野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月… 野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2019年〈令和元年〉5月23日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任。 秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。国家公務員上級試験に合格し、1953年4月、中大卒業後に建設省に入省。山形県や茨城県への出向を経験。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。 建設省退官後、同年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
大島 雄次(大嶋 雄次、おおしま ゆうじ、1929年〈昭和4… 大島 雄次(大嶋 雄次、おおしま ゆうじ、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2021年〈令和3年〉10月5日) は、日本の実業家。明治安田生命名誉顧問。富山県出身。 安田財閥の創設者、安田善次郎の生家から20分ほどの町で生まれる。 1947年(昭和22年)法政大学予科入学。1952年(昭和27年)法政大学法学部法律学科卒業。1954年(昭和29年)同大大学院社会科学研究科私法専攻修士課程修了。法政大学在学中は、法政大学弁論部に所属していた。 一時は大学に残ることまで考えたが、郷里の大先輩である安田の名前に親近感を覚え、安田生命保険相互会社に入社。 阪神支社長等を経て、1979年(昭和54年)取締役、1983年(昭和58年)常務取締役、1988年(昭和63年)専務取締役資産運用本部長委嘱、1991年(平成3年)取締役副社長営業総局長委嘱を担い、「営業の鬼」として名をはせた。
高松 英郎(たかまつ ひでお、1929年〈昭和4年〉10月2… 高松 英郎(たかまつ ひでお、1929年〈昭和4年〉10月24日 - 2007年〈平成19年〉2月26日)は、日本の俳優。本名は武市 哲郎(たけいち てつお)。高知県長岡郡大篠村(現:南国市)生まれ。早稲田中学卒業。 小学校教員の息子として誕生。幼少時に東京都杉並区に移り、1947年に早稲田中学卒業、鎌倉アカデミア演劇科に入学。在学中は舞踏家檜健次のもとで創作舞踊を学び、鎌倉アカデミアの講師の推薦で1951年、大映東京撮影所に「第5期ニューフェイス」として入社。 1953年に『怒れ三平』にて若尾の恋人役でスクリーンデビュー。初期は恋愛映画への出演が多かったが、徐々に悪役で持ち味を発揮。『巨人と玩具』で猛烈サラリーマン役を演じて注目を浴びた。
志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 201… 志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 2012年10月29日)は、日本の放送評論家。 福島県生まれ。1953年(昭和28年)早稲田大学大学院修士課程修了。飯島正に師事。早大講師、多摩大学非常勤講師なども務めた。 羽佐間重彰(フジテレビ社長、産経新聞会長)は、大学と大学院の同級生。羽佐間によると志賀は、録画機器のない当時、月給の10倍以上の値がしたテレビを数台所有し、各局の番組を同時に鑑賞していたという。 1960年(昭和35年)、内村直也らとともに放送批評懇談会を設立し、78年理事長、08年名誉会長。10年には創設メンバーである志賀の功績を記念して、ギャラクシー賞に「志賀信夫賞」が創設された。
速水 融(はやみ あきら、1929年10月22日 - )は、… 速水 融(はやみ あきら、1929年10月22日 - )は、日本の経済学者。国際日本文化研究センター名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。経済学博士。歴史人口学、日本経済史専攻。文化勲章受章者。日本に歴史人口学を導入したことで知られる。また「勤勉革命」を唱え、世界における勤勉革命論のきっかけを作った。英文著作も刊行している。
武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21… 武者小路 公秀(むしゃこうじ きんひで、1929年10月21日 - 2022年5月23日)は、日本の国際政治学者。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター前所長であり特任教授。明治学院大学国際平和研究所客員所員。専門は国際政治学、平和学。学位は政治学士(学習院大学)。 公益財団法人朝鮮奨学会理事、国連大学副学長、国際人権NGO・反差別国際運動(IMADR)日本委員会理事長などを歴任。 藤原北家の支流・閑院流の末裔で元貴族院議員、駐独大使を務めた武者小路公共の三男としてブリュッセルで生まれる。武者小路実光は異母兄にあたる。祖父は日本鉄道会社発起人で裁判官の武者小路実世。外祖父は伊東義五郎。外祖母の伊東満里子(フランス名マリ・ルイーズ・フラパース)はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘であり、公秀自身はフランス人とのクオーター(4分の1混血者)である。
山崎 庸一郎(やまさき よういちろう、1929年10月21日… 山崎 庸一郎(やまさき よういちろう、1929年10月21日 - 2013年7月21日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。学習院大学名誉教授。 1929年、東京生まれ。旧制学習院を経て、東京大学文学部仏文科で学ぶ。1953年に卒業。 卒業後は学習院大学フランス文学科助手となり、講師、助教授を経て教授に昇進。2000年に学習院大学を定年退職し、名誉教授となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10… 好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10月20日 - 2019年 <令和元年> 11月5日)は、日本の法学者。専門は民法・土地法で、特に日照権を研究。学位は、法学博士(一橋大学・1992年)。一橋大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 鹿児島県大島郡宇検村生まれ。1942年、大島郡名瀬町名瀬国民学校(現・奄美市立名瀬小学校)卒業。1948年、旧制大島中学校(現・鹿児島県立大島高等学校)卒業。1950年、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1954年、一橋大学法学部卒業。商法の田中誠二ゼミ出身。一橋大学では、戦後、常盤敏太が教職追放され、吾妻光俊も労働法に関心を移すなどし、民法を専門とする教員が不在となり民法研究が低調となっていた。
川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - … 川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - 2011年9月11日)は、日本の都市計画家。都市計画学者。東京大学名誉教授。 京都府出身。1954年東京大学工学部建築学科卒業。その後、大学に残り研究に従事。 1963年、東京大学助教授。1971年「都市基本計画の目標設定・構成内容と関連諸計画」で東大工学博士。1975年教授。1988年退官、名誉教授、芝浦工業大学教授。 1981年、建築審議会委員。1981年から1984年まで、日本都市計画学会学術委員長、1985年副会長、1987年会長。 その他都市域の研究代表や都市圏や環境計画の体系化の研究、特に東京に関する要職として東京都長期計画専門委員会委員、新長期構想懇談会委員、東京湾未来像、隅田川将来像、都民大学設定懇談会委員、東京湾地域の開発・環境保全専門部会長を歴任した。
松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 19… 松浦 昭(まつうら あきら、1929年10月18日 - 1996年3月18日)は、日本の政治家・官僚。北海道勇払郡追分町(現安平町)出身。 水産庁時代、日ソ漁業交渉を何度も手掛け、漁業関係に貢献している。 議員としての最後の務めとなった宮沢内閣不信任案採決では、病気で足腰が弱った中で登壇し賛成票を投じた。 嵯峨源氏の松浦氏の後裔。父は松浦栄で、元衆議院議員にして北海学園大学名誉教授。弟は松浦保で、元慶應義塾大学教授。親族に、北海道大学名誉教授・北海学園大学元学長の農業経済学者・高倉新一郎がいる。
伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18… 伊勢錦 貫二郎(いせにしき かんじろう、1929年10月18日 - 2001年12月14日)は、三重県四日市市出身で高嶋部屋に所属した元大相撲力士。本名は稲見 徳男(いなみ とくお)(旧姓伊藤)。引退後は若者頭(友綱部屋(高嶋を襲名していた巴潟の名跡変更によるもの)所属)として停年まで勤務した。177cm、92kg。最高位は西十両12枚目。得意技は左四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年5月場所十両昇進。1958年9月場所で引退してからは若者頭に転じ、1994年10月定年退職。1999年まで間垣部屋で指導した。
木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10… 木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10月17日 - 没年不明)は女優。東京市出身。本名・旧芸名は木匠久美子。 東京都立大森高等家政女学校(現・東京都立雪谷高等学校)卒業後、第1期東宝ニューフェイスに合格。『地下街二十四時間』(1947年、配給:東宝)で銀幕デビューを果たす。1952年木匠マユリに改名する。1955年、在日米軍の中尉と結婚して渡米したが、離婚して帰国した。
武野 要子(たけの ようこ、1929年10月17日 - 20… 武野 要子(たけの ようこ、1929年10月17日 - 2021年12月19日)は、日本の経済学者。専門は日本経済史。福岡大学教授、兵庫大学教授を経て、福岡大学名誉教授。博多を中心とした東アジア海域の交流を明らかにし、博多商人を通して近世の貿易史を研究。博多学の展開に大きな影響を与える。2004年に福岡県文化賞、2005年に西日本文化賞を受賞。経済学博士。 静岡県に生まれる。3歳より母の実家がある長崎市で育ち、県立長崎高等女学校、活水女子専門学校(現、活水女子大学)英文科を経て、1953年九州大学経済学部卒業。九州大学大学院では日本経済史を専攻。天草の豪商石本勝之丞関連の「石本家文書」を研究し「薩摩藩琉球貿易と貿易商人石本家の関係」(1956年、九州経済論集)など3本の論文を発表。
大森 義弘(おおもり よしひろ、1929年10月17日 - … 大森 義弘(おおもり よしひろ、1929年10月17日 - 2016年11月10日)は、日本の鉄道実業家。北海道旅客鉄道(JR北海道)の初代代表取締役社長や、北海道経済同友会代表幹事を務めた。 東京都出身。東京大学法学部卒業後、1955年に日本国有鉄道入社。北海道総局長を経て、国鉄分割民営化に伴い発足したJR北海道の初代代表取締役社長として、新千歳空港駅開設や札幌駅前開発などにあたった。北海道経済同友会代表幹事なども務めた。叙正四位、旭日重光章追贈。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。 この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。
山根 雅巳(やまね まさみ、1929年10月17日 - 20… 山根 雅巳(やまね まさみ、1929年10月17日 - 2021年7月25日)は、日本の機械工学者。早稲田大学名誉教授。工学博士。 1929年生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1953年、早稲田大学第一理工学部機械工学科卒業後、福音電機で音響機器の開発、日立製作所中央研究所で高速疲労の研究並びに試験機の開発に従事した。1967年、早稲田大学理工学部機械工学科助教授。1972年、同教授。研究室からは500名以上の学生が、音響機器、潜水機器、自動演奏楽器、疲労試験機、等の研究開発テーマに取り組んで卒業した。 日本で最初のバグパイプバンド、東京パイピングソサエティ(後、東京パイプバンドに改称)を設立、自ら各地で演奏活動を行い、その普及に尽力した。
千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 20… 千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 2022年7月4日)は、日本の俳人。 石川県珠洲市生まれ。本名・一郎。「風港」名誉主宰。珠洲市役所に勤め、観光・広報・社会教育行政に携わり、福祉事務所長。1954年に俳句結社「風」に入会し、沢木欣一に師事。「風」同人、「白山」顧問を経て、「風港」を主宰。公益社団法人俳人協会評議員、公益社団法人俳人協会石川支部顧問、珠洲並びに石川県俳文学協会顧問、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。 2022年7月4日、病気のため死去。92歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - … 坂本 長利(さかもと ながとし、1929年10月14日 - 2024年3月20日)は、日本の俳優。島根県出雲市出身。身長163cm、体重54kg。かつてはオフィスPSCに所属していた。 1967年、新宿の幕間狂言として当時38歳にて初演。以後55年に渡り演じ続け、ライフワークと言える坂本の代表作となった。1985年、紀伊国屋演劇賞特別賞、2000年、旅の文化賞を受賞。1996年1月、広島・因島公演で1000回を突破し、2012年3月の福島県昭和村公演で1150回となり、最終的には令和5年7月2日、栃木県佐野市での公演にて1223回を数えている。
山村 嘉己(やまむら よしみ、1929年10月14日 - )… 山村 嘉己(やまむら よしみ、1929年10月14日 - )は、フランス文学者、関西大学名誉教授。 三重県生まれ。1953年京都大学文学部仏文科卒。1963年佛教大学助教授、1967年関西大学文学部助教授、1976年教授、2000年定年、名誉教授。華頂短期大学学長。
服部 一敏(はっとり かずとし、1929年10月14日 - … 服部 一敏(はっとり かずとし、1929年10月14日 - )は、図書館員、著述家。図書館情報学者。 東京市(現文京区)出身。1953年東京教育大学理学部卒。国立国会図書館勤務、専門資料部科学技術資料課課長補佐。1976-1977年イリノイ大学アジア資料センター客員講師。
野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月1… 野村 耕三(のむら こうぞう、1929年〈昭和4年〉10月14日 - 2001年〈平成13年〉10月15日)は、日本の作詞家、放送作家、脚本家である。日本作詩家協会理事を歴任した。本名同、ペンネームに山野 良夫(やまの よしお)がある。 1929年(昭和4年)10月14日に生まれる。明治大学政治経済学部を卒業後、大蔵事務官に任官(昭和26年)、東京国税局 国税調査官などとして働いた経歴を持つ。 1960年(昭和35年)、西河克己監督、児井英生プロデュースの映画『俺の故郷は大西部』に本名で原作を提供、翌1961年(昭和36年)の野口博志監督、児井プロデュース作『早討ち無頼 大平原の男』以降、「山野良夫」名義で原案・原作を提供する。
巌 俊一(いわお しゅんいち、1929年10月13日 - 1… 巌 俊一(いわお しゅんいち、1929年10月13日 - 1981年8月7日)は、日本の生態学者。 1929年兵庫県に生まれる。1953年京都大学農学部農林生物学科卒、1955年京都大学大学院農学研究科修士課程農林生物学専攻 修了、1959年京都大学大学院農学研究科博士課程農林生物学専攻退学。1961年農学博士(京都大学)。 1959年京都大学農学部昆虫学研究室助手、1964-66年カナダ国立森立研究所(ヴィクトリア)在籍。1973年名古屋大学農学部助教授、1977年京都大学農学部教授。 1971年日本応用動物昆虫学会賞を受賞したほか、個体群生態学会会長も務めた。 統計生態学的研究で業績を上げ、特に平均こみあい度に基づく空間分布解析法は世界的に有名。
木下 幹彌(きのした みきや、1929年10月13日 - )… 木下 幹彌(きのした みきや、1929年10月13日 - )は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に神戸経済専門学校を卒業し、1965年7月にウシオ電機に入社した。1979年7月から1980年12月までに社長を務めた。すかいらーく監査役、リンガーハット取締役なども歴任。
髙橋 種昭(たかはし たねあき、1929年10月13日 - … 髙橋 種昭(たかはし たねあき、1929年10月13日 - 2021年10月22日)は、日本の児童福祉学者・教育者。 1956年立教大学大学院文学研究科児童福祉専攻修了。同年社会福祉法人母子愛育会愛育研究所に勤務、子どもの発達相談、母子福祉の研究調査に携わる。1976年淑徳短期大学社会福祉学科教授、1983年日本女子大学家政学部児童学科教授。1997年群馬社会福祉大学教授。日本児童学会名誉会員、日本子ども家庭総合研究所客員研究員。
神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - … 神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - 2019年10月7日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1954年に九州工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士製鉄(のちの新日本製鐵)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に副社長、1995年6月に常任顧問を経て、1997年3月に中山製鋼所最高顧問に就任し、同年6月には社長に昇格。2006年6月には取締役相談役に就任。 2019年10月7日に心不全のために死去。89歳没。
牧 柾名(まき まさな、1929年10月11日 - 2022… 牧 柾名(まき まさな、1929年10月11日 - 2022年1月12日)は、日本の教育学者。駿河台大学名誉教授。元東京大学教授。専門は、教育行政学・教育権。 1929年に東京都で生まれる。 東京府立第五中学校、静岡高等学校を経て、東京大学へ進学した。その後、東京大学大学院人文科学研究科を中退する。 東京大学教育学部教授として教育行政学研究室で教育・研究に従事した。東京大学退職後は、駿河台大学経済学部教授を歴任した。 その他に、川崎市子ども権利条例検討連絡会議副座長、子どもの人権埼玉ネット代表委員などを務めた。 子どもの権利条約など教育権に関する研究で多数の著作を執筆した。1998年に『牧柾名教育学著作集』(エムティ出版)が発表されている。
南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 20… 南 博方(みなみ ひろまさ、1929年10月11日 - 2010年6月18日)は、日本の法学者。専門は、行政法・環境法・租税法。学位は、法学博士(東京大学・課程博士・1959年)。一橋大学名誉教授、筑波大学名誉教授。中国人民大学名誉客員教授。 兵庫県城崎郡豊岡町(現・豊岡市)出身。父は大阪の弁護士。田中二郎の勧めて研究の道に入り、行政訴訟や行政不服審査、行政争訟理論、行政手続、公害紛争調停等の研究を行った。途中、病床の父の希望で法律事務所を継ぐため大阪市立大学教授を辞職したが、大蔵省の要請を受け、国税不服審判所審判官に就任。 その後筑波大学で社会科学系長等を務めたのち、定年退官した市原昌三郎の後任として一橋大学教授に移り多くの学生を指導した。
三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は… 三原 聖治(みはら せいじ、1929年10月11日- )は、日本の経営者。アシックス社長を務めた。大阪府出身。 1959年に関西学院大学経済学部を卒業し、1960年3月にオニツカに入社した。1977年7月にアシックス取締役に就任し、1978年4月に常務、1983年4月に専務、1989年9月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任。1996年4月に業績不振の責任を取る形で社長を辞任し、取締役相談役に退いた。
朝日 稔(あさひ みのる、1929年(昭和4年)10月11日… 朝日 稔(あさひ みのる、1929年(昭和4年)10月11日 - 2009年(平成21年)10月6日)は、日本の哺乳類学者。 主に自然環境の保全と哺乳類の保護とを研究していた。森美保子との共同研究である「タヌキの歯数異常」は多数の個体(340個体)を扱った哺乳類の歯数変異の研究としては最も初期に行われたものの一つである。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
古澤 嘉生(ふるさわ かせい、1929年10月9日 - 20… 古澤 嘉生(ふるさわ かせい、1929年10月9日 - 2018年5月17日)は、日本の音楽学者。専門は教会音楽。キリスト教礼拝音楽学会初代会長。 福岡県に生まれる。1947年3月福岡県中学修猷館を卒業後、同校が新制となった福岡県立高等学校修猷館に3年編入学し、1949年3月卒業。1953年3月西南学院大学学芸学部英文学科を卒業後、西南学院大学文学部神学科に3年次学士入学し、1955年3月卒業。1955年7月フルブライト大学院留学生として米国に留学し、1958年5月サザン・バプテスト神学大学院教会音楽研究科修士課程を卒業。 1958年10月西南学院大学文学部神学科助手、1960年4月同講師、1963年10月同助教授となり、1965年9月ブリティッシュ・カウンシル給費留学生として英国に留学し、英国王立教会音楽学校、ロンドン大学キングス・カレッジ音楽学部、ケンブリッジ大学音楽学部において、教会音楽および音楽学を研究し、1966年8月修了。
関山 和夫(せきやま かずお、1929年10月8日 - 20… 関山 和夫(せきやま かずお、1929年10月8日 - 2013年5月9日)は、日本の民俗学者、話芸(落語)研究者、佛教大学名誉教授、元京都西山短期大学学長。 愛知県に生まれる。生家は浄土宗西山派の寺であった。1946年に愛知県立一宮中学校(旧制、4年卒)、1952年に大谷大学国文学科を卒業。卒業後は愛知県で県立高校の教諭となった。教職に就く一方で著作活動も行い、1964年に『説教と話芸』で日本エッセイストクラブ賞受賞。同時期より東海学園女子短期大学助教授となり、後に教授昇進。佛教大学教授となった。1976年に学位論文『説教の歴史的研究』を大谷大学に提出して文学博士号を取得。2000年に佛教大学を定年退任し、名誉教授となった。
園 佳也子(その かやこ、1929年〈昭和4年〉10月7日 … 園 佳也子(その かやこ、1929年〈昭和4年〉10月7日 - 2010年〈平成22年〉7月27日)は、日本の女優。東京府(現・東京都)生まれ、大阪府大阪市天王寺区育ち。神戸女学院中学部・高等学部、神戸女学院大学文学部卒業。 1953年、NHKの大阪放送劇団の聴講生になり、同局の『ボーナス』に出演し、テレビ草創期から活動。 芸名は、ジャズ喫茶やクラブ歌手として活動していた当時、同時期に活動していた歌手が「花園」「田園」など園の付く字の芸名を名乗っていた人が多かったことから「園」、佳也子はちょうどその当時読んでいた本の主人公の名から採った。 1960年には『水戸黄門 天下の大騒動』で映画デビュー。
大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 20… 大藤 正雄(おおとう まさお、1929年10月7日 - 2012年2月1日)は、日本の医学者、医師。 千葉県東金町生まれ。旧制成東中学校、旧制浦和高等学校を経て、千葉大学医学部卒、同大学院博士課程修了、1959年医学博士。千葉大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。放射線医学総合研究所、国保成東病院。さんむ医療センター顧問。海堂尊は大藤を心の師と呼んでいる。
久保 欣哉(くぼ きんや、1929年(昭和4年)10月5日 … 久保 欣哉(くぼ きんや、1929年(昭和4年)10月5日 - 2008年(平成20年)8月5日)は、日本の法学者。専門は、商法・経済法・企業会計法。学位は、法学博士(一橋大学・1959年)(学位論文「株式配当と無償交付の研究」)。元一橋大学法学部長、元青山学院大学法学部長。一橋大学名誉教授。吉永榮助門下。指導学生に山部俊文一橋大学名誉教授、長塚真琴一橋大学教授、平川幸彦元明治学院大学教授、シュテファン・ヘルツベルク元駐日ドイツ大使館首席公使など。
松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2… 松浦 豊明(まつうら とよあき、1929年10月5日 - 2011年8月16日)は、日本のピアニスト。上野学園大学名誉教授。 大阪府豊中市出身。8歳でピアノを始め、上野児童音楽学園で永井進に師事。東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科に入学するが中退。 1948年、第17回日本音楽コンクールピアノ部門で第1位と特賞を受賞。1950年、デビュー・リサイタルを行い、NHK交響楽団定期演奏会にも参加(プロコフィエフ第3番)。1958年、第1回チャイコフスキー国際コンクールで入賞し、後にメロディアレコードへの録音、1960年・1962年の旧ソ連主要都市巡演につながる。 1958年に国立ベルリン高等学院に留学し、ヘルムート・ロロフに師事。
鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 20… 鈴木 尚之(すずき なおゆき、1929年10月5日 - 2005年11月26日)は、日本の脚本家。岐阜県高山市(旧・吉城郡国府村大字広瀬)出身。 父親は警察官で、岐阜県内で転校を繰り返し、父は退官時は高山警察署の署長であった。旧制岐阜二中(現・岐阜県立加納高等学校)の二学年下に篠田正浩がいたが、在学中に面識はない。同中学から日本大学藝術学部に進み、大学卒業後、1954年東映に入社。同期に東映京都撮影所に配属された高岩淡ら。東映東京撮影所の助監督となるが、同スタジオの埃が原因で、気管支炎を患い、一番仲良しだった深作欣二は引き留めてくれたが、やむなく1955年、本社企画本部脚本課に転属し脚本家となる。
内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016… 内田 修(うちだ おさむ、1929年10月5日 - 2016年12月11日)は、日本の外科医、ジャズ愛好家。愛知県岡崎市出身。名古屋大学医学部卒業。数多くのジャズミュージシャンを支援したことから親しみをこめて「Dr.U(ドクター・ユー)」「Dr.Jazz(ドクター・ジャズ)」と呼ばれる。その膨大なコレクションは、愛知県岡崎市に寄付された。「ジャズの街岡崎名誉顧問」。 1929年10月5日、愛知県岡崎市に産婦人科医院の二男として生まれる。1945年7月、岡崎空襲により家を失い、一家で額田郡岩津町(現・岡崎市岩津町)に疎開する。1947年3月、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1950年、名古屋大学医学部に入学。
伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 -… 伊東 壮(伊東 壯、いとう たけし、1929年10月5日 - 2000年3月3日)は、日本の経済学者、平和運動家。山梨大学学長、日本原水爆被害者団体協議会代表委員、東京都原爆被害者団体協議会会長等を歴任した。 広島市に生まれる。旧制県立広島一中3年の時に被爆。1959年、一橋大学大学院経済学研究科修了。大川一司ゼミ出身。 都立高校教諭を経て1965年より山梨大学の教員をつとめた。山梨大学教育学部長、山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員(1981-2000年)、東京都原爆被害者団体協議会(東友会)会長、大規模小売店舗審議会特別委員(通商産業省)などを歴任した。
待鳥 啓三(まちどり けいぞう、1929年10月5日 - 1… 待鳥 啓三(まちどり けいぞう、1929年10月5日 - 1998年8月14日)は、日本の経営者。太陽生命保険社長を務めた。 福岡県出身。1952年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に太陽生命保険に入社。1971年5月に取締役に就任し、1982年に常務、1983年7月に専務を経て、1990年7月に社長に就任。1995年7月に会長に就任し、1996年7月には相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1998年8月14日肝不全のために死去。68歳没。
山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 20… 山内 一生(やまうち かずお、1929年10月4日 - 2024年10月18日)は、愛知県西加茂郡小原村(現在の豊田市)出身の和紙工芸作家。戦後に小原村で和紙工芸を広めた藤井達吉に師事し、小原工芸紙(小原和紙)を代表する和紙工芸作家で小原和紙工芸の第一人者とされる。現・日工会名誉会長で、プロ野球選手の山内壮馬は親類。2004年には旧小原村(当時)の名誉村民となり、2017年12月に豊田市名誉市民に推挙された。名前の読みは「かずお」だが、作品を制作する際は一貫して「いっせい」を用いており、自身の工房も「山内いっせい(一生)工房」としている他、名誉市民推挙の際の豊田市の資料でも読みは「やまうち いっせい」となっている。
中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は… 中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長。
谷川 敏朗(たにかわ としろう、1929年10月4日 - 2… 谷川 敏朗(たにかわ としろう、1929年10月4日 - 2009年1月20日)は、日本の教育者、良寛研究者。 新潟県白根市(現在は新潟市南区)出身。1953年東北大学文学部卒。新潟県内や宮城県内において高校の教諭を務め、のち新潟大学人文学部や県立新潟女子短期大学で非常勤講師としても活動していた。地元新潟で生きた良寛に関する多くの伝記研究に加え、『定本良寛全集』(中央公論新社)など著作の書誌編纂、良寛に関する作品監修を行い、「全国良寛会」の常任理事を務めていた。 2009年、肺炎により没した。享年79。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 19… 栗木 孝幸(くりき たかゆき、1929年10月3日 - 1998年11月11日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(外野手)。
茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2… 茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2006年3月10日)は日本のジャーナリスト。 大分県出身。戦時中は少年兵に志願し、終戦時には特攻隊下士官であったことから平和への思いが深く、イラクへの自衛隊派兵や有事法制に対する批判を度々行っていたことでも知られる。 早稲田大学卒業後、新聞記者、主婦と生活社勤務を経て、1960年よりフリーのルポライターに転向。 1977年、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)傘下の学生組織原理研究会の内幕を追った『原理運動の研究』『同 資料編 1』『同 資料編 2』を刊行。翌1978年、この3冊により日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。後に同会議で代表委員を務めた。
市川 千恵子(いちかわ ちえこ〔本名:市川 千江[要出典]、… 市川 千恵子(いちかわ ちえこ〔本名:市川 千江[要出典]、別名義:市川 千英子〕、1929年10月2日 - 没年不明)は、大阪府出身の日本の女優、声優。 日本女子大学中退[要出典]後、文学座附属演劇研究所を経て、1955年に『どんぐり日記』にて小鳩くるみの母役でデビュー。 かつては北の会、劇団東芸、劇団東宝現代劇、東京俳優生活協同組合、村上事務所[要出典]、希楽星に所属していた。 特技は日本舞踊、藤間流、大阪弁、京言葉、声楽(クラシック・ラテン)。 長所は大らかなところ、人にやさしいところ。短所は曲がったことが大きらいなところ。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 … 井上 和雄(いのうえ かずお、1929年〈昭和4年〉10月 - )は、日本の時計職人。父は昭和初期より札幌時計台の保守を無償で始めた時計職人の井上清。戦後間もない頃より、父と共に時計台の保守に取り組み、親子二代で70年以上にわたって、時計台の保守と整備を手掛けた。 1929年(昭和4年)10月に札幌市で、井上清の長男として誕生した。時計店に生まれたことで、「門前の小僧」として自然に、時計の技術を身につけた。学校でも教員から「大きくなったらお前が時計台を守るんだ」と言われていたが、実際には時計よりも飛行機が好きであり、少年時代は模型飛行機に熱中した。趣味が高じて戦中の1944年(昭和19年)、少年工として日立航空機羽田工場に就職し、海軍飛行予科練習生の練習機の製作を手掛けた。
鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月3… 鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉5月26日)は、日本の元皇族。鷹司平通の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、和子内親王(かずこないしんのう)。諱は和子、御称号は孝宮。お印は白菊であった。伊勢神宮祭主(1974年 - 1988年)。昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子。第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王は弟、第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王は甥にあたる。 1929年(昭和4年)9月30日午前6時16分、宮中において昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子として誕生。御七夜の10月6日午前9時に浴場の儀、午前11時に命名の儀が執り行われ「孝宮和子」と命名された。
永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日… 永谷 博(ながたに ひろし、1929年(昭和4年)9月30日 - 2011年(平成23年)5月26日)は、日本の実業家。元永谷園会長。 1929年(昭和4年)9月30日、東京府に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学経済学部を卒業し、大和証券に入社する。 1955年(昭和30年)、永谷園本舗に入社し、1958年(昭和33年)に取締役工場長、1962年(昭和37年)に常務、1974年(昭和49年)に専務を経て、1990年(平成2年)に社長に就任する。 1992年(平成4年)に社名を現社名「永谷園」に変更し、1996年(平成8年)に副会長に就任、のち会長、相談役に就任する。 2011年(平成23年)5月26日に死去、81歳。
椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 202… 椎窓 猛(しいまど たけし、1929年9月28日 - 2022年1月27日)は、日本の詩人・作家。 福岡県生まれ。父均の小学校教師勤務の都合、矢部村、日出小へ転校後、1942年県立八女中学へ。そのあと福岡第一師範学校本科卒業、小学校教師として勤務、この間、福岡教育センター歌はじめ、福岡県下幼稚園、小、中、高校あわせて15校の校歌も作詞。詩、童話、小説などの創作活動も行う。矢部村教育長時代、“ふるさと創生”の一部を基に「世界子ども愛樹祭コンクール」を創始、回を重ね、のち特別相談役。福岡県詩人会会員。「九州文学」同人。
田中 順一郎(たなか じゅんいちろう、1929年(昭和4年)… 田中 順一郎(たなか じゅんいちろう、1929年(昭和4年)9月28日 - 2010年(平成22年)1月10日)は、日本の実業家。三井不動産社長。 東京生まれ。1951年慶應義塾大学経済学部卒業後、三井不動産に入社。 住宅第二事業部長、開発企画部長、ビルディング事業部長、レッツ事業本部長を歴任し、1985年専務、1987年社長、1998年会長、2007年常任相談役。 石川島播磨重工業(現:IHI)工場跡地の再開発である大川端リバーシティ21では中心的役割を果たし、若い頃は霞が関ビル実現に走り回るなど、複雑な地権者間の利害調整で能力を発揮した。 1999年には日本からは3人目となる世界不動産連盟の世界会長に就任。