小川 安三(、1932年〈昭和7年〉9月6日 - 没年不明)… 小川 安三(、1932年〈昭和7年〉9月6日 - 没年不明)は、日本の元俳優、映画プロデューサー。埼玉県飯能市出身。 東宝の専属俳優。ふくよかな丸顔と小心的な表情が特徴。 ジャンルを問わず数多くの映画に出演。1980年のテレビドラマ『わが首相のベット ガン回廊の朝II』では、風貌がそっくり、と言うこともあって、大平正芳を演じた。 俳優引退後は映画製作会社「小川企画」を設立し、1993年、映画『虹の橋』では藤本賞・特別賞を受賞した。
清㟢 公正(きよざき きみまさ、1932年〈昭和7年〉9月5… 清㟢 公正(きよざき きみまさ、1932年〈昭和7年〉9月5日 - )は、兵庫県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1974(昭和49年)6月、兵庫県尼崎市にて失踪した。失踪当時、41歳であった。 1932年(昭和7年)9月5日生まれ。建築会社を経営しており、2人の娘の父親であった。体型は痩せ型で、身長は171ないし172センチメートルほど、体重は60キログラム前後であった。左足に10センチメートルほどの手術痕があった。 1974年(昭和49年)6月14日朝9時頃、彼は通常どおり作業着を着て、妻の作った弁当を持ち、「事務所に行く前に銀行に寄ってくる」と言い残して家を出た。
栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、193… 栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、1932年9月4日 - )は、日本の法学者。専門は、憲法・比較憲法学・ドイツ憲法。大阪市立大学名誉教授、上智大学名誉教授。ドイツ・フライブルク大学 名誉法学博士。ドイツ憲法判例研究会(独: Forschungsgesellschaft für deutsches Verfassungsrecht (FdV), Japan)設立者、2013年4月から名誉代表。福岡県門司出身。 略歴は以下のとおり。 指導教官は林田和博(wikidata)。水波朗からも指導を受けた。 ◎ 大学の紀要等において国内で公表されているものについては、国立情報学研究所(NII)の学術情報ナビゲータ,通称:CiNii(サイニィ)サイトの論文情報検索、図書・雑誌情報検索(複数著者である場合は検索結果を詳細表示)を用いると、概ねリストアップされることが確認できています。
福澤 武(ふくざわ たけし、1932年9月4日 - )は、日… 福澤 武(ふくざわ たけし、1932年9月4日 - )は、日本の実業家。三菱地所名誉顧問。元社長、会長等を歴任。日本国際フォーラム顧問。交詢社副理事長。福澤諭吉の曾孫。 東京都出身。諭吉の次男・福澤捨次郎(時事新報社長)を祖父、捨次郎の子・福澤時太郎の次男として生まれる。小学校5年のとき肺結核を患い、慶應義塾幼稚舎を卒業後は療養生活に入ったため、中学・高校へは行けなかった。23歳の時に病状が少しずつ快方に向かい、独学で大検を取り慶應義塾大学法学部に入学。1961年に同大学を卒業し、三菱地所入社。長く営業部門を歩みさまざまな実績を残す。1994年からは同社代表取締役社長を務め、2001年に同社代表取締役会長、2007年からは同社取締役相談役を務めている。
新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3… 新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年〈昭和7年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉12月19日)は、日本の政治家。元大宮市長(第16代 - 第18代〈最終〉)。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。また、大宮市長選挙に初の立候補をした時から、政令指定都市移行をいち早く打ち出した。まんが「大宮の歴史」 などの書籍を刊行し、大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった。
飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 20… 飯島 敏宏(いいじま としひろ、1932年9月3日 - 2021年10月17日)は、日本の演出家、テレビプロデューサー、脚本家。 東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。TBS、株式会社ドリマックス・テレビジョン(旧:株式会社木下恵介プロダクション、株式会社木下プロダクション)を経て、フリーであった。 東京都立小石川高等学校を卒業後、一浪したのち劇作家・加藤道夫への関心から1952年に慶應義塾大学文学部に入学。当時加藤は同大学文学部国文学科で教鞭をとっていたが翌年自殺。国文学科に進む意義を失って英文学科を選択した。在学中は放送研究会に所属し放送劇の脚本を執筆。放送劇コンクールで受賞者常連となる。大伴昌司や藤川桂介と知り合ったのもこのころ。
中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 20… 中山 典之(なかやま のりゆき、1932年9月3日 - 2010年2月16日)は、囲碁のプロ棋士。長野県上田市出身。日本棋院東京本院所属。1951年、長野県上田松尾高等学校卒業。1953年、鈴木五良八段に入門。1962年入段。1992年六段に昇進。 アマチュア出身であり、入段が遅かった。タイトル戦などには縁がなかったが、文才に長け、『実録囲碁講談』『囲碁の世界』など囲碁界に関する多数の著作がある。またライターや編者としての100冊以上の棋書の編纂を行った。若い頃は名記録係といわれ、読売新聞の観戦記者である山田覆面子に重用された。アマチュアへの指導に高い評価があり、1982年からほぼ毎年海外に出て囲碁の普及に努めた。
和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年… 和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年2月8日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。愛媛県宇和島市出身。男性。 主にアニメソングや演歌の作・編曲家として知られている。アニメの代表作としてはタツノコプロ製作アニメーション作品のコロムビアレコードの作曲、編曲を多数手掛け『紅三四郎』(丘灯至夫 詩 堀江美都子 唄)、『ハクション大魔王』のエンディング曲『アクビ娘』や『昆虫物語みなしごハッチ』のエンディング曲『ママをたずねて』などがある。 その一方で『会津の小鉄』(作詞:松島一夫 = 宮川左近ショー 、唄: 京山幸枝若 、1967年 キングレコード)、また「ご当地ソング」の先駆けともなった『新宿ブルース』(作詞:滝口暉子、唄: 扇ひろこ 、1967年日本コロムビア)など演歌の大ヒット曲も同時期に手掛けている。
鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 … 鶴岡 洋(つるおか ひろし、1932年〈昭和7年〉9月2日 - 2021年〈令和3年〉2月10日)は、昭和から平成期の政治家。衆院で1期、参院で4期計27年間務めた。 千葉県印旛郡酒々井町出身。千葉県立佐倉高等学校を経て1957年(昭和32年)早稲田大学商学部卒業。同年、日野自動車に入社し、その後、西武鉄道、国土計画で勤務した。公明党参議院議員辻武寿、同北条浩、衆議院議員竹入義勝、同斎藤実の各議員秘書、公明党衆参両院事務局長を務めた。 1969年(昭和44年)第32回衆議院議員総選挙に公明党公認で旧千葉2区から立候補し、初当選。1期務める(1972年および1976年では落選)。 1980年(昭和55年)第12回参議院議員通常選挙に旧全国区へ鞍替え立候補し当選。
佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 198… 佐藤 重臣(さとう しげちか、1932年9月2日 - 1988年2月27日)は、日本の映画雑誌編集者、映画評論家、映画コレクター、映画上映活動家である。「アングラのジューシン」と呼ばれた。
藤渡 辰信(ふじと たつのぶ、1932年9月2日 - 201… 藤渡 辰信(ふじと たつのぶ、1932年9月2日 - 2016年9月26日)は、元拓殖大学総長、前学校法人拓殖大学理事長。拓殖大学卒業、拓殖大学大学院修了。佐賀県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
稲生 永(いのう ひさし、1932年9月2日 - )は、日本… 稲生 永(いのう ひさし、1932年9月2日 - )は、日本のフランス文学者。立教大学名誉教授。ジェラール・ド・ネルヴァルを専門としたが、古典音楽に趣味が深い[要出典]。 大阪府吹田市生まれ。1957年東京大学文学部仏文科卒業。1962年から1964年までフランス政府給費留学生としてパリ大学に留学。1965年東京大学大学院博士課程中退。同年、同大学文学部助手、1966年明治学院大学専任講師、1969年同大学助教授。1970年立教大学文学部助教授、1975年同教授。1998年同大学定年退職、名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 … 大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 - 2005年〈平成17年〉9月29日、満73歳没)は、日本の元最高裁判所判事。位階勲等は正三位旭日大綬章。 1988年(昭和63年)10月11日、参議院内閣委員会にて、内閣法制局第一部長として次のように答弁している。「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えないというふうに考えておるわけであります。
白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1… 白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1日 - 2015年(平成27年)1月2日)は、日本の脚本家である。本名︰八住 利義(やすみ としよし)。市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。 1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄(1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。 中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。
鈴木 良一(すずき りょういち、1932年〈昭和7年〉9月 … 鈴木 良一(すずき りょういち、1932年〈昭和7年〉9月 - )は、日本の警察官僚。第14代警察庁長官。 東京都出身。私立芝中学校・高等学校を経て、1956年東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。 同期入庁に三島健二郎、宮脇磊介、大高時男、飯泉政雄などがいる。警察庁刑事局保安部長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、警察庁次長などを歴任し、平成2年(1990年)12月7日、警察庁長官に就任。湾岸危機対策室を設置したほか、雲仙普賢岳の噴火に際して陣頭指揮にあたった。また、ライフワークとしての暴力団排除に力を注ぎ、「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」の公布、コカイン情報センターの設置などを強いリーダーシップで推し進めた。
鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 … 鈴木 良一(すずき りょういち、1932年(昭和7年)9月 - )は、日本の警察官僚。警察庁長官を務めた。
金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2… 金丸 文一(かなまる ふみかず、1932年8月31日 - 2009年7月13日 )は、日本の化学者。専門は、無機材料化学。博士(理学)。大阪大学名誉教授。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校、大阪大学理学部化学科卒業。同大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻修士課程修了。 1963年(昭和38年)「アルカリ土フェライトの結晶化学的研究」で、大阪大学より理学博士の学位を修得。 大阪大学産業科学研究所では、当時超高圧力(~5GPa)技術の材料科学への応用が始まった時期で、超高圧発生装置を利用して、2GPa、1000℃までの高酸素圧下での物質合成(高原子価化合物など)にも新しい遷移金属酸化物の合成、物性評価を行うことに成功する。
内田 至(うちだ いたる、1932年8月31日 - 2024… 内田 至(うちだ いたる、1932年8月31日 - 2024年9月28日)は、日本の水産生物学者。 東京渋谷生まれ。東京水産大学増殖科卒、1975年「太平洋産アカウミガメの資源生物学的研究」で東京大学農学博士。江ノ島水族館勤務、東京水産大学助手、1966年姫路市立水族館長となり、名古屋港水族館館長を務め、2008年退任。姉は現代舞踊家の内田裕子(1930-2016)。
水橋 晋(みずはし すすむ、1932年8月30日 - 200… 水橋 晋(みずはし すすむ、1932年8月30日 - 2006年2月20日)は、日本の詩人。富山県滑川市生まれ。中三で富山県在住の高島順吾に師事。慶應義塾大学文学部仏文科卒。 大学で江森國友、堀川正美、三木卓らと『氾』に拠る。1997年『大梟を夫にもった曾祖母』で第15回現代詩人賞受賞。久地 良(くじ りょう)のペンネームで童話も多数執筆。1974年『はさみでじょきじょき』は日本童話会賞を受賞。主な作品に1982年『くまとひこうき』(学習研究所)、1982年『でんぐりやまはおおさわぎ』(学習研究所)、1988年『まじょのくにのなつ』(学習研究所)など。
阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30… 阪上 順夫(さかがみ のぶお、1932年(昭和7年)8月30日 - )は、日本の政治学者、教育学者、政治評論家、東京学芸大学名誉教授。専攻は選挙制度論、政治教育論。 東京市(現品川区)出身。東京教育大学文学部法律政治学科卒業、1961年東京都立大学 (1949-2011)大学院政治学専攻博士課程満期退学、東京学芸大学助教授、教授。1999年「現代における政治教育の研究」で筑波大学教育学博士。1996年定年退官、名誉教授、松阪大学教授。2004年退職。
小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2… 小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2022年8月25日)は、北海道常呂郡置戸村(現・置戸町)出身の日本のアニメーション美術監督。小林プロダクション元代表取締役。神戸芸術工科大学客員教授。 北海道の寒村の7人兄弟に生まれる。幼少期は自然よりも人間や動物や兵器のほうをよく描いていたが、中学生から自然の風景を描き始める。武蔵野美術大学卒業後、小学校の美術教師を経て1964年に東映動画入社、1967年に現代製作集団に移籍。1968年に小林プロダクションを設立。『ど根性ガエル』、『ガンバの冒険』、 『元祖天才バカボン』、『あしたのジョー2』、『侍ジャイアンツ』、『ルパン三世 カリオストロの城』、『魔法の天使クリィミーマミ』、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『天使のたまご』、『お伽草子』などの作品で美術監督を歴任した。
青木 茂(あおき しげる、1932年(昭和7年)8月30日 … 青木 茂(あおき しげる、1932年(昭和7年)8月30日 - 2021年(令和3年)11月15日 )は、日本の美術史家。 岐阜県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。東京芸術大学図書館・芸術資料館勤務、神奈川県立近代美術館学芸員、跡見学園女子大学教授、町田市立国際版画美術館館長、文星芸術大学教授。明治美術学会会長。 高橋由一を主として近代美術を研究。1986年には『明治洋画史料 記録篇』で芸術選奨受賞。
村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 20… 村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 2021年6月19日) は、日本の男性演歌歌手。 秋田県鹿角郡尾去沢町(現鹿角市)出身。晩年は静岡県御殿場市に居を構えた。 当時、父親が働いていた三菱金属鉱業(現:三菱マテリアル)に入社。1967年に尾去沢鉱山(鹿角市)から直島製錬所(香川県香川郡直島町)に転勤。勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と出会う。 1972年、真木島人(まき しまんど)の芸名で、佐義の作詞作曲の「土方渡世/漁師一代」を出すが一部に注目されるだけで終わった。同年、再び佐義の作詞作曲、村木の唄で演歌「おやじの海」を500枚自主制作する。翌1973年、御殿場に転勤となり、「おやじの海」はその後、当人ですら存在を忘れかけていた。
幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、… 幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。 夫は音楽評論家で東京音楽大学名誉教授の三善清達。長女は中央線沿線文化に関する著書などの多いエッセイストの三善里沙子。 1953年NHK東京放送劇団に5期生として入り、舞台・放送で女優として活動。1976年の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」に出演。また、NHKラジオで主演した音楽詩劇「オンディーヌ」(三善晃作曲)で文部大臣賞、イタリア賞大賞受賞。 舞台で古典から現代文学作品までの朗読を続け、1977年から毎年「幸田弘子の会」を開催、樋口一葉を中心に、『源氏物語』や泉鏡花・森鷗外・夏目漱石・堀辰雄・瀬戸内寂聴の作品などを舞台で朗読。
森川 昭(もりかわ あきら、1932年8月29日 - 202… 森川 昭(もりかわ あきら、1932年8月29日 - 2026年2月3日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に俳諧。東京大学名誉教授。芭蕉や西鶴の資料考証の第一人者だった。 神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程中退。1957年戸山高等学校講師、1961年成蹊高等学校教諭、1965年愛知県立大学助教授、1970年成蹊大学助教授を経て、1976年東京大学国文科助教授、教授、1993年定年退官し名誉教授。同年より帝京大学文学部教授。2003年定年退職。
篠竹 幹夫(しのたけ みきお、1932年8月29日 - 20… 篠竹 幹夫(しのたけ みきお、1932年8月29日 - 2006年7月10日)は、日本のアメリカンフットボールの元選手および監督。日本大学名誉教授。全国大学王者通算17回と監督通算勝利数401勝は歴代1位。 神奈川県横浜市出身。日本大学高等学校(日大日吉)時代はラグビー選手として活躍したが、日本大学アメリカンフットボール部に入部。卒業後、コーチを経て、1959年に日本大学アメリカンフットボール部監督に就任。独特の指導法で知られ、特徴的なパス攻撃を繰り出す「ショットガン隊形」を導入。2003年3月、定年により退職するまでの44年間の監督在任期間中、17度の学生王座に導くなど、日大アメリカンフットボール部の黄金時代を築いた。
松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )… 松永 昌三(まつなが しょうぞう、1932年8月29日- )は、日本の歴史学者。専門は日本近代思想史。茨城大学名誉教授・岡山大学名誉教授。 1932年、三重県津市に大吞稔一・大呑イネ子の三男として生まれる。1951年3月、山口県立山口高等学校を卒業。同年4月に山口大学文理学部文学科に入学するも、9月に中退し、翌1952年4月に東京教育大学文学部史学科日本史専攻に入学する。1956年3月、同大学を卒業。 卒業後は、1956年より山口市立鴻南中学校教諭、宮野中学校教諭、宇部市立神原中学校教諭として勤務。1960年3月に神原中学校教諭を退職し、4月より母校の東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程に入学し、和歌森太郎、桜井徳太郎、家永三郎らに師事した。
木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、… 木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、日本の経営者。太平洋セメント社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本セメントに入社。1984年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1998年10月には太平洋セメント社長に就任。2002年4月に会長を経て、2008年6月には相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲二等瑞宝章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
道原 伸司(みちはら しんじ、1932年8月28日 - 20… 道原 伸司(みちはら しんじ、1932年8月28日 - 2025年8月11日[要出典])は、日本の空手家。 広島県因島市土生町生まれ。和道流の流れを汲む日本空手道教育研究会の最高師範であり、日本体育大学空手道部名誉師範、東京海洋大学名誉師範、公益財団法人全日本空手道連盟相談役、全日本空手道連盟九段。 日本大学空手部の出身であり、和道流の開祖であるに大塚博紀からも指導を受けた。 道原は中学2年生より空手を始め、師である村上麟祥から空手を学ぶ。日本大学経済学部へ進学し、村上麟祥の内弟子修行後、3年生から日本大学空手部に所属。当時の日本大学空手部は、和道流の大塚博紀が師範を務め、1学年先輩に真野高一や鈴木達夫、同期に荒川通や高島甫などが所属していた。
戸川 芳郎(とがわ よしお、1932年8月27日 - 202… 戸川 芳郎(とがわ よしお、1932年8月27日 - 2025年12月14日)は、日本の中国思想学者。東京大学名誉教授、二松學舍大学名誉教授。 1932年、大阪市浪速区生まれ。1944年に大阪府立今宮中学校に入学し、1950年に今宮高等学校を卒業。 1951年、東京大学教養学部文科二類に入学。1953年、東京大学文学部中国文学科に進学し、1955年に卒業。 卒業後、大阪に帰郷。同年死去した父の仕事を継ぎ、ラジオ公論社で『新ラジオ公論』の編集に携わるとともに、府立高校の国語科教員として働く。高校国語教育研究会で出会った重澤俊郎に触発され、1958年、京都大学大学院中国哲学史専攻に入学。1963年、京都大学大学院博士課程中退。
三好 甫(みよし はじめ、1932年8月27日 - 2001… 三好 甫(みよし はじめ、1932年8月27日 - 2001年11月17日)は、日本の計算科学・コンピュータ科学者。「FACOM230-75 APU」「NSシステム」「地球シミュレータ」と、長年にわたり最高性能のベクトル計算機による数値シミュレーションに多大な貢献をした。 東京都中野区出身。早稲田大学第一理工学部数学科卒業後、科学技術庁に入省。その後、航空技術研究所に所属し、航空宇宙分野をはじめとする数値シミュレーション技術を先導する。シミュレーション技術が航空宇宙開発に不可欠である事を見抜き、非線形偏微分方程式の数値解析手法の研究を進める。この研究の成果として、数値流体力学を宇宙航空研究開発機構のコア技術の一つとなる基盤を作った。
久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26… 久住 和麿(くすみ かずまろ、1932年〈昭和7年〉8月26日 - 2011年〈平成23年〉3月4日)は、日本の作曲家、合唱指揮者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市西区出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に新潟大学教育学部音楽科を卒業、東京芸術大学委託課程を修了。山田常三、石桁真礼生、松本民之助、柏木俊夫らに師事。 新潟大学教育学部音楽科教室助手、助教授を経て、1981年(昭和56年)から1年間、文化庁芸術家在外研修員としてアメリカのイェール大学宗教音楽研究所に留学、1982年(昭和57年)に教授に就任、1998年(平成10年)に退官。 2011年(平成23年)3月4日午前8時10分に新潟市西区寺地の済生会新潟第二病院で膵臓癌のため死去、78歳没。
丸山 高満(まるやま たかみつ、1932年8月26日 - 1… 丸山 高満(まるやま たかみつ、1932年8月26日 - 1989年2月11日)は、日本の自治官僚、税法学者。 佐賀県生まれ。1958年東京大学法学部卒。自治省に入り、1977年地域政策課長。78年税務局市町村税課長、82年府県税課長、企画課長。のち自治大学校副校長、85年福岡大学教授。88年「地方税の一般理論」で関西学院大学経済学博士。
生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 20… 生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、サッカー選手・指導者。選手時代のポジションはGK。 兵庫県立神戸高等学校を経て、関西学院大学に入学し、サッカー部に所属。全関学(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として鴇田正憲らと共に1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 大学卒業後に新三菱重工業(後の三菱重工業)へ加入。井上健や北口晃らと共に創設期の同サッカー部を牽引し、1956年の都市対抗選手権準優勝、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。 日本代表としては竹腰重丸監督時代の1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。
吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 -… 吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 - )は日本の光学設計者、実業家。元ニコン社長・会長。
高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015… 高田 宏(たかだ ひろし、1932年8月24日 - 2015年11月24日)は、日本の編集者・作家・随筆家。多くの著書がある。 京都市出身で石川県加賀市育ち。石川県立大聖寺高等学校、京都大学文学部仏文学科卒業。 1955年に光文社に入社し雑誌『少女』の編集者となる。のち雑誌『マイホーム』の創刊に関わる。1962年にアジア経済研究所入社して雑誌『アジア経済』の編集長となる。 1963年エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)PR課に入社。 1964年からPR誌『エナジー』を編集者として創刊して、11年間、編集者をつとめる。大学時代の友人の小松左京や、梅棹忠夫などの京大人文研のメンバーに多く執筆を依頼し、PR誌を越えた雑誌として評価された。
坂田 勝(さかた まさる、1932年8月24日 - )は、日… 坂田 勝(さかた まさる、1932年8月24日 - )は、日本の機械工学者。東京工業大学名誉教授。元拓殖大学学長。元カリフォルニア大学バークレー校スプリンガー卓越教授。 広島県深安郡大津野村(現福山市大門町)生まれ。1952年広島県福山東高等学校(現広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1956年東京工業大学機械工学課程卒業、三菱日本重工業入社。1957年東京工業大学精密工学研究所機械力学研究室助手。 1964年東京工業大学工学博士。1965年東京工業大学理工学部助教授。1968年日本放送協会総合技術研究所嘱託。1969年カリフォルニア大学バークレー校客員研究員(文部省在外研究員)。1975年東京工業大学工学部教授。
神崎 安隆(かんざき やすたか、1932年8月24日 - 1… 神崎 安隆(かんざき やすたか、1932年8月24日 - 1985年)は、広島県出身のプロ野球選手(捕手)。
川桐 信彦(かわぎり のぶひこ、1932年8月24日 - )… 川桐 信彦(かわぎり のぶひこ、1932年8月24日 - )は、日本の詩人、文筆家。東大寺乱(おさむ)の筆名を持ち文芸活動を行う。 熊本県出身。1959年慶應義塾大学文学部美学科卒、1960年日本PKO映画でコピーライターとして映画宣伝に携わる。その後東京神学大学卒業、京都大学大学院修士課程修了。 1968年日本リーダーズダイジェスト社勤務。1971年東横学園女子短期大学講師、劇団「黒」主宰。1972年細田久雄と共同で表現舎を設立。 1973年カツヤマキカイ取締役、1983年ベロメタル・ジャパンを設立し社長。 2005年「ティリッヒの芸術神学」で京大文学博士。
和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月… 和野内 崇弘(わのうち たかひろ、1932年(昭和7年)8月24日 - 2016年(平成28年)10月17日)は、日本の教育学者。元静修女子大学・静修短期大学学長。元学校法人札幌国際大学理事長。北海道浦河郡浦河町出身。 この他、北海道観光審議会副会長や北海道総合保養地域整備推進委員会副委員長、本私立短期大学協会副会長、全国大学実務教育協会会長、財団法人短期大学基準協会理事、北海道経済財政懇話会委員などを歴任した。 労働問題や余暇問題と教育との関連性や、地域開発と教育の関連性に関する研究 『新訂 現代日本人名録2002』(日外アソシエーツ編集・発行、2001年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
明石 寿々栄(あかし すずえ、1932年8月24日 - 20… 明石 寿々栄(あかし すずえ、1932年8月24日 - 2013年8月13日)は、落語協会に所属していた音曲師。本名は鈴木 登代子。 11歳の頃より琵琶を習い、戦後は宗家山に錦堂師についていた。 羽田の米国空軍基地の教育センターで教育アドバイザー、秘書として7年間勤務したのち、1957年9月、テネシー州フリード・ハーディマンカレッジに奨学資金を得て留学する。1958年、テキサス州ラバック・クリスチャン大学に引き抜かれて移籍し、1959年、A.A.学位を得て卒業。 帰国数年後、子供の頃より憧憬を持っていた三味線音楽に没頭し、民謡・端唄・俗曲・鳴物など、各分野において師範となる。1994年、落語協会に入会。
鶴田 欣也(つるた きんや、1932年8月23日 - 199… 鶴田 欣也(つるた きんや、1932年8月23日 - 1999年11月8日)は、日本出身の日本文学研究者。ブリティッシュコロンビア大学(UBC)教授を務めた。 東京生まれ。幼くして実母と死別、継母に育てられた。上智大学英文科卒業後、米国へ留学中、実父が死に天涯孤独の身となる。ワシントン大学で芥川龍之介についての博士論文を書き、トロント大学助教授を経て1973年から1993年までブリティッシュコロンビア大学教授。国際日本文化研究センター外国人教授、龍谷大学教授を務めた後、死去。最後はカナダ国籍だった。教え子に萩原孝雄、榊敦子、小谷野敦らがいる。 もっぱら川端康成を研究対象とし、1990年以降は平川祐弘とともに多くの国際シンポジウムを開催した。
阪本 良男(さかもと よしお、1932年8月22日- 200… 阪本 良男(さかもと よしお、1932年8月22日- 2007年11月29日)は、日本の精神科医、阪本精神病理学研究所名誉所長。 坂本病院の阪本三郎の三男として大阪府に生まれる。兄は阪本健二。1956年京都大学農学部卒、1960年大阪市立大学医学部卒。1965年大阪市立大学医学博士。1971年杏林大学精神科助教授。阪本精神病理学研究所長、名誉所長。
村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月2… 村上 正邦(むらかみ まさくに、1932年〈昭和7年〉8月21日 - 2020年〈令和2年〉9月10日)は、日本の政治家。 福岡県嘉穂郡出身。拓殖大学卒業後、参議院議員秘書を経て、1980年、参議院議員選挙に全国区から出馬し初当選。参議院議員を4期務め、労働大臣、自由民主党参議院議員会長、同党参議院幹事長、志帥会会長(初代)などを歴任した。在職中は参議院自民党において多大な影響力を持ち、「タカ派」「参院のドン」と呼ばれていた。 1932年、福岡県嘉穂郡に生まれる。父・要蔵、母・タネヨの次男。両親とも愛媛県西条市の出身であった。のちに地元の支持者が調べたところによると、先祖は西条藩に仕えた村上四郎左衛門忠朝という人物で、さらにさかのぼると村上水軍に発しているという。
林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日… 林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日本の教育心理学者。障害児教育に当たった。 長野県長野市生まれ。東京教育大学教育学部卒、同大学院教育心理学博士課程満期退学。青鳥養護学校、桐丘養護学校勤務ののち、静岡大学教育学部助教授、教授、1996年定年退官、目白大学人文学部教授、2003年退職。1976年「「こども」の精神療法における言語表現の問題」で神戸大学より医学博士の学位を取得。
木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日… 木下 博(きのした ひろし、1932年(昭和7年)8月20日 - )は、日本の政治家。元埼玉県入間市長(5期)。 1951年3月埼玉県立豊岡実業高等学校(現埼玉県立豊岡高等学校)卒業。小林駿介東京農工大学名誉教授は同級生。同4月、豊岡町役場に就職。1956年、豊岡町の武蔵町への移行に伴い、武蔵町役場職員。1966年、武蔵町の市制移行により入間市職員。入間市企画部長や助役を務める。 1992年、水村仁平入間市長の引退に伴い、水村から後継指名を受け、自民・社会・公明・民社の与野党及び連合埼玉の推薦で入間市長選挙に出馬し、初当選を果たした。1996年の市長選でも自民・新進・社民・連合埼玉の推薦を受け、与野党の枠を超えた事実上のオール与党体制の下、再選。
吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 200… 吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 2006年1月27日)は、元日本相撲連盟会長・九州電力副社長。大分県湯布院町(現由布市)出身。 1956年、九州大学経済学部を卒業。卒業後、九州電力に入社。資材部長、常務を経て1993年に副社長に就任。1997年から2002年まで顧問を務めた。2000年から2002年まで九州大学経済学部同窓会会長。ほかに、九州・山口経済連合会副会長、九州・山口経済連合会専務理事、九州国立博物館設置促進財団募金活動推進本部長、西日本新聞モニター会議委員、福岡経済同友会幹事などの要職を歴任した。特に九州国立博物館の建設に当たっては、募金活動推進本部長として奔走し、41億円の募金を集めた。
五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )… 五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )は、日本の人権派弁護士。山梨学院大学教授を務めた。 群馬県出身。旧姓藤井。1957年中央大学文学部卒、1962年同法学部卒。法学者風早八十二と結婚し、風早二葉を名乗るが、その後離婚。五十嵐氏と結婚し、現在に至る。 ロス疑惑事件の弁護を担当しマスコミで有名になるが、その後三浦和義と対立し解任に追い込まれる。後に三浦について「子供がそのまま大人になったような人。」と酷評し物議をかもした。一連のオウム真理教事件の際、長女を拉致した容疑で逮捕・起訴された鹿島とも子の弁護などを担当した。
白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日… 白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日 - )は、国文学者、愛媛大学名誉教授。愛媛県松山市生まれ。1955年愛媛大学教育学部中等教育国語科卒業、愛媛県立松山東高等学校教諭、1962年新居浜工業高等専門学校講師、1974年愛媛大学教育学部助教授、78年教授。1997年定年退官、名誉教授、松山東雲女子大学教授。2003年退職。第26回河竹賞受賞。愛媛出版文化賞受賞。2012年4月瑞宝中綬章受章。
西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉… 西川 順之助(にしかわ じゅんのすけ、1932年〈昭和7年〉8月19日 - 2024年〈令和6年〉3月15日)は、日本のバレーボール選手、新聞記者、実業家。三重県松阪市出身で、中日新聞社名古屋本社事業局長、取締役、常務を務め、2001年(平成13年)10月10日から2011年(平成23年)3月25日まで中日ドラゴンズ球団代表取締役社長を務めた。 早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた。 大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した。