志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 200… 志摩 直人(しま なおと、1924年11月10日 - 2006年9月14日)は詩人、競馬評論家。 徳島県出身。関西学院大学文学部英文学科卒、同大学院美学研究科修士課程修了。 詩を数多く発表するとともに競馬に対する造詣も深く、競馬中継(関西テレビ)では1960年代からメイン解説者として出演。競馬に関する詩を番組内で数多く取り上げた。 競馬詩集「風はその背にたてがみに」は競馬書籍として空前のベストセラー商品となった。 競走馬テンポイントのファンでもあった。 2004年、JRA50周年功労賞を獲得。 2006年9月14日、心筋梗塞のため死去。81歳没。 同年、関西テレビの第67回菊花賞の中継内において馬場鉄志アナウンサーが「この実況を志摩先生に捧げたいと思います。
奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 200… 奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 2000年12月16日)は、日本の英文学者・英語教師。東洋大学名誉教授。駿台予備学校英語科講師。 1924年台湾生まれ。1943年学徒出陣。チモール島へ出征。海軍に所属し、回天要員の生き残りと自ら語っていた。復員後、東京大学文学部英文科にて中野好夫の指導を受け、1952年卒業。1954年から半世紀近くにわたって駿台で教鞭をとり続けた。文学的な文章の読解を得意としており、その講義はしばしば受験用の英文解釈の域を超えて、人生論・道徳論などに及び、多感な年齢の受験生への啓蒙的役割を果たした。駿台で授業を受けた四方田犬彦によれば、「旧制高校の教授はかくや」という独特の雰囲気を持ち、効率一点主義の講師陣の中にあって異彩を放っていたという。
北見 俊郎(きたみ としろう、1924年11月10日 - 2… 北見 俊郎(きたみ としろう、1924年11月10日 - 2014年2月7日)は、港湾経済学者。 神奈川県生まれ。1954年立教大学大学院満期退学、コロンビア大学大学院、1989年「「港湾政策」の形成と課題」で青山学院大学経済学博士。青山学院大学経営学部助教授、教授、経営学部長、1993年定年、名誉教授、静岡産業大学教授、関東学院大学教授。北見港湾総合研究所代表。日本都市学会賞受賞。日本港湾経済学会は北見俊郎賞を創設した。
梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日… 梶原 完(かじわら ひろし、1924年(大正13)11月9日 - 1989年(平成元)7月29日)は、日本出身のピアニスト、音楽教育者。日本で演奏活動を始めた後、1954年にドイツに渡り、ヨーロッパ各地で演奏を重ねる。1960年からドイツ西部のベッツドルフにあるアドルフ音楽院でピアノのレッスンを始め、演奏活動を続けるかたわら多くの生徒を育てた。 梶原完は、父梶原國生と母恒子の次男として、1924年11月9日に上海で生まれた。長野県出身の父は満鉄調査部上海事務所に勤めており、音楽を愛する学究肌の人物だった。同じく長野県出身の母は、女子高等師範学校を首席で卒業し、仙台で教師を務めた後に、結婚まで東京の東洋英和女学院でも教えていた。
眞鍋 理一郎(まなべ りいちろう、1924年〈大正13年〉1… 眞鍋 理一郎(まなべ りいちろう、1924年〈大正13年〉11月9日 - 2015年〈平成27年〉1月29日)は、日本の作曲家。東京都神田出身。 父はニコライ学校で学び、神田ニコライ堂で奉職した真鍋理従。幼少期より教会音楽に親しみ、中学校の音楽教師や教会の聖歌隊長などを志す。東京工業大学卒業後、東京藝術大学声楽科(畑中良輔に師事)にて学び、1951年に作曲科へ転科。作曲を池内友次郎に師事した後、池野成の仲介により伊福部昭に師事。イタリアにて映画音楽作曲家のアンジェロ・フランチェスコ・ラヴァニーノ(イタリア語版)と親交を持った。 藝大卒業後、親戚の伝手により映画音楽家の吉澤博に師事し、その後吉澤の紹介により仁木他喜雄の助手を務める。
樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 20… 樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 2004年1月9日)は、日本の歴史学者、政治思想学者。専攻はヨーロッパ政治思想史。京都大学名誉教授。 京都大学卒業。1965年に設立した京都ベ平連の中心メンバーの一人だった。京都大学人文科学研究所助教授・教授、佛教大学教授を歴任し、日本平和学会会長も務めた。2004年叙従四位、授瑞宝中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
竹村 保昭(たけむら やすあき、1924年11月7日 - 1… 竹村 保昭(たけむら やすあき、1924年11月7日 - 1994年4月6日)は、日本の経営者。代々木ゼミナール副理事長を務めた。北海道出身。代々木ゼミナール創業者・高宮行男の実弟。 1949年に小樽経済専門学校を卒業し、同年にシェル石油に入社。1962年に代々木ゼミナールに転じ、副理事長を務めた。 1994年4月6日膵臓癌のために死去。69歳没。
加藤 譲(かとう ゆずる、1924年11月7日 - 2005… 加藤 譲(かとう ゆずる、1924年11月7日 - 2005年11月2日)は、日本の農業経済学者。 岡山県出身。東京帝国大学農学部農業経済学科卒業、のち東京大学農学部助教授、教授、85年定年退官となり、名誉教授、東京経済大学教授を務めた。日本農学賞、NIRA政策研究・東畑記念賞、読売農学賞受賞。2003年11月瑞宝中綬章受章。
楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003… 楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003年9月29日)は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 1967年から1972年まで内閣総理大臣佐藤栄作だった首席秘書官を務めたことで知られる。 鹿児島県出身。戦時中は帝国陸軍に入隊し中国大陸の戦線で大陸打通作戦で従軍した。早稲田大学専門部商科に入学し(在学中大学商学部に廃止・改組)、1952年卒業し産経新聞社に入社した。政治部配属後は三木武吉、河野一郎の番記者を歴任するが、河野にはなじむことができず、大蔵大臣(第2次岸内閣)を務める佐藤栄作の番記者に転じ、マスコミを滅多に寄せ付けない言われていた佐藤との間に信頼関係を構築する。その後も総理官邸キャップ、政治部デスクなどを務める傍らで佐藤の寵愛を受けた。
広野 信衛(ひろの のぶえ、1924年11月6日 - 201… 広野 信衛(ひろの のぶえ、1924年11月6日 - 2011年10月30日)は、日本の経営者。日本ミネチュアベアリング(現在のミネベアミツミ)、東京計器各社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学工学部を卒業し、通商産業省、曙ブレーキ工業での勤務を経て、1971年11月に日本ミネチュアベアリング常務に就任し、1972年11月には社長に昇格。1975年11月には副社長に退いた。 1976年12月に東京計器専務に就任し、1985年3月には社長に就任。1991年3月に会長に就任し、1996年6月からは相談役を務めた。 1995年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2011年10月30日肺炎のために死去。
小野 喜孝(おの よしたか、1924年11月5日 - 200… 小野 喜孝(おの よしたか、1924年11月5日 - 2002年4月9日)は、日本の経営者。井筒屋元代表取締役社長。 福岡県出身。山口経済専門学校卒業後、井筒屋に入社する。1984年同社代表取締役社長に就任。 1991年〜1997年まで、在九州スリランカ名誉領事兼任していた。 1993年財団法人童心会(中津平成ロータリークラブ)4代目理事長に就任し、2000年まで務めた。 2002年4月9日16時43分、肺癌のため北九州市小倉北区の病院にて死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡野 義一(おかの ぎいち、1924年(大正13年)11月5… 岡野 義一(おかの ぎいち、1924年(大正13年)11月5日 - 2004年(平成16年)7月22日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県朝霞市長。勲四等旭日小綬章。 埼玉県北足立郡朝霞町(現朝霞市)出身。1950年(昭和25年)早稲田大学専門部政経科卒業。朝霞町議会議員、朝霞市議会議員、埼玉県議会議員3期を経て、1989年(平成元年)3月、朝霞市長に当選した。1993年(平成5年)落選した。1998年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
石原 萠記(いしはら ほうき、1924年11月5日 -201… 石原 萠記(いしはら ほうき、1924年11月5日 -2017年2月24日)は、日本の社会主義運動家。社会党右派のイデオローグ。ソ連(ロシア)、中華人民共和国、韓国との文化交流、友好親善に努めている。出版社の自由社社長。日本対外文化協会副会長。日本出版協会理事長。STV-Japan取締役。「萠」は俗字で、人名漢字を使用して「石原萌記」と表記されることも多い。 山梨県甲府市百石町の染物店の二男として生まれる。1944年、早稲田大学在学中に陸軍に応召。1945年、中国・漢口の第6方面軍司令部参謀部で終戦を迎える。 1946年、上海から博多に復員。その後、東洋大学史学科で考古学を学ぶ。日本共産党員だった渡辺恒雄や河合武(河合栄治郎の長男)らと学生運動を行う。
臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 202… 臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 2021年9月24日)は、日本の歴史学者、筑波大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日中関係史。 栃木県出身。大正から昭和前期における日中関係史研究の重鎮。外務省では栗原健の指導の下、外交文書の編纂に従事。転出後も『日本外交文書』編纂委員を務める。1990年には、NHKと共に張学良とのインタビューを行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
篠田 節夫(しのだ せつお、1924年11月3日 - 199… 篠田 節夫(しのだ せつお、1924年11月3日 - 1995年5月22日)は、日本の男性俳優、声優。岐阜県出身。東京放送劇団に所属していた。上智大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
足立原 明文(あだちばら あけふみ、1924年 <大正13年… 足立原 明文(あだちばら あけふみ、1924年 <大正13年> 11月3日 - 2010年 <平成22年> 5月21日)は、日本の経営者。トピー工業社長を務めた。位階は正五位。 神奈川県出身。1950年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に車輪工業 (のちのトピー工業) に入社。1973年に取締役に就任し、1976年に常務、1980年に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1994年6月に相談役を経て、1999年6月には最高顧問に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章し、1994年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2010年5月21日に肺炎のために死去。
太田 美實(おおた よしみ、1924年11月1日 - 201… 太田 美實(おおた よしみ、1924年11月1日 - 2015年1月16日)は、日本の内科・小児科・泌尿器科医師、馬主。 京都府京都市東山区に所在する太田医院元院長。京都馬主協会に所属していた馬主でもあり、1993年のダービー馬のウイニングチケットなどを所有していた。妻の珠々子は本城珠喜の芸名で活動していた元タカラジェンヌである(宝塚歌劇団37期生)。 1924年、京都府出身。京都大学医学部を卒業し、その後太田医院を開院した。1993年時点では東山医師会の会長を務めていた。 2015年1月16日、心不全のため逝去。90歳没。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録した馬主としても知られた。
秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 19… 秋山 恒雄(あきやま つねお、1924年11月1日 - 1996年4月24日)は、日本の経営者。東急百貨店社長を務めた。福島県出身。 1948年に中央大学経済学部を中退し、同年に東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。 1981年4月に取締役に就任し、1986年2月に常務、1987年4月に専務、1990年5月に副社長を経て、1992年4月には社長に就任。1995年4月には取締役相談役に退いた。 1996年4月24日心不全のために死去。71歳没。
鈴木 一弘(すずき かずひろ、1924年(大正13年)11月… 鈴木 一弘(すずき かずひろ、1924年(大正13年)11月1日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の政治家。創価学会文化部長、川崎市議、神奈川県議を経て、1962年7月、参議院議員に当選し4期務める。 1924年11月1日に、静岡県で淳一郎うめ夫妻の長男として生まれる。 1944年、横浜高等工業学校(現横浜国立大学)機械工学科卒業。 1946年9月、日新工業に勤務。 1954年11月、創価学会男子部第1部隊長を兼務し、初代文化部長となる。 1955年4月、 川崎市議会議員選挙に、無所属で立候補し、当選する。 1959年4月、神奈川県議会議員選挙に、無所属で立候補し、当選する。 1962年7月1日、第6回参議院議員通常選挙に、全国区から無所属で立候補し、初当選する。
賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月3… 賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月31日 - 2008年(平成20年)7月26日)は、日本の裁判官。元東京高等裁判所判事部総括。兵庫県神戸市出身。 福井地家裁所長や和歌山地家裁所長を歴任、東京高等裁判所判事部総括で退官。退官後は弁護士登録し、帝京大学法学部教授を務める一方、多方面の役職を歴任した。 民事裁判手続・司法制度分野の権威でもあった。 永年にわたる功労により1994年(平成6年)には勲二等瑞宝章を受章。死後、従三位に叙された。 1944年海軍経理学校卒業、1945年海軍主計中尉、1947年京都帝国大学法学部入学、1949年12月 司法試験第二次試験合格、1950年京都大学法学部卒業、司法修習生、1952年司法修習終了、名古屋地方裁判所・名古屋家庭裁判所判事補、1954年東京家庭裁判所判事補・最高裁判所事務総局民事局付、最高裁判所事務総局総務局付、1957年旭川地方裁判所・旭川家庭裁判所判事補、1958年札幌地方裁判所・札幌家庭裁判所判事補、1960年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、1962年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事、1963年司法研修所教官兼、1968年大阪高等裁判所判事、1971年東京地方裁判所判事、1972年同部総括、1973年東京高等検察庁検事・法務大臣官房参事官、1975年法務大臣官房司法法制調査部長兼、1978年東京高等裁判所判事、1980年福井地方裁判所・福井家庭裁判所長。
山口 薫(やまぐち かおる、男性、1924年10月31日 -… 山口 薫(やまぐち かおる、男性、1924年10月31日 - )は、日本の特殊教育学者。 1950年東京帝国大学文学部心理学科卒業、55年東京大学大学院修了。1950年東京都立青鳥中学校(現・東京都立青鳥特別支援学校)教諭、1953年文部省初等中等教育局特殊教育課専門官、1960東京学芸大学助教授、68年教授、90年定年退官、名誉教授、帝京短期大学教授、明治学院大学教授、2004年星槎大学教授・学長、特任教授。 日本特殊教育学会理事長、日本行動分析学会会長、全日本特殊教育研究連盟(現・全日本特別支援教育研究連盟)理事長を務める。日本共生科学会会長、NPO法人日本ポーテージ協会会長、国際ポーテージ協会副会長、中国遼寧師範大学客員教授を務めた。
旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30… 旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30日 - 2001年(平成13年)12月31日)は、日本の女優である。本名、杉 輝子(すぎ てるこ)。東京都台東区浅草出身。1938年(昭和13年)、実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退し松竹少女歌劇学校に入る。翌年、松竹少女歌劇団に入団。1947年(昭和22年)に退団。映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍した。
7代目 竹本 住太夫(たけもと すみたゆう、1924年10月… 7代目 竹本 住太夫(たけもと すみたゆう、1924年10月28日 - 2018年4月28日)は、義太夫節の太夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)、文化勲章受章者・文化功労者。 大阪生まれ。出生と同時に、子どもがいなかった実母の姉とその夫である6代目(本名・岸本吟治)夫妻の養子となる。本名・岸本欣一。生まれ育った北新地は、お茶屋が並び、昼から三味線や唄や浄瑠璃が聞こえる「花街と文楽が溶け合う」街で、実父も祖父も文楽の三味線弾きだったが、元芸者だった養母は芸人が金にならないのを見てきたため常々商売人になるよう言い、欣一が小学校を卒業すると大阪商業学校に入学させた。商売に興味のない欣一は野球の盛んだった浪華商業学校に編入したが、戦争で1941(昭和16)年に繰り上げ卒業となり、文楽の道に進もうとしたが、養母の勧めで兵役免除のため日本大学大阪専門学校に進学。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 … 長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 - 2005年6月5日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。東京都生まれ。 旧制武蔵高等学校を経て、1948年東京大学理学部地質学科卒業。同年4月より1951年3月まで同大学院に在籍。1951年5月名古屋大学理学部講師となり、1954年助教授に昇進。1961年名古屋大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「新潟県三川鉱山の鉱化作用に関する研究」。1877年静岡大学理学部教授に就任。大学評議員・理学部長などを歴任し、1988年停年退職、名誉教授となる。その後、常葉学園浜松大学の教授となり、経営情報学部長・副学長を勤める。1984~1986年日本鉱物学会会長、1985~1986年日本粘土学会会長。
小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 -… 小泉 淳作(こいずみ じゅんさく、1924年10月26日 - 2012年1月9日)は、日本の日本画家、陶芸家。特定の美術団体に属さず、画壇とも距離を置いたことから「孤高の画家」と呼ばれた。 神奈川県鎌倉市生まれ。政治家小泉策太郎の七男で、俳優小泉博は弟にあたる。慶應義塾幼稚舎、普通部を経て、慶應義塾大学文学部予科に入学。1943年、慶應義塾大学予科を中退し、東京美術学校日本画科に入学。山本丘人に師事し、1952年同学科を卒業。1944年応召となるが、結核で療養生活に入る。陸軍予備士官学校の経験からか、戦争には強烈な嫌悪感を抱いていた。 その後、デザイナーとして活動し、1954年第18回新制作展に「花火」「床やにて」が初入選。
町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 20… 町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 2010年)は、日本の女優である。本名は橋本 博子(旧姓小町谷)。特技は日本舞踊、東北弁、ピアノ。 1924年(大正13年)10月25日、東京府南多摩郡町田町原町田に生まれる。 1939年(昭和14年)、町田尋常高等小学校(現在の東京都立町田高等学校)を卒業。同年4月、日活多摩川演技研究所に4期生として入所し、翌1940年(昭和15年)12月、日活多摩川撮影所が製作した山本弘之監督映画『生活の歓び』で映画初主演。1942年(昭和17年)、戦時統制に伴う企業統合で大映に移籍し、後に大映芸能挺身隊に加入して全国を慰問する。 第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)、伊賀山正徳監督映画『海の呼ぶ声』で復帰して以来、大映の専属女優として活躍。
宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉… 宍戸 駿太郎(ししど しゅんたろう、1924年〈大正13年〉10月24日 - 2016年〈平成28年〉11月28日)は、日本の経済官僚。経済企画庁審議官退官後、保守派の評論家、経済学者、国際大学学長、筑波大学名誉教授などとして活動した。 短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 通商産業省に入省した後、1963年に経済企画庁総合計画局の計量分析担当官を経て、経済企画庁審議官となり、筑波大学副学長、国際大学学長を務めた。日本経済に関して、一貫して創造的な分析・提言を行い、2006年(平成18)年には国際レオンチェフ賞を受賞した。
江村 利雄(えむら としお、1924年(大正13年)10月2… 江村 利雄(えむら としお、1924年(大正13年)10月24日 - 2019年(令和元年)10月24日)は、日本の政治家。位階は正五位。 大阪府高槻市長を務めた。学校法人常翔学園評議員会議長。 高槻市出身。摂南工科専門学院(のち大阪工業大学専門学院、1979年廃止)土木科卒業後、大阪府庁に入庁。水道部参事兼上水課長、水道部技術長、水道技術管理者などを経て定年退職。大阪府庁を退職後、高槻市助役に就任。 1984年(昭和59年)、高槻市長選挙に立候補し初当選。1988年(昭和63年)、高槻市長選挙で2度目の当選。1992年(平成4年)、高槻市長選挙で3度目の当選。1996年(平成8年)、高槻市長選挙で4度目の当選。
中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 200… 中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 2001年12月17日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。 福岡県北九州市出身。1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年2月に社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2001年12月17日急性循環不全のために死去。77歳没。
末長 一志(すえなが いつし、1924年10月24日 - 2… 末長 一志(すえなが いつし、1924年10月24日 - 2015年1月16日)は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。兵庫県出身。 1946年に東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1976年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1982年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1988年6月に取締役相談役に就任し、1989年6月に相談役を経て、1998年10月に特別顧問に就任。 2015年1月16日、急性腎不全のために死去。90歳没。
長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)1… 長谷部 亮一(はせべ りょういち、1924年(大正13年)10月23日 - )は、日本の経済学者。統計学者。経済学博士。元小樽商科大学学長・小樽商科大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。 北海道野付郡別海村字オダイトウ生まれ。1941年(昭和16年)12月、根室商業学校(現北海道根室高等学校)を卒業。1944年(昭和19年)9月、小樽高等商業学校を卒業。1948年(昭和23年)3月、東京商科大学(現一橋大学)商学部を卒業。1948年(昭和23年)小樽経済専門学校講師に採用、1954年(昭和29年)小樽商科大学商学部助教授。その後、立正大学経済学部教授、北海道大学経済学部教授、北海道総合経済研究所長を経て、1972年(昭和47年)小樽商科大学商学部教授、1976年(昭和51年)、第5代小樽商科大学附属図書館長に就任。
尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - … 尾崎 順通(おざき のりみち、1924年10月22日 - 2020年4月24日)は、日本の銀行家。武蔵野銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に配炭公団に入社。1952年に武蔵野銀行に転じ、1973年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1987年6月には頭取に就任。1992年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1994年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2020年4月24日、死去。95歳没。
小田 滋(おだ しげる、1924年〈大正13年〉10月22日… 小田 滋(おだ しげる、1924年〈大正13年〉10月22日 - 2025年〈令和7年〉9月4日)は、日本の法学者。位階は従三位。専門は国際法で特に海洋法。学位はS.J.D.(イェール大学・1953年)、法学博士(東北大学・1962年)。東北大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。文化勲章受章、瑞宝大綬章受章。弁護士。 東北大学法学部教授、国際司法裁判所判事、国際司法裁判所副所長などを務め、1976年2月6日から2003年2月5日まで3期27年間にわたり国際司法裁判所の判事であった。 1924年、北海道札幌市で生まれた。10歳から台湾・台北市で育った。台北高等学校尋常科・高等科を経て、東京帝国大学法学部政治学科に進学。
辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月… 辻川 郁二(つじかわ いくじ、1924年〈大正13年〉10月22日 - 2007年〈平成19年〉4月19日)は、日本の物理化学者。専門は分光化学。京都大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 1924年10月22日、大阪市にて生まれた。1943年9月に旧制大阪高等学校を卒業後、東京帝国大学理学部化学科に進学し、水島三一郎の研究室で分子分光学の研究を行った。1950年9月に同大学を卒業し、同年10月に東北大学金属材料研究所の助手に着任した。1953年11月から1955年11月まで、フランスのCNRS Bellevue研究所に留学した。 東北大での研究初期には、ベンゼンなどの有機固体結晶の紫外吸収スペクトル測定を行い、フランスでは遷移金属錯体の線状吸収スペクトルについて研究した。
石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月… 石原 一子(いしはら いちこ、1924年(大正13年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月1日)は、日本の実業家。元髙島屋常務取締役。東証一部上場企業初の女性重役であり、経済同友会初の女性会員でもあった。 満州国大連市生まれ。父は南満州鉄道勤務。1952年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では山田雄三教授のゼミナールに所属し、教授の紹介で東京銀行(現東京三菱銀行)へ就職するつもりだったが、紹介先の取締役が急逝し、当時は珍しかった男女同一賃金制度を採る髙島屋に入社。 1954年にゼミナールの先輩である石原英雄(のちに朝日新聞西部本社代表取締役社長)と結婚し、2人の子供を育てながら仕事を続け、婦人服第2部課長等を経て、1979年に取締役に選任され広報室長に就任。
大澤 弘之(おおさわ ひろゆき、1924年10月21日 - … 大澤 弘之(おおさわ ひろゆき、1924年10月21日 - 2012年12月7日)は、日本の科学技術技官。科学技術事務次官や、宇宙開発事業団理事長を務めた。 1947年北海道大学理学部物理学科卒業。科学技術庁長官官房秘書課長補佐を経て、1963年科学技術庁原子力局放射能課長。同年科学技術庁原子力局原子炉規制課長。 外務省在オーストリア日本国大使館一等書記官、国際原子力機関総会日本政府代表代理、宇宙空間の探査及び平和利用に関する国際連合会議日本政府代表代理を経て、1971年科学技術庁計画局計画課長。1973年科学技術庁長官官房秘書課長、人事管理官。 1974年科学技術庁長官官房参事官、国際原子力機関総会日本政府代表代理。
石川 博友(いしかわ ひろとも、1924年10月20日- )… 石川 博友(いしかわ ひろとも、1924年10月20日- )は、日本の政治経済学者、文筆家。神奈川大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。『週刊ダイヤモンド』編集長などを経て、神奈川大学教授。1996年、定年退任、名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - … 鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - 2011年11月6日)。理学博士。物理学者で東北大学教授、日本大学教授を務めた。今日広く電子機器類に使われているフェライト(強磁性酸化物)の人工合成と応用(特許200404号)に成功した。さらに1960年代、日本の電子線型加速器/ライナックの開発・製作に尽力し、その加速器を用い多くの原子核研究の先駆的業績をあげた。その中でも原子核の巨大共鳴の発見は、原子核の特徴的構造の理解を深める成果である。 1924年10月19日 埼玉県寄居町にて9人の兄弟、1人の妹の長男として生まれた。寄居町鉢形小学校卒業、1942年3月 埼玉県立熊谷中学校(旧制)を卒業し、同年4月仙台の旧制第二高等学校に入学した。
坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2… 坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2017年8月16日)は、日本の情報処理工学者。京都大学名誉教授、龍谷大学名誉教授。専門は、情報通信工学、情報工学、情報学。工学博士(京都大学、1954年)。 大阪府高槻市生まれ。文字や音声などを認識する技術、パターン認識の研究・開拓の先駆者とされ、情報処理学会や国際パターン認識連盟(英語版)の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
東 恵美子(あずま えみこ、1924年10月19日 - 20… 東 恵美子(あずま えみこ、1924年10月19日 - 2010年1月8日)は、日本の女優。父は浪曲師の東武蔵。 東京府(現・東京都)出身。日本女子神学専門学校卒業。NHK東京放送劇団を経て、1948年、劇団俳優座に入団したが、1954年に山岡久乃、初井言榮らとともに俳優座を脱退して劇団青年座を結成。以後、青年座の中心メンバーとして活動するかたわら、テレビ、映画でも主に脇役として活躍。 1978年、『白い巨塔』で東貞蔵教授夫人・東政子に扮し、鼻持ちならない上流夫人を演じ切ったことで有名(2003年にリメイクされた『白い巨塔』では高畑淳子が演じた)。 夫は社会心理学者の南博。2人の夫婦関係は「夫婦別姓の草分け」「自由結婚」「別居結婚」「日本のサルトルとボーヴォワール」と呼ばれ、マスコミなどでも話題となった。
野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2… 野尻 武敏(のじり たけとし、1924年10月16日 - 2018年10月29日[要出典])は、日本の経済学者、神戸大学・大阪学院大学名誉教授。専門分野は経済政策論、比較経済体制論。 1924年、大分県生まれ。1949年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業。大学では、五百籏頭眞治郎に師事した。 1950年に神戸大学経済学部助手として採用される。1952年に講師、1954年に助教授、1964年に教授昇進。1966年に学位論文『一般経済政策論の動向と基本問題』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。1988年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学経済学部教授として教鞭をとった。
森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 201… 森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 2013年6月6日)は、俳人。本名・康秀。 大阪府生。國學院大學国文科卒。1942年より作句し「誹諧」の高浜虚子・年尾選に投句。1944年、岡安迷子に師事。迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子に会いに行き、この際に虚子から「峠」の俳号を貰った。 1951年、兵庫県尼崎市尼崎高等学校に教員として奉職。同年、阿波野青畝の「かつらぎ」に入会。翌年より長く編集長を務めたのち、1990年に青畝より「かつらぎ」主宰を継承。2013年、同名誉主宰に就任。また俳人協会顧問も務めた。 代表句に「箱河豚の鰭は東西南北に」などがある。虚子・青畝に学んだ写生を信条とし、吟行を重んじた。
韮谷 定敏(にらたに さだはる、1924年 <大正13年> … 韮谷 定敏(にらたに さだはる、1924年 <大正13年> 10月16日 - 2019年 <平成31年> 1月10日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。位階は正四位。 熊本県出身。1947年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年9月に同和鉱業に入社した。1975年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務を経て、1985年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長、1998年6月に取締役相談役を経て、1999年6月に相談役に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2019年1月10日がん性リンパ管症のため死去、94歳没。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2… 平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2006年5月14日)は、日本の日本画家。創画会会員。新制作協会展を中心に活躍し、代表作に「白樹」「樹濤」などがある。1980年「樹木をテーマにした日本画新様式の確立」に対して中日文化賞受賞。 宝飯郡小坂井町(現在の豊川市)出身。京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学ぶが、開戦のためまもなく帰郷。1947年、新日本画研究会に参加し、中村正義とともに本格的に日本画の制作を始める。1950年には正義の薦めで第3回創造美術展に出品し、以後、創造美術が新制作派協会と合併して新制作協会日本画部となった後も同展に出品を続ける。1974年創画会結成に参加。
高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 20… 高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 2014年8月31日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授、京都外国語大学元学長。近代ドイツ文学専攻。 長野県岡谷市生まれ。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、一高を経て、1951年京都大学文学部卒、西京大学助教授、京都大学教養部助教授、1971年教授、1988年定年退官、名誉教授、京都外国語大学教授、1992年から1998年まで同大学及び短期大学学長、2000年に定年退職、名誉教授。 2014年8月31日、肺炎により京都市内の病院で死去。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14… 西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14日 - 1992年(平成4年)5月12日)は、日本の実業家である。日本ナレッジインダストリ(現在のアイエックス・ナレッジ)の社長を務めた。 東京府東京市(現在の東京都)世田谷区に生まれ、東京工業大学電気工学科に入学する。1949年(昭和24年)に卒業後は、第一物産(現在の三井物産)に入社しコンピューティングセンター室長代理を務めた。1967年(昭和42年)には三井情報開発取締役および常務を務め、1970年(昭和45年)から一年間業務部システム開発室長、1972年(昭和47年)には専務を歴任する。 その後独立し1979年(昭和54年)にはコンサルタントとしての活動を開始し、同年日本ナレッジインダストリを設立し同社の初代社長に就任した。
木村 利三郎(きむら りさぶろう、1924年10月13日 -… 木村 利三郎(きむら りさぶろう、1924年10月13日 - 2014年5月17日)は、日本の画家、版画家。ニューヨークで活動し、都市を主題とした作品群を多く手掛けた。 神奈川県横須賀市出身。1947年神奈川師範学校(現・横浜国立大学)卒業。国語教師を経て法政大学文学部哲学科に学び、谷川徹三に師事。美術評論家を志して久保貞次郎の創造美育運動に関わり、靉嘔、池田満寿夫らと知り合う。 その後は画家に転じて、1964年に渡米。マンハッタンにアトリエを構え、シルクスクリーンの作品を発表した。