西 秀記(にし ひでき、1964年3月5日 - )は、日本の… 西 秀記(にし ひでき、1964年3月5日 - )は、日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。実家は計測機器会社の「西衡器製作所」。 青森市立長島小学校、青森市立南中学校、青森県立青森高等学校を経て青山学院大学理工学部卒業。 大学卒業後はエンジニアとして東京都内にて精密機器メーカーに勤務。 1998年に帰郷し、家業の「西衡器製作所」に入社し、家業の発展に尽力しつつ、青年会議所活動や商工会議所の活動に積極的に参画し、青森市の振興発展へ向けた活動も広く展開するようになる。 2000年に「西衡器製作所」代表取締役社長に就任し、2011年に青森商工会議所副会頭に就任した。 自身が支持してきた青森市長の小野寺晃彦が2023年青森県知事選挙に出馬することを受けて、その後継に名乗りを挙げる形で市長選挙への立候補を検討。
神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本… 神 ひろし(じん ひろし、1962年9月4日 - )は、日本の政治家、元中京テレビ放送のアナウンサー。名古屋市議会議員(1期)。 本名:神 浩司(読み同じ)。青森県青森市出身。青森県立青森高等学校、茨城大学卒業。血液型B型。 大学卒業後、1986年に中京テレビにアナウンサーとして入社。入社以来、数多くの自社製作番組でスポーツ実況やキャスターなどを担当していたが、2007年6月18日付で報道局報道部へ異動した。後にアナウンス部の部長に就任した佐藤啓とは同い年だが、佐藤は他業種からの転職であるためアナウンサーとしてのキャリアは神の方が長かった。その後2017年まで報道部に異動していたので、現在は佐藤のキャリアが長くなっている。
山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本… 山中 泉(やまなか せん、1958年8月7日 - )は、日本の実業家、著述家、政治家。参政党所属の参議院議員(1期)。 1958年、青森県生まれ。1980年、青森県立青森高等学校卒業後に渡米し、イリノイ大学を卒業。ニューヨーク野村證券勤務後に起業。 2022年現在、東京都に在住し、都内と米国でコンサルティング会社を経営。日本メーカーの北米代表も務める。国際武道空手連合三浦道場師範代として空手を指導。生活者・納税者としての視点から、日本のメディアでは報道されない米国の社会をSNSで発信。 2024年10月、第50回衆議院議員総選挙に参政党公認で比例東北ブロックから立候補したが、比例東北ブロックで参政党は議席を確保できず落選した。
鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日… 鹿内 博(しかない ひろし、1948年3月4日 - )は、日本の政治家。青森県議会議員(7期)元青森県青森市長(2期)。青森市議会議員(3期)を務めた。 青森県青森市生まれ。青森市立原別中学校、青森県立青森高等学校卒業。高校卒業後、株式会社信行商会、青森県新生活協議会に勤務した後、1976年から1981年まで青森市社会教育委員を務める。1973年、1977年に青森市議会議員選挙に出馬するも落選し、1981年の青森市議選で初当選を果たした。1991年、青森県議会議員選挙に鞍替えし、当選。青森県議を5期務める。 2009年4月19日に行われた青森市長選挙に社会民主党・日本共産党の支持を受けて無所属で出馬。
山崎 力(やまざき つとむ 、1947年5月8日 - )は、… 山崎 力(やまざき つとむ 、1947年5月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の前参議院議員(3期)。参議院総務委員長、予算委員長、総務副大臣を務めた。祖父は衆議院議員・青森県知事を務めた山崎岩男、父は参議院議員・環境庁長官を務めた山崎竜男、また次女は青森県外ヶ浜町町長に当選した山崎結子(2017年4月24日就任予定、同県内初の女性首長)。
今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、… 今村 修(いまむら おさみ、1942年2月23日 - )は、日本の政治家。元社会民主党衆議院議員(1期)。 青森県青森市出身。法政大学法学部通信制卒。青森県労事務局次長、青森市議などを経て、1987年青森県議に当選。1993年の総選挙で旧青森1区から関晴正の後継者として日本社会党公認で立候補して当選。1996年の総選挙で落選。1999年の青森県知事選挙に立候補し落選。2000年、2003年の総選挙でも落選した。 2025年1月時点で社民党青森県連代表を務めている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021… 鳴海 正泰(なるみ まさやす、1931年9月3日 -2021年2月14日 )は、日本の政治家、政治学者、関東学院大学名誉教授。 青森県青森市生まれ。1954年東北大学文学部西洋史学科卒業後、東京都政調査会の研究員となる。飛鳥田一雄が横浜市長の時代に市政ブレーンとして参加し、市長特使として中国へ往復、「ヨコハマのナルミンジャ」と異名をとる。1980年関東学院大学教授、1997年定年、名誉教授となる。テニスの歴史にも詳しく、横浜山手・テニス発祥記念館館長を務めた。2021年2月14日死去。
古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月… 古寺 宏(こでら ひろし、1925年5月 - 1989年7月26日 )は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。
工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 198… 工藤 正(くどう ただし、1923年12月17日 - 1989年3月22日)は、日本の政治家。元青森市長(3期、当選は4回)。 青森県青森市出身。1948年、中央大学法学部卒業。同年、青森県庁に入庁し、2年後の1950年総理府に転じ、事務官となった。その後1961年に栃木県庁に勤務。1965年に自治省に出向した。翌1966年、青森県庁に復帰し、税務課長、総務部次長などを歴任し、1972年八戸市助役に就任し1975年まで務めた。退任後は保護司となった。 1975年、青森市長選挙に立候補するも落選。 1979年、青森市長選挙に再挑戦し初当選した。 1983年、再選。1984年、青森総合流通団地詐欺事件にからみ、助役が受託収賄容疑で逮捕される。
竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - … 竹中 修一(たけなか しゅういち、1918年4月20日 - 1997年7月31日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(5期)。青森県出身。経世会所属であった。
成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - … 成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - 1989年10月17日)は、青森県青森市出身のプロ野球選手、政治家。 青森中学校から専修大学へ進学も中退。仙台鉄道局から青森林友を経て1936年に東京巨人軍へ入団。選手としての才能はなかったが、何となく好感のもてる選手だった。1938年秋季頃に体調を崩し、療養に努めたが同年で退団。 1974年に青森市議会へ自由民主党から出馬し当選。4期議員を務めた。
名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18… 名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(2期)。父は内務官僚で、秋田県知事(官選)を務めた名尾良辰。 青森県青森市生まれ。名尾良辰の四男。1921年に浦和に移り、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業。 戦後に弁護士を開業する。1959年、埼玉県議会議員に当選。以来連続6期在任する。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
奈良岡 末造(ならおか すえぞう、1913年(大正2年)10… 奈良岡 末造(ならおか すえぞう、1913年(大正2年)10月31日 - 1995年(平成7年)12月31日)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森市出身。1931年、青森県立青森商業学校(現・青森県立青森商業高等学校)卒。卒業後は生家の米屋を手伝い、その傍ら、青森県信用組合連合会に勤務した。1947年、青森市議会議員に当選、4期16年務め、この間、1957年から4年間議長を務め、東北市議会議長会会長、全国市議会議長会副会長を歴任した。1963年に青森県議会議員に当選、1期務めた。1967年、社会党の推薦を受け、青森市長選挙に立候補し、現職の千葉元江を破った。 1971年4月25日、自民党公認の白鳥大八を破って再選を果たした。
中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月… 中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月22日 - 1974年(昭和49年)5月28日)は、日本の政治家。青森県八戸市の12代目市長。 1911年(明治44年)4月、 青森市に生まれる。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て、1930年(昭和5年)、青森県師範学校を卒業し、小学校で教鞭を執る。1941年(昭和16年)、 青森県庁に入庁。地方事務所長などを歴任する。1951年(昭和26年) 、青森県議会議員に立候補して初当選、連続四期在職する。農林商工水産農地副委員長、予算特別委員長、水産商工公安副委員などを経て、1961年(昭和36年)、 県議会副議長に就任。1964年(昭和39年)、東北電力(株)監査役に就任。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日… 千葉 元江(ちば もとえ、1909年(明治42年)1月15日 - 1992年(平成4年)11月5日)は日本の政治家。青森県青森市長(1期)。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)、官立弘前高等学校を経て、1933年、東京帝国大学法学部を卒業する。卒業後は陸軍に入り、翌年満期除隊。1937年に高等文官試験行政科に合格、翌年台湾総督府に入り、台中妙農林課長などを歴任した。太平洋戦争中の1942年に陸軍司政官となり、ビルマに派遣され、終戦を迎えた。1946年に復員した。 1947年、青森県庁に入り、人事課長、総務、商工水産の各部長などを経て、1949年に副知事に就任した。副知事は1952年まで務め、その後は青森県北洋漁業協同組合理事、同副組合長、鮭鱒漁業協同組合理事などを務めた。
横山 實(よこやま みのる、1903年(明治36年)11月5… 横山 實(よこやま みのる、1903年(明治36年)11月5日 - 1974年(昭和49年)8月14日)は日本の政治家。青森県青森市長(4期)。 青森県青森市出身。1923年、青森県師範学校卒。卒業後は小学校に勤務した。1936年、青森市会議員となり、1939年には青森県会議員に当選した。1944年に青森市助役となり、翌年まで務めた。その後、進歩党青森県支部幹事長となったが、1947年、青森市長選挙に立候補して当選、連続4期務めた。 市長在任中は、青森県体育協会会長、全国市長会理事、同副会長、東北六県市長会副会長、青森県市長会会長、青森市物産協会会長、青森県漁港協会会長などを歴任した。 1963年に市長を退任、同年藍綬褒章を受章。
柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11… 柿崎 守忠(かきざき もりただ、1900年(明治33年)11月5日 - 1977年(昭和52年)8月)は日本の政治家。青森県青森市長。 青森県青森市出身。青森県立青森中学校(現・青森県立青森高等学校)を経て、1933年、東京高等師範学校を卒業する。卒業後は青森中学、青森県女子師範学校各教諭、県視学官、青森市立高等女学校(現・青森県立青森中央高等学校)、青森中学、青森青年師範学校各校長などを歴任した。 1945年7月28日、青森市長に就任。市長就任当日に青森空襲が起こり、市内は焦土と化した。翌月に終戦を迎え、青森市に米軍が進駐、柿崎は進駐軍との折衝に当たらなければならなかった。市役所は空襲で焼失し、市公会堂を庁舎と使用していたが、進駐軍に接収された。
淡谷 悠蔵(淡谷 悠藏、あわや ゆうぞう、1897年〈明治3… 淡谷 悠蔵(淡谷 悠藏、あわや ゆうぞう、1897年〈明治30年〉3月22日 - 1995年〈平成7年〉8月8日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(6期)。 昭和期に活躍した歌手で、「ブルースの女王」の愛称で知られる淡谷のり子は姪にあたる。 1897年(明治30年)に青森県青森市で父・金蔵、母・まつの13番目の子(末っ子)として生まれた。実家は豪商「大世・阿波屋」を本家とする老舗の呉服店「大五呉服店」を営み、青森市長を務めた5代目・淡谷清蔵は母方の伯父にあたる。高等小学校卒業後は家業に従事しながら若山牧水系の歌誌「はまなす」で短歌を詠む。悠蔵は旧家の因習を嫌って新城村で農業を始め、この頃から盛んに文学同人誌に投稿する傍ら、武者小路実篤の「新しき村」運動に共鳴して青森支部を自ら立ち上げた。
4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23… 4代 千葉 伝蔵(傳藏、ちば でんぞう、1890年(明治23年)3月 - 1962年(昭和37年)12月29日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。青森県青森市長。青森県多額納税者。前名は覚郎。 白鳥鴻彰の三男として青森県東津軽郡荒川村(現青森市)に生まれる。1909年(明治42年)青森中学校を卒業し日本大学、大原簿記学校、津田英文簿記学校に学んだ後、帰郷する。青森市役所に奉職したのち1910年(明治43年)魚問屋・千葉家の養子となり、1919年(大正8年)前名を改め4代伝蔵を襲名した。1920年(大正9年)青森製氷の創立に当たって出資し取締役に就任、1922年(大正11年)東京共同水産取締役となり東京隅田運送の取締役も務めた。
小泉 辰之助(こいずみ たつのすけ、1875年〈明治8年〉1… 小泉 辰之助(こいずみ たつのすけ、1875年〈明治8年〉12月24日 - 1936年〈昭和11年〉5月29日)は、大正から昭和時代前期の政治家。衆議院議員。 青森県東津軽郡幸畑村(筒井村、筒井町を経て、現在の青森市)に生まれる。函館中学校を卒業し、警官、陸奥日報記者を経て、日月新聞を主宰後、政治家に転身する。1905年(明治38年)東平内村長となり、1909年(明治42年)まで在職。1907年(明治40年)には東津軽郡会議員、同議長を経て、1915年(大正4年)東津軽郡選挙区から青森県会に立候補し当選し、再選後議長に就任した。 県議に3選後の1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では青森県第5区から政友本党所属で出馬し当選するが、選挙後の訴訟に敗れて失格した。
工藤 鉄男(工藤 鐵男、くどう てつお、1875年8月5日 … 工藤 鉄男(工藤 鐵男、くどう てつお、1875年8月5日 - 1953年6月16日)は、大正・昭和期の日本の政治家。行政管理庁長官(第3代)。衆議院議員(7期)。参議院議員(1期)。 青森市出身。日本大学法学部を卒業後、二六新報、日本新聞にて記者を務める。日露戦争では従軍記者を務め、日露戦争後は日比谷焼打事件に連座したこともある。 その後ロンドン大学に学び、日大歯科医専講師などを経て青森に帰郷し、普選運動を展開する。1924年の第15回衆議院議員総選挙に憲政会から立候補し、青年団体などの支持を集め初当選する。以後通算当選7回。戦前は憲政会・立憲民政党に所属し、1931年の第2次若槻内閣で文部参与官、1938年の第1次近衛内閣にて厚生政務次官を歴任する。
工藤 善太郎(くどう ぜんたろう、1860年8月11日(万延… 工藤 善太郎(くどう ぜんたろう、1860年8月11日(万延元年6月25日) - 1932年(昭和7年)10月2日)は、明治から大正時代の政治家、地主、醸造家。衆議院議員(1期)。 のちの青森県南津軽郡大杉村(のち浪岡町、現在の青森市)に生まれる。地主で酒造業を兼業した。青森県師範学校卒業。1890年(明治23年)青森県会議員に当選し、通算5期14年在任したほか、1898年(明治31年)には県参事会員も務めた。ほか、大杉村会議員、南津軽郡会議員などを歴任した。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では青森県郡部から立憲政友会非公認で出馬し当選。1914年(大正3年)には政友会を脱党し、翌年の第12回総選挙では落選した。
6代 徳差 藤兵衛(とくさし とうべえ、1860年6月14日… 6代 徳差 藤兵衛(とくさし とうべえ、1860年6月14日(万延元年4月25日) - 1944年(昭和19年)10月19日)は、明治から昭和時代前期の政治家。衆議院議員(3期)。青森県東津軽郡筒井村長。 陸奥弘前藩領津軽郡原別村(青森県東津軽郡原別村を経て現青森市原別)の小笠原家に生まれ、筒井村(筒井町を経て現青森市筒井)の徳差家の婿養子となる。小学校教員、戸長、村連合会議員、学区会議員、同議長、学務委員、村会議員、東津軽郡会議員などを経て、1890年(明治23年)より青森県会議員を3期務めたのち1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙に出馬し当選した。第6回、第7回総選挙でも当選し衆議院議員を3期務めた。
阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日(安政… 阿部 政太郎(あべ まさたろう、1859年12月24日(安政6年12月1日) - 1934年(昭和9年)10月4日)は、青森市長、衆議院議員(立憲政友会)。号は波城。 陸奥国南津軽郡浪岡村(現在の青森県青森市)出身。1878年(明治11年)、青森県師範学校予科を卒業し、小学校教員となった。ついで青森県医学校監事補、青森県御用掛を務めた。その後、官を辞して上京し、明治法律学校(現在の明治大学)で学んだ。 帰郷後、南津軽郡会議員に選出され、さらに青森県会議員に選出された。1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その後、1917年(大正6年)と1925年(大正14年)の2度青森市長に選出された。
樋口 喜輔(ひぐち きすけ、1856年8月11日(安政3年7… 樋口 喜輔(ひぐち きすけ、1856年8月11日(安政3年7月11日) - 1933年(昭和8年)11月10日)は、青森県出身の政治家、実業家。 安政3年(1856年)、南津軽郡浪岡村(浪岡町を経て現青森市)に山内伝三郎の三男として生まれた。 一代で財を築き、当時の市財界の指導的立場に立つとともに、町政・市政にも関与。 明治25年に町会議員に当選して以来、20年にわたって町会・市会議員を務め、明治43年には市会議長に就任。明治45年には衆議院に当選(政友会)。 この間、青森港第2期拡張工事、水道事業の開始などに尽力。 大正10年青森貯蓄銀行(のち,みちのく銀行)を設立,頭取となる。他に、第五十九銀行監査役,青森電灯取締役などもつとめた。
5代淡谷 清蔵(あわや せいぞう、1846年11月11日(弘… 5代淡谷 清蔵(あわや せいぞう、1846年11月11日(弘化3年9月23日) - 1923年(大正12年)7月10日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、青森市長。幼名・清作。 陸奥国津軽郡青森(現青森県青森市)で、淡路島を祖とする呉服商「大世」の家に生まれる。成人となり家業に従事し、安方町組頭となる。1889年(明治22年)5月22日に清蔵と改名した。同年、青森町会議員に当選した。1891年(明治24年)、銀行に類似した「盛融会」(ため講)を創立。1892年(明治25年)にも町会議員に当選したが、1895年(明治28年)4月に辞職した。その後、商業会議所会頭、農工銀行取締役、青森電燈会社取締役、青森倉庫会社社長、青森貯蓄銀行専務取締役、青森銀行頭取、第五十九銀行取締役などを務めた。
大坂 金助(おおさか きんすけ、1845年11月26日〈弘化… 大坂 金助(おおさか きんすけ、1845年11月26日〈弘化2年10月27日〉 - 1925年〈大正14年〉3月12日)は、日本の政治家(貴族院議員、衆議院議員、青森市会議員)、青森県の大地主、醸造家、青森県多額納税者、資産家、実業家。青森商業会議所会頭。族籍は青森県平民。 陸奥国津軽郡蜆貝村(現・青森県青森市)出身。大坂彌吉の長男。漢学を修めた。幼くして両親と死別して孤児となった。一時ヤクザの世界に身を置いた。塩町に貸座敷・大金楼を開業した。のち酒造業、質屋を開いた。清酒醸造兼金銭貸付業を営んだ。 青森商業銀行、青湾貯蓄銀行、青森電燈会社、青森瓦斯会社などを設立した。青森商業銀行、青湾貯蓄銀行各頭取、青森電燈、青森倉庫、青森瓦斯各社長、青湾貯蓄銀行、歌舞伎座各取締役などをつとめた。
白鳥 慶一(しらとり けいいち、1840年(天保11年8月)… 白鳥 慶一(しらとり けいいち、1840年(天保11年8月) - 1913年(大正2年)5月5日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 のちの青森県東津軽郡荒川村(現青森市)の地主の家に生まれる。16歳にして戸長となり、浦町組の組長を兼ねた。のち青森県会議員を4期務めた。ほか、同常置委員を務めた。 1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では青森県第1区から無所属で出馬し当選。自由党革新派に所属し、青森の中心街にあった監獄を荒川村に誘致するとともに柳町と同村間に道路を敷設するなど功績を残した。
斉藤 里恵 は、日本の政治家、作家、元ホステス。自由民主党所… 斉藤 里恵 は、日本の政治家、作家、元ホステス。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。