堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 20… 堀辺 正史(ほりべ せいし、1941年10月14日 - 2015年12月26日)は、日本の武道家。日本武道傳骨法創始師範。茨城県水戸市出身。 著書『喧嘩芸骨法』において、「東條英機のボディガードを務めた父からその技を相伝され、骨法司家の第52代・源一夢(みなもとのいちむ)を襲名し、伝統的骨法の修行の傍らケンカ・他流試合に明け暮れた日々の中から、実戦的な格闘技術を習得、古流の骨法を改革して喧嘩芸骨法を創始した」と明かしている。 1980年代後半に新日本プロレスのアドバイザーを務め、同時期に新日と接点のあったビートたけしのスーパーJOCKEYにも出演した。 1994年のバーリトゥード時代の幕開けとともに喧嘩芸路線から脱却、より競技性を重視した格闘技路線に変更し『日本武道傳骨法』へと流派名を改称。
鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )… 鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )は、日本の経営者。NTTコミュニケーションズ(現・NTTドコモビジネス)初代社長を務めた。茨城県人会連合会会長。 1941年に茨城県那珂郡東海村に生まれる。1961年に茨城県立水戸第一高等学校を卒業、1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社。1993年に日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)取締役に就任し、1996年に常務取締役を経て、1999年7月に初代・NTTコミュニケーションズ代表取締役社長に就任。2005年6月に相談役に退いた。 2018年から茨城県人会連合会会長。2019年に旭日重光章を受章。 日本電信電話公社の民営化議論が激化していた時期には、真藤恒総裁の下で労務課長として9万人規模の合理化を担当し、分割・民営化に伴う労組対応の中心を担った。
石川 忠司(いしかわ ただし、1941年10月11日 - )… 石川 忠司(いしかわ ただし、1941年10月11日 - )は、日本の経営者。豊田自動織機社長、会長を務めた。 愛知県出身。1965年に東京大学法学部を卒業し、1968年7月に豊田自動織機工業(のちの豊田自動織機)に入社した。1986年9月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1997年6月に副社長に就任し、1999年6月には社長に昇格した。2005年6月に会長に就任し、2011年8月から相談役を務めた。 2003年11月に藍綬褒章を受章し、2012年4月に旭日重光章を受章。
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 … 砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。本名:砂川 恵永(すながわ しげひさ)。
三村 昌泰(みむら まさやす、1941年10月11日 - 2… 三村 昌泰(みむら まさやす、1941年10月11日 - 2021年4月8日)は、日本の数学者。広島大学名誉教授。現象数理学専攻。 香川県高松市生まれ。1965年に京都大学工学部を卒業、1967年に同大学大学院修士、1973年に同博士。その後、甲南大学助教授、同教授、広島大学理学部教授、東京大学大学院理学研究科教授、明治大学理工学部教授を歴任。1990年に京都で開催された国際数学者会議では応用数学部門で招待講演を行っている。2021年4月8日に死去。 単著、共著、編著、編集、監修、監訳 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
今村 都南雄(いまむら つなお、1941年10月10日 - … 今村 都南雄(いまむら つなお、1941年10月10日 - )は、日本の政治学者。 専門は行政学・地方自治論。主に組織論のアプローチに基づいた研究を行う。 山梨県甲府市生まれ。1960年、埼玉県立熊谷高等学校卒業。1965年、中央大学法学部法律学科卒業。1967年、国際基督教大学大学院行政学研究科修了。1967年、中央大学法学部助手。1971年、中央大学法学部助教授。1978年、中央大学法学部教授。1981年、中央大学大学院法学研究科教授。2005年、中央大学公共政策大学院教授。2010年、中央大学名誉教授。山梨学院大学法学部教授・山梨学院大学大学院社会科学研究科長。2002-2004年度日本行政学会理事長。
小林 勝二(こばやし かつじ、1941年10月10日 - )… 小林 勝二(こばやし かつじ、1941年10月10日 - )は、日本の経営者。ダイビル社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1964年に大阪大学法学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1989年に取締役に就任し、1993年に常務、1996年に専務を経て、1998年6月にはダイビル社長に就任。2002年6月に会長に就任し、2005年6月から相談役を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿部 博司(あべ ひろし、1941年10月10日 - 201… 阿部 博司(あべ ひろし、1941年10月10日 - 2019年1月8日)は、日本の機械システム工学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士。第10代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。日本溶接協会ロボット溶接研究委員会ワーキンググループ2(WG2)元委員。 専門は、機械計測工学・電子制御システム工学、溶接/接合システム工学(特に溶接ロボット)。 1964年大阪工業大学工学部電子工学科卒業(電子工学科第2期生)。のちに、工学博士(大阪工業大学)。同年、同大学工学部機械工学科助手・講師として、機械工学研究室の片山襄一・佐藤次彦らと共に自動車工学におけるボディ薄板構造物の接合技術や溶接ロボットの品質モニタ計測・制御システムに関する研究に従事。
大橋 一彦(おおはし かずひこ、1941年10月10日 - … 大橋 一彦(おおはし かずひこ、1941年10月10日 - )は、日本の経営者。フジクラ社長を務めた。静岡県出身。 1965年に静岡大学工学部を卒業し、同年に藤倉電線(現在のフジクラ)に入社。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務を経て、2005年4月には社長に就任。2009年4月に会長を経て、2011年4月に相談役に就任。2016年4月に名誉顧問。 2022年4月に旭日中綬章を受章。
鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は… 鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は、日本の歌手、俳優、司会者、タレント、声優。東京都大田区出身。旧名は鈴木 やすし(読み同じ)。 日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学経済学部卒業。 1953年に劇団に入団。1957年に『背番号16-川上哲治物語』(NTV系)で川上選手の少年時代の役でテレビ初出演。大学時代には「ダンディーウェスト」を結成し、ロカビリー全盛期時代に活動。渥美清の最初の付き人でもあった。 1961年、ジャズ喫茶に出演している時にスカウトされ、フジテレビ『ジャズ・トーナメント』の司会と歌でレギュラーに抜擢。以後、東京12チャンネル『スターボウリング』、フジテレビ『キンカン素人民謡名人戦』、フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』、日本テレビ『ホイホイミュージックスクール』の司会を務め、その他タレント・俳優・声優としても活動。
三田 佳子(みた よしこ、1941年10月8日 - )は、日… 三田 佳子(みた よしこ、1941年10月8日 - )は、日本の女優。本名は高橋 嘉子(たかはし よしこ)で、旧姓は石黒(いしぐろ)。女子美術大学付属中学校・高等学校卒業。所属事務所は三田佳子事務所(生島企画室と業務提携)を経て、2017年2月24日付けでプロダクション尾木に移籍。 芸名の三田は、早稲田の高田(馬場)、明治の神田(駿河台)と共に3案示され、慶応の三田を選択。慶応大学野球部のファンだったため。夫は元NHKプロデューサーの高橋康夫。長男は森宮隆、次男は高橋祐也。 代表作は映画『極道の妻たち三代目姐』、ドラマは大河ドラマ『いのち』『花の乱』など。大河ドラマで複数回主演した唯一の女優となっている。
坂田 利夫(さかた としお、1941年〈昭和16年〉10月7… 坂田 利夫(さかた としお、1941年〈昭和16年〉10月7日 - 2023年〈令和5年〉12月29日)は、日本のお笑いタレント。漫才コンビ・コメディNo.1の元メンバー。大阪府大阪市港区出身。吉本興業所属。 本名は地神 利夫(じがみ としお)。通称はアホの坂田、坂田師匠。芸名は将棋棋士の坂田三吉に由来するが、将棋は苦手である。 私立此花商業高等学校(現・大阪偕星学園高等学校)卒業。漫才コンビ時代にリリースしたキダ・タロー作曲の「アホの坂田」がイメージソングとして定着しており、舞台登壇時などには恒例のお約束として出囃子に使用されていた。 1941年10月、大阪府大阪市港区に生まれる。弟、妹がいる。
雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉… 雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉10月6日 - )は、日本の漫画原作者、エッセイスト。のりこえねっと共同代表。本名:戸塚 哲也(とつか てつや)。別名に阿月田 伸也(あづきだ しんや)、瀬叩 龍(せたたき りゅう)、雁屋F(かりや えふ)がある。 1941年(民国30年、昭和16年)10月6日、中華民国北京特別市に誕生。終戦後に日本に引き揚げ、東京田園調布で育つ。結核性の感染症に冒されて小中学生時代は入退院を繰り返し、医者にかかる機会が多かったことから自らも医師を志望していたが、東大病院の建物の陰気さに嫌悪感を持ち、志望を変更した。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。
木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日… 木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日本の画家、美術講師。 岡山県倉敷市において、銅版画を中心に制作活動を行うとともに、美術系大学受験を主目的とした画塾「木口美術研究所」で講師活動を行っている。演出家・劇作家の危口統之の父。 岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、1966年武蔵野美術大学洋画科主席卒業。フランス政府私費留学試験合格後、1968年から1972年にかけて2度のフランス・ヨーロッパ留学を行う。その後倉敷市に戻り、1970年代前半ごろより地域の専門学校や高校などで美術指導を開始。1984年に画塾「木口美術研究所」を設立。以後銅版画を中心とした作品制作ならびに、美術系大学受験を志す高校生の指導を中心に、地域の芸術・文化活動に尽力している。
野口 元三(のぐち もとぞう、1941年10月6日 - )は… 野口 元三(のぐち もとぞう、1941年10月6日 - )は京都府出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 20… 泉原 保二(いずはら やすじ、1941年10月6日 - 2024年11月15日)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。泉興業株式会社代表取締役。 尼崎青年会議所理事長、自民党尼崎支部支部長、自民党国会対策委員会委員などを歴任。 兵庫県尼崎市出身。大阪商業大学商経学部を卒業後、産業廃棄物処理会社・泉興業の代表取締役に就任した。尼崎青年会議所の理事長などの役職も務めた。 1976年5月、紺綬褒章を受章する。 1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙で旧兵庫2区より無所属で立候補し、落選した。2003年10月、環境大臣表彰を受ける。 第42回衆議院議員総選挙と第43回衆議院議員総選挙にも立候補したが落選。
佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は… 佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は、ジャズピアニスト、作曲家。東京都両国生まれ。 両国国技館前で電飾看板商を営んでいた父のもとに次男として生まれた。両国生まれだが、目黒、渋谷、西大崎、川崎、赤坂と3年ごとに引っ越した。 目黒区立中目黒小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を首席で卒業。 元妻は作家の中山千夏(1971年結婚、1978年離婚)。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。2019年12月、文化庁長官表彰。 その他、“セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ '90”で誕生した『ランドゥーガ』(スウィング・ジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞)のフランスでのリリースなど。
石幡 忠雄(いしはた ただお、1941年10月6日 - )は… 石幡 忠雄(いしはた ただお、1941年10月6日 - )は、栃木県出身のスピードスケート選手で現在は指導者。1968年グルノーブルオリンピックスピードスケート日本代表。早稲田大学卒業。 早稲田大学卒業後の1964年に三協精機製作所(現日本電産サンキョー)スケート部に入部。全日本スピードスケート選手権大会では4度の優勝を誇った。1968年には1500mと5000mの日本代表としてグルノーブルオリンピックに出場。 1969年に長野県軽井沢で行われた全日本スピードスケート選手権では、1500m、5000m、10000mの三種目で優勝。10000mの16分6秒5は当時の日本新記録。 引退後の1972年より三協精機スケート部監督に就任し、多くの選手を育てた。
浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈… 浜田 卓二郎(濱田 卓二郎、はまだ たくじろう 1941年〈昭和16年〉10月5日 - 2022年〈令和4年〉5月16日)は、日本の弁護士、実業家、元政治家。 妻は実業家、エッセイストの浜田マキ子、長男の妻はコカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス社外取締役などを務める浜田奈巳。位階勲等は正四位旭日重光章。 鹿児島県姶良郡加治木町(姶良市)生まれ。祖父は故浜田精蔵衆議院議員。父は警察官。神奈川県横須賀市に転居し、栄光学園中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。東大在学中の1964年、国家公務員採用上級職甲種試験、司法試験に合格。1965年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省した。同年、結婚。
谷口長治(たにぐちちょうじ、1941年(昭和16年)10月5… 谷口長治(たにぐちちょうじ、1941年(昭和16年)10月5日生 – )は、日本の元政治家。元愛媛県南宇和郡愛南町長(2004年-2008年)。
木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 20… 木村 雅信(きむら まさのぶ、1941年10月5日 - 2021年6月27日 )は日本の作曲家、ピアニスト。 中国河北省石門市(現、石家荘市)で生まれ、種子島に育つ。東京芸術大学・大学院で学び1970年に修了。作曲は長谷川良夫と小倉朗に師事。1972年、札幌大谷短期大学専任講師に就任。同短期大学の助教授・教授、札幌大谷大学音楽学部教授を歴任。1964年、第33回日本音楽コンクール第3位、1973年に第2回モスクワ国際バレエコンクール最優秀伴奏ピアニスト賞、2006年に札幌芸術賞。などの受賞歴がある。国内、中国、ロシア、ヨーロッパ、オーストラリアなどで作品が演奏されており、札幌現代音楽展(歴代の同人に座光寺公明、保木誠、泉史夫、蛯子元、小林隆一、出路茂子、吉田均、兵井秀和、小森俊明らが名を連ねる)を主宰していた。
谷 一夫(たに かずお、1941年(昭和16年)10月4日 … 谷 一夫(たに かずお、1941年(昭和16年)10月4日 - 2024年(令和6年)12月15日)は、日本の政治家、医師。元愛知県一宮市長(4期)。 愛知県一宮市生まれ。一宮市立宮西小学校、一宮市立北部中学校、愛知県立一宮高等学校、名古屋大学医学部卒業。大学卒業後、名鉄病院でのインターンを経て、中部労災病院、名古屋大学医学部付属病院分院臨港病院の外科に勤務する。1974年、谷医院を開院し開業医に転じる。1998年4月1日、一宮市医師会会長に就任。 1998年12月15日、一宮市長の神田真秋が愛知県知事選挙に出馬するために辞職。同日から、一宮市議会の江崎鉄磨系の一真会と海部俊樹系の創誠会は後継候補者を調整。
安藤 敏雄(あんどう としお、1941年10月4日 - )は… 安藤 敏雄(あんどう としお、1941年10月4日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。 芦屋高校では藤悟郎の1年下。2年生の秋からエースとなり本格派右腕として注目される。同期の広瀬幸司とバッテリーを組み活躍。1958年秋季近畿大会準決勝に進み、平安高の藤野隆司と投げ合うが敗退。しかし翌1959年春の選抜への出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を完封するが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 1960年に西鉄ライオンズへ入団するが、肩を故障しアンダースローへの転進を余儀なくされる。1962年に一軍初登板。
佐藤 勇夫(さとう いさお、1941年(昭和16年)10月4… 佐藤 勇夫(さとう いさお、1941年(昭和16年)10月4日-)は日本の銀行家。宮崎銀行元頭取。 1941年(昭和16年)10月4日、宮崎県に生まれる。宮崎大宮高校、1964年(昭和39年)に法政大学経営学部を卒業し、宮崎銀行に入行する。 1991年(平成3年)6月に福岡支店長、1993年(平成5年)6月に延岡支店長、1995年(平成7年)6月に取締役東京支店長兼国際部長、1997年(平成9年)6月に取締役総合企画部長、1998年(平成10年)6月に常務取締役、2000年(平成12年)6月に代表取締役専務を経て、2001年(平成13年)6月代表取締役頭取に就任する。2008年(平成20年)6月に代表取締役会長に就任し、その後相談役に退いた。
井田喜明(いだ よしあき、1941年10月4日- )は、日本… 井田喜明(いだ よしあき、1941年10月4日- )は、日本の地球科学者。東京大学・兵庫県立大学名誉教授。 東京生まれ。1965年東京大学理学部物理学科卒業、1970年同大学院理学系研究科地球物理学博士課程修了、「地球を構成する物質の熱力学的および統計力学的原理について」で理学博士。1971年マサチューセッツ工科大学助手、1972年東京大学物性研究所助手、77年同海洋研究所助教授、85年同地震研究所助教授、86年教授、2002年定年退官、名誉教授、姫路工業大学教授、2004年校名変更で兵庫県立大学教授。2007年同名誉教授。アドバンスソフト株式会社研究顧問。日本火山学会会長、火山噴火予知連絡会会長なども務める。
野田 毅(のだ たけし、1941年〈昭和16年〉10月3日 … 野田 毅(のだ たけし、1941年〈昭和16年〉10月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党熊本県支部連合会特別顧問。 自治大臣(第52代)、国家公安委員会委員長(第62代)、経済企画庁長官(第45代)、建設大臣(第53代)、通商産業政務次官(鈴木善幸内閣)、経済企画政務次官(第1次大平内閣)、衆議院商工委員長、衆議院議員(16期)、自由民主党税制調査会長、同衆議院議員総会長、同国民運動本部長、同商工部会長、保守党党首(第2代)、同幹事長(初代)、自由党幹事長(初代)、新進党政策審議会長(初代)などを歴任。 東京府東京市(現在の東京都)杉並区生まれ。実父は日本大学教授の小立稔であり、筆跡学の創始者ルートヴィヒ・クラーゲスを初めて日本に紹介した哲学者として知られる。
鳥山 敏子(とりやま としこ、1941年10月3日 - 20… 鳥山 敏子(とりやま としこ、1941年10月3日 - 2013年10月7日)は日本の教育者。公立の学校の教師として長年に亘り、革新的な授業実践をしたことで知られる。「東京賢治の学校」の創設者でもある。鳥山雅代の実母。竹下和男は実弟。 広島県で生まれ、その後香川県に移り住み香川大学教育学部を卒業。東京の青梅市で初めて小学校の教員になる。 1980年、中野区立桃園第二小学校で4年生を対象に行った「ニワトリを殺して食べる授業」は、その後の屠畜体験学習のさきがけとなった。次いで行われた「ブタ一頭丸ごと食べる」、こころをからだで表現する「みんなが孫悟空」などの革新的な授業実践で知られている。その授業のドキュメントは、小泉修吉主催の「グループ現代」が、記録映画として製作している。
折戸 周治(おりと しゅうじ、1941年 <昭和16年> 1… 折戸 周治(おりと しゅうじ、1941年 <昭和16年> 10月3日 - 2000年 <平成12年> 11月14日) は日本の物理学者。東京大学教授、東京大学素粒子物理国際研究センター長を歴任。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
望月 良和(もちづき よしかず、1941年(昭和16年)10… 望月 良和(もちづき よしかず、1941年(昭和16年)10月2日 - )は、日本の政治家。元静岡県伊豆の国市長(2期)。元大仁町長(4期)。元大仁町議会議員(1期)。元静岡総合研究機構理事。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校を経て、日本大学短期大学部商経学科を卒業後、印刷会社を設立。1987年(昭和62年)静岡県大仁町議会議員に就任(1期)。1991年(平成3年)4月、静岡県大仁町長に就任(4期)。2004年(平成16年)5月、静岡県立大仁高等学校後援会会長。 2003年(平成15年)7月に設置した合併協議会設立準備会を経て、同年10月22日に発足させた伊豆長岡町・韮山町・大仁町合併協議会の会長となり、合併協定の調印や合併議案の議決など進行役として協議に尽力した。
松下 洋(まつした ひろし、1941年10月2日 - )は、… 松下 洋(まつした ひろし、1941年10月2日 - )は、日本の政治学者、神戸大学名誉教授、元京都女子大学教授。ラテンアメリカ、特にアルゼンチンの現代政治が専門。 東京都生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、1965年、東京大学教養学部国際関係論卒。1970年、同大学院社会学系修士課程修了課程修了、南山大学外国語学部イスパニア語科専任講師、のち助教授。1980年、アルゼンチンのクージョ国立大学 (Universidad Nacional de Cuyo) で歴史学博士。1984年、南山大学教授。1988年、大平正芳記念財団賞受賞。1993年、神戸大学国際協力研究科教授。2002年から2003年まで研究科長。
生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2… 生田 暉雄(いくた てるお、1941年〈昭和16年〉10月2日 - 2024年〈令和6年〉6月10日)は、日本の弁護士。元裁判官。 1941年、兵庫県神戸市生まれ。関西大学卒業後、高校教師や市役所職員として働きながら司法試験に合格、修習生時代は青法協に所属する。1970年、裁判官任官後、1987年に大阪高等裁判所判事となる。1992年に退官し弁護士登録する。 弁護士としては、高知白バイ衝突死事故、愛媛教科書裁判などの弁護を担う。自らの著書にて裁判所の実態を告発する一方、裁判を「主権実現の手段」と位置付け、市民の手に取り戻す術を提案している。その一方、2020年までに9回の懲戒を受けた経験があり、当時所属していた香川県弁護士会の会長は現役最多記録ではないかとしている。
大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2… 大内 延介(おおうち のぶゆき、1941年10月2日 - 2017年6月23日)は、将棋棋士。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は86。東京府東京市(現:東京都港区)出身。中央大学卒業。 小学4年生のとき、将棋道場で二枚落ちで3連敗し、それがきっかけで将棋にのめりこむ。小学6年生の頃には、将棋の駒の名産地として知られる山形県天童市にて、1か月間の将棋修行をした。 1954年、土居市太郎名誉名人の最後の弟子として入門。三段時代の1961年、1962に古豪新鋭戦に連続して優勝。1963年4月1日の四段昇段(プロ入り)は、同じ中大の後輩である米長邦雄と同期である。大内と、高島弘光、西村一義、山口英夫との4名は同年生まれで若手時代から活躍して「花の昭和16年組」と呼ばれた。
田中 穂積(たなか ほずみ、1941年10月2日 - 200… 田中 穂積(たなか ほずみ、1941年10月2日 - 2009年7月27日)は、日本の情報工学者。知能情報学・計算言語学が専門。東京工業大学名誉教授。自然言語処理技術の基礎と応用に関する研究の草分け的存在。
チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、194… チアキ・イシイ(Chiaki Ishii、石井 千秋、1941年10月1日- )は、栃木県足利市出身の柔道家。男性。1969年にブラジルに帰化した。得意技は大内刈。彼の2人の娘、タニア・イシイ(ポーランド語版)、バニア・イシイも柔道家である。 生家は天神真楊流柔術の流れを汲む柔道の足利造士館石井道場。五男の末っ子として生まれる。 祖父は慶応2年生まれの天神真楊流柔術の石井清吉柳喜斎源正義こと石井清吉。清吉は大正に入って嘉納治五郎から請われ道場の看板を柔道に変える。それ以来、父親の石井勇吉(1970年現在、柔道七段)は清吉に講道館の寒稽古・暑中稽古に送られみっちり鍛えられる。チアキはこのころ講道館六段が清吉に贈られたと述べている。
松村 正晴(まつむら まさはる、1941年10月1日- )は… 松村 正晴(まつむら まさはる、1941年10月1日- )は、広島県出身の元プロ野球選手(二塁手・三塁手/右投げ右打ち)である。
河内 國平(かわち くにひら、1941年10月1日 - )は… 河内 國平(かわち くにひら、1941年10月1日 - )は、日本の刀匠。卓越技能者(現代の名工)。奈良県無形文化財保持者。大阪府出身。「國平」は号であり、本名は道雄。 1941年、第14代刀匠河内守國助次男として大阪で出生。 1966年、関西大学法学部卒業後、人間国宝宮入昭平(後の行平)に入門し相州伝を習う。1972年に独立し東吉野村平野に鍛刀場を設立。 その後、1975年に「佐藤栄作名誉会長賞」、1978年に「毎日新聞社賞」、1979年に「最高賞高松宮賞」、1980年と1981年に「薫山賞」、1983年に「全日本刀匠会会長賞」、1986年に「日本美術刀剣保存協会会長賞」、1987年に「文化庁長官賞」を受賞。
小澤 忠彦(おざわ ただひこ、1941年10月1日 - )は… 小澤 忠彦(おざわ ただひこ、1941年10月1日 - )は、日本の実業家。新潟県出身。カヤバ株式会社元代表取締役会長・代表取締役社長。一般社団法人日本フルードパワー工業会元会長。 新潟県出身。1966年、上智大学理工学部機械工学科卒業。1970年、カナダ・オンタリオ州立ウォータールー大学機械工学部(修士課程)卒業。1971年、萱場工業株式会社(現・カヤバ株式会社)入社。1995年、同社装置事業部長兼同事業部三重工場長。1997年、同社取締役装置事業部長兼同事業部三重工場長。1999年、同社常務取締役。2001年、同社専務取締役。2002年、同社代表取締役社長。2006年、同社代表取締役会長。2008年、一般社団法人日本フルードパワー工業会会長。
岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年1… 岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年11月8日)は、日本のバンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長。本名:金好植(キム・ホシク)。元妻は歌手のキム・ヨンジャ。NHK教育テレビ『テレビでハングル講座 』の音楽を監修・担当した。 日本大学芸術学部に在籍中、日本大学ソサエティ楽団にアルトサックス奏者として入団。文化放送大学対抗バンド合戦において「マ・カレナ」のソロで優勝。在学中ビクターオーケストラの専属となり、卒業後プロの道に入る。その後テナーサックスのソロプレイヤーとなる。 1974年にクリアトーンズ・オーケストラを結成し、その指揮者として活動。
西 美緒(にし よしお、男性、1941年10月 - )は、日… 西 美緒(にし よしお、男性、1941年10月 - )は、日本の材料科学者。リチウムイオン二次電池の炭素負極などを開発した。 愛知県名古屋市東区出身。愛知県立旭丘高等学校に入学し、北海道札幌北高等学校へ転校し卒業。1966年慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業。ソニー中央研究所、ソニー・エナジー・テック専務取締役、ソニーにて、コーポレート・リサーチ・フェロー、業務執行役員上席常務、マテリアル研究所長・CTOなどを歴任。ソニー・エナジーテックでは1991年、世界初のリチウムイオン二次電池実用化・商品化を果たす。1999年、リチウムイオンポリマー二次電池も商品化に成功した。 ソニーにおけるリチウムイオン電池開発の中心人物として、世界初となるリチウムイオン電池の量産・商品化に貢献した。
谷澤 久之(たにざわ ひさゆき、1941年10月 - )は、… 谷澤 久之(たにざわ ひさゆき、1941年10月 - )は、日本の薬学者(薬理学)。薬学博士(静岡薬科大学・1970年)。広島女学院大学総合研究所所長、広島女学院大学生活科学部学部長などを歴任。 1941年生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、静岡薬科大学卒業。1970年、静岡薬科大学大学院薬学研究科博士課程修了。学位論文は「豚回虫に対する4-lodothymolの作用機作」、ヨードチモールの豚回虫に対する効能についての研究である。 同年、森下製薬に研究職として採用され駆虫薬の研究を続ける。1977年、日本薬理学会評議員。森下製薬を辞し1978年、静岡薬科大学薬学部講師。1987年、静岡県立大学薬学部講師。
麻生 潔(あそう きよし、1941年10月 - )は、日本の… 麻生 潔(あそう きよし、1941年10月 - )は、日本の実業家、カネコ種苗株式会社元代表取締役社長。 1941年10月、神奈川県生まれ。1965年、立教大学法学部卒業。 1973年、カネコ種苗株式会社入社。 1982年、種苗営業部緑飼部長、1983年、取締役緑飼部長、1987年、常務取締役、1993年、専務取締役就任。 2004年、代表取締役社長就任。 社長在任時には、住友化学と肥料の表面をポリウレタン樹脂でコーティングした被覆肥料「ベストマッチ」を共同開発し、肥料分野へ進出するなどの多角化を進めた。肥料は、多すぎても少なすぎても作物を枯らせてしまい、理想は作物の生育に沿って肥料を効かせることだと言われる。
海野 肇(うんの はじめ、1941年10月 - )は、日本の… 海野 肇(うんの はじめ、1941年10月 - )は、日本の工学者。長野県出身、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了後、理化学研究所を経て、東京工業大学教授、2005年同大学名誉教授。 1941年10月 長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)にて出生。 1960年3月 長野県諏訪清陵高等学校卒業。1964年3月 名古屋大学工学部卒業。 1966年名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。 1975年7月23日 東京工業大学より博士(工学)学位取得
大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、… 大井 道夫(おおい みちお、1941年9月30日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)、高校野球指導者で、元日本文理高等学校(新潟)野球部監督。 栃木県出身。栃木県立宇都宮工業高等学校、早稲田大学第二商学部卒。 宇都宮工の左腕エースとして活躍。2年生時の1958年夏の甲子園県予選決勝に進むが、作新学院に敗退。翌1959年夏は北関東大会決勝で前橋高に延長15回サヨナラ勝ち、夏の甲子園出場を決める。大会では順調に勝ち進み、準決勝は東北高の嶺岸征男(後に大毎)、波山次郎(後に大洋)との投手戦となるが、延長10回2-1でサヨナラ勝ち。決勝では西条高のエース金子哲夫(後に阪神)と投げ合い、延長15回の末2-8で敗れ準優勝にとどまった。
安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は… 安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は日本の実業家。日商岩井代表取締役社長や、同社代表取締役会長、アステラス製薬取締役等を務めた。 福岡県出身。1964年九州大学経済学部卒業、日商(のちの日商岩井)入社。1988年車輌交通システム部長。1992年ソウル支店長。1994年建設・都市開発本部長。1996年取締役建設・都市開発本部長に昇格。1997年取締役機械・情報産業部門長補佐(大阪機械本部担当)兼本社ビル建設室長。1998年常務取締役機械第一部門長。1999年から代表取締役社長を務めた。2009年代表取締役会長、アステラス製薬取締役。
横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月2… 横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月29日 - 2024年〈令和6年〉5月27日)は、元テレビ朝日アナウンサー。岩手県二戸市出身。
秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - )… 秋山 眞和(あきやま まさかず、1941年9月29日 - ) は、日本の染織家。「綾の手紬染織工房」創設者。現代の名工(卓越技能者)。元沖縄県立芸術大学美術工芸学部教授。沖縄県那覇市出身。 1941年、沖縄県那覇市生まれる。琉球(首里)上布を開発した秋山常磐を父に持つ。太平洋戦争の戦況悪化で沖縄から父・常盤の郷里である福岡県浮羽郡田主丸町(現久留米市)に疎開。戦火により那覇市の工場等を手放した常盤と共に、宮崎県宮崎市に移住し、琉球織物の復興に携わる。その後、常盤から染織業を引き継ぎ、1966年、宮崎県綾町にて「綾の手紬染織工房」を創設、宮崎独自の織物制作を目指した。 1968年、日本伝統工芸展に初入選し、1972年、日本工芸会正会員。
新原 晧一(にいはら こういち、1941年9月28日 - )… 新原 晧一(にいはら こういち、1941年9月28日 - )は、日本の工学者。学位は、工学博士(大阪大学)。研究分野は、材料科学・破壊力学・ナノコンポジット工学。日本セラミックス協会会長(2009年 - 2010年)、長岡技術科学大学学長(第7代)。大光銀行顧問、アクシアルリテイリング社外取締役・独立役員、永井エヌ・エス知覚科学振興財団理事・選考委員、大倉和親記念財団選考委員。 鹿児島県出身、新潟県長岡市在住。父親は小学校の先生。ラ・サール高等学校、大阪大学原子力工学科を卒業。大阪大学大学院工学研究科原子力工学専攻修士課程を修了。 大阪大学産業科学研究所高次インターマテリアル研究センターセンター長(1994年4月1日~2000年3月31日)、九州大学機能物質科学研究所教授(1994年7月1日~1994年9月30日)、Hanyang大学研究教授(2000年3月1日~)、東京工業大学統合院特任教授(2005年9月1日~2007年3月31日)、長岡技術科学大学学長(2009年9月16日~2015年9月15日)・2011年10月17日、110年以上の歴史を持つ米国セラミックス学会の最高栄誉賞であるディスティンギュッシュド ライフメンバーシップ(Distinguished Life Membership )賞を受賞。
龍岡 資晃(たつおか すけあき、1941年9月28日 - )… 龍岡 資晃(たつおか すけあき、1941年9月28日 - )は、日本の裁判官。
須賀 勝彌(すが かつや、1941年9月28日 - )は、岡… 須賀 勝彌(すが かつや、1941年9月28日 - )は、岡山放送の元代表取締役社長。
安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 200… 安倍 吉輝(あべ よしてる、1941年9月28日 - 2009年10月25日)は、日本棋院に所属する囲碁の棋士(東京本院所属、九段)。門下に金川正明、釼持丈。女流棋士の岡田結美子は実娘、イラストレーターの安倍吉俊は息子。 宮城県石巻市出身。1954年に院生。1960年入段。1962年、藤沢朋斎の門下となる。 1986年九段へ昇段。この間藤沢秀行の主宰する研究会(通称「秀行塾」)で薫陶を受ける。低段時代はよく一次・二次予選突破を果たし、「枠抜けのアベちゃん」の異名を取った。大手合の第二部で、三等に三回連続入賞。1965年、梶原武雄を団長、林裕を副団長とする囲碁使節団の一員として工藤紀夫とともに、1ヶ月中国を訪問。