大島 祐哉(おおしま ゆうや、1994年3月5日 - )は、… 大島 祐哉(おおしま ゆうや、1994年3月5日 - )は、日本のプロ卓球選手、モデル。京都府綾部市出身。中学陸上競技では、走り幅跳びで当時の京都記録を更新(記録6m50cm)。早稲田大学卒業。身長は170cm、体重は64kg、靴のサイズ26cm。ITTF世界ランキング最高男子ダブルス1位。U21男子シングルス3位。2017年ユニバーシアード男子ダブルスの世界チャンピオンであり、全日本選手権男子ダブルス優勝(平成29年度)の経歴を持つ。段級位は7段。右シェーク裏裏ドライブ型。Tリーグは琉球アスティーダ所属、木下マイスター東京所属歴あり。契約先がMIZUNOからandroへと変更となった。 小学2年の時に兄の影響で「TTCきさらぎ」で卓球を始める、綾部市立豊里中学校から東山高校、早稲田大学(スポーツ科学部スポーツ科学科)に進学。
久馬 悠(きゅうま はるか、1993年12月20日 - )は… 久馬 悠(きゅうま はるか、1993年12月20日 - )は、京都府綾部市出身の陸上競技選手。専門は5000mと10000m。一卵性双生児の姉であり、妹の萌と合わせて久馬姉妹と呼ばれている。 小学校時代に綾部市の駅伝大会に出場したのを、地元中学の陸上部顧問が見てスカウトされたことから、本格的に陸上競技を始めた。綾部中学校2年時の2008年1月、初めて姉妹同時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会(全国女子駅伝)京都府代表に抜擢される。中学校3年時の同年8月21日、新潟スタジアム(東北電力ビッグスワンスタジアム)で行われた第35回全日本中学校陸上競技選手権大会女子1500mに出場、3位入賞を果たす。この時、萌は優勝し、大会新記録を出している。
久馬 萌(きゅうま もえ、1993年12月20日 - )は、… 久馬 萌(きゅうま もえ、1993年12月20日 - )は、京都府綾部市出身の陸上競技選手。専門は5000mと10000m。一卵性双生児の妹であり、姉の悠と合わせて久馬姉妹と呼ばれている。 小学校時代に綾部市の駅伝大会に出場したのを、地元中学の陸上部顧問が見てスカウトされたことから、本格的に陸上競技を始めた。2008年、綾部市立綾部中学校2年生で初めて姉妹同時に全国都道府県対抗女子駅伝競走大会京都府代表に抜擢される。同年8月21日に新潟スタジアム(東北電力ビッグスワンスタジアム)で行われた第35回全日本中学校陸上競技選手権大会女子1500mに出場、大会新記録で優勝を果たす。この時、悠は3位に入賞している。
杉山 晃紀(すぎやま あきのり、1990年11月1日 - )… 杉山 晃紀(すぎやま あきのり、1990年11月1日 - )は、京都府綾部市出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。プロでは育成選手であった。現在はプロのダーツプレイヤーや、俳優として活動。 綾部市立中筋小学校2年時に、地元の中筋ジャガーズで野球を始める。最初は内野手で、後に捕手に転向。 綾部市立綾部中学校では、ボーイズリーグの綾部パワーズに入団。2年時に外野手から投手に転向。 綾部高では、1年秋から右翼手兼控え投手。2年春から投手に専念し、秋からはエースとして活躍した。3年夏は、京都府予選の初戦で洛星高に敗退。甲子園出場経験はなかった。 2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議において読売ジャイアンツから育成ドラフト1巡目で指名され、11月18日に支度金200万円、年俸240万円で仮契約。
渡辺 庸介(わたなべ ようすけ、1986年7月1日 - )は… 渡辺 庸介(わたなべ ようすけ、1986年7月1日 - )は、京都府綾部市出身の音楽家・パーカッショニスト。タンバリンを主軸に様々な打楽器を扱いつつ、ボイスパーカッションを行なうなどジャンルにとらわれない演奏を行っており、様々なアーティストをサポートしている。 幼い頃から和太鼓に親しみ、立命館大学在学中の2005年に北欧音楽バンド「Drakskip」を結成し、大学卒業後、程なくしてプロミュージシャンとなる。2012年、2014年にはスウェーデン、フィンランドの音楽フェスティバルに参加し、2015年のFUJI ROCK FESTIVALにも出演した。同年夏にはNHK連続テレビドラマ小説『マッサン』のヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスのソロライブツアーメンバーとして全国8カ所をまわった。
神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、… 神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、京都府綾部市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
大槻 めぐみ(おおつき めぐみ、1982年10月6日 - )… 大槻 めぐみ(おおつき めぐみ、1982年10月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 京都府綾部市出身。母親がママさんバレーをしていた影響で、小学3年よりバレーボールを始める。 京都成安高卒業後、東レアローズに入団。2006年5月に東レを退団し、その後四国Eighty 8 Queenに加入。2007年、エイティエイツのチャレンジリーグ昇格に貢献。チームの主将も務めた。 その後も香川県内の企業に勤めながらプレミアリーグ昇格を目指して活動していたが2009/10シーズン終了をもってエイティエイツを勇退した。 Vリーグ引退後は短大を経て小学校教諭に転身し、地元の綾部市で勤務している。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
長瀬 次英(ながせ つぐひで、1976年11月30日 - )… 長瀬 次英(ながせ つぐひで、1976年11月30日 - )は、日本のマーケター、経営コンサルタント、『LDH JAPAN』CDO等を歴任。中央大学総合政策学部国際政策文化学科卒業。京都府綾部市出身。 京都府綾部市生まれ。 大学は中央大学総合政策学部国際政策文化学科を卒業。 2000年(平成12年)KDD(現・KDDI)に入社。その後、外資系広告代理店のJ. Walter Thompson Japan、ユニリーバ・ジャパン/ユニリーバ・オーストラリア(約1年間シドニー駐在赴任)、ニュースキン・ジャパン、フェイスブック・ジャパン2014年(平成26年)にインスタグラム2015年(平成27年)10月、ロレアルの日本法人で初代CDO(最高デジタル責任者)に就任。
相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京… 相根 澄(さがね きよし、1973年10月4日 - )は、京都府綾部市出身の元フットサル選手、元サッカー選手、フットサル指導者。 綾部サッカースポーツ少年団 (現:綾部フリーゲンフースバルクラブ)でサッカーを始めて、京都府立綾部高等学校に入学。卒業後は京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C.)、ヴァンフォーレ甲府などでプレーし、後にフットサルに転向した。 フットサル転向後1999年にフットサル日本代表入り。2002年から2004年にかけてAFCフットサル選手権で3年連続準優勝した際のメンバーでもある。その後イタリア等で長くプレーした後、2007年に発足した日本フットサルリーグ(Fリーグ)の立ち上げに関与し、自らもASVペスカドーラ町田に加入して選手としてプレーするが、同年限りで現役を引退した。
澤田 芳博(さわだ よしひろ、1969年10月21日 - )… 澤田 芳博(さわだ よしひろ、1969年10月21日 - )は、関西テレビのテレビプロデューサー、元報道記者。 京都府綾部市出身。1992年4月、大阪大学経済学部卒業後、関西テレビに入社。報道部で阪神・淡路大震災など取材。『FNNスーパーニュースほっとKANSAI』の編集長の後、FNNパリ支局特派員を担当。 帰国後、編成部に異動し主に深夜番組を企画・プロデュース。関西テレビの深夜枠『カキューン!!』を統括。 2011年7月、東京支社制作部に異動。『Mr.サンデー』(フジテレビ共同制作)のプロデューサーに就く。また、『ヨルスパ!』で『宮根のどないアングル』、『サイコーの問題』、『ツカエル!Q極の問題』等の番組制作を担当。
瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - … 瀧本 智行(たきもと ともゆき、1966年10月23日 - )は、日本の映画監督、脚本家。京都府綾部市出身。 京都府立綾部高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部に在学中から自主映画や演劇活動に没頭。1993年頃からフリーの助監督として様々な作品に参加。TVドラマの脚本やプロットプランナーとしての仕事も手掛ける。映画『樹の海』で監督デビュー。
門 智昭(かど ともあき、1966年10月16日 - 202… 門 智昭(かど ともあき、1966年10月16日 - 2021年11月3日)は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。 1966年10月16日、京都府綾部市位田町岡倉に生まれた。綾部市立豊里小学校、綾部市立豊里中学校、京都府立綾部高等学校を卒業後、東京の専門学校でアニメーションを学び、アニメーターとして活動を始めた。その後は作画監督として『地獄少女』シリーズや『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズと言った多数の作品に参加した。2020年10月16日には大腸癌からの肝臓転移が判明したが、門の妻によれば、本人が早期の仕事復帰を希望したため手術は行わず、抗がん剤による治療を続けていたという。
塩見 直紀(しおみ なおき、1965年4月4日 - )は、半… 塩見 直紀(しおみ なおき、1965年4月4日 - )は、半農半X提唱者。 半農半Xコンセプトは国内外にひろがり、政策化される。Local AtoZ Makerとして、古典的編集手法AtoZやアイデアブック(地域資源から新しいアイデアを生み出す問題集)を使ったローカルメディア、教材開発をおこなう。半農半X研究所代表、総務省地域力創造アドバイザー。京都府綾部市出身。 皇學館大学文学部国史学科(日本古代史専攻/律令時代の官職制度研究)卒。龍谷大学大学院政策学研究科(NPO・地方行政コース)修了(政策学修士)。京都市立芸術大学大学院美術研究科(メディア・アート領域)博士後期課程単位取得退学。美術博士。
屋敷 豪太(やしき ごうた、1962年2月26日 - )は、… 屋敷 豪太(やしき ごうた、1962年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、ドラマー、音楽プロデューサーである。京都府綾部市出身。 京都府立綾部高等学校卒業後に上京。 1982年、こだま和文らとミュート・ビートを結成。 1986年、MELONに加入し、ヨーロッパ公演を行った。 1987年、中西俊夫、藤原ヒロシらとダンスミュージックを中心としたレコードレーベル「Major Force」を設立した。 1988年に渡英。1989年にソウル・II・ソウルでプログラミング等を担当したシングル「Keep on Movin'」が、全英チャート5位を記録、続いてリリースされたシングル「Back to Life」は、全英チャート1位(Music Week)、全米チャート4位(ビルボードHot100)を記録した。
田中 利典(たなか りてん 、1955年 - )は、日本の修… 田中 利典(たなか りてん 、1955年 - )は、日本の修験者。金峯山寺長臈。林南院(綾部市)住職。京都府綾部市生まれ。 修験者である父の下、幼少時から修験修行を重ねる。 紀伊山地の霊場と参詣道の吉野大峯地域の世界遺産登録を推進。登録後は奥駈道の保全整備に関する連絡協議会や紀伊山地三霊場会議を設立。 また、修験道ルネサンスも提唱。
塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月1… 塩見 三省(しおみ さんせい、1948年〈昭和23年〉1月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。京都府綾部市出身。同志社大学卒業。身長177 cm、体重72 kg。 1978年に演劇集団 円に入団。演劇『幕末純情伝』『熱海殺人事件』や1980年代はテレビドラマ、1990年代から映画にも活動の場を拡げ、『12人の優しい日本人』『Love Letter』に出演した。 『アウトレイジ ビヨンド』及び『アウトレイジ 最終章』での凄味のあるヤクザの若頭補佐から、『モリのアサガオ』の看守長に代表される人情味あふれる人格者まで、現在は名脇役として活躍している。2013年にはNHK連続テレビ小説『あまちゃん』に出演し「琥珀の勉さん」役を演じて注目を集めた。
竹貫 元勝(たけぬき げんしょう、1945年1月1日 - 2… 竹貫 元勝(たけぬき げんしょう、1945年1月1日 - 2021年5月16日)は、日本の歴史学者。花園大学名誉教授、正眼短期大学副学長・特任教授。博士(文学)(佛教大学、1992年)。日本中世史、禅宗史専攻。京都府綾部市出身。
村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は… 村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は、日本の倫理学者、仏教学者。博士(文学)(1995年、東北大学にて取得)。 京都府加佐郡で出生。綾部市出身。1965年東北大学文学部哲学科卒業、1967年同大学院文学研究科修士課程修了、東北大学助手、山口大学教養部助教授、1985年同大学教授。1990年高野山大学教授。総本山金剛峯寺執行・高野山真言宗教学部長を歴任。高野山大学名誉教授・高野山伝燈大阿闍梨。1995年「空海の世界と智の構造」で東北大学にて博士(文学)。元の専門はルソーなど。2022年、瑞宝中綬章受章。
矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉1… 矢田作十路(やた さくじゅうろう、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2018年〈平成30年〉5月30日)は、日本画家。雅号は白羊。日本の荒海や山間の静寂を題材にした作品や、中国の古典にならった虎や鷹の作品を多く残している。仏教にも造詣があり羅漢山宝住寺の釈迦三尊像や十八羅漢の石像の下絵を制作、城西山安養寺と羅漢山宝住寺の七条袈裟なども制作した。 1937年(昭和12年)、京都府何鹿郡中上林村(現在の綾部市)の京友禅の家系に生まれる。友禅の職人であった父・矢田茂久雄に師事し幼少時から筆を握っていた。 『作十路』の命名は禅僧によるもので、十牛図にみる十段階の悟りの境地をただ追い求める姿勢を表したものである。
出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15… 出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15日 - 2002年(平成14年)6月19日)は、日本の作家、宗教家。大本教祖・出口王仁三郎の孫。 代表作『大地の母』全12巻(出口なお・王仁三郎の伝記であり、大本初期の歴史を描いた小説)。本名以外に「野上竜」「十和田龍」というペンネームで書いた著作もある。 昭和50年代から大本の宗教改革運動に取り組み、仲間たちと共に「いづとみづの会」を設立。昭和60年代には宗教法人「愛善苑」として独立した。 綾部の大本の聖地の中で生まれる。母親は出口王仁三郎の第三女・八重野で、亀岡に住んでいたが、出産の時だけ綾部に滞在していた。生まれた場所は大本の御神体山の頂上(一番の聖域)に建つ穹天閣(きゅうてんかく)という建物で、綾部における王仁三郎の居館だった。
羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11… 羽室 幸明(はむろ ゆきあき、1929年 <昭和4年> 11月23日 - 2019年 <平成31年> 2月18日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府綾部市出身。1952年に京都大学農学部農林経済科を卒業し、同年4月に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1981年2月に取締役に就任し、1987年2月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1996年6月に会長に就任。 2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年2月18日、死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 201… 奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。 京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。
町井 正登(まちい まさと、1923年(大正12年)5月8日… 町井 正登(まちい まさと、1923年(大正12年)5月8日 - 2006年(平成18年)10月17日)は、日本の政治家。舞鶴市長。舞鶴市名誉市民。1979年から1995年まで、4期16年に渡り舞鶴市長を務めた。 京都府綾部市生まれ。金沢高等工業学校(現・金沢大学)を卒業後、舞鶴市役所へ就職。助役を務めたのち、1979年市長選に出馬し当選。在任期間中は、道路や市民病院の整備を進めたほか、軍港である赤煉瓦を見直して舞鶴市政記念館をオープンするなど、多くの公共事業を進めた傍ら、財政については黒字を維持することに成功した。 1995年、妻の体調を理由に不出馬。同年、舞鶴市名誉市民条例にもとづき、名誉市民の認定を受ける。
楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009… 楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009年7月20日)は、日本の宗教学者。東北大学名誉教授。 京都府綾部市出身。浄土真宗の寺に生まれる。東北大学大学院文学部特別研究生博士課程修了。東北大学教養部助教授、文学部日本文化研究施設教授。79年「信仰の形成と本質構造」で東北大学文学博士。85年定年退官、名誉教授、武蔵野女子大学教授。堀一郎に師事し、宗教学から民間信仰へと研究を進めた。
植芝 吉祥丸(うえしば きっしょうまる、1921年6月27日… 植芝 吉祥丸(うえしば きっしょうまる、1921年6月27日 - 1999年1月4日)は武道家。日本の合気道の二代目の継承者。父は合気道開祖植芝盛平。次男は三代目道主植芝守央。 昭和20年代の合気会は新規の入門者が中々集まらず、塩田剛三の養神館道場に対して劣勢であった。吉祥丸はこの状況を挽回するために、 といった当時としては革新的な試みを行い、合気道の全国的な普及に成功した。現在合気会は合気道界で最大勢力の合気道統括組織であり、日本国内100万人・世界全体で160万人ともいわれる合気道人口の8割を占める。
田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 199… 田中 生夫(たなか いくお、1917年6月19日 - 1996年2月17日)は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。 京都府綾部市生まれ。第三高等学校卒。1941年、京都帝国大学経済学部卒、台湾銀行大阪支店に入行。1942年から1945年まで陸軍へ応召。1946年、岡山農業専門学校講師。1948年、教授。1950年、岡山大学法文学部講師、1951年に助教授、1961年に教授。1968年「イギリス初期銀行史研究」で、九州大学経済学博士。1980年から1982年、岡山大経済学部長、評議員。1981年から1982年、法文学部長。1983年、定年退官、名誉教授、金沢大学教授、のち福山大学教授、中京大学教授。
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
大槻 丈夫(おおつき たけお、1907年2月11日 - 19… 大槻 丈夫(おおつき たけお、1907年2月11日 - 1978年2月24日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 京都府綾部市出身。1929年に高文行政科に合格し、1930年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に鉄道省に入省。興亜院、運輸省での勤務を経て、1950年12月に国鉄理事に就任し、1956年3月までに務めた。 1962年11月に近畿日本鉄道専務に就任し、1968年5月に副社長を経て、1973年11月に常任監査役に就任。1976年1月には近畿日本ツーリスト社長に就任した。 1978年2月24日、肺腫瘍のために死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大槻 武二(おおつき たけじ、1906年6月26日 - 20… 大槻 武二(おおつき たけじ、1906年6月26日 - 2004年9月10日)は、日本のキリスト教伝道者。福音主義信仰を基軸にし、聖イエス会を創立した。 1936年、日本ホーリネス教会 (きよめ教会) の伝道師であった大槻武二は奉天 (後の瀋陽市、当時関東軍の拠点の一つ) での開拓伝道の任命を受け、奉天聖潔教会に赴任。1938年1月9日、鮮明な聖霊のバプテスマを体験し、キリストの内住を確信するに至る。以降、大槻の祈りによって活発に聖書に書かれているような神癒 (病の癒し) が起こるようになった 。1942年日本に帰国し各地のキリスト教会から招聘を受け巡回伝道を続けたが、1946年聖霊の導きにより聖イエス会を創立。
細野 史郎(ほその しろう、1899年8月1日 - 1989… 細野 史郎(ほその しろう、1899年8月1日 - 1989年5月6日)は、日本の医者。東洋医学の発展に貢献した人物の一人。 京都府綾部市出身。1927年京都帝国大学医学部卒業。幕末から明治時代にかけて活躍した浅田宗伯の流れを汲む漢方医学の医師新妻良輔の弟子となり、東洋医学を学んだ。弟子には坂口弘らがいる。1950年に日本東洋医学会が設立され、坂口らとともに参加した。また、漢方エキス製剤の臨床研究を重ね、今日のエキス製剤による漢方治療の道を開いた。
原 脩次郎(はら しゅうじろう、1871年7月1日〈明治4年… 原 脩次郎(はら しゅうじろう、1871年7月1日〈明治4年5月14日〉- 1934年〈昭和9年〉3月6日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、拓務大臣、鉄道大臣。 現在の京都府綾部市で原虎好の二男として生まれる。1884年(明治17年)3月に綾部小学校を卒業し、その後、1886年(明治19年)まで代用教員を務める。1892年(明治25年)、弁護士事務所に入り、1893年(明治26年)、東京法学院に入学するも後に退学。 1896年(明治29年)、台湾新竹法院雇となり、裁判官心得に進む。1901年(明治34年)6月、台南県弁務署長に就任。同年11月、台湾総督府警視・保安課長に就任し、1904年(明治37年)12月に退職した。
小室 縫之助(こむろ ぬいのすけ、1863年11月22日〈文… 小室 縫之助(こむろ ぬいのすけ、1863年11月22日〈文久3年10月12日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。日本工業常務取締役。旧姓・芦田。 京都府何鹿郡綾部町(現・綾部市)、芦田信治の次男。小室静三の養子となる。静三の長女べんと結婚する。後に本籍を宮津町字魚屋に移す。20歳の頃に京都日報に入り、編輯課に従事する。宮津町へ移転と同時に丹州汽船会社に入り支配人となり、1892年2月に辞職。 1887年3月、大阪控訴院で公証人登用試験に合格、また与謝郡郡会議員に当選、任期満了により退職する。1892年4月に司法省より公証人を命じられ、1904年4月に願いにより職を免ぜられる。 1904年、支那杭州で武林洋行を設立し、大阪店主任となる。
7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえ… 7代 羽室 嘉右衛門(嘉右衞門、はむろ かうえもん / かえもん、1856年12月26日(安政3年11月29日)- 1924年(大正13年)8月25日)は、明治から大正期の地主・農業経営者・酒造家・実業家・政治家。京都府多額納税者、第一期及び第二期貴族院多額納税者議員互選人。衆議院議員、京都府何鹿郡中筋村長。幼名・逸郎、松逸郎。 郡是製絲株式会社(現・グンゼ株式会社)初代社長、明瞭銀行頭取。郡是製絲株式会社の第2代社長波多野鶴吉は次弟。比叡山鉄道株式会社初代社長、愛宕山鉄道株式会社取締役で京都法政学校(現・立命館大学)設立評議員・理事の羽室亀太郎は末弟。羽室亀太郎の妻ゆうは衆議院議員河原林義雄の妹。
由理 滴水(ゆり てきすい、文政5年4月8日〈1822年5月… 由理 滴水(ゆり てきすい、文政5年4月8日〈1822年5月28日〉 - 1899年〈明治32年〉1月20日)は日本の江戸末期から明治初期にかけての臨済宗の僧侶。宜牧は諱、号は滴水、無異室、雲母庵とも称する。姓は由利、由里とも。また滴水宜牧ともいう。 丹波国何鹿郡白道路村(現・京都府綾部市)に上田彦兵衛、母絹の三男として生まれる。父は文政8年(1825年)早くに没したので、親類の京都府加佐郡河守村の酒造家である由理清左衛門宅に引き取られ、養子となる。そして父の遺言に従い、9歳の時に出家をして、加佐郡行永村にあった龍勝寺の住職・大法和尚について出家得度する。この時僧名を宜牧と名づけられる。大和和尚は病身で経文祖録は進まず、もっぱら湯薬の世話に明け暮れた。
渡辺 信一郎 は、京都府綾部市出身のアニメ演出家、アニメ監督… 渡辺 信一郎 は、京都府綾部市出身のアニメ演出家、アニメ監督、音楽プロデューサー。
細野 豪志 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(1… 細野 豪志 は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(10期)。
1972年2月24日生まれ。整体師、作家。著書に「評判の癒し… 1972年2月24日生まれ。整体師、作家。著書に「評判の癒しサロンをはじめる本」「予約でいっぱいになる 評判の治療院・サロンをはじめる本」(秀和システム)がある。