川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月… 川上 玲子(かわかみ れいこ、1926年〈大正15年〉11月11日 - 没年不明)は、日本のソプラノ歌手。徳島文理大学名誉教授。 武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業。兵庫県西宮市出身。 兵庫県西宮市出身。1948年(昭和23年)に武蔵野音楽大学音楽学部声楽科を卒業し、声楽をリア・フォン・ヘッサートに師事する。 大学を卒業後は徳島女子大学音楽学部で教鞭を執り、1972年(昭和47年)に同大学が改称し徳島文理大学音楽学部の教授となる。また全四国大学音楽学会などに所属した。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 20… 三島 敏夫(みしま としお、1926年11月10日 - 2014年8月17日)は、日本のハワイアン歌手、演歌歌手。
伊豆 利彦(いず としひこ、1926年11月10日 - 20… 伊豆 利彦(いず としひこ、1926年11月10日 - 2017年12月8日 )は、日本の国文学者。日本近代文学専攻。横浜市立大学名誉教授。 福岡県直方市生まれ。1950年東京大学文学部国文学科卒業。横浜市立大学文理学部助教授、教授。1992年定年退官、名誉教授。日本文学協会に属し、左翼的立場から日本近代文学を研究する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9… 鈴木 孝夫(すずき たかお、1926年〈大正15年〉11月9日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、日本の言語社会・社会・環境評論家。慶應義塾大学名誉教授。(財)日本野鳥の会顧問。谷川雁研究会特別顧問。国際文化フォーラム顧問。専攻は言語社会学(社会言語学としばしば同一視されるが、社会学の一分野としての意味合いが強い)。 英語公用語化論、世界環境も積極的に発言した。英語帝国主義批判の主要な論客としても知られた。 1926年東京市青山に生まれる。父親の菫(ただし)は、山脇高等女学校と富士見高等女学校の教頭、校長を歴任した教諭、書道家だった。孝夫は夫婦の4番目の末っ子として生まれた。父親は芸事で弟子を作らなかったが、その点孝夫はその性質を継いでいる。
五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年)… 五條 順教(ごじょう じゅんきょう、大正15年(1926年)11月9日 - 平成21年(2009年)5月16日)は、日本の金峯山修験本宗の僧侶、2代管長、金峯山寺28代管領。 1926年(大正15年)、東南院住職、五條覚澄の長男として吉野に生まれる。旧制五條中学校を経て旧制京都第三中学校に転校。出征して復員後に叡山学院に入学。箱崎文応から四度加行を受ける。叡山学院を卒業後に大正大学文学部史学科に編入、書道部部長になる。 1947年(昭和22年)、大峯修験宗として天台宗から独立する。1948年(昭和23年)から大峯奥駈け修行を22年間続ける。 1952年(昭和27年)、大正大学を卒業して吉野に戻り、東南院の副住職に就任。
木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019… 木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019年10月28日)は、エッセイスト。 邦枝完二の長女として東京市麹町区(現東京都千代田区麹町)に生まれる。父と同様に麹町幼稚園、麹町小学校で学び、文化学院女学部を卒業。1948年、俳優の木村功と結婚。妹にクニエダヤスエがいる。娘は七代杵屋佐吉に嫁ぎ、孫に杵屋浅吉、杵屋佐喜がいる。木村功の死後『功、大好き』を上梓しベストセラーになった。 2019年10月28日、老衰のため92歳で死去した。墓所は本郷の喜福寺。
祖父江 孝男(そふえ たかお、1926年11月5日 - 20… 祖父江 孝男(そふえ たかお、1926年11月5日 - 2012年12月15日)は、日本の文化人類学者、国立民族学博物館名誉教授。 1926年、東京で生れた。府立高等学校を経て、東京大学理学部人類学科に入学。文化人類学を専攻し、1949年に卒業。ハーバード大学大学院に留学。 ノースウェスタン大学、ハワイ大学、ウィスコンシン大学客員教授をつとめた後に帰国し、明治大学政経学部教授に就いた。1977年、国立民族学博物館教授に転じた。1984年に国立民族学博物館を退任し、名誉教授となった。同年より放送大学客員教授をつとめた。 2012年12月15日、虚血性心不全のため自宅にて死去。 文化人類学者として北米をフィールドとし、アラスカ・エスキモーを専門とした。
坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1… 坂本 藤良(さかもと ふじよし、1926年11月5日 - 1986年9月15日)は、日本の経営学者、評論家。理論の底流にヒューマニズム。 東京市下谷区(現、台東区)生まれ。旧制成蹊高等学校の理科・文科を経て、1951年、東京大学経済学部卒業。同年4月より大学院特別給付研究生。日本の正統派経営学の祖である、馬場敬治教授の唯一の門下生となる。1954年の『経営学における原価理論-序説1』に始まる一連の論文でコスト論を展開し、国民所得からソシアル・コスト(公害等)を控除しなければ、真の意味での国民所得ではないのではないか、と示唆している。1956年、特別給付研究生修了。 1957年、慶應義塾大学商学部の設立に参画し、『経営通論』の講義を担当した。
ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日… ク・ボンソ(具 鳳書、朝鮮語: 구봉서、1926年11月5日 - 2016年8月27日)は、大韓民国のコメディアン、俳優。本貫は綾城具氏。キリスト教徒。 日本統治時代の平安南道平壌府(現・平壌直轄市)出身。実家は衣料品を商う裕福な家庭であった。3歳時に大同郡に、次に京城府に移住した。様々な楽器を扱うことができたため、キム・ヨンファン楽劇団の団員をしていた。1945年に大東商業高等学校(現・大東税務高等学校)を卒業後、1947年に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業した。1945年から1954年まで太平洋・白鳥歌劇団および陸軍軍芸団で活動し、海兵芸能隊を創設した。1961年喜劇に登場し、出世作『オブジャ』で「末っ子」という愛称がついた。
竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )… 竹中 久二雄(たけなか くにお、1926年11月4日 - )は、日本の農業経済学者。 山形県山形市生まれ。東京農業大学卒、1959年同大学院修士課程修了、同助手、講師、助教授、1975年教授、1987年常務理事、1994-1995年理事長。農学博士。
木島 力也(きじま りきや、1926年〈大正15年〉11月4… 木島 力也(きじま りきや、1926年〈大正15年〉11月4日 - 1993年〈平成5年〉9月2日)は、日本の総会屋、企業ゴロ、フィクサー、出版人、馬主。戸籍上の本名は鬼嶋 力也(読みは同じ)だが、本人はもっぱら「木島」の表記を用いていた。 児玉誉士夫門下で、西山広喜・岡村吾一とともに「児玉門下三羽ガラス」と呼ばれた。児玉の「側近」を自称し、児玉の没後は「後継者」を自称した。 総会屋小池隆一の師。木島の没後に発覚した一連の小池隆一事件においては、小池と金融機関各社との関係を実際に築いたのは木島であったとされている。 出版人としては現代評論社の創業者であり、新左翼系総合雑誌『現代の眼』のオーナーとして知られる。
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月… 小松 方正(こまつ ほうせい、1926年〈大正15年〉11月4日 - 2003年〈平成15年〉7月11日)は、日本の俳優、声優。本名は小松 豊成(こまつ とよしげ)。 長野県松本市出身。生まれつき体が弱く、3歳の頃に肺炎を患い生死の境をさまよったことがあるという。小学校卒業後、叔父を頼って上京し昌平中学に入学した。卒業後、満鉄の技術員養成所に入るが、結核を患って退社する。1945年(昭和20年)、終戦直前に海軍へ入り、同年8月6日の原爆投下の前日まで広島市にいた。東京の警備隊に転勤となり前夜8月5日、最終列車で東京に向かう。新型爆弾投下をラジオで聞いた場所は、空襲の影響で列車が止まった静岡県掛川駅だった。
岸谷 孝一(きしたに こういち、1926年11月3日 - 1… 岸谷 孝一(きしたに こういち、1926年11月3日 - 1996年6月21日) は、日本の建築防災工学者。建築構造学者。建築材料学者。東京大学名誉教授。専門は防災計画、建築材料でコンクリートの耐久性や災害時の材料の有毒性など多岐。日本建築学会会長、日本火災学会理事、石膏石炭学会理事、日本建築防災協会理事、消防科学情報センター理事、日本圧接協会会長、日本建築仕上学会会長、中央建築士審査委員会委員長、建築技術審査委員会委員、旧通産省日本工業標準調査会建築部会長、建材試験センター顧問、消防庁消防審議会委員、旧建設省建築審議会委員、阪神・淡路大震災調査特別委員会委員長など歴任。 1926年(大正15年)大阪府に生まれる。
森山 信吾(もりやま しんご、1926年11月2日 - 19… 森山 信吾(もりやま しんご、1926年11月2日 - 1987年12月9日)は、日本の通産官僚、経営者。資源エネルギー庁長官、第二電電初代社長を務めた。 鹿児島県出身。曽於郡有明町(志布志市)生まれ。1945年第七高等学校造士館文科卒業。1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に通商産業省に入省。 中小企業庁、福岡通産局石炭部炭政課長、重工業局、1962年ジェトロサンフランシスコセンター、1966年貿易局輸出課長、1967年経済企画庁開発計画課長、1969年ジェトロバンコクセンター所長、1972年通商局政策課長、1973年通商政策局経済協力部長、1974年機械情報産業局次長、1975年資源エネルギー庁次長、1976年貿易局長、1977年機械情報産業局長、1979年資源エネルギー庁長官を経て1983年6月に退官し、京セラ副社長に就任。
渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2… 渡 仲三(わたり なかぞう、1926年〈大正15年〉11月2日 - 2018年〈平成30年〉2月15日)は、日本の解剖学者、性科学者、名古屋市立大学名誉教授。医学博士。 群馬県吾妻郡岩島村矢倉(現・東吾妻町)の農家に生まれる。岩島高等小学校を卒業後、群馬師範学校に入学し、群馬大学学芸学部から医学部に転部し1955年卒業。1960年同大学院博士課程を修了。 1960年群馬大学助手、1961年同講師。1963年から1965年までハーバード大学・ニューヨーク州立大学に留学する。1966年群馬大学内分泌研究所助教授。1969年名古屋市立大学医学部教授。1979年日本臨床電子顕微鏡学会賞を受賞。 日本解剖学会、日本電子顕微鏡学会、日本臨床電子顕微鏡学会所属。
吉村 司郎(よしむら しろう、1926年11月2日 - 20… 吉村 司郎(よしむら しろう、1926年11月2日 - 2013年4月29日)は、日本の経営者。服部セイコー(現在のセイコーグループ)社長を務めた。 東京都出身。1948年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社。。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1981年8月に専務、1987年7月に副社長を経て、同年9月に社長に就任。1991年6月に副会長に就任し、1993年6月に取締役を経て、1995年6月から相談役を務めた。 2013年4月29日敗血症のために死去。86歳没。
中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は… 中川 和雄(なかがわ かずお、1926年11月1日 - )は、京都府出身の元官僚、政治家。元大阪府知事。関西棋院理事長。
澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年… 澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年12月29日)は、日本の医師、俳人。京都府京都市下京区麩屋町に生まれる。大阪市在住。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)に在学中、八木三日女らとともに学生俳句会に参加し、精神科の教授であった平畑静塔の指導を受ける。1948年に同校卒業、のちに小児科内科澁谷医院を開設。この年に創刊された山口誓子の「天狼」に投句をはじめる。1949年、西東三鬼の雷光句会に参加。1952年「夜盗派」に同人参加。1959年「縄」創刊同人。1967年、橋閒石より連句の指導を受ける。1977年、金子兜太の「海程」同人。1978年、「白燕連句会」に入会し連句の実作を行う。
加藤信朗(かとう しんろう、1926年11月1日- )は、日… 加藤信朗(かとう しんろう、1926年11月1日- )は、日本の哲学者、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 東京生まれ。1950年東京大学文学部哲学科卒業。上智大学文学部助教授、教授、東京都立大学人文学部教授、1991年定年退官、名誉教授となり、聖心女子大学文学部教授。97年退職。ペンシルベニア大学客員教授を務めた。古代ギリシア哲学・神学が専門。
斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 20… 斎藤 尞(さいとう りょう、1926年10月30日 - 2015年10月30日)は、日本の元ラグビー選手及び同監督。 北海中学を経て明治大学へと進んだ。 第二次世界大戦後初めて行われた1946年を手始めに、明早戦に5シーズン連続で出場。1949年度シーズンには主将として、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦制覇など、11戦全勝の記録をもたらした。その後、大映に進み、ここでもプレーした。 また、1952年のオックスフォード大学戦(2試合)、1953年のケンブリッジ大学戦(2試合)に日本代表選手として出場し、キャップ4を獲得。 現役から退いた後は、長らく監督の北島忠治を補佐するヘッドコーチとして母校・明治大学の指導にあたる傍ら、1974年に日本代表監督に就任。
宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日… 宮 太郎(みや たろう、1926年〈大正15年〉10月30日 ‐ 2013年〈平成25年〉7月6日)は、日本の実業家。 旧制金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)、旧制富山高等学校を経て早稲田大学商学部卒業後、石川県金沢市に本店をもつ百貨店、大和に入社。代表取締役社長、会長、取締役相談役などを歴任した。晩年は名誉相談役を務め、また筆頭株主でもあった。1986年に藍綬褒章、北國文化賞、1989年に金沢市産業功労賞、2001年に勲三等旭日中綬章を受章する。没後、金沢市より景仰の証を授与される。1974年より金沢商工会議所会頭を務めていたが、2006年6月に病気を理由に退任し、名誉会頭に就任。2013年7月6日午後7時15分、呼吸不全のため、金沢社会保険病院で死去。
長部 文治郎(おさべ ぶんじろう、1926年10月29日 -… 長部 文治郎(おさべ ぶんじろう、1926年10月29日 - 2020年3月8日)は、日本の経営者。酒造メーカー大関社長を務めた。旧名・恒雄。「文治郎」は同社の創業家・長部家の7代目以降の当主が継承する通称で、恒雄は11代。 兵庫県出身。1951年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に長部文治郎商店(のちの大関)に入社し、取締役に就任。1953年に常務、1961年6月に専務を経て、1966年4月には社長に就任。2002年4月に会長に就任。 2020年3月8日に膵臓癌のために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂本 賞三(さかもと しょうぞう、1926年10月29日 -… 坂本 賞三(さかもと しょうぞう、1926年10月29日 - 2021年8月18日)は、日本の歴史学者。広島大学名誉教授。平安時代史が専門。 中華民国(のち満洲)生まれ。広島大学文学部卒、同大学院修了、1977年「王朝国家と王朝貴族の国政観」で文学博士。滋賀大学助教授、広島大学文学部助教授を経て教授、1992年定年退官、名誉教授、神戸学院大学人文学部教授を務めた。
川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐20… 川島 喜代詩(かわしま きよし、1926年10月29日‐2007年4月24日)は昭和から平成期の日本の歌人である。出版業に携わりながら佐藤佐太郎門下で活躍した。後「歩道」を離れ「運河」を結成、同人として活躍した。 第一歌集『波動』を上梓した42歳の川島喜代詩はその後記のなかで、「なぜ歌をつくるのか」と自らに問い「歌は生のあかし・・・。歌をつくる営みは世界の深奥とかかわる、この5句31音の詩型が世界への飛翔を可能にしてくれる・・・。歌が生をささえる」と述べている。 20代はじめから佐藤佐太郎の短歌に親しみ、「歩道」に入門した川島喜代詩は、正師の「純粋短歌」の写実に徹し、都会的な景物から次第に自然、世界の事物を見る目を深め、天性のしなやかな語調で自らの生の憂いをうたう短歌を詠んだ。
坂上 守男(さかがみ もりお、1926年10月28日 - 2… 坂上 守男(さかがみ もりお、1926年10月28日 - 2004年5月11日)は、日本の実業家。元京都新聞社代表取締役会長。山口県出身。 1950年に関西大学経済学部を卒業。1952年に京都新聞に入社し、社会部記者として活躍。人事部長、総務局長、専務などを経て1983年には代表取締役社長。1995年から会長を兼務し、1999年に代表取締役会長専任及び日本新聞協会副会長に就任した。2003年に相談役。 1997年からは関西大学経済人クラブ会長も務めた。京都府観光連盟及び京都市観光協会の会長を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平井 俊夫(ひらい としお、1926年10月28日 - 19… 平井 俊夫(ひらい としお、1926年10月28日 - 1993年10月20日)は、ドイツ文学者、京都大学文学部名誉教授。 1953年京大文学部卒。浪速大学助教授を経て、1969年京大文学部独文科助教授、1976年主任教授、1990年定年退官。 トラークルを研究していたが、その後ゲーテ研究に移る。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
栗原 康(くりはら やすし、1926年10月28日 - 20… 栗原 康(くりはら やすし、1926年10月28日 - 2005年12月7日)は、日本の生態学者。 静岡県出身。東北帝国大学理学部卒。東北大学理学部助教授、1961年「ミクロコスム構造の生物学的解析」で理学博士。1971年東北大教授。1989年定年退官、名誉教授。その後奥羽大学歯学部教授。2002年「生態系解析手法の研究とその環境保全への応用」で日本学士院エジンバラ公賞授賞。 2005年12月7日、肺癌のため死去。
達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月… 達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月27日 - )は、昭和期の労働運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(1期)。 長崎県 長崎市出身。1945年(昭和20年)長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業した。 労働運動に加わり、全逓信労働組合(後の日本郵政公社労働組合)長崎県本部執行委員長、長崎県労働組合会議会長、原水爆禁止長崎県民会議会長、日本社会党長崎県本部副委員長などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から社会党公認で出馬し次点で落選したが、当選者の田浦直蔵が死去したため、同年8月24日に繰り上げ当選し、参議院議員に1期在任した。
高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月… 高沢 寅男(たかざわ とらお、1926年〈大正15年〉10月27日 - 1999年〈平成11年〉8月5日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(7期)。 新潟県上越市出身。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、奥田敬和らと同期。東京大学経済学部に入学。日本共産党国際派の活動家として学生運動に参加、都学連委員長などを務める。当時の同志に不破哲三、上田耕一郎、安東仁兵衛、武井昭夫らがいた。 1954年3月、東京大学経済学部を卒業。同年4月、日本社会党書記局に入る。1966年に非議員の中央執行委員に昇格し、教育宣伝局長、総務局長などを歴任する。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧東京5区から社会党公認で立候補し初当選した。
平島 正郎(ひらしま まさお、1926年10月27日 - 2… 平島 正郎(ひらしま まさお、1926年10月27日 - 2009年8月10日)は、日本の音楽学者。明治学院大学名誉教授。 弟の平島二郎は建築家で平島建築設計事務所代表。 東京府(現在の東京都)生まれ。1951年、東京大学文学部美学藝術学科卒、同大学院修士課程修了。1963年から1964年にかけて、また、1967年から1968年にかけてフランスに留学、N・デュフルク教授に師事。桐朋学園大学音楽学部教授、宮城学院女子大学教授、明治学院大学教授。1998年定年退任、名誉教授。遠山音楽図書館副館長も務めた。 2009年8月10日、拡張型心筋症のため死去。
柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 20… 柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家、SF作家、SF研究家・評論家。 日本初のSFファングループ『宇宙塵』の主宰者として知られ、同名の同人誌の編集長を務めた。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名だった。 石川県金沢市出身。父・柴野為亥知(ためいち)は陸軍軍人にして詩人・画家でもあり、多数の軍歌を作詞・作曲し、満州映画協会の創設にも関わった。小学校時代から山中峯太郎や海野十三に傾倒。東京で青山学院に入学するが、のち金沢に戻り、金沢二中から四修(飛び級)で第四高等学校に進む。 実父が陸軍大佐であった事から「軍」に関しては複雑な心境を持っていた。
江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 -… 江崎 健次郎(えざき けんじろう、1926年10月27日 - )は日本の作曲家。 台湾生まれ。日本大学芸術学部卒業。作曲を松平頼則に師事する。第25回日本音楽コンクール第1位受賞。第36回国際現代音楽祭入選。1957年、松平頼暁、下山一二三らとグループ20.5を結成。後に、東京テープ音楽・音響工房を設立し、音響デザイン社社長として記録映画およびPR映画の音楽や電子チャイム、音響デザインの制作に携わる。 一作ごとに主義主張を確実に変えてゆく(本人の弁では自己否定の連続)ために、全作品のカタログすら作らない。現代音楽業界と袂を分かち、たった一人で独自のサウンドインスタレーションを展開するなど、音響重視の作曲法は活動当初から変わっていない。
滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没… 滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没年不明)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左打者。 秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)を卒業後、秋田鉱山専門学校(現:秋田大学)に入学。 卒業後はノンプロの中央工業に所属し、1948年、外野手として急映に入団。1949年からは大映に移籍、1950年には初めて規定打席(33位、打率.249)に達する。1952年6月22日にはサイクルヒットを達成し、同年は63試合に先発出場。翌1953年は一塁手に転向、開幕から三番打者として活躍しチームの3年ぶりの3位進出に貢献した。1954年は自己最高の打率.283(14位)を記録する。
伊勢谷浩(いせたに ひろし、1926年10月26日 - )は… 伊勢谷浩(いせたに ひろし、1926年10月26日 - )は日本の大蔵官僚。国民金融公庫理事などを歴任。趣味はゴルフ、麻雀、旅行。 東京府出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年9月 大蔵省入省。銀行局保険課配属。1951年4月 主計局総務課。同年5月 経済安定本部建設交通局公共事業課。1952年4月 管財局外国財産管理課長補佐心得。同年9月 伊予西条税務署長。米国出張時には財政投資を研究。1970年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。1972年5月 外務省在英国大使館公使。1975年7月5日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1976年 国民金融公庫理事。1981年 スミス・バーニー証券顧問。
姜 在彦(カン ジェオン、朝鮮語: 강재언、英語: KANG… 姜 在彦(カン ジェオン、朝鮮語: 강재언、英語: KANG je-on, 1926年10月25日 - 2017年11月19日)は、朝鮮半島出身の歴史学者。朝鮮近代史、思想史を専門とした。花園大学客員教授。小説家の司馬遼太郎と親しかった。 1926年、日本統治下の済州島で生まれた。済州農業高校を卒業。 太平洋戦争終結後、朝鮮半島は解放されたが、1948年に朝鮮戦争が始まるとその初期に日本へ密航した。大阪商科大学で経済学を学び、同大学研究科を修了。その後は、 大阪市立大学など関西圏の多くの大学で非常勤講師を務めた。次第に研究テーマを朝鮮史に変え、1981年に学位論文『朝鮮の開化思想』を京都大学に提出して文学博士号を取得。
川端 晶子(かわばた あきこ、1926年10月25日 - )… 川端 晶子(かわばた あきこ、1926年10月25日 - )は、日本の食品学・食文化研究者。東京農業大学名誉教授。 福井県出身。1947年日本女子大学家政学部卒、1965年から1967年までフランス国立農学研究所客員研究員(フランス政府給費留学)、1970年東京農業大学助教授、1977年「果実ペクチンの化学的性状ならびに物性に関する研究」で東農大農学博士、同年教授、1997年定年退任、名誉教授。1982年フィリピン大学食品工学研究所客員教授、1996年食学研究所設立。日本家政学会賞、日本応用糖質学会賞、日本調理科学会賞受賞。
上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-200… 上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-2002年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、競走馬調教師。騎手時代に二冠馬ダイナナホウシユウの主戦騎手を務めたことで知られる。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身(出生地は宮崎県)。旧姓は和田。1939年に小倉競馬場所属の調教師、上田武司に弟子入りし、のち養子となる。 1943年に騎手免許を取得し、春季宮崎競馬より騎乗、3日目で初勝利を飾ったが、上田が応召したために渋川久作厩舎に移籍。1944年3月に一旦騎手を廃業した。 戦後、1946年9月に再び騎手免許を取得。高橋直三厩舎の所属となったが、1948年には京都競馬場に厩舎を構えた上田厩舎に復帰し、主戦騎手を務めるようになった。
桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、… 桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、児童文化史研究家。東京に生まれ、神奈川県鎌倉市、藤沢市で育つ。第一高等学校卒、東京帝国大学法学部法律学科卒業。公務員として自治省、神奈川県、鹿児島県、大阪府に30年勤務。日本赤十字社職員として大阪府支部、日赤本社に十余年勤務。大阪府教育長在職中に大阪府立国際児童文学館の設立に関与。2011年『日本最初の少年少女雑誌『ちゑのあけぼの』の探索 「鹿鳴館時代」の大阪、京都、神戸』で日本児童文学学会特別賞受賞。
児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23… 児玉 進(こだま すすむ、1926年(大正15年)10月23日 - 1987年(昭和62年)1月12日)は、日本の映画監督。 東京府東京市(現・東京都)出身。児玉氏の末裔で、曽祖父は台湾総督や陸軍参謀総長などを務めた児玉源太郎陸軍大将、祖父は貴族院議員、内閣書記官長を務めた兒玉秀雄である。父は秀雄の婿養子児玉忠康、母は秀雄の長女貞子。 1939年(昭和14年)に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1944年(昭和19年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同期には、星新一(小説家)、槌田満文(武蔵野大学名誉教授)、今村昌平(映画監督)、大野公男(元北海道情報大学学長)、黒澤洋(元日本興業銀行会長)、星野英一(東京大学名誉教授)などがいる。
田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日… 田中 浩(たなか ひろし、1926年10月23日- )は、日本の政治学者。一橋大学名誉教授。学位は、法学博士(名古屋大学)。専攻はヨーロッパ政治思想史。トマス・ホッブズ、カール・シュミット、長谷川如是閑の思想史的研究を柱として、現代政治史や福祉国家論などにも業績を持つ。 佐賀県生まれ。旧制佐賀中学校、陸軍経理学校予科、旧制佐賀高等学校文科乙類を経て、東京文理科大学哲学科卒業。 東京教育大学文学部助手、助教授を経て教授となる。同大学の閉学以降、静岡大学人文学部教授を経て、1983年から90年まで一橋大学社会学部教授。定年退官後、大東文化大学法学部教授、立命館大学客員教授、聖学院大学大学院客員教授を歴任し、聖学院大学大学院アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科教授に着任する。
廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2… 廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2014年2月24日)は、日本の法学者。広島県広島市出身。東北大学名誉教授。専門は民法、法社会学。ほか財産法、契約法。日本の公安警察も研究した。
田村 一郎(たむら いちろう、1926年10月23日 - 1… 田村 一郎(たむら いちろう、1926年10月23日 - 1991年2月21日)は、日本の数学者、東京大学名誉教授。専門は位相幾何学。 東京出身。1953年に東京大学理学部数学科卒業、大学院に進み、1957年、理学部助手。1960年、「M空間の特性類」で理学博士。1961年、教養学部助教授。1962年に理学部助教授、1967年に理学部教授、1987年、定年退官、名誉教授、東京電機大学教授。1991年2月21日、肝不全のため死去。
浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 201… 浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 2010年12月20日)は、日本の精神科医。分裂病者と球遊びに関しての論文が注目された。市井の精神科医として評価され、著作も複数ある。
岩堀 長慶(いわほり ながよし、1926年10月22日 - … 岩堀 長慶(いわほり ながよし、1926年10月22日 - 2011年5月29日)は、日本の数学者。東京大学名誉教授。専門は表現論。ヘッケ環(Iwahori-Hecke algebra)、局所体上の簡約代数群の岩堀部分群(英語版) (Iwahori subgroup) に名を残す。 旧制東京都立第一中学校、旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業。1961年東京大学理学博士。1964年、東京大学教授。1986年、東京大学教授を定年退官。上智大学教授。2007年、瑞宝中綬章。
沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉1… 沖 正一郎(おき しょういちろう、1926年〈大正15年〉10月22日 - 2016年〈平成28年〉2月20日)は、日本の実業家、鼻煙壺収集家。ファミリーマート初代社長、良品計画会長、日本フランチャイズチェーン協会会長等も歴任した。東京生まれ。 馬込小学校、旧制東京中学校を経て、1951年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社。大学時代は水泳部に所属。香港駐在、西友ストアー常務等を務めた。 1981年ファミリーマート社長に就任。発注の翌日納品、東海地方でのフランチャイズチェーン展開、プライベートブランド商品の導入、台湾進出などを行った。 1987年日本フランチャイズチェーン協会副会長、1991年同会長に就任。
池田 隆政(いけだ たかまさ、1926年(大正15年)10月… 池田 隆政(いけだ たかまさ、1926年(大正15年)10月21日 - 2012年(平成24年)7月21日)は、日本の実業家。池田動物園会長・園長。池田牧場社長。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女・池田厚子(順宮厚子内親王)の夫。旧岡山藩主池田侯爵家の第16代当主。 備前国岡山藩主の家系で、隆政の父・宣政は元侯爵。学習院高等科卒業後、1948年(昭和23年)から池田牧場を経営。家畜の改良などを行なった。 1952年(昭和27年)10月10日、順宮厚子内親王と結婚。1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業動植物園を経て、1960年(昭和35年)5月に株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任した。
鈴木格禅(すずき かくぜん、1926年10月20日 - 19… 鈴木格禅(すずき かくぜん、1926年10月20日 - 1999年8月19日)は、日本の仏教学者。 澤木興道に師事した。愛知県生まれ。 太平洋戦争時は東京陸軍航空学校をへて陸軍航空隊に入隊。戦後、会社勤めをへて労働学校に学び、静岡県の禅寺の小僧となり澤木興道に出会う。1948年駒澤大学専門部仏教科に入り、1953年駒澤大学仏教学部卒、同大竹友寮の寮監となるが、1972年免職。駒澤大学仏教学部教授、同大学禅研究所所長。1997年定年退職し名誉教授。永平寺 眼蔵会講師のほか、坐禅会講師として外国へも赴いた。 上記 著書の紹介文より。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1… 高橋 貞二(たかはし ていじ、1926年10月20日 - 1959年11月3日)は、日本の俳優。本名は高橋貞次。愛称は貞ちゃん。 東京府南葛飾郡奥戸村大字曲金(現・東京都葛飾区高砂)出身。 日本映画学校卒業後、1945年に松竹に入社。翌1946年、映画『物交交響楽』でデビュー。佐田啓二(中井貴一の父)、鶴田浩二と共に「松竹大船の三羽烏」と言われ、松竹映画の主力男優の1人として多くの作品に出演した。 1959年2月に結婚。同年11月3日22時40分頃、神奈川県横浜市西区の横浜駅前において、自ら飲酒運転するメルセデス・ベンツ300Sクーペのハンドル操作を誤り、横浜市電(第7系統中央市場発浦舟町止まり終車。
円山 雅也(まるやま まさや、1926年10月19日 - 2… 円山 雅也(まるやま まさや、1926年10月19日 - 2004年12月)は日本の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。別名・遠山雅之。 東京府東京市京橋区(後の東京都中央区京橋)出身。父は日本弁護士連合会会長を務めた円山田作。 1950年、日本大学法学部を卒業後、司法試験に合格。1952年には判事補となる。1956年に退官し弁護士登録、東京弁護士会所属。「円山雅也法律相談事務所」(後の「円山法律事務所」)を設立。以後メディアを中心にわかりやすい法律解説で人気を集め、1975年から日本テレビ系で開始されたテレビ番組『テレビ三面記事 ウィークエンダー』では番組監修を務めただけでなく自らも解説者として出演しており、同番組が円山の知名度を上げるきっかけとなりタレント弁護士の草分け的存在となる。