新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1… 新国 誠一(にいくに せいいち、1925年12月7日 - 1977年8月23日)は、日本の詩人、画家。旧字体で新國誠一とも表記され、新国自身は晩年旧字体での表記にこだわっていたとされる。1960年代の国際的な前衛詩運動であるコンクリート・ポエトリーの運動に関わり、象形詩や視覚詩、音声詩などの実験的な作品を制作した。世界的には重要な詩人の一人として位置づけられており、日本やドイツの教科書などにも作品が掲載されている。 1925年12月7日、宮城県仙台市で生まれる。仙台工業学校(現:仙台工業高等学校)に進学し、建築を学ぶ。高校卒業後、1948年に東北学院大学文経学部英文学科に入学、1951年に卒業。
峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2… 峯島 正行(みねしま まさゆき、1925年12月7日 - 2016年11月18日)は、神奈川県出身の日本の編集者、評論家。 横浜市生まれ。1947年横浜専門学校(現・神奈川大学)を卒業。1950年早稲田大学文学部社会学専攻を卒業して実業之日本社に入社。1959年『漫画サンデー』創刊に伴い同誌編集長に就き、漫画集団の漫画家たちと交友した。 1970年に『漫画サンデー』を退いて文芸書出版の拡充事業に携わり、1972年に『週刊小説』創刊を企画し、同誌編集長に就任。同誌の創刊ブレーンは五木寛之、生島治郎、尾崎秀樹、筒井康隆だった。『漫画サンデー』時代の縁で梶山季之、その紹介で柴田錬三郎、黒岩重吾の連載で創刊号を飾った。
金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -201… 金子 量重(かねこ かずしげ、1925年12月7日 -2017年5月20日 )は、日本のアジア民俗学者、図書館情報学者。 神奈川県横浜市に生まれる。1950年に國學院大學文学部史学科を卒業した。同年より新宿のCIE図書館に勤務した。1951年には慶應義塾大学図書館学科を修了する。 1952年から駐日アメリカ合衆国大使館図書館および同広報文化局審議室に勤務した。その後大使館のアメリカン・センターでも勤務し、1977年に退職する。図書館勤務のかたわらアジアの陶器などについて研究した。 このほか、大妻女子大学、東京造形大学などの非常勤講師を務めた。 アジア民族造形文化研究所所長,名誉学術博士。アジア民族造形学会会長。
東久邇 成子(ひがしくに しげこ、1925年〈大正14年〉1… 東久邇 成子(ひがしくに しげこ、1925年〈大正14年〉12月6日 - 1961年〈昭和36年〉7月23日)は、日本の旧皇族。盛厚王の妃。勲等は勲一等。旧名は、成子内親王(しげこないしんのう)、諱は成子(しげこ)、御称号は照宮(てるのみや)、お印は紅梅 (こうばい)。結婚から皇籍離脱前までの名は、盛厚王妃 成子内親王(もりひろおうひ しげこないしんのう)。昭和天皇と香淳皇后の第1皇女子(2男5女のうち第1子)。第126代天皇徳仁、秋篠宮文仁親王、島津禎久は甥、黒田清子(紀宮清子内親王)は姪に当る。また、久宮祐子内親王、鷹司和子、池田厚子、島津貴子は妹に、第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王は弟に当る。
太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 20… 太田 谷山(おおた こくざん、1925年12月6日 - 2011年4月19日)は長野県岡谷市出身。書家、教育者。本名は太田 正二。 雅号の"谷山"は、出身地岡谷市(岡→山と谷)を由縁とする(上條信山)。 長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、中央大学法学部卒業。文部省・東京芸術大学共催高校書道科教員養成長期講座修了。金子鷗亭、上條信山、續木湖山、清水無儘に師事。 1950年から1984年にかけて長野県内高等学校にて社会科・書道科教諭として勤務。多数の役職を務め、県下を中心に書道教育を牽引した。また自身も研鑽に励み、日中友好書道で訪中(1978年)する等、書道による海外交流にも積極的に励んだ。
佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 200… 佐伯 千秋(さえき ちあき、1925年12月6日 - 2009年1月3日)は、日本の少女小説家。児童文学作家。少女小説やジュニア小説で知られる。 広島市出身。本名、薦田千賀子(こもだ・ちかこ)。佐伯は旧姓である。 広島県立広島第一高等女学校から日本女子大学校に進学したが、広島市への原子爆弾投下で両親を失ったのち退学。 作家となってからは西東京市 (旧保谷市)に住んだという。原爆ドーム永久保存を決定した当時の広島市長・浜井信三は義兄に当たる。1955年当時から日本児童文芸家協会会員。 1954年ごろから小学館の雑誌『女学生の友』や『小学〇年生』などの学習雑誌に読み切りの短編小説や小学生向けの読み物を執筆し、1959年「燃えよ黄の花」(『女学生の友』1958年9月号掲載)で第8回小学館児童文化賞を受賞。
大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003… 大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003年12月24日)は、日本の実業家、工学博士。川崎重工業社長、会長を務めた。 静岡県掛川市出身。1948年に大阪大学工学部を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。在任中は、工場の統廃合や品質保証運動をなどを進めていくことで、経営基盤を再建し、創業100周年の年である1996年には売上高1兆円を達成した。1996年6月には会長も兼任し、1997年6月に会長に専任し、2000年6月に相談役名誉会長を経て、2001年6月には相談役に就任。
小林 正巳(こばやし まさみ、1925年12月6日 - 没年… 小林 正巳(こばやし まさみ、1925年12月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。文化放送社長、会長を務めた。宮城県出身。 1948年に大東文化学院専門学校東洋文学科を卒業。 旺文社での勤務を経て、1982年6月に文化放送副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格。1992年6月から1997年6月までに会長を務めた。
菊池 誠(きくち まこと、1925年12月6日 - 2012… 菊池 誠(きくち まこと、1925年12月6日 - 2012年11月6日)は、日本の物理学者。 東京出身。長年にわたって電気試験所を拠点に、トランジスタ、半導体など戦後日本のエレクトロニクスの基礎研究をリードした。本来の研究のほかにも多数のエッセイを著している。父の菊池豊三郎は文部次官や横浜市立大学学長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:物理学/Portal:物理学)。
望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2… 望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2003年4月5日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 東京府生まれ。松本高等学校文科甲類を経て、1950年9月東京大学仏文科卒。1956年ころから中央大学に勤務し、教授を1996年まで務めた。ル・クレジオの研究・翻訳で知られるが、ジャプリゾなどの推理小説も訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月… 野坂 恒如(のさか つねゆき、1925年〈大正14年〉12月6日 - 1989年〈平成元年〉3月6日)は、日本のジャズ評論家。レコードコレクター。新潟県職員として定年まで務めた。 東京府東京市麹町区で生まれる。弟は作家の野坂昭如。 父・相如の後妻・笑子は活動弁士西村楽天の長女。その影響で頻繁に寄席に通い、一時は落語家を目指す。 1945年〈昭和20年〉東京農業大学専門部緑地土木科卒業。新潟県緑地部に土木技師として務める。 昭和30年代からジャズ評論、新潟県へのアーティスト招聘活動をはじめる。毎月50〜70枚のレコードを買い続け、ジャズ同好会「ニイガタ・ジャズ・フレンズ・アソシエイション」を発足すると、会員に輸入レコードを市価の3割引価格で斡旋。
石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 199… 石川 誠(いしかわ まこと、1925年12月6日 - 1992年2月24日)は、日本の内科医。専門は消化器病学、特に消化吸収。医学博士。 東京出身。第一高等学校 (旧制)から、東北大学医学部卒業。1950年、同大医学部内科教室(教授 黒川利雄)に入局。1953-1958年、フルブライト留学生として米国留学。1970年、東北大学医学部助教授。1974年、山形大学医学部教授(内科学第二講座初代教授)。1980年、同大大学病院院長。退官後、寒河江市立病院院長を務めた。1992年2月24日、腹部大動脈瘤破裂のため死去。66歳没。 日本消化器病学会会長、日本胃集団検診学会会長、日本内科学会・日本消化器内視鏡学会・日本消化器集団検診学会・日本臨床栄養学会などの評議員、厚生省特定疾患「消化吸収障害調査研究班」班長などを歴任。
武田 恒夫(たけだ つねお、1925年〈大正14年〉12月5… 武田 恒夫(たけだ つねお、1925年〈大正14年〉12月5日 - 2021年〈令和3年〉9月4日)は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授、大手前大学名誉教授。専門は日本絵画史。 1925年、京都府で生まれた。京都大学文学部哲学科で学び、1951年に卒業。 1962年、京都国立博物館学芸科技官に採用された。1967年より同室長。 1974年、大阪大学文学部教授に就任。1983年、学位論文『近世初期障屏画の研究』を大阪大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年に大阪大学を退任し、名誉教授となった。同年4月からは大手前女子大学文学部教授として教鞭をとった。2003年、日本学士院会員に選出された。 2021年9月4日、老衰のため死去。
池田 道夫(いけだ みちお、1925年12月5日 - 202… 池田 道夫(いけだ みちお、1925年12月5日 - 2022年9月1日)は、京都府出身の日本画家。日本美術展覧会(日展)の評議員。父は文化勲章受章者の日本画家・池田遙邨。長男は日展会員(洋画)の池田良則。 京都府出身。京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)卒業。日展を中心に活動した。岡山大学非常勤講師も務めた。 父・遙邨が主宰した日本画画塾・青塔社を没後に引き継ぎ、主幹として後進の指導にあたった。 2022年9月1日、老衰のため京都市左京区の自宅で死去、96歳。
渡辺 守順(わたなべ もりみち/しゅじゅん、1925年12月… 渡辺 守順(わたなべ もりみち/しゅじゅん、1925年12月5日 - )は、日本の仏教史学者、国文学者、叡山学院名誉教授。姓は旧字体で渡邊とも書かれる。 滋賀県出身。大正大学文学部国文科卒業。滋賀県立彦根東高等学校教諭、滋賀県立能登川高等学校教諭、滋賀県立東大津高等学校教諭、四天王寺国際仏教大学教授、叡山学院教授。2002年名誉教授。
佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 201… 佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 2010年6月15日)は、日本の医師。 大阪府堺市生まれ。1951年大阪大学医学部卒、56年医学博士。大阪大学医学部耳鼻咽喉科講師、1975年熊本大学教授、1979年大阪府立成人病センターに移り、院長を務め、のち名誉総長。喉頭がんが専門で、近藤誠の「がんもどき」理論を批判した。
寺岡 真三(てらおか しんぞう、1925年(大正14年)12… 寺岡 真三(てらおか しんぞう、1925年(大正14年)12月4日 ‐ 2007年(平成19年)8月26日)は昭和期の作曲家、編曲家。本名寺田 常三郎。 京都府京都市出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1952年以後に、ビクターレコード専属作曲家となる。 1953年10月から59年4月まで文化放送で放送された『素人ジャズのど自慢』ではピアノを担当。 第2回日本レコード大賞大賞の「君恋し」(フランク永井)や、第6回日本レコード大賞編曲賞の「お座敷小唄」(松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)、第11回日本レコード大賞編曲賞の「悲しみは駈け足でやってくる」(アン真理子)、ほか青江三奈の「恍惚のブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」など大ヒットの編曲を数々手掛けた。
10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4… 10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4日-1983年5月25日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1977年11月〜1983年5月。立浪部屋所属。 長野県佐久市出身。本名は関口清三郎。 ヒゲの19代式守伊之助の弟子。27代木村庄之助は兄弟子、31代木村庄之助は弟弟子にあたる。1936年小学5年生の時に行司見習いとして春日山部屋に入門。 1937年夏場所に式守政吉の名で初土俵。のち政臣と改名し、1952年1月に十両格昇格、式守清三郎と改名。1958年7月に幕内格昇格。1969年3月に10代式守与太夫襲名。1974年1月に行司抜擢制度にて、序列1つ上の木村筆之助と序列が入れ替わり幕内格筆頭に昇進したが、同時に与太夫をも抜いて先に三役格に昇格したのは、与太夫より序列が2つ下だった8代式守錦太夫である。
遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1… 遠山 直道(とおやま なおみち、1925年12月3日 - 1973年3月5日)は、東京府出身の実業家、サッカー選手。ダヴィッド社社長、日興證券(現:SMBC日興証券)副社長、日本出版クラブ評議員を歴任した。 日興證券創業者の遠山元一の三男。旧制府立高校時代よりサッカー選手としてプレーし、1944年に東京帝国大学経済学部に入学した。なお、入学当初は太平洋戦争中でサッカーを禁止されていた時期であり、ア式蹴球部(サッカー部)の活動は出来ない有様であったが、戦後ア式蹴球部を復活させて主将も務めた。なお、遠山は兵役は免れたとされる。1946年5月に開催された復興第1回全日本サッカー選手権大会で東大LBの一員として優勝した。
石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12… 石坂 公成(いしざか きみしげ、1925年〈大正14年〉12月3日 - 2018年〈平成30年〉7月6日)は、日本の免疫学者。医学博士。ラホイヤ・アレルギー免疫研究所名誉所長。位階は従三位勲一等瑞宝章。文化勲章受章者。IgE抗体の発見者として知られる。 東京府生まれ。父は陸軍少将の石坂弘毅。叔父は元経団連会長石坂泰三。府立二中、旧制成蹊高等学校を経て、1948年、東京大学医学部卒業。 国立予防衛生研究所免疫血清室長、小児喘息研究所(デンバー)免疫部長、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部教授(京都大学医学部教授兼任)、 ラホイヤ・アレルギー免疫研究所所長、カリフォルニア大学内科教授、米国免疫学会会長等歴任。
由美 あづさ(ゆみ あづさ、本名:深江淑子、旧名:佐知子、1… 由美 あづさ(ゆみ あづさ、本名:深江淑子、旧名:佐知子、1925年12月3日 - 2002年8月13日)は、元宝塚歌劇団の女優。兵庫県神戸市出身。梅花高等女学校(現・梅花中学校・高等学校)出身。宝塚歌劇団時代の愛称はチヤセン。
27代 木村 庄之助(にじゅうななだい きむら しょうのすけ… 27代 木村 庄之助(にじゅうななだい きむら しょうのすけ、1925年(大正14年)12月3日 - 2023年(令和5年)6月22日)は、大相撲の立行司の一人である。木村庄之助としての在位期間は1977年11月〜1990年11月。立浪部屋所属。本名:熊谷 宗吉(くまがい そうきち)、岩手県盛岡市出身。 1935年の夏に「ひげの伊之助」こと19代式守伊之助(当時は8代木村庄三郎)にスカウトされ、そのまま弟子入り。弟弟子に10代式守与太夫(元三役格)、31代木村庄之助がいた。1936年1月場所、「木村宗吉」の名で初土俵。幕下格時代1947年11月に4代木村玉治郎を襲名。1950年9月に十両格。1956年5月に幕内格。
谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 20… 谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄。弟に日本エディタースクール創設者の吉田公彦。 熊本県水俣市生まれ。水俣小学校、熊本県立熊本中学校(現:熊本県立熊本高等学校)、大阪府立浪速高等学校を経て、1945年、京都帝国大学文学部史学科に進学。兵役を挟んで、1948年9月卒業。同年京都大学大学院に入学し、その旁ら京都府立亀岡高等学校、京都府立洛北高等学校で教鞭も執る。 1952年11月に名古屋大学文学部助手(主任:宇都宮清吉)。1954年6月、京都大学大学院を退学する。名古屋大学文学部助教授を経て、1972年、名古屋大学文学部教授。
大木 健(おおき たけし、1925年〈大正14年〉12月2日… 大木 健(おおき たけし、1925年〈大正14年〉12月2日 - 1990年〈平成2年〉7月13日)は、日本のフランス文学者。 東京生まれ。東京高等学校(旧制)卒、新潟医科大学中退。1950年東京大学文学部仏文科卒、東北大学助手、1952年教養部講師、1962年助教授、1969年教授、1969年「シモーヌ・ヴェイユにおける不幸の意味に関する研究」で東北大学文学博士。1989年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授。
針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 20… 針生 一郎(はりう いちろう、1925年12月1日 - 2010年5月26日)は、日本の美術評論家、文芸評論家。和光大学名誉教授。映画プロデューサー針生宏は弟。 宮城県仙台市生まれ。旧制第二高等学校卒業、東北大学文学部卒業。東京大学大学院で美学を学ぶ。 大学院在学中、岡本太郎、花田清輝、安部公房らの「夜の会」に参加。1953年、軍国少年だったことへの反省から日本共産党に入党したが、1961年、60年安保闘争時の時の共産党の指導方針を批判して除名される。 反権威的な美術評論・文芸評論で活躍、日本藝術院批判の急先鋒でもあった。1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。1970年の大阪万博に反対。
深谷憲一(ふかや けんいち、1925年12月1日 - 201… 深谷憲一(ふかや けんいち、1925年12月1日 - 2015年3月23日)は日本のジャーナリスト、エッセイスト。 茨城県出身。東京大学卒業後、日本経済新聞社に入社、文化部長をへて東京12チャンネル(現テレビ東京)常務となる。また、日本エッセイスト・クラブの幹部として日本エッセイスト・クラブ賞の選考委員も長くつとめた。 9世紀の僧、円仁の『入唐求法巡礼行記』の口語全訳(中公文庫、1990年)をなしとげた。 2015年3月23日、肺炎のため死去。89歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
蓼丸 博文(たでまる ひろふみ、1925年〈大正14年〉12… 蓼丸 博文(たでまる ひろふみ、1925年〈大正14年〉12月 - )は、日本の教育者、文部省職員。 国立オリンピック記念青少年総合センター元次長。国立吉備少年自然の家(現:国立吉備青少年自然の家)初代所長。福山大学元学務局長。 広島県出身。福山市在住。1951年(昭和26年)広島文理科大学を卒業し、シカゴ大学大学院に留学。1961年(昭和36年)7月、日本ユネスコ国内委員会事務局に勤務。1963年(昭和38年)4月、日本ユネスコ国内委員会科学課社会科学係長。 1966年(昭和41年)6月、名古屋大学学生課長。1967年(昭和42年)10月、文化庁国際文化課専門員。1969年(昭和44年)4月、文化庁芸術課長補佐。
曽我 祐次(そが ゆうじ、1925年12月 - 2019年4… 曽我 祐次(そが ゆうじ、1925年12月 - 2019年4月18日)は、社会民主党品川支部顧問。元日本社会党副書記長。非議員。派閥は社会主義研究会に所属。
秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11… 秋本 衛久(あきもと もりひさ、1925年〈大正14年〉11月30日 - 1999年〈平成11年〉11月26日)は、日本の政治家。白井町長、白井町議会議長、白井町議会・白井村議会議員(5期)。位階は従五位。 白井町生まれ。千葉県立印旛実業学校(現・千葉県立印旛明誠高等学校)卒業。1963年(昭和38年)4月から1980年(昭和55年)11月まで、白井村・白井町議会議員を務めた。この間、議長も務めた。また、同年12月から1996年(平成8年)11月まで第3代白井町長を務めた。
今成 元昭(いまなり げんしょう、1925年11月30日 -… 今成 元昭(いまなり げんしょう、1925年11月30日 - 2020年1月10日)は、日本文学者、立正大学名誉教授、日蓮宗勧学院勧学職、立正大学常任理事などを歴任した。息子今成元信(1959年生)も僧侶で、高校教師である。 専攻は仏教文学、軍記物語、説話文学。平家物語を中心とした軍記物語研究で多くの著作がある。国文学者であり宗門僧侶として日蓮研究も著した。 東京生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。1951年早稲田大学大学院(旧制)修了。国士舘大学助教授、教授、1980年立正大学教授、1983年11月「平家物語流伝考」で早大文学博士。2005年11月29日、自身の満80歳の誕生日を機に今成組組頭を勇退。
山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月… 山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月28日 - 2013年〈平成25年〉8月18日)は、日本の実業家で、三代目ヤンマー(現・ヤンマーホールディングス)社長。ヤンマーグループを発展させ、中興の祖と評される。1963年から約35年間、社長を務めた。2010年から名誉会長。 1925年(大正14年)11月、山岡孫吉の次男として兵庫県に生まれる。1943年(昭和18年)旧制甲陽中学校卒(現在の甲陽学院中学校・高等学校、22回卒)、1948年(昭和23年)3月に早稲田大学理工学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院留学を経て、1953年(昭和28年)2月、ヤンマーディーゼル株式会社(当時)に入社した。
鈴木 義雄(すずき よしお、1925年(大正14年)11月2… 鈴木 義雄(すずき よしお、1925年(大正14年)11月28日 - 2021年(令和3年)5月12日)は、日本の実業家である。株式会社鈴屋の社長や会長のほか、日本専門店協会会長などを歴任した。 紳士服を扱う東京市下谷の被服店「鈴木シャツ被服店」を経営する鈴木房吉の長男として生まれた。姉は後に呉服店「鈴乃屋」を創業した小泉清子である。 1950年(昭和25年)、慶應義塾大学経済学部を卒業し、伊藤萬東京店貿易部に勤務した。 1954年(昭和29年)になると生家である鈴木シャツ被服店に移った。専務として同店に就任した義雄は、それまで紳士服店だった鈴木シャツ被服店を婦人服専門店とするとともに、21〜22歳の独身女性を主な対象とするブランド「SUZUYA(スズヤ)」を始めた。
藤井 昇(ふじい のぼる、1925年(大正14年)11月28… 藤井 昇(ふじい のぼる、1925年(大正14年)11月28日 - 2003年(平成15年)4月12日)は、日本のラテン文学者。 1925年、東京府東京市芝区(現在の東京都港区)高輪に生まれる。妻妾同居の家庭で妾に育てられ、実母を慕う。 1942年、横浜ハリストス正教会で日本正教会の小野帰一主教により受洗。聖名はマトフェイ。1943年、慶應義塾普通部4年を修了、慶應義塾大学予科に進学。しかし戦局の悪化により、1944年、三重県第一気象連隊に入隊。戦後復学し、1948年に慶應義塾大学文学部英文科を卒業。卒業後は助手となる。その後、商学部助教授、1966年より教授、1974年より同言語文化研究所教授。
葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 -… 葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 - 2014年4月30日)は、実業家、映画館経営者、映画・演劇プロデューサー。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の主要な映画館「アートシアター新宿文化」総支配人として、また、ATG映画の製作者として知られる。妻は村井志摩子。 三重県伊勢市生まれ。1951年、早稲田大学文学部芸術学科卒業後、三和興行に入社。 1961年の日本アート・シアター・ギルド創設に参加。1962年には、三和翼下で、ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」が設立され総支配人に。1963年からは、映画だけではなく、前衛演劇も上演するようになる。1967年には映画館の地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。
鎮目 恭夫(しずめ やすお、1925年11月27日 - 20… 鎮目 恭夫(しずめ やすお、1925年11月27日 - 2011年7月28日)は、日本の物理学者、評論家。 東京市(現新宿区)生まれ。鎮目和夫の弟。1947年東京帝国大学理学部物理学科卒業。科学思想史専攻、科学評論家。特にノーバート・ウィーナーを翻訳・紹介し、また人生論的な評論も執筆する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中島 篤之助(なかじま とくのすけ、1925年11月27日-… 中島 篤之助(なかじま とくのすけ、1925年11月27日-2010年)は、日本の科学者。専攻は、原子力、核燃料、炉材料、分光化学。 中国・上海生まれ。1949年、東京大学理学部化学科卒業。工業技術院、東京工業試験所(現・産業技術総合研究所)。1956-1983年、日本原子力研究所東海研究所勤務。その後、中央大学商学部教授。 1962年 東京大学より理学博士。論文の題は「新しく設計した発光分光分析用万能発光装置について」。 1972-1985年、日本学術会議会員。原子力エネルギー特別委員会幹事、日本科学者会議原子力問題研究委員会委員長、非核の政府を求める会常任世話人等を歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
近江 榮(おうみ さかえ、1925年11月27日 - 200… 近江 榮(おうみ さかえ、1925年11月27日 - 2005年1月31日)は、日本の建築史家。工学博士(論文博士・1970年)。日本大学理工学部名誉教授。東京生まれ。 1950年日本大学旧工学部(現理工学部)建築学科卒業後、阿部允建築設計研究室で設計業務を行うが1951年退社、同年日本大学旧工学部建築史研究室の助手となる。 1954年からは山脇学園短期大学で住居学の、1966年からは千葉工業大学、1985年からは武蔵野美術大学大学院で近代建築史非常勤講師を務める。1970年工学博士。同年日本大学理工学部教授。1990年から日本大学総合科学研究所教授。1996年から日本大学名誉教授。 1986年から2年間、日本建築学会副会長を務めるほか、学会の監事や総務理事、委員会の理事や幹事、文化賞の選考委員も歴任し、また合唱部を創設。
横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - … 横山 十四男(よこやま としお、1925年11月26日 - 2019年)は、日本の郷土史家、環境運動家。ラテンアメリカ美術史家の横山和加子は娘。 長野県上田市仁古田生まれ。1943年、旧制上田中学校(長野県上田高等学校)卒業、陸軍経理学校入学。1945年、敗戦により同校は解散、東京高等師範学校文科に転入。1947年、東京文理科大学国史学科入学。1950年、同学科卒業。1950年、横浜市立港高校(定時制)教諭。1956年、東京教育大学附属中学校(現・筑波大学附属中学校)教諭。1980年、筑波大学助教授。1984年「義民伝承の研究」で筑波大学文学博士。1985年、筑波大学教授。1989年、定年退官、東京家政学院大学教授。
馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015… 馬場 昇(ばば のぼる、1925年11月26日 - 2015年6月15日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党書記長を歴任。 熊本県葦北郡湯浦町(現在の芦北町)に生まれる。熊本高等工業学校(現・熊本大学工学部)卒業。1947年、教職に就き、教員組合・教職員組合に加入。1951年頃より専従職員。1952年には熊本県高教組初代副委員長。1953年には日教組中央執行副委員長。1961年には熊本県総評副議長、1967年には同・議長。 1972年12月、第33回衆院選で旧熊本2区において日本社会党から出馬し初当選。 1980年6月には当選3回以下の議員を中心に53名で中間左派の党内派閥日本社会党新生研究会を結成し、当時当選4回の馬場は代表委員に就任。
岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - … 岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - 2001年9月23日)は、日本の俳人。号に、槐、槐庵、槐散人など。 三重県度会郡生まれ。大阪大学医学部卒業。内科医のかたわら句作をはじめ、加藤楸邨および森澄雄に師事。1968年、「寒雷」に入会、1970年、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、宇佐美魚目、大峯あきららと俳誌「晨」を創刊し、二人とともに代表同人。1991年、「槐」を創刊、主宰。 代表句に、宇治市・三室戸寺参道の句碑に刻まれた「あぢさゐの色をあつめて虚空とす」(句集『鯨と犀』所収)などがある。門下に、児玉輝代、菅原鬨也、小山森生、山西雅子、加藤かな文、吉野裕之などがいる。
合田 健(ごうだ たけし、1925年11月26日 - 200… 合田 健(ごうだ たけし、1925年11月26日 - 2003年7月7日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。専門は衛生工学、水質工学、水質保全。工学博士(京都大学、1956年)。兵庫県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
江頭 光(えがしら こう、1925年11月26日 - 200… 江頭 光(えがしら こう、1925年11月26日 - 2009年11月28日)は、日本の新聞記者、著作者。 学徒出陣後、1948年國學院大學国文学科卒。同年西日本新聞入社。社会部次長、福岡市都市圏部長、文化部長などを歴任。1993年第18回福岡市文化賞(地域史部門)受賞。1982年~1998年福岡市社会教育委員長。地元の行事を温かく的確に報道し「博多記者」と称された。博多の行事を「国学の視点」でとらえ直したからこそ、著作は今も新鮮だ、と評された。博多に関する著書を現役記者時代から退職後まで多数刊行。没後においても2011年に「博多ことば」が海鳥社から新装再刊された。 1.^ 朝日新聞 2009年11月30日西部版訃報欄 2.^ 江頭 光 『博多ことば』著者略歴 海鳥社 2011年 194頁 3.^ 西日本新聞 2009年12月5日都市圏版
荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2… 荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2002年11月10日、76歳没)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。中山伊知郎門下で専門はマクロ経済学。1974年から1975年まで日本経済学会会長。 今上天皇の学生時代の個人教授としても知られる。 荒ゼミナール出身者としては、時子山和彦(元一橋大学教授)、鈴村興太郎(一橋大学名誉教授・文化功労者・日本学士院会員・元日本経済学会会長・紫綬褒章受章者・日本学士院賞受賞者)、美濃口武雄(一橋大学名誉教授)、伊藤隆敏(一橋大学名誉教授、東京大学名誉教授、元日本経済学会会長、紫綬褒章受章者、コロンビア大学教授)、矢吹雄平(元岡山大学教授)、高橋はるみ(参議院議員)(元北海道知事)、新田八朗(富山県知事)、金田勝年(元法務大臣、外務副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、田中正昭(元東京国税局長)、吹野博志(元デルコンピュータ会長)、西條辰義(元一橋大学教授)、山﨑和之(国連大使、元外務審議官)、浅田統一郎(中央大学教授)、戸田学(早稲田大学教授)、鴇田忠彦(東京都立大学名誉教授)、田村紀之(東京都立大学名誉教授)、楠本捷一朗(筑波大学名誉教授)、篠塚友一(筑波大学教授)、皆川正(名古屋大学名誉教授)、武隈慎一(一橋大学名誉教授)、山崎昭(一橋大学名誉教授)、丸山雅祥(神戸大学名誉教授)、小栗誠治(滋賀大学名誉教授)、杉田定大(元経済産業省大臣官房審議官、元東京工業大学特任教授)、矢野康治(元財務事務次官)、瀧本徹(元観光庁観光地域振興部長)などがいる。
甲斐 道太郎(かい みちたろう、1925年(大正14年)11… 甲斐 道太郎(かい みちたろう、1925年(大正14年)11月25日 - )は、日本の法学者。専門は、法社会学・民法。大阪市立大学名誉教授。 鹿児島県出身。イギリスが資本主義成立の先進国とされるのに対し、イギリスより後進国とされたドイツの法律が近代的法律のモデルとして引き合いに出されることに疑問を持ち英国土地制度史から土地所有権の研究を始める。法解釈論争、判例論争にも関わりその際「戦後の法律学は科学性に対するせつないまでの憧憬を示している」と主張し、論争相手でもあった星野英一に名言と言わしめた。 関西水俣病訴訟、大阪空港訴訟、サラ金問題などにも積極的に取り組む。また、法社会学者として司法書士の地位向上に関する研究も行う。
今井 雄五郎(いまい ゆうごろう、1925年11月25日 -… 今井 雄五郎(いまい ゆうごろう、1925年11月25日 - 1996年5月28日)は、日本のテレビドラマ監督。群馬県高崎市(旧・吉井町)出身。日本大学芸術学部卒業。 妻は女優久我美子の妹・ます江/ます江子。
成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし、1925年(大正14年)1… 成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし、1925年(大正14年)11月25日 - 2004年(平成16年)12月14日)は、俳人。本名・冨造。 岐阜県岩村町に生まれる。旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)卒。 1940年より句作、水原秋櫻子の「馬酔木」、加藤楸邨の「寒雷」に投句。1946年「春燈」創刊に参加、久保田万太郎に師事。1963年に万太郎が死亡、以後安住敦に師事する。1988年、安住敦の死により「春燈」主宰を継承。句集に『風色』『素心』など。1973年、句集『風色』により第13回俳人協会賞、1996年『久保田万太郎の俳句』(ふらんす堂/新版・講談社文芸文庫)で俳人協会評論賞を受賞。編著『こでまり抄 久保田万太郎句集』(ふらんす堂)も刊行。
生方 良雄(うぶかた よしお、1925年11月24日 - 2… 生方 良雄(うぶかた よしお、1925年11月24日 - 2021年6月19日 )は、日本の鉄道研究家。小田急電鉄で車両部長や運輸計画部長などを歴任した。 東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)で生まれる。1929年、4歳の時に世田谷区経堂町に転居、その後、父親の仕事の関係で1934年から1940年までは中国東北部(満洲)の奉天市(現・瀋陽市)に移住するが、それ以外は一貫して経堂に在住している。日本大学理工学部機械科在学中には、日大鉄道研究会の発足に関わったほか、高松吉太郎が関わっていた東京鉄道同好会にも参加している。 1948年に日本大学を卒業し、東京急行電鉄(大東急)に入社。国鉄への就職も考えていたが、当時の国鉄は運輸省直轄で、港湾や気象庁に配属されることもあると聞き、地元の東急に決めたという。
横山 修二(よこやま しゅうじ、1925年(大正14年)11… 横山 修二(よこやま しゅうじ、1925年(大正14年)11月23日 - 2018年(平成30年)5月6日)は、日本の実業家、馬主。株式会社大京創業者であり、同社初代社長・会長を務めた。東京都出身。 東京都生まれ。麹町小学校 - 芝浦高等工学校卒業。戦後はシベリアに抑留されるが、1949年(昭和24年)にようやく帰国。 田辺工機で勤務などを経て、1960年(昭和35年)に大京商事、1964年(昭和39年)には大京観光を相次いで創業し、同社社長に就任した。 ライオンズマンションの名称で高層住宅の建設及び分譲により業績を伸ばした。 1997年(平成9年)には同社会長に就任し、その他、社団法人住宅産業開発協会(現・社団法人日本住宅建設産業協会)会長や第6代日本体操協会会長などを歴任した。
中島 一(なかじま はじむ、1925年(大正14年)11月2… 中島 一(なかじま はじむ、1925年(大正14年)11月22日 - 2012年(平成24年)6月11日)は、日本の政治家。彦根市長(3期)。 滋賀県守山市出身。旧制名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)建築科卒業。旧建設省技官、滋賀県庁を経て、愛知工業大学教授に就任。 1993年(平成5年)に彦根市長選挙に立候補して、現職の獅山向洋、共産党の新人を破って初当選。 ※当日有権者数:72,781人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 市長選に立候補して、無所属の新人、元職となった獅山、共産党の新人を破って再選を果たした。 ※当日有権者数:77,223人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 市長選に立候補して、大久保貴ら無所属新人2人と共産党の新人1人を破って3選を果たした。
源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2… 源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2020年3月30日)は、日本のドイツ文学者、専修大学名誉教授。中学校の社会科教員(勤務校:箕面市立第一中学校など)も務めた[要出典]。 島根県に生まれる。学徒出陣し、復員後京都帝国大学文学部哲学科を経て、同大学院(旧制)を修了する。[要出典] 専修大学文学部助教授を経て、経済学部教授に就任し、1996年に定年で退職、名誉教授となる。 この間、私生活では妻が胃癌を発症、その病床生活を綴った『青い水底で眠りたい ガン患者の病床覚書』を(共著として)1990年に刊行している。 2020年3月30日に死去(満94歳没)。