(1987年)、総務部人事課長(1988年)、企画部次長(1990年)、総務部次長(1992年)を歴任。1993年に鹿児島県職員を退職。 1993年に加世田市長選挙に立候補して当選する。加世田市長は3期12年間務めた。2005年に加世田市は合併で南さつま市となり、合併直後の市長選挙に立候補して、旧笠沙町長を破って当選した。
横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月1… 横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月16日 - )は、日本の女優。本名及び旧芸名、横山 道代(よこやま みちよ)。東京府出身。中山昭二は元夫。東京都立桜町高等学校卒業。 高校卒業後、小牧バレエ団、石井みどり舞踏団を経て、1954年、東京放送劇団に第5期生として入団。同年に『ヤン坊ニン坊トン坊』でデビュー。 里見京子・黒柳徹子と「三人娘」と呼ばれて人気を得る。 1958年に劇団を退団し東宝に入社 。同年に『奴が殺人者だ』で映画デビュー。その後は芸映に所属。 映画では若い頃は岡本喜八作品、壮年期以降は市川崑作品の常連。伊丹十三作品にも複数回起用されていた。 21世紀を目前に、「まだまだ道の途中」の意を込めて本名の横山道代から横山通乃へと改名。
井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本… 井上 稔(いのうえ みのる、1936年4月16日 -)は日本画家。京都府京都市生まれ。日展会友(出品委嘱)、朴土グループメンバー。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。