榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 20… 榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 2012年3月14日)は、東京都中野区出身のプロ野球選手(一塁手)。
1936年(昭和11年)生まれ:1,204人
榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 20… 榎本 喜八(えのもと きはち、1936年12月5日 - 2012年3月14日)は、東京都中野区出身のプロ野球選手(一塁手)。
徳丸 吉彦(とくまる よしひこ、1936年12月5日 - )… 徳丸 吉彦(とくまる よしひこ、1936年12月5日 - )は、日本の音楽学者。お茶の水女子大学名誉教授、聖徳大学教授、放送大学客員教授。民族音楽、音楽記号学、幼児教育などが専門。 1936年、東京府で生まれた。東京大学文学部美学科、同大学美学藝術学大学院修士課程を修了。フランス・ラヴァール大学(フランス語版、英語版)に留学し、博士号を取得した。 国立音楽大学助教授の後、お茶の水女子大学教授に就いた。お茶の水女子大学を退任後、名誉教授となった。2004年より放送大学教授、2015年より聖徳大学音楽学部音楽総合学科作曲・音楽研究コース教授。 音楽学のうち、専門は民族音楽学。
林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日… 林 典夫(はやし のりお、1936年12月4日 - )は、日本の医師、生化学者。東北大学名誉教授。医学博士(東北大学)。 1936年、千葉県生まれ。本籍地、静岡県。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。1961年、東北大学医学部医学科卒業。1966年、東北大学大学院医学研究科生理系専攻博士課程修了。 1966年、日本学術振興会奨励研究員。1967年、東北大学医学部医化学第一講座助手。1971年、ノースウェスタン大学客員助教授(1973年年7月まで)。1973年年8月、東北大学医学部医化学第一講座講師。1977年2月、東北大学医学部医化学第一講座助教授。1985年8月、東北大学医学部医化学第二講座教授。
高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は… 高城 丈二(たかぎ じょうじ、1936年12月3日 - )は、日本の元俳優・元歌手。本名・清水嘉美(しみず よしみ)。 大阪府豊中市出身。大阪府立北野高等学校卒業。デビュー当時の芸名は若杉 啓二(わかすぎ けいじ)。その風貌から和製ジュリアン・ソレルと称された。その後輸血によって肝炎を患い、闘病生活を余儀なくされた事により、俳優業を自ら退いた。その後は実業家に転じている。
川淵 三郎(かわぶち さぶろう、1936年12月3日 - )… 川淵 三郎(かわぶち さぶろう、1936年12月3日 - )は、日本の元サッカー選手、元日本代表監督。大阪府泉北郡高石町(現在の高石市)出身。Jリーグ初代チェアマンを経て、第10代日本サッカー協会 (JFA) 会長を務めた。 会長退任後は日本サッカー協会の名誉職を歴任しており、名誉会長を経て、2012年6月より最高顧問、2020年6月15日時点では相談役である。日本トップリーグ連携機構代表理事会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員会議長。2020年東京オリンピック選手村村長。日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー。ジャパンサイクルリーグ名誉顧問。一般社団法人Mリーグ機構最高顧問。
勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日… 勝田 茂(かつた しげる、1936年12月2日 - )は、日本の医学者。医学博士(九州大学)。筑波大学名誉教授。東亜大学大学院名誉教授。専門はスポーツ科学、環境生理学、運動生理学(特に体力医学・栄養生理学)。研究テーマは骨格筋線維の可塑性、超高齢エリートアスリートの身体機能とパフォーマンスなど。日本体育学会副会長。 日本体力医学会理事、評議会会長。 日本バイオメカニクス学会監事。日本運動生理学会理事。秩父宮記念スポーツ医・科学賞受賞(2020年)。 スポーツ医科学分野における研究者であると同時に自身もアスリートであり、80歳を超えてもなおテニスプレーヤーとして活動している。高校・大学時代はレスリングや柔道に没頭していたが、30歳を超えてからセカンドスポーツとしてテニスを始めた。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年〈昭和11年〉12月2日 - )は、日本の俳優。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。 千葉県東葛飾郡松戸町(現︰松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。 俳優座養成所を経て、1959年に文学座に入団。 1960年、岡本喜八監督作品の『大学の山賊たち』で映画デビュー。 1963年、劇団雲結成に参加し、1975年の劇団雲分裂を機にフリーになる。 1963年、黒澤明監督作品のサスペンス映画『天国と地獄』で誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ、一躍注目を浴びる。この年、前年のNHKドラマ『アラスカ物語』 での共演がきっかけで交際していた元・宝塚歌劇団星組の黛ひかると結婚。
山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2… 山﨑 努(やまざき つとむ、1936年(昭和11年)12月2日 - )は、日本の俳優・ナレーター。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。東京都立上野高等学校卒業。妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかる。娘は山崎直子。
寺島 達夫(てらしま たつお、1936年12月2日 - 19… 寺島 達夫(てらしま たつお、1936年12月2日 - 1997年9月12日)は、日本の俳優。元東映フライヤーズ投手。東京都世田谷区出身。海城高等学校卒業。本名ならびに選手時代の登録名は寺島 達(てらしま とおる)。
久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日… 久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日本の俳優。本名は山内 康儀()。東京都江東区出身。立教大学文学部卒業。俳優・歌手の山内賢は実弟。 通っていた小学校で演劇が盛んだったことから、教師の勧めで舞台のオーディションを受けて合格。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の舞台版に子役として出演。中学時代も映画撮影所が近所に多かったことから、教育映画などにも出演。 劇団創作座、劇団薔薇座を経て、1948年に松竹と契約。『鐘の鳴る丘』の映画版でスクリーンデビュー。 1952年、東宝専属となり、『思春期』で本格的に映画俳優の活動を開始。本名での出演だったが、その後は同作品で演じた役名にちなんで「久保明」と改名。
喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )… 喜多尾 道冬(きたお みちふゆ、1936年12月1日 - )は、日本のドイツ文学者、音楽評論家。中央大学名誉教授。 和歌山県出身。1955年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学文理学部独文科卒業。1962年、東京大学大学院修士課程修了。静岡大学講師、助教授、東京教育大学助教授、中央大学経済学部助教授、教授。2007年、定年退職。中央大学名誉教授。1990年ごろから『レコード芸術』などに音楽評論を執筆。クラシック音楽関係の翻訳多数。
仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - … 仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - 2022年1月21日)は、日本の政治家。元沖縄県沖縄市長(2期)。 沖縄県中頭郡越来村(のちコザ市、現・沖縄市)胡屋出身。沖縄国際大学卒。コザ市役所に入り、沖縄市財政課長、企画部参事、総務、福祉、企画、建設の各部長、東部海浜開発局長を経て、1998年の沖縄市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。2002年に再選。沖縄市長を2期務め、2006年に退任した。2022年1月21日、老衰のため、うるま市内の施設で死去した。85歳没。死没日を持て正六位に叙された。
長友 貫太郎(ながとも かんたろう、1936年12月1日 -… 長友 貫太郎(ながとも かんたろう、1936年12月1日 - )は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。 宮崎県出身。1959年に中央大学法学部政治学科を卒業し、同年に日向日日新聞社(のちの宮崎日日新聞)に入社した。1982年7月に取締役に就任し、1992年6月に常務を経て、1998年6月には社長に就任。2006年6月には会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )… 橋本 一郎(はしもと いちろう、1936年12月1日 - )は、日本の元編集者・文筆家。 朝日ソノラマ時代は『鉄腕アトム』『オバケのQ太郎』『エイトマン』『鉄人28号』等、多くのソノシートを企画しヒットさせた。また「サンコミックス」を立ち上げ、水木しげる、石森章太郎、桑田次郎、永島慎二、水野英子などのヒット作を多く手掛けた。 福島県郡山市出身。祖父は郡山市内に縫製工場を構え一代で財を成した。 橋本自身は同志社大学文学部に進み、1959年に卒業した。就職浪人を経て1961年、朝日ソノラマに入社する。 当時の「月刊朝日ソノラマ」は時事色が強く売り上げが低迷していた。企画を模索していた橋本はジョン・F・ケネディ(アメリカ合衆国大統領)の演説に目をつけ音盤化。
玉堀 為彦(たまほり ためひこ、1936年 <昭和11年> … 玉堀 為彦(たまほり ためひこ、1936年 <昭和11年> 12月1日 - )は、日本の経営者。東燃ゼネラル石油社長を務めた。 北海道出身。1959年に北海道大学工学部応用化学学科を経て、1961年に北海道大学大学院工学部修士課程を修了し、同年4月に東亜燃料工業に入社。1986年4月に取締役に就任し、1989年3月に常務を経て、1994年3月には社長に就任。2000年7月から2001年3月までに東燃ゼネラル石油社長を務めた。
松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 200… 松本 市壽(まつもと いちじゅ、1936年12月 - 2009年7月23日)は、日本の文筆家。書籍編集者。 鳥取県生まれ。日本大学法学部新聞学科卒業。 大学卒業後出版社に勤務し、40年間書籍編集、20年間は良寛研究を中心の編集を主とする。 全国良寛会常任理事、東京良寛会副会長、神田川芭蕉の会理事。 2009年7月23日、心筋梗塞のため死去。
山田 史生(やまだ ふみお、1936年12月 - 2013年… 山田 史生(やまだ ふみお、1936年12月 - 2013年7月9日)は、日本の将棋観戦記者で将棋ライター。東京都杉並区生まれ。父は囲碁の観戦記者として名高い山田覆面子(山田虎吉)。 1959年早稲田大学卒業。同年読売新聞社入社。地方部、娯楽部などを経て、1971年文化部。将棋、囲碁、芸能などを担当。「十段戦」の担当、そして「竜王戦」の創設や「アマチュア竜王戦」の発足などに尽力。 1996年定年退職。将棋、囲碁の観戦記者を行うかたわら、「囲碁将棋チャンネル」(CS衛星放送)顧問として、将棋番組のレギュラーキャスターを務める。2006年には「第13回大山康晴賞」を受賞。 読売新聞社社友、東京将棋記者会会友、将棋ペンクラブ会員、テレビ囲碁番組製作者会会友、日本中国文化交流協会会員。
打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - … 打越 敏彦(うちこし としひこ、1936年11月30日 - 2003年3月3日)は、佐賀県鳥栖市出身の元プロ野球選手。 常磐高校から1956年に西鉄ライオンズへ入団。 1958年シーズン終了後トレードで中日ドラゴンズへ移籍。 1962年に近鉄バファローズへ移籍し、同年引退。 西鉄時代はバッティングピッチャーやブルペンキャッチャーとしての仕事が多く、出場機会はほぼなかった。1958年に西鉄が日本シリーズ三連覇を果たした際には、これまでの貢献を考慮して三原監督から金一封が送られた。
小川 規三郎(おがわ きさぶろう、1936年11月30日 -… 小川 規三郎(おがわ きさぶろう、1936年11月30日 - )は博多織職人。重要無形文化財「献上博多織」の保持者に認定されている(いわゆる人間国宝)。 1936年、福岡県福岡市博多区に生まれ、1951年より父であり後の人間国宝・小川善三郎に師事する。2003年重要無形文化財献上博多織技術保持者に認定。 博多織の機械化、分業化が進む中で、今なお製作過程の全てに関わり、手織りで仕上げる。
大場 幸夫(おおば さちお、1936年11月30日 - 20… 大場 幸夫(おおば さちお、1936年11月30日 - 2011年5月13日)は、日本の保育学者。 茨城県水戸市生まれ。父は大場千秋、兄は大場牧夫。茨城大学文理学部心理学科卒業。東京都立大学大学院修士課程修了。東京都立伊豆長岡児童福祉園(伊豆長岡学園)心理判定員、栃木県立保育専門学院専任講師、東京家政大学助教授、1976年大妻女子大学家政学部助教授、教授、2008年より学長を務めた。学長在任中の2011年5月13日、胃癌のため死去。日本ジャーナリスト会議会員。
寺田 為三(てらだ ためぞう、1936年〈昭和11年〉11月… 寺田 為三(てらだ ためぞう、1936年〈昭和11年〉11月29日 - )は、日本の政治家。元大阪府高石市長(3期)。 大阪府出身。大阪市立大学法学部卒業。卒業後は泉北郡高石町(現・高石市)役場に入り、助役などを務める。1991年の高石市長選挙に立候補し、初当選。1995年に再選。1999年に三選を果たした。 在任中、平成の大合併による堺市との合併を打ち出し、2003年の市長選挙の公約に掲げたが、対立候補で合併に反対の元高石市議の阪口伸六に半数近い得票で敗れ、同時に行われた住民投票でも、合併反対が全得票数の74%を占め、堺市との合併は白紙となった。
阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日… 阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日 - 2017年〈平成29年〉3月3日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期) 。位階は正六位。 山形県南村山郡上山町矢来(現上山市)出身。山形工業高校を卒業後、日本大学旧工学部に進学。大学卒業後、山形県職員として就職した。山形県庄内総合支庁副支庁長、山形県土地開発公社専務理事、山形県土木部長などを務めた後、1995年に上山市助役に就任。 前市長の急逝を受け、その葬儀翌日となる1999年1月18日に上山市長選に出馬を表明。党派を超えて、国会議員で民主党の鹿野道彦や自民党の遠藤利明らの支援を受け、社民党系元市議の吉田明との選挙戦を制し2月14日に初当選(阿部實12,770票、吉田明10,087票)。
里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 -… 里見 浩太朗(さとみ こうたろう、1936年11月28日 - )は、日本の俳優、声優、歌手。 旧芸名は鏡 小五郎・富士川 一夫・里見 浩太郎・風間 太郎を経て、1970年より今の芸名とする。本名は佐野 邦俊(さの くにとし)。東京市渋谷区道玄坂出身、静岡県富士宮市育ち。自らが社長を務める株式会社 里見プロモーション所属。 父・亀一は19歳で志願して近衛兵となり、帝国陸軍の麹町憲兵隊に転属したのち、秋葉原のパン屋で働いていた静岡県庵原郡松野村(現在の静岡県富士市)出身の木伏エツと結婚。里見が生後8ヶ月の時に、盧溝橋事件により支那駐屯憲兵隊に臨時増加配属を命じられ、その年の9月に中国大陸山西省の小塞村(平型関の入り口)にて平型関の戦いで戦没しており、静岡県富士宮市にある母・エツの実家を頼った母子家庭で兄・要とともに育った。
星野 周弘(ほしの かねひろ、1936年11月28日 - )… 星野 周弘(ほしの かねひろ、1936年11月28日 - )は日本の犯罪社会学者。警察庁科学警察研究所防犯少年部長、帝京大学文学部社会学科長、日本犯罪社会学会会長などを務めた。 1959年、早稲田大学教育学部教育学科を卒業し、1963年、東京大学人文科学研究科卒業。同年警察庁(科学警察研究所)入庁。 同研究所の防犯少年部環境研究室長、防犯少年部長を歴任し、1997年に警察庁を退官。その後、帝京大学文学部にて教鞭を執る。
北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - … 北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - 2008年3月2日)は、東京都出身の検事総長、弁護士。正三位瑞宝大綬章。東京地検検事正時代には、ゼネコン汚職事件の捜査を指揮したことでしられている。
村田 康一(むらた こういち、1936年11月27日 - )… 村田 康一(むらた こういち、1936年11月27日 - )は、福岡県小倉市(現:北九州市)出身の元プロ野球選手・プロ野球審判員。元パシフィック・リーグ審判部長。 福岡県立小倉西高等学校卒業後の1955年、同じ福岡県出身で近鉄に所属していた原勝彦の誘いで近鉄パールスに捕手として入団。二軍暮らしが長かったが徐々に力を付け、1961年には一塁手に回った竹下光郎の後継としてレギュラーを獲得、68試合に先発マスクを被る。しかし翌1962年には移籍入団の吉沢岳男に定位置を譲り、1964年限りで現役引退。その後2年間は近鉄の合宿所寮長兼二軍マネージャーを務める。 近鉄時代のチームメイトだった加藤昌利や斎田忠利の紹介で1967年、パシフィック・リーグ審判部入局。
三橋 修(みはし おさむ、1936年11月27日- 2015… 三橋 修(みはし おさむ、1936年11月27日- 2015年12月29日)は、日本の社会学者、和光大学名誉教授、元学長。差別論が専門。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
平田 隆一(ひらた りゅういち、1936年11月27日 - … 平田 隆一(ひらた りゅういち、1936年11月27日 - )は、日本の西洋史学者。東北大学名誉教授。 宮城県生まれ。東北大学文学部史学科卒、同大学院博士課程中退。1961-1964年 ローマ大学留学(イタリア政府給費留学生)。1982年「エトルスキ国制の研究」で文学博士。東北学院大学助教授、東北大学教養部助教授、国際文化研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、東北学院大学教授、2010年退任。 1982年『エトルスキ国制の研究』でマルコ・ポーロ賞受賞。
左近 正男(さこん まさお、1936年11月26日 - 20… 左近 正男(さこん まさお、1936年11月26日 - 2024年10月16日)は、日本の政治家。位階は従四位。元日本社会党衆議院議員(4期)。
山崎 正友(やまさき まさとも、1936年(昭和11年)11… 山崎 正友(やまさき まさとも、1936年(昭和11年)11月26日 ‐ 2008年(平成20年)12月29日)は、日本の元弁護士。岡山県出身。京都大学法学部卒業。創価学会の元副理事長・創価学会の元顧問弁護士などの役職を務めた。「山友(やまとも)」と略称されることもある。池田大作(名誉会長)が執筆した小説『新・人間革命』の登場人物「山脇友政」のモデルとなる。 1980年(昭和55年)頃に創価学会から除名された。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1936年(昭和11年)に岡山県で生まれた。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、1955年(昭和30年)に京都大学法学部に入学。大学入学後に腎臓病を患い入退院を繰り返した。
奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )… 奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )は、日本の人形作家。勲等は文化勲章。公益社団法人日展元理事長、一般社団法人現代工芸美術家協会理事長、日本芸術院会員、文化功労者。旧姓は川井(かわい)。 社団法人日展常務理事、社団法人現代工芸美術家協会副理事長などを歴任した。 一男二女の末子として大阪府堺市に生まれる。2歳の時に父を亡くし、母の故郷である広島県双三郡吉舎町(現在の三次市吉舎町)に移住。1955年、日彰館高等学校卒業後、人形作家を志して上京。 1966年に光風会展に入選し、1967年には新日展での入選と日本現代工芸美術展での入選を果たした。1972年、日展特選、光風会会員となる。
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 -… 長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。
足立 康(あだち やすし、1936年11月26日 -2021… 足立 康(あだち やすし、1936年11月26日 -2021年1月8日)は、日本のアメリカ史学者・翻訳家。青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。静岡県田方郡出身。慶應義塾大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、アメリカのテキサス大学オースティン校アメリカ文明学科博士課程修了。青山学院女子短期大学教授を務めた。1958年、「宝石の文学」で第1回群像新人文学賞評論部門受賞。 足立光(日本マクドナルドチーフ・マーケティング・オフィサー、元シュワルツコフヘンケル社長)は子。詩人の小柳玲子は中学校・高校の同級生。 2021年1月8日、肝臓がんのため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石川 良照(いしかわ よしてる、1936年11月26日 - … 石川 良照(いしかわ よしてる、1936年11月26日 - 2022年6月28日)は、大阪府堺市出身のプロ野球選手。 5歳から高校1年まで新潟にいて、父親の転勤で堺に引っ越した。 高校卒業後、毎日オリオンズの入団テストを受けるが、既に採用枠がいっぱいで、無名高校出身だったことから不合格となる。しかし、その才能を惜しんだ別当薫監督が、日鉄二瀬への入社を推薦する。そうして入社交渉を行なっている間に、噂を聞きつけた大阪タイガースがテスト入団させた。 2年間の二軍生活を経て、3年目の1957年に一軍デビュー。重たいストレートと内角をえぐるシュートを武器に、吉田義男が守るショートにゴロを打たせる投球で13勝を挙げる。
河野 安男(こうの やすお、1936年11月25日 - )は… 河野 安男(こうの やすお、1936年11月25日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。 水戸農業高校から東京鉄道局を経て1959年に近鉄バファローへ入団。1960年退団。
坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂… 坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂本、1936年〈昭和11年〉11月25日 - 2021年〈令和3年〉1月23日)は、ラテン・歌謡曲の歌手、俳優。愛称は「おスミ(さん)」。異名は「ラテンの女王」。 大阪府大阪市東住吉区出身。学生時代から発声をクラシックの木下保のもとで学び、プール学院高等学校を卒業する。プール学院時代の同級生に女優の三ツ矢歌子がいた。NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めもありラテン歌手として独立してデビューするが、当初は歌手として全く売れなかった。 1959年12月にアイ・ジョージと共にトリオ・ロス・パンチョス日本公演の前座歌手となり、「ラテンの女王」として一躍名が知れて人気歌手となる。
高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )… 高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )はフランス文学者。中央大学名誉教授。 1936年、千葉県四街道市で生まれた。千葉県女子師範学校附属幼稚園卒園後、戦争の影響で千葉市立富士見小学校、四街道町立富士見小学校、千葉大学教育学部附属第二小学校と小学校を転々とした。千葉大学教育学部附属第二中学校を卒業し、千葉県立千葉第一高等学校に進んだ。中学時代に三銃士などのアレクサンドル・デュマの小説に夢中になり、高校時代には「天井桟敷の人々」などフランス映画から多大の影響を受けた。高校卒業後は学習院大学文学部仏文学科へ進学。大学院は東京都立大学大学院仏語仏文学専攻に進み、修士課程を修了。 1969年4月、中央大学法学部専任講師となった。
高野 政晴(たかの まさはる、1936年(昭和11年)11月… 高野 政晴(たかの まさはる、1936年(昭和11年)11月25日 - )は、日本の研究者、教育者。学位は、工学博士(東京大学)。同大学名誉教授。精密工学、機械工学、ロボット工学を専門とし、6自由度ロボットアームの効率的な逆運動学(英語版)解法を提案した。東京大学で助手、講師、助教授、教授、関西大学教授を歴任し、日本学術会議委員(第16期、第5部)も務めた。2016年秋、瑞宝中綬章受勲。 東京大学工学部精密機械工学科を卒業。同大学院工学研究科精密機械工学専攻を1963年3月に卒業し、同年4月に助手へ就任。歯車や振動の研究に従事し、1967年に論文博士で学位を取得する。搬送装置やリンク機構の研究に従事し、1965年10月から講師、1968年4月から助教授となる。
左近 毅(さこん たけし、1936年11月25日 - 200… 左近 毅(さこん たけし、1936年11月25日 - 2002年1月4日)は、日本の歴史学者。専門はロシア文化史、思想史。大阪市立大学名誉教授。 1936年東京生まれ。1956年3月東京都立国立高等学校を卒業後、1957年4月東京外国語大学ロシア科に入学。1962年3月同大学同科を卒業後、同年4月一橋大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程に入学。一橋大学では金子幸彦に師事した。1967年3月に同修士課程を修了(社会学修士)。 修学後は、社団法人流通問題研究協会研究員(1967年6月 - 1969年10月)、群馬工業高等専門学校教養学科専任講師(ロシア語・英語担当、1969年10月 - 1974年3月)・助教授(1974年4月 - 1976年3月)を経て、1976年4月大阪市立大学文学部助教授に就いた。
中尾 義孝(なかお よしたか、1936年〈昭和11年〉11月… 中尾 義孝(なかお よしたか、1936年〈昭和11年〉11月25日 - 2008年〈平成20年〉6月4日)は、日本の政治家。広島県竹原市長(3期)。 広島県竹原市出身。明治大学法学部卒業。中尾醸造に入社し、同社専務、社長となる。1987年(昭和62年)竹原商工会議所会頭に就任した。 1990年(平成2年)1月14日の竹原市長選挙に立候補して、新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:80.73%(前回比:-pts) 同月、第4代市長に就任した。市長を3期務めた。2002年(平成14年)1月13日に退任した。2008年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
杉浦 正行(すぎうら まさゆき、1936年(昭和11年)11… 杉浦 正行(すぎうら まさゆき、1936年(昭和11年)11月24日 - )は、日本の政治家。愛知県安城市長(3期)、愛知県議会議員(4期)、安城市議会議員(2期)、桜井町議会議員(1期)などを歴任した。 愛知県碧海郡桜井町(現・安城市寺領町)生まれ。愛知県立安城農林高等学校卒業。家業の農業を継ぐも、2年目に地元の桜井農協に勤務。青年部に所属したことから大きな転機を迎える。杉浦のいた青年部は桜井町議会議員の擁立を目論むが、候補予定者に次々と断られる。そこで白羽の矢が立ったのが杉浦だった。1963年(昭和38年)、桜井町議選に初当選。 1967年(昭和42年)4月1日、桜井町は安城市に編入される。
井上 博司(いのうえ ひろし、1936年11月23日 - 2… 井上 博司(いのうえ ひろし、1936年11月23日 - 2014年3月16日)は、日本の経営者。光洋精工(現在のジェイテクト)社長、会長を務めた。大阪府出身。 1958年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1986年6月に光洋精工に出向し、取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に会長に就任し、2005年6月に相談役に就任。 2006年11月に旭日重光章を受章。 2014年3月16日大動脈解離のために死去。77歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月2… 新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月23日 - )は、日本の政治家。元埼玉県上尾市長。 埼玉県北足立郡大石村(現・上尾市)出身。埼玉県立川越農業高等学校中退。 中退後は、農業に従事後、実業家に転身した。 1979年(昭和54年)、父の死去に伴い、上尾市議会議員選挙に立候補して初当選を果たした。1983年(昭和58年)、再選を果たした。 1987年(昭和62年)埼玉県議会議員に当選。3期務めた。 1996年(平成8年)、現職の荒井松司と新人1人を破って、上尾市長に当選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:43.02%(前回比:-pts) 第35代市議会議長など新人2人との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - … 河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - 2015年1月30日)は、将棋棋士。2002年、引退。将棋ライター。神奈川県横須賀市出身。小堀清一九段門下。棋士番号95。 中学二年生の頃に将棋を覚え、学校の授業中は先生の目を盗んで将棋の本を読み、学校が終わったら将棋クラブに通い、家に帰ったら再び将棋の本を読むなど将棋漬けの毎日を送る。そのため、僅か三か月で初段の実力にまで上達する。 英語を習いに行ったときに、英語の先生が将棋を指しているのを見て横から口を出すとその手を先生に褒められ、「きみは勉強よりも将棋のほうが好きならプロになれ」と言われる。その一言により河口はプロになることを決意する。
梶谷 剛(かじたに ごう、1936年11月22日 - )は、… 梶谷 剛(かじたに ごう、1936年11月22日 - )は、日本の弁護士。梶谷綜合法律事務所主宰者。元日本弁護士連合会会長、元日本司法支援センター理事長。東京都出身。
朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 … 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど。 16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - … 千石 好郎(せんごく よしろう、1936年11月21日 - 2019年10月 )は、日本の社会学者、松山大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。1961年九州大学文学部社会学科卒、1966年同大学院博士課程満期退学。1966年鹿児島女子短期大学講師、1968年西日本工業大学講師、1970年熊本商科大学助教授、1977年教授、1978年松山商科大学教授となる。1986年松山大学(校名変更)人文学部長、1995年同総合研究所所長。2010年定年、名誉教授となる。マルクス主義の立場から研究した。
佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - … 佐々木 壮六(ささき そうろく、1936年11月21日 - 2000年2月13日)は日本の画家、洋画家。油彩で静物画や欧州の古都の風景などを、温かく柔らかな作風で描き出すことに特徴。本名は佐々木弘安。 1936年(昭和11年)大阪府に生まれる。大阪明星学園と京都市立美術大学を卒業し、大石七凰に師事。関西地方で活動して出品を重ねた。主な受賞歴はシェル美術展で一等など。その後は居を神奈川県藤沢市に移し活動を続けた。 1977年(昭和52年)ユーゴスラビア国際美術展選抜出品、1983年(昭和58年)第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞、1991年(平成3年)サロン・ドートンヌに出品、1993年(平成5年)雪梁舎美術館フィレンツェ賞展顧問。
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。