長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3… 長内 順一(おさない じゅんいち、1947年(昭和22年)3月7日 - )は、日本の経営者。衆議院議員(1期中退)と札幌市議会議員(2期)を務めた。 株式会社未来経営研究所代表取締役社長。北海道商工会議所連合会会頭特別補佐。サイバー大学客員教授(企業社会責任論)。北海道経営未来塾塾長。 1947年(昭和22年)、北海道札幌市に生まれる。1959年(昭和34年)、札幌市立幌北小学校卒業。1962年(昭和37年)、札幌市立北辰中学校卒業。1966年(昭和41年)、北海道札幌北高等学校を卒業。1970年(昭和45年)、北海学園大学経済学部を卒業。その後、民間企業に勤務する。 1987年(昭和62年)、札幌市議会議員選挙に立候補し、初当選。
佐々木 力(ささき ちから、1947年3月7日-2020年1… 佐々木 力(ささき ちから、1947年3月7日-2020年12月4日 )は、日本の科学史学者。 東京大学教養学部教授、大学院総合文化研究科教授。中国科学院大学教授、中部大学中部高等学術研究所特任教授、神奈川県和算研究会会長を歴任した。 専門は科学史・科学哲学、とくに数学史であり、日本オイラー研究所名誉所長なども務めた。また「反時代的な社会主義者」を自称するトロツキストでもあり、日本陳独秀研究会会長も務めた。また、「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 東北大学大学院時代に「近代科学の認識構造ー近代科学の意味解明への視覚ー」を『思想』558号(1970年)に執筆して注目される。プリンストン大学から帰国し東大に就職して以降、『思想』を論考の公表の場として活躍し、同誌への執筆回数では最高を記録している。
牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7… 牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7日 - 2010年〈平成22年〉5月29日)は、日本の政治活動家。通称は爆弾屋。アナーキスト、新左翼、民族派の活動家 三菱重工業社長として采配を振り、のちに牧田天皇と呼ばれた牧田與一郎の6人きょうだいの末子(4男)として静岡市に生まれる。1950年、東京都新宿区諏訪町(現在の高田馬場)の社宅に移り住み、1959年まで住み続ける。少年時代は昆虫好きの理科少年だった。のち家族と共に世田谷区下馬を経て港区高輪へ転居。 1959年4月、新宿区立戸塚第二小学校を経て、三菱財閥系列の成蹊中学校に入学。テニス部と生物部を経て登山部に入部。成蹊高等学校在学時代は学校に対して反抗的な態度を続けたため、同校卒業生中ただ一人成蹊大学への推薦を拒否され、1965年に一般入試で同大学政治経済学部と文学部に合格し、文学部文化学科に進む。
大塚 崇(おおつか たかし、1947年3月7日 - )は、日… 大塚 崇(おおつか たかし、1947年3月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。劇団手織座に所属していた。神奈川県横浜市出身。浅野高等学校卒。
畠中 光享(はたなか こうきょう、1947年3月7日 - )… 畠中 光享(はたなか こうきょう、1947年3月7日 - )は、奈良県出身の日本画家。 1947年(昭和22年)、奈良県に生まれる。1970年(昭和45年)、大谷大学文学部史学科を卒業後、京都市立芸術大学専攻科修了。 1971年、パンリアル展(パンリアル美術協会)出品(81年退会)。以後、1973年、山種美術館賞展(1975年、1977年、1989年)を始め多くの絵画展に出品。1977年、シェル美術賞、1978年、第1回東京セントラル美術館日本画大賞展大賞を始め受賞歴多数。 インドから日本にいたる仏教の展開に造詣が深く、作品もインドの風俗や仏伝(ブッダ釈尊の伝記および思想)をはじめ、仏教を題材にしたものが多い。
安田 浩(やすだ ひろし、1947年3月7日 - 2011年… 安田 浩(やすだ ひろし、1947年3月7日 - 2011年9月10日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史。 東京教育大学文学部卒業、東京教育大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。埼玉大学教養部講師・助教授・教授、同教養学部教授を経て、千葉大学文学部教授。 主に大正デモクラシー期の労働運動や近代皇室を研究領域とした。 一橋大学名誉教授渡辺治とは東京都立戸山高等学校の同期生で親友。東京教育大学では家永三郎、大江志乃夫らに師事。家永教科書裁判では、家永を支援する歴史学関係者の会の事務局を担当した。1980年代後半からは、近代天皇制研究にとりくむ。1987年の「近代天皇制国家試論」では、渡辺の「基軸的官僚機構論」を援用することで、明治憲法制定から大政翼賛会成立までを、一貫して維持された外見的立憲制と、社会的変化に対応して変化する中軸的国家装置という二元的構成により、近代天皇制国家が一貫して保持し続けた専制的特質とその段階的変化を規定した。
宮本 輝(みやもと てる、1947年(昭和22年)3月6日 … 宮本 輝(みやもと てる、1947年(昭和22年)3月6日 - )は、日本の小説家。本名:宮本 正仁。 兵庫県神戸市に生まれる。後、愛媛県、大阪府、富山県に転居。関西大倉中学校・高等学校、追手門学院大学文学部卒業。 広告代理店勤務を経て戦後の大阪の貧しい庶民の生活を描いた『泥の河』(1977年)でデビュー。『螢川』(1977年)で芥川賞、『優駿』(1986年)で吉川英治文学賞を受けた。プロならおもしろい小説を書くべきだといい、叙情性豊かに宿命、生と死を描き、長年幅広い読者層を獲得している。『流転の海』(1984年)からの自伝的大河小説の連作もある。 1947年(昭和22年)、自動車部品を扱う事業を手掛けていた宮本熊市の長男として生まれる。
キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 … キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。
小峰 隆夫(こみね たかお、1947年〈昭和22年〉3月6日… 小峰 隆夫(こみね たかお、1947年〈昭和22年〉3月6日 - )は、日本のエコノミスト、経済企画庁官僚。経済企画庁調査局長、国土交通省国土計画局長などを歴任した。 大正大学地域創生学部地域創生学科任期制教授、法政大学名誉教授。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校出身。東京大学経済学部卒業後、経済企画庁に入庁。総合計画局担当審議官、経済企画庁経済研究所長を経て、1998年(平成10年)物価局長、1999年(平成11年)調査局長。2001年(平成13年)国土交通省国土計画局長に転じ、2002年(平成14年)に退官。 退官後は法政大学教授や大正大学教授。2017年4月、瑞宝中綬章を受章。2020年『平成の経済』で読売・吉野作造賞受賞。
中村 健二郎(なかむら けんじろう、1947年(昭和22年)… 中村 健二郎(なかむら けんじろう、1947年(昭和22年)3月6日 - 1979年(昭和54年)10月27日)は、日本の経済学者。東京工業大学工学博士。専門はゲーム理論、社会工学。社会選択理論にゲーム理論を導入し、「中村の定理」や「中村ナンバー」は世界的に知られている。東京工業大学手島精一記念研究賞の一つ、「中村健二郎賞」にも名を残す。 東京工業大学理工学部数学科、同大学院数学専攻修士課程、同大学院社会工学専攻博士後期課程と、一貫して鈴木光男のもとでゲーム理論研究に打ち込む。工学部社会工学科助手、理学部情報科学科助手を経て、一般教養統計学担当助教授に就任するが、その直後に32歳で死去。その早い死は国内外のゲーム理論研究者に惜しまれた。
荘厳舜哉(そうごん しゅんや、1947年3月6日- )は、日… 荘厳舜哉(そうごん しゅんや、1947年3月6日- )は、日本の心理学者、元京都光華女子大学教授。日本感情心理学会理事長(2007年-2011年) 京都府生まれ。1970年同志社大学文学部心理学専攻卒、76年同大学院博士課程中退、大阪学院大学経済学部専任講師、1979年助教授、90年教授。97年「感情制御と社会的相互作用の研究」で同志社大学博士(心理学)。2007年京都光華女子大学教授。2013年退任。
多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 -… 多川 俊映(夛川、たがわ しゅんえい、1947年3月6日 - )は、日本の法相宗の僧侶で、現在、法相宗大本山興福寺寺務老院(責任役員)、同寺菩提院住職、帝塚山大学特別客員教授。 奈良県奈良市出身。帝塚山小学校、帝塚山中学校・高等学校を経て、1969年に立命館大学文学部哲学科心理学専攻を卒業。その後、入寺。執事や副住職を務め、1989年からは興福寺貫首(代表役員)に就任、2019年に退任した。貫首在任中は法相宗管長を務め、また中金堂再建など、伽藍の復興に精力的に取り組んだ。貫首退任後も責任役員を務め、引き続き境内整備や伽藍復興などの事業に取り組んでいる。 また、 法相宗の理論である唯識の研究や仏教文化論の研究を行い、執筆活動や講演活動なども積極的に行なっている。
湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、… 湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、日本の歌手、俳優、レポーター、司会者、パネラーなどをこなすマルチタレント。本名は桜井 昌幸。茨城県牛久市出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。血液型B型。妻は、タレント・女優・歌手の荒木由美子。所属事務所はハブ・マーシー。 湯原は、母・吉の(よしの)と母子で生活していたため、荒木由美子は湯原との結婚と同時に芸能界から引退し専業主婦になり(1990年代まで主婦タレントとしてCMなどに出演することはあった)、母と同居することになる。結婚して2週間後、母が糖尿病からくる足にできた血栓のため入院。退院後は荒木による食事療法が始まったが、5年後の1988年、幼稚園児になっていた長男が、母の奇行を荒木に告げ、湯原の耳にも入る。
栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は… 栗原 はるみ(くりはら はるみ、1947年3月5日 - )は、日本の料理家。株式会社ゆとりの空間社長。静岡県下田市出身。成城大学短期大学部卒業。一男一女の母。夫は元キャスターの栗原玲児、長女は料理家の栗原友、長男は料理家の栗原心平。 オリジナルブランドの「share with Kurihara harumi」を掲げた百貨店インショップ。日本国内の主要都市で食器・料理道具・台所用品・雑貨等の生活用品やエプロン・Tシャツ等のホームウェアを扱う店舗を構える。 ゆとりをテーマにプロデュースした生活提案型の飲食店で、栗原はるみオリジナルの料理を提供する。オリジナルブランドのショップを併設し、有料によるレシピ教室やライフスタイルのトークショー等のイベント場所としてファンに知られる。
長谷川 信彦(はせがわ のぶひこ、1947年3月5日 - 2… 長谷川 信彦(はせがわ のぶひこ、1947年3月5日 - 2005年11月7日)は、日本の卓球選手。 愛知県瀬戸市に生まれ、最初はペンホルダーグリップの選手としてスタートした。ペンホルダー時代はあまり成功しなかったため、1963年、当時日本ではまだ珍しかったシェークハンドグリップに転向し、これをきっかけに躍進。名古屋電気工業高校時代の1964年には全国高等学校卓球選手権大会男子複に優勝。愛知工業大学に進学した翌1965年には、史上最年少の18歳9ヵ月で全日本卓球選手権大会男子単を制した。全日本選手権男子単では総計6度の優勝に輝き、これは水谷隼、斎藤清につぐ歴代3位の記録である。 1966年にはヨーロッパツアーに参戦し、エーベルハルト・シェーラー(西ドイツ)らを破る活躍をみせる。
魚本 健人(うおもと たけと、1947年(昭和22年)3月5… 魚本 健人(うおもと たけと、1947年(昭和22年)3月5日 - )は、日本の土木工学者。専門はコンクリート工学。 愛媛県に生まれる。1971年(昭和46年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、大成建設に入社する。1978年(昭和53年)母校の東京大学生産技術研究所助手となり、同助教授を経て、1992年(平成4年)同教授に進んだ。1998年(平成10年)東京大学国際産学共同研究センター教授に転じ、東京大学生産技術研究所副所長を経て、2001年(平成13年)東京大学生産技術研究所都市基盤安全工学国際研究センター教授兼センター長に就任した。 2007年(平成19年)東京大学を定年退職したのち、芝浦工業大学工学部土木工学科教授を経て、2010年(平成22年)土木研究所理事長に就任し、2017年(平成29年)3月まで務めた。
小畑 力人(おばた りきと、1947年3月4日 - )は、日… 小畑 力人(おばた りきと、1947年3月4日 - )は、日本の観光学者。元和歌山大学理事。 大阪府出身。1966年、大阪府立清水谷高等学校卒業。1972年、立命館大学経済学部卒業。大学時代は学生運動のリーダーだった。予備校の関西文理学院に入職。進学指導部長や受験誌編集長などを経て、1987年、川本八郎からヘッドハンティングを受けて学校法人立命館に移り入学課長、教学部次長、入試部長、総務部長など歴任。 「学生は顧客」という経営的視点を取り入れた改革を行い、関関同立の一角ながら低迷の続いた立命館を、人気の大学に育てた。入試の面では、2教科式や論文式、スポーツ選抜、地方会場を大幅に増やした全国縦断入試、大学入試センター試験と短期大学からの編入学制度を導入。
十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )… 十文字美信(じゅうもんじ びしん、1947年3月4日 - )は、日本の写真家、CMクリエイター。元多摩美術大学教授。
山崎 信之郎(やまざき しんしろう、1947年3月4日 - … 山崎 信之郎(やまざき しんしろう、1947年3月4日 - )は日本の防衛官僚。 東京都出身。1972年東京大学経済学部卒業。1974年防衛庁入庁。1980年防衛施設庁労務部労務企画課部員。各課部員を経て、1990年防衛施設庁施設部施設対策第三課長。その後防衛庁長官官房総務課長、広島防衛施設局長、那覇防衛施設局長、国際平和協力本部次長を経て2005年運用局長(2006年運用企画局長に再編)。守屋武昌の後任の事務次官に名前も挙がったが退官。
李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3… 李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3日 - )は、在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。在日韓国人の歌人として、作品が日本の教科書に採用された最初の人物である。 三重県上野市(現 伊賀市)生まれ。戦前に父が慶尚南道晋州市から日本に渡り、日本で韓国人の母と知り合い結婚、伊賀市に定住し正子を生んだ。中学生の時に万葉集に触れ、短歌に魅力を感じる。1965年三重県立上野高等学校卒業後、民族資本の銀行に1年間勤務し、結婚して2人の男児をもうけたのち離婚。20歳のとき、香山正子名義で朝日新聞の短歌のページに近藤芳美を選者に指名し初投稿。これがトップで掲載される。投稿を幾度か繰り返した後、「未来」入会。
黒土 三男(くろつち みつお、1947年(昭和22年)3月3… 黒土 三男(くろつち みつお、1947年(昭和22年)3月3日 - 2023年(令和5年)3月25日)は、日本の脚本家・映画監督。熊本県熊本市出身。 熊本県立熊本高等学校、立教大学法学部を卒業後、木下惠介プロダクションの助監督となる。2年間の勤務を経てフリーの脚本家となる。 1978年(昭和53年)TBS系で放送された『コメットさん』でTV脚本家としてデビューした。 1988年「とんぼ」「うさぎの休日」などで第7回向田邦子賞受賞。 1989年(平成元年)『オルゴール』で映画監督デビュー。自身がメガホンを取った作品は全て自らが脚本を手がけている。 山田洋次監督作品映画『幸福の黄色いハンカチ』で脚本家の一人として参加し、以来、木下惠介とともに山田洋次を師として仰ぐ。
永田 桂子(ながた けいこ、1947年3月3日 - )は、児… 永田 桂子(ながた けいこ、1947年3月3日 - )は、児童文化研究者。 愛知県出身。愛知県立女子大学(現・愛知県立大学)児童福祉学科卒業。京都女子大学大学院家政学研究科修了(児童学専攻)。武蔵野大学大学院人間社会・文化研究科(人間社会専攻)博士課程満期退学。1987年『絵本観・玩具観の変遷』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。2009年「「絵本」という文化財に内在する機能 歴史・母子関係・現代社会からの総合的考察を通して」で武蔵野大学学術博士。日本児童文学学会、絵本学会の理事、評議員等。財団法人大阪国際児童文学館(現・大阪国際児童文学振興財団)他に勤務した後、大学講師。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
嶋田 崇彦(しまだたかひこ 1947年〈昭和22年〉3月3日… 嶋田 崇彦(しまだたかひこ 1947年〈昭和22年〉3月3日 - )は、元朝日放送アナウンサー。現在は顧問。 1969年、朝日放送に入社。同期のアナウンサーに戸倉信吉、乾龍介、村田好夫がいる。主にスポーツ実況を担当。テレビ朝日系列でのモスクワオリンピック中継(1980年)では、朝日放送代表として一部種目の実況を担当する予定だったが日本不参加により中継規模縮小で実現しなかった。 1991年に人事異動でアナウンス職を離れ、総務局専任局長などを経て2006年に定年を迎えた後は、顧問として在籍。その傍ら大阪市立大学大学院へ進学。河内長野市(大阪府)文化振興計画推進委員会の委員長を務める。 2009年10月17日放送の「Club JONR」で、18年振りに番組出演。
小柳 みのる(おやなぎ みのる、本名:小柳実、1947年3月… 小柳 みのる(おやなぎ みのる、本名:小柳実、1947年3月3日 - )は、元NHK・新潟放送アナウンサー。「新潟アナウンススクール」代表・講師。 静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。学習院大学卒業後、NHK入局。地方勤務などを経て、1976年に新潟放送へ移籍。 新潟放送入社以降はアナウンサーや報道記者、ニュース番組のディレクターなどを務め、その後アナウンス部長、情報センター長、報道制作局長を歴任。60歳を過ぎてからは情報センターラジオデスク・報道解説委員の立場でラジオ『ゴゴラク!』『New・sな時間』などのニュースコメンテーターの他、ラジオ・テレビ各番組やCMでナレーションなどを担当。 2010年2月末に退職後は「新潟アナウンススクール」を立ち上げ、マンツーマンの指導にあたる。
三遊亭 小遊三(さんゆうてい こゆうざ、1947年〈昭和22… 三遊亭 小遊三(さんゆうてい こゆうざ、1947年〈昭和22年〉3月2日 - )は、日本の落語家。落語芸術協会所属、同協会参事。神奈川県横浜市出生、山梨県大月市出身。本名は天野 幸夫(あまの ゆきお)。マネジメントは大有企画に所属。出囃子は「ボタンとリボン」または「春はうれしや」。定紋は「高崎扇」。日本テレビ『笑点』の大喜利メンバー。 山梨県立都留高等学校在学中、卓球部でキャプテンを務めていたことから、1964年の東京オリンピックでは聖火ランナーに抜擢される。これは、本来なら他の部のキャプテンがランナーを務める予定だっだが、そのランナーが不祥事を起こしたため、急遽代わりに選ばれたものである。地元の山梨県大月市で1.2km区間を走った。
みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年〈昭和22年〉3… みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年〈昭和22年〉3月2日 - 2021年〈令和3年〉8月7日)は、日本の漫画家。京都府京都市出身。本名は浦 源太郎(うら げんたろう)。ペンネームは本名の「源」を読み替えたもの。代表作は『ホモホモ7』『風雲児たち』。 京都市上京区(現在の北区域)に生まれる。常に走り回っていたような落ち着きがない子どもであったが、2歳の頃に漫画に触れて絵を描き始め、中学の3年間では授業中ほとんど漫画を描いていた。 京都市立日吉ヶ丘高校美術課程に進学。漫画家になることを反対していた姉から大学への進学を強硬に勧められるも、美術大学は漫画家への理解を欠くこと、当時は漫画家デビューは20歳までと相場が決まっていたことを知り、漫画家への道を絶望視する。
西田 典之(にしだ のりゆき、1947年〈昭和22年〉3月2… 西田 典之(にしだ のりゆき、1947年〈昭和22年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉6月14日)は、日本の法学者。専攻は刑法。東京大学名誉教授。熊本県熊本市出身。 元日本刑法学会理事長。平野龍一門下。 元々は九州大学を志望していたが、両親の希望に沿い東京大学文科I類に入学。在学中に司法試験に合格し、卒業後は弁護士になるつもりであったが、大学側から誘いがあったため、研究者として大学に残ることを選択した。 2013年6月14日、心不全のため死去。66歳没。 その刑法学説は、師の平野と同じく結果無価値論を基本とする。出世作は、後掲『共犯と身分』である。この点に関し、判例は、刑法65条1項を真正身分犯についての規定、2項を不真正身分犯についての規定と解していたが、平野は真正身分は違法身分であるから連帯的に作用し、不真正身分犯は責任身分であるから個別的に作用すると解していた。
渡辺 治(わたなべ おさむ、1947年3月2日 - )は、日… 渡辺 治(わたなべ おさむ、1947年3月2日 - )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。主要研究領域は、政治学、日本政治、憲法学。
鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本… 鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本の経済学者(日本経済史・歴史人口学)。学位は経済学修士(慶應義塾大学・1971年)。 慶應義塾高等学校教諭、上智大学経済学部教授、上智大学大学院経済学研究科経済学専攻主任、上智大学経済学部経済学科学科長、上智大学地球環境研究所所長、上智大学研究機構常設研究部門部門長、静岡県立大学学長(第6代)、静岡県立大学短期大学部学長(第6代)などを歴任した。 1947年3月、静岡県駿東郡長泉町生まれ。慶應義塾大学経済学部にて学んだ。斎藤修、友部謙一らとともに速水融の弟子である。1969年3月、慶應義塾大学卒業、そのまま、慶應義塾大学大学院経済学研究科に進学、1971年3月、同修士課程を修了、経済学修士の学位を取得。
高橋 一(たかはし はじめ、1947年3月2日 - 2017… 高橋 一(たかはし はじめ、1947年3月2日 - 2017年8月25日)は、日本の統計学者・経済学者。専門分野は、統計科学・数理統計学・金融工学・数理ファイナンス。一橋大学名誉教授。元日本金融・証券計量・工学学会会長。ジャフィー賞受賞。 指導した学生に、宮田敏(帝京大学大学院公衆衛生学研究科教授)、式見拓仙(長崎大学経済学部准教授)、元山斉(青山学院大学経済学部教授)、戸辺玲子(二松学舎大学国際政治経済学部講師)がいる。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、… 森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、日本の歌手。愛媛県宇和島市出身。 作曲家・遠藤実に師事し、日本マーキュリーレコードから「三吉馬子唄」でデビュー。そのあとポップスに路線変更し、1965年に日本コロムビアから「素敵な彼氏」を発表。1970年に日本ビクターから発売したみなみらんぼう作詞作曲の「酔いどれ女の流れ歌」で名前が知られるようになった。 知人の紹介で大学を出たばかりのみなみと出会い、自分の曲がびっしり書いてあるノートを見せてもらった中で、森本が気に入った『酔いどれ女の流れ歌』を歌いたいと懇願し、レコード化が実現した。この曲が売れたことにより、森本の生活は一変したという。
竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日… 竹内 章(たけうち あきら、1947年3月2日 - )は、日本の陸上競技選手。1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)出身。町立の美古登小学校、西城中学校を経て、盈進高等学校卒業。日立造船に所属。1971年、第11回実業団・学生対抗陸上競技大会の3000メートル障害で優勝。 1972年ミュンヘンオリンピックに3000メートル障害で出場した。記録は1次予選で5着(8分40秒4)で、予選通過はならなかった。
高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日… 高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、環境副大臣、公明党中央幹事、外務省参与などを歴任した。 1947年(昭和22年)3月1日、茨城県大子町に生まれる。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国語学科に入学し、1972年(昭和47年)3月に卒業する。同年4月、外務省にノンキャリアとして入省する。外交官としてアメリカ、アルゼンチン、コロンビアなどに赴任し、30ヶ国あまりを歴訪した。1991年(平成3年)にコロンビアで発生した日本人技師2人が左翼ゲリラに誘拐された事件では、当時帰国中で不在だったコロンビア国駐箚特命全権大使塚田千裕に代わり、臨時代理大使としてコロンビア政府や州知事に事件解決の要請を行うなどして対応の指揮を執った。
末成 映薫(すえなり ゆみ、1947年〈昭和22年〉3月1日… 末成 映薫(すえなり ゆみ、1947年〈昭和22年〉3月1日 - )は、日本のお笑いタレント、コメディエンヌ、女優。本名および旧芸名は末成 由美(読み同じ)。吉本新喜劇の座員。山口県宇部市生まれの滋賀県大津市膳所育ち。吉本興業所属。後輩芸人からの呼び名は「ゆみ姉(ねえ)」。 両親の疎開先の山口県宇部市で生まれ、4歳で滋賀県大津市膳所に戻った。比叡山高等学校卒業。7人兄弟。過去に結婚を2回経験しているが、現在は独身である。 特徴は四角い顔に吊り目。 未知やすえから当時付き合っていた内場勝則の恋愛相談を受けたり、サプライズで山田花子と一緒に内場夫妻の婚前旅行に同行したこともある。当時若手だった五十嵐サキが新喜劇を退団しようとした時に、それを察知して自身の自宅に招き、涙を流して辞めないように説得したりと後輩思いの一面を持っている。
末成 由美(すえなり ゆみ、本名同じ、1947年3月1日 -… 末成 由美(すえなり ゆみ、本名同じ、1947年3月1日 - )は、日本のお笑いタレントである。山口県宇部市生まれの滋賀県近江八幡市育ち。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本新喜劇)所属のベテラン女優。後輩芸人からの呼び名は「ゆみ姉(ねえ)」。
香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は、日本… 香川 ヒサ(かがわ ひさ、1947年3月1日 - )は、日本の歌人。 神奈川県横浜市出身、大阪府豊中市在住。お茶の水女子大学文教育学部国文科卒業。 1970年、森本治吉主宰の歌誌「白路」入会。1984年、米田登主宰の歌誌「好日」入会。1988年、「ジュラルミンの都市樹」で第34回角川短歌賞を受賞。なおこの年の角川短歌賞は、前年に俵万智『サラダ記念日』の大ヒットがあったため、同賞史上最多の応募数であった。1993年、同人誌「鱧と水仙」を創刊。 時間や存在といった哲学的な素材を好んで詠み、「情緒的な作品に慣れてきた短歌史にとっては異質かもしれない」(小高賢)「理知的な言葉への好奇心によって私達の常識の死角に宿る思いがけない詩を発見してきた歌人」(川野里子)と評される。
金子 啓明(かねこ ひろあき、1947年3月1日 - )は、… 金子 啓明(かねこ ひろあき、1947年3月1日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本彫刻史。東京国立博物館名誉館員。 東京都出身。慶應義塾大学大学院修士課程修了後、東京国立博物館にて仏像彫刻史を研究。同館にて彫刻室長、法隆寺宝物室長、企画課長、事業部長、副館長を歴任。慶應義塾大学文学部教授、日本大学芸術学部客員教授、興福寺国宝館館長(2008年~2018年)などを務めた。 東京国立博物館の企画展として「金銅仏 中国・朝鮮・日本」展(1987年)、「大和古寺の仏たち」(1993年)、「法隆寺献納宝物」(1996年)、「仏像 一木にこめられた祈り」(2006年)、「国宝 薬師寺展」(2008年)、「国宝 阿修羅展」(2009年)などを手がけ、成功に導いた。
副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の… 副田 護(そえだ まもる、1947年3月1日 - )は日本の編集者、小説家、ノンフィクション作家。 福岡県福岡市に生まれる。中央大学付属高等学校を経て、1971年慶応義塾大学商学部卒業。 産経新聞、交通遺児育英会勤務後、1973年桃園書房入社。1976年『月刊小説』編集長就任、1977年『小説春秋』編集長兼任、1979年『小説CLUB』編集長兼任。 桃園書房在職中から少年マガジン、少年サンデー、ビッグコミック、漫画アクションなどに、神谷不志夫、依田功のペンネームで記事を連載。1985年桃園書房退社。 1987年㈲ブックランド設立、代表就任。2001年㈲ブックランド解散、㈲企画集団トモ設立、代表就任。
村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 202… 村石宏實(むらいし ひろちか、1947年3月1日 - 2022年3月27日)は、日本の演出家・映画監督。別名は村名 宏美、村名 宏実、村石 ヒロチカ。 東京都出身。東京写真大学(現・東京工芸大学)卒。 1967年、円谷プロダクションに入社し光学撮影部に配属、光学撮影スタッフとして『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』に参加した。『怪奇大作戦』の終了後、番組制作が途切れた際に、特殊技術の大木淳吉から『快獣ブースカ』でチーフ助監督を務めていた大映テレビの松生秀二を紹介され、助監督に転向し『東京警備指令 ザ・ガードマン』へ参加。三船プロダクションや東映などで経験を積み、1973年に自主作品『OH!カオ』で監督デビューする。
三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 -… 三遊亭 鳳楽(さんゆうてい ほうらく、1947年3月1日 - )は、埼玉県川越市出身の落語家。五代目圓楽一門会顧問。出囃子は『松の太夫』または『正札付』。本名:内田 啓次。 1965年10月、五代目三遊亭圓楽に入門。五代目圓楽の総領弟子であり、圓楽の師匠・六代目三遊亭圓生にとって初の孫弟子であった。前座名は圓生の本名「山崎松尾」から一字をとり「楽松」と名付けられた。入門時に師匠の圓楽は自身の活動が忙しく、また当時は大師匠・圓生の身の回りの世話をする前座がいなかったため、圓生のもとに預けられて修行する。圓生は「初孫」として可愛がってくれたが、稽古の時だけは怖ろしかったという。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎とともに二ツ目昇進。
垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日… 垣花 恵春(かきのはな けいしゅん、男性、1947年3月1日 - )は、日本の空手家で、沖縄空手道小林流尚倫會沖縄本部道場範士。国際沖縄小林流空手道連盟の会長でもある。沖縄県宮古島宮古島市(旧・平良市)出身。段位は十段。 1988年10月、沖縄空手道小林流小林館協会垣の花道場開設。同道場に於ける門下生指導と共に沖縄県初の施設機能強化推進費の補助を基に美さと児童園空手クラブを結成。 1990年5月、社会福祉法人国際福祉会理事長末吉業信を会長として、青少年の健全育成、国際交流親善を標榜する沖縄空手道小林流尚倫會を発足。現在は同会副会長。 1992年7月、沖縄コンベンションセンター会議棟ならびに展示棟に於いて琉球・韓国青少年交流祭を第一部シンポジウム、第二部交流祭の構成にて開催。
桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本… 桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本の詩人、スペイン・ガリシア文学研究者、翻訳家。本名・中西 省三。 所属は日本イスパニア学会、スペイン史学会、日本観光研究学会、京都セルバンテス懇話会。 広島県福山市鞆の浦生まれ。広島大学附属福山高等学校、北海道大学経済学部卒。三井銀行に入行後、ブリュッセル、マドリッド、ロンドン等ヨーロッパに約14年駐在。のち赤福相談役。
永野 則雄(ながの のりお、1947年3月 - )は、会計学… 永野 則雄(ながの のりお、1947年3月 - )は、会計学者。法政大学イノベーション・マネジメント研究科アカウティング専攻(会計大学院)教授(主任)、同大学経営学部兼担教授。経済学修士(東京大学)。専門は財務会計論。
三浦 良造(みうら りょうぞう、1947年3月 - )は、日… 三浦 良造(みうら りょうぞう、1947年3月 - )は、日本の統計学者。数理統計学、金融工学専攻。一橋大学名誉教授。元日本金融・証券計量・工学学会会長。 兵庫県生まれ。1969年大阪市立大学(現大阪公立大学)理学部数学科卒業。1971年同大学大学院理学研究科数学専攻修士課程修了、理学修士。1975年カリフォルニア大学バークレー校統計学科大学院博士課程修了。1976年カリフォルニア大学バークレー校統計学博士(Ph.D.)取得。専門は数理統計学、金融工学。 1976年大阪大学基礎工学部数理教室助手。1979年大阪市立大学商学部専任講師。1982年大阪市立大学商学部助教授。1989年一橋大学商学部助教授。
森川 万智子(もりかわ まちこ、1947年3月 - 2019… 森川 万智子(もりかわ まちこ、1947年3月 - 2019年10月5日)はフリーライター、日本の慰安婦問題の研究家。慰安婦として文玉珠を見出し、韓国やビルマの慰安婦への聞き取り調査結果を著書やビデオにまとめた。1996年度第16回山川菊栄記念婦人問題研究奨励金をうけた。2016年には第20回高良留美子女性文化賞を受賞した。 福岡県太宰府市生まれ。山口県立下関南高等学校卒。1966年から1986年まで郵便局員として労働運動に関わる。その後、出版社・印刷会社勤務を経て、フリーライターに転じた。福岡に帰郷後は小規模な老人介護施設を経営した。 韓国人女性の文玉珠は18歳でビルマ(現在のミャンマー)に連行され、21歳で終戦を迎えた。
中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )… 中村 国昭(なかむら くにあき、1947年2月28日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
坂本 憲男(さかもと のりお、1947年(昭和22年)2月2… 坂本 憲男(さかもと のりお、1947年(昭和22年)2月28日 - )は、日本の政治家。三国町議(4期)、三国町議会議長、三国町長(2期)を経て坂井市長(4期)を務めた。 1947年2月28日、福井県三国町下野(現坂井市)に生まれる。1969年3月、近畿大学商経学部卒業。同年4月、石油荷役(現ニヤクコーポレーション)名古屋支社に入社。1975年7月、三国海陸興業取締役に就任した。1983年3月、三国町議会議員に初当選し1998年2月まで4期務めた。この間、町議会議長(1991年4月から1993年4月まで)を務めた。1998年に三国町長に初当選し2期務めた。 旧坂井郡の4町が合併して発足した坂井市長選挙に立候補して、2006年4月23日に旧丸岡町長を破って初当選を果たした。
酒井 和夫(さかい かずお、1947年2月28日 - )は、… 酒井 和夫(さかい かずお、1947年2月28日 - )は、日本の実業家。三菱ガス化学代表取締役社長、代表取締役会長を経て、同社相談役。 東京都出身。1971年早稲田大学政治経済学部卒業、日本瓦斯化学工業(現三菱瓦斯化学)入社。芳香族化学品カンパニー管理部長を経て、2001年取締役芳香族化学品カンパニー第二事業部長兼同カンパニー管理部長に昇格する。2003年取締役常務執行役員芳香族化学品カンパニープレジデント。2005年取締役常務執行役員財務経理センター・原料物流センター管掌。2007年から代表取締役社長を務め、海外拠点の拡大や健康食品原料生産事業からの撤退などを行った。2013年代表取締役会長。
杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月2… 杉本 康雄(すぎもと やすお、1947年(昭和22年)2月27日 - )は、日本の実業家、銀行家。みちのく銀行(現・青森みちのく銀行)相談役、青森県レクリエーション協会代表理事会長、棟方志功記念館理事長。 青森県三沢市生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、高崎経済大学経済学部を卒業。 1969年、弘前相互銀行(みちのく銀行→青森みちのく銀行)に入行。常務まで昇進するが、当時の大道寺小三郎会長との間で、新システム移行の件で確執が生じ、取締役支店長に降格となった。その後、みちのくユーシーカード(現・みちのくカード)の社長に転じたが、2005年の不祥事の頻発と業務改善命令の発動に伴い、ほぼ役員全員の辞職という事態になり、役員派遣を要請されたみずほFG側の懇請により、頭取として復帰した。
水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は… 水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。