馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 198… 馬場 伸也(ばんば のぶや、1937年3月25日 - 1989年10月6日)は、日本の政治学者、大阪大学法学部教授。専門は、国際政治学、カナダ研究、平和学、国際社会学。 京都府京都市生まれ。同志社大学法学部卒業。カリフォルニア大学バークレー校から博士号(歴史学)取得。カナダ・マギル大学準教授、津田塾大学教授を経て、1982年から大阪大学で教鞭を執る。日本平和学会会長(1987年-1989年)、日本カナダ学会初代会長を務める。1989年、心不全のため死去。 日本の国際関係論に、国家というアクターを中心に考えない視座や文化というものの見方を導入した先駆者の一人として、今日でも評価されている。
三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東… 三宅直子(みやけ なおこ、1937年3月24日 - )は、東京都港区出身の脚本家。実践女子学園高等学校卒。 主婦ライターとして知られる。主婦業の傍らに独学でシナリオを学び、NHK懸賞テレビドラマ『芽吹く頃』で佳作入選を果たす。その後、シナリオ作家協会研修科修了後に石森史郎に師事。1970年に『いたずら天使チッポちゃん』 でデビューを飾る。代表作に『ケンちゃんシリーズ』、『あばれはっちゃく』、『樫の木モック』、『キャプテン翼』、『ナッキーはつむじ風』、『さわやか3組』など。現在は日本シナリオ作家協会の会員で、同協会のシナリオの通信講座の講師を務めている。 平成以降はアニメ脚本の仕事が減ったため、地方の舞台脚本の公募に投稿を重ね、北海道ローカルのテレビドラマや児童劇などを手がけた。
寺村 信行(てらむら のぶゆき、1937年3月24日 - )… 寺村 信行(てらむら のぶゆき、1937年3月24日 - )は、日本の官僚。元国税庁長官。血液型はB型。 満洲生まれ、育ちは愛知県。蒲郡市立形原小学校、形原中学校中途で港区立青山中学校に転校。都立日比谷高校を経て東京大学法学部三類(政治学)を卒業後の1961年、大蔵省入省。最初の配属は、銀行局金融制度調査官付(のちの同局調査課)。1967年7月、名古屋北税務署長。 主に官房と主計局に長く在籍し、銀行局経験は入省時の2年2ヶ月余りと、総務課長補佐(総括)時代(1976年7月 - 1977年6月)のみ。その後、主計官(法規課)、同(農林水産担当)などを経て、山口光秀次官 - 西垣昭官房長時代、続いて吉野良彦次官 - 小粥正巳官房長時代の1985年 - 1987年の2年間、官房秘書課長。
荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 199… 荒木 俊夫(あらき としお、1937年3月23日 - 1993年7月28日)は、日本の政治学者。元・北海道大学教授。北海道利尻郡利尻町生まれ。生家は、利尻島有数の網元。 主に、国民の投票行動に関して研究。また亥年現象には批判的である。
黒田 夏子(くろだ なつこ、本名:非公開、1937年3月23… 黒田 夏子(くろだ なつこ、本名:非公開、1937年3月23日 - )は、日本の小説家。東京・赤坂出身。父はサンスクリット学者の辻直四郎。 4歳の時に母親が結核で死去し、自身も自宅療養する中、5歳の時に物語を書き始める。 小学校から高校まではカトリック系の湘南白百合学園に通った。高校の文芸部雑誌に「タミエ」の出る作品を初めて掲載する。その号に「遠い日の断章」という四行九連の詩を掲載した。早稲田大学教育学部国語国文学科に進学し、在学中に同人誌『砂城』を主宰した。 同時期、早大国文科の先輩に寺山修司と山田太一がおり、元NHKアナウンサーでエッセイストの下重暁子は同級生で同人誌仲間であった。大学卒業後は横須賀の緑ヶ丘女子高校に国語教師として2年間勤めた後、事務員、フリーの校正者、その他様々なアルバイトとして働く。
森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡… 森 陶岳(もり とうがく、1937年3月23日 - )は、岡山県出身の陶芸家。本名は才蔵。両親は、岡山県備前市伊部の備前焼窯元の森秀次とけい。備前焼窯元六姓の流れをくむ。岡山県指定重要無形文化財保持者。 岡山大学教育学部特設美術科卒後、中学の美術教師を3年で退職して陶芸の道に入る。 各種の窯を築いて焼成を重ねた末、小さな窯では「古備前の魅力」の謎解きは出来ないとして、古備前が焼成された中世の大窯焼成計画を立てた。兵庫県相生市内の山中に半地下直炎式登り窯(全長46メートル)を築き、1980年1月8日から53日間窯を焚いて、ひもづくりの大甕(おおがめ)など備前陶器多数を焼成。その直後に岡山県邑久郡牛窓町寒風(現・瀬戸内市牛窓町寒風)に移り、ここに全長53メートルの「寒風大窯」(さぶかぜおおがま)を築き、1986、1990、1994、1999、2005、2011年の計6回、作品を焼いた。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、… 広田 茂穂(ひろた しげほ、1937年3月22日 - )は、日本のテレビディレクター。長野県出身。 日本大学芸術学部映画学科卒。東映東京撮影所で助監督を経て、東映テレビ・プロダクションに所属。後にフリーとなる。
平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 196… 平間 誠記(ひらま せいき 1937年3月21日 - 1968年8月21日)は、元競輪選手。宮城県刈田郡蔵王町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第13期卒業。現役時は日本競輪選手会宮城支部所属。選手登録番号6789。 競輪学校91期生であった元競輪選手の平間一洋の大叔父にあたる。 宮城県立大河原高等学校を卒業後、アマチュア選手としてアジア大会などのスクラッチ(現在のスプリント)種目に出場し数々の優秀な成績を治める。この頃は早稲田大学商学部の聴講生であったが、大学の自転車部が平間を一般学生として登録し出場させていたため、部全体が長期の活動停止処分を受けてしまい、アマとしての活動が難しくなったため、プロである競輪への転向を決断している。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
浅野 楢英(あさの ならひで、1937年3月20日 - 20… 浅野 楢英(あさの ならひで、1937年3月20日 - 2016年)は、日本の論理学者。東北大学名誉教授。専門は、論理学、弁証法、レトリックの研究。 大阪府出身。1960年神戸大学経済学部卒、1964年京都大学大学院文学研究科(修士課程)哲学専攻修了、文学修士。1967年同大学院文学研究科(博士課程)哲学専攻単位取得満期退学。 京都大学文学部助手、森村医学教育研究所助教授、兵庫医科大学助教授を経て、1974年東北大学教養部助教授、1986年同教授、1993年同大学院情報科学研究科教授。2000年定年退官、名誉教授、宝塚造形芸術大学教授。
渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 20… 渕上 貞雄(ふちがみ さだお、1937年3月19日 - 2023年10月13日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正四位。 西鉄労組書記長から私鉄九州地連委員長を務めた後、参議院議員(4期)、社会民主党幹事長(第3代)、社会民主党副党首、社会民主党選挙対策委員長などを歴任。
桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2… 桑山 浩然(くわやま こうねん、1937年3月19日 - 2006年10月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。室町幕府における公方御倉の存在を明らかにし、幕府財政の中での土倉役や酒屋役の重要性を主張したことで、幕府財政にメスを入れる先駆的な研究を果たした。 満州(中国東北部)に生まれ、新潟で育つ。1959年に新潟大学人文学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科へ進む。 1964年から東京大学史料編纂所に勤務し、1979年に助教授、1984年に教授となった。 1997年に退職して、同大名誉教授。滋賀大学教育学部教授を経て、2001年からは国士舘大学文学部教授を務めた。この間、お茶の水女子大学等においても非常勤講師を担当した。
鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和1… 鈴木 康之(すずき やすゆき、本名・康行、1937年〈昭和12年〉3月19日 - )は、日本のコピーライター、ゴルフマナー研究家。 1937年、秋田市に生まれる。小学校は静岡県藤枝市、中学校高校は東京都で過ごす。早稲田大学文学部仏文科へ。在学中に同人誌「早稲田作家」を主宰した。卒業後、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科へ進み、1961年コピーライターとして日本デザインセンターに入社。。1963年、東京コピーライターズクラブTCCの第1回新人賞受賞、入会。その後、1964年にアド・エンジニアーズ・オブ・トーキョーを経て、フリーランスに。1969年、株式会社タイム設立。。TCC年艦事業部長、コピー年艦審査委員、日本広告制作会社連盟(OAC)常務理事、広告学校全25期専任講師、日本広報協会技術アドバイザーなどを歴任。
片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は… 片岡 健治(かたおか けんじ、1937年3月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 大田原高校を経て、社会人野球のいすゞ自動車で活躍し、1959年に社会人・大学生混成の第3回アジア野球選手権大会全日本代表に選出された。同社を経て1960年に中日ドラゴンズへ入団。 1年目から新人王を期待されたが、キャンプで風邪をひき、さらに無理がたたり肩を痛める。その後、4月17日の国鉄スワローズ戦で1試合投げたが、7月に投げられない申し訳なさから任意引退を申し出た。その後再び中日と再契約したものの、翌1961年に引退。
阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003… 阿部 美哉(あべ よしや、1937年3月18日 - 2003年12月1日)は、日本の宗教学者。元國學院大學学長。比較文化、宗教論専攻。大学論に関する業績もある。 大阪府出身。都立日比谷高校を経て、1959年に東京外国語大学卒業、東京大学文学部に学士入学、1961年同卒業。東京大学大学院人文社会系研究科宗教学専攻修士課程を修了後、1964年からフルブライト奨学生としてクレアモント大学大学院に留学し、博士課程を修了(Doctor of Philosophy)。1968年からウィスコンシン大学オークレア校助教授。日本学術振興会・文化庁・文部省放送教育開発センター教授・放送大学教授・愛知学院大学教授を経て、1994年から國學院大學文学部教授、1999年より國學院大學学長。
畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 199… 畠山蕃(はたけやま しげる、1937年3月18日 - 1995年6月1日)は、日本の大蔵官僚。防衛事務次官。血液型はO型。兄は通産審議官などを務めた畠山襄、甥は資源エネルギー庁次長や産業技術環境局長を歴任した畠山陽二郎。 東京都出身(父は東京都、母は鹿児島県)。武蔵高等学校中学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1961年 大蔵省入省(主計局法規課)。1966年9月 厚生省薬務局企業課企画係長。1967年10月 厚生省環境衛生局環境衛生課。課長補佐時代は主に主計局を中心に勤務。1977年6月 熊本県企画開発部長。主計局主計官(防衛担当)、主計局調査課長などを経て、1985年6月 大臣官房調査企画課長。
杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 … 杉本 大一郎(すぎもと だいいちろう、1937年3月18日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は恒星進化論。学位は、理学博士(京都大学)。東京大学名誉教授、放送大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 京都府乙訓郡新神足村(現・長岡京市)出身。父は開業医。1955年、京都府立桂高等学校卒業。国語の担当教員は、後に国文学者となる清水好子だった。京都大学工学部電子工学科に進学するも2年次に転部し、1959年に京都大学理学部物理学科を卒業。京都大学大学院理学研究科に進学し、林忠四郎が教授を務める天体核研究室に入り林に師事する。1964年、京都大学大学院理学研究科原子核理学専攻博士課程を修了し、理学博士の学位を取得。
ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:… ワダ・エミ(通常は本人の意向に従い「ワダエミ」と表記。本名:和田 恵美子、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉11月13日)は、日本の衣裳デザイナー。映画と舞台の双方で世界各地で数多くの作品を手がけ、日本人としてはこの分野で初めて世界的に広く知られる存在となった。 京都府出身。同志社女子中学校・高等学校を経て、1959年に京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)西洋画科を卒業した。大学在学中の20歳の時、NHKのドラマ制作部にいた演出家の和田勉(2011年に死別)と結婚した。1957年、夫が演出する舞台『青い火』の衣裳を手がけたのを機に衣装デザイナーとなる。 以後、日本映画の衣装デザインを数多く手がけ、とくに『乱』(1985年・黒澤明)の衣裳デザインにより日本人女性初となるアカデミー賞(衣裳デザイン賞)を受賞したことで世界的に知られるようになった。
関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は… 関口 礼子(せきぐち れいこ、1937年3月18日 - )は、日本の教育学者。元図書館情報大学教授。 東京生まれ。1959年お茶の水女子大学文教育学部文学科卒、1972年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1969年ミュンスター大学(ベストフェリッシェ・ビルヘルムス大学)国家社会学部社会学・教育学博士。1975年聖徳学園岐阜教育大学助教授、1982年図書館情報大学助教授、教授、2002年定年退官、大妻女子大学社会情報学部教授、2009年日本の社会研究所教授研究員。『カナダハイスクール事情』で1998年カナダ首相出版賞受賞。1988年、旧姓(関口)使用を求めて図書館情報大学を提訴、一審で敗訴、1998年控訴審で和解。
井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きん… 井沢 八郎(いざわ はちろう、本名:工藤 金一(くどう きんいち)、1937年〈昭和12年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉1月17日)は、日本の演歌歌手。青森県弘前市出身。女優の工藤夕貴と元俳優でクラブDJの工藤正貴は実子。2番目の妻は声優の青羽美代子。 青森県弘前市のひとかどの名家に出生、中学生の頃から歌唱力は評判だった。 中学卒業後、歌手を目指して上京。1963年に「男船」(作詞・松井由利夫、作曲・大沢浄二)で東芝音楽工業よりレコードデビューを果たし、同曲は30万枚を売り上げる。デビュー第三弾の「あゝ上野駅」は井沢八郎の代表曲であると同時に、高度経済成長期の日本の世相を反映する代表曲となる。
灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月… 灘 麻太郎(なだ あさたろう、本名:青木 毅、1937年3月17日 - )は、日本の競技麻雀のプロ雀士、エッセイスト、漫画原作者、歌手。日本プロ麻雀連盟名誉会長(第2代会長)。同団体内での段位は九段。 北海道札幌市生まれ。国鉄勤務の父に従って幼少期は道内各地を転々とした後に室蘭市に移る。小学5年生の頃に大人が打つ麻雀を後ろで見てルールを覚える。 北海道室蘭栄高等学校を経て、北海学園大学経済学部に入学。大学在学中よりすすきののキャバレーで支配人らと麻雀を打ちステージで歌を歌うという生活を送り、麻雀で生計を立てることを誓う。卒業後7年間は各地を転々としいわゆる麻雀放浪をする。 1976年、第1期最高位戦で優勝(順位率部門)。
伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、… 伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、日本の女優、声優。東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立戸山高等学校、早稲田大学教育学部歴史科卒業。 教員志望であったが、母親が新劇好きだった影響で学生劇団自由舞台に参加。自由舞台に入った理由は高校時代の先輩が在籍していたことから。 自由劇場の舞台を鑑賞した母親から「教師より俳優になった方が良いんじゃないかしら」と言われたことでプロの俳優となることを決める。1958年10月、NHKが設立した俳優養成所に入所。1960年、劇団三十人会の創立に参加し、1973年に同劇団が解散した後はフリーで活動。 夫は劇団俳優座の加藤剛。加藤とは「自由舞台」以来の付き合いである。
佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 20… 佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 2006年5月13日)は、日本史学者。東京学芸大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校を経て、1959年早稲田大学第一文学部卒業。1965年同大学院文学研究科博士課程単位修得退学。68年東京大学史料編纂所入所、69年助手、75年東京学芸大学教育学部助教授、教授、2000年定年退官。帝京大学文学部教授。在職中の2006年5月13日、和歌山県立図書館で開かれた小山靖憲追悼シンポジウムに参加した際、討論時間に質問した直後に倒れ、病院に運ばれたが間もなく急性心不全のため死去した。 1981年「南北朝内乱史論」により、早稲田大学から文学博士の学位を授与される。
久野 能弘(くの よしひろ、1937年3月17日 - 201… 久野 能弘(くの よしひろ、1937年3月17日 - 2017年9月24日 )は、日本の行動療法家。臨床心理士・専門行動療法士。金沢大学名誉教授。専門は行動療法。京都府生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 201… 今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 2017年11月18日)は、日本の市民活動家。市民社会研究所所長。有限会社みみずく舎代表取締役。 大阪府豊中市生まれ。1959年、東京大学教養学部卒業。 日本生命保険、日本生命財団企画調査部長、助成財団資料センター企画委員、NPO研究フォーラム事務局長、笹川平和財団プログラム・ディレクター、主席研究員を経て、1996年5月より阪神・淡路コミュニティ基金代表。1999年5月に基金が閉鎖となり退職。 この他、羽衣国際大学客員教授、中京女子大学客員教授、関西学院大学非常勤講師、愛知学泉大学講師、同志社大学非常勤講師などを務めた。 2017年11月18日9時46分、癌性腹膜炎のため兵庫県神戸市の病院で死去。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東… 多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東京都出身の絵本作家、漫画家。本名は多田寛。 武蔵野美術大学デザイン科を卒業。絵本の他に環境漫画も手がける。 寺村輝夫作品は「寺村輝夫」を参照。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )… 仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)、沖縄県議会議長(第14代)、沖縄県議会議員(4期)を務めた。 沖縄県島尻郡南風原町生まれ。幼少期は沖縄戦を体験する。沖縄県立知念高等学校、琉球大学文理学部化学科卒業。卒業後は島ぞうり(ゴムぞうり)製造を主に手がける企業を設立し、同社代表を務める。 衆議院議員、参議院議員を務めた大城眞順の後援会事務局長を経て、1992年の沖縄県議会選挙に自由民主党公認で島尻郡選挙区から出馬し、初当選。自民党を離党して新進党に参加するが、1997年9月、新進党を離党し、自民党に復党した。4期16年にわたり県議を務め、2006年には沖縄県議会議長に選出された(~2008年)。
中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2… 中川 博之(なかがわ ひろゆき、1937年3月15日 - 2014年6月11日)は、現在の韓国ソウル市生まれの日本の作曲家、歌手。別名に五十嵐 悟(いがらし さとる)、ユズリハシロー。妻は作詞家の高畠じゅん子。 作曲数は1,500曲以上、レコード、CDの売上枚数は450万枚以上。新見市立千屋小学校の校歌をボランティアで作曲したこともある。
眞田 芳憲(さなだ よしあき、1937年3月15日 - 20… 眞田 芳憲(さなだ よしあき、1937年3月15日 - 2017年11月23日)は、日本の法学者(ローマ法・イスラム法・比較法文化論)。中央大学名誉教授。法学博士。新潟県出身。「真田芳憲」とも表記される。 新潟県生まれ。1959年中央大学法学部卒。同大学で矢田一男に師事してローマ法を専攻し、のちイスラーム法をも対象とした。1961年中央大学大学院法学研究科修士課程修了、1964年まで同大学院博士課程に在籍後、1964年中央大学法学部助手。恩師の矢田一男急逝を受けて、後任として1967年同法学部講師(西洋法制史ほか担当)。翌年助教授。1974年同法学部教授。その後、法学部通信教育部長、同大学評議員、法学部長、日本比較法研究所所長などを歴任。
千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )… 千々和 久幸(ちぢわ ひさゆき、1937年3月14日 - )は、日本の歌人、詩人。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、明治大学法学部英法科卒業。大学時代は、思想・評論を中心とした雑誌「駿台論潮」編集部に籍を置く。 1956年、作歌を始め、歌誌「香蘭」に入会、村野次郎に師事。1961年、詩誌「沙漠」に入会。1964年、山本哲也と詩誌「砦」を創刊。1965年、第一詩集『恋唄』を刊行。1975年、佃学と詩誌「アポクチファ」を創刊(1978年、「邯鄲」に改組)。1981年、第一歌集『壜と思慕』を刊行。1988年、「現代短歌を評論する会」に参加。 2001年、「香蘭」代表に就任。2010年、横浜歌人会代表委員に就任(2013年退任)。
飯森 嘉助(いいもり かすけ、1937年3月14日 - 20… 飯森 嘉助(いいもり かすけ、1937年3月14日 - 2012年5月27日)は、日本の学者。専門はアラビア語、中東文化。拓殖大学名誉教授。 長野県佐久市出身。1960年信州大学教育学部卒業。大学卒業後に一旦中学校教諭となるが、その後アラビアの語学や文化などに関心を持ちエジプトのアル=アズハル大学に留学し、1968年同大アラビア語学部歴史文明学科を卒業。 1970年拓殖大学非常勤講師、74年拓殖大学専任講師、1976年4月拓殖大学助教授、1983年4月拓殖大学政経学部教授を務め、2003年3月退職は、同年7月に拓殖大学名誉教授の称号を受ける。 中東では一般的な野菜であるモロヘイヤを日本に紹介し、モロヘイヤ普及協会を設立してその普及に努めた。
海保 孝(かいほ たかし、1937年3月14日 - 2022… 海保 孝(かいほ たかし、1937年3月14日 - 2022年1月12日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取、りそなホールディングス初代会長。東京都出身。 1959年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、大和銀行に入行した。 1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1992年1月に専務、1994年6月に副頭取を歴任し、1995年10月から2001年6月までに頭取を務め、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件で混乱していた同行を再建するために、海外事業から撤退し、国内の個人・中小企業向けの事業に力を入れた。2001年12月にあさひ銀行との統合により発足したりそなホールディングスの初代会長を務めた。
近藤 良一(こんどう りょういち、1937年3月13日 -… 近藤 良一(こんどう りょういち、1937年3月13日 - 2015年2月22日)は、日本の僧侶・哲学者・仏教学者。専門はインド哲学・仏教学。苫小牧駒澤大学2代学長。号は「近藤聖欣」。駒澤大学名誉教授・曹洞宗北大寺住職だった人物。札幌市生まれ 関稔とは同じ師を持つ同門で、急病により同学長を辞任し、後輩に学長職を引き継いでもらった。
岡 信子(おか のぶこ、1937年3月13日 - )は、日本… 岡 信子(おか のぶこ、1937年3月13日 - )は、日本の童話作家。 夫は児童文学作家 ・小説家の野火晃。 岐阜県に生まれ、東京で育つ。菊華中学・高等学校(現・杉並学院中学高等学校)を卒業した後、短期大学に進学した。高校時代は歯科医を継ぐものと理系の勉学に取り組んでいたが、自分に向いてないと思い、短期大学で幼児教育を学ぶ。卒業後は幼稚園教諭になり、後に童話創作に専念。日本児童教育専門学校で教鞭をとり、後進の育成にも励む。 短大で創作童話の講義を受けた後、児童心理学者の早川元二より書き続けることを勧められ、童話作家を志した。 代表作に、日本児童文芸家協会賞を受賞した『花・ねこ・子犬・しゃぼん玉』のほか、光村図書による小学1年生の教科書に1980年(昭和55年度)から掲載されている『はなのみち』などがある。
野山 嘉正(のやま かしょう、1937年3月13日 - 20… 野山 嘉正(のやま かしょう、1937年3月13日 - 2019年5月29日)は、日本近代文学研究者。専門は近代詩歌。東京大学名誉教授。 東京生まれ。1959年東京大学国文科卒、1971年同大学院博士課程中退、助手、1973年山梨大学助教授、1986年東京大学国文科助教授、1992年教授、1997年定年退官、名誉教授、放送大学教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本… 諏訪 邦夫(すわ くにお、1937年3月12日- )は、日本の医師、医学者、医事評論家、麻酔科医。 専門は麻酔科学、呼吸管理と血液ガスの問題、呼吸と循環のシミュレーションなど。 90年代にパソコンの使い方についての実用書を著し『パソコンをどう使うか』(中公新書、1995)はベストセラーになった。ほかに医事評論も書く。 東京生まれ。東京大学医学部卒業、1967年医学博士。マサチュ-セッツ総合病院レジデント、ハーバード大学助手、カリフォルニア大学助教授、東京大学助教授をへて、1997年帝京大学教授、2005年帝京短期大学教授(臨床工学主任)。 昭和天皇が1987年に腹部手術を受けた際の麻酔を当時の東京大学麻酔科教授、沼田克雄と共に担当した。
井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月… 井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月12日 - 2023年(令和5年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。元大分県別府市長。 別府市出身。1959年(昭和34年)日本大学法学部政経学科卒業。 高等学校教師、別府市議会議員、同議長を経て、1995年(平成7年)別府市長に当選した。2003年(平成15年)まで務めた。 2023年2月22日、腎不全のため、死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
山下 明生(やました はるお、1937年3月11日 - )は… 山下 明生(やました はるお、1937年3月11日 - )は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ、瀬戸内海の広島県能美島で育つ。 広島県立大柿高等学校を経て京都大学文学部仏文学科卒業後、上京してあかね書房へ入社。同社の児童書編集の傍ら、乙骨淑子、奥田継夫、掛川恭子、八木田宜子とともに同人誌「こだま」に参加した事を機に創作活動に専念。 1973年『うみのしろうま』で野間児童文芸推奨作品賞、1975年『はんぶんちょうだい』で小学館文学賞、1983年『まつげの海のひこうせん』で絵本にっぽん大賞、1986年『海のコウモリ』で赤い鳥文学賞、1992年『カモメの家』で野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、1993年同作で路傍の石文学賞受賞、『バーバパパ』シリーズの翻訳でも有名。
内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2… 内藤 碩昭(ないとう みつあき、1937年3月11日 - 2025年8月20日)は、日本の経営者、銀行家。三和銀行副頭取、UFJホールディングス会長を務めた。 東京都出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年5月に常務、1992年6月に専務を経て、1994年6月に副頭取に就任した。1999年6月には会長に就任し、2002年1月にUFJホールディングス会長に就任し、同年6月にUFJ銀行特別顧問を経て、2004年7月には名誉顧問に就任。 2001年6月から2017年6月までに南海電気鉄道取締役を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
岸 清(きし きよし、1937年(昭和12年)3月11日 -… 岸 清(きし きよし、1937年(昭和12年)3月11日 - 2015年(平成27年)8月20日)は、昭和時代後期から平成時代の土木工学者。 1960年(昭和35年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、東京電力に入社する。1989年(昭和64年)同社原子力建設部長、1992年(平成4年)原子力本部副本部長、1995年(平成7年)同フェロー(理事待遇)を経て、2001年(平成13年)顧問に就任した。 ほか、土木学会第90代会長、同会原子力土木委員会顧問などを歴任した。
池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、… 池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、日本のカトリック高位聖職者、イエズス会士。第7代大阪大司教。洗礼名はレオ。 兵庫県神戸市生まれ。父は育英商業学校校長を務めた池長孟。兄は摂南大学教授だった倫理学者の池長澄。 1962年上智大学文学部ラテン哲学科卒業、1967年上智大学神学部卒業。 1968年(昭和43年)3月20日、司祭に叙階。 1995年11月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世により、大阪教区協働大司教に任命された。1996年3月20日、パウロ安田久雄大阪大司教により、司教叙階の秘跡を受けた。 1997年5月10日、安田久雄の引退承認に伴い、大阪大司教の職務を引き継いだ。着座式は同年6月22日に行われた。
溝尾 武夫(みぞお たけお、1937年3月11日 - )は、… 溝尾 武夫(みぞお たけお、1937年3月11日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道苫小牧市出身、米国在住。 三協精機所属時の1960年スコーバレーオリンピックに出場、500m36位、1500m33位、5000m23位、10000m25位だった。 現役引退後の1971年渡米、ロサンゼルスで飲食店を経営、回転すしチェーン店のオーナーである。 現在はアメリカでの仕事を全て辞め、自由人としてのんびりアジアを中心に旅をしている。86歳ながらユーチューバーとして旅情報などを流している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 202… 泉水 博(せんすい ひろし、1937年3月10日 - 2020年3月27日)は、千葉刑務所で獄中者組合を結成した人物。千葉県木更津市生まれ。 千葉県立木更津第二高等学校(現在の千葉県立木更津東高等学校)を2年で中退後、職を転々とする。1960年、仲間と2人で会社重役の妻を刺殺し、1万5千円を奪った事件で逮捕された。泉水は無期懲役が確定し、千葉刑務所で服役した。 模範囚で仮釈放目前だったが、同じ刑務所の囚人が病気で吐血して苦しんでいるとき、看守を人質にとって、医者に見せろと要求をした。この行動が同じ刑務所にいた野村秋介らにより、ミニコミ紙や口コミで「千葉刑務所に泉水あり」との噂が広まり、後の統一獄中者組合の結成につながった。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
小松 健一(こまつ けんいち、1937年3月10日 - 20… 小松 健一(こまつ けんいち、1937年3月10日 - 2011年6月25日)は、日本の経営者。関西銀行(現在の関西みらい銀行)社長を務めた。 兵庫県出身。1961年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1986年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年11月に専務を経て、1993年6月に関西銀行顧問と副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1999年6月に会長を経て、2002年6月に特別顧問に就任。 2011年6月25日に心不全のために死去。74歳没。
福田 亮成(ふくだ りようせい、1937年3月10日 - )… 福田 亮成(ふくだ りようせい、1937年3月10日 - )は、日本の仏教学者(密教学)。学位は、博士(文学)。真言宗智山派の僧侶(智山伝法院長、下谷田中成就院住職、川崎大師教学研究所長を経て顧問)。大正大学名誉教授。
信田 邦雄 (のぶた くにお、1937年3月10日 - ) … 信田 邦雄 (のぶた くにお、1937年3月10日 - ) は、日本の政治家、元参議院議員(当選1回)。北海道北見市出身。 北海道北見仁頃高等学校卒業。北海学園大学経済学部2部中退。北見市で農業を営む。1994年(平成6年)北海道農民連盟本部書記長、北見市農協理事、1997年(平成9年)北海道農民連盟委員長を経て1998年の第18回参議院議員通常選挙に民主党公認で比例区より出馬するが、落選。その後、2002年に今井澄の死去により繰り上げ当選する。 2004年の参院選では再び比例区より出馬するが、26名中20位で次点となり落選。この選挙に際し、北見地区農民連盟の幹部らが買収を行ったとして公職選挙法違反で起訴され、2005年4月27日に東京高等裁判所より連座制の適用を受け、参議院比例区からの5年間の立候補禁止とされた。
江尻 正員(えじり まさかず、1937年3月9日 - )は、… 江尻 正員(えじり まさかず、1937年3月9日 - )は、機械工学や画像処理を専門とする日本のエンジニア。工学博士(大阪大学)、エンゲルバーガー賞受賞者。1970年に世界に先駆けて積み木を認識・積み重ねる人工知能ロボットを開発。その後画像処理を世界で初めて工業応用したとされるボルト自動締結ロボットも開発した。 日立製作所中央研究所において制御工学、画像処理、人工知能、ロボット工学の研究に取り組み、様々な自動機械、ロボットを開発。中央研究所と機械技術研究所では技師長を務めている。 なお、学術界では画像処理を中心とした国際会議の開催に貢献。定年退職後も産業技術コンサルタントとして活動し、日本ロボット学会会長や横断型基幹科学技術研究団体連合副会長などを歴任している。