小田島 春樹(おだじま はるき、1985年 - )は、日本の… 小田島 春樹(おだじま はるき、1985年 - )は、日本の実業家。北海道函館市出身。 日本大学商学部でマーケティングと会計学を専攻。大学卒業後、大手通信企業に入社、組織人事や新規事業・営業企画に従事する。 2012年、妻の実家が営む三重県伊勢市の老舗飲食店「有限会社ゑびや」に入社。店長、専務取締役を経て、2017年、代表取締役社長に就任。ビッグデータの活用による来客予測や、AI、IoT等のIT技術を積極的に導入し、経営革新を進める。 2016年、三重大学大学院 地域イノベーション学研究科に進学、地域の課題解決に関する研究に取り組む。2018年、同研究の社会実装のため、サービス業向けデータ解析サービスプロダクトを手掛ける株式会社EBILABを設立。
高野 勇斗(たかの はやと、1982年8月1日 - )は、日… 高野 勇斗(たかの はやと、1982年8月1日 - )は、日本の政治家・実業家。立憲民主党所属の江東区議会議員(1期)。株式会社チャプターエイトの代表取締役社長。 北海道函館市生まれ。高校卒業まで函館市で過ごし、早稲田大学を卒業後、2007年にインターネット広告代理店大手のアドウェイズに入社。2015年に株式会社チャプターエイトを創業。2023年4月の江東区議会議員選挙で初当選。
綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本の… 綾部 和(あやべ かず、1965年8月6日 - )は、日本のゲームクリエイター・実業家。ぼくのなつやすみシリーズの企画・脚本・ゲームデザイナーとして知られる。株式会社ミレニアムキッチンおよび株式会社惑星プロジェクト代表取締役。2014年以降は火星カレーなどの飲食プロデュースも行っている。北海道函館市生まれ。 東京デザイナー学院アニメーション科を卒業後、グラフィックデザイナー・プログラマとして、NMKおよび木村初(キム皇)の作品などに参加。『エスパ冒険隊 魔王の砦』『ザ・ラストバトル』など個性的なゲームのプログラミングを担当した。『落っことしパズル とんじゃん!?』や『ベリウスII~復讐の邪神~』では音楽も担当している。
吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本… 吉村 元久(よしむら もとひさ、1964年4月9日)は、日本の実業家。ヨシムラ・フード・ホールディングス創業者。同社代表取締役CEOとして食品メーカーのM&Aなどを行い、楽陽食品取締役、とかち麺工房監査役等も務める。 北海道函館市出身。1983年北海道札幌南高等学校卒業。1988年一橋大学商学部卒業、大和証券入社。大学では金融論を専攻し卒業論文「期待と投機の経済分析」は電通総研に50万円で売却した。1994年ペンシルヴェニア大学ウォートン・スクール修了、経営学修士(MBA)。 大和証券資産証券部課長代理として債権流動化スキーム開発に従事するなどしたのち、1997年からモルガン・スタンレー証券事業法人部エグゼクティブ・ディレクターとしてコーポレート・ファイナンス業務に従事。
小林 敬(こばやし たかし、1957年11月22日 - )は… 小林 敬(こばやし たかし、1957年11月22日 - )は、北海道函館市出身の実業家。 函館市出身。函館有斗高等学校卒業、その後大阪府のあべの辻調理師学校を卒業後、フランス料理店に勤務。1979年、地元函館に戻り料理店「らんぷ亭」を開業。1982年、再び大阪に戻り、フランス料理店に勤務する一方、食肉卸売業者でシステムエンジニアとしてオフィスコンピュータのシステム開発に関わる。1988年、「食べて得する料理家 庵」を開業。1991年、小林事務所を設立。「新和風料理 庵」など数々の飲食店を全国に展開していた。 2005年には長崎オランダ村の跡地を使った「食」のテーマパーク「キャスビレッジ」をプロデュースし、その親会社CASジャパンの取締役に就任。
細川 馨 (ほそかわ かおる、1957年10月15日 - )… 細川 馨 (ほそかわ かおる、1957年10月15日 - )は、日本の実業家、経営コンサルタント。ビジネスコーチ株式会社代表取締役社長。世界ビジネスコーチ協会資格検定委員、BCS認定プロフェッショナルビジネスコーチ。男性。北海道生まれ。 函館市出身。北海道函館北高等学校、1980年に駒澤大学経営学部卒業。セゾン生命保険(現:AIGエジソン生命)入社。1986年、営業所長。1994年、営業部次長。1998年、銀座支社長。2001年、営業推進部長 兼 支社開発室長。2002年9月末、セゾン生命を退職(同社が4月にエジソン生命に吸収合併されたのを機に)。プロコーチとして独立。2005年にビジネスコーチを設立し代表取締役に就任。
青木 仁志(あおき さとし、1955年〈昭和30年〉3月19… 青木 仁志(あおき さとし、1955年〈昭和30年〉3月19日 - )は、日本の実業家、経営者。人材教育コンサルティング会社、アチーブメント株式会社を設立し、代表取締役会長 兼 社長を務める。 北海道函館市生まれ。 3歳の頃に両親が離婚し義理の母に育てられる。その後、実母に会いたい思いで17歳の頃に家出の形で東京へ向かい、履歴書の必要なかった溶接工見習いとなる。 19歳の頃、祖父への手紙の消印を手がかりに実母が見つける形で再会。再会後、御徒町で実母と喫茶店を経営。その後、喫茶店で知り合った会社社長が経営する商社に就職。
深澤 祐二(ふかさわ ゆうじ、1954年11月1日 - )は… 深澤 祐二(ふかさわ ゆうじ、1954年11月1日 - )は、日本の実業家。東日本旅客鉄道(JR東日本)取締役会長。公益財団法人日本交通公社評議員。 ・社長時代、ある区にて演説を行った際に乗務員数十名(見習い、指導含む)が聞いているにも関わらず、「あと10年後に、この仕事(運転関係)は無くなっている」と発言し叩かれた過去がある。
牧 泰昌(まき やすまさ、1953年〈昭和28年〉6月14日… 牧 泰昌(まき やすまさ、1953年〈昭和28年〉6月14日 - 2025年〈令和7年〉8月12日)は、日本の実業家、ラジオパーソナリティ。北海道函館市出身。
成田 和幸(なりた かずゆき、1953年4月20日 - )は… 成田 和幸(なりた かずゆき、1953年4月20日 - )は、北海道函館市出身の実業家。 函館市出身。函館有斗高等学校卒業、その後北海道産業短期大学卒業。昭和51年に東日本ハウス株式会社函館支店入社、平成2年函館支店長、平成6年に取締役北海道ブロック長兼支店強化推進部長、平成7年に取締役首都圏ブロック長兼横浜支店長、平成13年に常務取締役関東ブロック長兼首都圏ブロック長、平成14年に代表取締役社長に就任。同社内で営業成績全国1位を15回受賞、生涯受注実績棟数532棟で歴代1位を記録している。[要出典]
大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、… 大内 全(おおうち たもつ、1949年4月12日 - )は、日本の技術者、実業家。北海道電力取締役副社長を経て、北海道電気保安協会理事長や、北海道経済連合会会長を務めた。 北海道函館市生まれ。1972年北海道大学工学部卒業、北海道電力入社。取締役原子力部長、常務取締役泊原子力事務所長、常務取締役発電本部長、取締役副社長を経て、2011年北海道電気保安協会理事長。2014年から北海道経済連合会会長を務め、北海道新幹線延伸前倒し問題などにあたった。2015年から体調に問題が生じ2016年に退任した。北海道食産業総合振興機構理事長、北海道科学技術総合振興センター理事長等も歴任した。
山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2… 山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2日 - )は日本の経営者、ウイスキー製造者、技術者。ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 5人兄弟の末っ子として北海道函館市に生まれる。函館市立柏野小学校、函館市立的場中学校、函館ラ・サール高等学校を経て、1970年、北海道大学農学部卒業。 同年、ニッカウヰスキー入社。生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任、2002年、アサヒビール執行役員、2005年3月25日、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。2010年3月24日、同社代表取締役会長。同年4月1日、第4代マスターブレンダー就任。
新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - … 新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - )は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。北海道函館市出身。 函館東高校を経て、1972年に早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業し、同年に北海道新聞社に入社した。政治部記者として主に自民党を担当し、ワシントン特派員、帯広報道部長、旭川支社長、編集局長を歴任。2004年6月に取締役に就任し、2005年6月に常務、2006年6月に専務を経て、2008年6月から2013年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 2010年4月から2012年3月までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は… 平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。小僧com取締役会長。群馬県みなかみ町在住。株式会社ライブドアホールディングス代表取締役社長、弥生株式会社代表取締役会長、株式会社セシール取締役、小僧com代表取締役会長などを歴任した。 1946年1月6日北海道函館市で生まれ、埼玉県立大宮高等学校を卒業して早稲田大学第二文学部を中退し、1973年にアメリカン大学コミュニケーション学部ジャーナリズム学科を卒業した。在学中に読売新聞ワシントン支局でアルバイト勤務して渡邉恒雄と知り合う。 1973年ソニー株式会社、1973年から1978年ソニーコーポレーション・アメリカ、1978年から1983年ソニー本社海外事業部、1983年から1986年ソニーPC事業部、1986年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン、1986年から1990年パブリッシングディレクター、1990年から1992年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン副社長、1992年株式会社IDGコミュニケーションズジャパン代表取締役社長、1998年AOLジャパン株式会社代表取締役社長America Online, Inc.副社長、2000年インテュイット日本法人株式会社代表取締役社長兼CEO インテュイット副社長。
石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日… 石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日本の実業家。東海東京フィナンシャル・ホールディングス代表取締役社長、東海東京証券代表取締役会長。元中部経済同友会代表幹事。 北海道函館市で船員の子として生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、1968年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行、内田橋支店配属。1980年加州東海銀行出向。1987年国際財務開発室長。1992年欧州東海銀行頭取。1994年東海銀行取締役。1996年東海銀行常務取締役。1998年東海投信投資顧問取締役社長。2001年欧州東海銀行会長。2002年UFJインターナショナル会長。2003年UFJインターナショナル社長。
梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - … 梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - )は、日本の実業家。東急ホテルズ代表取締役社長や、ザ・キャピトルホテル東急代表取締役社長、国際ホテル・レストラン協会(IHRA)副会長などを務めた。 北海道函館市出身。1965年横浜国立大学経済学部卒業、東京急行電鉄入社。アメリカ合衆国での開発にあたり、ワシントン大学研究員、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員等を経て、1995年パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツプライベートリミテッド取締役社長に就任。1999年東京急行電鉄取締役調査役に昇格。2005年東急ホテルズ代表取締役社長。2008年東急ホテルズ取締役会長。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月1… 東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。 幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた。
高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-20… 高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-2006年5月17日 )は、日本の経営者。サッポロビール社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒(のちのサッポロビール)に入社した。1973年に経理部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1983年3月には社長に就任した。1989年3月に会長に就任し、1991年3月から相談役を務めた。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年5月17日下咽頭がんのために死去。80歳没。
中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2… 中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2007年1月15日)は、日本の実業家。中道機械株式会社および中道リース株式会社の創業者。 北海道函館市出身。後に北海道夕張市に移住し、幼少期を夕張で過ごした。夕張市立夕張第二小学校卒業。北海中学校を卒業する。 1945年機械販売と製作の中道兄弟商店を札幌に設立する。1950年1月19日株式会社に改組し、社名を中道兄弟機械株式会社と改称する。さらに、1963年1月社名を中道機械株式会社と改称。同社代表取締役社長。1963年札幌証券取引所に上場。1972年1月中道リース株式会社を設立し、リース部門に進出。同社代表取締役社長に就任。1985年中道リース代表取締役会長に就任。
小田 豊四郎(おだ とよしろう、1916年3月13日 - 2… 小田 豊四郎(おだ とよしろう、1916年3月13日 - 2006年8月3日)は、日本の実業家。六花亭創業者。北海道函館市出身。 旧制野付牛中学校(現・北海道北見北斗高等学校)卒業。父の事業の失敗で進学を断念し、1933年に母方の叔父・岡部式二が経営する札幌千秋庵に入社。 1937年にもう一人の叔父・岡部勇吉が創業した帯広千秋庵(現在の六花亭の前身)の経営を引き継ぐ。当初は同業他社が多かったことから苦戦を強いられる。だが、1939年に価格等統制令が敷かれ、他の店が砂糖不足で思うように商品を作れなくなった際、知人の会社社長の薦めもあり、前もって砂糖を大量に購入していたため、小田の店は従来どおりに製品を作ることができ、次第に客足が増えるようになった。
田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 … 田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 - 1953年〈昭和28年〉8月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 北海道函館区(現函館市)で生まれる。北海道庁立函館中学校(現北海道函館中部高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業した。興亜院嘱託となり、同技手、在北京大使館技手、同技師を歴任した。 その後、日本興行取締役、函館ミツワ商会取締役会長、大洋貿易社長、函館ドック顧問などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で北海道第3区から民主自由党所属で出馬して初当選。第25回総選挙で自由党所属で出馬するも次点で落選。
四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <… 四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <明治41年> 9月4日 - 1996年 <平成8年> 3月20日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。北海道函館市出身。長男は化学工学者で東北大学名誉教授の四ツ柳隆夫。 函館の資産家、四ツ柳亮策・イシの長男として生まれる。 函館市住吉小学校(現・青柳小学校)、旧制函館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。東京での生命保険会社勤務の後、肺結核に罹り故郷の函館に戻った後、1936年に帝国電力に入社、翌年には米屋を営んでいたヤエと結婚、5人の男児をもうける。1944年には乙種合格で徴兵され旭川通信隊を経て千島方面に配属が予定されるも五十音順で後の方になっていたことから配属漏れとなった。
徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 198… 徳根 吉郎(とくね よしお、1896年2月17日 - 1980年10月12日)は、日本の経営者。日本セメント社長を務めた。 北海道函館市出身。1914年に九州帝国大学応用化学科を卒業し、同年に浅野セメント(のちの日本セメント)に入社。1942年に取締役に就任し、常務を経て、1946年から1947年までと1948年から1949年9月までに社長を務めた。1949年9月には会長に就任した。 1970年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1980年10月12日、心筋梗塞のために死去。84歳没。
小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治… 小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治2年3月4日) - 1932年(昭和7年)8月14日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 箱館で商業・小橋宗七の子息として生まれる。1882年、函館商船学校を卒業。その後、東京に出て近藤塾で学んだが、当時の自由民権運動に共鳴し政治の世界に身を投じた。1883年、先輩と共に北海自由党を結成しようとしたが、当局からの妨害を受けて実現できなかった。1889年、『日刊北辰』を創刊。1894年1月、改めて政事新聞『めざまし』を創刊し、1898年、『函館日日新聞』と改題した。 1900年、平出喜三郎に協力して立憲政友会函館支部を創立して、その幹部に就任。
2代佐藤 栄右衛門(さとう えいえもん、1862年8月14日… 2代佐藤 栄右衛門(さとう えいえもん、1862年8月14日(文久2年7月19日) - 1917年(大正6年)1月23日)は、日本の政治家、漁業家、実業家。衆議院議員。幼名・幾太郎。 蝦夷地箱館(現・函館市)で佐藤重三郎の息子として生まれる。明治2年6月(1869年)、歌棄郡(現・寿都郡)の漁業家、初代・佐藤栄右衛門の養子となる。1885年に養父の隠退に伴い家督を相続し栄右衛門を襲名。歌棄郵便局長、歌棄水産物営業人組合納税委員、歌棄村惣代人、歌棄郡惣代人、歌棄水産組合頭取、学務委員、寿都外三郡聯合漁業組合副会長、歌棄水産税区会議員、歌棄水産組合組長、寿都外三郡水産組合聯合会組長、歌棄村会議員、寿都銀行頭取、寿都汽船取締役、寿都倉庫重役、後志興農監査役、北海道会議員などを歴任。