谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24… 谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24日 - )は、日本の政治家。元福岡県宗像市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、熊本大学法文学部卒業。同年4月、福岡県庁に入庁。1997年(平成9年)、福岡県企画振興部長に就任。1999年(平成11年)、福岡県庁を退職。同年、空港周辺整備機構福岡空港事業本部理事に就任。2001年(平成13年)、旧宗像市の助役に就任。 2003年(平成15年)4月1日、隣接する宗像郡玄海町と合併し、新制の宗像市が発足。引き続き助役を務める。 2006年(平成18年)4月4日、原田慎太郎宗像市長が在職中に死去。これに伴って5月に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて出馬し、無投票で初当選した。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月… 薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月23日 - 2000年〈平成12年〉6月18日)は、日本の動物画家、絵本作家。 絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で標本画の基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞。
浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )… 浅川 みゆ起(あさかわ みゆき、1940年5月23日 - )は、日本の女優、声優。本名は佐藤 登美子(さとう とみこ)。東京都渋谷区出身。 日本芸術学院アナウンス科卒。東京俳優生活協同組合、綜芸プロダクション、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、エヌ・エー・シーなどに所属していた。趣味は日本舞踊、歌唱。 かつては渋沢詩子、日輪マコとともにヤンチャ・トリオとして活動していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
清水 満昭(しみず みつあき、1940年〈昭和15年〉5月2… 清水 満昭(しみず みつあき、1940年〈昭和15年〉5月21日 - )は、日本の実業家、清水建設創業家6代目当主、清水建設相談役(元会長)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21… 渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21日 - 2015年〈平成27年〉10月15日)は、日本の政治家。岩手県花巻市長(3期)。 岩手県花巻市出身。1963年(昭和38年)日本大学法学部卒業。翌年岩手県庁に入る。自治省勤務を経て、岩手県地方課主任、財政課主査、同企画調査係長、千厩県税事務所長、千厩地方振興局総務部長、県総務部財政課長、総務部長を経て、県庁を退職。1996年(平成8年)花巻市長に当選。市長は2005年(平成17年)に合併するまで3期務めた。2005年12月31日に退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
尾﨑 靖夫(おざき やすお、1940年5月20日 - )は、… 尾﨑 靖夫(おざき やすお、1940年5月20日 - )は、高知県吾川郡伊野町出身の元プロ野球選手。
野村 一成(のむら いっせい、1940年5月20日 - )は… 野村 一成(のむら いっせい、1940年5月20日 - )は宮内庁御用掛。元日本の外交官。
王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzh… 王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzhì、1940年5月20日 - )は、日本生まれ、中華民国籍の元プロ野球選手・監督。福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長。日本プロ野球名球会顧問。
木村 彌一(きむら やいち、1940年5月20日 - )は、… 木村 彌一(きむら やいち、1940年5月20日 - )は、日本の経営者。 東京都出身。足立高等学校を経て、1963年に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年に大協石油(のちのコスモ石油)に入社。主に経営企画部門に従事し、1993年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、2004年6月には社長に就任。社長在任時には、アラブ首長国連邦のアブダビ首長国系ファンドの出資の受け入れと韓国の石油大手との合弁事業を取りまとめた。2012年6月から2015年9月までに会長を務めた。
若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月1… 若山 美子(わかやま よしこ、1940年〈昭和15年〉5月19日 - 1973年〈昭和48年〉8月3日)は、日本の登山家、彫刻家。1967年(昭和42年)に今井通子と共に、アルプス山脈三大北壁の一つであるマッターホルンの北壁へ、世界初の女性だけのパーティでの登攀を果たした。卓越した登攀技術の持主として将来を期待されていたものの、新婚旅行を兼ねたマッターホルン登山で、夫と共に滑落死した。登山小説『銀嶺の人』のモデルの1人。「若山」は旧姓で、結婚後の本名は「岡本 美子」。満州里市出身。 満洲国に渡って水産会社を興した父のもとに誕生。父の事業成功により家は裕福であったが、終戦直前の1945年(昭和20年)7月に父が召集され、翌月にはソ連軍の侵攻に遭い、逃避行の生活を強いられた。
福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月… 福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月19日 -) は、登山家であり、社会事業家。 1969年7月マッターホルン北壁の単独登攀は日本人初(世界第三登)。1973年9月日本エベレスト登山隊、南西壁隊員。関西大学二部体育会山岳部OB会所属。三重県名張市出身。 現在[いつ?]、スイス山岳会会員、第2次RCC同人、日本オセアニア交流協会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月1… 亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月18日 - 2003年〈平成15年〉2月19日)は、日本の政治家。 宮城県議会議長、宮城県議会議員(5期)、参議院議員(1期)を歴任した。 1940年(昭和15年)5月18日、当時父が海軍に勤務していた関係で、海軍基地のある神奈川県横須賀市に生まれる。その後、太平洋戦争勃発と戦争激化に伴い、郷里である宮城県に疎開し、多賀城市に移り住む。 1959年(昭和34年)宮城県仙台第一高等学校を卒業。家庭の事情で、大学進学を断念し、地元の河北新報社に就職する。この間、ボランティア活動を通じて政治を志し、1971年(昭和46年)宮城県議会議員選挙に仙台市選挙区から立候補するが現職の壁が厚く落選。
鶴岡 啓一(つるおか けいいち、1940年(昭和15年)5月… 鶴岡 啓一(つるおか けいいち、1940年(昭和15年)5月18日 - )は、日本の政治家、官僚。千葉市長(第24・25代)等を歴任。
マシオ駒(マシオこま、1940年5月18日 - 1976年3… マシオ駒(マシオこま、1940年5月18日 - 1976年3月10日)は、日本の元プロレスラー。本名は駒 秀雄(こま ひでお)。東京都世田谷区出身。
柳井 晴夫(やない はるお、1940年5月17日 - 201… 柳井 晴夫(やない はるお、1940年5月17日 - 2013年12月21日)は、日本の統計学者(教育心理学・統計学・医学疫学・看護学・大学入試データ・多変量解析)。学位は、教育学博士(東京大学・1972年)・医学博士(東京大学・1983年)。位階は従四位。大学入試センター名誉教授・聖路加看護大学大学院教授。電気通信大学教授の柳井啓司は長男。
田口 豊太郎(たぐち とよたろう、1940年〔昭和15年〕5… 田口 豊太郎(たぐち とよたろう、1940年〔昭和15年〕5月17日 - )は、中部日本放送(CBC)の元アナウンサー。 1960年代前半頃〜1990年代前半頃にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 ※いずれもCBCの番組。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
岩倉 高子(いわくら たかこ、1940年5月16日 - 20… 岩倉 高子(いわくら たかこ、1940年5月16日 - 2026年1月7日)は、日本の女優。富山県富山市出身。特技はバレエ、日舞。劇団青年座所属。父は作家の岩倉政治。 富山県立富山北部高等学校卒業。 高校を卒業後、上京して俳優座養成所に11期生として入社する。同期には工藤堅太郎、岩本多代らがいる。1964年に舞台でデビューする。その後は、舞台、映画、テレビドラマなどで活躍する。 2026年1月7日、肺がんのため死去した。85歳没。
吉開 那津子(よしかい なつこ、1940年5月16日 - )… 吉開 那津子(よしかい なつこ、1940年5月16日 - )は、日本の作家。東京出身。夫は機関紙連合通信社代表取締役などを務めた相羽宏紀である。 早稲田大学卒業。1967年、日本共産党創立45周年記念文芸作品募集に応募し、小説「旗」が入選する。 1999年、日本民主主義文学会副会長就任。2007年、日本民主主義文学会会長就任。(2011年に退任) 吉開の代表作『前夜』(1980年)、は、山口県を中心に、中国盲従グループが発生した際の日本共産党員たちのたたかいを題材にとったもの。細胞長(現在は支部長)の運転手の「福家」や同細胞に属する車掌の「勢津子」を中心人物に据え、西日本電軌の組合や共産党組織、日中友好協会の活動を描いた。
秋山 昌廣(あきやま まさひろ、1940年5月15日 - )… 秋山 昌廣(あきやま まさひろ、1940年5月15日 - )は、日本の大蔵・防衛官僚。血液型はB型。第22代防衛事務次官、財団法人海洋政策研究財団理事長、公益財団法人東京財団理事長、笹川日中友好基金運営委員を歴任した。 東京都港区出身(父は茨城県、母は東京都)。東京都立日比谷高等学校を経て、1964年東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。同年、大蔵省入省。同期には野田毅、田波耕治、野口悠紀雄、高橋厚男(関税局長)、涌井洋治(主計局長・JT会長)、杉崎重光(証取監視委事務局長・IMF副専務理事)、野口卓夫(大証副理事長)など。
横堀 恵一(よこぼり けいいち、1940年5月15日 - )… 横堀 恵一(よこぼり けいいち、1940年5月15日 - )は、帝京大学教授、元通産官僚。
村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、… 村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、福祉ジャーナリスト、アナウンサー。 NHKのアナウンサーおよび解説委員を歴任。NHK退職後、福祉問題を専門に取材活動を続けている。
梶山 千里(かじやま ちさと、1940年5月13日 - )は… 梶山 千里(かじやま ちさと、1940年5月13日 - )は、日本の化学者。九州大学名誉教授。九州大学総長や、独立行政法人日本学生支援機構理事長、公立大学法人福岡女子大学理事長兼学長を歴任。元高分子学会会長。元国立大学協会副会長。マサチューセッツ大学卓越した同窓会会員。マサチューセッツ大学名誉博士。 福岡県直方市で国家公務員の子として生まれる。1956年長崎県立長崎西高等学校に入学。転校し、1959年福岡県立鞍手高等学校卒業。1964年九州大学工学部応用化学科卒業。1966年九州大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1969年マサチューセッツ大学大学院高分子工学科博士課程修了、Ph.D。
円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要… 円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち[要出典]、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
二井 將光(ふたい まさみつ、1940年5月13日 - )は… 二井 將光(ふたい まさみつ、1940年5月13日 - )は、日本の生化学者、分子生物学者。薬学博士。大阪大学名誉教授。東京都中野区出身。 植物が光のエネルギーを捉えて変換し、二酸化炭素と水から糖と酸素を生成、これを動物や微生物がもらい利用する過程を中心に、研究を展開した。生物のエネルギー通貨とよばれる物質、ATP(アデノシン3リン酸)が合成されるメカニズム、ATPが加水分解されるときに発生するエネルギーを使ったイオン(水素イオン)の輸送、ATPの形成するオルガネラ(細胞内小器官)の内部の酸性の機能、などの解明に大きな貢献をしている。 分子生物学と生化学の手法を用い、たくさんのタンパクから構成されている生物機械の解明に至った。
田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5… 田中 信太郎(たなか しんたろう、1940年〈昭和15年〉5月13日 - 2019年〈令和元年〉8月23日)は、日本の現代美術家、彫刻家。 1960年代の「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を経て、ミニマリズムやインスタレーションの分野で活動。国内外で評価された。 1940年東京生まれ。太平洋戦争末期に茨城県日立市へ疎開し、茨城県立日立第一高等学校卒業。その後上京し、1959年二紀展に入選しデビューする。1960年より読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」で活動する。 1960年代後半、ミニマル・アート的作風へ転向。1968年の個展「点・線・面」や、1970年の第10回日本国際美術展「人間と物質」展へ参加。
中田 捷夫(なかた かつお、1940年5月12日 - )は、… 中田 捷夫(なかた かつお、1940年5月12日 - )は、日本の構造家。中田捷夫研究室主宰。技術士、大阪府出身。工学博士。 日本建築学会空間構造小委員会、壁式鉄筋コンクリート造耐震性検討小委員会委員、建設省総合研究開発プロジェクト「木質ハイブリッド」研究調査委員会委員、財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団理事。
池上 徹彦(いけがみ てつひこ、1940年5月11日 - )… 池上 徹彦(いけがみ てつひこ、1940年5月11日 - )は元産業技術総合研究所理事。元NTT基礎技術総合研究所長。元NTTアドバンステクノロジ代表取締役社長。元会津大学学長。元電子情報通信学会副会長。工学博士。 東京都出身。1968年東京工業大学(のちの東京科学大学)理工学部研究科博士課程修了、工学博士。論文は「半導体接合レーザの動作特性に関する研究」。 1994年NTT取締役・基礎技術総合研究所長、1996年NTTアドバンステクノロジ(株)代表取締役社長。2001年会津大学学長、2003年電子情報通信学会副会長、2007年文部科学省宇宙開発委員会委員、2010年1月文部科学省宇宙開発委員会委員長。
井上 大佑(いのうえ だいすけ、本名:井上祐輔、1940年5… 井上 大佑(いのうえ だいすけ、本名:井上祐輔、1940年5月10日 - )は、日本の経営者。 カラオケの発明者を自称しているが、近年の研究では井上よりも先にカラオケを発明、商業化していた人物として根岸重一や浜崎厳(元ミニジューク大阪社長)、北治敏男らの存在が明らかになっており、井上には「初めてカラオケのビジネス化に成功した人物」という評価が与えられている。 2010年秋、「カラオケを創(つく)った男」の著作権が2万口に分割、販売されていることが判明、架空の投資話に用いられている恐れがあるとして、高木義明文部科学大臣は10月15日の記者会見で問題を指摘し、文化庁は「緊急のお知らせ 」、消費者庁は「いわゆる『カラオケ著作権』の譲渡に関する相談の急増に対する注意喚起」と題した異例の呼び掛けを行っている。
大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は… 大沢一彦(おおざわ かずひこ、1940年5月10日 - )は、日本の実業家。日本食研創業者・会長で、同社を含む日本食研グループ16社の最高経営責任者。 1940年、愛媛県今治市出身。愛媛県立今治南高等学校を経て、1963年東京農業大学卒業。 1971年10月、大沢一彦ら6名で、高松市にて畜産加工研究所として創業。1973年2月13日、株式会社畜産加工研究所設立。1975年2月、日本食研株式会社に商号変更。 異業種交流等も主宰。焼肉のたれ 宮殿のCMに出演。 2010年4月、藍綬褒章を受章。 2020年4月、今治市名誉市民の称号を授与される。 2023年4月、旭日小綬章受章。同年5月、食料産業特別貢献大賞受賞。
石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、… 石田 帰山(いしだ きざん、1940年5月10日 - )は、日本の書家。本名、紀夫。元毎日書道展会員、元創玄書道会審査員。「唯一神又吉イエス主義を後世に伝える会」の題字を手掛けたことで知られる。石田紀夫名義で、テノール歌手としても活動している。 富山県魚津市生まれ。専修大学卒業、東京音楽大学大学院修士課程修了。文化功労者である書道家大平山濤に50年の間師事する。 19歳の時、書道家吉田帰雲、大平山濤両者から一字ずつもらい、雅号「帰山」を名乗りはじめる。1965年、文化勲章受賞者である金子鷗亭が立ち上げた書道会「創玄書道会」の開催する第1回創玄展に出品し、入選。1968年、鷗亭のもとへ向かう山濤と共に、東京に移り住む。
岩本 荘太(いわもと そうた、1940年5月9日 - )は、… 岩本 荘太(いわもと そうた、1940年5月9日 - )は、日本の政治家。東京農業大学客員教授、日本国際協力センター理事。参議院議員(1期)、石川県副知事を務めた。 東京都出身。1964年に東京大学を卒業。翌1965年、農林水産省に入省。構造改善局建設部出身。 1994年に石川県副知事へ就任し、1998年7月12日の第18回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から無所属で立候補(民主党・社会民主党・自由党・新党さきがけ推薦)。現職の沓掛哲男を破り初当選。 2004年、妻の介護を理由に改選となる第20回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界からの引退を表明する。 2010年11月の秋の叙勲で旭日中綬章を受章する。
佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は… 佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 中学時代は陸上部で走り高跳びの選手だった。 益田産業高校(現:益田翔陽高校)時代は長距離打者として鳴らし、3年生時の1958年に同期のエース福原勝(近鉄)を擁し、一塁手として夏の甲子園に出場。1回戦で鈴木正のいた松阪商に敗退したが自身は大会第1号となるホームランをレフトスタンドへ打っている。1959年に木庭教からスカウトされ、広島カープに入団。 入団2年目の1960年に一軍出場を果たすが、1962年までは三振の山を築いていた。入団5年目の1963年はやや粗さが消え、プロ初本塁打も放つ。1964年は控え要員ながら自己最多の89試合に出場するものの、低打率にあえぎ本塁打なしに終わる。
松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日… 松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日本の心理学者。学校法人福山大学副理事長。福山大学人間文化学部心理学科元教授、同学元学長、同学元顧問。広島大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1963年3月、広島大学教育学部心理学科卒業。1971年3月、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程後期修了。 広島女子大学児童学科助教授、鳴門教育大学学校教育学部教授を経て、1993年4月に広島大学教育学部教授に就任。2001年4月、同大学大学院教育学研究科教授。 2004年4月、福山大学人間文化学部教授。2009年4月、同大学副学長に就任。2010年6月、同大学学長に就任。2021年4月、同大学顧問に就任。
柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHI… 柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHIBATA、1940年5月6日 - 2025年2月19日)は、日本の医師、医学者、随筆家。公益財団法人「風に立つライオン基金」 永久名誉顧問。さだまさしの歌および小説、またそれを原作とした映画『風に立つライオン』のモデルとなった人物。
本名 信行(ほんな のぶゆき、1940年5月6日 - 202… 本名 信行(ほんな のぶゆき、1940年5月6日 - 2022年10月21日)は、日本の英語学者。 東京都生まれ。青山学院大学大学院英文科修士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部教授。2009年定年退職、名誉教授。英語学、社会言語学、言語政策学、国際コミュニケーション研究専攻。
旭 孝(あさひ たかし、1940年5月5日 - )は、日本の… 旭 孝(あさひ たかし、1940年5月5日 - )は、日本のフルート奏者。リコーダー奏者。オカリナ奏者。主にスタジオ・ミュージシャンとして活動し、数多のレコーディングに参加している。 小学生の頃、ハーモニカの数字譜を読み音楽に興味を覚える。中学校ではブラスバンド部に入部し、アルトホルン、コルネットを担当。3年生の時に初めてフルートを手にし我流で吹き始める。その後京都市立堀川高等学校音楽科を受験し合格すると、在校中よりフルート奏者の吉田雅夫や林りり子らの指導を受ける。高校卒業後は大阪市音楽団に入団し、9か月後に関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)に移籍、後に林りり子の勧めで上京し、1971年に東京交響楽団に入団。
平林 博(ひらばやし ひろし、1940年(昭和15年)5月5… 平林 博(ひらばやし ひろし、1940年(昭和15年)5月5日 - )は、日本の外交官。インド駐箚特命全権大使、フランス駐箚特命全権大使などを歴任した。リヨン第2大学名誉博士。フランス通として知られる。
山田 匡通(やまだ まさみち、あるいは山田凌雲、- りょうう… 山田 匡通(やまだ まさみち、あるいは山田凌雲、- りょううん、1940年5月5日 - )は、日本の実業家(イトーキ会長、三菱証券元会長、東京顕微鏡院理事長)、禅指導者(三宝禅4代管長・正師家、凌雲軒山田大通)。 1940年5月5日、山田耕雲(山田匡蔵、のち東京顕微鏡院理事長)の子として満洲に生まれる。 1964年、慶應義塾大学経済学部を卒業。1969年、三菱銀行在職中にハーバード・ビジネス・スクールを修了(MBA)。 1964年に旧三菱銀行に入行。1991年に常務に就任し、東京銀行との合併を主導。合併後、専務を経て、2002年に三菱証券(現、三菱UFJモルガン・スタンレー証券)に出向して社長、のちに会長に就任。
長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、… 長谷川 康司(はせがわ こうじ、 1940年5月5日-)は、日本の経営者。元首都高速道路株式会社代表取締役会長兼最高経営責任者、トヨフジ海運代表取締役社長、トヨタ自動車専務取締役。 東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、トヨタ自動車販売(現在のトヨタ自動車)入社。主にアジア畑を歩み、アジア部長や常務取締役(アジア統括)等を歴任。 専務取締役を経て、2002年にグループ会社のトヨフジ海運社長に就任。 2005年10月、道路関係4公団が民営化されて高速道路6社が発足することに伴い、民間を代表して首都高速道路の会長兼最高経営責任者に就任した。2010年6月に退任。 2022年、旭日中綬章受章。
田島 毓堂(たじま いくどう、1940年5月5日 - )は、… 田島 毓堂(たじま いくどう、1940年5月5日 - )は、日本の国語学者、名古屋大学名誉教授。 中国・北京市生まれ。1968年名古屋大学大学院文学研究科国語学単位取得満期退学、1973年「正法眼蔵の国語学的研究」で名古屋大学文学博士。東海学園女子短期大学講師、助教授、教授を経て、1978年名古屋大学文学部助教授、1987年教授となり、2004年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授を務め、2013年退職。2003年8月から、社会福祉法人ラ・エール理事長。同9月から、語彙研究会代表。桂芳院住職。
小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日… 小倉 敏雄(おぐら としお、1940年〈昭和15年〉5月5日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。位階は正六位。 下妻市生まれ。日本大学理工学部卒。下妻市で自動車部品加工会社を経営、社長となる。下妻市監査委員、下妻二高PTA会長などを務める。 2002年(平成14年)2月、当時の下妻市長が図書館建設工事の価格を業者に漏らしたとして競売入札妨害の容疑で逮捕された(業際研事件)。4月の出直し選挙に立候補し、市長選挙は17年ぶりの選挙戦となり、元市議会副議長を破って当選した。 ※当日有権者数:28,088人 最終投票率:58.34%(前回比:-pts) 同月14日に就任した。
伊藤 龍男(いとう たつお、1940年5月5日 - 2021… 伊藤 龍男(いとう たつお、1940年5月5日 - 2021年3月4日)は、日本の工学者。専門は電磁波工学。元UCLA教授、元テキサス大学オースティン校教授。 東京都出身。1964年に横浜国立大学工学部電気工学科を卒業、1966年に同大学院修士課程を修了後、1969年イリノイ大学アーバナシャンペン校博士課程修了(電気工学)。1977年ケンタッキー大学准教授、1981年テキサス大学オースティン校教授、1991年よりカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授を務めた。 米国電気電子学会IEEEのマイクロ波部門でプレジデントを務めるなど、電磁波工学の分野で世界的に活躍、発展に貢献した。アクティブアンテナ、メタマテリアル等価回路理論など優れた業績をあげ、約1500報の論文を発表し、「電磁波工学の世界的パイオニア」と評される。
坂本 信昭 (さかもと のぶあき、1940年5月4日 - )… 坂本 信昭 (さかもと のぶあき、1940年5月4日 - )は、日本の教育学者。駒澤大学名誉教授。 岡山県真庭郡落合町(現真庭市)の瑞景寺に生まれる。1953年3月 河内小学校卒業。1956年3月 有隣中学校卒業。1956年4月 静岡県袋井市曹洞宗専門僧堂可睡斎に安居。それと同時に静岡県立袋井高等学校定時制(夜間部)に入学。1959年3月 曹洞宗専門僧堂可睡斎を修了。1959年4月 東京都私立 駒澤大学高等学校2学年に編入学し、1961年3月 同等学校卒業。1961年4月 駒澤大学文学部社会学科に入学、1965年3月 同大学卒業。1965年4月 駒澤大学聴講生(1966年3月まで)。 1966年4月 栃木県私立葛生高等学校教諭となり、翌1967年3月まで勤務。
坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日… 坂本 孝(さかもと たかし、1940年〈昭和15年〉5月4日 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本の実業家。 山梨県甲府市出身。ブックオフコーポレーション創業者(同社代表取締役社長→会長を歴任)。その後、俺の株式会社を創業し、同社名誉会長。 経営哲学などにおいて、京セラ創始者の稲盛和夫の影響を多大に受けている実業家のひとり。稲盛の提唱する「6つの精進」などを経営理念に取り入れている。 大学時代は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団と慶應義塾大学落語研究会に所属。
松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 20… 松本 キミ子(まつもと きみこ、1940年5月4日 - 2022年2月23日)は、日本の彫刻家、美術教師、絵画教育の研究者であり、1975年に誰でもたのしく絵が描ける指導方法として「キミ子方式」を発表した。キミ子方式は仮説実験授業研究会に紹介されると広く実践され、その指導法の有効性が確立した。また「美術の授業研究会」と「キミコ・プラン・ドゥ」を設立しアートスクールで多くの人々に絵の描き方を教えた。 1975年に松本は三原色と白だけを使って、モデルごとに描き始めを決めて、色作りをしながら隣へ隣へと描き進めていく絵画指導法を開発した。松本はそれをキミ子方式と名付けて、臨時教員として小中学校で実践していった。
永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は… 永山 在紀(ながやま ありのり、1940年5月3日 - )は、日本の実業家。南国殖産代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長・グループCEO。元鹿児島県経営者協会会長。長崎自動車取締役、宮崎ガス取締役、日本ガス取締役、南日本銀行監査役。 鹿児島県鹿児島市出身。1959年鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。1965年一橋大学経済学部卒業。一橋大学ア式蹴球部出身。同年積水化学工業入社。1993年積水化学工業東京支店長。 1996年南国殖産取締役企画部長。1997年南国殖産常務取締役。1998年南九州サンクス代表取締役社長。2000年鹿児島県労働委員会委員。2004年から南国殖産代表取締役社長を務め、鹿児島市の景観まちづくり賞を受賞した南国センタービルの開発などを進めた。
前原 英夫(まえはら ひでお、1940年5月3日 - )は、… 前原 英夫(まえはら ひでお、1940年5月3日 - )は、日本の天文学者。元国立天文台岡山天体物理観測所所長。 藤田良雄に師事した。埼玉県出身。 前原の天文学者としての業績は、かつては楕円銀河に分類されていたNGC2242を岡山天体物理観測所の188センチ反射式望遠鏡による観測で惑星状星雲であることを確かめたことである。この研究は、中国の研究者からNGC2242のスペクトルに惑星状星雲特有の輝線が見られることを知らされて行われたものである。そのため、NGC2242は今日では日本の天文学者によって新たに惑星状星雲のリストに付け加えられた天体として知られている。
伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株… 伯 壬旭(はく じんきょく、1940年5月2日 - )は、株式会社シリウス代表取締役会長。本名は小島露観。伯魔壬旭、万師露観などの別名でも知られる。カルト的・右翼的な主張をしているので、宗教家・右翼思想家と扱われることもある。独自の世界観における世界戦略家。帝國ザイクス内における敬称は軍帥(ぐんすい)。 1940年(昭和15年)東京に生まれる。東京都立西高等学校を卒業後、東京大学理科一類に入学。東京大学工学部土木工学科を卒業後、川崎製鉄での1年間のサラリーマン生活を経て、二千年紀の世界のあるべき姿を求めて思索、研究生活に入る。多くの哲学・宗教・学問を探求した後、チベット密教に基礎を置くジュアルカル大師の「神智学」に出会う。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。