平野 海祝(ひらの かいしゅう、2002年10月14日 - … 平野 海祝(ひらの かいしゅう、2002年10月14日 - )は、日本のスノーボード選手。新潟県村上市出身。開志国際高等学校卒業、日本大学スポーツ科学部在学、TOKIOインカラミ所属。同じくスノーボード選手の平野歩夢は兄である。 父・英功が海好きであったことから「海祝」と名づけられた。 幼少期は2人の兄の厳しい状況を見て「自分はやりたくない。学校行ってる方が楽しい」と考えていたが、ソチオリンピックでの次兄・歩夢の活躍を見て、12歳で同じスノーボードの道を目指し、高校・大学も歩夢と同じ学校へ進学した。 2018年、カードローナ(英語版)で開催された世界ジュニア選手権に出場し、3位となった。 2020年1月、ローザンヌユースオリンピックに出場し、平野流佳に次ぐ2位。
本間 日陽(ほんま ひなた、1999年〈平成11年〉11月1… 本間 日陽(ほんま ひなた、1999年〈平成11年〉11月10日 - )は、日本の女優。女性アイドルグループNGT48の元メンバーである。新潟県村上市出身。HONEST所属。 2015年にNGT48の1期生として加入。2016年にBSスカパー!の連続ドラマ『ひぐらしのなく頃に』で古手梨花役を演じ、ドラマ初出演を果たした。AKB48選抜総選挙での順位は、2017年の第9回で13位、2018年の第10回で16位。2018年4月11日に発売されたNGT48の3rdシングル『春はどこから来るのか?』において、初のセンターポジションを務めた。 2020年にbisの年間レギュラーモデルに就任。2021年5月に1st写真集『ずっと、会いたかった』を発売、同年12月15日、出身地である新潟県村上市のスペシャルアンバサダー第1号に就任。
平野 歩夢(ひらの あゆむ、1998年〈平成10年〉11月2… 平野 歩夢(ひらの あゆむ、1998年〈平成10年〉11月29日 - )は、日本のスノーボーダー(専門はハーフパイプ)、スケートボーダー。2022年北京オリンピック金メダリスト。2014年ソチオリンピック・2018年平昌オリンピック2大会連続銀メダリスト。2020年東京オリンピックスケートボード日本代表。2022年現在、冬季オリンピックにおける日本代表選手としての最年少メダル獲得記録保持者である。 新潟県村上市出身。村上市立村上南小学校、村上第一中学校卒業、開志国際高等学校アスリートコースを経て2017年4月、日本大学スポーツ科学部に入学。2021年3月同大学卒業。 兄の英樹(えいじゅ)、弟の海祝(かいしゅう)も同じくスノーボード選手。
原 幹恵(はら みきえ、1987年〈昭和62年〉7月3日 -… 原 幹恵(はら みきえ、1987年〈昭和62年〉7月3日 - )は、日本の女優、タレント、グラビアアイドル。新潟県岩船郡神林村(現・村上市)出身。2003年にオスカープロモーションからデビューし、2025年からはViivo所属。 北海道上川郡東川町に生まれ、小学4年生の春より新潟県岩船郡神林村(現・村上市)で育つ。家族構成は父、母、姉(13歳年上)、兄2人(12歳、11歳年上)。 幼いころから女優を志望し、2003年に雑誌『Audition』に掲載されていた「第9回全日本国民的美少女コンテスト」に応募。本選で「グラビア賞」を受賞し、芸能界デビュー。以後、グラビアアイドルとして人気を博す。デビュー当時は新潟から東京に通っていたが、2006年からは東京で1人暮らしをしている。
相馬 嘉(そうま よしみ、1979年6月23日 - )は、日… 相馬 嘉(そうま よしみ、1979年6月23日 - )は、日本のゲートボール選手・指導者。朝霞市ゲートボール連盟会長。新潟県村上市出身。 3歳頃からゲートボールを始め、6歳から大会等に出場。村上市の3世代交流大会で7歳で初監督を務める。村上高校を経て、東海大学に進学。大学卒業後24歳でTKEに所属する。主力選手を務め、全日本選手権大会の優勝を収めるなど功績を残した。その後、仕事やゲートボール関係などで埼玉県ゲートボール連盟に移籍し、現在は朝霞市ゲートボール連盟の会長を務める。2018年時点で埼玉県立朝霞高等学校ゲートボール部監督。 一番弟子は新潟県出身の金井都造選手。金井選手は師匠である相馬を追いかけ、2023年8月新潟県から埼玉県に移住し、埼玉県ゲートボール連盟の選手となる。
小野 浩二(おの こうじ、1975年4月25日 - )は日本… 小野 浩二(おの こうじ、1975年4月25日 - )は日本の実業家、エステティシャン。一般社団法人日本スキンケア協会代表理事。株式会社シードリーム代表取締役。新潟県村上市出身。 2008年日本エステティック協会 35周年記念エステティックコンテスト全国大会で優勝。
竹内 真(たけうち まこと、1971年7月9日 - )は、日… 竹内 真(たけうち まこと、1971年7月9日 - )は、日本の小説家。 新潟県村上市生まれ、群馬県高崎市で育つ。慶應義塾大学法学部卒。 大学在学中の1995年に『ブラック・ボックス』で第2回三田文学新人賞受賞、『スペースシップ』で第5回ゆきのまち幻想文学賞受賞。1998年に『神楽坂ファミリー』で第66回小説現代新人賞、1999年に『粗忽拳銃』で第12回小説すばる新人賞をそれぞれ受賞。 2011年、日本テレビ制作の舞台『カレーライフ』では脚本監修として執筆にも参加。2013年、集英社文庫『カレーライフ』で京都水無月大賞を受賞。
風田 陣(かぜた じん、1971年1月28日 - )は、日本… 風田 陣(かぜた じん、1971年1月28日 - )は、日本の元男性総合格闘家。本名は藤田 淳(ふじた じゅん)。新潟県村上市出身。 総合格闘技ジム、ピロクテテス新潟代表。元MAキックボクシング選手。ニックネームは特に無し。キックボクシング仕込みの首相撲からの強力な膝蹴りが持ち味らしい。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
猪熊 隆之(いのくま たかゆき、1970年(昭和45年)8月… 猪熊 隆之(いのくま たかゆき、1970年(昭和45年)8月1日 - )は、新潟県村上市出身の山岳専門の気象予報士。また国立登山研修所の講師・専門調査員、ならびに中央大学山岳部の監督を務める。2011年(平成23年)には日本初となる山岳専門の気象会社ヤマテンを設立した。 新潟県村上市出身。その後神奈川県平塚市で育ち、神奈川県立平塚江南高等学校を卒業後、中央大学法学部政治学科に入学。幼少期以来の山への憧れから大学で山岳部に入部し登山の経験を積んだ。山岳部時代、合宿での富士山登頂時に強風にあおられ転落し左足に粉砕骨折・凍傷を伴う重傷を負い、一時は左足の切断も危ぶまれた。卒業後一時は会社員となるも、母校の中央大学がチベットのチョムカンリへ遠征隊を派遣することを知り、退社して再トレーニングに専念。
本間 常悌(ほんま つねよし、1968年10月28日 - )… 本間 常悌(ほんま つねよし、1968年10月28日 - )は、日本の実業家。株式会社リンコーコーポレーション代表取締役社長。 新潟県村上市出身。1992年、駒澤大学文学部卒業。同年、リンコーコーポレーション入社。 2014年、臨港支店長。2016年、執行役員。2019年4月、常務執行役員。 2019年6月、取締役常務執行役員ならびに新光港運株式会社代表取締役。2022年4月、専務執行役員。 2022年6月、代表取締役社長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、… 田中 千代美(たなか ちよみ、1961年5月7日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。 新潟県岩船郡神林村(現:村上市)出身。村上女子高校卒業後、1980年日本電気バレーボール部に入部。1984年から1986年までチーム主将を務めた。 センタープレーヤーとしては低身長だがブロックを得意とし、在籍10シーズンで日本リーグ歴代3位の通算ブロック決定本数をマークした。 1990年に現役引退。1992年、実業団の北越銀行(本店:長岡市)バレーボール部創部と同時に監督に就任し、1998年チームをV1リーグ(現:チャレンジリーグ)昇格に導いた。 1999年に北越銀行バレーボール部が休部(廃部)になったことに伴い、選手の新たな受け皿として地域バレーボールクラブのベスビアス長岡(現:ベスビアス新潟)を結成した。
高橋 邦芳(たかはし くによし、1959年〈昭和34年〉9月… 高橋 邦芳(たかはし くによし、1959年〈昭和34年〉9月11日 - )は、日本の政治家。新潟県村上市長(3期)。 新潟県村上市出身。1975年(昭和50年)3月、村上市立村上第一中学校卒業。1978年(昭和53年)3月、新潟県立村上高等学校卒業。1980年(昭和55年)4月、村上市・岩船郡町村伝染病院組合に採用される。1982年(昭和57年)4月、岩船地域広域事務組合に勤務。 2008年(平成20年)4月1日、旧制の村上市は荒川町・神林村・朝日村・山北町と合併し、新制「村上市」が誕生した。これに伴い岩船地域広域事務組合は解散。4月1日、村上市役所に入所、総務課長補佐、村上市議会事務局長。 2015年(平成27年)5月、同市役所を退職。
村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木 幸子、1958年1… 村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木 幸子、1958年10月21日 - 1990年7月23日)は、日本の演歌歌手。所属事務所はクラウン音楽芸能→ホリプロダクション(現・ホリプロ)。 新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身で、芸名は当時の出身地に近い「村上市」から取ったもの。1979年に『雪の越後を後にして』でクラウンレコードから歌手デビュー。1984年の「酒場すずめ」が人気を集め、歌唱賞レースに参戦した。 1985年8月15日、クラウン芸能からホリプロに移籍。新潟県出身者で初めてホリプロに所属する事となった。 1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞中の「泣いて血を吐く ほととぎす」という表現が、当時、昭和天皇が重体だったことから「時期的にも適切な表現とは言えない」として放送自粛になった。
沼澤 茂美(ぬまざわ しげみ、1958年4月30日 - )は… 沼澤 茂美(ぬまざわ しげみ、1958年4月30日 - )は、日本の男性天体写真家・天文イラストレーター。 新潟県村上市(旧・岩船郡神林村)出身。東京デザインアカデミー建築士科及びパース専門課程卒業。建築設計事務所勤務を経て1980年に新潟郵便貯金会館プラネタリウムに入る。1984年独立して日本プラネタリウムラボラトリー(略称:JPL)を設立。天文、宇宙のイラストや天体写真の撮影を手がけている。沼澤の著書は多いが、その大半はJPLのメンバーである脇屋奈々代との共著である。
鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、… 鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、日本の水泳指導者、北京オリンピック競泳代表チームヘッドコーチ。 新潟県村上市生まれ。小学校入学前に岩船港近くの日本海で泳ぎを覚えた。中学時代は姿三四郎にあこがれて柔道部に入った。新潟県立村上高等学校で水泳部に入部したがその後プールが使用できなくなり先輩部員から麻雀の手ほどきを受けた。卒業後水泳指導者になろうと順天堂大学体育学部体育学科へ入学した。しかし大学内にプールがないことや水泳部も休眠状態であったため新入生同士で泳ぎ始め市立船橋高等学校など近くの高校のプールへ出かけて練習を続けた。新潟県で教職に就くことを目指していたが教員採用試験に落ちてしまったところ、同級生からスイミングクラブが指導員を探していることを聞き、1972年、当時まだ創業2年目のセントラルスポーツにアルバイトとして入社。
大滝 平正(おおたき ひらまさ、1949年(昭和24年)1月… 大滝 平正(おおたき ひらまさ、1949年(昭和24年)1月16日 - )は、日本の政治家。前新潟県村上市長(2期)。 新潟県山北町(現・村上市)出身。1967年3月、新潟県立新発田商工高等学校(新潟県立新発田商業高等学校と新潟県立新発田南高等学校の前身)卒業。同年4月、印刷会社に就職。1984年(昭和59年)3月、山北町議会議員に就任。1994年(平成6年)12月、山北町長選挙に出馬するために、町議を辞任。1999年(平成11年)4月、山北町長に就任。 2008年(平成20年)4月1日、村上市(旧市)が岩船郡荒川町・神林村・朝日村・山北町と合併し、新市制による「村上市」が誕生する。それにより同年4月27日に執行された村上市長選挙に無所属で出馬し、旧村上市長の佐藤順と佐藤度を破って初当選。
安冨信哉(やすとみ しんや、1944年2月19日-2017年… 安冨信哉(やすとみ しんや、1944年2月19日-2017年3月31日)は、真宗大谷派の僧侶、真宗学を専攻する仏教学者。文学博士。大谷大学名誉教授。真宗大谷派三条教区第22組虎丸山光濟寺前住職 。真宗大谷派教学研究所所長。真宗大谷派董理院董理。真宗大谷派講師。東方仏教徒協会(EBS)事務局長。 新潟県村上市生まれ。1967年早稲田大学第一文学部英文科卒。 1978年大谷大学大学院博士課程真宗学専攻単位取得。大谷大学文学部助手、講師、助教授、教授、2000年文学研究科長、2014年定年退任、名誉教授。 1998年「宗教的「個」の思想」で大谷大学文学博士。20世紀中は安富の表記を用いた。
鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 20… 鶴橋 康夫(つるはし やすお、1940年1月15日 - 2023年10月9日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。本名:倉田 康夫(くらた やすお)。新潟県村上市出身。長男は、ドラマ制作を手がける日本テレビ社員・倉田貴也。 兄妹は自身を含め2男1女で、弟は新潟日報編集委員。出生名は鶴橋康夫であるが、婿取婚であるために改姓している。 新潟県立村上高等学校、中央大学法学部卒業。当初は新聞社志望だったが、読売新聞記者だった伊藤一男に讀賣テレビ入社を勧められる。 1962年、讀賣テレビ放送(読売テレビ)入社。東京支社制作部に所属し、一貫してドラマ演出を手がける。 社会派ドラマの名手として知られ、特に「木曜ゴールデンドラマ」枠における単発作品群で数多くの賞を獲得したことから「芸術祭男」の異名を取る。
伊藤 清(いとう きよし、1921年(大正10年)11月 -… 伊藤 清(いとう きよし、1921年(大正10年)11月 - 2012年(平成24年)7月4日)は、大日本帝国海軍軍人。第二次世界大戦における零式艦上戦闘機のエース・パイロットである。 1947年(昭和22年)の結婚により改姓し、加藤 清(かとう きよし)となった。 1921年(大正10年)新潟県村上市で、6人兄弟の3男として生まれた。高等小学校を出て織物工場で働くが、海軍機関兵だった従兄の影響を受けて、1939年(昭和14年)6月1日横須賀海兵団に入隊し、教程を終えた10月に水雷艇「鴻」に乗組みとなった。1940年(昭和15年)11月、海軍飛行予科練習生丙2期生として土浦海軍航空隊に入隊した。
稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明… 稲葉 修(旧字体: 稻葉 修、いなば おさむ、1909年〈明治42年〉11月19日 - 1992年〈平成4年〉8月15日)は、日本の政治家、文部大臣(第94代)、法務大臣(第34代)、衆議院議員(14期)。法学博士。 兄の稲葉圭亮も政治家で衆議院議員だった。長男は元衆議院議員の稲葉大和。 1909年11月19日、現在の新潟県村上市に生まれる。村上中学、旧制山形高校といずれの学校でもいわば武勇伝(中学では生徒会長として祭りの日に学校を休みにしろと同盟休校を主導したため、高校ではカンニングが発覚したため)での中途退学を経て、1936年中央大学法学部独法学科を卒業。1940年中央大学大学院を修了。1945年中央大学教授に就任。
稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 … 稲葉正夫(いなば まさお、1908年〈明治41年〉5月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、戦史研究家。最終階級は陸軍中佐。
伊藤 茂(いとう しげる、1904年(明治37年) - 19… 伊藤 茂(いとう しげる、1904年(明治37年) - 1944年(昭和19年)11月21日)は、海軍軍人、海軍大佐。 新潟県村上市出身。海軍兵学校第52期。 1944年、戦艦「金剛」に乗り組み、台湾沖にて戦死をとげた。 この項目は、軍事上の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:軍事、プロジェクト:軍事史/Portal:軍事)。
梶野 悳三(かじの とくぞう、1901年1月29日 - 19… 梶野 悳三(かじの とくぞう、1901年1月29日 - 1984年4月1日)は、昭和期日本の小説家。 新潟県岩船郡村上町(現在の村上市)生まれ。本名・正義。幼児期に北海道に移住。1921年に横須賀海兵団に入り、水兵となる。海軍三等主計兵曹であった。柔道に励んで四段となる。退団後、柔道知識を生かして梶野千万騎(かじの ちまき)の筆名で「試合もの」の小説を書き始める。1933年、山手樹一郎らと『大衆文学』を創刊。長谷川伸の新鷹会に加入後、悳三に改名。 1930年代後半から海洋文学、とくに捕鯨船員の生活などを描いた長編を手掛けるようになり、「俺は水兵」「鯨の町」などの作品を発表する。 1946年、自身が少年期を過ごした北海道天塩の鰊漁場を描いた「鰊漁場」(『大衆文芸』1947年6月号)で大衆雑誌懇話会賞を受賞。
鈴木 謙二(すずき けんじ、1889年(明治22年)11月1… 鈴木 謙二(すずき けんじ、1889年(明治22年)11月16日 - 1948年(昭和23年)2月25日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級。 新潟県岩船郡村上本町(現・村上市)出身。陸軍士官学校第23期、陸軍大学校第34期卒業。1921年(大正10年)4月に陸軍歩兵大尉に進級し、1926年(大正15年)8月に陸軍歩兵学校教官兼同校研究部部員陸軍大学校兵学教官に就任した。1927年(昭和2年)5月に陸軍歩兵少佐に進級し、同年8月に陸軍大学校兵学教官専任となり、1930年(昭和5年)12月に近衛歩兵第1連隊附に移り、1931年(昭和6年)6月に陸軍歩兵中佐に進級した。1932年(昭和7年)4月に第10師団参謀に転じ、満州事変に出動。
山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31… 山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31日 - 1971年〈昭和46年〉1月11日)は、日本陸軍の軍人・著述家・中国文学研究者・翻訳家。別号は三志園、海城。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。 旧士族・山縣正升の長男として生まれる。村上私学校を中退して陸軍教導団歩兵科に入り、1894年(明治27年)3月に卒業。歩兵二等軍曹として日清戦争に参戦した。1898年(明治31年)12月、士官候補生となり、陸軍士官学校(12期)に入学(同期に小磯國昭らがいる)。
若林 賚蔵(わかばやし らいぞう、1866年1月14日(慶応… 若林 賚蔵(わかばやし らいぞう、1866年1月14日(慶応元年11月28日)- 1941年(昭和16年)11月27日)は、明治から昭和前期の内務官僚、政治家。官選府県知事、貴族院議員。錦鶏間祗候。 村上藩士・若林安静の長男として越後国岩船郡三ノ町(現在・村上市村上)に生まれる。1893年(明治26年)に帝国大学法科大学を卒業。 1896年(明治29年)警視となり6月、警視庁小松川警察署長に就任、1897年4月、群馬県警察部長に就任。同年10月には沖縄県警察部長に転じ、その後警察監獄学校幹事、兼内務書記官、山形県・石川県の各書記官などを歴任。 1908年(明治41年)3月、島根県知事に就任するも、同年8月、招聘により大韓帝国警視総監となる。
青山 準二郎(あおやま じゅんじろう、嘉永6年9月3日〈18… 青山 準二郎(あおやま じゅんじろう、嘉永6年9月3日〈1853年10月5日〉 - 没年不詳)は、明治時代に活躍した長老派系の日本基督教会の牧師。北海道の宣教で活躍した。 越後国村上藩士中山湛斉の3男として生まれる。1878年(明治11年)エディンバラ医療宣教会宣教師T・A・パームと押川方義に出会いキリスト教に回心する。1880年(明治13年)3月にパームより洗礼を受ける。 パームの薫陶を受けて、伝道者になることを決心して、1883年(明治16年)に上京し、東京府築地の東京一致神学校に入学する。上京して間もない5月には第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として参加し、植村正久や内村鑑三と一緒に写真と取っている。
佐藤 力作(さとう りきさく、1853年(嘉永5年12月) … 佐藤 力作(さとう りきさく、1853年(嘉永5年12月) - 1924年(大正13年)2月13日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 越後国岩船郡村上城下(のち新潟県岩船郡村上本町→村上町、現・村上市)生まれ。岩船郡会議員、新潟県会議員、村上鮭産育養所長、大日本水産会評議員となる。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において新潟2区から自由党所属で立候補して当選する。同年9月の第4回衆議院議員総選挙は不出馬。衆議院議員は1期務め、1924年に死去した。
佐藤 亜紀(さとう あき、2月25日 -)は、フリーアナウン… 佐藤 亜紀(さとう あき、2月25日 -)は、フリーアナウンサー、レポーター、MC、ナレーター。元新潟県民エフエム放送(FM PORT)のラジオパーソナリティ。血液型はB型。 小学校5~6年生くらいの時にポンキッキーズの地方ロケに出演し、メディアとの接点を持つ。18歳でテレビ業界に入り、新潟の情報番組にレギュラーで出演した。その後、FM PORTにレポーターとして参加。 村上市の祭りで新潟三大高市の一つとされている村上大祭では、2014年からインターネット生中継の司会を務める。
湯木 のじん(ゆき のじん、1月22日 - )は、日本の漫画… 湯木 のじん(ゆき のじん、1月22日 - )は、日本の漫画家。新潟県村上市出身。東京都在住。血液型O型。デビュー作は『ちょいっとな』。 全て集英社、マーガレットコミックスから刊行されている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
小野寺 一歩(おのでら いっぽ、1月14日 - )は、日本の… 小野寺 一歩(おのでら いっぽ、1月14日 - )は、日本の男性ナレーター、パフォーマー、歌手。アトゥプロダクションに所属。新潟県村上市出身。
秋山 暁子 (あきやま あきこ)は、日本のピアニスト、作曲家… 秋山 暁子 (あきやま あきこ)は、日本のピアニスト、作曲家である。新潟県村上市出身。 「自然」をテーマにしたオリジナルのピアノ曲を手掛けている。
高野 麻衣(たかの まい)は、日本の音楽ジャーナリスト・コラ… 高野 麻衣(たかの まい)は、日本の音楽ジャーナリスト・コラムニスト。 新潟県村上市出身。上智大学文学部史学科を卒業。専攻は西洋文化史。化粧品メーカー在職中にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭に出会い、音楽業界へ。『ぶらあぼ』編集部を経て現職。 血液型はB型。好きなものはモーツァルトと少年ジャンプ。 クラシック音楽と美術、マンガ等の文化史を主なフィールドとして活動する。『anan』『25ans』『CDジャーナル』等に執筆。ラ・フォル・ジュルネ、東京フィルハーモニー交響楽団ワールド・ツアーなどにも携わる。 その他、ルネ・マルタン『フランス的クラシック生活』(PHP新書)の解説も執筆。
加藤 勝弥(かとう かつや、1854年2月2日(嘉永7年1月… 加藤 勝弥(かとう かつや、1854年2月2日(嘉永7年1月5日) - 1921年(大正10年)11月5日)は、明治時代のクリスチャン、政治家、教育家、宗教家である。加藤俊子の長男。 越後国板屋沢村(現新潟県村上市)に造林を代々家業とする大庄屋加藤雄次郞・敏子の長男に生まれる。明治12年(1879年)、新潟県会が設立されると、最年少25歳で当選する。以降、8回当選する。 その後、自由民権運動に参加する。明治16年(1883年)に高田事件で山際七司と共に投獄されるが免訴される。1884年大阪事件で入獄する。 1884年5月に妻久子と共に村上教会でアメリカン・ボードの宣教師R・H・デーヴィス宣教師より洗礼を受ける。