小林 茂(こばやし しげる、1942年1月21日 - )は、… 小林 茂(こばやし しげる、1942年1月21日 - )は、フランス文学者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京教育大学附属駒場高等学校(現:筑波大学附属駒場高等学校)を経て1964年早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業、71年同大学大学院博士課程フランス文学専攻単位取得満期退学、フランス政府給費留学生として、パリ第3大学および第4大学でフランス文学、応用言語学を学ぶ。早大助教授を経て、早大文学学術院教授。その間、NHKテレビ・フランス語講座講師、パリ国際大学都市日本館館長などを歴任。比較文学会会員。2020年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
黒須 隆一(くろす りゅういち、1942年(昭和17年)1月… 黒須 隆一(くろす りゅういち、1942年(昭和17年)1月20日 - )は、日本の政治家。東京都市長会顧問。東京都生まれ。台湾・高雄市名誉市民。 東京都八王子市長(3期)、八王子市議会議員(3期)、東京都議会議員(2期)を務めた。 東京府西多摩郡小河内村(現:奥多摩町)出身。東京都立南多摩高等学校卒業。1964年に武蔵大学経済学部経営学科を卒業後、家業である黒須建設に入社。1975年から1985年まで八王子市議会議員、1993年から2000年までは東京都議会議員。2000年1月に八王子市長選挙に初当選、2000年から2012年まで3期12年にわたり八王子市長を務める。2012年1月に70歳になったことを期に引退。
和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 199… 和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 1994年1月31日)は、上方噺家・エッセイスト・イラストレーター・タレント。芸名は笑福亭小つる(しょうふくてい こつる)。5代目笑福亭松鶴の孫(娘の子)で、6代目松鶴の甥にあたる。 大阪市に生まれ、生家は呉服屋、子供の頃から祖父・5代目松鶴に連れられ寄席通いをした。1947年7月に正式に5代目松鶴に入門し「笑福亭小つる」を名乗り、翌年1月に大阪市今里の双葉館で初舞台を踏む。小唄や寄席踊りで高座を勤め人気者になる。中学校卒業頃まで高座を勤め、大阪市立工芸高等学校を入学と同時にいったん廃業し学業に専念。 高校の美術油絵科を卒業後の1963年、そごう宣伝部に就職し、1970年まで勤める。
國重 純二(くにしげ じゅんじ、1942年1月20日 - 2… 國重 純二(くにしげ じゅんじ、1942年1月20日 - 2013年12月14日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 満洲国生まれ。香川県立高松高等学校卒業、1966年東京大学文学部英文科卒業、1972年同大学院博士課程中退、千葉大学教養部講師、1974年助教授、1975年東京都立大学助教授、1986年東大教養学部助教授、1992年教授。1998年から2年間、日本アメリカ文学会会長、1999年から2年間、日本英文学会会長。2001年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。2012年退職。 2013年12月14日、肝細胞癌のため死去。71歳没。 リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の翻訳は、國重が訳したものに五木寛之が手を入れたものであることが、同書2015年の新版で明かされている。
大野 由利子(おおの ゆりこ、1942年1月20日 - )は… 大野 由利子(おおの ゆりこ、1942年1月20日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(3期)。 大阪府出身。1966年京都大学薬学部卒。薬剤師の資格を得て、大阪市立小児保健センター、創価学会系出版社である潮出版社に入り、フリーライターを経て、1990年、東京7区に公明党から出馬し、初当選。1994年、新進党に加入。1998年に新党平和に加わり、その後公明党に合流した。2000年の総選挙に落選した。
奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2… 奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2021年7月31日)は、日本の演出家、映画監督。日本映画監督協会会員。 福井県勝山市出身。実家は美容院。福井県立勝山高等学校卒、1965年、日本大学芸術学部映画学科卒業後、東京映画に入社。豊田四郎、佐伯幸三、小林正樹、増村保造らに師事。助監督を経て、1982年、花王 愛の劇場『トラック母ちゃん』で監督デビューする。 その後、東京映画を退社し、フリーランスの監督として現在まで多数のTVドラマを手がける。1999年には、初の劇場映画作品『虹の岬』を発表した。
渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )… 渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )は、日本のプロテニスプレーヤー。 兵庫県芦屋市出身。1960年、全日本ジュニアテニス選手権、1963年全国高等学校総合体育大会(インターハイ)それぞれシングルスに優勝。甲南大学在学中の1963年からデビスカップの日本代表として活躍する傍ら、プロテニス選手として活動し、1964年・1965年・1968年に全日本テニス選手権大会シングルス優勝、1965年-1968年はダブルスも制覇。特に1967年・1968年はシングルス・ダブルスの二冠を達成した。 1970年に競技者の第一線を退き、デビスカップ日本代表の監督に就任(1974年退任)。特に、1971年の大会において、オーストラリアを50年ぶりに破る時の監督として知られた。
岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )… 岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )は、日本のイラストレーター。SF、ミステリ、児童文学等の挿絵で知られる。 青森県弘前市出身。子供の頃から絵に親しみ、中学・高校では美術部に所属した。1962年に上京し、亜細亜大学商学部へ入学。1966年に卒業した。 その後一時はフリーの商業デザイナーとして働くが、イラストレーターへの転身を目論み、早川書房にイラストを持ち込む。はじめ『ミステリマガジン』編集長の各務三郎に会うが、彼から『SFマガジン』編集長・南山宏のほうへ廻され、そこでイラストレーターとしての初仕事を得る(『SFマガジン』1967年8月号で、掲載された小説レイ・ブラッドベリ「火と霜」および眉村卓「Expo'87」の挿絵を描いた)。
喜岡 浩二(きおか こうじ、1942年1月18日 - )は、… 喜岡 浩二(きおか こうじ、1942年1月18日 - )は、日本の実業家。カゴメ代表取締役会長や、同社代表取締役会長、日本ソース工業会会長などを務めた。 兵庫県尼崎市で小学校教員の両親のもとで生まれる。大阪市立大学(現大阪公立大学)法学部卒業。大学では硬式野球部に所属。1964年カゴメ入社、大阪営業に配属。大阪支店長を経て、1987年取締役に昇格。1991年常務取締役。1994年代表取締役専務。1996年代表取締役副社長。2002年から代表取締役社長。2008年有恒会会長。[2009年代表取締役会長、カルビー取締役。2011年カゴメ取締役会長。2012年カゴメ相談役、旭日中綬章受章。日本ソース工業会会長等も歴任した。
富永 智津子(とみなが ちづこ、1942年(昭和17年)1月… 富永 智津子(とみなが ちづこ、1942年(昭和17年)1月18日 - )は、アフリカ史学者、元宮城学院女子大学教授。専攻、東アフリカ・スワヒリ史。 三重県生まれ。1964年東京女子大学文理学部西洋史学科卒業、1982年津田塾大学大学院国際関係学研究科修士課程修了、1987年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程中退。宮城学院女子短期大学助教授、1989年教授、宮城学院女子大学学芸学部教授。2008年定年。
西村 佳也(にしむら よしなり 1942年1月18日 - )… 西村 佳也(にしむら よしなり 1942年1月18日 - )は日本のコピーライター。東京都出身、早稲田大学第一政治経済学部卒業。 学生時代に岡スタジオなる小規模の編集プロダクションに籍を置き、編集者として出発する。1969年にサントリーが設立した広告制作プロダクション、サン・アドに入社。後からサン・アドに入社した仲畑貴志と共に、上司の品田正平に鍛えられながら、トリスウイスキーやサントリーホワイト、サントリーレッド、サントリーオールド、サントリーリザーブなどのコピーを書き、下積み期間を経た後、1973年にサン・アドを退社し、自身のオフィス「ウェストビレッジ」を設立する。 翌1974年、日本硝子繊維協会の新聞広告を担当。
林 勇二郎(はやし ゆうじろう、1942年1月17日 - )… 林 勇二郎(はやし ゆうじろう、1942年1月17日 - ) は、日本の工学者。専門は熱工学。工学博士。第9代金沢大学学長。第3代国立高等専門学校機構理事長。第49期日本伝熱学会会長。第20期日本学術会議会員。 石川県金沢市生まれ。金沢大学附属高等学校を経て、1967年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1970年同博士課程修了、工学博士。 同年金沢大学工学部講師。1971年金沢大学工学部助教授。1981年金沢大学工学部教授。1991年日本機械学会理事、日本混相流学会理事。1995年日本伝熱学会副会長。パデュー大学客員教授等を経て、1997年金沢大学工学部学部長。
栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は… 栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は、日本の合唱指揮者である。島根県出身。「栗友会」音楽監督。武蔵野音楽大学教授。島根県芸術文化センター グラントワ芸術監督。 島根県立益田高等学校、島根大学教育学部特設音楽科卒業。合唱指揮を田中信昭、高階正光に師事。二期会合唱団、東京混声合唱団で研鑽を積み、カラヤン指揮などで第九などを実際に歌ってみて経験を積む。現在13の合唱団を有する「栗友会」の音楽監督及び指揮者として活動するかたわら、長年尚美学園の第九の講師をし、合唱人集団「音楽樹」の代表幹事として、「Tokyo Cantat」などの企画に携わる。 1994年まで参加した全日本合唱コンクールでは数多くの金賞・最高賞たる特別賞を受賞し、「栗山現象」とまで言わしめたほか、栗友会所属合唱団の一つコーロ・カロスが1994年スペイン・トロサ国際合唱コンクールにおいてグランプリを獲得、更に翌1995年イタリアで欧州各コンクールグランプリ受賞者のみで行われたヨーロッパグランプリ合唱コンクール(イタリア)でグランプリを受賞した。
姫野 敬輔(ひめの けいすけ、1942年1月16日 - )は… 姫野 敬輔(ひめの けいすけ、1942年1月16日 - )は日本の弁護士。京都府公安委員会委員長・元京都弁護士会会長。姫野法律事務所代表。特定非営利活動法人ジュベネイル・ガイド顧問弁護士。
安藤 英志(あんどう ひでし、1942年1月16日 - )は… 安藤 英志(あんどう ひでし、1942年1月16日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。 萩商業高校から1961年に阪急ブレーブスへ入団。翌年に引退。
里見 治(さとみ はじめ、1942年1月16日 - )は、日… 里見 治(さとみ はじめ、1942年1月16日 - )は、日本の実業家、馬主。 群馬県甘楽郡福島町(現:甘楽町福島)出身。青山学院大学法学部中退。セガサミーホールディングス社長の里見治紀は長男。衆議院議員の鈴木隼人は娘婿。 青山学院大学在学中の1964年(昭和39年)に友人とゲーム機の販売会社を起こす。しかし経営がうまく行かなかったため販売会社を1年で清算、自らゲーム機の開発を行う方向に転じる。翌1965年(昭和40年)に父親が経営していた食品メーカー「東京栄養食品」の商号を「株式会社さとみ」に変更し、その専務に就任。同社内にアミューズメント部門を設立してクレーンゲームやアレンジボール機の開発・販売等を手がけた。
岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2… 岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2015年11月30日)は、日本の作詞家。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、日本大学卒業。兄は浅見光彦ミステリーなどを手掛けた脚本家の岡本克己。 放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期に活躍した。作曲者としての吉田拓郎とのコンビで知られ、森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。 1980年にリリースされた吉田拓郎のアルバム『アジアの片隅で』では、岡本らしいメッセージ性の濃い歌詞を提供している。強烈なメッセージ性を有した表題曲「アジアの片隅で」は12分を超える大作である。 SIONとはデビュー前から交流があり、音楽雑誌の新譜ジャーナルで連載していた『うたのことばが聴こえてくる』でデビュー前のシオンや共同作業中の詞を紹介している。
吉田 國雄(よしだ くにお、1942年1月15日 - )は、… 吉田 國雄(よしだ くにお、1942年1月15日 - )は、日本の電気・電子工学者。元東京工業大学および大阪工業大学教授。工学博士(大阪大学)。大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)元研究員。 専門は、光工学・光量子科学・薄膜光学、レーザー工学(特に高出力レーザーシステム/レーザー核融合プラズマ)・光エレクトロニクス、超精密加工。 1973年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。のちに、工学博士(大阪大学)。名古屋大学プラズマ研究所出向研究員(大出力レーザ機の激光I号機開発担当)などを経て、大阪大学レーザー核融合研究センター(現:大阪大学レーザー科学研究所)にて、高出力レーザーシステム/レーザ核融合プラズマ・薄膜光学・超精密加工の研究開発に従事(レーザ核融合研究の第一人者である大阪大学レーザー核融合研究センター創設者・名誉教授の山中千代衛に師事)。
江口 一久(えぐち かずひさ、1942年1月15日 - 20… 江口 一久(えぐち かずひさ、1942年1月15日 - 2008年6月13日)は、日本の民族学者・言語学者。専攻は言語民族学。国立民族学博物館名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。 京都府京都市出身。1965年京都大学文学部言語学科卒業。 1967年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1971年京都大学大学院文学研究科博士課程中退。1974年より国立民族学博物館に勤務し始める。同助手、同助教授、同教授を務め、西アフリカ(主にカメルーン)やフルベ族を中心に研究活動を進めるかたわら、江口自らが村長務める「地球おはなし村」という朗読・音楽活動も行った。2005年3月末をもって国立民族学博物館を定年退職し、同名誉教授。
志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 … 志賀 勝(しが まさる、1942年〈昭和17年〉1月13日 - 2020年〈令和2年〉4月3日)は、日本の俳優・歌手・タレント。 京都府京都市出身。東映俳優センター、RIKIプロジェクト、ケイズファクトリーを経て、ウォークオン(制作プロダクションおよび広告代理店)に業務提携の形で籍を置いていた。 本名は亀山勝彦(かめやま・かつひこ)。父親は東映時代劇で活躍した加賀邦男。兄は俳優・亀山達也。平安高等学校卒業。1960年に東映京都に入社。 東映京都撮影所の大部屋俳優出身であり、下積み時代は時代劇やヤクザ映画の斬られ役などが主だった。後にピラニア軍団として売り出す室田日出男・川谷拓三・岩尾正隆らと『仁義なき戦い』シリーズに出演。
土屋 正忠(つちや まさただ、1942年1月13日 - )は… 土屋 正忠(つちや まさただ、1942年1月13日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。武蔵野市職員から同市議会議員を経て、武蔵野市長就任(41歳)。64歳で国政に転出し総務大臣政務官、総務副大臣など歴任。衆議院では法務委員会理事、憲法審査会委員など歴任。日本野鳥の会顧問を務める。
新福 尚隆(しんふく なおたか、1942年1月13日 - )… 新福 尚隆(しんふく なおたか、1942年1月13日 - )は、日本の医学者、医学博士。神戸大学名誉教授。父は医学者で東京慈恵会医科大学名誉教授の新福尚武。 台湾・高雄市にて出生。専門は、社会精神医学、国際保健学、災害精神保健。世界保健機関(WHO)医官、神戸大学医学部・医学研究国際交流センタ-教授、西南学院大学社会福祉学科教授を歴任。世界精神医学会(WPA)・東アジア地区代表選出後、2005年にアジア太平洋の24か国が参加するアジア精神医学(AFPA)・初代会長に就任した。また、2000年より、精神医学分野におけるアジアで最長、最大の国際共同研究(REAP)を主宰している。
大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は… 大沼 直紀(おおぬま なおき、1942年1月12日 - )は日本の教育学者。博士(医学)、国立大学法人筑波技術大学名誉教授・元学長、東京大学先端科学技術研究センター元客員教授 聴覚障害学の第一人者、宮城県出身。
宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は… 宗像 紀夫(むなかた のりお、1942年1月12日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁特捜部長、最高検察庁刑事部長、名古屋高等検察庁検事長、内閣官房参与、中央大学大学院教授等を歴任した。瑞宝重光章受章。 福島県田村郡三春町出身。福島県立安積高等学校卒業。生家は裕福ではなく、司法試験合格者を多数輩出し、他の私学より学費が安かった中央大学法学部に進んだ。中央大学法学部の司法試験受験サークル「真法会」に入って勉学に励んだ。1965年に中央大学法学部を卒業し、同年の司法試験に合格。司法修習第20期を修了し、1968年に検事任官。 福島地方検察庁検事在職中、福島県政汚職事件では、東亜相互企業の町井久之(本名・鄭建永)ら3人からの贈賄も絡み福島県庁総務部長を逮捕・起訴し、追って当時の木村守江福島県知事を収賄の疑いで起訴する。
加藤 峻二(かとう しゅんじ、1942年1月12日 - )は… 加藤 峻二(かとう しゅんじ、1942年1月12日 - )は、埼玉県秩父市出身の元ボートレーサー。 登録番号は1485番(5期生)、埼玉支部所属。 2015年5月7日の引退まで現役最年長レーサーであり、17歳のデビューから73歳まで現役で活躍した。 愛称は「峻ちゃん」。若年層の競艇ファンからは、その功績を称えて「御大」とも称される。 兄は、元オートレーサーの加藤義則(期前、元川口所属)。 サッカー少年として育ったが、実兄の義則がオートレーサーになっていたため、自身も16歳の頃にはその同じ道に進もうとしていた。試験にも受かっていたが、養成の関係から2年程待たされるため、競艇に種目換えした。埼玉県立小鹿野高等学校を2年で中退し、競艇選手を目指す。
住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2… 住吉 正博(すみよし まさひろ、1942年1月12日 - 2017年12月)は、日本の俳優。本名は同じ。旧芸名は住吉 道博。 旧関東州・大連出身。成城大学卒業。娘は女優の如月皐。高瀬プロダクション、アディックエージェンシー、オフィス松田などに所属していた。 1957年、埼玉県に引き揚げる。成城大学芸術学部在学中に劇団俳優座第14期生となり、卒業後の1965年に劇団青俳に入団。以後、テレビドラマを中心に活動し、1970年の『金太郎の孫』で布団屋職人を演じ、同年の『東京赤坂三代目』では呉服店の店員を演じるなど職人や店員役を多く演じた。 1976年、『がんばれ!!ロボコン』にスケジュールの都合で降板することになった大野しげひさに替わり、ロボコンの居候先のパパ役を演じた。
大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は… 大内 捷司(おおうち かつじ、1942年1月12日 - )は、日本の裁判官、弁護士。名古屋高等裁判所部総括判事や、名古屋地方裁判所所長、札幌高等裁判所長官、総務省公害等調整委員会委員長等を歴任した。 東北大学法学部卒業後、1967年東京地方裁判所判事補任官。1970年金沢地方裁判所判事補。1973年盛岡地方裁判所判事補。1977年岡山地方裁判所倉敷支部長。1979年岡山地方裁判所判事。1983年名古屋地方裁判所判事。1987年福島地方裁判所判事。1991年名古屋高等裁判所判事。1992年名古屋地方裁判所部総括判事。1998年福井地方裁判所長。1999年名古屋高等裁判所部総括判事。2002年名古屋地方裁判所長。
横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日… 横田 捷宏(よこた かつひろ 1942年1月11日-)は、日本の通産官僚。日本銀行政策委員、中小企業金融公庫副総裁を歴任。義父は佐橋滋。 大阪府立大手前高等学校を経て、
橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月… 橋口 公一(はしぐち こういち、1942年(昭和17年)1月11日 - )は、日本の固体力学者。
嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17… 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2025年11月14日)は、日本の編集者、作家、エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。 父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタントで多摩美術大学講師。 静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。 桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。
今宮エビス(いまみや えびす、1942年1月10日 - 20… 今宮エビス(いまみや えびす、1942年1月10日 - 2008年1月27日)は、お笑い芸人、漫才師。京都府京都市嵯峨野出身。本名は土屋 嘉生(つちや よしお)。芸名は吉田留三郎が命名。
小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさ… 小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさおみ)、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2020年〈令和2年〉12月7日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、声優。社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)。福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。 愛称は「親分さん」「小松の親分(自らのコントから)」「小松与太八左エ門」。所属事務所は有限会社ドン・タック。プロデューサーハウスあ・うんとスケジュール窓口で業務提携。 7人兄妹の5番目として、櫛田神社の前および鐘紡福岡工場の近くで育つ(博多の総鎮守である櫛田神社の前が自宅であることを福岡県福岡市博多区にいる仲間たちにも自慢していたことがあった)。
長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、… 長田 紀生(おさだ のりお、1942年1月10日 - )は、日本の脚本家、映画監督である。別名として、青山 剛(あおやま ごう)がある。日本シナリオ作家協会会員。脚本を提供した連続テレビ映画『キャプテンウルトラ』では主題歌の作詞も手がけ、脚本家としての初期の代表作『修羅雪姫』では挿入歌の作詞・作曲も手がけた。 1942年(昭和17年)1月10日、中華民国北京市に生まれる。父は南満州鉄道(満鉄)勤務であったため同地で育ったが、1945年(昭和20年)8月15日に第二次世界大戦が終結、1946年(昭和21年)には内地に引揚げた。 早稲田大学第一文学部演劇科に進学。演劇科の同級に大原清秀、やまさき十三、松本幸四郎、小林勝也、呉徳洙、北村皆雄、シュミット村木眞寿美ら。
澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本… 澤部 肇(さわべ はじめ、1942年1月9日 - )は、日本の経営者。TDK社長、会長を務めた。 東京都出身。早稲田大学高等学院を経て、1964年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東京電気化学工業(のちのTDK)に入社した。1996年6月に取締役に就任し、1998年6月に社長に就任。2006年6月から2011年6月までに会長を務めた。 2020年4月に旭日重光章を受章した。
三浦 洋義(みうら ひろよし、1942年1月8日 - )は、… 三浦 洋義(みうら ひろよし、1942年1月8日 - )は、学校法人三浦学園の学園長・理事長。 東京都出身。幼少よりポール・ヴィノグラドフ、豊増昇に師事しピアノの指導を受ける。 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学ビジネススクール修了。米カリフォルニア大学バークレー校留学。 1964年東京オリンピックの際、英国選手団の通訳を務める。大学卒業後はシェル石油(現・出光昭和シェル石油)に勤務した。 1993年、日本音楽高等学校の創立者・三浦泰の死去に伴い、学校法人三浦学園の学園長・理事長に就任。2019年、令和元年度東京都教育功労者受賞。
桜井 正光(さくらい まさみつ、1942年1月8日 - 20… 桜井 正光(さくらい まさみつ、1942年1月8日 - 2024年1月24日)は、日本の経営者。リコー特別顧問、日本気候リーダーズ・パートナーシップ代表、NPO法人日本防災士機構評議員、経済同友会代表幹事を務めた。 東京都出身。東京都立墨田川高等学校、早稲田大学第一理工学部工業経営学科卒業後、リコー入社。1993年Ricoh Europe B.V.取締役社長。 コピー機関連の英国工場の立ち上げや、海外販社の運営、研究開発部門で手腕を発揮。1996年に上席役員を八人抜いての大抜擢で社長に就任した。「販売のリコー」と呼ばれる同社で技術者出身社長は初めて。11年間社長を務め、連結の売上高は約2倍の2兆689億円、純利益は約5倍の1117億円に拡大させた。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17… 小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣(第87・88・89代)、農林水産大臣(第37代)、外務大臣(第127代)、厚生大臣(第68・69・80代)、年金問題担当大臣(竹下改造内閣)、郵政大臣(第55代)、大蔵政務次官(第2次大平内閣)、衆議院大蔵委員長、衆議院議員(12期)、自由民主党総裁(第20代)を歴任した。 福田赳夫の秘書を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で初当選し、以降12期連続当選。自由民主党では清和会(福田派、安倍派、三塚派、森派)に所属した。また、山崎拓や加藤紘一と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え「グループ・新世紀」を旗揚げした。
新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、… 新田 貞章(にった さだあき、1942年1月8日 - )は、日本の経済学者。専門は農業史。 新潟県新発田出身。新潟県立柏崎高等学校、新潟短期大学を経て、1964年明治大学卒業。学部生時代は雄弁部に所属。 大学では横畑護のゼミで学ぶ。後に五島茂にも師事し、ロバート・オウエンの研究をする。 大学院時代、大宅壮一東京マスコミ塾第3期生となる。大宅壮一の死後は、大宅の側近にあたる青地晨主催の読書会に合流。 大森実主催の太平洋大学にも参加、サンフランシスコ到着時にプラハの春の第一報を聞いたという。 1973年、明治大学農学部農業経済学科講師、1994年、同教授。明治大学ラグビー部選手として名を馳せた渡邉大吾は教え子。
竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 … 竹内 洋(たけうち よう、1942年(昭和17年)1月8日 - )は、日本の社会学者(教育学博士)。専門は、教育社会学。京都大学教育学部名誉教授。関西大学名誉教授。
真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本… 真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - )は日本の女優。大分県日田市出身。特技は日舞。
落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は… 落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は、日本出身のジャーナリスト、小説家である。
中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は… 中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は、日本の生化学者、分子神経科学者。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長。Gタンパク質共役受容体に関する世界的権威として知られる。岐阜県大垣市出身。2015年文化勲章受章。 沼正作と共に、多ホルモン前駆体の構造、遺伝子、進化に関する研究を発表して有名となり、「記憶のもと」と考えられるタンパク質のNMDA型グルタミン酸受容体の構造を世界で初めて解明した。 京都大学医学部の同期である本庶佑とは、学生時代からの親友であり、互いに切磋琢磨するライバル関係にある。2015年に中西が文化勲章を受章した際のインタビューでは、本庶について「学生時代、自分はあまり勉強しなかったが、中西君は非常に熱心に実験をしていた」という本庶側の回想に対し、中西は「お互いに『勉強は好きじゃない』と言い合いながら、自由な校風の中で自由にやらせてもらった」と語っている。
西山 孝朗(にしやま たかお、1942年1月7日 - 202… 西山 孝朗(にしやま たかお、1942年1月7日 - 2021年2月以前)は、日本のサッカー選手。ポジションはDF。 早稲田大学在籍時の1964年に日本代表に選出され、同年2月25日のセランゴール州選抜戦で代表デビュー。3月3日のシンガポール戦で国際Aマッチ出場を果たした。また同年8月から9月のヨーロッパ遠征にも参加した。 なお、詳細な没年は不明であるが、2021年2月時点で故人となっている。
大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は… 大久保 計雄(おおくぼ かずお、1942年1月7日 - )は、徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 阿波高校では1年次の1957年から正捕手としてチームを引っ張り、4番打者としてシャープな当たりと大物打ちで活躍。甲子園出場こそ無かったが、遠投100m以上の強肩ぶりに7球団が注目。加藤久幸スカウトや林義一監督代行の熱心な勧誘により、1960年に近鉄バファローへ入団。2年目の1961年に一軍初出場も腰椎分離症を発症し、以降は二軍の試合に出場することが多くなり、1967年限りで現役を引退。 引退後は近鉄で用具係(1968年 - 1970年)→二軍コーチ補佐(1971年)→一軍トレーニングコーチ(1972年 - 1983年)→一軍バッテリー兼トレーニングコーチ(1984年 - 1985年)→二軍トレーニングコーチ(1986年 - 1987年)→一軍バッテリーコーチ(1988年 - 1990年)を歴任し、2連覇を含む3度のリーグ優勝(1979年 - 1980年, 1989年)に貢献。
萩野 幸三(はぎの こうぞう、1942年(昭和17年)1月6… 萩野 幸三(はぎの こうぞう、1942年(昭和17年)1月6日 - )は、日本の政治家。元愛知県日進市長(3期)。 日進村立東部小学校(現:日進市立東小学校)、愛知中学校、愛知高等学校卒業。1964年(昭和38年)3月、南山大学経済学部経済学科卒業。 1964年(昭和38年)4月、愛知時計電機株式会社に就職。1973年(昭和48年)7月、同社を退職。同年8月、日進町役場に就職。なお1994年(平成6年)10月1日に日進町は日進市に移行する。2002年(平成14年)3月、日進市役所を退職。 2003年(平成15年)7月13日に行われた日進市長選挙に無所属で出馬するも現職の佐護彰に敗れ落選。投票率は47.01%。
岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日… 岩谷 宏(いわたに ひろし、1942年1月6日 - )は、日本のライター、翻訳家。 旧:京城府(韓国)生まれ。3歳の時に引き揚げ。福岡県立福岡高校を経て、1964年京都大学文学部仏文科卒業、卒論はランボー。 約1年半ブラブラした後、1965年秋上京して、パン菓子業界紙、マーティング会社等に勤めた。 1970年、朝日ジャーナル懸賞論文に「“生活”の中に何が発見できそうか」で入選。 1972年、渋谷陽一、松村雄策、橘川幸夫らと、ロック雑誌『Rockin'on』を創刊。創刊時より、ロック評論、エッセイを執筆し、訳詞を手がける。初期『rockin'on』の理論的指導者でもある。 1985年に『rockin'on』を離れた以降は、ラジカルなコンピュータ文化に希望を託し、主にコンピュータ関連の著述・翻訳活動に取り組む。
中園正樹(なかその まさき、1942年〈昭和17年〉1月6日… 中園正樹(なかその まさき、1942年〈昭和17年〉1月6日 - 2018年〈平成30年〉12月25日)は、日本の建築家。株式会社松田平田設計 前・代表取締役社長。妻は女優の日色ともゑ。兵庫県出身。 2018年12月25日、がん闘病の末、76歳没。
安森 敏隆(やすもり としたか、1942年1月6日 - 20… 安森 敏隆(やすもり としたか、1942年1月6日 - 2018年1月9日)は、日本の歌人・日本近代文学研究者。専門は、近代・現代の詩歌文学。斎藤茂吉と塚本邦雄研究。同志社女子大学名誉教授。短歌結社誌「ポトナム」代表・「京都短歌」(朝日新聞京都版)選者・現代歌人集会理事。全国大学国語国文学会常任理事・キリスト教文学会関西支部理事を歴任。 広島県出身。学生時代、「立命短歌」「京都大学短歌会」に参加。「幻想派」を永田和宏・河野裕子等と、「枯野」を俳人の坪内稔典等と創刊。1981年、歌集「沈黙の塩」で第5回現代歌人集会賞受賞。2009年、歌集「百卒長」で第36回日本歌人クラブ賞受賞。近年は、介護する人・される人たちへの「介護百人一首」(NHK教育テレビ「福祉ネットワーク・介護の達人」)や「城崎百人一首」「城崎百人一句」(城崎温泉主催)や「SEITO百人一首」(同志社女子大学主催)を中心に「介護短歌」等を提唱した。
大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月… 大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月6日 - 、本名:斎藤 勝子〈さいとう かつこ〉)は、女流の浪曲師。全盲。岩手県東磐井郡八沢村(現:一関市)生まれ。 「大利根勝子は五つの時に、流行り病をわずらって、三日三晩の高熱で、危うく命は助かるも、母の姿も見えぬ目に。咲き誇る花の薫りで春を知り、秋の夜長の虫の声、耳を傾けしみじみと、たとえこの眼は見えぬとも、聴いてくださる皆様の、熱い眼差し五体に受けて、行く末長くご贔屓を、高座(たかざ)ながらも願います」という今では珍しくなった自己紹介の外題付けを使い、1994年に東京都・浅草の木馬亭で復活し、2023年2月の引退興行まで活動していた。