櫻井 陽夏(さくらい ひなた、2007年7月6日 - )は、… 櫻井 陽夏(さくらい ひなた、2007年7月6日 - )は、日本の女性アイドルで、SUPER☆GiRLSのメンバー。北海道深川市出身。エイベックス・マネジメント所属。 5歳となる2012年頃、地元である北海道の企業CMに出演したことがキッカケで芸能活動に興味を持ち、芸能養成スクールであるアクターズスタジオ北海道本部スターゲート校に通いはじめる。同校で歌や演技のレッスンを受けながら、melody♪melody、ストロベリーズといったスタジオ内のユニットでライブに出演したり、ソロでも出演したりした。またアクターズスタジオに通いながら他でもダンスレッスンやボイストレーニングを受けたり、キッズモデルとしてCMに出演したり子供服カタログのモデルをしたりしていた。
島 太星(しま たいせい、1998年1月29日 - )は、日… 島 太星(しま たいせい、1998年1月29日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントであり、ボーイズグループNORD、男女混合歌唱グループLove Harmony's, Inc.のメンバー。北海道深川市出身。身長179cm。血液型A型。ソニーミュージック、及びCREATIVE OFFICE CUE所属。 中学1年時に学校祭にて歌唱し高評価を受けたことをきっかけに歌う事の楽しさを知り、また民謡の全国大会で優勝経験を持つ祖母からアドバイスを受ける中で歌手への興味を持つ。その後高校2年で全道規模のカラオケ大会で決勝進出しソニー・ミュージックのスタッフに目をつけられる。 北海道深川西高等学校在学中の2015年、CREATIVE OFFICE CUEとソニーミュージックによる北海道男子限定オーディション番組『アオタガイ学園(札幌テレビ放送)にて優秀賞に選ばれ、2016年にボーイズグループNORDのメンバーとしてデビュー。
安田祐子(やすだ ゆうこ、1984年 - )は、日本の画家。… 安田祐子(やすだ ゆうこ、1984年 - )は、日本の画家。赤光社会員、春陽会会友。北海道深川市出身。 アクリル画や油彩画を中心に制作活動を続け、市内では学生時代から個展や二人展を開いてきた。事物が持つ二面性をテーマに描き続けている。
菊野 昌宏(きくの まさひろ、1983年2月8日 - )は、… 菊野 昌宏(きくの まさひろ、1983年2月8日 - )は、日本の時計師。独立時計師アカデミーの最年少メンバーでもある。 北海道深川市出身。子供の頃から機械仕掛けに興味があり、2歳の時点で自動車の取扱説明書を擦り切れるほどに読み、北海道深川西高等学校卒業後には陸上自衛隊に入隊して武器の解体・再組立の技術に興味を持ち小銃の修理を担当していた。その後、専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジで、新しい時計を作成するよりかは時計の修理に焦点を当てたコース(en:WOSTEP)に3年通った。代わりに、ジョージ・ダニエルズによる制作の手ほどき書であるウォッチメイキングを読んで独学し、次の3年を学校で教師として活動した。
加藤 理絵(かとう りえ、1980年8月8日 - )は、日本… 加藤 理絵(かとう りえ、1980年8月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 北海道深川市出身。小学校3年生よりバレーボールを始める。妹背牛商業高校を経て、1999年、Vリーグのパイオニアレッドウィングスに入団。チームは2003/04、2005/06シーズンに優勝。 2007年、ドイツのシュヴェリーンSCに移籍し、ドイツ・ブンデスリーガでプレーする初めての日本人選手となった。 2008年、スイスのプロクラブVCカンティ・シャフハウゼン(ドイツ語版)へ移籍。 2009年、他国のクラブへ移籍予定だったが、代理人トラブルに遭い破談となる。他クラブからのオファーを全て断っていた事もあり、所属チームを持たないまま日本で自主トレを続ける事を余儀なくされた。
木下 博勝(きのした ひろかつ、1968年1月20日 - )… 木下 博勝(きのした ひろかつ、1968年1月20日 - )は、日本の医師、タレント、ジャガー横田の配偶者。博士(医学)、鎌倉女子大学教授。 北海道深川市生まれ。北海道深川西高等学校、杏林大学医学部、東京大学大学院医学系研究科博士課程、2007年9月学位授与。癌研究会研究生、スマックガールリングドクター、東京大学医学部附属病院第一外科、埼玉県で所沢胃腸病院(現・佐々木記念病院)副院長、クリニック開業。 東京大学第一外科に勤務する2004年7月に、女子プロレスラージャガー横田と結婚。横田とは、女子総合格闘技スマックガールのリングドクターを務めていた際に、横田がトレーナーを務める“亜利弥’”から紹介された事がきっかけで知り合った。
石黒 達昌(いしぐろ たつあき、1961年9月5日 - )は… 石黒 達昌(いしぐろ たつあき、1961年9月5日 - )は、日本の小説家、医師、東京大学講師・文部科学省高等教育局医学教育課専門官・テキサス大学MDアンダーソン癌センター助教授などを経て、2020年現在は勤務医。 専門は医学教育・外科・消化器科・乳腺科、特に癌免疫、ジクロロ酢酸を用いた癌治療など。 「平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに……」(もともと無題の作品であるが便宜上作品の冒頭部分を題名として扱っている)はモキュメンタリー小説。ハネネズミという空想上の動物をノンフィクション風、横書き、表や写真入りで描くという斬新なスタイルを用い、大江健三郎や筒井康隆から、日本文学に新風を吹き込む作品であると評された。
田中 昌幸(たなか まさゆき、1961年〈昭和36年〉2月1… 田中 昌幸(たなか まさゆき、1961年〈昭和36年〉2月1日 - )は、日本の政治家。北海道深川市長(1期)。深川市議会副議長(第18代)、深川市議会議員(5期)などを歴任。 北海道深川市生まれ。市内の農家の出自で父の家系は太平洋戦争の戦災者が疎開や食糧の生産を目的に北海道に移住した拓北農兵隊で、1945年(昭和20年)に東京都から深川市に移り住んだ。田中が幼い頃は農業だけでは稼ぎが少なく冬になると父が本州へ出稼ぎに行くほどであった。その後、北海道深川西高等学校を経て室蘭工業大学工学部建築工学科を卒業し、1983年(昭和58年)に深川市役所に入庁。入庁後は建築畑を歩み、都市計画課建築係長などを歴任し、道の駅の設計などに携わった。
塚田 タカヤ(つかだ タカヤ - 本名:塚田高哉、1959年… 塚田 タカヤ(つかだ タカヤ - 本名:塚田高哉、1959年 - )は、北海道深川市生まれの音楽家。上川郡東川町在住。ピアノ調律師としての顔も持つ。 ソロ活動のほか、アコースティックバンド「たう」のメンバーとして音楽活動を展開。 交友関係は広く、台湾原住民のミュージシャンで<歌王>陳建年や、歌姫SAMINGAD/サミンガ、巴奈/パナイらとは朋友の間柄である。 アイヌ、在日、被差別部落民などのマイノリティにも友人を多く持ち、関係するイベントに数多く出演している。 日本、台湾で「アジア民族音楽祭」を主催(台湾は招聘)。2005年には韓国の民衆歌手鄭泰春、朴恩玉に招かれ、京畿道安山市にて、サハリン帰国者らを招待したコンサートを開く。
安念 潤司(あんねん じゅんじ、1955年8月12日 - )… 安念 潤司(あんねん じゅんじ、1955年8月12日 - )は、日本の法学者。中央大学名誉教授。弁護士(第一東京弁護士会、渡部晃法律事務所)。北海道雨竜郡納内村(現在の深川市)生まれ。
大西 晴樹(おおにし はるき、1953年3月10日 - )は… 大西 晴樹(おおにし はるき、1953年3月10日 - )は、日本の社会経済史学者。東北学院大学学長および学校法人東北学院院長。博士(経済学)(神奈川大学)。明治学院大学経済学部教授および同学部長、明治学院大学学長、学校法人明治学院学院長を歴任。専門はイギリス社会経済史、キリスト教史、ピューリタニズム。北海道深川市出身。
金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - … 金剛 正裕(こんごう まさひろ、1948年11月18日 - 2014年8月12日)は、北海道雨竜郡一已村(現・深川市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は北村 正裕(きたむら まさひろ、旧姓:吉沢)。得意技は右前褌、寄り。最高位は東関脇。 1948年に北海道で生まれる。兄弟と同じく運動神経が抜群で、特に音江中学校時代は野球で剛速球投手・4番打者として活躍し、北海高等学校から勧誘されるほどだった。しかし勉強が嫌いで進学意識が全く無かったことと、1963年の夏の巡業で訪れた大鵬幸喜に憧れて力士を志すようになり、兄弟の反対を押し切って深川ハイヤーの社長の協力で二所ノ関部屋に入門した。1964年5月場所で「大吉沢」の四股名で初土俵を踏んだ。
東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) … 東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) - )は、日本の実業家。東原興産代表取締役社長、札幌ばんけい代表取締役社長、太陽育成会理事長。 北海道深川市生まれ。札幌光星高等学校を経て、1966年(昭和41年)札幌短期大学商学科卒業。当初はトランペット奏者を志していたが、22歳のときに父が急逝し、家業の土建業を継ぐ。しかし結局会社は2年後に倒産してしまい、昼間はダンプカーの運転手、夜はススキノでトランペットを吹き、夜中にまたダンプカーで土砂運びという生活を30代後半まで続けた。 1988年(昭和63年)パチンコ産業の太陽グループ代表取締役社長・太陽流通代表取締役社長。1994年(平成6年)東原興産代表取締役社長。
志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
草原 克豪(くさはら かつひで、1941年 - )は、日本の… 草原 克豪(くさはら かつひで、1941年 - )は、日本の研究者。元文部官僚。拓殖大学名誉教授。専門は新渡戸稲造研究、文教政策。所属学会は日本高等教育学会。 北海道深川市生まれ。拓殖大学北海道短期大学学長・教授、拓殖大学外国語学部教授・副学長を歴任。妻は草原真知子。
河野 順吉(かわの じゅんきち、1938年3月30日 - )… 河野 順吉(かわの じゅんきち、1938年3月30日 - )は、日本の政治家。元北海道深川市長(4期)。 北海道雨竜郡深川町(現・深川市)出身。北海道一已農業高等学校(のち北海道深川農業高等学校、現・北海道深川東高等学校)卒。1967年、深川市議会議員に初当選し、7期連続当選し、この間に副議長も務めた。1994年に深川市長選挙に立候補し当選し、4期務める。この間、北海道市長会副会長、北海道高速道路建設促進期成会副会長、道央圏地域整備展開構想推進協議会会長、(財)北海道地域活動振興協会理事長を歴任した。2006年、4回目の当選直後、深川官製談合事件が起こり、収賄罪で逮捕され、市長を辞職、加重収賄罪に問われた。
高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、… 高野 繁男(たかの しげお、1934年6月29日 - )は、日本語学者、神奈川大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。上智大学大学院博士課程満期退学。1976年神奈川大学外国語学部助教授、教授、2005年定年、名誉教授。
松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日… 松山 照夫(まつやま てるお、本名:同じ、1932年9月8日 - )は日本の俳優。北海道深川市出身。北海道深川西高等学校卒業。特技は囲碁(4段)。 1955年、舞台芸術学院卒業後、劇団中芸に入団。初舞台は『松川事件』の赤間役。1956年、今井正監督の『真昼の暗黒』での犯人役で映画界にデビュー。以降も舞台を中心に、各社の映画作品に味のあるバイプレイヤーとして出演。1958年に風船ぐるーぷを結成。その後は東京俳優生活協同組合、東京演劇アンサンブル(旧 - 劇団三期会)、独立企画に所属していた。1970年代からはテレビドラマに活躍の比重を置き、時代劇や刑事アクションドラマのチンピラヤクザなど、江幡高志にも通じる小悪党的な悪役を様々に演じた。
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
小川 東洲(おがわ とうしゅう、1928年5月6日 - 20… 小川 東洲(おがわ とうしゅう、1928年5月6日 - 2022年9月26日)は、北海道深川市出身の書家。本名、小川昭三。世界各国で書展を開いたほか、北海道を中心とした数々の賞を受賞している。 1928年、北海道深川市生まれ。北海道第一師範学校(現北海道教育大学札幌校)卒業。1962年に「第3回北海道書道展」にて大賞を受賞する。その後1965年にはアメリカ合衆国のサンフランシスコにおいて個展を開き、同年ポーランドの名誉市民となる。1978年に当時の文部省より、芸術選奨新人賞を獲得。1980年にイタリア・ヴェネツィアで行われた「今日の書展」、同じく中国・北京で行われた「現代日本の書道展」の2つの書展で招待出品として作品を展示した。
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2… 唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。妻は筝曲家の中島靖子。 北海道深川市生まれ。父親は尺八奏者、母親は筝曲家。農業経済学者の唯是康彦は従弟。3歳から生田流筝曲を学ぶ。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学。宮城道雄に師事する。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース。
資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月… 資延 敏雄(すけのぶ びんゆう、1922年(大正11年)5月3日 - 2014年(平成22年)3月12日)は、高野山真言宗の僧。管長。金剛峯寺411世座主。高野山大学卒業。北海道深川市出身。 1922年(大正11年)、北海道深川市の真言寺に生まれる。1935年(昭和10年)、同寺にて乃村龍澄師(第55世大覚寺門跡)に従い剃髪得度。1949年(昭和24年)に高野山大学卒業。 北海道旭川市の金峰寺住職を経て、2002年(平成14年)から2006年(平成18年)まで金剛峯寺第411世座主と高野山真言宗の管長を務めた。 2014年(平成22年)3月12日、心不全のため死去。享年91。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) -… 藤岡 喜久男(ふじおか きくお、1921年(大正10年) - 2012年(平成24年)9月10日)は、日本の歴史学者・教育者。北海学園大学名誉教授。 北海道深川市出身。庁立旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)を経て、1942年横浜高等商業学校(現・横浜国立大学経済学部)卒業。庁立深川中学校(現・北海道深川西高等学校)教諭。1949年北海道札幌西高等学校教諭。1952年北海道大学文学部東洋史学科卒業。1954年同大学院文学研究科修了。同文学部助手。同非常勤講師を経て、1958年北海道札幌星園高等学校教諭。1972年北海学園大学法学部の専任講師として就任。1974年同法学部教授。1996年北海学園大学退職。
松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1… 松島 正幸(まつしま まさゆき、1910年2月25日 - 1999年10月29日)は、北海道雨竜郡一已村(現深川市)出身の洋画家。独立美術協会会員。また、全道美術協会創立に貢献。本名は正一、前半生の画号は正人を名乗る。日本各地、中国北部、ヨーロッパの風景を生涯描き続けた。 1910年、北海道雨竜郡一己村の屯田兵の家庭に生まれる。その後札幌市に移住。上京し、画家を志す。 1930年、『花を持てる少女』で二科展に最年少で入選。1935年、石見浜田藩主松平家9代当主松平武修の長女・松平鈴子(花を持てる少女のモデル)と大恋愛の末結婚。同年生まれた息子が昭和40年代頃に前衛画家であった交楽龍弾(まずらりゅうだん、本名松島正迪、のち松平武龍と改名)。
加藤 義秀(かとう よしひで、1901年〈明治34年〉1月2… 加藤 義秀(かとう よしひで、1901年〈明治34年〉1月2日 - 2002年〈平成14年〉10月)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 北海道雨竜郡一已村(現・深川市一已町)出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1930年(昭和5年)陸軍大学校第42期卒業。 フィンランド駐在武官、スウェーデン駐在武官、関東軍参謀、陸軍省兵務局防衛課高級課員を経て、1941年(昭和16年)7月、防衛総司令部参謀に補され、翌8月、陸軍大佐に進む。ついで、1945年(昭和20年)6月1日、第53軍参謀長となり、同月30日、陸軍少将に進んだ。済州島の守備に当たる中終戦を迎えた。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
杉村 キナラブック(すぎむら キナラブック、1888年9月1… 杉村 キナラブック(すぎむら キナラブック、1888年9月15日 - 1973年9月9日)は、北海道雨竜郡イチャン(現在の深川市一已)出身のアイヌ女性。雨竜村で育ち、結婚後は旭川市に移り住み、一生をそこで終えたため旭川のアイヌ文化伝承者として知られる。 アイヌ名のKinarapukをそのままカタカナ表記にするとキナラプㇰとなるが、一般的にはキナラブックという表記で知られる。Kinarapukは「蒲の節を手に取る」の意で、実際に彼女はチタラペ(蒲で編んだござ)作りの名人だった。 雨竜郡イチャン(一已)コタンに生まれる。父は稲高トンビン、母はイトモシマツ。妹の太田コウンテカン(和名シモ)もアイヌ文化伝承者として知られる。