山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月1… 山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月19日 - )は日本の医師。埼玉医科大学名誉学長。日本てんかん学会専門医。日本精神神経学会専門医。
1937年(昭和12年)生まれ:1,155人
山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月1… 山内 俊雄(やまうち としお、昭和12年(1937年)1月19日 - )は日本の医師。埼玉医科大学名誉学長。日本てんかん学会専門医。日本精神神経学会専門医。
遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月1… 遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月18日 - 2009年(平成21年)3月25日)は、日本の元体操競技選手。日本大学名誉教授。 秋田県秋田市広面字谷内佐渡出身。秋田工業高校から東京教育大学(現筑波大学)卒業。 広面小3年生の時に母親を亡くし、久保田中1年 の冬から養護施設感恩講で育つ。中学2年の時、先生の勧めで体操部に入部し、市内大会では数々の表彰台に上がる。 同じ秋田県出身の小野喬を目標に競技を続け、東京教育大学在学時代から体操競技日本代表選手に選ばれてオリンピック、世界選手権など数々の国際大会に出場した。1964年東京オリンピックでは日本選手としては初めてとなる個人総合優勝を果たした。
上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 20… 上田 利治(うえだ としはる、1937年1月18日 - 2017年7月1日)は、徳島県海部郡宍喰町(現:海陽町)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 鮮魚店を営む家に5人兄弟の長男として生まれ、叔父は徳島県弁護士会の副会長であった。 上田の徳島の実家のすぐ近くには、高校の後輩となる元西鉄選手でプロゴルファーの尾崎将司、その実弟でゴルファーの健夫・直道の実家があった。 海南高校時代から捕手で、3年次の1954年には夏の甲子園県予選で準々決勝に進出するが、撫養高に惜敗。学業成績も優秀で、高校時代は野球の練習と生徒会の活動を同時に行いつつ、毎朝しっかりと勉強していたため、睡眠時間は4時間程度であったという。
諸里 正典(もろさと まさのり、1937年(昭和12年)1月… 諸里 正典(もろさと まさのり、1937年(昭和12年)1月18日 - 2015年(平成27年)8月27日)は、日本の政治家。新潟県十日町市長(2期)。 新潟県出身。1960年、明治大学法学部卒。卒業後は日刊スポーツ新聞社に入る。1年で退社し、睦織物に入社、その後社長となる。1979年、十日町市長に当選する。1983年に再選する。1985年、2期目途中で辞任。翌1986年の新潟県知事選挙に立候補するが落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙で新潟3区から立候補(無所属)したが落選した。1995年の新潟県議会議員選挙に立候補したが落選した。2014年、旭日双光章を受章。2015年死去。
杉本 達夫(すぎもと たつお、1937年(昭和12年)1月1… 杉本 達夫(すぎもと たつお、1937年(昭和12年)1月17日 - )は、日本の中国文学者、早稲田大学名誉教授。老舎を中心に、近現代中国文学を翻訳紹介した。 1937年、京都府与謝郡生まれ。1959年、大阪外国語大学中国語科を卒業。卒業後は東京都立大学大学院人文科学研究科に進む。1962年、東京都立大学大学院博士課程を中退し、同助手に採用された。1971年、早稲田大学文学部専任講師となった。1975年に助教授、1980年に教授。1992年から1994年には、第二文学部長をつとめた。2006年に早稲田大学を退職、名誉教授となった。
首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は… 首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は、日本の文学研究者、文芸評論家、熊本大学名誉教授。平成音楽大学教授。日本近代文学が専攻。 大分県大野町生まれ。熊本大学法文学部卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程中退。1977年「近代詩人の研究」で、東京都立大学から文学博士を取得。別府大学講師、熊本大学教養部助教授を経て、1975年に教授。2002年、定年退官、名誉教授。 俳句では『未来図』(鍵和田秞子)に所属。
木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17… 木村 愛二(きむら あいじ、1937年〈昭和12年〉1月17日 - 2020年〈令和2年〉12月17日)は、日本のジャーナリスト、ホロコースト否定論者。木村書店代表。歴史見直し研究会代表。筆名に征矢野仁、徳永正樹。 東京府生まれ。幼時を北京で過ごし、日本敗戦後の1946年に家族で中国から引き揚げた。大陸で、日本人収容所の収容所生活を経験している。帰国後、防衛大学校に入学する(第3期生)も、1955年に中退。東京大学に再入学する。1960年の60年安保の際には、国会へのデモに参加し、国会の南門を開ける役割を果たしている。また、この際に犠牲となった樺美智子を知る一人でもある(「樺美智子は、普段はデモに来なかったのに、あの日に限ってデモに来た」と、60年安保40周年を記念して開かれた討論会で回想している)。
横須賀 薫(よこすか かおる、1937年1月17日 - 20… 横須賀 薫(よこすか かおる、1937年1月17日 - 2025年4月7日)は、日本の教育学者。 宮城教育大学名誉教授、十文字学園女子大学名誉教授。 大阪府大阪市生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜国立大学学芸学部附属横浜小学校、横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒業。1960年東京大学教育学部教育学科(教育史・教育哲学コース)卒業。1967年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。東京大学教育学部助手を経て、1968年に宮城教育大学の教育学担当教官として赴任。赴任後は教員養成や授業に関する研究を主に行う。2000年8月より宮城教育大学学長を務め、2006年7月末で退任。
高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月1… 高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉4月5日)は、日本の中国文学者、エッセイスト。兵庫県相生市出身。 東京大学経済学部を卒業後、銀行に5年勤めたが、大学院人文科学研究科中国文学科に入り、前野直彬らの指導の下で学んだ。文革後の中国文学、唐詩、「水滸伝」などの研究が中心。 岡山大学助教授を務めていたが、1989年に辞職。以降は在野の研究者だが、1994年-1997年には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。 1991年、『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回大衆文学研究賞受賞。1995年、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞。
笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 20… 笠井 和彦(かさい かずひこ、1937年1月16日 - 2013年10月21日)は、日本の実業家。富士銀行(現みずほ銀行)取締役副頭取や、安田信託銀行(現みずほ信託銀行)取締役会長、福岡ソフトバンクホークス代表取締役社長兼オーナー代行を歴任した。 香川県木田郡三谷村(現高松市)出身。香川県立高松商業高等学校を経て、1959年香川大学経済学部卒業。近世欧州経済史の家名田克男ゼミ第1期出身。ゼミ生は1人だけだった。大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)入行。 1964年本店の外国部外国資金課に配属。1969年スイス銀行(チューリッヒ)での半年間研修、1973年から1977年までのニューヨーク支店勤務を含め、為替ディーラーとして活躍。
兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は… 兒島 伊佐美(こじま いさみ、1937年1月16日 - )は、日本の実業家。東京電力取締役副社長や、日本原燃代表取締役社長、電気事業連合会副会長等を歴任した。 長野県出身。1960年東北大学法学部卒業、東京電力入社。1997年東京電力常務取締役立地環境本部長。1999年東京電力取締役副社長立地環境本部長。2000年東京電力取締役、電気事業連合会副会長。2004年から日本原燃代表取締役社長を務め、2009年に長期入院に伴い退任し、相談役に就任した。現在東京都在住。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 199… 市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 1997年2月10日)は、舞踊評論家。 東京出身。本名・雅章。東京都立駒場高等学校卒、1960年早稲田大学第一法学部卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学。 この間渡米、1980年には大野一雄の欧米公演に同行、日本の現代舞踊などを海外に紹介する。アジア国際舞踊フェスティバルなどの開催にも尽した。ヴァーツラフ・ニジンスキーについての訳業がある。 93年早大客員教授。
柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は… 柳井 俊二(やない しゅんじ、1937年1月15日 - )は、日本の外交官。外務事務次官(1997年7月 - 1999年9月)、駐米大使(1999年9月 - 2001年10月)。2005年からは国際海洋法裁判所の判事を務めており、2011年10月には同裁判所長に選出された。 東京生まれ。父は条約局長を務めた外交官・弁護士の柳井恒夫、兄は運輸官僚の柳井乃武夫。姉婿は柳谷謙介(1924年 - 2017年。元外務事務次官、成城大学・成城学園理事長)。祖父は医師の柳井貴三で、柳井家は代々備中松山藩の藩医をしていた家系。 学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1961年、東京大学法学部卒業、外務省入省。フランス語研修(ストラスブール大学)、在フランス大使館、国連代表部、在インドネシア大使館、在韓国大使館の各在外公館に勤務。
河野 洋平(こうの ようへい、1937年〈昭和12年〉1月1… 河野 洋平(こうの ようへい、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本の政治家。 衆議院議長(第71・72代)、副総理(村山内閣・村山改造内閣)、外務大臣(第118・123-125代)、内閣官房長官(第55代)、科学技術庁長官(第39代)、原子力委員会委員長(第39代)、衆議院議員(14期)、自由民主党総裁(第16代)、新自由クラブ代表(初代・第3代)を歴任。 2003年(平成15年)から2009年(平成21年)まで日本憲政史上最長(当時)の期間にわたって衆議院議長を務めた。 自由民主党では初となる、総裁に就任したものの内閣総理大臣(首相)を経験できなかった人物である。結党から2026年(令和8年)4月8日(水)現在にいたるまでこの事例となった人物は河野と谷垣禎一の2名のみである。
星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月1… 星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月15日 - 2019年〈令和元年〉9月10日)は、日本の機械工学者、精密工学者。工学博士。豊橋技術科学大学名誉教授、精密工学会名誉会員。 新潟県新潟市の新潟鐵工所新潟工場技師・星光一の長男として出生。 1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1959年(昭和34年)3月に京都大学工学部機械工学科を卒業、1961年(昭和36年)3月に京都大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程を修了。 1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部精密工学科助手に就任、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)までアメリカのペンシルヴァニア州立大学大学院に留学、1965年(昭和40年)4月に京都大学工学部精密工学科助教授に就任、1966年(昭和41年)3月に京都大学から工学博士の学位を取得、1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)までアメリカのカーネギーメロン大学客員准教授、1979年(昭和54年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系教授に就任、1986年(昭和61年)4月に豊橋技術科学大学国際交流会館長に就任、1990年(平成2年)4月に豊橋技術科学大学情報処理センター長に就任、1992年(平成4年)4月に国際協力機構の高等教育開発計画でインドネシアに赴任、1995年(平成7年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系長に就任、1998年(平成10年)4月に豊橋技術科学大学工作センター長に就任、2002年(平成14年)3月に豊橋技術科学大学を定年退官、4月に自宅に星技術研究所を開業、同月に豊橋技術科学大学名誉教授の称号を受称。
伊藤 則旦(いとう のりただ、1937年1月15日 - )は… 伊藤 則旦(いとう のりただ、1937年1月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。 愛知県立津島高等学校から1955年に毎日オリオンズに入団。入団した1955年から1958年までの4年間在籍した。
本田 忠彦(ほんだ ただひこ、1937年(昭和12年)1月1… 本田 忠彦(ほんだ ただひこ、1937年(昭和12年)1月15日 - )は、日本の政治家、実業家。元愛知県西尾市長(4期)、元西尾市議会議員(3期)。 愛知県西尾町(現・西尾市上町)生まれ。生家は大正初期創業の春香園製茶工場。父親の本田明治は春香園の経営のかたわら、愛知県議会議員を3期(1951年~1963年)務めた。 1955年(昭和30年)に愛知県立西尾実業高等学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)を卒業したのち、京都府宇治市で修業を積む。 抹茶は飲むだけでなく食用の時代が来ると感じた本田は3代目を継ぐと、製造主体体制から卸販売への転換を図る。1966年(昭和41年)3月に葵製茶有限会社を設立。
コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭… コシノ ヒロコ(本名:小篠 弘子(読み同じ)、1937年〈昭和12年〉1月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。大阪府岸和田市五軒屋町出身。関西大学客員教授、神戸芸術工科大学客員教授、神戸松蔭女子学院大学客員教授。血液型A型。 父は小篠家に婿入りした紳士服職人の川崎武一(かわさき たけいち)(1912 - 1945)。母は同じくファッションデザイナーの小篠綾子。同じくファッションデザイナーの妹コシノジュンコ(小篠順子)、コシノミチコ(小篠美智子)とともに「コシノ三姉妹」として知られる。娘(次女)の小篠ゆまもファッションデザイナーである。長女の小篠由佳は株式会社ヒロココシノの代表取締役社長。
石川 実(いしかわ みのる、1937年1月15日 - 202… 石川 実(いしかわ みのる、1937年1月15日 - 2021年5月20日)は、日本の社会学者。奈良女子大学名誉教授。専門は理論社会学、社会心理学、家族社会学。 島根県益田市出身。島根県立益田高等学校を経て、1965年京都大学文学部哲学科(社会学専攻)卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程(社会学専攻)中退。九州工業大学専任講師・助教授を経て、奈良女子大学助教授。フランス国立科学研究センター(CNRS)社会学研究センター共同研究員(1978年)、スタンフォード大学フーヴァー研究所及び社会学科客員研究員(1978年8月〜1979年3月)。その後、奈良女子大学教授(1986年〜)。2000年に停年退官して名誉教授となり、ノートルダム清心女子大学大学院教授。
片山 襄一(かたやま じょういち、1937年1月15日 - … 片山 襄一(かたやま じょういち、1937年1月15日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学工学部機械工学科元教授。工学博士(東京大学)。 専門は、自動車工学(特に、溶接工学・金属工学・接合工学)。 東京大学大学院工学系研究科にて工学博士。1963年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。機械工学研究室の佐藤次彦・阿部博司らと共に自動車工学におけるボディ薄板構造物の溶接/接合技術・解析に関する研究に従事。助教授などを経て、1991年同学部機械工学科教授。1994年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部機械工学科にて30年以上の長期に渡り教鞭を執り、特に初期の機械工学における自動車産業との共同研究の育成に貢献した。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
伊藤 雄二(いとう ゆうじ、1937年1月14日 - )はJ… 伊藤 雄二(いとう ゆうじ、1937年1月14日 - )はJRAの元調教師、元騎手。大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)出身。
山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )… 山口 洋一(やまぐち よういち、1937年1月14日 - )は、日本の元外交官、著作家。 本籍は佐賀県。同県で生まれ、少年期に神奈川県鎌倉市に移り住む。1960年東京大学教養学部教養学科仏文科卒、同年外務省入省。同省経済局、アジア局、調査部、情報文化局、在フランス、南ベトナム、イタリア、インドネシア各大使館での勤務や、外務省情報文化局海外広報課長を経て、1981年よりパリ・ユネスコ常駐代表、駐マダガスカル特命全権大使兼駐コモロ特命全権大使、駐トルコ特命全権大使。1995年から駐ミャンマー特命全権大使。1998年外務省退官。その後、2006年から2009年までNPO法人国際芸術家センター理事長を務める。
砂田 一郎(すなだ いちろう、 1937年1月14日 - 2… 砂田 一郎(すなだ いちろう、 1937年1月14日 - 2014年6月19日)は、日本の政治学者。専門はアメリカ政治。元学習院大学法学部教授。 兵庫県生まれ。1960年早稲田大学政治経済学部政治学科卒。 毎日新聞社に勤務。フルブライト交換留学で渡米、1973年カリフォルニア大学バークレー校大学院修士課程修了(M.A, 政治学)。同年毎日新聞社を退職、東海大学政治経済学部教授などを経て1995年から2007年3月まで学習院大学法学部教授を務めた。1984年日米友好基金アメリカ研究出版賞受賞。 2014年6月19日午後0時35分、敗血症のため東京都渋谷区の病院で死去した。77歳没。
下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月… 村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月13日 - )は、日本の検察官。弁護士(青陵法律事務所)。元東京高等検察庁検事長。
小林 三郎(こばやし さぶろう、1937年(昭和12年)1月… 小林 三郎(こばやし さぶろう、1937年(昭和12年)1月13日 - 2006年(平成18年)11月5日は、日本の考古学者。主として弥生時代と古墳時代を研究領域としている。 1937年(昭和12年)1月13日、東京都に生まれる。1962年(昭和37年)、明治大学大学院文学研究科史学専攻(考古学)修士課程を修了。長く明治大学教授をつとめた。北区飛鳥山博物館名誉館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は… 木頃 博巧(きごろ ひろよし、1937年1月12日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 岩国工業高校から1956年に阪急ブレーブスへ投手で入団。後に内野手へ転向。
岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、… 岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、和歌山県新宮市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - … 阿部 雅一郎(あべ まさいちろう、1937年1月12日 - 2012年11月21日)は、日本の実業家、馬主。 木材卸であった阿部木材工業(現・アベキャピタル)の第2代社長であり、会社を複合的な企業グループに拡大させた。また、競走馬の馬主としても著名で、GI競走に優勝したヒシアマゾン、ヒシアケボノ、ヒシミラクルなど数々の活躍馬を所有した。 阿部木材工業創業者の阿部雅信は父、第3代社長の阿部雅英は長男。両者もまた馬主として知られる。 慶應義塾大学卒業後、阿部木材工業に入社。1964年、雅信が脳溢血に倒れたため同社の経営を継いだ。良質な無垢材の確保が困難になりつつあったことから、合板の製造に着手すべく1967年に「阿部合板」を設立。
林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は… 林 道義(はやし みちよし、1937年1月12日 - ) は、日本の経済学者・心理学研究者・評論家。日本ユング研究会会長。 1937年、長野県飯田市生まれ。東京大学法学部に進み、在学中は1958年から1961年まで学生運動に加わり、全学連組織部長として60年安保闘争に参加した。1962年に東京大学を卒業し、同大学大学院経済学研究科に進んだ。指導教官は大塚久雄であった。1968年に博士課程単位取得満期退学。 1970年、東京女子大学専任講師となった。1971年にマックス・ウェーバーについて論じた学位論文『ウェーバー社会学の方法と構想』で経済学博士号を取得。1975年から1976年までドイツ・テュービンゲン大学に留学し、帰国後にカール・グスタフ・ユングの研究に転じてユングの著作の翻訳を手がける。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 20… 河合 常則(かわい つねのり、1937年1月10日 - 2017年9月7日)は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。富山県東礪波郡城端町(現南砺市)出身。 1955年、富山県立福野高等学校、1961年、慶應義塾大学経済学部通信教育課程卒業。卒論は「日本中小商業の一分析視角」。1964年、城端町議会議員に当選。以後連続3期務める。1975年、富山県議会議員に当選。以後8期連続務める。1991年には富山県議会議長に就任。 2004年7月、第20回参議院議員通常選挙に自民党公認で富山県選挙区に立候補し初当選。額賀派に所属する。 2005年8月8日の郵政民営化法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、1年間の党役職資格停止のペナルティを受けるが、後に賛成に転じた。
西谷 敬(にしたに けい、1937年1月10日 - 2020… 西谷 敬(にしたに けい、1937年1月10日 - 2020年7月)は、日本の哲学者、奈良女子大学名誉教授。 神戸市生まれ。兵庫県立神戸高等学校卒、1959年京都大学文学部哲学科卒、64年同大学院文学研究科博士課程単位取得。1964年神戸女学院中学部・高等学部教諭、68年神戸女学院大学講師、71年助教授、78年教授、1984年奈良女子大学文学部教授、99年定年退官、名誉教授、龍谷大学文学部哲学科教授。2007年退任。
木曾 好能(きそ よしのぶ、1937年1月10日 - 199… 木曾 好能(きそ よしのぶ、1937年1月10日 - 1994年10月3日)は、日本の哲学研究者、元京都大学文学部教授。 専門はイギリス哲学。京都大学文学部卒業。1973年京都大学文学部哲学科助教授、1988年教授となり、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第1巻(法政大学出版局、1995年)を訳したところで胃がんのため死去。
上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのう… 上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのうえ ひでお、1937年1月10日 - 2025年7月13日)は、日本の実業家・芸能プロデューサー。 福岡県北九州市に出生。福岡県立八幡中央高等学校を卒業後関西大学文学部に進学するが、次第に音楽活動に傾倒し中退した。4・9・1(フォー・ナイン・エース)を結成して東北、北海道を巡業し、1966年には芸能プロデューサーに転向した。 芸能プロデューサーとしては4・9・1のボーカリストとしてジョー山中をスカウトしたのを皮切りに小山ルミ、吉沢京子、西城秀樹、安西マリア、田口久美、舘ひろし、川島なお美などを次々と発掘した。1960年代後半から1980年代初頭にかけて芸能界に重きをなした。
松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、… 松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島マツダ社長などを務めた。
黒崎 彰(くろさき あきら、1937年(昭和12年)1月10… 黒崎 彰(くろさき あきら、1937年(昭和12年)1月10日 - 2019年(令和元年)5月14日)は、日本版画界を代表する版画家の1人。京都精華大学名誉教授。浮世絵の伝統木版画技法を用い、現代木版画世界から、紙という素材そのものを生かし造形するペーパーワークまで、幅広い作品を生み出す。版画史研究家、版画教育家 としても広く活躍。 「洋画と日本画の概念・範疇差を認めず、いずれも「ペインティング」とすべき」「聾唖者は世界共通(没母国性・没地域性)の手話言語を使用すべき」など独自な主張を持っていることでも知られている。 1960年代後半、現代木版画の旗手として華々しく登場。浮世絵が完成させた精緻な刷技術を駆使して抽象的な形象の世界を万華鏡の様に展開していった黒崎彰は、「ほぼ10年ごとにその作風を変容していった」。
高橋 邦男(たかはし くにお、1937年1月10日 - )は… 高橋 邦男(たかはし くにお、1937年1月10日 - )は、日本の経営者。三井ホーム社長、会長を務めた。 富山県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に三井不動産に入社。1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1998年6月に三井ホーム副社長に就任し、1999年6月には社長に昇格。2003年4月に会長に就任。同年5月日本ツーバイフォー建築協会会長に就任。 2005年11月に藍綬褒章を受章。
糸田 省吾(いとだ しょうご、1937年(昭和12年)1月9… 糸田 省吾(いとだ しょうご、1937年(昭和12年)1月9日 - )は、日本の元官僚。元公正取引委員会委員。長島・大野・常松法律事務所顧問(弁護士登録はしていない)。
森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり ま… 森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 読売ジャイアンツ(巨人)のV9時代に正捕手を担い、「V9の頭脳」の異名を取った。また引退後、西武ライオンズ監督時代に在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。 兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。 岐阜市立長森中学校出身。野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。
森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪… 森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。本名「森 昌彦」(もり まさひこ)。
山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1… 山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1990年12月5日)は日本の官僚、元環境庁企画調整局長。
草間 秀三郎(くさま ひでさぶろう、1937年1月9日 - … 草間 秀三郎(くさま ひでさぶろう、1937年1月9日 - )は、日本の国際関係学者、愛知県立大学名誉教授。 茨城県生まれ。1959年青山学院大学文学部英米文学科卒業。1963年までノースカロライナ大学大学院政治学研究科国際関係学で学ぶ。1990年「ウィルソンの国際社会政策構想 多角的国際協力の礎石」で名城大学法学博士。1966年愛知県立大学助手となり、講師、助教授、教授を経て、2002年定年退官、名誉教授となり、愛知学院大学教授を務めた。2007年退職。
坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 201… 坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 2014年1月25日)は、日本の経営者。きんでん元代表取締役副社長。元常翔学園理事長。 1937年奈良県大和郡山市生まれ。1959年大阪工業大学工学部電気工学科(現: 電気電子システム工学科)卒業。その後、きんでん代表取締役副社長を経て、2003年学校法人大阪工大摂南大学(現: 学校法人常翔学園)評議員・理事、2006年理事長就任。2007年常翔学園創立90周年奨学基金を設立。2011年常翔学園中学校を開設。2017年に新設された大阪工業大学梅田キャンパス拠点構想を展開するなど数々の功績を残し、大阪工業大学の発展に多大な貢献をもたらした。 2014年1月25日に病気のため逝去、享年77歳。
結城 亮一(ゆうき りょういち、1937年1月8日 - )は… 結城 亮一(ゆうき りょういち、1937年1月8日 - )は、日本の作家。山形県生まれ。國學院大學文学部国文科卒。日本大学山形高等学校の教諭をしながら、執筆活動を続けた。1966年に『マタニティ・ドレス』で山新文学賞を受賞。 日本初の歌謡曲歌手とされる佐藤千夜子の生涯を描いた『あヽ東京行進曲』が1977年、NHKの朝の連続テレビ小説『いちばん星』(宮内婦貴子脚本)の原作となった。
中村 健二(なかむら けんじ、1937年1月8日 - )は、… 中村 健二(なかむら けんじ、1937年1月8日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 朝鮮京城府生まれ。岐阜市立高校卒、1961年東大文学部英文科卒、同修士課程修了。大阪大学教養部助教授、1972年東大教養学部助教授、1982年教授、1997年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。2007年退職。
城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年… 城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年11月17日)は昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政権下の沖縄で活動した声楽家、作曲家。琉球大学教授。 1937年(昭和12年)、沖縄県首里市(現在の那覇市首里)に生まれる。1961年(昭和36年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業の後、東京混声合唱団に所属した。 1966年(昭和41年)に東京混声合唱団を退団し米国施政権下の沖縄へ帰郷、琉球大学教育学部教授に着任する。1967年(昭和42年)、琉球放送の公開番組『オキコワンワンチャンネル』内のコーナー「みんなで歌おう」内の楽曲を監修。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還(本土復帰)と同日に制定された「沖縄県民の歌」を始め、県内の市町村歌や校歌、イベントのテーマソングなどを精力的に作曲し、沖縄県内の音楽文化振興に務めた。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。