内田 伸子(うちだ のぶこ、1946年〈昭和21年〉1月1日… 内田 伸子(うちだ のぶこ、1946年〈昭和21年〉1月1日 - )は、日本の心理学者(発達心理学・認知心理学)。学位は学術博士(お茶の水女子大学・1991年)。お茶の水女子大学名誉教授。環太平洋大学教授。文化功労者。 一橋大学社会学部助手、お茶の水女子大学文教育学部教授、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授、お茶の水女子大学副学長、お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科教授、十文字学園女子大学特任教授、国立大学法人筑波大学監事、学校法人十文字学園理事などを歴任した。 群馬県出身の発達心理学や認知心理学を専攻する心理学者である。1991年にお茶の水女子大学より学術博士の学位を授与された。
海野 一幸(うみの かずゆき、1946年1月1日 - )は、… 海野 一幸(うみの かずゆき、1946年1月1日 - )は、日本の実業家。これまで山梨日日新聞の記者や山梨放送の取締役、ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ社長および会長、最高顧問、およびJリーグ理事会の理事に就いていた。 山梨県出身。山梨県立日川高等学校、東京農業大学卒業、外国留学を経て1970年に山梨日日新聞へ記者として入社する。山梨日日新聞では国政・県政において強い影響力を持っていた金丸信の番記者を任されるなど才能を買われ、1991年には同社の取締役編集局長に就任する。その後は山梨放送取締役、アドブレーン取締役を歴任する。2001年、ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ代表取締役社長に就任する。2012年から同社代表取締役会長に就任(2016年から「代表」の肩書が外れている)。
ウノ・カマキリ(1946年1月1日 - )は、日本の漫画家。… ウノ・カマキリ(1946年1月1日 - )は、日本の漫画家。本名、宇野文雄。主に『東京新聞』などに一コマ漫画と、書籍のイラストなどを描く。日本漫画家協会協会員、協会理事も歴任した。 愛知県碧海郡知立町(現・知立市)に生まれる。父親は小学校の教員。知立町立知立小学校3年生のときに岡崎市に引っ越す。中学のとき「カマキリ」とあだ名をつけられる。 愛知県立岡崎北高等学校在学中、名古屋市で開かれたオノレ・ドーミエの展覧会を見て「これだ」と思い、プロを目指す。阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業。アニメーション制作会社のTCJ映画部(現・エイケン)にアニメーターとして勤務。久里洋二のアニメーションに憧れ退社。イラスト作成に没頭し、描きためた作品を持って久里を訪ねる。
黒田 泰蔵(くろだ たいぞう、1946年〈昭和21年〉1月1… 黒田 泰蔵(くろだ たいぞう、1946年〈昭和21年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉4月13日)は、日本の陶芸家。滋賀県神埼郡能登川町(現東近江市)生まれ。ビジュアルデザイナーの黒田征太郎は兄。 民藝運動に連なる陶芸家島岡達三に師事するものの、初期のキャリアの大半をカナダで培うという異色の経歴を持つ陶芸作家である。1988年に日本に帰国して以降は静岡県伊東市にアトリエを構え、曲折を経て白磁の制作に専念するようになる。近年は《円筒》など実用の枠を超えた、純粋芸術的な作品も制作している。 兵庫県西宮市で軍需工場を営む父の末子(五人きょうだい)として1946年1月1日に生まれる。実家がある大阪が空襲を受けたため、生地である滋賀県能登川町は疎開先であった。
河野 栄子(こうの えいこ、1946年1月1日 - )は、日… 河野 栄子(こうの えいこ、1946年1月1日 - )は、日本の実業家。株式会社リクルート特別顧問、DIC株式会社取締役、株式会社東京証券取引所グループ 社外取締役、株式会社東京証券取引所社外取締役。 兵庫県出身。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。1969年、株式会社日本リクルートセンター(現・株式会社リクルート)に入社後、1984年、当時最年少で取締役に就任。以後、常務取締役(1985年)、専務取締役(1986年)、副社長(1994年)、代表取締役社長(1997年)、代表取締役会長兼CEO(2004年)を経て2005年6月より特別顧問。 社団法人経済同友会幹事を務めるとともに内閣府総合規制改革会議(現・規制改革会議)委員・経済産業省産業構造審議会委員など、多くの政府審議会の委員を歴任。
舘 暲(たち すすむ、1946年1月1日 - )は、日本のシ… 舘 暲(たち すすむ、1946年1月1日 - )は、日本のシステム工学者、東京大学名誉教授、慶應義塾大学特任教授。
秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は… 秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は、日本の旅行・航空評論家、サービスコンサルタント。
西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001… 西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001年11月25日)は日本の写真評論家、編集者。 東京都江戸川区小岩に生まれ、1952年までそこで育つ。1968年、慶應義塾大学経済学部卒業。 弘文堂新社編集部を経て、1969年に毎日新聞社出版局入社。「サンデー毎日」「毎日グラフ」記者を経て「カメラ毎日」編集部に入り、1983年から1985年休刊まで同誌編集長。1989年に「写真の会」を結成し「写真の会賞」を主催。 1996年、毎日新聞社出版局クロニクル編集長としてシリーズ「20世紀の記憶」全20巻を立ち上げ、2000年12月、同シリーズの完結後に選択定年退職。食道癌で死去。 癌発見後、死去までの2ヶ月を河瀬直美がドキュメンタリー映画『追憶のダンス』として撮影した。
堀田 隆夫(ほった たかお、1946年(昭和21年)1月1日… 堀田 隆夫(ほった たかお、1946年(昭和21年)1月1日 - )は、日本の元・大蔵官僚。元大蔵省造幣局長。血液型はB型。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデ… 宮後 浩(みやご ひろし、1946年1月 - )は、日本のデザイナー。芸術学博士。株式会社コラムデザインセンターならびに株式会社コラムデザインスクール代表取締役。 建築パースを中心に、店舗、工場などのデザインから企業CI(コーポレートアイデンティティ)のデザインコンサルティングなど幅広く手がける。 関西での手描き建築パース制作の第一人者として、建築デザインの実践的教育をめざし教育業務にも力を入れている。 現在、デザイン業務の傍ら、近畿大学理工学部建築学科、スペースデザインカレッジ京都校など各種学校等で講師、講演を勤める。 建築図面製作技能検定の大阪府技能検定委員 インテリア産業協会インテリアコーディネートコンテスト審査員 自分の作品に押印するために趣味として始めた篆刻で、2003年には日展(日本美術展覧会)の入選を果たす。
吉田 朋好(よしだ ともよし、1946年1月 - )は、日本… 吉田 朋好(よしだ ともよし、1946年1月 - )は、日本の数学者。東京工業大学名誉教授。専門は位相幾何学、特にゲージ理論と3次元多様体の不変量。 京都大学理学部数学科卒(1969年)。同大学院修士課程修了(1971年)。博士号取得(1975年)。津田塾大学講師、岡山大学助教授、東京都立大学教授、名古屋大学教授を経て東京工業大学教授。低次元多様体と大域解析学に関する研究業績により1993年幾何学賞を受賞。2026年4月、瑞宝中綬章を受章。
林 孝二郎(はやし こうじろう、1946年〈昭和21年〉1月… 林 孝二郎(はやし こうじろう、1946年〈昭和21年〉1月 - )は、日本の建設技監、地方公務員。国土庁大都市圏整備課長、千葉市副市長などを歴任。 1946年 千葉市に生まれる。千葉市立葛城中学校卒業、1964年 県立千葉高校卒業。1969年 東京大学工学部都市工学科卒業。同年 建設省に入省し、国土庁、富山県庁、愛知県庁などで都市づくり、地域づくりに携わる。1992年 (平成4年) 千葉市都市局長、1995年 国土庁大都市圏整備課長、1997年 東京都 防災都市づくり、開発計画部長、2002年 千葉市副市長、2008年12月 退職。 2008年年末、当時の千葉市長・鶴岡啓一は翌年の次期市長選挙不出馬とともに林を後継指名した。
瀬山 士郎(せやま しろう、1946年1月 - )は、日本の… 瀬山 士郎(せやま しろう、1946年1月 - )は、日本の数学者・教育学者。群馬大学名誉教授。放送大学群馬学習センター講師。専門は、位相幾何学・数学教育学。
野口 肇(のぐち はじめ、1946年1月 - )は、アメリカ… 野口 肇(のぐち はじめ、1946年1月 - )は、アメリカ文学者、首都大学東京名誉教授。 東京生まれ。1969年明治学院大学英文科卒、75年立正大学大学院博士課程満期退学、国際短期大学専任講師、77年山梨学院大学専任講師、82年東京都立立川短期大学専任講師、86年助教授、91年教授、96年東京都立短期大学教授、2006年首都大学東京教授、2009年定年退任、名誉教授。
大西 重成(おおにし しげなり、1946年 - )は日本のイ… 大西 重成(おおにし しげなり、1946年 - )は日本のイラストレーター、造形作家。北海道津別町出身。 1972年よりイラストレーターとして活躍。1979年にはハービー・ハンコック「Feets, Don't Fail Me Now」や坂本龍一「サマー・ナーヴス」のレコードジャケットのデザインを手がける。また、1990年から1995年までモスバーガー小冊子「モスモス」の表紙や本文イラストを担当し、一部は発行数が80万部に達した。その他、『ひらけ!ポンキッキ』のオープニングタイトルなど数多くのデザインを手がけている。 2001年津別町相生に私設美術館、シゲチャンランドを開設、廃材を素材とした作品を展示している。
木下 大門(きのした だいもん、1946年 - )は、日本の… 木下 大門(きのした だいもん、1946年 - )は、日本のイラストレーターで、昭和時代終期から活躍する浮世絵師。 1946年、北海道弟子屈町生まれ。弟子屈高校を卒業後、18歳の時に上京して、20歳で独立「もんあみ」というペンネームでイラストレーターとして活躍していた。その後、1980年、中国北京にある栄宝斎という木版画工房を見学、浮世絵師として立つ決意を固めた。明治以来80年の間途絶えていたが、江戸時代の先人の浮世絵作品から錦絵の型を独学し、勝川春章、勝川春英ら勝川派の絵を踏襲、伝統的浮世絵作品を制作した。1985年1月の新・両国国技館落成時にはそのこけら落とし初日前日、当時の相撲博物館館長で元武蔵川理事長の市川さんの「錦絵は相撲に相応しいので復活したい」という一声で相撲浮世絵の復興を願って筆を持つこととなり、財団法人日本相撲協会の認可を得て大相撲錦絵の絵師として版元の京都版画院と提携、多くの作品を展開している。
鴫原 正世(しぎはら まさよ、1946年 - )は、日本の教… 鴫原 正世(しぎはら まさよ、1946年 - )は、日本の教育者。 光塩学園女子短期大学の学長である。管理栄養士の肩書きをもっている。北海道網走市出身。
東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) … 東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) - )は、日本の実業家。東原興産代表取締役社長、札幌ばんけい代表取締役社長、太陽育成会理事長。 北海道深川市生まれ。札幌光星高等学校を経て、1966年(昭和41年)札幌短期大学商学科卒業。当初はトランペット奏者を志していたが、22歳のときに父が急逝し、家業の土建業を継ぐ。しかし結局会社は2年後に倒産してしまい、昼間はダンプカーの運転手、夜はススキノでトランペットを吹き、夜中にまたダンプカーで土砂運びという生活を30代後半まで続けた。 1988年(昭和63年)パチンコ産業の太陽グループ代表取締役社長・太陽流通代表取締役社長。1994年(平成6年)東原興産代表取締役社長。
魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2… 魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2008年(平成20年)[要出典])は日本の言語研究者。法廷通訳人。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校卒業。大阪外国語大学卒業。先生と呼ばれることを特に嫌っていて、親しく関わっていた人たちは「魚井ちゃん」「うーさん」と呼んでいた。 北海道滝川市にある國學院大學北海道短期大学部等でアイヌ語の教鞭をとった。他に大阪外国語大学、北海道教育大学旭川校等でもアイヌ語、アイヌ文化の指導を行っていた。旭川医科大学ではロシア語担当講師でもあった。旭川市博物館のアイヌ語辞書編纂担当嘱託でもあった。 1991年頃、旭川市内で「言葉の門」という英語塾を開いていた。
田村 政志(たむら まさし、1946年または1947年 - … 田村 政志(たむら まさし、1946年または1947年 - )は、日本の自治・総務官僚、地方公務員。北海道副知事、自治大学校長、総務省行政評価局長を歴任。瑞宝中綬章受章。 函館ラ・サール高校卒業、自治省入省、財政局財政課理事官、1988年 (昭和63年) 9月 同課企画官、1989年 (平成元年) 8月 山梨県庁に出向し総務部長、自治省に帰任し財政局交付税課長、1994年7月 北海道庁に出向し片木淳の後任として総務部長、1995年5月 鈴木弘泰の後任として林陽とともに北海道副知事。道東高速鉄道代表取締役社長を兼務。1997年6月 丸山達男と真田俊一を後任として林とともに副知事を辞職。自治省に帰任し大臣官房参事官を経て財政局地方債課長、1998年1月 財政局財政課長、1999年8月 国土庁に出向し長官官房審議官(防災局担当)。
藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は… 藤沢 孝雄(ふじさわ たかお、1946年 - 1993年)は、日本の化学者。千葉工業大学工業化学科にて教鞭を執り、ガラス繊維や炭素繊維のグラフト重合に関する研究を行っていた。 岩手県出身。父は都南村の村長を務めた藤沢与三郎(1909年 - 1976年)。都南村立見前中学校(1962年卒)、岩手県立盛岡第一高等学校(1965年卒)を経て、千葉工業大学を卒業する。卒業後も千葉工業大学に残って教鞭を執り、1970 - 80年代にかけて、炭素繊維やガラス繊維へのグラフト重合に関する複数の論文を発表している。 主な研究テーマは、ガラス溶融紡糸過程の解析や、炭素繊維へのモノマーのグラフト重合などである。これらの研究は、材料科学分野での引用が90件以上であり、代表的な論文として以下のものが挙げられる。
北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩… 北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩人。村上昭夫の研究の第一人者。 岩手県岩泉町生まれ。埼玉県上里町在住。岩手県立盛岡農業高等学校、酪農学園大学酪農学部卒。岩手県や埼玉県の公立学校教員を務める。1976年埼玉文学賞準賞。1991年の『救沢まで』で富田砕花賞、2012年『北の蜻蛉』で丸山薫賞受賞。河邨文一郎主宰の詩誌『核』終刊まで同人であり続けた。「撃竹」「歴程」創刊同人。村上昭夫研究誌「雁の声」主宰。2014年日本現代詩人会理事長。
三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師… 三浦 亨(みうら とおる、1946年 - )は、日本の振付師、ダンサー。宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。 カーニバル三浦という芸名での活動もしている。 宮城県桃生郡桃生町(現・石巻市)出身。宮城県石巻高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1970年、西条満の元でダンサーとしてデビュー。1973年に天地真理「恋する夏の日」で振付師としてデビュー。1970年代中盤から1980年代まで放送されたNHKの音楽番組『レッツゴーヤング』でダンス指導を担当し、所謂「80年代アイドル」やバックダンサーのスクールメイツの振り付けを多く担当する。 1985年からはおニャン子クラブの振り付けを担当。以降フジテレビの番組の振り付けを多く担当する。
三浦 健二(みうら けんじ、1946年 - )は、秋田県出身… 三浦 健二(みうら けんじ、1946年 - )は、秋田県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 秋田工業高等学校では、エースとして1963年秋季東北大会に進む。1回戦で弘前高と延長12回0-0で日没引き分け、再試合では延長15回1-0でサヨナラ勝ちし話題となる。決勝で秋田商に完封勝ち、翌1964年春の選抜への出場を決めた。しかし大会では、1回戦で海南高の尾崎正司に抑えられ敗退、海南高はこの大会に優勝する。同年夏の選手権にも出場。1回戦で高知高の光内数喜(芝工大-鐘淵化学)と投げ合うが敗退、高知高もこの大会に優勝している。この試合では高知高の四番打者であった有藤通世の顔面に死球を直撃、以後の試合を欠場させることとなった。
永井 健一(ながい けんいち、1946年 - )は、日本の機… 永井 健一(ながい けんいち、1946年 - )は、日本の機械工学者。群馬大学名誉教授。元日本機械学会機械力学・計測制御部門長。 1967年平工業高等専門学校(現福島工業高等専門学校)機械工学科卒業。1970年茨城大学工学部精密工学科卒業。1976年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。工学博士。群馬大学工業短期大学部機械工学科講師。1977年群馬大学工業短期大学部機械工学科助教授。1989年群馬大学工学部機械システム工学助教授。1990年文部省在外研究員(コーネル大学)。1991年文部省在外研究員(ダルムシュタット工科大学、ポーランド科学アカデミー基礎工学研究所)。1996年群馬大学工学部機械システム工学科教授。
坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャ… 坂本 榮(さかもと さかえ、1946年 - )は、日本のジャーナリスト。時事通信社経済部長、常陽新聞社長、同社会長、特定非営利活動法人NEWSつくば理事長等を歴任。時事通信社社長賞受賞。 茨城県土浦市出身。1966年に茨城県立土浦第一高等学校卒業。1970年一橋大学社会学部を卒業し、軍事評論家久住忠男の影響で、時事通信社に入社。 時事通信社では経済部に配属され、日本銀行記者クラブ時代に国際金融に関する報道で社長賞を受賞。1979年から1983年までワシントン特派員。経済部デスクを経て、証券部長として証券情報サービス「PRIME」の開設や、インサイダー取引規制体制整備などにあたった。1992年経済部長。
谷田貝 豊彦(やたがい とよひこ、1946年(昭和21年) … 谷田貝 豊彦(やたがい とよひこ、1946年(昭和21年) - )は、日本の物理工学研究者、筑波大学名誉教授、宇都宮大学オプティクス教育研究センター長、教授。専門は応用光学。栃木県出身。
青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家… 青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家で、本田技研工業会長。日本自動車工業会会長、NPO法人日本防災士機構評議員も務める。 群馬県立前橋高等学校卒業。1969年東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、同年ホンダ入社。管理部門が長く、イタリア現地法人2社の社長、ホンダ財務部長、取締役、常務、専務、副社長を経て2007年から会長。2008年自工会会長にも就任。趣味はモータースポーツの観戦とヒストリックカーの鑑賞。
蓑輪 努(みのわ つとむ、1946年 - )は、群馬県出身の… 蓑輪 努(みのわ つとむ、1946年 - )は、群馬県出身のアマチュア野球選手(内野手)。 群馬県立桐生高等学校では二塁手として甲子園に2回出場。1963年夏の選手権はエース高橋恒夫が好投。準々決勝に進むが、下関商の池永正明に抑えられ1-2で惜敗。その後、高校日本代表として池永、和田徹らとともにハワイに遠征した。1964年春の選抜では、2回戦で植木一智、衣笠祥雄のバッテリーを擁する平安高に敗退。 早稲田大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中3回の優勝を経験。1967年秋季リーグでは三塁手としてベストナインに選出される。1968年秋季リーグでは田淵幸一らのいた法大に競り勝ち優勝に貢献した。大学同期に小川邦和、長倉春生がいる。
生方 卓(うぶかた すぐる、1946年 - )は、日本の経済… 生方 卓(うぶかた すぐる、1946年 - )は、日本の経済学者。専門は社会思想史、環境共生思想。生田9条の会会員。 1946年、千葉県に生まれる。東京都立駒場高等学校を経て1969年3月、明治大学一部政治経済学部経済学科を卒業。1971年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻博士前期課程修了、経済学修士。1974年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻博士後期課程単位取得満期退学。明治大学政治経済学部専任講師、助教授を経て、明治大学政治経済学部准教授。2017年3月、准教授のまま定年退職。
吉田 恒昭(よしだ つねあき、1946年 - )は、日本の土… 吉田 恒昭(よしだ つねあき、1946年 - )は、日本の土木工学者。東京大学名誉教授。アジア・太平洋賞特別賞等受賞。 栃木県生まれ。1962年渋谷区立鉢山中学校卒業。1965年東京都立駒場高等学校卒業。サッカー部出身。 1971年東北大学工学部土木工学科卒業、日本工営入社。1977年国際開発センター研究員。 1978年ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院開発経済学専攻修士課程修了、M.Phil(経済学修士)。 1981年アジア開発銀行入行。1989年アジア開発銀行主任計画官。 1989年東京大学大学院工学系研究科教授。1992年博士(工学)。1998年アジア・太平洋賞特別賞受賞。
奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看… 奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看護師、看護学者。学位は医学博士。札幌医科大学 名誉教授。専門はリハビリテーション看護学、老年健康看護学など。これまでに茨城県立医療大学教授、大阪大学教授、東京工科大学教授、帝京科学大学教授、北海道科学大学教授などを歴任した。 祖父は大日本帝国海軍中将の栗田健男、高祖父は東京帝国大学教授の栗田寛、おじは大日本帝国海軍中佐・空将の奥宮正武。 1969年に聖路加看護大学を卒業する。1973年に日本社会事業学校研究科を修了。その後、1973年から1982年にかけて国家公務員等共済組合連合会虎の門病院看護師、1982年から1986年にかけて埼玉県立衛生短期大学講師となり、1986年から1996年にかけて東京都立医療技術短期大学助教授、教授として勤める。
川村 正幸(かわむら まさゆき、1946年 - )は、日本の… 川村 正幸(かわむら まさゆき、1946年 - )は、日本の法学者。専門は、会社法・金融商品取引法・銀行法・手形法など。学位は、博士(法学)(一橋大学・論文博士・1995年)(学位論文『手形抗弁の基礎理論』)。一橋大学名誉教授。駿河台大学第6代学長。法務省司法試験考査委員等も歴任。手形・小切手法の第一人者。 桜修館中等教育学校後期課程を経て、1969年(昭和44年)一橋大学法学部卒業、1975年(昭和50年)一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得退学。堀口亘門下。 1975年(昭和50年)一橋大学助手就任。1977年(昭和52年)講師、助教授を経て、1986年(昭和61年)法学部教授に就任。1998年(平成10年) - 2000年(平成12年)法学部長・法学研究科長を経て、2004年(平成16年)当時の石弘光一橋大学学長のもとで副学長に就任、国立大学法人への移行などを担った。
菅原 正(すがわら ただし、1946年 - )は、日本の化学… 菅原 正(すがわら ただし、1946年 - )は、日本の化学者。専門は物理有機化学、有機物性化学、物質変換。物質と生命との間のミッシング・リンクを埋める研究で知られる。 1946年東京に生まれる。1974年東京大学大学院 理学系研究科 博士課程修了、分子科学研究所助手、東京大学教養学部 助教授、1991年 東京大学教授を経て、2010年複雑系生命システム研究センター特任研究員、2012年神奈川大学理学部特任教授、2013年同教授、電子スピン学会賞(2008年)分子科学会賞(2012年)
諸葛 宗男(もろくず むねお、1946年 - )は、日本の教… 諸葛 宗男(もろくず むねお、1946年 - )は、日本の教育者、元東京大学公共政策大学院特任教授。研究分野は原子力研究開発政策、原子力安全規制政策、エネルギー環境政策。日本原子力学会社会環境部会長兼広報情報委員会委員兼ポジションステートメントワーキンググループ(WG)主査、日本原子力学会日本型性能保証研究専門委員会幹事、日本原子力学会原子力安全調査専門委員会委員、東京大学原子力法制研究会社会と法制度設計分科会幹事。 東京都生まれ。武蔵高等学校を経て東京大学工学部原子力工学科(現:システム量子工学科)卒。1970年の東京芝浦電機(現、東芝)入社後、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)に核燃料開発本部研究員として出向。
池尻 泰顔(いけじり たいがん、1946年 - )は、東京世… 池尻 泰顔(いけじり たいがん、1946年 - )は、東京世田谷区奥沢出身の右翼活動家である。 日本大学鶴ヶ丘高等学校在学時に、60年安保闘争で社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢に憧れ、田園調布の防共挺身隊の福田一門に入門、右翼運動のいろはを学ぶ。 1966年日本大学農獣医学部に入学、右翼学生を組織し桜友会を結成、学内の極左、日共勢力に攻撃を加え全共闘に潜り込み極左の内ゲバを煽動し日大闘争分断活動を行った。駒澤大学では全共闘のバリケード封鎖を実力で破壊、極左勢力を学外追放した。日大桜友会の学生を中心に防共挺身隊青年行動隊の安藤忠男、桶忠等と軍国主義学生同盟を結成し反共武装闘争を叫び街宣車で連日のように極左集団に突撃を加えた、羽田、成田、王子等極左の出没する所には必ず軍学同の黒旗とナチスのハーケンクロイツ旗が翻った。
菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、… 菊池 伶司(きくち れいじ、1946年 - 1968年)は、日本の銅版画家。
若宮 秀雄(わかみや ひでお、1946年 - )は、東京都出… 若宮 秀雄(わかみや ひでお、1946年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手。ポジションは投手。 日大三高では、エースとして1年下の石塚雅二とバッテリーを組み1963年の秋季東京大会に優勝、翌1964年の春の選抜への出場を決める。選抜では2回戦(初戦)で浪商に敗退。同年夏の甲子園都予選は6回戦で修徳高に敗退。高校同期に遊撃手の大橋穣、外野手の小松時男がいた。 小松とともに日本大学に進学。東都大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験。しかしその後はチームが低迷、1967年秋季リーグでは二部に陥落する。大学の1年上に森内一忠、1年下に佐藤道郎と好投手がおり、あまり活躍の場はなかった。
高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は… 高橋 亨(たかはし とおる、1946年(昭和21年)- )は、日本の元海上自衛官、軍事評論家。 陸上自衛隊生徒から海上自衛隊一般幹部候補生に転じ、海上自衛官となった。 P-3Cの海上自衛隊への採用に際して心臓部であるA-NEWシステムのオペレーションプログラムの日本へのリリースに関連して米国で研修を受けており、航空対潜戦の専門家である。 1999年航空集団司令部幕僚長(厚木)、2001年海上幕僚監部監察官(市ヶ谷)等を歴任し、2003年に海将として第29代航空集団司令官(厚木)を務めた。退官後は軍事評論家として、jbpressでコラム等を執筆している。
岡田 裕(おかだ ゆう、1946年〈昭和21年)3月 - 〉… 岡田 裕(おかだ ゆう、1946年〈昭和21年)3月 - 〉は、山口県光市出身の陶芸家。江戸時代に築かれ、200年以上受け継がれてきた由緒ある窯元である萩焼岡田窯八代目(山口県指定無形文化財萩焼保持者)。 1946年3月岡田窯七代岡田仙舟の長男として、父の赴任地山口県光市で生まれる。1964年神奈川県立厚木高等学校、1968年慶応義塾大学法学部をそれぞれ卒業。いったんは水産会社である株式会社極洋に入社したが、萩焼の魅力に引き込まれ、1972年退社して父仙舟に師事し作陶に入る。2004年仙舟死去の後、岡田窯八代に就任。1977年日本工芸会山口支部研究会員、1978年萩女子短期大学非常勤講師に就任(1999年まで)。
木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ … 木本 芳雄 / 奇本 芳雄(きもと よしお、1946年 ‐ )は、山形県出身の高校野球指導者、高校野球解説者、社会科教諭。旧姓・奇本。 神奈川県の武相高等学校野球部では5番・一塁手、副主将として、1964年の第46回全国高等学校野球選手権大会に出場している。駒澤大学進学後は、足の怪我を理由に指導者への転身を勧められ、母校・武相高のコーチを頼まれる。熱心に有望な中学生のスカウトにあたっていた。更に大学3年の時に武相高の監督が辞めた際には、奇本(当時)が実質的な監督状態となっていた。武相高からは大学の学費まで出してもらえており、教員になれるよう支援され、あとは正式な打診を待つばかりであった。しかし、学内の事情により、別の指導者が正式な監督に就任、はしごを外された状態となってしまう。
相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年… 相川 亮一(あいかわ りょういち、1946年 - 2011年)は、神奈川県出身のサッカー指導者。 栄光学園高等学校出身で、独自のサッカー感を持ち、独学でサッカー理論を学ぶ。高校2年次の1963年から栄光サッカー部の指導を始め、大学3年次の1967年まで務めた。1965年に早稲田大学第一政治経済学部政治学科へ進学し、2年次の1966年には山手学院コーチとなり、卒業後の1971年まで務めた。1971年に日本サッカー協会主催第2回公認サッカー・コーチング・スクールを受講し、平木隆三(日本サッカー協会主任コーチ)に師事。1973年にテヘランで開催された国際サッカー連盟主催公認アジアコーチング・スクールを受講し、主任コーチのデットマール・クラマーに師事。
本田 均(ほんだ ひとし、1946年 - )は、日本の外交官… 本田 均(ほんだ ひとし、1946年 - )は、日本の外交官。ヒューストン総領事や、駐ウクライナ特命全権大使、駐フィンランド特命全権大使等を歴任した。 新潟県出身。新潟県立長岡高等学校を経て、1968年東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、外務省入省。1970年フレッチャー法律外交大学院卒業、修士。 1984年外務大臣官房総務課査察室長。1985年外務大臣官房総務課主任企画官。同年外務大臣官房領事移住部領事第二課長。1988年在フランス日本国大使館参事官。 在ハンガリー日本国大使館公使を経て、1994年外務省研修所副所長。1996年在ヒューストン日本国総領事館総領事。1999年外務大臣官房兼総合外交政策局国際社会協力部大使、国際連合人口開発特別総会日本政府代表。
竹内 郁雄(たけうち いくお、1946年 - )は、日本の工… 竹内 郁雄(たけうち いくお、1946年 - )は、日本の工学者。早稲田大学理工学術院教授。2010年、東京大学名誉教授。 金沢大学附属高等学校を経て、1969年東京大学理学部数学科卒業、1971年東京大学大学院理学系研究科数学専攻修士課程修了し、日本電信電話公社電気通信研究所入所。 1987年NTTソフトウェア研究所ソフトウェア基礎技術研究部グループリーダ。1989年NTT基礎研究所情報科学研究部グループリーダー、1994年NTTソフトウェア研究所広域コンピューティング研究部主幹研究員。 1996年論文「パラダイム融合言語の研究」により東京大学博士(工学)を取得。 1997年電気通信大学電気通信学部情報工学科教授。
石曽根 新八(いしぞね しんぱち、1946年 - )は、日本… 石曽根 新八(いしぞね しんぱち、1946年 - )は、日本の医師。長野県立こども病院元院長。 1946年(昭和21年)長野県生まれ。1964年(昭和39年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1971年(昭和46年)信州大学医学部卒業。1993年(平成5年)開設当初の長野県立こども病院(安曇野市)へ、外科部長として赴任。副院長を経て、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)3月まで院長を務めた。現在、丸の内病院理事長。 石曾根が院長を務めていた2004年(平成16年)当時、長野県立こども病院の院内学級をモデルにしたテレビ朝日系木曜ドラマ、「電池が切れるまで -子ども病院からのメッセージ-」(原作 宮越由貴奈)が、同年4月22日から6月24日にかけて放映された。
正司 政夫(しょうじ まさお、1946年 - )は、日本の医… 正司 政夫(しょうじ まさお、1946年 - )は、日本の医師。石川県珠洲市総合病院元院長。医学博士。
矢橋 慎哉(やはし しんや、1946年 - )は、日本の実業… 矢橋 慎哉(やはし しんや、1946年 - )は、日本の実業家。矢橋工業会長を歴任。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る(アーカイブ)」矢橋家・本家の出身。大垣市功労章受章者。 1946年、矢橋次郎・絹の長男で矢橋工業社長の矢橋宗一・常子の長男として生まれる。1969年、日本長期信用銀行入行。1977年、矢橋工業入社。1979年、矢橋工業取締役。1982年、矢橋工業副社長。1988年、矢橋工業社長。2004年、多年、大垣市教育委員会委員長などとして、安全で快適な教育環境づくりに取り組み、大垣市の教育の振興に貢献し、また、矢橋工業株式会社取締役社長として、地域産業の発展に尽力したとして、大垣市功労章受章。
旭 英昭(あさひ ひであき 1946年 - )は日本の元外交… 旭 英昭(あさひ ひであき 1946年 - )は日本の元外交官。初代駐東ティモール大使。東京大学大学院教授。日本国際問題研究所客員研究員。 1946年、静岡県生まれ。1965年、静岡県立静岡高等学校卒業。1970年、東京大学法学部卒業。1971年、外務省入省、2004年~05年、駐東ティモール大使。2006年退官。2007~13年、東京大学教授(国際関係論、国際政治)。東京大学大学院総合文化研究科教授(安全保障)。日本国際問題研究所客員研究員。
仲田 正之(なかだ まさゆき、1946年 - )は、日本史学… 仲田 正之(なかだ まさゆき、1946年 - )は、日本史学者。 静岡県田方郡韮山町生まれ。祖父は江川英龍家の執事だった。1971年駒澤大学大学院日本史学修士課程修了。1972年静岡県立沼津東高等学校教諭となり、静岡県立伊豆中央高等学校教諭、静岡県立三島北高等学校教諭 駒澤大学非常勤講師、静岡県立韮山高等学校教諭などを務めた。1998年「韮山代官の総合的研究」で駒澤大学博士(日本史学)。
中田 平(なかた ひとし、1946年 - )は、日本の情報学… 中田 平(なかた ひとし、1946年 - )は、日本の情報学者、翻訳家。金城学院大学名誉教授(元・現代文化学部情報文化学科教授)。特定非営利活動法人東海インターネット協議会理事長。デジタルエステイト株式会社代表取締役社長。 石川県金沢市出身。愛知県立瑞陵高等学校、愛知県立大学卒業、名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了。 吉本隆明『共同幻想論』のフランス語翻訳者として知られる。 2014年3月に大学を定年退職したあとは、デジタルエステイトでの電子書籍出版業をメインに活動している。