竹下 海斗(たけした かいと、2006年11月6日 - )は… 竹下 海斗(たけした かいと、2006年11月6日 - )は、福井県大野市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 スポーツ好きの両親の元に生まれ幼少はサッカーに興じていたが、小学生より母親の勧めで兄が所属していた地元大野市のスポーツ少年団で野球を始める。小学2年時から投手を任され、小学3年時の低学年対象地区大会で優勝投手となり最優秀選手に選ばれ野球にのめり込む。中学時には福井市のオールスター福井ヤングに所属し、大野市から通ってプレーした。この時に福井県の強豪、敦賀気比高等学校の東哲平監督の目に留まり、同校に進学することとなった。 敦賀気比高では1学年上に、後に横浜DeNAベイスターズに入団する高見澤郁魅がいた。
斎藤 将也(さいとう しょうや、2003年10月22日 - … 斎藤 将也(さいとう しょうや、2003年10月22日 - )は、日本の陸上競技選手。福井県大野市出身。城西大学経営学部卒業。SUBARU陸上競技部所属。 高校は敦賀気比高校卒業。2学年先輩の山本雷我(国士舘大学卒)、1学年先輩の田中悠登(青山学院大学卒、現・福井放送職員)、高村比呂飛(日本体育大学卒、現・トーエネック)らと共に同校の全国高校駅伝初出場に貢献した。第24回都道府県駅伝では2区区間23位、同年全国高校駅伝では4区区間42位と沈んだ。翌年の全国高校駅伝でも出走するが3区区間34位となった。2021春の高校伊那駅伝では1区を任され区間9位。同年全国高校駅伝でも1区を走り区間11位だった。
奥村 仁志(おくむら ひとし、2000年5月15日 - )は… 奥村 仁志(おくむら ひとし、2000年5月15日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は砲丸投。 福井県和泉村(現在の大野市)出身。小学校の時にはわんぱく相撲で活躍した。大野市和泉中学校進学後に陸上競技を始めた。中学1年生のときには相撲で全中に進んでおり、中学卒業時にはいくつかの相撲部屋からオファーが届いていた。 福井県立敦賀高等学校に進学。インターハイに出場した。その後、国士舘大学に進学。森千夏らを育成した岡田雅次監督の指導を受けた。大学4年時に日本インカレを制した。大学卒業後の2023年にセンコーに入社した。 2023年、2024年の日本陸上競技選手権大会で優勝した。2024年には全日本実業団対抗陸上競技選手権大会、国民スポーツ大会も制し全国3冠を達成した。
中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は… 中村 辰哉(なかむら たつや、1996年1月24日 - )は、福井県大野市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズのチームサポーター兼チーム付デスクを務めていた。 兄は東京ヤクルトスワローズ所属の中村悠平。 大野市立下庄小学校、大野市立陽明中学校卒業後、福井県立福井商業高等学校に進学。3年生夏に第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦で敗退。高校卒業後は関西六大学野球連盟に属する龍谷大学に進学。 高校時代から大学時代までの7年間、長谷川凌汰とバッテリーを組み続けた。学生時代は怪我に悩まされ、中学、高校、大学とトミー・ジョン手術を含む右肘の手術を三度受けている。 大学卒業後の2018年にプロ野球独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツに地元枠で入団。
中村 悠平(なかむら ゆうへい、1990年6月17日 - )… 中村 悠平(なかむら ゆうへい、1990年6月17日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(捕手)。 マネジメント契約はエイベックス・スポーツ。
伊藤 竜也(いとう たつや、1986年2月25日 - )は、… 伊藤 竜也(いとう たつや、1986年2月25日 - )は、日本の車いす陸上競技選手。福井県大野市出身。2018年のアジアパラ競技大会100m走でアジア新記録を樹立。 17歳の時にバイクで交通事故に合い頸椎を損傷、車いす生活が始まった。 2016年に仕事の一環で参加した福井県障がい者スポーツ大会で、高田稔浩より「東京パラリンピックで金メダルを取れる」と評され、競技生活を開始。3か月後の大分国際車いすマラソンのハーフに出走し7位入賞を果たした。その後、全国車いす駅伝に出場し、2017年3月には仕事を辞めて競技に専念する。2018年3月に新日本工業と契約した。 当初はマラソンに挑んでいたが、2018年春に身体能力を測定し、「長距離より、短距離向き」という結果が得られたことや、参加する障害クラス(T52)では東京パラリンピックでマラソン種目が実施されないことを受けて短距離へ転向した。
幅口 絵里香(はばぐち えりか、女性、1981年9月7日 -… 幅口 絵里香(はばぐち えりか、女性、1981年9月7日 - )は、日本のビーチバレー選手。株式会社オーイング所属。 福井県大野市出身。仁愛女子高等学校、トライデントスポーツ健康科学専門学校卒業。 2014年6月には、第17回アジア競技大会ビーチバレー競技の日本代表決定戦に村上めぐみとペアを組んで出場し、決勝で松村美由紀/松山紘子を破って本大会出場を果たした。 2017年第72回国民体育大会(愛顔つなぐえひめ国体)で村上めぐみとペアを組み優勝した。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
松谷 由美(まつたに ゆみ、1974年 - )は、福井県大野… 松谷 由美(まつたに ゆみ、1974年 - )は、福井県大野市出身・在住のヴァイオリニスト。 現在、京都市交響楽団第一ヴァイオリニスト。越のルビーアーティスト。 福井ジュニア弦楽アンサンブル講師。若い芽コンサートフェスティバル・カルテット Trio 遊羽穂。Duo Kiitos(デュオ キートス)。大野市教育委員。チェリストの松谷壮一郎は長男。 福井県大野市で出生。福井県大野市立有終西小学校、開成中学校を卒業。福井県立大野高等学校卒業。 京都市立芸術大学音楽学部卒業。音楽学部賞受賞。京都市立芸術大学大学院音楽研究科修了。 1999年京都市交響楽団に入団。 第13回(平成23年度)げんでんふれあい福井財団 げんでん芸術新人賞受賞。
斎藤 さと美(さいとう さとみ、現姓:川﨑、1973年5月1… 斎藤 さと美(さいとう さとみ、現姓:川﨑、1973年5月1日 - )は、日本の元ウエイトリフティング選手。 福井県大野市生まれ、京都府宇治市出身。 中学では陸上選手だったが、城南高校進学後にウエイトリフティングを始める。 1989年、世界選手権に初出場し、競技を始めて間もないにもかかわらず4位入賞を果たす。1990年には全国女子選手権で優勝し、世界選手権でも銀メダルを獲得。アジア競技大会でも1990年に銀メダルを獲得した。 日本体育大学進学後も高校から数えて全国選手権6連覇を記録し、1993年世界選手権でも銅メダルを獲得した。世界選手権は計5度出場し、すべて6位以内で入賞。 大学卒業後は一度引退して京都に戻り、地方公務員である京都府立高等学校教員となり、保健体育教諭として網野高校に赴任。
正津 英志(しょうつ えいじ、1972年11月13日 - )… 正津 英志(しょうつ えいじ、1972年11月13日 - )は、福井県大野市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、中日ドラゴンズのスカウトを務めている。 小学生の頃から野球をはじめ、進学した大野高で本格的に投手に取り組み、3年夏に第72回全国高等学校野球選手権大会に出場。 龍谷大では投球フォームの改造に取り組み、速球派からコントロール重視の投手へと転向した。4年の大学選手権は初戦で完投勝利。関西六大学リーグ通算18勝10敗。 NTT北陸では都市対抗野球で初戦先発し、勝利。1997年ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。 ルーキーイヤーから主に中継ぎとして4年連続して40試合以上に登板。
木下 正道(きのした まさみち、1969年 - )は、福井県… 木下 正道(きのした まさみち、1969年 - )は、福井県大野市生まれの作曲家。 中学、高校時代はハードロックやヘヴィメタルバンドで活動。作曲は独学で学ぶ。東京学芸大学で音楽を学ぶ傍ら、フリージャズやアメリカ実験音楽を範とする集団即興も試みる。その後、コミックバンドへ転向するなど、独自の多彩な活動を展開する一方で、2001年度武満徹作曲賞選外佳作、平成14年度文化庁舞台芸術創作奨励賞佳作、2003年度現音作曲新人賞入選を果たすなど、現代音楽シーンにおいても高い評価を得ている。 比較的ソフトな音色を堆積させるのが得意であり、オーケストラ曲ではチューバから全ての音色が立ち上がってくるような錯覚を与える。
岡田 高大(おかだ たかお、1959年〈昭和34年〉1月4日… 岡田 高大(おかだ たかお、1959年〈昭和34年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元福井県大野市長(3期)、元大野市議会議員(2期)。 福井県大野市出身。福井県立大野工業高等学校(現・福井県立奥越明成高等学校)卒業。 1995年(平成7年)2月21日に大野市議会議員に就任。1999年(平成11年)に再選したのち、2002年(平成14年)6月16日に行われた大野市長選挙に立候補するも現職の天谷光治に敗れる。 2006年(平成18年)6月18日に行われた市長選で初当選し、7月7日に市長就任。2010年(平成22年)に再選。2014年(平成26年)、無投票で3選。 2018年(平成30年)2月26日、市議会定例会で、同年6月の市長選挙に出馬しない意向を表明した。
大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - … 大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。 中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、中学在学中の1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。東京で名を上げるために泣いて反対する母を振り切っての入門であった。1975年9月3日の押尾川部屋独立騒動では17代押尾川の側についたが、移籍は認められず二所ノ関部屋に残留することになった。1980年1月場所に新十両へ昇進。
谷戸 礼子(たにど れいこ、1954年5月28日 - )は、… 谷戸 礼子(たにど れいこ、1954年5月28日 - )は、福井放送 (FBC) の元アナウンサー・元ラジオディレクター。 福井県大野市出身。福井県立福井商業高等学校を卒業後の1973年、FBCに入社した。ラジオセンターに勤務し、アナウンサーとディレクターを兼務していた。 2008年6月26日、第33回(2007年度)アノンシスト賞のラジオフリートーク部門で優秀賞を受賞した。そして2009年3月19日には、第30回(2009年度)NNSアナウンス大賞のラジオ部門で大賞を受賞した。
西行 茂(さいぎょう しげる、1954年〈昭和29年〉5月9… 西行 茂(さいぎょう しげる、1954年〈昭和29年〉5月9日 - )は、日本の政治家。福井県福井市長(1期)。 福井県大野市生まれ。小学生の時に長野県に移り、木曽郡大桑村立野尻小学校を卒業。中学時代に福井に戻り、福井市進明中学校。福井県立高志高等学校を経て、1978年(昭和53年)金沢大学法文学部法学科を卒業。同年福井市役所に入る。 市役所では福祉保健部保育児童課長、商工労働部マーケット戦略室長、企業局長、総務部長などを歴任する。 2016年(平成28年)福井市長東村新一の下で副市長を務める。 2023年(令和5年)8月4日、12月に行われる福井市長選挙に立候補することを正式に表明。立候補表明の記者会見では「来年3月には北陸新幹線が県内開業となり、人の流れ、モノの流れが劇的に変化する。
伊藤 之雄(いとう ゆきお、1952年9月26日 - )は、… 伊藤 之雄(いとう ゆきお、1952年9月26日 - )は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。学位は、博士(文学)。 1952年、福井県生まれ。岐阜県立大垣南高等学校を経て、1976年に京都大学文学部を卒業した。同大学院文学研究科修士課程修了。1981年、同博士課程満期退学。 1988年、京都薬科大学専任講師に着任。1990年より名古屋大学文学部助教授。1993年3月23日、博士論文『大正デモクラシーと政党政治』を京都大学に提出して博士(文学)の学位を取得)。 1994年、京都大学大学院法学研究科教授となった。1995年、ハーバード・イェンチン研究所・ライシャワー日本研究所で研究( - 1997年)。
清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )… 清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )は、福井県出身の日本のタレント・歌手・作家・冒険家・実業家である。アウトドア愛好者として有名。 元国際A級ロードレースライダーでもある。所属事務所はあのねのね事務所→アワーライフ。 芸名は、現在デビュー時と同じ清水国明。一時期本名の清水國明に変えていた。
羽生 和永(はにゅう かずえ、1950年(昭和25年)9月8… 羽生 和永(はにゅう かずえ、1950年(昭和25年)9月8日 - )は、日本の女子体操選手。 福井県大野市出身。1968年の夏季オリンピックと1972年の夏季オリンピックに出場した。また、1970年世界体操競技選手権にも出場した。
橋本 真由美(はしもと まゆみ、旧姓・清水、1949年3月2… 橋本 真由美(はしもと まゆみ、旧姓・清水、1949年3月21日 - )は、日本の実業家で、ブックオフコーポレーション元社長(第2代)である。 福井県大野郡和泉村(現・大野市)出身。和泉村立朝日小学校後野分校、和泉村立朝日中学校、福井県立大野高等学校、一宮女子短期大学家政科卒業。 ブックオフ創業時のスタッフであるが、採用当時はパートタイマーであった。東証プライム(旧・1部)上場企業において、新卒採用はおろか、中途採用ですらなくたたき上げの人物として、しかも創業者と血縁関係の無いパートタイマー出身者が経営トップに就くのは非常に稀なケースとして脚光を浴びた。 タレントの清水國明は実弟(清水家の長男、自身と國明の他にも別の弟もいる)。
正津 勉(しょうづ べん、1945年9月27日 - )は、日… 正津 勉(しょうづ べん、1945年9月27日 - )は、日本の詩人。 福井県大野市出身。同志社大学文学部社会学科卒。大学在学中より清水昶と詩誌『首』を創刊。1981年、ミシガン州オークランド大学に客員詩人として滞在。1991年、『鳩よ!』の湾岸戦争詩を批判した。2002年、「遊山」で第10回萩原朔太郎賞候補。近年は伝記小説も書いている。『ハリヨの夏』などの作品がある映画監督の中村真夕は娘。 1976年5月16日、同年10月に創刊の雑誌『月刊ポエム』(すばる書房)への「協力依頼」でつげ義春を訪問。正津は編集長であった。当初よりつげを雑誌の柱に据える目論見があり、創刊号に「夢日記」を掲載。"編集長特権"で、連載で秘湯探訪記「桃源郷」(つげ義春×正津勉)を敢行。
沢井 耐三(さわい たいぞう、正式な表記は澤井 耐三、194… 沢井 耐三(さわい たいぞう、正式な表記は澤井 耐三、1944年1月25日 - )は、日本の文学研究者・国文学者。愛知大学名誉教授。息子に漫画家の澤井啓夫がいる。 福井県大野市生まれ。1966年金沢大学法文学部卒業。1973年東京大学大学院人文科学研究科国文学専攻博士課程満期退学。78年日本古典文学会賞受賞。73年愛知大学文学部講師、助教授、教授。2014年定年、名誉教授。
林 省之介(はやし しょうのすけ、1943年9月8日 - )… 林 省之介(はやし しょうのすけ、1943年9月8日 - )は、日本の大学教授、政治家。元衆議院議員(1期)、予備校講師。 福井県大野市生まれ。関西大学文学部卒業、同大大学院修了。大学在学時に落語研究会(通称:落語大学)で桂文枝(旧・三枝)と同期。 1972年から関西大学第一中学校・高等学校の教諭を務めた後、1979年から関西大学文学部助教授。1986年同大教授、1999年に退職した。 また、大学受験における古文対策の著書でも有名である。1990年代までは非常勤で代々木ゼミナール等で教えており、文化放送の「大学受験ラジオ講座」(後番組の「KEISETSUアルシェITEMAEラジオ」を含む)にも出演。
帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年1… 帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年11月22日)は、日本の作曲家・編曲家。福井県大野市出身。 1962年に名古屋大学文学部に入学し、ギターマンドリンクラブに入部、後に同クラブ第6代指揮者。同期のコンサートマスターが榊原喜三である。作曲を中田直宏に師事。名古屋マンドリン合奏団の指揮者、いくつかの学生マンドリンクラブの指導、マンドリン及び合唱コンクールの審査員など。作曲作品は、マンドリン音楽のほか、ギター合奏曲、現代邦楽、室内楽、独奏曲、歌曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など百数十曲。マンドリン合奏への編曲作品も二百数十曲あり、特に、ロシア民族楽器オーケストラ曲の紹介に注目すべきものがある。
森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月2… 森永 大(もりなが ひろし、1925年〈大正14年〉12月27日 - 1995年〈平成7年〉3月18日)は、日本の政治家。福井県大野市出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)経済本科中退。元・北海道歌志内市長(1980年-1988年)。位階は従六位。 1951年歌志内町役場に入り、税務課長、水道課長、民生部長を経て、1971年同市助役。1980年に歌志内市市長選挙に出馬し当選。以後、2期8年市政を担うが、1988年の市長選挙で落選。1995年3月18日、肝臓癌のため死去。死没日付をもって従六位に叙された。 囲碁、観劇、絵画を好んだという。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5… 鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5日 - 2008年〈平成20年〉3月15日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士57期。第16代陸上幕僚長。 中学2年から仙台陸軍幼年学校に入校し陸軍士官学校へ進む。旧軍では歩兵。満州勤務の後、終戦直前は高知で陣地作りに従事した。復員し福井に帰郷後は旧制福井工専で電気を学び、エンジニアとして川崎の自動車会社に就職したが、1951年(昭和26年)12月に旧軍人組採用と同時に警察予備隊に1等警察士で入隊。以後、職種は通信科へ進むが、北部方面通信群長の他は、防衛や人事畑が主だった。 第13師団長、中部方面総監等を歴任し、第16代陸上幕僚長に就任。
南部 誠治(なんぶ せいじ、1912年10月19日 - 19… 南部 誠治(なんぶ せいじ、1912年10月19日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長を務めた。 福井県大野市出身。1936年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社。1957年11月に取締役に就任し、1959年9月に常務、1969年11月に専務、1974年11月に副社長を経て、1977年6月に社長に就任。 1970年6月に運輸大臣表彰を受け、1976年11月に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日、急性心不全のために死去。68歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
近藤 吾朗(五郎)(こんどう ごろう、1911年〈明治44年… 近藤 吾朗(五郎)(こんどう ごろう、1911年〈明治44年〉2月4日 - 1999年〈平成11年〉1月11日)は、日本の芸術家。戦前は中国に在住し東洋美術を学び、パリを中心に西洋美術、中近東やアジア諸国の古代文明跡に漂泊の旅を重ね、「写実の美」、「存在のリアリティー」を追求した。 晩年は富士山麓の静岡県裾野市にアトリエ「無暦庵」を構え、黙々と富士山を描き続けた。どの絵画も丹念なマチエールでダイナミックで重厚感のある油絵が特徴である。 他数百点以上の作品を残している。
松原 祐善(まつばら ゆうぜん、1906年12月25日 - … 松原 祐善(まつばら ゆうぜん、1906年12月25日 - 1991年1月7日)は、日本の仏教学者、真宗学者。金子大栄、 曽我量深に師事。 大谷大学名誉教授、元学長。 1906年、福井県大野市生まれ。旧制福井県立大野中学校(現福井県立大野高等学校)卒。大谷大学卒。大谷大学教授、学長。1980年退任、名誉教授。真宗大谷派円徳寺元住職。
加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12… 加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12月30日 - 1970年(昭和45年)8月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。位階は正三位。 第2代日本国有鉄道総裁(在任1949年-1951年)、参議院議員。 福井県大野郡大野町(現在の大野市)生まれ。大野中学、一高を経て、1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、鉄道省に入省した。 1932年(昭和7年)10月17日に十河信二の娘と結婚。 その後、運輸省鉄道総局長官などを経て1949年(昭和24年)6月1日の国鉄発足時、副総裁に就任する。当初は総裁の予定だったが、GHQが「戦中にベルリンの滞在が長かった」として難色を示し、アメリカ視察の経験があり、GHQが米国通と評価していた下山定則が初代総裁となった。
福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 … 福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 - 1997年〈平成9年〉9月2日)は、日本の政治家、位階は従二位。 自由民主党所属の衆議院議員(14期)、衆議院議長(第62代)。自民党では大野派→福田グループに属した後に、無派閥となる。 福井県出身。東京府立三中(現在の東京都立両国高等学校)、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部仏法科卒業。同盟通信記者を経て衆議院議員に。通産大臣、自治大臣、法務大臣などを歴任した。通産大臣時代には小説「官僚たちの夏」に描かれた今井善衛と佐橋滋との間の事務次官人事抗争に介入し、存在感を見せ付けたこともある。 自治大臣在任中、1975年1月21日、参議院決算委員会で「私は市川(房枝)さんほど国民を尊敬していない」と述べたため、野党の反発を招き、発言の取り消しを要求された。
玉手山 七郎(たまてやま しちろう、1887年7月14日 -… 玉手山 七郎(たまてやま しちろう、1887年7月14日 - 1941年9月13日)は、福井県大野郡(現大野市)出身で大嶽部屋から雷部屋を経て中村部屋に所属した大相撲力士。本名は縁本 七郎。身長171cm、体重90kg。最高位は関脇。 大嶽部屋に入門し、初め狼を名乗って1904年1月序ノ口となったが翌年脱走。その後小嵐の名で大坂相撲の雷部屋に加入し、1908年1月場所まで大坂相撲を務めて十両まで進む。その後東京相撲に戻ったが、同名力士がいたため改名を考え、イギリス製のラージ自転車にちなんで羅亜地山と改名届を出したが、広告的な四股名は受け入れられないとして協会から却下され、やむを得ず龍田川という四股名を付けた。
小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1… 小川原 政信(おがわら まさのぶ、1882年(明治15年)1月28日 - 1952年(昭和27年)9月6日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(4期)。 福井県大野郡米俵村(現大野市)で小川原左仲の長男として生まれる。1897年4月に渡道し岩内町に居住。1901年、海軍に志願し横須賀に出るが、健康を害したため北海道に戻った。 1903年9月、小学校教員となり、岩内郡堀株小学校、岩内尋常高等小学校に勤務。1909年1月、倶知安第一小学校長となり、同実業補習学校長を兼務し、1921年6月まで在任。同年7月、北海商事(株)社長に就任。その後、北海道会議員、同参事会員、北海道政務調査会長、同農地委員、後志馬匹組合長、北海道馬事牧野協会長、同農業会後志支部指導部長などを務めた。
岡 不崩(おか ふほう、明治2年7月13日(1869年8月2… 岡 不崩(おか ふほう、明治2年7月13日(1869年8月20日) - 昭和15年(1940年)7月29日)は、明治期から昭和期にかけて活動した日本画家。 明治2年(1869年)7月13日に福井県大野町に五人兄弟の四男として生まれる。本名は吉寿。幼名は又太郎といった。梅渓、不崩と号す。 明治13年(1880年)に上京し、麹町の番町小学校に入学する。明治17年(1884年)16歳の時に狩野友信に入門して洋画を学ぶ。当時は軍人志望であったが、鑑画会創立の頃から友信の紹介もあって狩野芳崖に師事し、本格的に日本画を習得している。有賀長雄宅での狩野永悳、芳崖、木村立嶽らの研究会に参加して学び、明治18年(1885年)の第1回鑑画会大会に岡梅渓の号で「山水」と「草花」を出品している。
近藤 金次郎(こんどう きんじろう、1866年〈慶應2年〉8… 近藤 金次郎(こんどう きんじろう、1866年〈慶應2年〉8月28日 - 1933年〈昭和8年〉2月9日)は、日本の政治家、大野町会議員、福井県会議員、呉服店店主、亀城銀行取締役、俳人。俳号は松翠舎漣月。 越前国大野郡大野町(福井県大野郡大野町を経て、現在の大野市)の酒造業・田中彌三兵衛の男子として生まれた。幼少の頃より同地の老舗呉服屋あらごろ呉服店の店主・近藤五郎右衛門の養子として育つ。1881年(明治14年)養父没後に家督を継ぎ、呉服店を継承する。1917年(大正6年)、正風音社の大野分社長を嘱託される。さらに大野町に本社のあった亀城銀行取締役(大七銀行合併の後に福井銀行に吸収される)、北陸絹布株式会社取締役、大野撚絲株式会社社長、大野町会議員、大野郡会議員を歴任した。
林 歌子(はやし うたこ〈戸籍名ウタ〉、1865年1月11日… 林 歌子(はやし うたこ〈戸籍名ウタ〉、1865年1月11日〈元治元年12月14日〉 - 1946年〈昭和21年〉3月24日)は、日本の教育者、キリスト教の社会事業家。 越前国大野(現在の福井県大野市)に、大野藩士林長蔵の長女として生まれる。 1877年(明治10年)に石川県(現在の福井県)第三女子師範学校(後に石川県第三女子小学師範学校と改名)に第1期生として入学する。明治天皇の巡幸の折は名代として来校した大隈重信参議の前で日本外史の一節を講義し、金一封をもらう。1880年(明治13年)に卒業後、大野町の有終小学校で勤務する。 小学校教員時代に歌人布川正沖に和歌を学ぶ。当時あこがれの女性は下田歌子だった。
林 彦一(はやし ひこいち、1863年(文久3年9月) - … 林 彦一(はやし ひこいち、1863年(文久3年9月) - 1923年(大正12年)12月22日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 越前国大野郡田野村(のち福井県大野郡富田村、現・大野市)出身。漢学を学ぶ。訓導、連合町村会議員、富田村戸長、学務委員、県勧業諮問会員、富田村会議員、同村長、大野郡会議員、同参事会員、福井県会議員、福井県蚕糸業組合評議員、同議長、大野郡蚕糸業組合評議員、大野郡農会長となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において福井1区から自由党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して当選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
岡 五郎(おか ごろう、1855年7月12日(安政2年5月2… 岡 五郎(おか ごろう、1855年7月12日(安政2年5月29日) - 1928年(昭和3年)10月31日)は、日本の教育者・文部官僚。 越前藩出身。岡源太夫の五男。藩校で漢学を学ぶ。福井県師範学校変則生を経て、1877年(明治10年)に官立愛知師範学校を卒業。東京麹町清水小学校訓導、千葉県鶴舞小学校校長、茂原町中学校教諭を歴任した。1882年(明治15年)、東京師範学校(後の東京高等師範学校)を卒業。その後、徳島県師範学校一等教諭・学務課勤務、徳島県中学校一等教諭、高等師範学校助教諭・附属小学校主任、同教諭、女子師範学校教諭・同高等女学校主任、同教授・文部省普通学務局勤務、高等師範学校書記・教授、文部省普通学務局第一課長、宮城県尋常師範学校校長、東京府視学官・文部省視学官を歴任した。
伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年1… 伊藤 淳(いとう あつし、1854年11月22日(安政元年10月3日)- 1903年(明治36年)5月29日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越前国大野郡御領村(福井県大野郡阪谷村を経て現大野市御領)で、豪農・伊藤三郎左衛門の長男として生まれた。普通学を修めた。1874年(明治7年)8月に家督を相続した。 大区副区長、阪谷村五箇村組合長、大野郡会議員(2期)、同参事会員などを務め、明治初期に永昌社(金融機関)を創立して農家の便宜を図った。1885年(明治18年)11月、福井県会議員に選出され、1902年(明治35年)8月まで5期在任。この間、同常置委員、同参事会員などにも在任し、道路の整備などに尽力した。
竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月… 竹尾 茂(たけお しげる、1852年2月24日(嘉永5年2月5日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、福井県会議長、福井県大野郡上庄村長。旧姓・真柄(まから)。 越前国大野郡猪ノ島村(福井県大野郡上庄村を経て現大野市)で、真柄重右衛門の二男として生まれた。1873年(明治6年)7月、同郡稲郷村(上庄村を経て現:大野市)の旧家・故竹尾五右衛門の婿養子となり、その長女はま と結婚した。農業を営む。 1881年(明治14年)4月、福井県設置初の県会議員選挙で当選し、1899年(明治32年)9月まで通算6期在任した。この間、同議長(第5代1885年11月-12月)、同副議長(第6代1885年12月-1887年12月、第13代1892年11月-1893年9月)も務めた。
吉田 拙蔵(よしだ せつぞう、文政9年7月10日(1826年… 吉田 拙蔵(よしだ せつぞう、文政9年7月10日(1826年8月13日) - 明治20年(1887年)11月20日)は、越前大野藩士。諱は俊章、字は子明、静斎と号した。幕府の軍艦教授所で航海術を学び、藩が建造した洋式帆船大野丸の船長として活躍。明治初年では第26大区区長(学区取締兼任)、明治8年(1875年)以降学区取締や郡書記を務めた。 文政9年(1826年)越前国大野に生れる。父は吉田理左衛門、母は大島氏(生後数か月で離縁)。12歳で大野藩士小早川一平(のちに明倫館教授師)につき読書を始め、16歳(天保13年)で藩重臣内山隆左に入門し、弘化元年(1844年)大小姓として召し出された。その後藩校明倫館助教師となった。
野村 佳奈子(のむら かなこ、7月25日 - )は、日本のフ… 野村 佳奈子(のむら かなこ、7月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。主に福井放送 (FBC) の番組に出演していた。 福井県大野市出身。身長151cm。既婚者で2児(娘2人)の母。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
斉藤 隆史(さいとう たかし、6月19日 - )は、日本の男… 斉藤 隆史(さいとう たかし、6月19日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。福井県大野市出身。シグマ・セブン所属。 福井県大野市出身だが、一時は福井県鯖江市に住んでいた時期もある。 大野市有終西小学校、大野市陽明中学校、福井県立大野高等学校卒業。 日本テレネットの声優を多く起用していたゲーム作品がきっかけで本格的に声優を目指した。 京都コンピュータ学院、代々木アニメーション学院、オフィス薫声優養成所、俳協ボイスアクターズスタジオを経て、(株)Doa The・声優塾8期、DOA ザ・フレッシュを経て、2004年シグマ・セブン所属。 The・声優塾の同期は安元洋貴、福圓美里、西田紘二。 特技は板割り、声真似。