岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、… 岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、元NHKアナウンサー。 横浜市出身。明治大学卒業後、1972年に入局した。初任地は帯広で、松江、ラジオセンターなどで勤務した。 ラジオセンター 時代
1950年(昭和25年)生まれ:1,784人
岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、… 岩崎 博(いわさき ひろし、1950年1月21日 - )は、元NHKアナウンサー。 横浜市出身。明治大学卒業後、1972年に入局した。初任地は帯広で、松江、ラジオセンターなどで勤務した。 ラジオセンター 時代
大泉 博子(おおいずみ ひろこ、1950年1月20日 ‐ )… 大泉 博子(おおいずみ ひろこ、1950年1月20日 ‐ )は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(1期)、山口県副知事などを務めた。 東京都立西高等学校を経て1972年に東京大学教養学部(国際関係論分科)を卒業し、当時の厚生省に入省。国連児童基金(ユニセフ)インド事務所計画評価官、児童家庭局企画課長、社会・援護局企画課長などを歴任。この間、1977年にミシガン大学大学院で行政学修士を取得している。 1998年から3年間、山口県副知事を務めた。
ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 -… ハービー・山口(ハービー やまぐち、1950年1月20日 - )は、写真家、エッセイスト。 作家名の由来は、自身が傾倒していたジャズ・フルート奏者のハービー・マンから。 正則高等学校を経て東京経済大学経済学部卒業後、渡英。ロンドンでデビュー前のボーイ・ジョージと共同生活するなどして、ロンドンのミュージシャン達と交流した。 中山美穂、福山雅治、大江千里、THE BOOM、THE MODS、桑田佳祐、岡村孝子、稲垣潤一、BOØWY、ASKA、エレファントカシマシ、由紀さおり、林浩司などのCDジャケットを手がける。また、布袋寅泰のアルバム、『GUITARHYTHM』で8曲の英語詞での作詞を行った。写真集、エッセイ集発表の他、ラジオDJや俳優として映画出演などの活動も行う。
坂庭 省悟(さかにわ しょうご、 1950年1月20日 - … 坂庭 省悟(さかにわ しょうご、 1950年1月20日 - 2003年12月15日)は日本のブルーグラス歌手、フォークシンガー、ギタリスト、作曲家。 高石ともや、杉田二郎、はしだのりひこらとともに関西フォークシンガーの旗手的な役割をなした。プロデビュー時に楽曲の提供を受け、1971年のヒット曲で『花嫁』作詞・作曲のコンビを組んだきたやまおさむとの親交も長く、きたやまの著作にもエピソードが残されている。 1965年、高校入学。高校ではブラスバンド部に所属。サクソフォーンを担当するも、ドラムスを密かに自主練習。高校のブラスバンド部の先輩のバンドで、ギターに触れる。京都会館第二ホールで行われた『第一回 TAKE IVY キャンペーン(ヴァンヂャケット主催)』のライブで、同志社大学の学生・藤原洪太らの「ドゥディ・ランブラーズ」(後にはしだのりひこも参加)が唄ったアメリカン・フォークソングに魅了される。
柳田 和久(やなぎだ かずひさ、1950年〈昭和25年〉1月… 柳田 和久(やなぎだ かずひさ、1950年〈昭和25年〉1月19日 - )は、日本の歴史学者、郷土史家。 福島県郡山市に生まれる。郡山商業高等学校を卒業、法政大学大学院博士課程を修了。財団法人郡山市埋蔵文化財発掘調査事業団(現・公益財団法人郡山市文化・学び振興公社文化財調査研究センター)職員として、郡山市史および福島県内の各市町村の歴史を中心に郷土史の研究に当たる。郡山市に伝わる歴史上の課題に果敢に挑戦してその解明に努力している。郡山市文化・学び振興公社文化財調査研究センター長を経て、郡山市文化財保護審議会副会長を歴任した。 中世16世紀における郡山城 (陸奥国安積郡)の城跡比定については、これまで長い間その位置は未詳であるとされてきた。
中津濱 健(なかつはま つよし、1950年1月19日 - )… 中津濱 健(なかつはま つよし、1950年1月19日 - )は、日本の実業家。ローマイヤ社長を経て、スターゼン会長兼社長。 鹿児島県出身。1972年3月 駒澤大学文学部卒業。ゼンチク(現スターゼン)入社。2004年取締役、2010年ローマイヤ社長、2011年スターゼン専務を歴任。2012年、社長に就任。2018年4月、会長兼社長。 2012年8月に株式交換によりローマイヤを完全子会社化、本社移転を実施。2013年4月に子会社のスターゼン東日本販売、スターゼン北日本販売、スターゼン西日本販売、スターゼン南日本販売の4社を合併し、スターゼン販売を設立。2014年3月に東京部分肉センター(現・スターゼン東京物流センター)を完全子会社化。
金子 晴美(かねこ はるみ、1950年1月19日 - )は、… 金子 晴美(かねこ はるみ、1950年1月19日 - )は、東京都出身のジャズシンガーである。 獨協大学を卒業後、水島早苗ジャズ・ヴォーカル研究所を経て歌手活動を開始する。 1980年、ボブ・ドロープロデュースでデビュー。 1990年、『マイ・ロマンス』の録音でルー・タバキン、ウォーレン・ヴァシェらと共演した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 201… 植月英俊(うえつきひでとし、1950年1月18日 - 2016年7月3日)は、日本の画家である。岡山県勝央町(旧植月村)出身。2016年に胆管癌で亡くなる。 父親は、広島県御調町出身。父とは離婚により幼児期に生別。 母親は、岡山県勝田郡勝央町出身。母とは中学時代に死別。 大学進学まで親族(植月家)の援助のもとで暮らす。 若くにして両親を失ったことが自身の芸術に大きく影響している。 高校時代から美術に興味を抱き、大学時代はシュールレアリズムに大きく影響を受ける。その後、写実主義・シュールレアリズム的表現・細密模写等にも多く影響を受けることとなる。 教員としての仕事に従事しながらも、画家として数々の展覧会を開く。
小島 英雄(こじま ひでお、1950年1月18日 - )は、… 小島 英雄(こじま ひでお、1950年1月18日 - )は、日本の政治家、行政書士。岐南町議会議員(8期)。岐阜県岐南町長(1期)を務めた。 愛知学院大学法学部卒業後、行政書士となる。開始時期は不明だが、将棋教室を主宰する。 2000年、岐南町議会議員の補欠選挙に立候補し初当選。 2008年8月23日、岐南町発注の公共工事の業者選定をめぐり、業者側から多額の借金をしたとして、岐南町長の片桐博彰が収賄容疑で逮捕された。片桐の辞職に伴い同年11月16日に行われた町長選挙に立候補するも、元町職員の松原秀安に敗れ、次点で落選。 2009年、町議選に立候補しトップ当選。 2012年、町長選挙に立候補するも、現職の松原との一騎打ちに敗れ落選。
福住 俊一(ふくずみ しゅんいち、1950年(昭和25年)1… 福住 俊一(ふくずみ しゅんいち、1950年(昭和25年)1月18日- )は物理化学者。大阪大学教授。名古屋市生まれ。 電子移動反応の第一人者。電子移動反応の制御、光触媒、光エネルギー変換、生物無機化学等が専門である。
遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月… 遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月17日 - )は、日本の政治家。日本スポーツ協会会長(第16代)。 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次安倍内閣)、建設政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長、同農林水産委員長、衆議院議員(10期)、自由民主党総務会長(第60代)、同選挙対策委員長(第9代)、同2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長、同政務調査会長代理、同教育再生実行本部長、同国際局長、同幹事長代理、同スポーツ立国調査会長、同財務委員長、同中央政治大学院学院長、山形県議会議員(2期)を歴任した。
金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、… 金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。マツダ株式会社相談役。在広島メキシコ合衆国名誉領事。 広島県出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学工学部卒業後、1974年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。一貫して開発畑を歩み、チーフエンジニアを務め2002年に発売された初代アテンザは132の賞を受賞し、世界的に高い評価を得た。2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGYの開発も指揮し、マツダ車の全ての要素を刷新した。2014年に代表取締役会長に就任し、2018年に退任。座右の銘は「敬天愛人」。マツダ財団理事長、中国経済連合会副会長、蔵前工業会広島県支部長なども務めた。
白井豊(しらいゆたか:英語表記Yutaka Shirai、1… 白井豊(しらいゆたか:英語表記Yutaka Shirai、1950年1月17日 - )は、日本の技術士、コンピュータプログラマ。鹿児島県阿久根市生まれ。鹿児島大学理学部物理学科を卒業したが、卒業論文の実験解析に使ったコンピュータに魅せられてソフトの世界へ進む。ソフト会社の構造計画研究所に入社した当初は有限要素法や振動解析などの工学系ソフト開発に従事するが、マイコン普及とともに、メーカや国立の研究所関連で通信制御装置の試作品や研究目的のコンピュータ試作等の請負に従事する。 このため科学技術計算ソフトだけでなく、組込み計算機、言語処理関連ソフト、人工知能ソフト等、幅広い分野のソフト開発を手掛ける。後、LISPマシン、Pascalマシンなど高級言語計算機のCPU制御を専門としている。
原島 功(はらしま いさお、1950年1月17日 - 201… 原島 功(はらしま いさお、1950年1月17日 - 2015年3月20日)は、日本の実業家、株式会社ベルク元代表取締役社長。 1950年1月17日、埼玉県秩父市生まれ。1973年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、株式会社西友入社。1976年4月、家業である株式会社主婦の店秩父店へ入社。 1983年、営業地域の拡大等に対応し、株式会社主婦の店ベルクに商号変更。1992年、株式会社主婦の店を株式会社ベルクへ商号変更。 1995年、原島功が同社代表取締役社長に就任。 2006年には、イオン株式会社と業務・資本提携する。 2008年に、東京証券取引所市場2部上場、2009年、東京証券取引所市場1部銘柄に指定された。
山田 正紀(やまだ まさき、1950年1月16日 -)は、日… 山田 正紀(やまだ まさき、1950年1月16日 -)は、日本の小説家。 愛知県名古屋市生まれ。明治大学政治経済学部卒業。日本推理作家協会会員。本格ミステリ作家クラブ会員。日本冒険作家クラブ元会員。日本の「SF作家第二世代」を代表する作家の一人。 日本SF作家クラブでは第9代事務局長、第12代会長を務めたが、後に退会、2021年に再入会した。 子供時代は漫画家を目指していた。60年代後半、雑誌『話の特集』の編集者をしていたこともある。 大学を1年間休学して、イスラエルのキブツで暮らすなど海外放浪。 帰国して大学卒業後、同人誌『宇宙塵』に投稿し、処女作「終末曲面に骰子を投げ入れて」が掲載、さらに「襲撃のメロディ」が掲載される。
野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広… 野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF)、指導者。 現高知大学教育学部教授、サッカー部監督。 中1からサッカーを始める。広島大学附属高時代に福原黎三から指導を受けた。同世代に高田豊治がいる。 東京教育大学(現筑波大学) 体育学部体育学科に進み、蹴球部では主にセンターバックとして活躍、成田十次郎から指導を受け、高田や木之本興三らとプレーした。在学中に関東大学サッカーリーグ戦や第20回全国大学サッカー選手権大会で優勝した。1972年には成田が監督を兼務していた日本サッカーリーグ2部の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の選手として7試合に出場した。
内山 節(うちやま たかし、1950年1月15日 - )は日… 内山 節(うちやま たかし、1950年1月15日 - )は日本の教員、哲学者。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科客員教授。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事。 70年代から東京と群馬県の上野村との二重生活をし、存在論、労働論、自然哲学などについて独自の視点で探究する『労働過程論ノート』(1976年)などで注目され、『山里の釣りから』(1980年)などの思索的エッセイでも知られる。 現代日本人の主体性の喪失と自然破壊との関連性を訴え、自然との共生による人間性の回復を実践的に考察している。 東京都世田谷区出身。東京都立新宿高等学校卒業。高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ておらず、大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員(大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授)としても活動、その後、東京大学大学院人文社会系研究所兼任講師、東京大学農学部兼任講師、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授、三重大学生物資源学部兼任講師を歴任。
国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和… 国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元岐阜県高山市長(3期)。 岐阜県高山市西町出身。高山市立南小学校、高山市立松倉中学校、岐阜県立斐太高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、愛知大学法経学部法学科卒業。同年4月、高山市役所に入庁。 2008年4月、高山市副市長に就任。 2010年の高山市長選で、市長の退職金廃止、副市長を2人から1人に削減、斎場建設の着手、JR高山駅西側の総合交流センター計画の見直しなどを公約に掲げ、前市長が推した対立候補を破って初当選した。 2022年5月28日、同年8月に予定されている市長選挙に「持つべき集中力や胆力といった資質を次の4年間も持ち続けられないと判断した」として立候補しない意向を表明した。
大沼 啓延(おおぬま ひろのぶ、1950年1月15日 - 2… 大沼 啓延(おおぬま ひろのぶ、1950年1月15日 - 2018年5月9日)は、日本のテレビキャスター、プロデューサー、司会者、歌手。大沼企画代表取締役。 静岡県静岡市葵区出身。妻は作家の相沢早苗。 静岡市立高等学校、明治大学商学部を卒業後、総合レジャー企画会社に入社して勤務した後、1974年にTBS映画社(のちのTBSビジョン(TBS-V)、現在のTBSスパークル)に入社し数々の番組制作を手がけた。1978年に『がんばれライオンズ』(TBS)のコーナー「広岡君と田淵君」の取材中に球場に来られなくなったリポーターの代理を務める。その反響が大きかったことで番組プロデューサーの勧めにより、1982年にディレクターとしてテレビ出演し、『朝のホットライン』(TBS)でスポーツキャスターを務める。
川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月1… 川添 哲夫(かわぞえ てつお、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 1988年〈昭和63年〉3月24日)は、日本の剣道家。段位は教士七段。 上段の遣い手で、全日本剣道選手権大会優勝2回・準優勝1回・第三位3回、全国教職員剣道大会個人優勝5回、世界剣道選手権大会団体優勝1回などの戦績を残した。 高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)生まれ。父は剣道範士八段・高知県剣道連盟副会長の川添恵美(かわぞえ めぐみ)。 高知中学校・高等学校で剣道に励み、高校2年・3年にはインターハイに出場。3年から上段の構えを執る。 国士舘大学体育学部4年時の1971年、第19回全日本剣道選手権大会で初出場初優勝した。大学生で全日本選手権を制覇したのは川添が史上初であり、これは2014年の第62回全日本選手権で竹ノ内佑也(筑波大学)が川添と同じく初出場初優勝を果たすまで43年間現れなかった。
八丁地 園子(はっちょうじ そのこ、1950年1月15日 -… 八丁地 園子(はっちょうじ そのこ、1950年1月15日 - )は、日本の女性実業家。日本航空社外取締役・独立役員。津田塾大学学長特命補佐・戦略推進本部長。 津田塾大学学芸学部数学科を卒業し1972年、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。金融商品開発やコーポレートファイナンス業務等でキャリアを積み、子会社のIBJ International副社長、興銀リース執行役員、共立リスクマネジメントシニアコンサルタント等を歴任。 2005年、明治大学大学院グローバルビジネス研究科に入学し、経営管理修士(専門職)を取得。2009年、藤田観光執行役員に就任。常務取締役兼常務執行役員企画本部長を経て、2015年に同社顧問。
岩倉 博文(いわくら ひろふみ、1950年〈昭和25年〉1月… 岩倉 博文(いわくら ひろふみ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - 2025年〈令和7年〉4月18日)は、日本の政治家。位階は正五位。 北海道苫小牧市長(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。 北海道苫小牧市生まれ。岩倉組創業者・岩倉巻次は祖父。宗教は天理教。中学卒業後上京し、立教高等学校、立教大学経済学部経営学科卒業、アメリカ合衆国アンカレッジコミュニティ・カレッジ基礎経済学講座修了。日本に帰国後、1974年(昭和49年)岩倉組土建入社(1989年1月岩倉建設へ社名変更)社員・役員を経て、2000年(平成12年)退社。1989年に日本青年会議所副会頭に就任した。 2000年(平成12年)、第42回衆議院議員総選挙に北海道9区から自由民主党公認で立候補。
筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は… 筑紫 磐井(つくし ばんせい、1950年1月14日 - )は、日本の俳人・評論家・文部科学官僚。俳誌「豈」発行人。本名は國谷実。東京都出身。 東京都豊島区生まれ。獨協中学校・高等学校を経て、一橋大学法学部に入学。大学在学中の1971年「馬酔木」に投句し、1973年「沖」に入会、能村登四郎に師事。1974年に大学卒業した後は科学技術庁に入庁、官僚として勤めながら俳人、俳句評論家として活動する(職歴参照)。1990年「豈」に入会、1991年より同誌編集人、2001年より同発行人を務める。 諧謔味の強い句風で、第一句集『野干』は「女狐に賜る位・扇かな」「みちのくに戀ゆゑ細る瀧もがな」といった、王朝文学の世界を素材とした擬古典的な句を収め、第二句集『婆伽梵』では同じ路線で万葉時代から昭和戦中期までの世界を表現している。
高田 康成(たかだ やすなり、1950年1月14日 - )は… 高田 康成(たかだ やすなり、1950年1月14日 - )は、日本の英文学者。東京大学名誉教授、名古屋外国語大学名誉教授。日本学士院会員。専攻は中世英文学、表象古典文化論(古典ラテン文学)。 東京生まれ。東京都立航空工業高等専門学校中退。1972年国際基督教大学教養学部卒業。1976年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同年、大阪大学言語文化部助手。1978年から1980年にケンブリッジ大学留学。1984年東北大学文学部助教授、1989年東京大学教養学部助教授、1994年同大学大学院総合文化研究科教授。2015年定年退任、名誉教授、名古屋外国語大学現代英語学部教授。2020年定年、名誉教授。
辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日 - 20… 辰野 登恵子(たつの とえこ、1950年1月13日 - 2014年9月29日)は、日本の抽象絵画画家・版画家。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。多摩美術大学教授。長野県岡谷市出身。 1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる。
古屋 一樹(ふるや かずき、1950年1月13日 - )は、… 古屋 一樹(ふるや かずき、1950年1月13日 - )は、日本の実業家。セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長を経て、同社取締役会長、日本フランチャイズチェーン協会副会長。 神奈川県出身。成城高等学校を経て、1973年明治学院大学商学部卒業。1982年セブン-イレブン・ジャパン入社。2000年取締役ゾーンマネジャー。2002年取締役オペレーション本部長。2004年常務取締役リクルート本部長。2007年取締役専務執行役員リクルート本部長。2011年取締役副社長執行役員。2016年から代表取締役社長を務め 業容拡大を進め、2018年には国内店舗数2万店舗突破を実現した。2019年取締役会長。日本フランチャイズチェーン協会副会長、セブン-イレブン記念財団評議員会長 なども務めた。
神余 隆博(しんよ たかひろ、1950年(昭和25年)1月1… 神余 隆博(しんよ たかひろ、1950年(昭和25年)1月11日 - )は、日本の国際政治学者、外交官。大阪大学教授、国際連合日本政府代表部次席代表特命全権大使、ドイツ駐箚特命全権大使を経て、2012年より関西学院大学教授・副学長を務めた。博士(法学)。2024年、瑞宝中綬章受章。 香川県仲多度郡琴平町出身。大阪大学法学部に入学。阪大法学部では英語研究会(ESS)と川島慶雄の国際法のゼミに所属。英語研究会(ESS)の先輩である藪中三十二が外務省に入省したことに刺激を受け、阪大法学部在学中に外務公務員採用上級試験を受験。合格し、1972年(昭和47年)阪大を卒業し外務省に入省した。 外交官のかたわら、以下の大学で教壇に立ち、国際関係の講座を持った。
岡野 雄一(おかの ゆういち、1950年1月11日 - )は… 岡野 雄一(おかの ゆういち、1950年1月11日 - )は、日本の漫画家。自著においては自身のことをペコロスと名乗る。ペコロスとは西洋玉ねぎのことで、自身のはげ頭にそっくりなので借用している。既婚(再婚)で息子が一人いる。 1950年、長崎県長崎市にて生まれ育った。父は再婚で、親戚にあたる女性と結婚した。その間に生まれたのが、岡野である。父は三菱重工業長崎造船所に勤務するかたわら、斎藤茂吉に師事するアララギの歌人でもあった。 長崎市立勝山小学校(のちに長崎市立新興善小学校、長崎市立磨屋小学校と統合再編され長崎市立桜町小学校と長崎市立諏訪小学校に)、長崎市立長崎中学校を経て、長崎県立長崎東高等学校に入学する。
辻村 清行(つじむら きよゆき、1950年1月11日 - )… 辻村 清行(つじむら きよゆき、1950年1月11日 - ) は、日本の実業家。NTTドコモ創立メンバーで、同社代表取締役副社長を経て、ドコモエンジニアリング代表取締役社長、東京工業大学特任教授、早稲田大学客員教授、東京大学客員教授などを歴任した。 東京出身。1973年東京工業大学工学部電子物理学科卒業。1975年東京工業大学大学院理工学研究科電子物理工学専攻修士課程修了、日本電信電話公社入社。1987年マサチューセッツ工科大学経営大学院修士課程修了。 同年日本電信電話アメリカ担当部長。NTTドコモ設立メンバーで、 2005年にはNTTドコモ常務取締役プロダクト&サービス本部長に就任。2008年からはNTTドコモ代表取締役副社長を務め、モバイルマルチメディアや技術を担当した。
佐々木 一十郎(ささき いそお、1950年(昭和25年)1月… 佐々木 一十郎(ささき いそお、1950年(昭和25年)1月10日 - 2026年(令和8年)3月15日)は、日本の政治家。宮城県名取市長(3期)。名取市議会議員(2期)を歴任した。 宮城県仙台市出身。1972年(昭和47年)12月、東北工業大学建築科中退。1976年(昭和51年)10月1日、有限会社佐々木酒造店に入社。1992年(平成4年)2月1日から2000年(平成12年)1月まで名取市議会議員を2期務めた。1998年(平成10年)3月、有限会社佐々木酒造店の代表取締役に就任。 2000年(平成12年)の名取市長選挙に出馬するも落選。同年12月1日、閖上(ゆりあげ)わかば幼稚園の園長に就任。
瀬野 徹三(せの てつぞう, Seno Tetsuzo, 1… 瀬野 徹三(せの てつぞう, Seno Tetsuzo, 1950年1月10日 - 2020年12月19日)は、日本の地震学者。東京大学地震研究所名誉教授。日本地球惑星科学連合フェロー。学位は、博士(理学)(東京大学)。京都府舞鶴市出身。 専門はテクトニクス、とくにプレートテクトニクス、地震テクトニクス分野。 著書に「プレートテクトニクスの基礎」「続・プレートテクトニクスの基礎」(共に朝倉書店)がある。 フィリピン海プレートの相対運動の決定により、グローバルなプレートテクトニクス研究に本質的な貢献をなすと共に、南海トラフにおける巨大地震の長期的な発生予測の基礎を築いた。またプレートの力学特性に関する研究により地震発生における水の存在の役割を明らかにした。
北畑 隆生(きたばた たかお、1950年(昭和25年)1月1… 北畑 隆生(きたばた たかお、1950年(昭和25年)1月10日 - )は、日本の経産官僚。経済産業事務次官、神戸製鋼所取締役会議長、三田学園中学校・高等学校校長、開志専門職大学学長などを歴任。兵庫県出身。 バブル景気に沸く直前の1986年(昭和61年)の経済産業政策局サービス室長時代に「シルバーコロンビア計画」を発案・提唱したことでも知られている。同局長在任中には、雨貝二郎を会長として送り込んで以来の経産省主導によるダイエー再建計画も、小泉内閣の竹中平蔵などによる金融庁・都市銀行主導に移り頓挫した。次官就任以降も、グーグル八分など情報産業政策的観点から、当時の豊田正和商務情報政策局長の下、次世代検索技術開発を目指した「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」を立ち上げ、日の丸検索エンジン開発を打ち出した。
中室 幹雄(なかむろ みきお、1950年1月10日 - )は… 中室 幹雄(なかむろ みきお、1950年1月10日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 津山商業高校では、1966年秋季中国大会で準決勝に進出。尾道商のエース大田垣耕造に抑えられ惜敗するが、翌1967年春の選抜出場を決める。しかしその後の学内不祥事で出場辞退。同年夏は東中国大会準決勝で米子工に敗退。同年ドラフト13位で巨人に入団。担当スカウトは木戸美摸。 俊足、巧打、長打力のある外野手として期待されたが、選手層の厚い中、二軍でもほとんど出場機会がなく、1969年限りで現役引退。 退団後は電気店の経営者養成専門学校に入学。その後家業の家庭電気店を継ぐ。
西村 泰志(にしむら やすし、1950年1月10日 - )は… 西村 泰志(にしむら やすし、1950年1月10日 - )は、愛媛県出身の日本の建築工学・建築構造学者。勲等は旭日中綬章。大阪工業大学第12代学長・名誉教授、建築会元会長・第4代八幡工学実験場長。工学博士(京都大学)。学校法人常翔学園理事長。日本建築学会構造委員会鋼コンクリート合成構造運営委員会元幹事・鋼コンクリート接合部設計指針作成小委員会元主査。旭日中綬章受章。 専門は建築構造・建築工学、コンクリート工学。特に、柱RC梁S構造接合部の統一的構造力学モデル研究の第一人者の一人。 1973年大阪工業大学工学部建築学科卒業。鹿島建設勤務を経て、1976年大阪工業大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。
村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北… 村井 英司(むらい ひでし、1950年1月9日 - )は、北海道札幌市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 札幌市立南小学校および札幌市立柏中学校を経て、1965年に進学した北海高校では主将兼外野手を務める。3年次の1967年には夏の甲子園南北海道予選決勝で苫小牧東高を降して甲子園に進むが、村井は予選で骨折したため本大会出場はならなかった。同年のドラフトで南海ホークスから15位指名を受けるも拒否し、卒業後の1968年には電電北海道へ入社。捕手として1971年から1973年まで3年連続で都市対抗に出場。ヤクルトの若松勉は2歳年上で、北海高校、電電北海道で一緒にプレーした。 1973年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。
吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9… 吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社上席執行役員を経て、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、テレビ朝日社長などを務めた。群馬県出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。1974年(昭和49年)東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。福島支局に配属となり、県政担当記者となる。木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。それにより、78年度の日本新聞協会賞を受賞。その後、東京本社浦和支局を経て、79年政治部に異動。 1990年(平成2年)ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(行政学修士)。同大では新芝宏之(岡三証券グループ社長)と一緒に勉強した。
卜部 敏直(うらべ としなお、1950年(昭和25年)1月9… 卜部 敏直(うらべ としなお、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本の外交官。アイルランド駐箚特命全権大使を経て、2011年3月から2014年8月5日までフィリピン駐箚特命全権大使。 東京都出身。父卜部敏男は外交官で1969年から1974年まで駐比大使を務めている。卜部自身も父親の赴任に従いフィリピンの幼稚園で幼年時代を過ごしている。東京都立新宿高等学校から一橋大学法学部に入学。一橋大在学中に外務公務員採用上級試験に合格する。1974年(昭和49年)一橋大を卒業し、外務省に入省した。 2012年(平成24年)11月22日、フィリピンのマニラ首都圏のホテルで講演し、尖閣諸島をめぐる対立で日中関係が悪化したことに触れ、両国関係の重要性を強調し関係改善を訴えるとともに、尖閣諸島7歴史的にも日本固有の領土であると日本政府の立場を説明した。
南 佳孝(みなみ よしたか、1950年〈昭和25年〉1月9日… 南 佳孝(みなみ よしたか、1950年〈昭和25年〉1月9日 - )は、日本のシンガーソングライター・作曲家・音楽プロデューサー。 東京都大田区出身。明治学院大学卒業。 週刊誌『週刊平凡』1986年3月14日号に「シティーミュージックのパイオニア的存在」と書かれている。 子供の頃から兄や姉の影響で洋楽ばかりを聴いて育ち、中学時代には仲間と共にバンドを結成した。このバンドではジャンケンで負けたためドラムを担当したという。そして中学生の時点から既に「音楽で身を立てて生きていく」ことも決心していたという。また、明治学院大学在学中ジャズに傾倒していたことが後の曲作りに大きく影響している。 1972年にテレビ番組『リブ・ヤング!』(フジテレビ系)のシンガーソングライターコンテストで3位になり、翌1973年9月21日に松本隆プロデュースによるアルバム『摩天楼のヒロイン』でデビュー。
伍藤 忠春(ごとう ただはる、1950年1月9日 - )は、… 伍藤 忠春(ごとう ただはる、1950年1月9日 - )は、日本の厚生労働官僚。厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を経て、長寿社会開発センター理事長、日本製薬工業協会理事長、湘南シーサイドカントリー倶楽部理事長、日本障がい者スポーツ協会副会長等を歴任した。 大分県生まれ。1972年九州大学法学部卒業。1973年厚生省入省。社会保険庁年金保険部計画課課長補佐、外務省在タイ日本国大使館一等書記官、厚生省大臣官房人事課課長補佐、厚生省大臣官房総務課広報室長、厚生省大臣官房政策課企画官、総務庁長官官房参事官、厚生省年金局企業年金課長、厚生省障害保健福祉部企画課長、厚生省児童家庭局企画課長、厚生省社会援護局企画課長等を歴任。
長坂 一(ながさか はじめ、1950年1月9日 - )は、日… 長坂 一(ながさか はじめ、1950年1月9日 - )は、日本の実業家。東海カーボン株式会社代表取締役社長。 山梨県出身。1972年3月慶應義塾大学商学部卒業後、同年4月に東海電極製造(現東海カーボン)に入社。2006年に取締役執行役員を経て、2008年3月に取締役常務執行役員、カーボンブラック事業部担当補佐兼カーボンブラック事業部副事業部長、同事業部販売部長、同事業部管理購買部長、大阪支店長等を歴任。2012年3月に取締役専務執行役員、カーボンブラック事業部、電極事業部を担当し、2014年3月に副社長に就任。2015年2月に同社代表取締役社長に就任。2021年、旭日小綬章受章。
堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOS… 堀越 哲美(ほりこし てつみ、TETSUMI HORIKOSHI、1950年1月9日 - )は、日本の環境デザイナー。名古屋工業大学名誉教授。名古屋工業大学副学長を経て、愛知産業大学学長。 専門は、建築環境、都市環境、デザイン。生気象学会長、愛知県建築審査会会長、名古屋市都市計画審議会会長、矢作建設工業取締役等も歴任した。 1950年東京都生まれ。1973年北海道大学工学部衛生工学科卒業。1978年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程修了。同年日本国有鉄道に入社し、設計活動に携わる。1981年豊橋技術科学大学工学部助手。1985年大阪市立大学生活科学部講師。1988年名古屋工業大学工学部助教授。
吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年〈昭和25年〉1月… 吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年〈昭和25年〉1月8日 - )は、日本の男性漫画家、同人作家、実業家。 娘は漫画家の大月悠祐子(かなん)。義理の息子(悠祐子の夫)は漫画家の大井昌和。 山梨県山梨市出身、父親はギャンブル狂いの果てに失踪したため母子家庭で育つ。 山梨県立日川高等学校に進学、高校在学時より同人作家として活動を開始し、貝塚ひろしが主催する同人誌「まんがマニア」に漫画を投稿。高校卒業後に弟と母に向かって「絶対マンガ家になる」と発して旅立ち、上京。貝塚に師事する。なお、高校での1年後輩にプロレスラーのジャンボ鶴田がいた。 1970年(昭和45年)、貝塚の紹介で『週刊少年ジャンプ』に『ど根性ガエル』の読切り(吉沢 保己名義)を投稿。
森 和実(もり かずみ、1950年〈昭和25年〉1月8日 -… 森 和実(もり かずみ、1950年〈昭和25年〉1月8日 - )は、日本の政治家。元愛知県尾張旭市長(1期)、元尾張旭市議会議員(5期)。 愛知県東春日井郡旭町(現・尾張旭市)出身。尾張旭市立渋川小学校、尾張旭市立旭中学校、名古屋市立北高等学校卒業。1972年3月、名古屋学院大学経済学部卒業。同年4月、石油販売会社に就職。尾張旭市議会議員、市議会議長を務めた。 尾張旭市長の水野義則が2018年12月31日付で辞職。これに伴い2019年2月3日に行われた市長選挙に自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、立憲民主党・国民民主党の推薦を受けた元市議の大島もえを小差で破り初当選した。※当日有権者数:67,454人 最終投票率:48.70%(前回比:pts) 2022年9月6日、市議会定例会で体調不良を理由に次期市長選挙に立候補せず1期で退任する意向を示した。
江部 康二(えべ こうじ、1950年1月8日 - )は、京都… 江部 康二(えべ こうじ、1950年1月8日 - )は、京都府出身の内科医・漢方医。一般財団法人 高雄病院理事長。一般社団法人 日本糖質制限医療普及推進協会代表理事。糖質制限食の先駆者。
河野 通文(こうの みちふみ、1950年1月8日 - )とは… 河野 通文(こうの みちふみ、1950年1月8日 - )とは日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属していた調教師である。愛媛県出生、岐阜県出身。 1950年、愛媛県北宇和郡松野町にて出生。外科医として医療に携わる一方で武道を嗜んでいた父の影響から、小中学校時代より柔剣道部で活動し、高校に進学したときも空手部に所属という武道少年であった。 やがて上京し、神奈川県藤沢にある日本大学農獣医学部へと進学。ここでも空手部に籍を置いたが、父と違い酒を受け付けない体質のため、部活のあとに無理強いされる酒が飲めず、わずか数か月で退部し古武道部へと移る。古武道部はのちに上司となる西塚安夫が創部し初代主将を務めていた部であり、のちに河野は同部の2代目主将に抜擢されている。
矢内廣(やない ひろし、1950年1月7日 - )は、日本の… 矢内廣(やない ひろし、1950年1月7日 - )は、日本の実業家。東証プライム市場上場企業、ぴあ株式会社の創業者であり代表取締役社長。 その他、ぴあ主要グループ会社の代表を務めると共に、一般社団法人PFF(ぴあフィルムフェスティバル)理事長、一般社団法人日本雑誌協会理事、日本アカデミー賞協会組織委員会委員、公益財団法人ユニジャパン評議員、公益財団法人新国立劇場運営財団評議員、一般社団法人日本経済団体連合会審議員、観光庁アドバイザー、クールジャパン機構有識者委員会委員、一般財団法人セガサミー文化芸術財団理事等の公職を務める。 現在の福島県いわき市に生まれる。中央大学在学中(当時22歳)の1972年7月、TBS 報道局でアルバイトをしていた仲間7人とともに映画などのエンタテインメント情報を網羅した月刊情報誌「ぴあ」を創刊。
上原 昭(うえはら あきら、1950年(昭和25年)1月7日… 上原 昭(うえはら あきら、1950年(昭和25年)1月7日 - )は、日本の政治家。元沖縄県糸満市長(1期)。県内9市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバー。 現在の沖縄県糸満市出身。琉球政府立糸満高等学校を経て、1974年(昭和48年)3月、東京大学経済学部卒業。同年4月、沖縄県庁に入庁。2009年(平成21年)4月、沖縄県信用保証協会の専務理事に就任。2013年(平成25年)6月から2015年(平成27年)6月まで、那覇空港ビルディング株式会社の非常勤会長を務めた。 2015年(平成27年)11月26日、糸満市長選挙に立候補する意向を表明。 2016年(平成28年)6月5日に行われた市長選挙に自由民主党とおおさか維新の会の推薦を受けて無所属で出馬。
田中 廣滋(田中 広滋、たなか ひろしげ、1950年1月7日… 田中 廣滋(田中 広滋、たなか ひろしげ、1950年1月7日 - )は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学・1985年)。中央大学名誉教授。元日本応用経済学会会長。 福岡県福岡市中央区大名町出身。1972年北九州大学商学部卒業、1977年九州大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 同年九州共立大学経済学部専任講師、1978年助教授、1983年熊本大学教養部助教授、1986年同教育学研究科助教授、1993年中央大学経済学部教授、1999年経済研究科委員長。1985年「公共選択の経済理論」で九州大学より経済学博士の学位を取得。専門は、公共経済学。2018年から日本応用経済学会会長。2022年中央大学より名誉教授の称号を授与される。
斎藤 茂(さいとう しげる、1950年1月7日-)は、日本の… 斎藤 茂(さいとう しげる、1950年1月7日-)は、日本の中国文学者、元大阪市立大学教授。 茨城県生まれ。1973年東京大学文学部中国哲学科卒、1980年同大学院博士課程満期退学、東大文学部助手、大阪市立大学講師、助教授、教授。2015年定年退任。1979年宇野賞受賞。2008年「孟郊研究」で京都大学文学博士。唐代から宋代の詩と、遊里を研究する。
久邇 之宜(くに ゆきのぶ、1950年(昭和25年)1月6日… 久邇 之宜(くに ゆきのぶ、1950年(昭和25年)1月6日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本のピアニスト。 国立音楽大学ピアノ科卒業。近藤孝子、クロイツァー豊子に師事。伴奏法を小林道夫に師事。卒業後、畑中良輔の推薦で曽我栄子の全リヒャルト・シュトラウス演奏会でデビューし、朝日新聞、音楽の友等の誌上で賞賛された。二期会、NHK、東京室内歌劇場等で活動を開始。1979年(昭和54年)- 1981年(昭和56年)にウィーン国立音楽大学に留学し、作曲家ローベルト・ショルムに伴奏法・音楽解釈を学ぶ。現地で幾多の音楽会に出演、さらにはORF(オーストリア放送協会)の音楽番組にも出演。帰国後、第一線の多くの声楽家・合唱団のピアニストとして数多く共演し、厚い信頼を寄せられている。