角倉 一郎(すみくら いちろう、1968年〈昭和43年〉8月… 角倉 一郎(すみくら いちろう、1968年〈昭和43年〉8月14日 - )は、日本の環境官僚。 石川県金沢市出身。金沢大学附属高等学校を経て、1991年(平成3年)3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格し、同年4月に環境庁入庁。2014年には「ポスト京都議定書を巡る多国間交渉 -規範的アイデアの衝突と調整の政治力学-」を提出し、政策研究大学院大学から博士(政治・政策研究)を授与された。 環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課浄化槽推進室長、大臣官房秘書課秘書官事務取扱(小沢鋭仁環境大臣)、大臣官房総務課企画官、地球環境局地球温暖化対策課市場メカニズム室長、内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)、大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課長、地球環境局総務課長、大臣官房総合政策課長、大臣官房会計課長、大臣官房秘書課長、内閣官房気候変動対策推進室参事官、大臣官房政策立案総括審議官(総括、大臣官房担当)、内閣官房気候変動対策推進室次長、大臣官房政策立案総括審議官(総括、大臣官房、地球環境局等担当)を歴任。
茂里 毅(もり つよし、1966年〈昭和41年〉4月25日 … 茂里 毅(もり つよし、1966年〈昭和41年〉4月25日 - )は、日本の文部・文科官僚。 石川県金沢市出身。石川県立金沢泉丘高等学校を経て、1991年(平成3年)3月、中央大学法学部を卒業。1992年(平成4年)11月、文部省に入省。入省後、初等中等教育局教職員課教員免許企画室長、同局教職員課長、内閣官房内閣参事官(内閣総務官室)、高等教育局私学部私学行政課長、スポーツ庁政策課長、文部科学省大臣官房総務課長などを歴任。研究人材育成、スーパーサイエンスハイスクール事業、教育DXの推進などに携わった。 2021年(令和3年)9月21日、文部科学省大臣官房学習基盤審議官に就任。 2022年(令和4年)9月1日、高等教育局私学部長に就任。
本郷 浩二(ほんごう こうじ、1960年〈昭和35年〉3月2… 本郷 浩二(ほんごう こうじ、1960年〈昭和35年〉3月24日 - )は、日本の農水官僚。林野庁長官。 1960年、石川県金沢市生まれ。 1978年3月、金沢大学附属高等学校卒業 1982年に京都大学農学部林学科を卒業し、林野庁に入庁。入庁後、青森営林局管内で造林や森林経営業務に従事したのち、3年間マレーシア・サバ州に派遣。帰国後、熊本営林局管内や福井県などで国有林野事業や民有林行政に携わった。 2013年7月、林野庁森林整備部長に就任。 2016年8月、林野庁国有林野部長に就任。 2018年7月、林野庁次長に就任。 2019年7月、林野庁長官に就任。 2021年7月1日、退職。同年全国木材組合連合会副会長。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務… 手島 冷志(てじま れいし、1927年 - )は、日本の外務官僚、外交官。外務省経済局長、外務審議官(経済担当)などを歴任し、GATT35条援用(GATT協定不適用)問題等に関わった。 1927年、石川県金沢市生まれ。父は手島治雄(元日本陸軍情報将校)で、戦後は出光興産専務を務め日章丸事件に関わった。東京府立一中、一高、陸軍士官学校を経て、東大法学部入学。東大在学中の1950年3月に外交官領事官採用試験に合格し外務省入省。一高では英語・独語クラスに入ったが独語は理解能力を超えると自覚し、アテネ・フランセに通い、陸士では語学の授業は全く無かったが英文法の本を持参し、空襲退避中に自習した。大学も外務省もフランス語で受験し、入省後は「フレンチスクール」とされたが、外務省研修所ではフランス語の授業はなく、在外研修制度もなく仏留学の機会も無かった。
任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19… 任田 新治(とうだ しんじ、1909年(明治42年)5月19日 - 1970年(昭和45年)12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。金沢工業大学教授。 石川県金沢市出身。瓢箪町小学校、旧制石川県立金沢第三中学校、旧制第四高等学校、東京帝国大学農学部卒業。大学を出た1934年(昭和9年)は満洲国への移民の呼び声があった時代で自らも現地へ赴き、終戦まで開拓地建設とその土地改良、農業土木事業に勤しんだ。終戦後は妻や娘とともにソビエト連邦に抑留され、1946年(昭和21年)に引き揚げ、農林省に入る。 金沢農地事務局課長、奈良県農地部長を歴任して1955年(昭和30年)本省に戻る。1963年(昭和38年)北陸農政局長。
石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月… 石黒 武重(いしぐろ たけしげ、1897年〈明治30年〉5月13日 - 1995年〈平成7年〉1月23日)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。 石川県金沢市出身。東京府立四中、第一高等学校、東京帝国大学法律学科卒業。山形県知事、農林次官、枢密院書記官長などを歴任。幣原内閣において、法制局長官(専任)、国務大臣兼法制局長官を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に山形県全県区から出馬し初当選。日本進歩党政務調査会長、民主党初代幹事長に就任し、戦後の混乱期の収拾に尽力した。また、日本生活協同組合連合会会長理事、日本生活協同組合名誉顧問、日ソ協会会長などの要職も歴任した。
郡山 義夫(こおりやま よしお、1894年(明治27年)6月… 郡山 義夫(こおりやま よしお、1894年(明治27年)6月23日 - 1987年(昭和62年)3月26日)は、日本の内務・警察官僚。官選長野県知事、海軍司政長官。旧姓・山本。 石川県金沢市出身。山本久房の二男として生まれ、郡山富次郎の養子となる。第一高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し長野県属となる。 以後、長野県警部、同警視、佐賀県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、岡山県書記官・経済部長、福岡県経済部長、岐阜県総務部長、大阪府書記官・学務部長、内務書記官などを歴任。1941年6月から1943年1月まで海軍司政長官・海南島海軍特務部経済局長を務めた。
広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年… 広瀬 豊作(ひろせ とよさく、旧字体: 廣瀨豐作、1891年11月17日 - 1964年4月12日)は、大正・昭和期の大蔵官僚。鈴木貫太郎内閣での大蔵大臣。石川県金沢市出身。位階および勲等は正三位勲一等。 元加賀藩士知行100石の広瀬嘉次馬の5男として生まれる。広瀬家の先祖官兵衛は浅井家家臣であったが、滅亡したため前田家の家臣となった。父は京都御所警備や北越戦争に従軍し、第三大隊分隊長となった。 金沢一中(同級にミッドウェー海戦にて戦死した航空母艦「加賀」艦長・岡田次作海軍少将がいる)、第一高等学校を経て、1917年に東京帝国大学独法科を卒業する。同年7月大蔵省に入省。同期には大蔵次官を後に務めた賀屋興宣と大野龍太がいた。
武部 欽一(たけべ きんいち、1881年(明治14年)4月2… 武部 欽一(たけべ きんいち、1881年(明治14年)4月25日 - 1955年(昭和30年)8月2日)は、日本の文部官僚。教育者。 金沢市出身。旧制第四高等学校を経て、1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、翌年に山口県事務官に任官した。1911年(明治44年)、文部省参事官に転じ、宗教局長、実業学務局長、普通学務局長、資源局参与を歴任した。1929年(昭和4年)、朝鮮総督府学務局長に就任。再び文部省普通学務局長を務めた後、1934年(昭和9年)に広島文理科大学学長・教授に就任するが、数日で辞任を余儀なくされた。 その後、日本青年館理事、帝国教育会専務理事、社会教育協会理事、共立女子学園理事、東京帝国大学講師、慶應義塾大学講師を務めた。
堀内 秀太郎(ほりうち ひでたろう / しゅうたろう、187… 堀内 秀太郎(ほりうち ひでたろう / しゅうたろう、1873年(明治6年)10月11日 - 1941年(昭和16年)6月1日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。 石川県金沢市出身。旧加賀藩士・堀内茂成の長男として生まれる。第四高等学校を首席で卒業。1898年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し社寺局属となる。1899年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、内務属臨時検疫局事務官、警察監獄学校教授、内務省参事官、神奈川県参事官、同事務官、徳島県事務官・第一部長兼第三部長、同内務部長、大阪府事務官・内務部長、北海道庁内務部長などを歴任。 1915年8月、宮崎県知事に就任。
国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日… 国府 犀東(こくぶ さいとう、明治6年(1873年)2月5日 - 昭和25年(1950年)2月27日)は、戦前日本の記者、官僚、漢詩人。本名は種徳。石川県金沢市出身。新潟、台湾、東京で新聞記者を務めた後、内閣、宮内省、文部省等で地方改良運動、近代社格制度、詔勅起草、文化財行政等に関わった。また慶應義塾大学予科、旧制東京高等学校で漢文を講義した。 号は金沢西部を流れる犀川の東畔に生まれたことに由来する。対岸で生まれた室生犀星はこれを受けて犀西の意で犀星と名乗った。また、美術編集者坂井犀水の号も犀川による。 明治6年(1873年)、石川県石川郡金沢城下(金沢市竪町)の左官職鹿島家に生まれた。初名は長松。
早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1… 早川 千吉郎(はやかわ せんきちろう、文久3年6月21日(1863年8月5日) - 大正11年(1922年)10月14日)は、明治、大正期の官僚、実業家、政治家。三井財閥の幹部の一人。 石川県金沢市出身。明治20年(1887年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業。明治22年(1889年)、同大学院農政学研究科修了。明治23年(1890年)1月、大蔵省入省。明治32年(1899年)日本銀行監理官。明治33年(1900年)辞職。 明治34年(1901年)、三井銀行専務理事。明治42年(1909年)三井銀行常務取締役。大正7年(1918年)、三井合名会社副理事長。1920年(大正9年)6月2日、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。
織田 小覚(おだ しょうかく、安政5年5月3日〈1858年6… 織田 小覚(おだ しょうかく、安政5年5月3日〈1858年6月13日〉- 昭和11年〈1936年〉10月6日)は、金沢出身の官僚、蔵書家。初名は小太郎。字は斌叔。号は確斎、古仏、帯秋草盧。司法省、内務省勤務を経て、前田侯爵家学事顧問を務めた。無窮会調査主任。 1872年(明治5年)、小橋小学校(金沢市立馬場小学校)に入学し、習字算盤、『国史略』、『十八史略』、四書五経の素読を学んだ。1873年(明治6年)、変則中学に進み、入学者100名の成績上位10人程が属する甲類に入り、従来の学問に加え、洋算、英語を学んだ。成績優秀者は年俸25円で小学校教師に採用されたため、小覚も寄宿舎から小学校へ通った。 1874年(明治7年)、変則中学校が英語専門と法律産業専門に分かれたため、法律産業専門学校に入学し、箕作麟祥のフランス法翻訳書を学んだ。
天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年… 天野 三郎(あまの さぶろう、1835年3月13日(天保6年2月15日)- 1930年(昭和5年)11月6日)は、幕末の加賀藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・辻、字・参好山。 加賀国河北郡金沢(現石川県金沢市)で、加賀藩士の辻家に生まれる。藩校で学ぶ。藩学、小松修道館の文学助教となり、武芸の研鑽にも取り組んだ。明治3年2月(1870年3月)藩命により東京で仏式兵学を学び、明治4年(1971年)東京警備中の藩兵の指導を行う。その後、大阪兵学寮で学んだが病のため退学し、大阪府で洋学を修業した。 1873年、埼玉県に来県し、1874年、足立郡辻村(のち北足立郡六辻村、現さいたま市南区辻)の天野彦吉の養子となる。