坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 … 野草 平十郎(のぐさ へいじゅうろう、1913年6月19日 - 1999年5月6日)は、日本の政治家。1978年から1990年までの3期にわたり、兵庫県尼崎市長を務めた。勲三等旭日中綬章。
市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月1… 市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月19日 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の中国史学者、お茶の水女子大学名誉教授。 1913年、山梨県で生まれた。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1937年に卒業。 卒業後は、東亜研究所書員として勤務。戦後の1951年、お茶の水女子大学助教授に就いた。1957年に教授昇格。1969年から1971年まで文教育学部長、1972年からは附属図書館長も務めた。1976年、お茶の水女子大学学長に就任。1979年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは中央大学教授として教鞭を執った。 2014年6月21日午前5時10分、老衰のため101歳で死去。
長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没… 長谷川 次男(はせがわ つぎお、1913年6月18日 - 没年不詳)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学法学部卒業。 1932-1933年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権と翌1933-1934年シーズンの第4回全日本フィギュアスケート選手権で3位、第6回大会では2位となった。 1935-1936年シーズン、ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック日本代表に選出され、同じく代表となった片山敏一、老松一吉、渡辺善次郎、稲田悦子ら4人とともに欧州遠征を行った。ベルリンで行われた1936年ヨーロッパフィギュアスケート選手権には片山、老松、稲田とともにエントリーをしたが棄権。
後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 200… 後藤 正夫(ごとう まさお、1913年6月18日 - 2000年1月29日)は、日本の政治家、統計学者。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(3期)、法務大臣(第50代)を歴任した。 父は元内務大臣の後藤文夫。 大分県大分市生まれ。旧制横浜高等工業学校(現:横浜国立大学)卒業。三菱鉱業(現:三菱マテリアル)の技師、内閣技術院参技官、内閣調査局調査官、宮城県職員、内閣統計委員会事務局基準課長、行政管理庁統計基準部企画課長等を経て、1959年、行政管理庁統計基準局長に就任。1967年の退官まで務める。 退官後、1968年から8年間、大分大学学長を務める。 1976年9月、岩男頴一の死去に伴う参議院大分地方区補欠選挙に立候補。
中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月… 中川 芳雄(なかがわ よしお、1913年 <大正2年> 6月17日 - 1987年 <昭和62年> 7月23日)は、日本の国文学者。静岡女子大学(現:静岡県立大学)名誉教授。勲等は勲三等。位階は正四位。 静岡女子短期大学教授、静岡女子大学文学部教授、静岡女子大学文学部長、常葉学園短期大学教授、常葉学園大学教育学部教授などを歴任した。 1913年、新潟県生まれ。旧制新潟県立十日町中学校を経て國學院大學高等師範部第一部を卒業した。川治尋常高等小学校の代用教員を振り出しに、教育者としての道を歩む。応召を挟み、六日町高等女学校や新潟県立十日町中学校の教諭を務めた。その後、京都帝国大学文学部国語学国文学専攻にて学ぶ。
中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャ… 中村 日出夫(なかむら ひでお、民族名:姜 昌秀(カン・チャンス、강 창수)、1913年6月16日 - 2013年1月8日)は、朝鮮半島出身の空手家。空手道拳道会初代会長。空手十段。 素手で材木を切断する『垂木切り』の演武で知られている。これは、中村の正拳突きや手刀で打たれた材木が「折られた」というよりは「切られた」ような滑らかな断面になることから名付けられた。 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』によれば、同じく朝鮮半島北部出身の力道山と力士時代から親交があり、力道山から朝鮮語で兄さんを意味する「ヒョンニム」と呼ばれ慕われていたという。相撲を廃業しプロレスに転向する際には空手を伝授、これが力道山の代名詞となった必殺技・空手チョップ誕生に繋がったとされる。
立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?… 立川 宗保(たちかわ むねやす、1913年6月15日 - ?)は、日本の農林官僚。農林省蚕糸局長等を務め、退官後は農業機械化研究所理事長、日本蚕糸事業団理事長、日本食糧倉庫株式会社社長、大日本蚕糸会会頭等を歴任。 鹿児島県生まれ。串木野市(いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1932年第七高等学校造士館文科卒業。1937年東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年農林省に入省し、馬政局、食糧管理局、企画院、興亜院、大東亜省等に勤務。1945年食糧管理局外地課長となり、以降農林省総務局経済課長、群馬県経済部長兼農地部長、農林省農地局経済課長、食糧庁総務部企画課長、大臣官房文書課長、水産庁漁政部長、水産庁生産部長、農地局管理部長、農林大臣官房参事官を経て、1958年8月農林経済局統計調査部長就任(同年9月農林水産技術会議事務局研究調整官併任)。
小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日… 小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日 - 2006年(平成18年)3月26日)は、日本のファッションデザイナーである。同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られる。
舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年… 舛田 精一(ますだ せいいち、1913年6月15日 - 没年不明(1989年以降) )は、日本の会計学者。 東京出身。早稲田大学政治経済学部卒、日本鋼管に入社し、経理関係の課長、次長を務める。1960年東京シヤリングへ出向し、常務取締役経理部長。1964年日本鋼管を退社し、舛田財務研究所を創設、所長となる。経理関係の実用書を多数執筆した。
大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 -… 大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 - 1989年(平成元年)3月3日)は、日本の建築家。 モダニズムと日本の伝統様式とを決して融合することなく「混在併存」させた建築意匠で知られる。また、教育者として法政大学建築学科の礎を築き、多くの後進を育成した。主な作品に法政大学、香川県立丸亀武道館、普連土学園、国立能楽堂など。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章叙勲。秋田県秋田市生まれ。 父の大江新太郎は明治神宮造営技師を務め、日光東照宮の修理、および明治神宮宝物殿、神田明神の設計を手がけた建築家。長男の大江新は建築家・法政大学名誉教授。
小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 199… 小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 1991年10月7日)は、日本の図書館学者。京都大学名誉教授。鳥取県出身。 鳥取第二中学校(現、鳥取県立鳥取東高等学校)、松江高等学校を経て、1936年に京都帝国大学文学部を卒業。その後、朝鮮総督府図書館事務嘱託、陸軍士官学校教授など歴任。終戦後、京都帝国大学大学院に進み、1949年退学。京都大学附属図書館事務長となる。1956年、京都大学教育学部助教授、1969年、教授。1972年、教育学部長。1977年に退官して名誉教授となり、ノートルダム女子大学教授を1989年まで務めた。1991年叙従三位、叙勲三等授旭日中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13… 永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13日 - 1994年〈平成6年〉5月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期)、大分県宇佐市長、宇佐市名誉市民。 大分県宇佐郡長洲町(現宇佐市長洲)で生まれる。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、1934年(昭和9年)中央大学第二予科を卒業。さらに逓信官吏練習所第一部行政科を1936年(昭和11年)に卒業。逓信属、同事務官となり、東京中央電話局、逓信省郵務局に勤務した。 戦後、労働運動に参画し、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)の結成と共に本省支部長に就任し、1947年(昭和22年)同中央本部書記長に就任。
河内 義就(こうち よしなり、1913年(大正2年)6月13… 河内 義就(こうち よしなり、1913年(大正2年)6月13日 - 1987年(昭和62年)10月5日)は、日本の建築家。広島県国泰寺町(現・広島市中区国泰寺町)生まれ。 原爆で壊滅した広島の復興を支えた人物の一人で、戦後に広島を拠点として活躍した。 広島工業大学特任教授、社団法人広島県モーターボート競走会理事なども歴任した。 1932年(昭和7年)に横浜国立大学の前身である横浜高等工業学校建築科に入学し、中村順平の弟子となる。1935年(昭和10年)の卒業後は逓信省経理局営繕課に就職、山田守の元で実務を経験した。 1939年(昭和14年)7月から終戦までは満州国に移籍し同国郵政総局経理科営繕技手仕官や技佐仕官として建築の活動を行う。
寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12… 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12日 - 1998年〈平成10年〉10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北見市生まれ。1927年(昭和2年)、北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選した。1959年(昭和34年)5月8日、第5代同市議会副議長に選出された。
今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日… 今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日 - 1997年(平成9年)11月17日)は、昭和期の日本の政治家、経済評論家。衆議院議員(8期)。 山口県出身。山口高等商業学校(現山口大学)卒業。1945年、日本社会党の結党に参加した。 1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に旧山口1区(定数4)から社会党公認で立候補し、トップで初当選した。 1951年の社会党の左右分裂では右派社会党に参加、1955年に両派は統一するも1959年に脱党し、1960年1月の民社党の結成に参加した。委員長西尾末広の下で党政策審議会長に就任。同年11月の第29回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で4番目の得票数で当選し、返り咲き。
三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月1… 三枝 三郎(さいぐさ さぶろう、1913年(大正2年)6月11日 - 2014年(平成26年)2月22日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。衆議院議員(3期)、福田派。 白鳥大橋の建設に尽力した。 北海道、現在の室蘭市で生まれる。旧制室蘭中学校(現北海道室蘭栄高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京文理科大学哲学科を卒業。同年10月、高等試験行政科に合格。同年、内務省入省し大阪府属となる。 以後、三重県、福岡県で勤務。1945年(昭和20年)宮内省書記官、1946年(昭和21年)警視庁警備交通部警備課長、1954年(昭和29年)警視長・和歌山県警察本部長、1960年(昭和35年)初代内閣総理大臣官房広報室長、1964年(昭和39年)総理府特別地域連絡局長を歴任。
三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - … 三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - 1988年10月4日)は、日本の思想史学者。皇學館大学教授。平田篤胤についての研究で知られる。 大阪府大阪市に生まれる。1934年(昭和9年)に大阪高等学校を卒業、1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部を卒業、東京帝国大学副手となる。 1938年(昭和13年)に応召される。1941年(昭和16年)に大阪府主事、浪速高等学校教授を嘱託されるが、再び応召される。1943年(昭和18年)に三度目の応召。1946年(昭和21年)に復員し、大阪府立図書館の司書となる。 1950年(昭和25年)に大阪府主事、1952年(昭和27年)に大阪社会事業短期大学助教授、1958年(昭和33年)に同大学教授。
朝比奈 正二郎(あさひな しょうじろう、1913年6月10日… 朝比奈 正二郎(あさひな しょうじろう、1913年6月10日 - 2010年11月28日)は、日本の生物学者(昆虫学)。トンボやムカシトンボ、ゴキブリなどの分類、生態の研究で知られ、日本蜻蛉学会の設立にも中心的に関わった。国際トンボ学会会長、日本昆虫学会会長、日本衛生動物学会会長、日本動物分類学会会長を歴任。薬学者で南極探検家の朝比奈菊雄は弟。 1913年、東京都文京区千駄木に生まれる。父は薬学者であり、また地衣類の分類学者でもあった朝比奈泰彦。父から昆虫採集の手ほどきを受けて、6歳頃からチョウなどの採集を始め、父の知り合いであった昆虫学者の三宅恒方にも接している。 東京府立六中(現:新宿高校)、成城高校を経て、1935年に東京帝国大学理学部動物学科(現:東京大学理学部)に進学。
岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 19… 岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 1963年2月6日)は、日本の児童文学作家。 「あすもおかしいか」「生きているレントゲン」「三人の0点くん」などの作品がある。 大阪府大阪市北区(現:此花区)で生まれる。1931年に上京、第一早稲田高等学院を経て、早稲田大学文学部国文学科を卒業。大学在学中から早大童話会に入会し、口演童話や創作活動を行った。また卒業論文の題は「童話作家小川未明論」であった。 卒業後の1938年に大阪府に戻り、下畑卓や花岡大学らと同人「新児童文学集団」を結成。機関紙『新児童文学』に童話などを発表した。また、そこで発表した「八号館」が第1回日本新人童話賞を受賞、授賞式後すぐに上京、豊島区に下宿した。
杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9… 杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年〈大正2年〉6月9日 - 2001年〈平成13年〉3月14日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家。 1913年(大正2年)愛知県渥美郡福江村(現在の田原市折立町)で、小地主兼雑貨商の長男として生まれる。父の太平は、1963年(昭和38年)から1967年(昭和42年)に死去するまで渥美町長をつとめている。 1926年(大正15年)、愛知県豊橋中学校(現在の愛知県立時習館高等学校)を四年生修了で第一高等学校へ進学、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部国文学科卒業。一年下の後輩、立原道造と一高の短歌会で知り合い、共に1935年(昭和10年)同人誌「未成年」を発行。
水谷 豊(みずたに ゆたか、1913年(大正2年)6月8日 … 水谷 豊(みずたに ゆたか、1913年(大正2年)6月8日 - 1991年(平成3年)11月25日)は、日本の眼科医。日本で初めてコンタクトレンズを作り、臨床応用を実施。後にコンタクトレンズメーカー「日本コンタクトレンズ(ニチコン)」を創業。コンタクトレンズの発展に貢献し、「日本のコンタクトレンズの父」と呼ばれる。1975年日本医師会最高優功賞受賞、1987年勲五等双光旭日章受章。日本コンタクトレンズ学会名誉会員(1986年~1991年)。愛知県名古屋市出身。孫は水谷 武史(みずたに たけし)で、名古屋市天白区で「みずたに眼科」を開業中。 水谷は、1913年名古屋市熱田区で眼科医院を営む加藤家に生まれたが、三男の末っ子で、後に水谷家の養子となり、水谷姓となった。
西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 199… 西出 大三(にしで だいぞう、1913年6月7日 - 1995年7月8日)は日本の截金師。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。 石川県生まれ。金沢一中を経て、東京美術学校(現・東京藝術大学)で彫刻を学ぶ。在学中に彫刻家の高村光雲が、京都の浄瑠璃寺の秘仏「木造吉祥天立像」の模刻を製作する際、台座に施された截金の文様が復元不可能であり金泥で代用したことを聞き、截金の研究に取り組むようになる。それ以後、数多くの藤原・鎌倉期の仏像・仏画の截金作品を見て回り、製作技法や道具を研究して、独力での復元に成功した。 西出は元来彫刻家であったため、その造型技術を活かし、馬・牛・犬・雀・鶏などの動物や鳥類を彫刻し、これらに截金を施す作風を得意とした。
芳賀 直一(はが なおかず、1913年6月7日 - 没年不明… 芳賀 直一(はが なおかず、1913年6月7日 - 没年不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
中野 ツヤ(なかの つや、大正2年(1913年)6月7日 -… 中野 ツヤ(なかの つや、大正2年(1913年)6月7日 - 平成23年(2011年)9月16日)は、日本の教育者。元学校法人鷗友学園特別顧問。石川志づ初代理事長のあとをつぎ、学校法人鷗友学園の第二代理事長を22年間つとめた。 父は東京府会議長をつとめた中野勇治郎。兄は大阪高裁長官をつとめた中野次雄。経済人類学者の栗本慎一郎は妹トシ子の長男。 1913年、東京生まれ。東京府立第一高等女学校(現都立白鷗中学高等学校)、津田英学塾(現津田塾大学)を卒業。1945年東京都教育局へ。都庁初の女性管理職として活躍し、1959年に民生局婦人部長。 1971年より鷗友学園理事、1981年~2003年理事長。 財団法人都民劇場理事、内閣売春対策審議会委員、墨田区教育委員、墨田女性センター館長、その他多くの社会福祉法人の理事等をつとめた。
松崎 壽和(まつざき ひさかず、1913年6月7日 - 19… 松崎 壽和(まつざき ひさかず、1913年6月7日 - 1986年5月30日)は日本の東洋考古学者。 1913年、山口県吉敷郡東岐波村(現・宇部市)生まれ。旧制山口高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業。1939~1940年、北京へ滞在し、興亜院嘱託を務める。その後、文部省嘱託の後、1948年旧制広島高等学校教授、1949年広島大学文学部助教授、1965年に教授となる。 広島大学では草戸千軒町遺跡、帝釈峡遺跡の発掘を指揮した。また、1971年にイラン学術調査隊の一員としてカスピ海東南岸で遺跡の調査を行った。1976年に広島県文化財審議会委員を務める。1977年に広島大学退官後、広島県埋蔵文化財調査センターの常務理事を務めた。
片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年… 片山 敏一(かたやま としいち、1913年6月5日 - 没年不明)は、元フィギュアスケート選手でのちにコーチ。関西学院大学出身。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987… 山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987年1月27日)は、日本の経済学者。 愛知県出身。東京商科大学卒。関東学院大学助教授、横浜市立大学助教授、教授、1979年定年退官、名誉教授。ケインズ経済学を研究した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
朴 良載(パク・ヤンジェ、朝鮮語: 박양재、1913年6月3… 朴 良載(パク・ヤンジェ、朝鮮語: 박양재、1913年6月3日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 全北完州出身。明治大学法学科卒。金融組合理事を務めた。1950年の第2代総選挙に完州郡甲選挙区から無所属で出馬し当選した。その後は自由党に入党した。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
石黒 慶之助(いしぐろ けいのすけ、1913年(大正2年)6… 石黒 慶之助(いしぐろ けいのすけ、1913年(大正2年)6月1日 - 1998年(平成10年)1月19日)は、日本の歯科医師、海軍軍人、歯科医大尉、歯学士、医学博士、開業歯科医、(社)鶴岡地区歯科医師会会長、(社)山形県歯科医師会理事、山形県歯科医師政治連盟顧問、栄典は正五位・勲五等・双光旭日章。
小木曽 定彰(おぎそ さだあき、1913年(大正2年)6月1… 小木曽 定彰(おぎそ さだあき、1913年(大正2年)6月1日 - 1981年(昭和56年)5月24日)は、日本の建築家、建築学者。計画原論がある時期から音、光、熱、空気、色などに専門分化していく過程において、最初の専門学者にあげられる。 日照や照明の分野から着手した研究はその後居住環境全般に及び、今日の建築環境工学の基礎となる。また、東京大学や東京理科大学、日本大学などで教鞭を執り、人材育成にも貢献した。 1913年、東京府生まれ。父は松山市出身の松平定振で、のち小木曽達三の養子となった。1940年、東京帝国大学工学部建築学科を卒業し、同大学院に進む。 1942年から立て続けに照明学会雑誌上で発表した昼光光源に関する多数の研究は「心理の探究」だったとしており、これは求道者としての姿をよく示すもので、理学的に見ても価値が高い研究となっている。
陸奥ノ洋 光司(むつのなだ こうじ、1913年6月1日 - … 陸奥ノ洋 光司(むつのなだ こうじ、1913年6月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は溝口弥二郎。最高位は十両14枚目。 青森県青森市出身。出羽海部屋に入門し、1931年3月に本名の「溝口」で初土俵を踏む。1938年5月に十両に昇進。この間四股名を「溝江」から「陸奥ノ洋」に変えた。新十両の場所は5勝8敗と負け越し、幕下に落ちてからは勝ち越すことなく1940年5月で廃業した。 溝口→溝江→陸奥ノ洋
井上 早苗(いのうえ さなえ、1913年(大正2年)5月31… 井上 早苗(いのうえ さなえ、1913年(大正2年)5月31日 - 2011年(平成23年)7月1日)は、日本の女子テニス選手。日本女子テニス連盟名誉会員。結婚前の岡田 早苗としても活躍した選手である。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。東京府立第二高女(現竹早高校)卒業。日本における「女子テニス」の草分けとして、1930年代から1950年代まで長く活動した。佐藤次郎の婚約者として知られるも、婚約中に佐藤を投身自殺によって失う。しかしその後ショックから立ち直り、1936年の「日米国際庭球戦」参加や全日本テニス選手権女子ダブルス6勝などの戦績を残した。 岡田は両親がテニス愛好家だったことから、幼年時代からテニスに親しんだ。
仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 197… 仮谷 忠男(かりや ただお、1913年5月30日 - 1976年1月15日)は、日本の政治家、衆議院議員(5期、自由民主党)。建設大臣(第37代)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県幡多郡上灘村(現土佐清水市)出身。高等小学校卒業後、家業の農業に携わる傍ら、漁師もしていた。清水町助役、以布利漁協組合長、県漁連副会長を経て1947年より高知県議会議員を4期、同議長も経験して超党派県政をスローガンに公正円満な議会運営で与野党問わず議員の人望を得た。1960年の第29回衆議院議員総選挙に高知県全県区から自由民主党で立候補し、当選する。自民党では佐藤派→田中派に所属する。農林政務次官、建設政務次官、衆議院農林水産委員長を歴任し、田中改造内閣で科学技術庁長官を要請されたが辞退し、1974年三木武夫内閣で建設大臣に就任する。
鈴木 永二(すずき えいじ、1913年5月29日 - 199… 鈴木 永二(すずき えいじ、1913年5月29日 - 1994年10月11日)は日本の経営者。位階は正三位。三菱化成元・社長。第6代日経連会長。
猪飼道夫(いかい みちお、1913年5月28日 - 1972… 猪飼道夫(いかい みちお、1913年5月28日 - 1972年1月3日)は、日本の運動生理学者。 愛知県出身。東京帝国大学医学部医学科卒。 1945年11月「頸反射の研究」で医学博士。 1950年お茶の水女子大学教授。東京大学医学部助教授を経て、1957年東大教育学部体育学科主任教授。 1958年から1年間米国に留学し、業績を挙げた。運動生理学の権威で1967年には国際体育会議の副会長も務めた。 1962年トレッドミル(自動式無限走行盤)を日本で初めて設置した。59歳で在任中に没。
井元 正流(いのもと まさる、1913年(大正2年)5月28… 井元 正流(いのもと まさる、1913年(大正2年)5月28日 - 2008年(平成20年)7月8日)は、昭和時代の政治家。医師。鹿児島県西之表市長。 西之表市出身。井元出千代・ヨ子の三男。1936年(昭和11年)東京医学専門学校卒業。 駿河台病院、立川飛行機病院に勤務。1943年(昭和18年)5月27日に応召され、近衛騎兵連隊附軍医となる。 1945年(昭和21年)9月6日をもって応召を終える。1946年(昭和21年)2月11日、西之表市に井元医院を開業。1951年(昭和26年)年4月23日から1955年(昭和30年)4月29日まで西之表町議会議員。1961年(昭和36年)12月23日から(昭和47年)1月12日まで西之表市教育委員会委員長。
木村 有恒(きむら ありつね、1913年5月27日 - 没年… 木村 有恒(きむら ありつね、1913年5月27日 - 没年不明)は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。山形県出身。 1937年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1962年7月に日産化学工業常務に就任し、1967年12月に専務を経て、1971年7月には社長に就任。1980年7月に会長、1986年7月に取締役相談役を経て、1988年6月には相談役に就任。 1986年11月に勲三等瑞宝章を受章。
工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 197… 工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 1974年12月11日)は、日本の中国語・文学者、東京大学名誉教授。 台湾台北州宜蘭市で小島義夫の子として生まれ、台湾総督府官吏の工藤清の養子となる。1932年台北高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。在学中より竹内好らの中国文学研究会に入る。1939年東京商科大学予科講師、1940年教授。1949年一橋大学助教授、1950年3月東京大学教養学部中国語助教授、1963年教授、1974年3月定年退官、名誉教授、同年12月に死去。 1950、60年代の数少ない東大教養課程中国語教員として、多くの学生を現代中国研究者へと導いた。
小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 198… 小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 1988年5月11日)は、日本の政治学者、中央大学名誉教授。英国保守主義のエドマンド・バーク、その論敵トマス・ペインを研究した。 徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。1939年東亜研究所研究員。1946年東京大学社会科学研究所研究員。その後、東京大学職員、法政大学法学部兼任講師を経て、1950年國學院大學政経学部助教授、1953年中央大学法学部助教授、1955年法学部教授、1962年「イギリス保守主義史研究」で中央大学で法学博士。1967年中央大学図書館長、1973年中央大学附属中学校・高等学校長、1974年日本政治学会理事長、1979年中央大学社会科学研究所初代所長、1984年中央大学定年退任、名誉教授、成蹊大学経済学部教授。
臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24… 臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24日 - 2004年(平成16年)5月20日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)。 岩手県大船渡市出身。高小卒。卒業後は、郵便局に勤務し、その後、気仙郡広田村役場に入り、書記となる。戦時中の1939年に召集され、4年後に帰還、復職し、収入役、助役となる。。戦後は盛岡市役所に転じ、文書、審査の各係長を務めた。1953年に市制施行後の大船渡市に戻り、市役所に勤務。福祉事務所長、産業、総務、財務の各課長を経て、収入役、助役となり、1976年、大船渡市長に当選した。市長は3期務め、3期途中の1986年に病気のため退任した。1987年秋の叙勲で勲四等瑞宝章受章。
鈴木 省三 (すずき せいぞう、旧名:若林 省三(わかばやし… 鈴木 省三 (すずき せいぞう、旧名:若林 省三(わかばやし せいぞう)、1913年5月23日 - 2000年1月20日)は日本のバラの育種家。京成バラ園芸所長。「ミスターローズ」と呼ばれた。 1913年東京府小石川に生まれる。1922年下落合に転居。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業後、東京府立園芸学校二部専修科(東京都立園芸学校)で造園、育種学などを学ぶ。園芸学校卒業後は園芸業者のもとで見習い、この頃からバラへの関心をもち始める。1938年に現在の世田谷区奥沢に「とどろきばらえん」開園。バラの生産と育種を始める。 戦後は「とどろきばらえん」を拠点に育種に取り組むほか、各地のバラの展示会に参加。
外山 八郎(とやま はちろう、1913年5月22日 - 19… 外山 八郎(とやま はちろう、1913年5月22日 - 1996年1月19日)は、日本におけるナショナルトラスト運動の先駆者、篤志家。 1913年、外山脩造の孫(脩造の長男の子)として和歌山県日高郡南部町(現みなべ町)に生まれる。祖父の脩造は長岡藩家老河井継之助に抜擢されて藩の財政改革に携わった豪農であり、明治維新後には日本銀行大阪支店長、衆議院議員、阪神電鉄初代社長などを務めた実業家である。父は脩造の長男であったが、表舞台に出ることはなく南部町で隠棲したという。 1937年、東京帝国大学法学部卒業後、三菱海上火災保険に就職するが、同年12月に肺結核を発病したため、帰郷し白浜町などで療養生活を送る。
佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月2… 佐々木 直吉(ささき なおきち、1913年(大正2年)5月20日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。真珠湾攻撃において「甲標的」(特殊潜航艇)搭乗員として戦死した九軍神の一人。二階級特進により最終階級は海軍特務少尉。 島根県出身。出産前からの心臓病で直吉の出産4日目に死亡、7歳で父を失っている。酒屋、農業、石見焼製造を営む叔父夫婦に育てられ、小学校高等科を卒業。金物商や材木商に見習いとして勤めたが、短期間で帰郷。海軍を志望し、2度目の受験で合格。1932年(昭和7年)呉海兵団に入団した。 駆逐艦「薄雲」、「蔦」、「磯波」乗組の艦隊勤務のほか、潜水学校、水雷学校高等科を修了している。
富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(… 富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(大正2年)5月18日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の彫刻家、三洋電機の工業デザイナー。長崎県長崎市生まれ。叙従三位。 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部首席卒業。同校では北村西望、朝倉文夫、建畠大夢が教鞭をとっており、特に北村西望に師事した。〈在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」(長崎県美術館蔵)にて初入選して以来、日展を主な舞台に活躍した。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけ、3年連続で日展の特選を受賞〉。同研究科卒業。 1972年(昭和47年)日本芸術院賞受賞。
門井 八郎(かどい はちろう、1913年(大正2年)5月17… 門井 八郎(かどい はちろう、1913年(大正2年)5月17日 - 1993年(平成5年)4月12日)は、昭和期の作詞家。 茨城県下妻市渋井出身。門井英一、とく の五男として生まれた。1933年(昭和8年)下妻中学校(現茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校)を卒業。 逓信省東京逓信局などに勤務して経理事務を担当する傍ら詩作に励む。作詞家佐藤惣之助の門に入り厳格な指導を受けたあと、長谷川伸門下となって小説を学ぶ。 1953年(昭和28年)、長年勤めていた郵政省の職員を辞め、業界紙を手がける仕事を行う。後に作詞家となりテイチク専属となり、三波春夫の「チャンチキおけさ」、「船方さんよ」、アイ・ジョージの「赤いグラス」などのヒット曲を手がけた。
八木 米次(やぎ よねじ、1913年(大正2年)5月17日 … 八木 米次(やぎ よねじ、1913年(大正2年)5月17日 - 1992年(平成4年)12月5日)は、日本の政治家である。兵庫県西宮市長。兵庫県西宮市出身。息子は西宮市議・紙すき職人の八木米太朗。 昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業。1951年から8期にわたり西宮市議会議員を務め、議長も歴任。 1980年11月の西宮市長選挙に立候補し当選。3期12年にわたり市長を務め、全国初となる24時間ドクターカー制度の設置や、兵庫イアーバンクに整備など多くの業績を残した。 また、JR宝塚線西宮名塩駅設置にも貢献し、同駅の駅前広場には、記念碑がある。 従四位、勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
紺野 陽吉(こんの ようきち、1913年5月16日 - 19… 紺野 陽吉(こんの ようきち、1913年5月16日 - 1945年10月3日)は、山形県生まれの作曲家。 1913年、山形県西置賜郡東根村大字畔藤(現白鷹町畔藤)で生まれる。紺野家は祖父の代からの医者の家で、陽吉は男3人女3人の6人兄弟の次男であった。県立長井中学校 (現山形県立長井高等学校) を1931年に卒業し、上京する。親は医学の道を望んだが、本人は自分の好きな音楽の道へ進む。立教大学交響楽団やコンセール・ポピュレール (後の青年日本交響楽団) というセミプロ楽団でヴァイオリンを弾く。生活の糧は、当時さかんに発売されていたポピュラー音楽のレコード録音の伴奏者として得ていたものと考えられる。
瀧内 正(たきうち ただし、1913年(大正2年)5月16日… 瀧内 正(たきうち ただし、1913年(大正2年)5月16日 - 2006年(平成18年)6月11日)は、日本の政治家。都城市長を2期歴任した。 福岡県浮羽郡、のちの浮羽町(現うきは市)で生まれた。1934年(昭和9年)福岡師範学校を卒業。さらに1943年(昭和18年)明治大学法科を卒業。 1944年(昭和19年)1月、都城市役所に入所した。同市職組合長、資材課長、厚生課長、庶務課長、総務課長を歴任。1953年(昭和28年)都城市議会議員に選出され2期在任。1976年(昭和51年)都城市長に選出され2期在任した。 1976年、前市長の堀之内久男が衆議院議員総選挙出馬に無所属で出馬を表明したために、後任の市長を選出するための選挙を行う。