小原 勝(おばら まさる、1964年〈昭和39年〉10月17… 小原 勝(おばら まさる、1964年〈昭和39年〉10月17日 - )は、日本の政治家。岩手県花巻市長(1期)。 岩手県花巻市生まれ。花巻市立南城小学校、花巻市立南城中学校、岩手県立花巻北高等学校卒業。1987年(昭和62年)に東北大学経済学部を卒業し、同年、岩手県庁職員となる。医療局経営管理課統括課長、総務部財政課総括課長、県土整備部副部長、医療局次長、医療局長、文化スポーツ部長を歴任する。2025年(令和7年)に岩手県庁を退職した。退職後1ヶ月間企業の役員を務めた。 2026年1月25日に行われた花巻市長選に立候補した。選挙戦では、約38年間の行政経験を強調した。元市議とNPO法人代表理事の2人を破り、初当選した。
木戸口 英司(きどぐち えいじ、1963年〈昭和38年〉8月… 木戸口 英司(きどぐち えいじ、1963年〈昭和38年〉8月21日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(2期)。岩手県議会議員(1期)、岩手県知事政務秘書、自由党幹事長代理・両院議員総会長・参議院国会対策委員長などを歴任。 岩手県花巻市生まれ。岩手県立花巻北高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て千葉大学法経学部経済学科に入学。大学卒業間際、就職が内定していたものの小沢一郎の事務所から誘いを受け、卒業後は同所に入所し、小沢の私邸に住み込んで秘書を務める。 2003年、岩手県議会議員選挙に自由党公認で花巻市選挙区から出馬し、初当選した。2007年の岩手県議会議員選挙に出馬したが、落選。
大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月2… 大石 満雄(おおいし みつお、1958年(昭和33年)6月27日 - )は、日本の政治家。元岩手県花巻市長(2期)。 岩手県花巻市出身。岩手大学大学院を修了後、旧花巻市議会議員を3期務め、2006年の合併による花巻市長選挙に立候補して当選する。2010年の選挙でも再選。2014年の選挙で上田東一に敗れ、落選した。
渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21… 渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21日 - 2015年〈平成27年〉10月15日)は、日本の政治家。岩手県花巻市長(3期)。 岩手県花巻市出身。1963年(昭和38年)日本大学法学部卒業。翌年岩手県庁に入る。自治省勤務を経て、岩手県地方課主任、財政課主査、同企画調査係長、千厩県税事務所長、千厩地方振興局総務部長、県総務部財政課長、総務部長を経て、県庁を退職。1996年(平成8年)花巻市長に当選。市長は2005年(平成17年)に合併するまで3期務めた。2005年12月31日に退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21… 村田 柴太(むらた さいた、1926年(大正15年)2月21日 - 2002年(平成14年)9月30日)は、日本の政治家。岩手県稗貫郡大迫町(現花巻市)長(9期)。岩手県議会議員(2期)。 岩手県稗貫郡大迫町に生まれる。旧制盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1950年早稲田大学政治経済学部卒。1951年旧大迫町議会議員に当選し、合併までの2期務める。1955年の合併後も町議会議員を2期務める。1960年大迫町長に当選。1988年まで8期連続で務める。町長時代は特産品のブドウ栽培やワイン造りに力を入れ、エーデルワインを設立し、社長に就任した。また、町長在任中には早池峰神楽の国の重要無形文化財指定や早池峰山の国定公園の指定、早池峰山に自生する高山植物ハヤチネウスユキソウが縁でオーストリアのベルンドルフ市との姉妹都市の締結、山岳博物館の開館などがあり、福祉向上と町の発展に努めた。
高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2… 高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2013年5月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 岩手県花巻市出身。花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)卒。近衛兵となった後、笹間農業協同組合専務理事、同組合長理事となり、1959年から岩手県議会議員を7期務め、自民党岩手県連幹事長、同副会長。1974年に議長に就任し3期務め、1984年に全国都道府県議会議長会会長に就任した。1986年の参院選に岩手県選挙区から立候補して現職の増田盛らを破って当選する。第1次海部内閣で科学技術政務次官を務めた。参議院議員は1期務め、1992年に引退した。同年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 20… 高橋 圭三(たかはし けいぞう、1918年9月9日 - 2002年4月11日)は、日本のアナウンサー、政治家、参議院議員(1期)。位階は正五位。 呉服店の三男として生まれる。作家の宮沢賢治とは遠縁にあたる。幼い頃は病弱な子供であったという。花城尋常小学校(1931年3月)、組合立花巻中学校(1938年3月)、高千穂高等商業学校を卒業後、富士電機へ就職。 1942年10月、アナウンサー募集の新聞広告に目が止まったのがきっかけでNHKに入局。入社試験面接官・養成所校長は和田信賢(後に『話の泉』の和田の後任を引き受けた)。1944年5月27日、結婚。1948年1月19日、長女・光が誕生。1950年1月から1954年9月まで慶應義塾大学病院で療養。
小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 200… 小川 仁一(おがわ じんいち、1918年2月1日 - 2002年11月24日)は、日本の政治家。日本社会党に所属し衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)を歴任。 岩手県和賀郡東和町(現花巻市)生まれ。岩手師範学校(現岩手大学教育学部)卒業。小学校教諭を経て、1959年に岩手県教職員組合委員長。1961年(昭和36年)に中学生の全国一斉学力テストの反対闘争を組織し、地方公務員法違反容疑で逮捕される。ほかに日本教職員組合副委員長、総評副議長、公務員共闘事務局長などを務めた。 1971年の第9回参議院議員通常選挙と1974年の第10回参議院議員通常選挙に岩手県選挙区から日本社会党公認で出馬したが、落選。
渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月… 渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月2日 - 1988年(昭和63年)10月31日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 岩手県花巻市出身。1927年盛岡中学卒、1950年小樽高等商業学校卒。岩手県産業組合連合会に入り、同県信連、同県中央会各参事、全国農業会企画部長、全国農協中央会農政部長などを歴任する。1962年の参院選で日本社会党公認で岩手地方区から立候補し、現職の千田正らを破って当選する。参議院議員は1期務め、1968年の参院選で落選した。落選後の1971年の花巻市長選挙に無所属で立候補したが、現職の八重樫利康に敗れた。1980年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2… 北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2002年2月22日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 岩手県花巻市生まれ。盛岡中学と東京帝国大学で学び、中国へ渡って貿易統制機関で働く。戦後引き揚げて社会党結成に参加し、1947年まで花巻町長を2期務める。1953年の衆院選に岩手2区から左派社会党公認で出馬、当選して1983年の衆院選で落選するまで通算10期務める。 この間、党政策審議会長(1970年 - 1972年)・党中央執行副委員長(1978年 - 1981年)を歴任。国民服(中国の人民服)で国会に登壇したり、政界を退いた後もミニコミ紙を発行して政治評論活動を続けるなど、独特の活動を行っていた。
鎌田 逸郎(かまた いつろう、1897年(明治30年)10月… 鎌田 逸郎(かまた いつろう、1897年(明治30年)10月1日 - 1980年(昭和55年)9月4日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員。 岩手県稗貫郡花巻町で鎌田元三郎の三男として生まれる。 1922年(大正11年)岩手製綿を設立して社長に就任。1941年(昭和16年)3月、盛岡商工会議所常議員に当選。その他、下台土地建物社長、岩手被服工業社長、岩手県商工経済会評議員、同県製綿工業組合理事長、全国製綿工業協同組合理事長、花巻電気鉄道取締役、東北振興燐寸取締役などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬して当選(補欠、任期3年)し、その後、緑風会に所属して参議院議員を1期務めた。
八重樫 利康(やえがし りこう / としやす、1894年7月… 八重樫 利康(やえがし りこう / としやす、1894年7月19日 - 1982年10月5日)は、日本の衆議院議員(1期)、花巻市長。 岩手県花巻市出身。高小卒。和賀郡笹間村(現・花巻市)会議員、同村長を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に岩手県から立候補して当選。翌年、公職追放となる。衆議院議員を1期務めた後、追放解除後の1958年に花巻市長に選出され、1974年まで4期16年務めた。市長在任中、花巻空港の開港(1964年)、奥州大学(現富士大学)の開学(1965年)の他、市の小中学校の新設や校舎の新築、市内の水道整備、老人福祉センターの開所(1968年)、市体育館の開館(1969年)、市役所新庁舎の完成(1970年)、市立図書館の新築(1973年)などの業績を挙げた。
阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月2… 阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月23日 - 1972年(昭和47年)9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1952-1953)、岩手県知事(1955年-1963年)などを務めた。 1893年(明治26年)11月23日、岩手県稗貫郡湯口村大字中根子(現在の花巻市中根子)に、小学校教員(後に湯口村村長)の父・晁(ちょう)と母・テルの長男として生まれた。仮死状態で生まれ、家族は一時あきらめたが、祖母が千に一つの望みに、と医師を呼んで手当をしてもらって奇跡的に助かったことから、その医師・三又与次郎の発案で千一と名付けられた。1912年に盛岡中学校、1916年に第一高等学校を卒業。
小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉… 小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日 - 1952年〈昭和27年〉8月12日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった。 1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた。 盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした。
宮澤 政次郎(みやざわ まさじろう、1874年〈明治7年〉2… 宮澤 政次郎(みやざわ まさじろう、1874年〈明治7年〉2月23日 - 1957年〈昭和32年〉3月1日)は、日本の実業家・地方政治家。詩人・童話作家の宮沢賢治の父である。花巻川口町町会議員、民生委員、調停委員を務めた。また、浄土真宗の篤信家でもあり、暁烏敏や近角常観などと交流を持った。姓については子息の賢治と同様、常用漢字体で宮沢とも表記される(以下の文中でも「宮沢」で統一する)。 宮沢喜助とキンの長男として現在の岩手県花巻市に生まれる。2男2女の4人きょうだいの長男(上に姉あり)だった。当時の宮沢家は、喜助が開いた質・古着商を家業としていた。1885年に本城小学校を卒業すると家業に従事し、15歳 - 16歳頃には父の代理を務めるほどだった。
伊藤 広幾(いとう ひろちか / ひろき、1870年1月4日… 伊藤 広幾(いとう ひろちか / ひろき、1870年1月4日(明治2年12月3日) - 1923年(大正12年)4月4日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。 陸中国稗貫郡、のちの岩手県稗貫郡根子村(花巻川口町、花巻町を経て現花巻市)で、伊藤弓太の長男として生まれる。1893年、札幌農学校農学科を卒業した。その後、北海道空知郡奈江村(現奈井江町)の土地50万坪を借りて開墾に従事。1895年、夕張郡角田村(現栗山町)に移り、水田の開墾に尽力し、同村を北海道水田の模範地となした。角田村会議員、同村農会長、夕張郡農会長、北海道農会副会長を歴任。 1919年11月、資本金百万円で北海道殖産銀行を設立し頭取に就任。
小野崎 耕夫(おのざき こうふ、1861年1月5日(万延元年… 小野崎 耕夫(おのざき こうふ、1861年1月5日(万延元年11月25日) - 1917年(大正6年)5月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 陸奥国稗貫郡、のちの岩手県稗貫郡宮野目村(現花巻市)出身。漢学を修める。農業を営み、黒沼学校(現・花巻市立八幡小学校)教諭、宮野目村外12ヶ村戸長、同村会議員、稗貫郡会議員、同参事会員、岩手県会議員となる。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙において岩手県郡部から大同倶楽部公認で立候補して当選。衆議院議員を1期務め、1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1917年死去。
一ノ倉 貫一(いちのくら かんいち、1857年1月23日(安… 一ノ倉 貫一(いちのくら かんいち、1857年1月23日(安政3年12月28日)- 1922年(大正11年)12月11日)は、明治から大正期の大地主、教育者、実業家、政治家。衆議院議員。 陸奥国和賀郡、のちの岩手県東和賀郡小山田村(和賀郡小山田村、東和町を経て現花巻市)で、一ノ倉家に生まれ、一ノ倉宇兵衛の養子となり1893年(明治26年)8月に家督を相続した。 1878年(明治11年)宮城師範学校を卒業。仙台市小学校訓導、宮城県師範学校教員、岩手県属、岩手県獣医学校長、郡長などを歴任した。その他、徴兵事務官、勧業諮問会員、市町村制実施法取調委員、府県制郡制実施法取調委員、日本赤十字社特別社員なども務めた。
阿部 勇治(あべ ゆうじ、1855年5月26日(安政2年4月… 阿部 勇治(あべ ゆうじ、1855年5月26日(安政2年4月11日)- 1919年(大正8年)8月29日)は、明治から大正期の地主、政治家。衆議院議員。 陸奥国稗貫郡、のちの岩手県稗貫郡宮野目村(現花巻市)で、農業・大地主の家に生まれた。 1887年(明治20年)4月、村会議員に選出された。以後、岩手県会議員、稗貫郡会議員、同参事会員なども務めた。1901年(明治34年)10月、日本赤十字社特別社員となる。 1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙で岩手県郡部区から帝国党所属で出馬して初当選。その後、第11回総選挙(中央倶楽部所属)では落選したが、1915年(大正4年)3月の第12回総選挙で立憲同志会から出馬して再選され、その後憲政会に所属して衆議院議員に通算2期在任した。
伊藤 儀兵衛(いとう ぎへい、1848年6月10日(嘉永元年… 伊藤 儀兵衛(いとう ぎへい、1848年6月10日(嘉永元年5月10日)- 1923年(大正12年)9月20日)は、岩手県花巻市出身の商人、政治家(貴族院議員)。 1848年(嘉永元年)、花巻に生まれる。生家は岩手県下一の豪商・豪農で、屋号は笹屋だった。 1881年(明治14年)8月18日 明治天皇の東北御巡幸の際に自宅を行在所として提供。数百円を投じて御休憩所を新築した。 1889年(明治23年) 四男の儀七(岡山不衣)を岡山直機の養子とする。 1890年(明治23年) 東北本線が盛岡駅まで開通して、花巻駅が開業した。当時、地主たちは鉄道をおそれ、駅の敷地を提供する者がいなかったという。その状況で、花巻地方では花巻川口町の沢藤家と並ぶ豪商の主だった儀兵衛は、進んで現在の駅の敷地を無償で提供した。
梅津 喜八(うめづ きはち、1843年(天保14年2月)- … 梅津 喜八(うめづ きはち、1843年(天保14年2月)- 1909年(明治42年)2月26日)は、明治時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 沿岸部との交易により一代で財を成した花巻の豪商。大地主として小間物商、薬種商を営んだ。1879年(明治12年)岩手県会議員に当選。ほか、花巻銀行取締役、稗貫郡花巻川口町会議員、同郡会議員などを歴任した。 1908年(明治41年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月2日から務めたが、在任中に死去した。小学校の教科書を出版するなど教育振興にも務めた。
名須川 良平(なすかわ りょうへい、1831年1月31日〈天… 名須川 良平(なすかわ りょうへい、1831年1月31日〈天保元年12月18日〉 - 1900年〈明治33年〉2月3日)は、幕末から明治期の漢学者、政治家。衆議院議員。号・他山。 陸奥国稗貫郡、のちの岩手県稗貫郡花巻町(現花巻市)で生まれた。儒学、武田流兵法(甲州流軍学)を修めた。花巻の郷学・揆奮場の教授、また、作人館修文所教授を務めた。 明治維新後、上京して神奈川県公吏、師範学校教師を務めた。帰郷後、1877年(明治10年)私塾・他山塾を開き、1878年(明治11年)ころに花巻の自由民権結社・大有社で教えた。1887年(明治20年)郡立稗貫高等小学校長に就任した。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(岩手県第3区)で初当選し、同年8月の第6回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。