高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2… 高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2017年10月6日)は、日本の実業家。日興證券代表取締役社長。大阪府大阪市出身。大阪府立住吉高等学校、和歌山大学経済学部卒業。
大阪府 大阪市:1,310人
高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2… 高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2017年10月6日)は、日本の実業家。日興證券代表取締役社長。大阪府大阪市出身。大阪府立住吉高等学校、和歌山大学経済学部卒業。
眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ… 眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ〉、1934年〈昭和9年〉10月20日 - 2019年〈令和元年〉11月3日)は、日本のSF作家。 代表作『司政官シリーズ』で1979年に泉鏡花文学賞を、同年と1996年に星雲賞日本長編部門を受賞している。 1934年 (昭和9年) に大阪府大阪市西成区で生まれる。大阪府立住吉高校を経て、1957年 (昭和32年) に大阪大学経済学部卒業後、大阪窯業耐火煉瓦株式会社(のちの株式会社ヨータイ)に入社、日生工場(現岡山県備前市日生町)赴任。1958年 (昭和33年) に大阪本社に転勤。この頃の経験を題材として後年『傾いた地平線』に「ぼくがそうであったかも知れぬ可能性」の世界として描かれた。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14… 水野 正好(みずの まさよし、1934年〈昭和9年〉8月14日 - 2015年〈平成27年〉1月27日)は、日本の考古学者。奈良大学名誉教授、元学長 。元元興寺文化財研究所長。専門は考古学、古代史・文化史(宗教考古学、まじない) 。大阪府大阪市出身 。 大阪府大阪市生まれ。奈良県田原本町立田原本小学校、大阪市立東中学校を経て、1953年(昭和28年)に大阪府立今宮高等学校卒業。 1957年、大阪学芸大学(現・大阪教育大学)学芸学部中学4年課程を卒業。1962年から滋賀県教育委員会に勤務し、日本初の技師に[要説明]。1969年から大阪府教育委員会、1974年から文化庁文化財保護部記念物課に勤めて主任調査官となる。
森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日… 森 南海子(もり なみこ、1934年7月9日 - )は、日本の服飾デザイナー、エッセイスト。日本に「リフォーム」という言葉を根付かせたとされ、また布の蒐集家としても知られる。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野高等学校卒。本名は松村南海子。戦後まもなく、南海子が小学6年生のとき父が死去し、母と二人で生活する。母・しまは甘粕の出身で甘粕正彦と甘粕重太郎とは従兄弟の関係であり、甘粕石介は母の弟で、南海子の叔父にあたる。 1958年に、大阪の阪神百貨店の洋服売り場で当時「お直し」や「修繕」と言われていた洋服のリフォームの店を出した。「手縫い塾」を主宰し、ホテル阪神の地下にも店を持った。 また、確実な収入源として、1959年にリフォームの店と同じ阪神百貨店の地下に食堂「天ぷら森」を開いた。
千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8… 千原 薫(ちはら かおる、1934年7月9日- 2020年8月23日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1988年3月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年3月に専務を経て、1996年2月に副社長に就任。1996年3月にアサヒ飲料副社長に就任し、1999年1月には社長に昇格した。2000年10月に取締役相談役に就任し、2001年3月には相談役に就任。 2020年8月23日に死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は… 鳥井 克之(とりい かつゆき、1934年6月26日 - )は、中国語学者、関西大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪府立今宮高等学校卒、1958年大阪市立大学経済学部(二部)卒業。1960年同文学部中国学科(二部)卒業。1963年同大学院文学研究科修士課程修了、大阪市立大学文学部助手、1967年関西大学文学部講師、助教授、教授、2000年外国語教育研究機構教授。2005年定年、名誉教授。 1996年「中国文法学説史」で関西大学より文学博士の学位を取得。 2014年11月瑞宝中綬章受章。
団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1… 団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1月)は、日本の俳優。本名、久野 義雄。別名義、団 巌(だん がん)。 大阪府大阪市出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。サンプロモーションに所属していた。 1959年、大学を卒業。同年、東映東京撮影所に入社し、製作助手を経て製作主任となる。 1968年、東映を退社して俳優に転向。テレビドラマ『キイハンター』では複数回登場するなど、映画やテレビドラマで悪役を中心に活動した。 2003年1月、心筋梗塞のため死去。68歳没。晩年は古巣の東映東京撮影所に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 202… 菊池 嘉人(きくち よしと、1934年4月15日 - 2020年8月15日)は、日本の経営者。タイガー魔法瓶社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1957年に甲南大学経済学部を卒業し、同年にタイガー魔法瓶に入社。専務、副社長を経て、1968年4月に社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。1999年4月に相談役に就任。 1989年11月に藍綬褒章を受章。 2020年8月15日に多臓器不全のために死去。86歳没。
高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 … 高田 宏治(たかだ こうじ、1934年〈昭和9年〉4月7日 - )は、日本の脚本家。本名は名前の読みが(ひろはる)。東映で時代劇・現代劇・ヤクザ映画など、オールマイティに執筆をしている。大阪府大阪市出身。東京大学文学部英文学科卒業。 1934年に大阪府大阪市で生まれ、太平洋戦争には宇治市に疎開していた。1950年に清水谷高校へ転校し、読書と映画に耽溺していた。1953年に京都大学を落第し、1年浪人。片思いの女性に振られたことで発奮、猛勉強に励んだ。1954年に東京大学へ入学。大学同期の大江健三郎に触発され、文筆生活を志す。1955年には砂川闘争へ参加。1956年に日本経済新聞社や岩波書店などからも誘いを受けるが、脚本家を一生の仕事と決め、東映に入社。
清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月3… 清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月31日 - 1961年)は、日本の元女優である。実妹は宝塚歌劇団の万里弥生。 大阪府大阪市生まれ。1952年(昭和27年)大阪府立清水谷高等学校を卒業。1954年3月に東京映画(東宝の関連)入社。出身高校から名付けた「清水谷洋子」の芸名で、「風立ちぬ」(堀辰雄原作、島耕二監督)でデビュー。「あんみつ姫」「赤いカンナの花咲けば」「忘れじの人」などに出演した。 1955年10月、大映の誘いで移籍し「清水谷薫」と改名。京都撮影所に所属し、同年の「怪盗と判官」で、市川雷蔵(遠山金四郎役)や勝新太郎(鼠小僧次郎吉役)と共演。翌年「花の渡り鳥」では、長谷川一夫演じる主人公(榛名の清太郎)の元恋人で、市川雷蔵(佐吉)の妻(おしの)役を演じた。
加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は… 加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は、元官僚の学者、筑波大学名誉教授。俳誌『樹』主催、俳名・国彦。教徒名はPeter Eiichi Kato。 大阪市生まれ。1958年国家公務員上級職合格。1959年東京大学法学部卒業、自治省に入り行政局等に勤務後、1973年より自治大学校教授。1976年総合研究開発機構(NIRA)主任研究員。東大、東京工業大学講師などを経て筑波大学社会工学系教授(都市行政・政策分析)、同国際関係学類第二代学類長。1997年の定年退官後は常磐大学教授。2007年退職。現在[いつ?]は統一教会系メディアの『世界日報』常連寄稿者、同じく世界平和教授アカデミーのオピニオン寄稿者でもある。
金田 弘光(かねだ ひろみつ、1934年 - )は、経済学者… 金田 弘光(かねだ ひろみつ、1934年 - )は、経済学者。カリフォルニア大学デービス校名誉教授。大阪市生まれ。 1934年に大阪市に生まれる。同志社大学、アーモスト大学を卒業後、スタンフォード大学に進学し1963年に博士号を取得。同年にカリフォルニア大学デービス校に助教授として着任し、1968年に准教授(準教授)に、1973年に教授に昇任する。1994年に同校を定年退職となり、名誉教授となる。その間、イェール大学、パキスタン開発経済研究所、オーストラリア国立大学RSPS経済学部、アジア経済研究所、世界銀行で在外研究等を行う。1996年から同志社大学大学院アメリカ研究科教授を務めた。開発経済学が専門で、発展途上国の農業開発と経済発展の分野で貢献した。
松浦 輝夫(まつうら てるお、1934年〈昭和9年〉 - 2… 松浦 輝夫(まつうら てるお、1934年〈昭和9年〉 - 2015年〈平成27年〉11月6日)は、日本の登山家。大阪府大阪市出身。1970年、植村直己とともに、日本人として初めて世界最高峰エベレストの登頂に成功した。 大阪府大阪市出身。西野田工業高校時代はラグビー選手であったが、「山に登りたい一心で」、1953年、早稲田大学教育学部に進学し、1957年に卒業した。卒業後は大阪市西区にある実家の松浦木材に入社した。 1965年、ヒマラヤの標高8,383mのローツェ・シャール峰に挑戦した早稲田大学隊に参加し、松浦は当時の日本人最高到達高度である8,180mを記録したが、食料と酸素の残量が乏しかったため、遭難者をださないことを主眼として、やむなく登頂を断念した。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 202… 戸田 博之(とだ ひろし、1933年11月18日 - 2023年10月30日)は、日本の会計学者。神戸学院大学名誉教授、元日本簿記学会会長。 大阪府大阪市生まれ。1952年関西学院高等部卒業。1956年関西学院大学経済学部卒業。1961年神戸大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学、大阪医薬相互販売取締役。1964年大阪府立大学経済学部専任講師。1967年京都産業大学経営学部専任講師。1968年京都産業大学経営学部助教授。1972年京都産業大学経営学部教授。1975年京都産業大学経営学部長。1985年神戸学院大学経済学部教授。1989年神戸大学経営学博士。1993年日本簿記学会副会長。2002年日本簿記学会会長。
東 孝光(あずま たかみつ、1933年9月20日 - 201… 東 孝光(あずま たかみつ、1933年9月20日 - 2015年6月18日)は、日本の建築家。大阪大学名誉教授。 「打ち放しコンクリート」「狭小住宅」の先駆けで建築史に残る「塔の家」をはじめ、「都市型住宅」を多く手がけ、1995年に日本建築学会賞作品賞を受賞した。日本万国博覧会では三井グループ館を設計している。 大阪市出身。出世作となった「塔の家」は、坂倉準三建築研究所時代に新宿駅西口地下広場の設計担当として上京した際、自宅として東京都渋谷区に建てられた(1966年)。都心のわずか6坪弱(20平方メートル)という狭い敷地に、地上5階・地下1階を塔状に積み立てた鉄筋コンクリート造。玄関を除けば、トイレも浴室も含め扉が一切なく、間仕切りもない。
小野 理子(おの みちこ、1933年9月18日 - 2009… 小野 理子(おの みちこ、1933年9月18日 - 2009年1月17日)は、日本のロシア文学者。神戸大学名誉教授。 大阪市出身。1956年京都大学文学部中国語学中国文学科を卒業、その後渡欧。プラハ大学助手やモスクワ大学東洋語学院専任講師として日本語科教師を務め、1962年からモスクワ大学文学部大学院で20世紀ソビエト・ロシア文学を専攻、1964年博士課程を修了し帰国、日ソ協会ロシア語講師を務める。1969年から神戸大学教養部に勤め、講師、助教授を経て同部教授、のち1992年10月から改組により国際文化学部教授、1997年定年退官、名誉教授。 日本ロシア文学会会員。日本ユーラシア協会理事。 2009年1月17日、舌がんのため京都府長岡京市の病院において死去。
若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月… 若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉7月18日)は、大阪市出身の日本の技術者、実業家。ハードロック工業創業者、代表取締役会長。「ナニワの発明王」の異名を持つ。 今宮工業高等学校を経て、1956年、大阪工業大学機械工学科卒業。世界でオンリーワンの機械部品「ハードロックナット」を発明・開発。1974年、ハードロック工業を創業、代表取締役会長。「世界が注目する日本の中小企業100社」にも選出された。第10回日本イノベーター大賞、第35回発明大賞本賞、2009年旭日双光章を受章。主な著書は、「絶対にゆるまないネジ - 小さな会社が世界一になる方法」(中経出版)。
今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、… 今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。 天王寺高から、1951年に南海ホークスの2軍的なチームだった社会人野球の南海土建に入部。 1952年、南海ホークスに昇格する。シュートが武器のサイドスロー投手。1955年に引退。
岩内亮一(いわうち りょういち、1933年8月23日 - 2… 岩内亮一(いわうち りょういち、1933年8月23日 - 2005年7月9日)は、日本の教育社会学者。明治大学経営学部名誉教授。専門分野は経営社会学・組織社会学。 大阪市生まれ。1965年東京教育大学大学院博士課程満期退学、1968年東京工業大学助手、1973年北里大学助教授、明治大学経営学部教授。1990年「日本の工業化過程における熟練形成の史的研究」で明大経営学博士。2004年定年退任、名誉教授。
池上 惇(いけがみ じゅん、1933年〈昭和8年〉8月20日… 池上 惇(いけがみ じゅん、1933年〈昭和8年〉8月20日 - )は、日本の経済学者。専門は、財政学・文化経済学。学位は、博士(経済学)(京都大学・1997年)(学位論文『現代経済学と公共性策』)。京都大学名誉教授、福井県立大学名誉教授。大阪府大阪市出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )… 畑中 正一(はたなか まさかず、1933年3月23日 - )は、日本の医学者、医師。専門はウイルス学(ヒトがんウイルス分野)。京都大学名誉教授。
檜原 恒一郎(ひわら こういちろう、1933年(昭和8年)3… 檜原 恒一郎(ひわら こういちろう、1933年(昭和8年)3月11日 - 2021年(令和3年)11月29日)は、日本の実業家。月桂冠代表取締役副社長、奈良日仏協会理事、奈良シネクラブ代表を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)京都大学法学部を卒業し、同年三菱銀行に入行。京都支店長代理、外国部審査課長代理、ロンドン支店長代理本部詰を歴任。その後、長原支店次長、本店営業第一部外為第一課長、国際部企画課長、戸塚支店長を経て、1976年(昭和51年)10月パリ駐在員事務所首席駐在員を務める。 1985年(昭和60年)4月、月桂冠に転職。1998年(平成10年)代表取締役副社長に就任。2002年(平成14年)6月特別顧問に就任した。
石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7… 石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7日- )は、日本の教育家、児童文学作家。 練馬区立豊渓小学校長、同南町小学校長、練馬区小学校教育会長、竹早教員保育士養成所講師、日本創作ゲーム協会常任理事、教育文筆者の会事務局長。 大阪市生まれ。広島大学教育学部卒。童話集、ゲーム集、教育書など著書多数。
辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)… 辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)は、日本の実業家。シャープ株式会社相談役。弟の妻が第2代社長佐伯旭の子。 大阪府大阪市生まれ。1955年、関西学院大学商学部卒業。同年、早川電機工業株式会社入社(1970年、シャープ株式会社に社名変更)。 1977年取締役、1981年常務取締役、1983年専務取締役を経て、1986年6月取締役社長に就任(シャープの第3代社長)。 1998年相談役(現職)就任。 世界に先駆けて液晶ディスプレイ事業の本格的な立上げに成功した。液晶の大型、高画質、フルカラー化などを進める一方、液晶付ビデオカメラ「液晶ビューカム」、携帯情報ツール「ザウルス」、液晶プロジェクター「液晶ビジョン」、8.6型(当時最大)壁掛け液晶テレビ「液晶ミュージアム」など画期的な応用商品の開発を指揮、「液晶のシャープ」を築き上げた。
辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 20… 辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 2015年7月23日 )は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社した。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務めた。 2015年7月23日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - … 片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - )は、中国文学者。大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1958年東京大学文学部中国文学科卒、1965年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1971年大阪市立大学講師、1973年助教授、1980年教授。1993年「魯迅のリアリズム 「孔子」と「阿Q」の死闘」で、文学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1996年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授、同孔子学院理事。2003年退職。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 200… 足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 2000年1月19日)は、日本の漫才作家、放送作家。 大阪府大阪市生まれ。生家は複数の職人を雇うほどの大手のパン店だった。 旧制大阪府立北野中学校在学中に、学制改革のため中学が新制の大阪府立北野高等学校となり、1951年同高校卒業。同年大阪外国語大学中国語科に入学するも、3か月で中退し、翌年に和歌山大学経済学部に入学する。和歌山大では野球部に入部し、1番・遊撃手のレギュラーを獲得した。またそのかたわら、寄席通いに熱中した。 当時和歌山大は近畿六大学野球連盟のリーグ1部に所属し、足立もリーグ表彰を受け、社会人野球の三井造船玉野への入団が決まりかけたがこれを固辞し「普通のサラリーマン」を目指す。
山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 199… 山本 明(やまもと あきら、1932年10月9日 - 1999年9月28日)は、日本の社会学者。専攻は都市文化論。 大阪市出身。1955年同志社大学文学部卒業、57年同大学院法学研究科修了。1972年同志社大学文学部教授となる。
久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 202… 久保田 競(くぼた きそう、1932年6月19日 - 2024年6月29日)は、日本の大脳生理学者、医学博士(東京大学、1964年)、京都大学名誉教授。 大阪市出身で、川島隆太や澤口俊之らを指導した。幼児教育者の久保田カヨ子は配偶者、久保田宣伝研究所創業者の久保田孝は父。2011年に瑞宝中綬章を受章する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - … 小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2007年〈平成19年〉7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。ベトナムに平和を!市民連合の設立者の一人、九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。 1958年(昭和33年)、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年… 関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。 大阪市出身。旧姓:富永。1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
宇田 正(うだ ただし、1932年2月24日 - )は、日本… 宇田 正(うだ ただし、1932年2月24日 - )は、日本の経営史学者、追手門学院大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪大学文学部・法学部卒。大同生命保険相互会社本社勤務のあと大阪大学文学部事務官を経て同経済学部助手。1966年追手門学院大学経済学部専任講師。助教授、教授、同大学付属図書館長・評議員・経済学研究科長。2006年定年退職、名誉教授。1996年「近代日本と鉄道史の展開」で経済学博士(大阪大学)。宮本又次に師事した。
田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる… 田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる)、1932年1月31日 - 2019年11月13日)は、大阪府大阪市出身の日本の脚本家、構成作家。 早稲田大学卒業後大学院に進み、飯島正に師事。日本のテレビ放送黎明期に、外国テレビ映画の翻訳のアルバイトなどを務めたのち、脚本家デビュー。 1960年代半ばから特撮・テレビアニメ・テレビドラマ・時代劇など多くの作品を執筆し活躍する。またそれと共に戯曲も多く手掛けた。 脚本家の弟子に富田祐弘がいる。 2019年11月13日、肺がんにより東京都内の自邸にて死去。87歳没。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
三原 幸久(みはら ゆきひさ、1932年 - 2013年1月… 三原 幸久(みはら ゆきひさ、1932年 - 2013年1月18日)は、日本のスペイン文学者、民話研究者、翻訳家。大阪外国語大学名誉教授。 大阪市生まれ。1961年大阪外国語大学イスパニア語科卒、天理大学講師、大阪外国語大学講師、関西外国語大学助教授、教授、2003年定年退任、名誉教授。
篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は… 篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は日本の現代音楽の作曲家。大阪府出身。主としてオランダのユトレヒト在住だが東京と京都にも住まいがある。
山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9… 山内 久司(やまうち ひさし、1931年〈昭和6年〉11月9日 - 2014年〈平成26年〉8月13日)はテレビプロデューサー、元・朝日放送 顧問。朝日放送ドラマ部門チーフプロデューサー担当を務めた他、松田 司の名義でドラマの脚本も執筆した。 大阪市西区出身。京都大学文学部文学科卒業。1955年4月、朝日放送に入社。同期に植草貞夫、澤田隆治、槇洋介がいる。1960年代には脚本家の佐々木守とのコンビによる『お荷物小荷物』を始めとする一連の“脱ドラマ”を、1970年代前半から1980年代にかけては必殺シリーズを世に送り出した。その後は制作部長、制作局長、取締役制作局長、取締役常務、代表取締役専務を歴任。
片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は… 片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 旧制四高を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に小松製作所に入社。 1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務、1988年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2001年6月から取締役相談役を務めた。 日本経済団体連合会副会長を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2010年4月に旭日大綬章を受章。
片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は… 片桐 洋一(かたぎり よういち、1931年9月5日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪女子大学名誉教授。大阪女子大学学長、関西大学文学部教授などを歴任。瑞宝中綬章受章者。文化功労者。 博士(文学)(関西大学・1992年)(学位論文「古今和歌集の研究」)。 大阪市生まれ。1954年京都大学文学部国文科卒。1959年同大学院博士課程退学。 大阪女子大学助教授、1974年教授。1987-1991年学長。1992年「古今和歌集の研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。同年定年退官、名誉教授、関西大学教授、2002年退職。2008年春、瑞宝中綬章受勲。2011年文化功労者。
奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年… 奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年9月8日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法学部を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1970年に積水ハウスに転職し、経理部長、取締役、常務、専務を経て、1990年4月に副社長に就任した。1992年4月に社長に昇格し、1998年4月から2004年までに会長を務めた。 2002年から2003年までに日本経済団体連合会副会長も務め、関西経済連合会副会長、関西経営者協会会長も歴任した。 2003年11月に旭日大綬章を受章した。 2008年9月8日胃がんのために死去。77歳没。
高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 19… 高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 1971年5月3日)は、日本の小説家で中国文学者。夫人は小説家の高橋たか子。中国文学者として、中国古典を現代人に語る事に努める傍ら、現代社会の様々な問題について発言し、全共闘世代の間で多くの読者を得た。左翼的な思想の持ち主ではあったが、三島由紀夫と交流するなどの人間的な幅の広さがあった。自然科学にも関心が深く、特に、相対性理論に関する造詣が深かった。
奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 -… 奥野 良之助(おくの りょうのすけ、1931年8月29日 - )は、日本の生物学者、生態学者。 大阪府大阪市生まれ。京都大学大学院理学研究科3年中退。神戸市立須磨水族館勤務後、金沢大学理学部生物学科助教授。1997年退職。
坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 20… 坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 2001年4月29日)は、日本の法学者。専門は、労働法・社会保障法。学位は、法学博士(旧東京都立大学)。静岡大学名誉教授。日本労働法学会代表理事、日本社会保障法学会代表理事等を歴任。大阪府大阪市出身。 1951年兵庫県立柏原高等学校卒業。1955年神戸大学法学部卒業。1958年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。吾妻光俊ゼミ出身。 1958年一橋大学法学部助手。1959年東京都立大学法経学部助手。1964年静岡大学文理学部助教授。1965年同人文学部助教授。1973年同人文学部教授。1979年静岡大学評議員(~1983年)。1983年同人文学部長(~1985年)。
山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2… 山上 樹実雄(やまがみ きみお、1931年7月22日 - 2014年8月6日)は、日本の俳人。本名・公夫。大阪府出身。 大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。卒業後は眼科医として勤務。1948年に「馬酔木」入会、水原秋櫻子に師事。また1949年より「南風」入会し山口草堂にも師事する。「馬酔木」「南風」同人、「南風」副主宰を経て、2004年に「南風」代表に就任。 句集に『眞竹』『白蔵』『山麓』『翠微』『四時抄』『晩翠』『春の顔』。1995年、『翠微』により第35回俳人協会賞、2003年『四時抄』により第3回山本健吉文学賞および第4回俳句四季大賞を受賞。ほかに馬酔木新人賞、南風賞などを受賞。俳人協会名誉会員、日本文藝家協会会員。