山下 貞子(やました さだこ、1932年(昭和7年)11月5… 山下 貞子(やました さだこ、1932年(昭和7年)11月5日 - 没年不明)は、昭和時代の競泳選手。新姓は沢。 奈良県宇智郡野原町(現五條市)出身。奈良県立五條高等学校を卒業後、東洋レーヨンに入社。 1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として女子100m自由形と400m自由形に出場したがいずれも予選落ちに終わった。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した。
田仲 一成(たなか いっせい、1932年〈昭和7年〉11月5… 田仲 一成(たなか いっせい、1932年〈昭和7年〉11月5日 - 2025年〈令和7年〉3月29日)は、日本の中国学者。東京大学東洋文化研究所名誉教授、日本学士院会員、東洋文庫専任研究員。専門は中国演劇。 1932年(昭和7年)、東京府で生まれた。東京大学法学部で学び、1955年(昭和30)に卒業。東京大学大学院人文科学研究科中国文学専攻に進み、1962年(昭和37年)に博士課程を単位取得満期退学。 その後は北海道大学文学部助手に採用された。1968年(昭和43年)、熊本大学法文学部講師となり、後に助教授昇格。1972年(昭和47年)、東京大学東洋文化研究所助教授に転じた。1981年(昭和56年)に同教授昇格。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は… 志生野 温夫(しおの はるお、1932年11月4日 - )は、大分県竹田市出身のフリーアナウンサー。シオノ事務所社長を務める。 國學院大學卒業後の1956年、日本テレビへ入社。同期に本多当一郎、赤木孝男がいる。1972年、アナウンス部副部長を最後にフリーへ転身。現在も地上波やCSなどで活躍し、日本テレビアナウンスカレッジ講師や結婚式の司会業(椿山荘)なども担当する。元NHKアナウンサーの山川静夫は大学時代の同級生である。 「〜であります!」調の実況が特徴であり(後輩の徳光和夫も影響を受けている)、倒産した全日本女子プロレスではWWWA2代目コミッショナーを務めた。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 200… 足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 2000年1月19日)は、日本の漫才作家、放送作家。 大阪府大阪市生まれ。生家は複数の職人を雇うほどの大手のパン店だった。 旧制大阪府立北野中学校在学中に、学制改革のため中学が新制の大阪府立北野高等学校となり、1951年同高校卒業。同年大阪外国語大学中国語科に入学するも、3か月で中退し、翌年に和歌山大学経済学部に入学する。和歌山大では野球部に入部し、1番・遊撃手のレギュラーを獲得した。またそのかたわら、寄席通いに熱中した。 当時和歌山大は近畿六大学野球連盟のリーグ1部に所属し、足立もリーグ表彰を受け、社会人野球の三井造船玉野への入団が決まりかけたがこれを固辞し「普通のサラリーマン」を目指す。
山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日… 山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の裁判官。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。 司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官事務総局勤務時代には懸案となっていた簡易裁判所の統廃合に尽力して100ヶ所以上減らした。 1997年10月に最高裁判所長官(第14代)に就任。長官在任中に、1998年の寺西判事補事件では1998年12月1日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で10対5で戒告処分を、また2001年に発覚した福岡高裁判事妻ストーカー事件では容疑者の夫である福岡高裁判事に2001年3月30日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で12対3で戒告処分をそれぞれ決定した。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
岩村 吉博(いわむら よしひろ、1932年11月3日 - )… 岩村 吉博(いわむら よしひろ、1932年11月3日 - )は大阪府大阪市東淀川区出身の元プロ野球選手。
光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 200… 光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 2004年12月22日)は、日本の作家である。熊本県熊本市生まれ。
枇杷阪 明(びわさか あきら、1932年11月3日 - )は… 枇杷阪 明(びわさか あきら、1932年11月3日 - )は、日本のアナウンサー。東京都出身。枇杷坂 明は誤り。
岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)… 岡田 日郎(おかだ にちお、本名:岡田 晃(おかだ ひかる)、1932年〈昭和7年〉11月3日 - 2022年〈令和4年〉1月2日)は、日本の俳人。 東京都出身。学習院大学文学部卒。福田蓼汀の「山火」に投句、1951年(昭和26年)より「山火」の編集を担当。 1955年「山火」の同人となり、1961年に山火賞を受賞。蓼汀の没後、1990年より「山火」主宰を継承。1993年『連嶺』で第32回俳人協会賞。2014年から俳人協会顧問を務めた。 山岳俳句を多く詠み、「山の俳句歳時記」、句集「水晶」、エッセー集「雲表のわが山々」などの著書がある。2022年(令和4年)1月2日午後3時25分、誤嚥性肺炎のため埼玉県さいたま市内の病院で死去。
長堂 英吉(ながどう えいきち、1932年11月3日 - 2… 長堂 英吉(ながどう えいきち、1932年11月3日 - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ルポルタージュ作家。 沖縄県那覇市出身。本名・謝花長英。明治大学文学部卒業、フロリダ大学大学院中退。極東放送アナウンサー、アメリカ民政府教育部、沖縄女子短期大学助教授などを歴任し、同人誌『南濤文学』を主宰する。1972年「我羅馬テント村」で九州沖縄芸術祭文学賞、ルポルタージュ作家として沖縄を舞台に執筆活動を行い、1990年「ランタナの花の咲く頃に」で新潮新人賞受賞。2000年『黄色軍艦』で芸術選奨新人賞受賞。2020年2月18日、肺癌のため那覇市内の病院で死去、87歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
黒須 紀一郎(くろす きいちろう、1932年11月3日 - … 黒須 紀一郎(くろす きいちろう、1932年11月3日 - )は、日本の作家。 千葉県生まれ。本名・孝治。1955年早稲田大学文学部卒業。日活株式会社入社。映像本部企画部長、テレビ本部企画部長を経て作家。伝奇歴史小説を書く。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
棟居 進(むねすえ すすむ、1932年11月2日 - 202… 棟居 進(むねすえ すすむ、1932年11月2日 - 2024年12月19日)は、神奈川県出身で、1950年代に読売ジャイアンツと広島カープに在籍したプロ野球選手である。現役時代のポジションは、捕手。 逗子開成高校を卒業後、1952年に読売ジャイアンツへ入団。プロ入り4年目の1955年に公式戦初出場を果たすも、広田順・藤尾茂の壁に阻まれてあまり出番に恵まれなかった。 1957年オフに広島カープへ移籍。翌1958年に自己最多の30試合に出場し、プロ初打点も記録したが、若い田中尊の台頭もあって在籍僅か1年で引退した。
立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 19… 立石 孝雄(たていし たかお、1932年11月2日 - 1995年11月22日)は、日本の経営者。立石電機(現在のオムロン)社長を務めた。愛知県名古屋市出身。創業者の立石一真の長男 1956年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に立石電機(現在のオムロン)に入社。1959年9月に取締役に就任し、1960年9月に常務を経て、1962年9月に副社長に就任し、1979年6月には社長に昇格。温厚な人柄とバランス感覚が優れていることで知られており、多角化と国際化を推進し、経営基盤を固めた。1987年6月に会長に就任。1995年4月から京都商工会議所副会頭、1995年5月から関西経済連合会副会長を務めた。
冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11… 冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11月2日 - )は、日本の評論家。京都文化創生機構理事長、日本ジェンダー学会前会長。 京都市出身。本名は鈴木あつ子。評論家、日本ペンクラブ名誉会員。 京都大学農学部卒。1996年京都大学より博士(農学)の学位を取得。1970年から「京のおんな大学」を主宰。これを改組・改称し特定非営利団体京都生涯教育研究所、所長・副理事長を務めた。現在は京都文化創生機構理事長を務める。 1977年、京都国際文化協会を在洛文化人らと設立(のち財団法人。2012年まで副理事長)。この法人を基盤として日本女性学研究会を有志と設立し、日本女性学会の設立も提言(幹事就任)。
木村 治美(きむら はるみ、1932年11月1日 - )は、… 木村 治美(きむら はるみ、1932年11月1日 - )は、日本の英文学者、随筆家。保守派の論客。共立女子大学名誉教授。旧姓・田口。夫は心理学者で群馬大学名誉教授の木村駿。 東京生まれ。東京都立第十女子高等学校(現・東京都立豊島高等学校)を経て、1955年東京教育大学英文科卒業、1960年、同大学院博士課程満期退学。1964年、千葉工業大学専任講師、助教授を経て1979年から教授[要出典]。1986年退職。1988年、共立女子大学教授、2003年、同名誉教授。日本漢字能力検定協会の評議員を務める[要出典]。日本会議の関連団体である美しい日本の憲法をつくる国民の会代表発起人を務める。
本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日… 本郷 淳(ほんごう じゅん、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2000年〈平成12年〉8月15日)は、日本の俳優。東京都世田谷区梅丘出身。 自由学園高等科卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。1993年には東京演劇アンサンブルによるチェーホフの『かもめ』のロシア公演にて、シャムラーエフ役でモスクワ芸術座の舞台に立った。父は彫刻家の本郷新。妻は女優の柳川慶子。息子は俳優の本郷弦(無名塾所属) 趣味は水泳、スキューバダイビング、スキーで、日本環境潜水協会を設立し、その代表も務めていた。 2000年8月15日、鹿児島県川辺郡笠沙町(現・南さつま市)の宇治群島近海でスキューバダイビング中に事故死。
寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1… 寺田 信義(てらだ のぶよし、1932年〈昭和7年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉9月22日)は、日本の脚本家・放送作家。福岡県久留米市出身。新潟県立三条高等学校を経て、中央大学法学部卒。在学中に学映協(全国学生自主映画製作協議会)に参加し、その縁で『ともしび』(1954年/監督:家城巳代治)を執筆して脚本家デビューを果たした。1957年には戦後映画史の傑作とされる『異母兄弟』(原作 : 田宮虎彦 監督:家城巳代治)を依田義賢と共同執筆し、高い評価を受けて名声を確立した後、独立プロの活動を経て日本映画復興会議(初代議長:今井正)に参加。社会派映画から日活青春映画、アクション、さらにはテレビドラマまで幅広く手掛け、現実社会や時代性を鋭く反映した作風で知られる。
伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 201… 伊藤 四郎(いとう しろう、1932年11月1日 - 2011年5月30日)は、三重県四日市市出身で、1950年代に活躍したプロ野球選手(投手)。 四日市商業高校を卒業後、1951年に名古屋ドラゴンズに入団。名古屋(中日)ではわずか2勝と目立った活躍はできなかった。 1955年1月末の春のキャンプ直前に、中西由行とともにトンボユニオンズに移籍。慶應大学の先輩後輩の縁で、トンボ監督・浜崎真二が中日代表・中村三五郎に対して、未完成でもよいのでとにかく身体が大きく球が速い選手を要望し、移籍の運びとなった。移籍通告後すぐさま、伊藤と中西は中日球団から特別二等車の切符を与えられて、列車で岡山キャンプに向かっていたトンボの選手と合流するように指示される。
大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2… 大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2003年1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・解説者、野球指導者。 博多工業高から社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、1951年に南海ホークスの2軍的なチームであった社会人野球の南海土建に入団。 1952年に南海ホークスに昇格する。1年目の当初は、ぱっと見で身体が細くて、使い物になるか危ぶまれるような選手であったという。しかし、キャンプで注目を集めると、シーズンでは8勝を挙げる。巨人との日本シリーズでは新人にもかかわらず、第1戦の先発に抜擢される(大神以後、日本シリーズ第1戦に先発登板した新人投手は、楽天の則本昂大が2013年に先発登板するまで61年間にわたって現れなかった。
矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1… 矢口 以文(やぐち よりふみ、1932年(昭和7年)11月1日 - )は、日本の詩人、英文学者、北星学園大学名誉教授。 宮城県石巻市生まれ。1955年東北学院大学文経学部英文学科卒業。1962年国際基督教大学大学院博士課程満期退学。1965年米国インディアナ州ゴーシェン大学大学院修了。1966年北星学園大学助教授、教授、1999年退職、名誉教授、北海道文教大学教授。2009年退職。日本現代英米詩学会会長、日本キリスト教文学会北海道支部会会長などを歴任。現代英米詩の翻訳を手がけ、多数日本に紹介した。詩誌「新現代詩」「Aurora」同人 。アナバプテスト・メノナイト教会シャローム集会責任者。 長男の矢口洋生は仙台白百合女子大学学長。
山本 清一(やまもと きよかず、1932年(昭和7年)11月… 山本 清一(やまもと きよかず、1932年(昭和7年)11月1日 - 2018年(平成30年)12月12日)は、日本の瓦工事技術者、日本伝統瓦技術保存会会長。奈良県生駒市に生まれる。 父は瓦を葺く職人で、その4男に生まれる。尋常高等小学校卒業後に職人になり、21歳まで父の下で屋根瓦葺き(桟瓦葺)の仕事をする。その後、文化財の瓦葺きの棟梁の井上新太郎のもとで本瓦葺の修行をして、26歳で独立した。東大寺大仏殿や法隆寺金堂など多くの伝統的な建築物の復元、再建に取り組む。1960年(昭和35年)、28歳で姫路城昭和大修理の瓦工事の棟梁が辞め次の棟梁に抜擢され務める。1963年(昭和38年)、31歳で会社組織化し山本瓦工業株式会社を設立する。
栃ノ関 雅清(とちのせき まさきよ、1932年11月1日 -… 栃ノ関 雅清(とちのせき まさきよ、1932年11月1日 -没年不明 )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は工藤 勇三(くどう ゆうぞう)。167cm、79kg。最高位は西十両20枚目。得意技は左四つ、下手投げ。 1950年9月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進したが5勝10敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落した。在位はこの場所のみに終わった。1959年9月場所に26歳で廃業。幕下・三保錦・千尋洋と初っ切りを務めたことがある。
野沢 清(のざわ きよし、旧字体: 野澤 淸、1932年(昭… 野沢 清(のざわ きよし、旧字体: 野澤 淸、1932年(昭和7年)11月 - 2006年(平成18年)8月)は、日本の造園家。東京生まれ。日本造園アカデミー会議議長、「園学むだん塾」を主宰した。 1958年(昭和33年)、東京農業大学農学部造園学科卒業。荒木芳邦や中島健に師事した後、鈴木崇と野沢・鈴木造園設計事務所を設立した。 1982.4-2006年まで、日本造園アカデミー会議 運営委員。2003.4からは議長を務める。 1990年から1年間は中央技能検定委員(造園職種)を歴任。 六人兄弟の五番目として昭和七年(1933年)、東京杉並区荻窪生まれ。小学校二年の時、サラリーマンであった父親の転勤に伴って宇都宮市に転校していく。
荒川 通 (あらかわ とおる、1932年11月 - 2015… 荒川 通 (あらかわ とおる、1932年11月 - 2015年6月20日)は、 和道流空手の達人。 公益財団法人全日本空手道連盟相談役、全日本空手道連盟 和道会 技術委員長、東京商船大学師範を歴任した。日本で全日本空手道連盟公認九段を取得された数少ない空手家の1人。 岐阜県出身。 荒川通は、18歳のときに日本大学で空手のトレーニングを開始。当時の日本大学空手部には、和道流の大塚博紀が師範を務め、1学年先輩に真野高一や鈴木達夫、同期に道原伸司や高島甫などが所属していた。1960年代初頭、 鈴木達夫 、 高島甫とともに欧米を旅し、欧米の空手人気を高めた。 荒川は1962年から1979年まで全日本空手道連盟マネージャーを務めた。
杉野 要吉(すぎの ようきち、1932年11月 - 2024… 杉野 要吉(すぎの ようきち、1932年11月 - 2024年3月5日)は、日本の近代文学研究者、早稲田大学名誉教授。日本社会文学会代表理事(1997-1998)。 1932年、北海道美唄市に生まれる。北海道美唄工業高等学校機械科に進むが、2年時の国語の教員に影響を受けて国語の教員を目指す。1953年、早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。指導教員は川副國基で、卒業論文は「堀辰雄論」だった。1957年、同大学を卒業後、北海道美唄東高等学校教諭となる。1958年、東京大学新聞五月祭賞の評論部門で佳作入選。1961年、北海道小樽緑陵高等学校教諭、札幌市立旭丘高等学校教諭を経て、1967年、関東学院女子短期大学専任講師。
田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月3… 田並 胤明(たなみ たねあき、1932年〈昭和7年〉10月31日 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、埼玉県議会議員(通算3期)を務めた。 次男は立憲民主党埼玉県議会議員の田並尚明。 埼玉県熊谷市出身。埼玉県立熊谷高等学校卒業後、郵政省に入省。郵便局に勤務するかたわら、全逓信労働組合に加入し、活動。専従役員となる。 1975年、埼玉県議会議員選挙に北7区選挙区より立候補し初当選。以後3期連続当選。1983年の第37回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉3区より立候補し当選。以後3期連続当選。 1993年の第40回衆議院議員総選挙では社会党退潮のあおりを受け落選。
松岡 清治(まつおか せいじ、1932年10月31日 - )… 松岡 清治(まつおか せいじ、1932年10月31日 - )は日本の男性脚本家。元シンエイ動画所属(文芸部長)。日本統治時代の朝鮮・大邱府(現・大韓民国 大邱広域市)出身。早稲田大学卒業。 池田一朗の薫陶を受け、同じ脚本家である水出弘一、桶谷顕、山田隆司、丸尾みほはその弟子である。 シンエイ動画所属時代には様々な同社作品で脚本を担当した。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月… 櫻井 孝頴(さくらい たかひで、1932年(昭和7年)10月30日 - 2014年(平成26年)1月3日)は、日本の実業家、第一生命保険社長。 埼玉県出身。趣味は読書。埼玉県立浦和高等学校を経て、1955年(昭和30年)、東京大学経済学部卒業、第一生命保険入社。1981年(昭和56年)取締役財務第一部長、1983年(昭和58年)常務取締役財務企画部長、1986年(昭和61年)代表取締役副社長、1987年(昭和62年)代表取締役社長、1997年(平成9年)代表取締役会長、2004年(平成16年)相談役。 2013年(平成25年)旭日重光章受章。 2014年(平成26年)1月3日午後10時44分、肺癌のため東京都文京区の病院で死去、81歳没。
小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、… 小倉 薫(おぐら かおる、1932年10月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 広島観音高校から1952年に大洋ホエールズへ入団。 観音高のワンマン投手、シュートが武器、26年国体で優勝した。 1954年に外野手へ転向。1955年に引退。
佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - … 佐々木 誠造(ささき せいぞう、1932年10月30日 - )は、日本の政治家。前青森市長。旧青森市長を4期(新設合併により途中失職)、新設合併した青森市長を1期務めた。コンパクトシティ構想を推進。
朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2… 朝井 ゆかり(あさい ゆかり、1932年10月30日 - 2010年11月28日[要出典])は、日本の声優。愛知県名古屋市出身。「浅井 ゆかり」表記もある。 かつて同名で活動していたとされる声優の浅井淑子とは別人である。 愛知県名古屋市で生まれ、福岡県で育つ。 福岡県立福岡中央高等学校卒業。在学時はスポーツが得意であり、陸上部でキャプテンを務めたほか、走高跳では当時のアマチュア全国大会で10位以内に入るなど好成績を残した。 1957年、東京女子大学短大部を卒業後に人形座を経て劇団舞芸座へ入団。1964年に同劇団が解散してからは、東京アーチスト・プロに所属していた。 1968年、量子生態学提唱者野上倫加(本名・導子)の夫・野上昭治と結婚、2男1女をもうけるが1987年に離婚。
真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年… 真島 一男(眞嶋 一男、まじま かずお、1932年(昭和7年)10月28日 - 2001年(平成13年)11月22日)は、日本の政治家、官僚。位階は従四位勲二等、勲章は瑞宝章。参議院議員(通算3期)、通商産業政務次官、建設省大臣官房総務審議官、都市局長を歴任。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡工業高等学校卒業。中央大学法学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科の田上穰治ゼミで学ぶ。旧司法試験合格。大学院修了後、1960年、建設省に入省。経済企画庁総合計画局計画官、近畿地方建設局総務部長、道路局路政課長、道路局道路総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房審議官、都市局長、大臣官房総務審議官などを歴任。1990年、国際花と緑の博覧会の大会実行委員長を務めた。
広瀬 順弘(ひろせ まさひろ、1932年10月28日 - 2… 広瀬 順弘(ひろせ まさひろ、1932年10月28日 - 2007年11月23日)は、日本の翻訳家。東京生まれ。青山学院大学英文科卒。 駐日アメリカ合衆国大使館の広報文化局勤務を経て翻訳家となる。 マイケル・バー・ゾウハーのサスペンス小説をはじめ、様々な洋書を訳した。また、1970年代前半までは外画の吹き替え翻訳もしていた。 シャイで少しも偉ぶったところのない人柄だったという。また、バベル翻訳学院で後進の育成にあたったことがあった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
斎藤 文男(さいとう ふみお、1932年10月28日 - 2… 斎藤 文男(さいとう ふみお、1932年10月28日 - 2022年11月30日)は、日本の法学者。九州大学名誉教授、福岡放送ニュースコメンテーター、執筆家、政治倫理・九州ネットワーク顧問。血液型A型。平成24年叙勲(瑞宝中綬章)受章。 奈良県出身、京都大学法学部卒業後、大阪市立大学大学院修士課程修了。専門は憲法、行政法、マスコミ法。 1961年から1996年までの間、九州大学教養学部と法学部の教授として教鞭を取った後、名誉教授となる。 教鞭を取る傍ら、情報公開条例や政治倫理条例作成をはじめとする地方自治実務関連の市民運動にも数多く携わる。 1995年より2009年3月27日まで福岡放送「めんたいワイド4:55→めんたいワイド」のコメンテーターとして出演(但し番組のリニューアルに伴い2005年からは18:17からのローカルニュースのみの出演となった)。
佐藤 方哉(さとう まさや、1932年10月27日 - 20… 佐藤 方哉(さとう まさや、1932年10月27日 - 2010年8月23日)は、日本の心理学者。専門は行動分析学。文学博士。慶應義塾大学名誉教授。行動分析学の第一人者と評される。 佐藤春夫と谷崎潤一郎の元妻・千代の長男として、東京府東京市小石川区関口台町(現・東京都文京区)に生まれる。谷崎が名づけ親となった。 1945年、東京高師附属国民学校卒業。1952年、東京教育大学附属中・高を卒業後、慶應義塾大学医学部予科に入学。その後、慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻に転部し、1957年に卒業。同年、慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻に進学。1962年、同博士課程単位取得満期退学、慶應義塾大学文学部助手となる。
小沢 有作(おざわ ゆうさく、1932年10月27日 - 2… 小沢 有作(おざわ ゆうさく、1932年10月27日 - 2001年8月12日)は、日本の教育学者、東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。 東京大学教育学部教育行政学科卒。同大学院博士課程満期退学。日本朝鮮研究所所員を経て、1967年に東京都立大学助手。1968年、「民族教育論」で東大教育学博士。1969年、助教授を経て、1982年に教授。1996年定年退官、名誉教授。在日朝鮮人教育の問題を追究した。 2001年8月12日、急性心筋梗塞のため死去。
志村 令郎(しむら よしろう、1932年〈昭和7年〉10月2… 志村 令郎(しむら よしろう、1932年〈昭和7年〉10月27日 - 2023年〈令和5年〉9月27日)は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。学位はPh.D.(ラトガーズ大学)。分子生物学専攻。 山梨県大月市生まれ。京都大学理学部植物学科卒業、京都大学大学院修士課程修了。1963年(昭和38年)、ラトガース大学よりPh.D.取得。 1985年(昭和60年)、京都大学教授となり、1989年(平成元年)、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授をかねる。 1993年(平成5年)木原賞受賞。1994年(平成6年)、「RNAプロセシングの研究」で日本学士院賞を受賞。 2004年(平成16年)4月から2010年(平成22年)3月まで自然科学研究機構の機構長を務めた。
角倉 一朗(すみくら いちろう、1932年10月27日 - … 角倉 一朗(すみくら いちろう、1932年10月27日 - )は、日本の音楽学者、東京藝術大学音楽学部名誉教授、バッハを中心とする西洋音楽史や音楽理論の研究の第一人者。 東京生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒、同研究科修了。桐朋学園大学助教授、東京藝術大学教授を歴任し、多くの音楽学者を育てた。多くの門下生が全国の大学で音楽史関連講義の教鞭をとっている。退官後神戸女学院大学特任教授に着任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
柏木 史朗(かしわぎ しろう、1932年10月26日 - )… 柏木 史朗(かしわぎ しろう、1932年10月26日 - )は、日本の経営者。日産化学工業社長を務めた。 山口県出身。1956年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日産化学工業に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年6月に専務を経て、1996年6月には社長に就任。社長在任時には、半導体向けの電子材料などの化学機能製品事業の育成に力を入れた。2000年6月から2002年6月までに会長を務めた。
宗村 完治(むねむら かんじ、1932年(昭和7年)10月2… 宗村 完治(むねむら かんじ、1932年(昭和7年)10月26日 - 1983年(昭和58年)3月25日)は、日本の実業家、教育者。平田紡績第6代社長、富洲園住宅団地の建設者、学校法人暁学園第2代理事長。三重県四日市市平町出身。 1932年(昭和7年)に三重郡富洲原町の平田家(富田一色七軒本町)から宗村家(松原平町)に養子に入った宗村佐信の長男として誕生した。祖父は三重郡会議員と三重郡富洲原村会議員の2代目平田佐次郎である。曾祖父は平田紡績の創業者の初代平田佐次郎である。(義理の)養祖父は平田紡績の番頭職を長年務めた桑名藩の武士の家柄だった宗村家当主の宗村千代治。伯父は宗村完治が誕生した時に平田紡績4代目社長であり、戦後四日市市長となった平田佐矩。
赤祖父 哲二(あかそふ てつじ、1932年10月26日 - … 赤祖父 哲二(あかそふ てつじ、1932年10月26日 - )は、日本の英文学者・批評家。筑波大学名誉教授。長野県出身。 東京教育大学文学部英文科卒業。都留文科大学、明治学院大学、東京学芸大学を経て筑波大学現代語・現代文学系教授。定年退官後、関東学院大学教授。2002年退職。ウィリアム・フォークナー研究に始まり、テクスト論、記号論などに進み、宮澤賢治論三部作を上梓するなど、著書訳書多数。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田村 喜子(たむら よしこ、1932年10月25日 - 20… 田村 喜子(たむら よしこ、1932年10月25日 - 2012年3月24日)は、日本のノンフィクション作家。 京都生まれ。京都府立大学文学部卒。都新聞社報道部記者を経て文筆活動に入る。 1982年『京都インクライン物語』で第一回土木学会著作賞受賞。土木関係をテーマにしたノンフィクションを多数執筆した。 2012年3月24日午後1時40分、直腸がんのため東京都渋谷区の病院で死去。79歳没。
向井 周太郎(むかい しゅうたろう、1932年10月25日 … 向井 周太郎(むかい しゅうたろう、1932年10月25日 - 2024年10月24日)は、東京都出身のデザイナー・デザイン教育者、具体詩の詩人。武蔵野美術大学名誉教授。基礎デザイン学創設者(初代会長)、専門分野はデザイン学、基礎デザイン学、インダストリアルデザイン。
岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - … 岩崎 加根子(いわさき かねこ、1932年10月25日 - 本名:村田 加根子)は、日本の女優、声優。北海道函館市生まれ。大田区久が原にあった立華女子高等学校卒業。 幼少期に東京へ移る(父親は熊本県、母親は近畿出身である)。 1949年、劇団俳優座養成所の第1期生となり、1952年の卒業と同時に入団。現在は劇団俳優座代表を務める。 主な活動の場は舞台で、1970年代には市原悦子と安部公房が主宰する演劇集団安部公房スタジオに所属していた。 『反逆児』では中村錦之助からのお墨付きで相手役に抜擢されたという。 『太陽への脱出』では石原裕次郎の相手役を、『座頭市地獄旅』では勝新太郎の相手役を演じた。 *太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
大溪 洗耳(おおたに せんじ、1932年〈昭和7年〉10月2… 大溪 洗耳(おおたに せんじ、1932年〈昭和7年〉10月24日 - 2003年〈平成15年〉5月14日)は、書家。新潟県川西町生まれ。「日本教育書道藝術院」創立者。
藤山 朗(ふじやま あきら、1932年 <昭和7年> 10月… 藤山 朗(ふじやま あきら、1932年 <昭和7年> 10月24日 - 2015年 <平成27年> 10月14日)は、日本の経営者。藤沢薬品工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 大阪府出身。1956年に大阪大学薬学部を卒業し、同年に藤沢薬品工業に入社。1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年3月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任し、2005年4月からアステラス製薬相談役を務めた。 2005年4月に旭日重光章を受章。 2015年10月14日心不全のために死去。82歳没。死没日付をもって正四位に叙された。