石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日… 石田 五郎(いしだ ごろう、1924年〈昭和9年〉2月21日 - 1992年〈平成4年〉7月27日)は、日本の天文学者・文筆家。理学博士(東京大学・論文博士・1978年)。元東京大学教授。 萩原雄祐に師事。自称・二世天文屋。但し、石田にとって初代の天文屋とは野尻抱影のことであり、決して学問上の恩師である萩原のことではない。 東京天文台(三鷹市)に1年、かつて麻布狸穴町にあった東京大学理学部天文学教室に9年、東京大学東京天文台(現:国立天文台)岡山天体物理観測所に24年勤務した。 天文学者である一方で、歌舞伎や能などの日本伝統芸能・文学・美術・音楽などの広い分野に造詣が深く、『天文台日記』をはじめとする一般向け書籍を多く上梓した文筆家としても知られる。
清家 豊雄(せいけ とよお、1924年〈大正13年〉2月21… 清家 豊雄(せいけ とよお、1924年〈大正13年〉2月21日 - 2024年〈令和6年〉8月12日)は日本の実業家。平和紙業の創業者の1人で、平和紙業の社長・会長・相談役を歴任した。 1924年に愛媛県北宇和郡吉田町で生まれる。1941年に法政大学高等商学部に入学するも、太平洋戦争の最中であったため1943年10月に繰り上げで卒業することとなった。同年富士写真フイルムに入社すると、海軍技術研究所で軍事用のカメラやフィルムの開発に携わった。1944年10月に前橋陸軍予備士官学校入校し、航空特攻隊に志願するが特攻前に終戦を迎えた。 1945年10月に復員すると、1946年3月に平和紙業の創業に参画した。
大谷 幸夫(おおたに さちお、1924年〈大正13年〉2月2… 大谷 幸夫(おおたに さちお、1924年〈大正13年〉2月20日 - 2013年〈平成25年〉1月2日)は、日本の建築家、都市計画家。東京大学名誉教授。 東京都赤坂区(現・港区)生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。丹下健三の片腕として、広島平和記念資料館や旧東京都庁舎の設計を手伝う。1964年、東京大学都市工学科助教授就任。1971年から1984年まで、東京大学都市工学科教授。1984年から東京大学都市工学科名誉教授。1983年から1989年まで千葉大学建築学科教授。大谷は生前、「住宅は中庭のあるのが基本」と述べ、自身のポリシーとしていた。2001年、勲三等瑞宝章受章。 一級建築士 登録番号第32349号 日本建築学会、日本都市計画学会、日本建築家協会文化庁文化財保護審議会専門委員会、文部省大学設置審議会専門委員会、建設省建築審議会委員、厚生省生活環境審議会 等
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 -… 長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。 1944年に応召し、陸軍に入営。華北で終戦を迎え、1946年に復員。
浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月1… 浦野 りせ子(うらの りせこ、1924年〈大正13年〉2月19日 - 2025年〈令和7年〉)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、オペラ歌手、音楽教育者。元武蔵野音楽大学教授。 長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。長野県須坂高等女学校(現: 長野県須坂東高等学校)卒業。しばらく音楽講師として教壇に立ったが、27歳の時、恩師の勧めで東京藝術大学声楽科に入学した。1956年(昭和31年)卒業。岡部多喜子に師事。平井康三郎、信時潔、松本民之助にも指導を受けた。1961年(昭和36年) - 1965年(昭和40年)ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院に留学。ジョルジョ・ファヴァレット、イルデブランド・ピツェッティ、ジャン・フランチェスコ・マリピエロ、ダンジェロ、A・レオーネ、V・マリーニに師事。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18… 陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。台湾国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。
土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 199… 土井 正興(どい まさおき、1924年2月18日 - 1993年10月18日)は、日本の歴史学者。専攻は古代ローマ史。 東京市渋谷生まれ。1949年東京帝国大学文学部西洋史学科卒,1956年東京大学大学院西洋古代史専攻(旧制)修了。法政第二高等学校教諭を経て、1966年専修大学助教授、1972年教授。在任中に死去。
渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月1… 渡部 雄吉(わたべ ゆうきち、1924年(大正13年)2月18日 - 1993年(平成5年)8月8日)は、日本の写真家。 山形県酒田市生まれ。1943年、写真工房東京光画社へ入社し、写真家となる。1950年にフリーとして独立後、雑誌や写真集で作品を発表。1992年、紫綬褒章受章。1993年、死去。 茨城県水戸市千波湖のバラバラ殺人事件を捜査する刑事を撮影し、雑誌『日本』(大日本雄弁会講談社刊、1958年6月号)に掲載された写真が、2011年、写真集『A Criminal Investigation』(Éditions Xavier Barral)としてまとめられ、再度注目を集める。
岡本 喜八(おかもと きはち、1924年(大正13年)2月1… 岡本 喜八(おかもと きはち、1924年(大正13年)2月17日 - 2005年(平成17年)2月19日)は、日本の映画監督。本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)。 鳥取県米子市四日市町出身。 1941年、鳥取県立米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)を卒業後、上京。1943年に明治大学専門部商科を卒業後、東宝に入社し助監督となる。しかし、1944年に太平洋戦争の戦局の悪化に伴い召集され、1945年1月に松戸の陸軍工兵学校に入隊。愛知県豊橋市にあった第一陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。この豊橋滞在時に空襲で多くの戦友たちの死を目の当たりにし、戦争や陸海軍部に対する大きな憤りを抱いた。 復員後に東宝へ復帰し、マキノ雅弘や谷口千吉、成瀬巳喜男、本多猪四郎らに師事して修行を積む。
佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 … 佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 - 2024年5月20日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 福島中学校(現福島県立福島高等学校)、第一高等学校、東京大学法学部卒業。戦時中に海軍に取られ、戦後に復学して1950年に弁護士になる。翌1951年に外国人弁護士とともに事務所を開いた渉外弁護士の草分け。石油会社、商社の顧問弁護士などをし、日弁連事務総長、第一東京弁護士会長を務めた。1988年の日弁連会長選挙に立候補したが、敗れた。 1990年2月に最高裁判事に就任。 1994年2月に定年退官。TBSビデオ問題では当時の郵政省から特別調査員として招かれた。 1996年、勲一等瑞宝章受章。
平泉 洸(ひらいずみ あきら、1924年2月16日 - 19… 平泉 洸(ひらいずみ あきら、1924年2月16日 - 1995年10月7日)は、日本の歴史学者である。平泉寺白山神社宮司・玄成院第二十五世。金沢工業大学名誉教授。 東京に、平泉澄の長男として生れる。京華中学校・大阪高等学校を経て、1948年東京大学文学部国史学科卒業。福井県立勝山高等学校教諭、福井県立勝山精華高等学校(のちの福井県立勝山南高等学校)教諭などを歴任し、1972年から、金沢工業大学教授。1980年、平泉寺白山神社宮司。1994年、金沢工業大学を退官して、名誉教授となった。 金沢工業大学教授平泉隆房の父。
犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - … 犬塚堯(犬塚尭、いぬづか ぎょう、1924年2月16日 - 1999年1月11日)は日本の詩人。「地球」「歴程」同人。 中国長春生まれ。佐賀県伊万里市で育つ。第一高等学校 (旧制)を経て東京大学法学部卒業後、1950年に朝日新聞社に入社。1959年、特派員として第4次南極観測隊に同行取材する。のち、印刷局長や九州朝日放送専務を歴任。 1969年、詩集『南極』により第19回H氏賞受賞。1984年、詩集『河畔の書』により第2回現代詩人賞受賞。
田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 -… 田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 - 1994年5月21日)は、日本の政治家、日本社会党元衆議院議員(2期)。 福井県出身。旧制北陸中卒。国鉄に入り、福井県労働組合評議会事務局長、福井県議を経て、1958年の総選挙から1963年の総選挙まで3回連続福井全県区から日本社会党公認で立候補したが落選。この間1962年の第6回参議院議員通常選挙で福井県地方区から日本社会党公認で立候補して落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で福井全県区から立候補して初当選する。連続2期当選し、1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選。
渡部 弘(わたべ ひろし、1924年2月14日 - 2021… 渡部 弘(わたべ ひろし、1924年2月14日 - 2021年2月25日)は、東京府出身のプロ野球選手(内野手)。 荏原中学校から1944年に東京巨人軍へ入団。1946年に退団。 2021年2月25日午前6時5分、誤嚥性肺炎のため静岡県沼津市の病院で死去。97歳没。
荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月1… 荒木 博之(あらき ひろゆき、1924年(大正13年)2月14日 - 1999年(平成11年)12月10日)は、日本の英文学者、評論家。広島大学名誉教授。専門は、比較文化論、人類言語学、説話伝承論。位階は正四位。 東京に生まれる。1949年(昭和24年)、京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学大学院文学研究科アメリカ文学専攻中退。1962年(昭和37年)、インディア大学大学院民俗学専攻博士課程単位取得退学。 福井大学講師、高知女子大学助教授、立命館大学教授、広島大学総合科学部教授、88年定年退官、名誉教授、宮崎公立大学教授。99年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 「百合若大臣」が「オデュッセイア」の影響を受けたと主張した一人である。
石井 正勝(いしい まさかつ、1924年2月13日 - )は… 石井 正勝(いしい まさかつ、1924年2月13日 - )は、日本の経営者。東京建物社長、会長を務めた。 東京都出身。1951年に東京大学法学部を卒業し、同年に富士銀行に入行。1977年12月に取締役に就任し、1981年12月に常務を経て、1985年3月には東京建物専務に就任し、1987年3月に副社長を経て、1989年3月に社長に就任。1995年3月に会長に就任し、1996年2月に相談役を経て、1999年6月に相談役に就任し、2001年3月には特別顧問に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高嶌 正人(たかしま まさと、1924年2月13日 - )は… 高嶌 正人(たかしま まさと、1924年2月13日 - )は、日本の歴史学者。立正大学名誉教授。同大元理事長。 1924年、長崎県東彼杵郡川棚町で生まれた。本姓・高嶌。立正大学文学部史学科で学び、卒業。同大学大学院文学研究科国史学専攻に進み、1954年に修士課程を修了。 修了後は立正大学文学部助手に採用された。後に助教授、教授に昇格。1981年、学位論文『奈良時代における諸氏族の研究』を立正大学に提出して文学博士号を取得。また、理事長も務めた。立正大学を退任後、名誉教授。日本学術会議会員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 新一(こばやし しんいち、1924年2月12日-201… 小林 新一(こばやし しんいち、1924年2月12日-2012年1月)は、日本の写真家。 新潟県生まれ。新潟中学校卒。「月刊カメラ」の年間ベストテンに二年連続入賞、1958年には日本写真批評家協会の新人賞次点受賞後、プロカメラマンとして活動を開始し、「文芸春秋」や「アサヒグラフ」などに作品を発表。1960年代から良寛にまつわる作品を多く発表、日本全国取材旅行をして良寛の足跡を発見した。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
枝村 利一(えだむら としかず、1924年2月12日 - 2… 枝村 利一(えだむら としかず、1924年2月12日 - 2012年6月22日)は、日本の経営者。三井不動産販売代表取締役社長や、同社代表取締役会長、不動産流通経営協会理事長、同協会最高顧問を歴任した。正五位旭日中綬章。 東京都生まれ。1947年慶應義塾大学卒業、 三井不動産入社。1974年三井不動産販売代表取締役社長。1993年同社代表取締役会長、不動産流通経営協会理事長。1997年から1999年まで東日本不動産流通機構理事長。1999年から2012年に死去するまで不動産流通経営協会最高顧問として指導を行った。 2011年旭日中綬章受章。2012年正五位追贈。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
松本 紀子(まつもと のりこ、 1924年〈大正13年〉2月… 松本 紀子(まつもと のりこ、 1924年〈大正13年〉2月11日 - 2023年〈令和5年〉4月28日)は、日本の教育者。学校法人鎌倉女子大学学園主。 1924年、仏教学者長井真琴の四女として東京市本郷に生まれる。誠之小学校、東京府立第二高等女学校に学び、東京家政学院では創設者の大江スミに師事。1950年、鎌倉女子大学・学祖松本生太の子、松本尚(後の鎌倉女子大学・学父)と柳原白蓮の媒酌で結婚。音楽学などを担当する京浜女子大学講師となり、鎌倉女子大学教授、学長、理事長、学園長を歴任した。1999年には松竹株式会社から大船撮影所の敷地を取得して大船キャンパスの開設(2003年)に尽力するなど、鎌倉女子大学における幼稚部から大学部までの一貫教育に力を注ぎ、その発展に大きく寄与した。
相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 -… 相浦 紀一郎(あいうら きいちろう、1924年2月11日 - 2012年12月26日)は、日本の実業家。大阪商船三井船舶代表取締役社長や、日本船主協会会長等を歴任した。 長崎県佐世保市生まれ。1942年陸軍士官学校卒業。大日本帝国陸軍大尉で日本の降伏を迎え、第一皇宮衛士隊左近隊第四寮第一班長衛士監任官。1949年中央大学経済学部卒業。1984年から大阪商船三井船舶取締役社長を務め、海運不況下の経営にあたった。 1987年日本船主協会会長。2012年胆管閉塞のため死去。
藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 -… 藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 - 1969年5月9日)は、福岡県田川郡(現在の田川市)出身で高砂部屋(入門時は片男波部屋)に所属した元大相撲力士、日本プロレス所属のプロレスラー。大相撲時代は1950年前後に活躍し、最高位は西前頭12枚目(1950年1月場所)。大相撲時代の体格は身長167cm、体重113kg。得意手は押し。本名は藤田 忠義(ふじた ただよし)。 元幕内・開月の片男波部屋に入門、1939年(昭和14年)1月場所に本名の藤田の四股名で初土俵を踏んだ。順調に出世して、1944年(昭和19年)5月場所で新十両へ昇進を果たした。入門以来1945年6月場所までは連続して勝ち越しを収めていた。
塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005… 塚田 浩(つかだ ひろし、1924年2月10日 - 2005年10月16日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1949年に京都大学法学部法学科を卒業し、同年に日本製鉄に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1987年6月に副社長を経て、1989年6月に山陽特殊製鋼社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2005年10月16日肺炎のために死去。81歳没。
添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日… 添田 喬(そえだ たかし、1924年(大正13年)2月10日 - )は日本の工学者。徳島大学名誉教授。広島文理科大学数学学科数学専攻卒業。 1949年に広島文理科大学数学学科数学専攻を卒業。1962年に京都大学で工学博士を授与。1978年に徳島大学工学部長に就任。1982年から1988年まで徳島大学学長・徳島大学工業短期大学部学長を務めた。 1986年から1990年まで日本学術会議会員、1988年から2000年まで徳島文理大学学長を歴任。2002年から徳島工業短期大学学監に就任、2006年から2011年まで倉敷芸術科学大学学長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 199… 岩田 万蔵(いわた まんぞう、1924年2月9日 - 1993年6月4日)は、日本の空手武道家。 岩田万蔵は、東京の岩田園という茶園を所有していた一族に生まれる。彼は10歳で糸東流空手の研究を始めた。中学では柔道 、剣道も学んだ。 また合気道の創設者である植芝盛平と祖父が仲の良い友人で、その元で合気道を学ぶ。岩田は東洋大学に進学し在籍中の1941年、糸東流空手創設者でグランドマスターの摩文仁賢和下で直接空手の訓練を始めた 。摩文は藤田西湖から杖道や南蛮殺到流拳法を教えられており、岩田も引き継がれるべく指導され 1943年、岩田は藤田から杖道師免状を授与された。1944年に東洋大学を卒業した後、摩文から師範の学位を授与された。
久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月… 久々山 義人(くぐやま よしと、1924年(大正13年)2月9日 - 2013年(平成25年)10月11日)は、日本の政治家。熊本県本渡市(現・天草市)長。 熊本県天草郡櫨宇土村出身。1944年、海軍経理学校卒。1952年、櫨宇土村教育委員となり、1954年に合併で本渡市になるまで務める。1957年、本渡市議会議員に当選。7期連続で務め、議長も務めた。1984年、本渡市長に当選、市長を4期務める。2000年に市長を退任した。2013年死去。
吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924… 吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924年2月8日 - 2003年4月15日)は、日本の哲学・倫理学研究家。ニーチェを主とした近代ドイツ哲学研究で知られる。東京都立大学名誉教授。 1924年(大正13年)、大阪府に生まれる。1941年(昭和16年)に大阪府立高津中学校を卒業後、旧制一高に進学。1949年(昭和24年)に東京帝国大学文学部倫理学科を卒業。和辻哲郎から教えを受けた最晩年の弟子の一人であり、和辻にその人柄と秀逸な研究をこよなく愛された愛弟子だった。 卒業後は東京都立大学教授となる。1987年に定年退官。2003年に死去。急死した最愛の長男の墓に永眠している。 専門は近代ドイツ哲学。
稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003… 稲田 悦子(いなだ えつこ、1924年2月8日 - 2003年7月8日)は、日本の女性フィギュアスケート選手、コーチ。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックのフィギュアスケート競技女子シングル日本代表。戦前、戦後合わせて全日本選手権7回優勝。日本の女子フィギュアスケートの先駆者でもあった。大阪府大阪市出身。梅花高等女学校卒業。 1924年(大正13年)、大阪の稲田時計店の末娘として生まれた。1932年(昭和7年)、8歳のときから永井康三にスケートの指導を受け、才能を開花させた。1933=1934年、全日本ジュニア選手権優勝。1934~1935年、全日本選手権優勝した。1935年11月の日本代表選考会で、総得点1745.3点で2位の東郷球子を300ポイント以上引き離して優勝した。
荒木 健治(あらき けんじ、1924年2月8日 - )は、熊… 荒木 健治(あらき けんじ、1924年2月8日 - )は、熊本県出身 の元プロ野球選手。
久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - … 久米 明(くめ あきら、本名:同じ、1924年2月8日 - )は、日本の俳優、声優、ナレーター。元日本大学芸術学部教授。1992年紫綬褒章。
山田明(やまだ あきら、1924年2月8日 - )は日本の大… 山田明(やまだ あきら、1924年2月8日 - )は日本の大蔵官僚。 岡山県出身。京都帝国大学経済学部卒業。岡山県立岡山商業高等学校の教師だった1949年3月 国家公務員試験に合格。同年5月 大蔵省入省。大阪財務局国税調査部第二課配属。1953年11月 敦賀税務署長。1959年7月 東海財務局総務部総務課長。1961年7月 管財局国有財産第三課長補佐。1963年2月 長崎税関総務部長。1964年7月 神戸税関監視部長。1967年8月 大臣官房付。同年10月 総理府内閣総理大臣官房参事官。1969年8月 石油開発公団資金部長。1971年6月 大臣官房参事官。同年7月 大臣官房付。同年10月 退官。
佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年… 佐治 守夫(さじ もりお、1924年2月8日 - 1996年11月9日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 山形県出身。旧制山形高校を経て、1948年東京大学文学部心理学科卒。国立精神衛生研究所厚生技官、1967年東京大学教育学部助教授、1969年教授。1984年定年退官、名誉教授。日本・精神技術研究所心理臨床センター所長。日精研心理臨床学院長。1956年よりスタンフォード大学、WHO本部その他に学ぶ。専門は心理療法、カウンセリング。ロジャーズが提唱したクライアント中心療法を導入した。
長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、… 長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。特にアドルフ・ライヒヴァイン(de:Adolf Reichwein)を研究した。 名古屋市出身。1952年東京文理科大学教育心理学特別研究生前期課程修了、65年「プロイセン絶対主義の崩壊過程における教育政策の研究 Abiturientenexamenの実施過程を通してみた」で東京教育大学教育学博士。東京教育大学助教授、教授、1975年立教大学教授、1985年中央大学文学部教授。93年退任。
今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月… 今井 清一(いまい せいいち、 1924年〈大正13年〉2月7日 - 2020年〈令和2年〉3月9日)は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。 1924年、群馬県前橋市小柳町(現・住吉町)に生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1945年9月卒業。編集人を経て1947年、東京帝国大学大学院に進学。丸山眞男に師事した。 卒業後は1952年より横浜市立大学専任講師となり、1955年より同校助教授。1965年同校教授に就任、1977年文理学部長。1991年より湘南国際女子短期大学教授を務めた。
室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 200… 室井 庸一(むろい のぶかず、1924年2月7日 - 2005年10月1日)は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。スタンダールが専門。 茨城県生まれ。1948年東京帝国大学文学部仏文科卒。1950年同大学院修士課程中退。1951年法政大学専任講師、助教授、中央大学文学部助教授、1965年教授、1994年定年、名誉教授。
小林 啓次郎(こばやし けいじろう、1924年(大正13年)… 小林 啓次郎(こばやし けいじろう、1924年(大正13年)2月6日 - 2014年(平成26年)3月31日)は日本の実業家、元ダイヘン社長。大阪府出身。
味村 治(みむら おさむ、1924年2月6日 - 2003年… 味村 治(みむら おさむ、1924年2月6日 - 2003年7月25日)は、日本の官僚。東京高等検察庁検事長。第三次中曽根康弘内閣、竹下登内閣、宇野宗佑内閣の内閣法制局長官(1986年7月22日 - 1989年8月10日)、最高裁判所判事(1990年12月10日 - 1994年2月6日)。1996年(平成8年)11月3日、勲一等旭日大綬章受章。 旧満洲生まれ。第六高等学校を卒業し東京帝国大学法学部に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。呉軍需部に配属され庶務に従事。同年5月、京城第三衣料廠に転任し、同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎えた。
藤村 信(ふじむら しん、1924年2月5日 - 2006年… 藤村 信(ふじむら しん、1924年2月5日 - 2006年8月12日、男性)は、日本人ジャーナリストである。本名、熊田 亨(くまた とおる)。 藤村信(本名:熊田亨)のジャーナリズムとしての視点は、処女作『砂漠に乾いたもの-中東1944-58』の時から常に視座が一貫し、いささかも変えることが無かった。いつも支配される立場からの冷静客観的な眼で分析して、ファクト・ファインディングの姿勢で、遺著『歴史の地殻変動をみすえて』に至っている。それは彼の生まれながらのユマニスムの体質のしからしむる由縁である。 ナセルの1956年のスエズ運河エジプト国有化宣言の時も、解放なったスエズ運河一帯を旅して取材し、ポートサイドの国有公社となった古風な建物の円屋根から、英国旗が降ろされたあとに翻った“半月と三つ星”のエジプト国旗に国民が湧いた風景を報道した時に始まって以来、次いで冷戦下のヨーロッパから激動の時代を雑誌『世界』に「パリ通信 藤村信」として送り続けた。
内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 19… 内田 良平(うちだ りょうへい、1924年2月5日 - 1984年6月15日)は、日本の俳優、詩人。千葉県銚子市出身。 法政大学予科在学中の内田は、戦況が悪化すると「いずれ自分も特攻隊員に採られて死ぬのだから、学校に居ても仕方が無い」と思い、帰郷後にブラブラしていると家のすぐ近くにある銚子市立飯沼小学校から「教師が不足しているのでどうだ?」と声が掛かり、1945年夏から1946年の夏までの1年間代用教員を務めた。法政大学経済学部在学中の1951年、新協劇団に入って演劇を始める。1951年に杉浦直樹・小松方正らと劇団「新演劇研究所」を結成して活動するが、ほどなく解散した。東映での映画出演を経て1953年に友人から小林正樹を紹介され、その伝手で松竹映画にも出演。
有元 三郎(ありもと さぶろう、1924年2月4日 - 没年… 有元 三郎(ありもと さぶろう、1924年2月4日 - 没年不明)は、日本の大蔵官僚。 岡山県出身。立教大学経済学部卒業。1948年4月 証券処理調整協議会職員。総務課配属。1949年 国家公務員試験を合格。同年 大蔵省入省。大臣官房会計課配属。1955年5月 上郡税務署長。1959年12月 造幣局総務部総務課長。1968年6月 理財局管理課長。1970年7月 印刷局業務部長。1971年11月10日 福岡国税不服審判所長(首席国税審判官)。1974年6月2日 大臣官房付・退官。同年6月15日 北海道東北開発公庫監事(〜1975年12月31日)。
諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2… 諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2018年1月5日)は、日本の会計学者。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。2000年勲二等瑞宝章受章。 東京府生まれ。永田甚之助の三男。母方の祖父は尾高次郎、曾祖父は尾高惇忠と渋沢栄一。秩父セメント社長諸井貫一(遠戚にあたる)の婿養子となる。 武蔵高等学校卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、呉施設部宮崎地方施設事務所内務主任に就任。同年6月、海軍主計少尉に任官し佐世保施設部宮崎地方施設事務所内務主任となり終戦を迎えた。 1946年東京帝国大学経済学部商業科卒業、1950年東京大学経済学部助教授。
石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年〈大正13年… 石本 美由起(いしもと みゆき、男性、1924年〈大正13年〉2月3日 - 2009年〈平成21年〉5月27日)は、日本の作詞家。本名は美幸。 荒廃した戦後の日本に希望に満ちた歌詞で永遠に歌い継がれる名曲を生んだ、昭和の歌謡界を代表する作詞家の一人である。広島県大竹市立戸出身。 幼少から喘息を患い、家に閉じこもるような生活を送る。生家は宮島や江田島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所に建ち、幾分救われる。そばにある文学は全て読んだが、なかでも北原白秋やゲーテを読みふけった。1944年、海軍大竹海兵団に入隊するが、すぐ体調を崩して岩国海軍病院に入院。慰問に来た東海林太郎の歌声に戦争に傷ついた兵士たちが瞳を輝かせるのを見て歌の魅力を知った。
瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - … 瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - 没年不明)は、広島県尾道市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 年覚(たかはし としかく)。190cm、104kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 1941年1月場所に初土俵。三段目の頃に戦争で召集されたが、サイズの合う軍靴がなかったので、即日で帰郷を命じられた。1947年11月場所に十両昇進するも2勝9敗と大きく負け越して1場所で幕下に陥落。十両に在位したのはこの1場所のみであった。1951年1月場所限りで26歳の若さで廃業。幕下で相撲を取っていた1950年1月場所から、廃業する1951年1月場所まで弓取りを務めたことがある。
相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015… 相田 雪雄(あいだ ゆきお、1924年2月1日 - 2015年10月8日)は、日本の実業家。元野村證券(現野村ホールディングス)会長。東京都出身。 第一早稲田高等学院時代は竹下登と同級生であった。早稲田大学政治経済学部卒業後の1947年、野村證券に入社。主に国際畑を歩み、副社長を経て、子会社の野村投資顧問(現野村アセットマネジメント)の社長・会長を務めた。1992年、損失補てん問題や暴力団との取引が発覚した証券不祥事で田淵節也野村証券会長が引責辞任した後を受けて、会長として本社に復帰。意識・風土改革を呼びかけるなど社内改革に尽力した。 2015年10月8日、呼吸不全のため死去。91歳没。
鳥取 滋治郎(とっとり しげじろう、1924年〈大正13年〉… 鳥取 滋治郎(とっとり しげじろう、1924年〈大正13年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月10日)は、日本の実業家。鳥取綱太郎(元四国コカ・コーラボトリング社長)は実兄。憲仁親王妃久子の父。承子女王、千家典子、守谷絢子は孫にあたる。 香川県三豊郡笠田村(現三豊市豊中町)出身。鳥取為三郎の二男。東京帝国大学法学部を卒業した。 東邦物産の専務、フランス三井物産の社長、東海観光会長などを務めた。 晩年は日本学生協会基金で講演を行うなどの活動をしていた。 2002年(平成14年)に娘婿に当たる皇族の高円宮憲仁親王の葬儀では親族総代を務めた。 2013年(平成25年)2月10日に急性白血病のため死去。
小嶋 和司(こじま かずし、1924年2月 - 1987年3… 小嶋 和司(こじま かずし、1924年2月 - 1987年3月25日)は、日本の法学者。専門は憲法。元東北大学教授。正四位勲二等瑞宝章。山口県生まれ。宮沢俊義門下。弟子に堀内健志、大石眞、赤坂正浩など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
小木 新造(おぎ しんぞう、1924年1月31日 - 200… 小木 新造(おぎ しんぞう、1924年1月31日 - 2007年7月12日)は、日本の文化史学者。 1927年、東京で生まれた。東京教育大学日本史学科で学び、卒業。 卒業後は、桐朋学園大学教授に着任。上越教育大学教授を経て、1986年より国立歴史民俗博物館教授となった。1978年、東京教育大学に学位論文『東京庶民生活史研究』を提出して文学博士号を取得。1988年、江戸東京歴史財団理事に就任。1996年、第2代東京都江戸東京博物館館長に就任。1998年より同顧問。2007年に死去。 江戸および明治期東京の庶民生活史研究を牽引した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井草 凖一(準一、いぐさ じゅんいち、1924年〈大正13年… 井草 凖一(準一、いぐさ じゅんいち、1924年〈大正13年〉1月30日 - 2013年〈平成25年〉11月24日)は、日本の数学者。ジョンズ・ホプキンズ大学名誉教授。勲三等瑞宝章受章者。 群馬県群馬郡清里村(現・前橋市青梨子町)生まれ。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1945年(昭和20年)東京大学理学部数学科を卒業。東京大学大学院へ進む。 1948年(昭和23年)から2年間東京文理科大学助教授を務める。1949年(昭和24年)秋月康夫の招きにより京都大学助教授となり4年間勤務した。京都大学時代の教え子に広中平祐がいる。 1953年(昭和28年)理学博士号を取得。