宮城 啓子(みやぎ けいこ、1948年 - )は、日本の刑事… 宮城 啓子(みやぎ けいこ、1948年 - )は、日本の刑事訴訟法学者。筑波大学法科大学院教授や法務省司法試験考査委員等を務めた。博士(法学)。 静岡県静岡市生まれ。東京都立西高等学校を経て、1971年一橋大学法学部卒業。1974年一橋大学大学院法学研究科公法専攻修士課程修了、法学修士。福田平ゼミ出身。フルブライト・プログラムでカリフォルニア大学バークレー校法科大学院LL.M.コースに留学し、1980年一橋大学大学院法学研究科公法専攻博士課程単位取得退学。1999年論文「裁量上告と最高裁判所の役割――サーシオレイライとへビアス・コーパス――」で博士(法学)(一橋大学)の学位を取得。審査員は、後藤昭、村井敏邦、山本和彦。
吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレ… 吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレコーディング・エンジニア、編曲家。 東京都出身。東京都立葛西工業高等学校電子科卒業。 1967年に東芝音楽工業の録音部に入社。ザ・ランチャーズの喜多嶋修と共に匿名ユニット「ジャスティン・ヒースクリフ(Justin Heathcliff)」を結成。同名アルバムを発表するも不発に終わる。 1970年、仕事をめぐり上司と衝突し、録音部からの配転を命ぜられ、クビに近い形で退社する。その後、かつての仕事仲間である細野晴臣に誘われてはっぴいえんどの『風街ろまん』にミキサーとして参加。以降、日本では初となるフリーのエンジニアとして活動。 松本隆に対して専業作詞家になることを勧めたのも吉野で、1974年に当時自らが担当していたアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』の収録曲の作詞を松本に依頼した。
板橋 作美(いたばし さくみ、1948年 ‐ )は、日本の文… 板橋 作美(いたばし さくみ、1948年 ‐ )は、日本の文化人類学者。専門は宗教人類学、日本の俗信(迷信)の論理に関する研究。ある社会の食物の禁忌などについても論じている。 東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科文化人類学分科卒業。東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。東京大学助手、山口大学講師、東京医科歯科大学助教授を経て、東京医科歯科大学教養部教授。
瀧田輝己(たきた てるみ、1948年 - )は、日本の会計学… 瀧田輝己(たきた てるみ、1948年 - )は、日本の会計学者。同志社大学名誉教授。 武蔵高等学校を卒業後、1972年慶應義塾大学商学部卒、1978年同大学院博士課程満期退学、1993年「日本的監査の社会学的考察」で商学博士。京都産業大学経営学部助教授、同志社大学商学部助教授、教授。2016年定年となり、名誉教授。公認会計士・税理士。
藤田 敏郎(ふじた としろう、1948年 - )は、日本の医… 藤田 敏郎(ふじた としろう、1948年 - )は、日本の医学者(内科学・腎臓学・高血圧)。学位は、医学博士。東京大学名誉教授。紫綬褒章受章。
今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身… 今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。 明治高等学校では1年上の古川義弘(明治大学-日本楽器)とバッテリーを組み、1965年春の選抜に出場。1回戦で田原本農を降すが、2回戦では岡山東商の平松政次と投げ合い0-1で惜敗。同年夏の甲子園都予選は6回戦で日大二高に敗れる。同年秋季東京大会は準々決勝に進むが国士舘高に敗退。 明治大学に進学し、古川と再びバッテリーを組む。東京六大学野球リーグでは1969年春季リーグで8年振りに優勝。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄との二本柱で早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。
磯部 史雄(いそべ ふみお、1948年 - )は、東京都出身… 磯部 史雄(いそべ ふみお、1948年 - )は、東京都出身のアマチュア野球選手(外野手)。 日大三高では2年生時の1965年に、1年上の佐藤道郎、石塚雅二のバッテリーを擁し、左翼手として夏の甲子園都予選決勝に進むが、日大二高の神山修投手に完封され0-2で惜敗。翌1966年も、1年下のエース古賀正明を擁し、右翼手、三番打者として活躍。春季東京大会準決勝に進むが、日大一高の保谷俊夫、桜井憲の継投に抑えられ敗退。同年夏の甲子園東京都予選では決勝進出を果たし、修徳高と対戦するが、辻正孝に本塁打を喫するなど乱戦の末に7-9で惜敗。他のチームメイトに投手の柴田民男、三塁手の畑野実がいた。 法政大学へ進学。
古川 安(ふるかわ やす、1948年 - )は、日本の科学史… 古川 安(ふるかわ やす、1948年 - )は、日本の科学史家、PhD。横浜商科大学助教授、東京電機大学教授、日本大学教授、化学史学会会長などを務めた。
羽入 佐和子(はにゅう さわこ、1948年 - )は、日本の… 羽入 佐和子(はにゅう さわこ、1948年 - )は、日本の哲学者。お茶の水女子大学学長や、国立大学協会副会長、国立国会図書館長、文部科学省日本ユネスコ国内委員会副会長を歴任。 神奈川県立横浜平沼高等学校を経て、1973年お茶の水大学文教育学部人文学科卒業。1982年同大学院博士課程修了、学術博士。1984年お茶の水女子大学文教育学部講師。1990年同助教授。1994年お茶の水女子大学大学院人間文学研究科教授。2005年お茶の水女子大学副学長兼附属図書館長。2006年第20期日本学術会議連携会員。2009年お茶の水女子大学学長。2013年国立大学協会副会長。2015年理化学研究所理事、文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会長代理、横浜国立大学経営協議会委員。
小林 頼子(こばやし よりこ、1948年 - 2023年)は… 小林 頼子(こばやし よりこ、1948年 - 2023年)は、日本の美術史家、目白大学名誉教授。専門は17世紀オランダ美術史、日蘭美術交流史。 山口県防府市出身。神奈川県立湘南高等学校、早稲田大学文学部卒業。1982〜1985年ユトレヒト大学美術史研究所留学。1987年慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程満期退学。2000年『フェルメール論』『フェルメールの世界』で吉田秀和賞受賞。目白大学社会学部メディア表現学科教授。2019年退任。
瀬戸 英雄(せと ひでお、1948年 - )は日本の弁護士。… 瀬戸 英雄(せと ひでお、1948年 - )は日本の弁護士。第一東京弁護士会所属。元株式会社企業再生支援機構委員長。 企業法務、事業再生・倒産法に精通し、多くの大型企業の破綻処理を手掛けている。企業再生支援機構の委員長として,京セラの稲盛和夫と共に日本航空の再生を主導した。「修羅場の王」大西康之(ダイヤモンド社 2025年10月刊)の主人公。 神奈川県立小田原高校、法政大学法学部卒業、法政大学大学院社会科学研究科修了。1996年から法制審議会倒産法部会幹事として、民事再生法の制定、会社更生法・破産法の改正に関与。会社更生が適用された第一ホテル(2000年)、マイカル(2001年)、大和生命保険(2008年)の管財人。
地主 道夫(じぬし みちお、1948年 - )は、日本の建築… 地主 道夫(じぬし みちお、1948年 - )は、日本の建築家、元ミュージシャン。 横浜市生まれ。聖光学院中学校・高等学校を経て、東北大学工学部金属加工学科卒業。その後、早稲田大学理工学部建築学科に編入学し、同大を卒業。 高校時代にジ・オフ・コース(後のオフ・コース → オフコース)に参加、早大在学中の1971年に脱退した。 1973年に竹中工務店入社。2004年から同社営業本部専門役。 現在は同社を退社し、建築家として独立している。 銀座のメゾンエルメスや青山のプラダブティックの建築を手掛ける。2005年に日本建築学会賞を受賞。
神山 純一(かみやま じゅんいち、1948年 - )は、日本… 神山 純一(かみやま じゅんいち、1948年 - )は、日本の作曲家、編曲家。日本作編曲家協会会員。自然を素材にした音楽を数多く作っている。 神奈川県私立栄光学園から早稲田大学に進学。在学中より作曲・編曲を始め、何度かの渡米で実践を積む。 大学在学中は、永井純として活動。カレッジ・フォークとして人気を集めた。代表曲「海 (THE SEA WITH YOU)」はかぐや姫によってカバーされ『かぐや姫LIVE』にも収録されている。 「海」を発表した時は大学1年生で人前で歌った経験はほとんどなく、度々おぼつかないギターを弾きながら「ボク、また恋をしちゃった」などと言っては自作の歌を自分の部屋で壁に寄りかかって唄うような青年だった。
矢口 彰(やぐち あきら、1948年または1949年 - 2… 矢口 彰(やぐち あきら、1948年または1949年 - 2022年 <令和4年> 10月16日)は、日本の国土交通技官。国土地理院長、日本デジタル道路地図協会専務理事、日本測量協会会長を歴任。位階は従四位。瑞宝中綬章受章。 1968年 (昭和43年) 3月 新潟県立高田高等学校卒業、1974年3月 東京大学大学院理学系研究科修士課程修了、同年4月 建設省入省、国土地理院企画部企画調整課長、1996年 (平成8年) 5月 同測地観測センター長、1997年9月 同測地部長、1999年4月 同企画部長、2003年4月 砂川孝志の後任として同参事官、2005年1月 同職を秋山實と交代し渡邊茂樹の後任として国土地理院長。
藤井 昭夫(ふじい あきお、1948年 - )は、日本の総務… 藤井 昭夫(ふじい あきお、1948年 - )は、日本の総務官僚。総務省政策統括官、総務省行政管理局長、総務省自治行政局長等を歴任し、退官後、日本大学法学部公共政策学科教授。 富山県生まれ。1971年 金沢大学法文学部法学科卒業。1973年 金沢大学大学院法学研究科行政法専攻修士課程修了、行政管理庁入庁。総務庁行政管理局行政情報システム企画課長、総務庁長官官房総務課長等を経て、内閣官房内閣審議官(個人情報保護担当室長)、総務省大臣官房審議官として、情報化や情報公開、個人情報保護を担当し、個人情報の保護に関する法律の策定にあたった。 総務省政策統括官(電子政府・電子自治体等担当)を経て、2005年 総務省行政管理局長。
奥井 隆(おくい たかし、1948年 - )は、日本の実業家… 奥井 隆(おくい たかし、1948年 - )は、日本の実業家。株式会社奥井海生堂代表取締役社長、四代目当主、敦賀商工会議所会頭、一般社団法人軽井沢日仏協会会長。 1948年生まれ。1967年、福井県立敦賀高等学校卒業。1971年3月、立教大学経済学部卒業。同年、奥井海生堂入社。三代目奥井重雄のもとで修行。1995年、同社代表取締役社長に就任。 奥井海生堂は創業明治4年の福井県敦賀市に本社を構える高級昆布専門店。明治中頃より曹洞宗の大本山永平寺、大本山總持寺の御昆布司を務める。大正から昭和の初めにかけては、北大路魯山人が主宰する星岡茶寮を始め、京都の高級料亭との取引が開始され、代々京都の料理人たちに高級昆布を納めている。
彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出… 彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出身の神経科学者、医師。アメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) 所属。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1973年に東京大学大学院から医学博士号を取得し、1978年には島津浩の指導下で前庭眼脳幹系の研究により博士号を取得した。同年から東邦大学講師、翌年からは助教授を務めた。その後は1982年までアメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) で博士研究員として研究を行った。 1983年に東邦大学の准教授に就任。1988年、生理学研究所に教授として移籍し、1993年に順天堂大学医学部第一生理学教室教授。2002年以降はアメリカ国立衛生研究所眼科研究所に戻り、感覚運動システムの研究グループリーダーを務めている。
鮎沢 大(あゆさわ だい、1948年 - )は、日本の生物学… 鮎沢 大(あゆさわ だい、1948年 - )は、日本の生物学者。学位は、農学博士(1971年)(学位論文「枯草菌菌体外酵素高産生菌の細胞表層についての研究」)専門は不老長寿学、分子遺伝学、細胞遺伝学、アーユルヴェーダ。
齊藤 万比古(さいとう かずひこ、1948年 - )は、日本… 齊藤 万比古(さいとう かずひこ、1948年 - )は、日本の医師・医学者。専門は、児童思春期の精神医学。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1975年千葉大学医学部卒業。1999年国立精神・神経センター(現・国立国際医療研究センター)国府台病院審理・指導部長。2003年国立精神・神経センター精神保健研究所児童思春期精神保健部長。国立国際医療研究センター国府台病院精神科部門診療部長。恩賜財団母子愛育会 総合母子保健センター愛育病院小児精神保健科部長。恩賜財団母子愛育会 愛育研究所 児童福祉・精神保健研究部部長・愛育相談所所長。国立国際医療センター国府台病院第二病棟部長。厚生労働省科学研究「思春期のひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学的治療・援助システムの構築に関する研究」主任研究者等を務める。
鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県… 鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 伊那北高等学校では、1966年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、エース吉江喜一を擁する塚原高に完封負け。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。1969年春季リーグで8年振りに優勝を飾る。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄、同期の今井恒夫が好投、早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。ベストナイン(一塁手)に2回選出されている。大学同期に外野手の辻哲也らがいる。
菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医… 菅沼 龍夫(すがぬま たつお、1948年 - )は、日本の医師、医学者。専門は解剖学。宮崎大学学長などを歴任した。長野県飯田市出身。
滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出… 滝澤 三郎(たきざわ さぶろう、1948年 - )は、日本出身の元公務員、国際機関職員、大学教員。法務省職員、UNHCR(国際連合難民高等弁務官事務所)ジュネーブ本部財務局長、UNHCR駐日代表、国連UNHCR協会協会特別顧問、東洋英和女学院大学教授などを歴任した。現在は同大学名誉教授、ケア・インターナショナル・ジャパン副理事長を務めている。 著書に『世界の難民をたすける30の方法』『「国連式」世界で戦う仕事術』などがある。 長野県東筑摩郡本城村(現:筑北村)出身。中学生時代に体調を崩し、長野県松本深志高等学校を1年間休学。高校卒業後は1年間の浪人生活を経て埼玉大学教養学部に入学し、1972年に卒業。
藤吉 好則(ふじよし よしのり、1948年 - )は、日本の… 藤吉 好則(ふじよし よしのり、1948年 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授、東京科学大学総合研究院高等研究府特別栄誉教授、日本学士院会員。日本学士院賞受賞。紫綬褒章、瑞宝重光章受章。専門は、生物物理学、構造生理学。岐阜県岐阜市出身。 極低温電子顕微鏡の開発を通じて、膜タンパク質の構造解析を可能にし、その構造の解明に貢献した。これまでの主な業績として、バクテリオロドプシン、水チャネル(アクアポリン)、アセチルコリン受容体、ギャップジャンクション、タイトジャンクションの鍵となるクローディンの構造と機能の解明がある。
川口 雅行(かわぐち まさゆき、1948年 - )は、日本の… 川口 雅行(かわぐち まさゆき、1948年 - )は、日本のマンドリン奏者。 静岡県出身。1966年、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学工学部中退。高校からマンドリンを始める。高久倫子に師事。京都大学マンドリンクラブ在籍中の1970年、第2回全日本マンドリン独奏コンクールにて第1位。1972年、西ドイツのザールラント大学に留学し、音楽学を専攻する傍ら、ソリストとしてヨーロッパ各地で演奏会、ラジオ放送で活躍。 1980年、帰国。同年、岩城宏之指揮の札幌交響楽団第210回定期演奏会で、ディートリヒ・エルトマン、田中賢作曲のマンドリン協奏曲を初演。ベルリン放送交響楽団との協演、西ドイツマンドリンフェスティバルなどに招待演奏。
平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 -… 平野 美恵子(ひらの みえこ、1948年または1949年 - )は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として活躍した。 誠心高校在学時の1966年度、全国高等学校卓球選手権大会シングルスで優勝。 専修大学在学時の1967年度、シンガポールで開催されたアジア卓球選手権では井上哲夫と出場した混合ダブルスで金メダル。 1969年度、全日本卓球選手権大会に福野美恵子と出場した女子ダブルス決勝で前年優勝の小和田敏子 / 今野安子組を2-1で破り初優勝。 1970年度、名古屋市で開催されたアジア選手権で福野と出場した女子ダブルスで銀メダル。全日本大学対抗卓球大会では専修大を優勝に導き、敢闘賞に選出された。
新美 育文(にいみ いくふみ、1948年 - )は、日本の法… 新美 育文(にいみ いくふみ、1948年 - )は、日本の法学者。専門は民事法。弁護士。明治大学名誉教授。安心ネットづくり促進協議会会長、環境省中央環境審議会会長代理、法務省司法試験考査委員等を歴任。 愛知県半田市生まれ。愛知県立半田高等学校、名古屋大学法学部卒業後、1973年名古屋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。 1986年から明治大学法学部助教授。1987年から同教授を務めた。2014年安心ネットづくり促進協議会会長。弁護士でもあり、交通事故紛争処理センター理事長、クレジット・カウンセリング協会会長、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構理事、法務省司法試験考査委員、通商産業省産業構造審議会委員、経済企画庁国民生活審議会委員なども歴任した。
多和田 眞(たわだ まこと、1948年 - )は、日本の経済… 多和田 眞(たわだ まこと、1948年 - )は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。日本地域学会会長・日本応用経済学会会長を歴任。 愛知県生まれ。愛知県立刈谷高等学校を経て、1971年名古屋市立大学経済学部卒業。1975年名古屋市立大学大学院経済学研究科修士課程修了、東京都立大学経済学部助手。 1978年名古屋市立大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。1980年ニューサウスウェールズ大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士(理論経済学)。 1981年神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部講師。1982年神戸商科大学商経学部助教授。1984年名古屋市立大学経済学部助教授。1985年ニューサウスウェールズ大学商学部招聘研究員。
松本 英治(まつもと えいじ、1948年 - )は工学者。京… 松本 英治(まつもと えいじ、1948年 - )は工学者。京都大学名誉教授。電磁気材料や機能材料などの先進材料の動的挙動の研究や音響的、電磁気的および熱力学的物性を利用した非破壊評価技術の開発に従事。 東海高等学校卒。京都大学工学部航空工学科卒。工学博士(京都大学)取得。京都大学工学部助手、助教授を経て1996年から現職。日本AEM学会論文賞、日本非破壊検査協会奨励賞、日本AEM学会功績賞、MAGDA優秀講演論文賞受賞。
西山 豊(にしやま ゆたか、1948年 - )は、日本の数学… 西山 豊(にしやま ゆたか、1948年 - )は、日本の数学者、応用数学者。大阪経済大学名誉教授。ブーメランの研究と普及をライフワークのひとつにしている。滋賀県出身。 1967年 滋賀県立膳所高等学校を卒業、1971年 京都大学理学部数学科を卒業。1971年-1985年 日本アイ・ビー・エム にてシステムエンジニアとして勤務。1985年 大阪経済大学に情報処理概論の経営学部講師として転任、1995年同経営情報学部教授。2005年-2006年 ケンブリッジ大学客員研究員、ミレニアム数学プロジェクト(英語版)に参加する。2012年 大阪経済大学情報社会学部教授、2019年 大阪経済大学名誉教授。
小松 幸平(こまつ こうへい、1948年 - ) は、日本の… 小松 幸平(こまつ こうへい、1948年 - ) は、日本の林学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。京都府立洛北高等学校を経て、1972年京都府立大学農学部林学科卒業。1977年京都大学大学院農学研究科林産工学専攻博士後期課程研究指導認定同退学。同年農学博士。 1977年北海道立林産試験場複合材試験科研究員。1981年森林研究所木構造研究室招聘研究員。1986年農林水産省森林総合研究所木構造研究室主任研究官。1989年農林水産省森林総合研究所接合研究室室長。1996年京都大学木質科学研究所構造機能分野助教授。 2000年京都大学木質科学研究所構造機能分野教授。2004年京都大学生存圏研究所生活圏構造機能分野教授。
谷 直樹(たに なおき、1948年(昭和23年)- )は日本… 谷 直樹(たに なおき、1948年(昭和23年)- )は日本の建築史学者。大阪市立大学名誉教授、大阪くらしの今昔館前館長。 専攻は日本建築史、博物館学。主に上方を中心とした近世建築史を研究している。 1948年兵庫県姫路市に生まれる。1967年大阪府立大手前高校卒業。京都大学工学部建築学科、同学大学院工学研究科修了。堺市博物館主任研究員を経て、1986年大阪市立大学生活科学部講師。1990年同学助教授、1996年同教授。同学大学院生活科学研究科長、文化交流センター所長を兼任し、2012年退官と同時に名誉教授。大阪くらしの今昔館館長を、2001年の開館から2021年3月までの20年間にわたり務めた。
井穴 廣宣(いあな ひろのぶ、1948年 <昭和23年> -… 井穴 廣宣(いあな ひろのぶ、1948年 <昭和23年> - )は、日本の地方公務員。大阪府企業局長、大阪モノレール社長を歴任。瑞宝小綬章受章。 1967年 大阪府立三国ヶ丘高等学校卒業。大阪府庁入職、同環境農林水産部環境管理監、同東京事務所長、2005年 (平成17年) 4月 芝池幸夫の後任として同企業局長、2006年3月 辞職。同時に企業局は廃局。 大阪府退職後、大阪モノレールサービス株式会社代表取締役、大阪府みどり公社理事長、大阪海区漁業調整委員会委員。
加賀山 茂(かがやま しげる、1948年 - )は、日本の法… 加賀山 茂(かがやま しげる、1948年 - )は、日本の法学者(民法・消費者法)。学位は、法学修士(大阪大学)。名古屋大学名誉教授、明治学院大学名誉教授。大阪大学法学部教授・名古屋大学法学部教授・明治学院大学法学部教授・吉備国際大学教授を歴任。文部科学大臣賞最優秀賞受賞。 愛媛県生まれ。大阪府立池田高等学校を経て、1972年大阪大学法学部卒業。1974年大阪大学大学院法学研究科民事法学専攻修士課程修了、法学修士。1979年同博士課程単位取得退学。浜上則雄ゼミ出身。 国民生活センター研修部教務課課長補佐を経て、1984年大阪大学教養部法学第三研究室講師。1987年大阪大学法学部民法第二講座助教授。
釜江 廣志(かまえ ひろし、1948年 - )は、日本の経済… 釜江 廣志(かまえ ひろし、1948年 - )は、日本の経済学者。博士(商学)(一橋大学・論文博士・1993年)(学位論文「日本の国債市場と金利の期間構造」)。一橋大学名誉教授。元生活経済学会会長。生活経済学会賞、東日本鉄道文化財団奨励賞受賞。 兵庫県生まれ。1966年兵庫県立加古川東高等学校卒業。1970年京都大学経済学部卒業。1972年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。指導教官二階堂副包。1975年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。指導教官倉林義正。1993年「日本の国債市場と金利の期間構造」で一橋大学より博士(商学)の学位を取得。審査員花輪俊哉、柴川林也、清水啓典。 1975年小樽商科大学商学部専任講師。
武谷 なおみ(たけや なおみ、1948年 - )は、日本のイ… 武谷 なおみ(たけや なおみ、1948年 - )は、日本のイタリア文学者。大阪芸術大学芸術学部文芸学科元教授。シチリア文学の第一人者。 兵庫県神戸市生まれ。甲南女子中学校・高等学校を経て、津田塾大学学芸学部英文学科を卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(専攻:イタリア文学)。中学生時代からジュリエッタ・シミオナートと文通をしており、イタリア文学研究を志した。イタリア政府給費留学生としてローマ大学文哲学部に留学。須賀敦子とも1970年代から交流が有った。 大阪芸術大学講師だった1992年に『古代ローマの饗宴』の翻訳で第5回ピーコ・デッラ・ミランドラ賞受賞。2015年、編訳『短篇で読むシチリア』、『ランペドゥーザ全小説』の翻訳などによる長年のシチリア文学研究で、地中海学会賞受賞。
徳永 進(とくなが すすむ、1948年 - )は、日本の医師… 徳永 進(とくなが すすむ、1948年 - )は、日本の医師、ノンフィクション作家。鳥取県生まれ。鳥取県立鳥取西高等学校、京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院の内科医。1982年、『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞受賞。83年同作品はNHKドラマ人間模様で「愛と砂丘の町」として放送された。2001年、鳥取市内にホスピスケアのある「野の花診療所」を開設。
関 守(せき まもる、1948年または1949年 – )は、… 関 守(せき まもる、1948年または1949年 – )は、日本の政治家。民主党所属。大阪府議会議員(3期)、堺市議会議員を歴任。旭日小綬章受章者。 1967年、鳥取県立米子工業高等学校卒業。ダイキン工業労働組合特別中央執行委員、堺市議会議員を経て1999年4月、大阪府議会議員選挙で民主党公認、自由党推薦を得て堺市選挙区 (定数10) で8位初当選[信頼性要検証]。2003年4月、大阪府議会議員選挙堺市選挙区 (定数10) で7位再選[信頼性要検証]。2007年4月、大阪府議会議員選挙堺市北区選挙区 (定数2) でトップ当選 (3選)。2011年4月、大阪府議会議員選挙堺市北区選挙区 (定数2) で3位落選。
堀口 照幸(ほりぐち てるゆき、1948年-)は、広島県広島… 堀口 照幸(ほりぐち てるゆき、1948年-)は、広島県広島市南区似島出身の実業家。元サッカー選手。 広島でもサッカーの盛んな土地だった似島出身。その後、立教大学に進学し、1969年には天皇杯に出場。1971年卒業。 その後東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)に所属した。攻撃的なミッドフィルダーあるいはウイングとしてチャンスメーカーとして活躍。選手を引退後はマツダを退社し、現在は、堀口海産(株)社長。
門 眞一郎(かど しんいちろう、1948年 - )は、日本の… 門 眞一郎(かど しんいちろう、1948年 - )は、日本の児童精神科医。 1948年(昭和23年)、現在の広島県広島市南区向洋本町生まれ。母親は被爆者であり、自身は被爆二世にあたる。1961年に広島市立青崎小学校を卒業。1967年、広島学院中学校・高等学校を卒業。政治家で現・法務大臣の平口洋とは中高の同級生。1973年9月に京都大学医学部を卒業後、大学病院での研修を経て、兵庫県の公立豊岡病院精神科に勤務。ここで石坂好樹とともに児童精神科外来を立ち上げた。 1980年から1年間、ロンドン大学精神医学研究所(Institute of Psychiatry)にてマイケル・ラター(Michael Rutter)のもとで児童精神医学を学ぶ。
中川 信子(なかがわ のぶこ、1948年 - )は、日本の言… 中川 信子(なかがわ のぶこ、1948年 - )は、日本の言語聴覚士である。小児の言語発達遅滞に対する支援を専門として、相談・指導活動に従事するかたわら、講演・執筆活動などを行っている。 1948年に東京都で生まれ、福岡県・広島県で育つ。ノートルダム清心中学校・高等学校を卒業。三木安正に惹かれ、東京大学教育学部教育心理学科に進学。在学中に、交通事故の後遺症で失語症になった子どもの家庭教師を引き受けたことをきっかけに、言語聴覚士を志す。1972年、国立聴力言語障害センター付属聴能言語専門職員養成所(現・国立障害者リハビリテーションセンター学院)に入学。1973年、卒業と同時に神奈川県総合リハビリテーションセンターに入職するも、健康を害し、1975年に退職。
門出 政則(もんで まさのり、1948年 - ) は、日本の… 門出 政則(もんで まさのり、1948年 - ) は、日本の機械工学者。佐賀大学教授、佐賀大学海洋エネルギー研究センター長、国立大学法人佐賀大学理事兼副学長を経て、九州大学特任教授。元日本伝熱学会会長。 山口県生まれ。山口県立下関西高等学校を経て、1971年九州工業大学工学部機械工学科卒業。1976年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、工学博士。 その後、佐賀大学理工学部講師。1978年佐賀大学理工学部助教授。1982年シュトゥットガルト大学客員教授。1989年佐賀大学理工学部教授。1996年佐賀大学理工学部附属海洋温度差エネルギー実験施設長。2002年佐賀大学海洋エネルギー研究センターセンター長。
智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋… 智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋画家。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治西高等学校、東京芸術大学大学院油画科修了。6人兄弟の末子。 1980年代初めから、和紙にアクリル絵具という独特な画法を確立し、日本画と洋画との境界を越えた革新的な表現方法に到達。日本の伝統美である衣装文様や花鳥風月を、「もののあはれ」を基調としたその作風は独特の技法とあいまって智内独自の幻想世界を創り上げている。古典の伝統から逸脱することなく、日本の美意識を斬新な手法で捉える「絵師」として、安井賞をはじめ数々の賞を受賞し、現代画壇を代表する洋画家として揺るぎない地位を築きあげている。
ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948… ケン・ケンセイ(本名:片岡 昇〈かたおか のぼる〉、1948年 - )は、日本人のハリウッド俳優、剣道師範、英語発音研究家。高知県高知市出身で現在はアメリカ合衆国ニューヨーク在住。全東部米国剣道連盟会長。 高知県立安芸高校卒業後、ヤンマー業務提携会社の協和農機に入社。高校時代から剣道を始め、社会人時代には1972年には高知県代表として国民体育大会にも出場した。全日本都道府県対抗剣道優勝大会では高知県代表の先鋒として2位の実績を残す。七段の腕前を持つ。 早期退職制度を利用し、1973年にカナダに渡る。シカゴ、メキシコを経てニューヨークへ行き、1976年、ニューヨークの古い教会の最上階を借り、ニューヨークシティ剣道クラブを創設した。
上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出… 上岡 誠二(かみおか せいじ、1948年 - )は、高知県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 土佐高では、1965年に1年下の広田義典と投の二本柱を組み、秋季四国大会に進む。決勝で高知高を降し、翌1966年春の選抜への出場を決めた。大会では先発を任され、準々決勝で平安高の門野利治と投げ合い1-0で完封勝ち。準決勝でも育英高を降し決勝に進出。中京商の加藤英夫との投手戦となるが3回の1失点を挽回できず、0-1で敗退し準優勝にとどまる。同年夏は南四国大会決勝に進むが、鳴門高の森進(三井造船)、板東順司の継投に抑えられ惜敗、甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1967年春季リーグに優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。
内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元… 内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督、政治家。ポジションは投手。元・小郡市議会議長。 明善高校で投手としてプレーしたが、1966年の夏の甲子園県予選の2回戦で敗退し、甲子園への出場を果たすことができなかった。 1966年のドラフト会議で中日から3位指名されたが交渉権放棄により早稲田大学に入学した。 大学卒業した後は、大昭和製紙でプレーした。 1984年から1999年までに16年間小郡高校の監督を務めた。 1994年に小郡市議選で初当選。2005年からは小郡市議会議長を務めながら母校である明善高校で指揮を執った。 2010年、小郡市市政功労者。2018年、旭日双光章受章。
白水 繁彦(しらみず しげひこ、1948年 - )は、日本の… 白水 繁彦(しらみず しげひこ、1948年 - )は、日本の社会学者、文化心理学者、駒澤大学および武蔵大学名誉教授。エスニック・コミュニティやローカル・コミュニティのメディア、海外日系人や沖縄系人を中心とするエスニック文化・エスニック・アイデンティティの変容、質的調査法などを主たる研究領域としてきた。 (2003年以前は省略)
馬場 憲治(ばば けんじ、1948年 - )は、佐賀県神埼郡… 馬場 憲治(ばば けんじ、1948年 - )は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身の板金塗装職人。 板金、塗装、塗料の1級技能士や2級自動車整備士免許など26の国家資格を持つ技術者でミニエッフェル塔の建造や映画の撮影で使用したゼロ戦模型の復元などで知られる。また、発明家、現代アート作家、山伏、陸上競技選手としての顔も持つ。有限会社馬場ボデー代表取締役。 佐賀県神埼郡三田川町出身。佐賀実業高校(現:佐賀学園高校)卒業後、同じく技術者だった父の勧めで福岡県の車体メーカーに就職。3年間ひたすら鉄板打ちに明け暮れ技術を磨く。5年間の修業の後、故郷に戻り馬場ボデーを創業し独立する。フランス旅行で目にしたエッフェル塔の完成度と形の美しさに刺激され、板金技術の腕試しも兼ねて1982年に工場の敷地内に約17メートルのエッフェル塔を建設する。
泉田 洋一(いずみだ よういち、1948年 - )は、日本の… 泉田 洋一(いずみだ よういち、1948年 - )は、日本の農業経済学者。農学博士(東京大学・論文博士・1985年)。東京大学名誉教授、東京農業大学国際食料情報学部教授。日本農業経済学会会長も務めた 。 長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校を卒業後、1968年に東京大学理科二類入学、1973年同大学農学部卒業。1975年同大学農学系研究科修士課程修了、1978年同博士課程単位取得満期退学。その後日本学術振興会研究員、宇都宮大学助手・講師・助教授を経て、1996年10月、東京大学大学院農学生命科学研究科教授に就任した。同大学農学部農業経済学科長などを歴任し、2013年に定年退官、名誉教授。
立石 暁(たていし さとる、1948年または1949年 - … 立石 暁(たていし さとる、1948年または1949年 - )は、日本の地方公務員。長崎県教育長、同副知事、同信用保証協会会長、長崎総合科学大学理事長を歴任。瑞宝中綬章受章。 長崎県出身。長崎県立長崎西高等学校卒業、1971年 (昭和46年) 3月 九州大学法学部卒業。同年4月 長崎県庁採用、1994年 (平成6年) 4月 教育庁財務課長、1996年4月 同庁総務課長、1998年4月 企画部企画課長、1999年4月 同部次長、2001年4月 政策調整局長、2004年4月 教育委員会教育長。佐世保小6女児同級生殺害事件にも対応した。2006年4月 長崎県副知事就任。長崎県美術館や長崎歴史文化博物館の整備を担当。
吉岡 みね子(よしおか みねこ、1948年 - )は、日本の… 吉岡 みね子(よしおか みねこ、1948年 - )は、日本のタイ文学者。本名・峯子。 長崎県長崎市生まれ。長崎県立長崎南高等学校を経て、1971年奈良女子大学文学部英文科卒、社団法人日泰貿易協会入社(81-83年バンコク日本人学校教諭)。同協会機関誌「タイ国情報」編集長、天理大学国際文化学部准教授、2009年定年退職。同大学「サテライト」語学教室講師、広島タイ交流協会顧問、東大阪大学教授。