櫻井 雄一郎(さくらい ゆういちろう、1977年8月6日 -… 櫻井 雄一郎(さくらい ゆういちろう、1977年8月6日 - )は、日本の実業家、格闘技プロモーター、イベントプロデューサー。 有限会社櫻井 代表取締役、株式会社アドヴァンス櫻井 代表取締役、総合格闘技道場 創道塾会長、格闘技団体GLADIATOR会長、GLADIATOR KICK会長、KYOKENアマチュアキック名誉会長。 アマチュア部門のアマチュアGLADIATOR、組技大会GLADIATOR CUPのプロデュースも務める。 和歌山県和歌山市出身。 幼少期に地元の空手道場に入門し、約10年の間通う。空手における実績は組手大会の小学3,4年部優勝、同5,6年部優勝。 2010年、和歌山県和歌山市に総合格闘技道場 創道塾を設立。
川口 力哉(かわぐち りきや、1975年1月17日 - )は… 川口 力哉(かわぐち りきや、1975年1月17日 - )は、日本の俳優、実業家で、元ファッションモデルである。和歌山県和歌山市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 旧芸名はRIKIYA(黒川 力矢)。 特技はボクシング(プロライセンス所持)。趣味は釣り、草野球、料理。 智辯学園和歌山高等学校、早稲田大学理工学部環境資源工学科を卒業。 大学時代は帝拳ジムに所属していた。プロボクサーを目指してトレーニングに励んでいたがプロテストに合格したものの、レーシック手術を受けていたことからプロデビューを断念した。 21歳でモデルデビューし、PRADAのミラノ・コレクションで日本人初の専属モデルとして脚光を浴びた。
道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本… 道浦 誠(みちうら まこと、1972年5月6日 - )は日本の元陸上競技選手・現治療院経営者、アスレティックトレーナー兼指導者。専門は中・長距離種目。3000m障害を得意とする。和歌山県和歌山市出身。和歌山県立和歌山北高等学校体育科卒業。ダイエー⇒佐川急便所属。身長171cm、体重49kg。配偶者は元800m陸上選手の道浦陽子。 1988年4月、和歌山県立和歌山北高等学校体育科入学、陸上競技部に所属。 1990年8月、仙台インターハイ3000m障害で優勝。 1990年10月、とびうめ国体(福岡県)少年A3000m障害で2位入賞。 1990年12月、第41回全国高等学校駅伝競走大会に和歌山北高校が和歌山県代表として出場し、1区(10 km)で3位に入る(29分51秒) (区間賞は渡辺康幸の29分42秒)。
谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )… 谷本 龍哉(たにもと たつや、1966年10月26日 - )は、日本の実業家、政治家。元エアアジア・ジャパン代表取締役会長。衆議院議員(3期)を務めた。 和歌山市出身。智辯学園和歌山中学・高等学校を卒業後、東京大学法学部に入学。在学時代から飲食業界にかかわり、大学卒業後28歳までバーテンダーをしながら店舗企画の仕事に従事。 1995年 二階俊博秘書。和歌山県議会議員を経て、2000年に衆議院議員に初当選する。 2003年衆議院議員2期目当選。同年、第40代自由民主党青年局長に就任。 2006年9月発足の安倍内閣で、内閣府大臣政務官(沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化対策、男女共同参画、食品安全行政関係等の施策及び情報通信技術政策などの担当)に任命された。
樫畑 直尚(かしはた なおひさ、1957年5月10日 - )… 樫畑 直尚(かしはた なおひさ、1957年5月10日 - )は、和歌山県出身の実業家。株式会社南北相談役。日本青年会議所(JC)の第45代会頭を務めた。次女は演出家の樫畑亜依子。 和歌山市生まれ。和歌山県立星林高等学校、甲南大学経済学部卒業、国立大学法人和歌山大学大学院経済研究科修士課程修了(経済学修士)。 大学卒業後、株式会社南北に入社。1999年(平成11年)10月に代表取締役社長、2017年(平成29年)11月に取締役会長、2024年11月に取締役相談役に就任。 1989年(平成元年)に社団法人和歌山青年会議所理事長を務め、1996年(平成8年)に日本青年会議所第45代会頭に就任した。1994年(平成6年)には国際青年会議所アジア太平洋地区協議会議長。
志賀 俊之(しが としゆき、1953年9月16日 - )は、… 志賀 俊之(しが としゆき、1953年9月16日 - )は、日本の実業家。INCJ代表取締役会長、武田薬品工業社外取締役、ダイナミックマップ基盤社外取締役。日産自動車取締役、最高執行責任者、産業革新機構会長、経済同友会副代表幹事、日本自動車工業会会長等を歴任した。 和歌山県和歌山市出身。小学校4年から新宮市へ、中学・高校では打田町で過ごした。和歌山市に戻り、和歌山県立那賀高等学校を経て、1976年大阪府立大学経済学部卒業。 1976年に日産自動車に入社。最初の配属先は自動車関連ではなく、マリーン事業部だった。その後、アジア大洋州営業部ジャカルタ事務所長・企画室長を歴任。 1999年に日産がルノーと提携しCOOとなったカルロス・ゴーンの下、アライアンス推進室長を兼任。
湯川 哲生 (ゆかわ てつお、1953年(昭和28年)6月3… 湯川 哲生 (ゆかわ てつお、1953年(昭和28年)6月30日 - ) は、テレビユー山形取締役相談役、元同社代表取締役社長。元TBSホールディングス・TBSテレビ取締役、赤坂熱供給代表取締役社長。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校、東京大学文学部卒業後、1978年4月にTBS入社。緑山スタジオ・シティ代表取締役会長、テレビユー福島顧問で元代表取締役社長の信国一朗、元TBS報道局主席解説委員の岩城浩幸、映画プロデューサーの永田守(大映元社長永田雅一の孫)は同期。特に信国とは東京大学でも同期にあたる。 TBS時代はメディア推進局1セグ放送開発部長、取締役コンテンツデジタルモバイル事業部長、取締役総務局広報部長、取締役総務局長、取締役経営企画室担当局長、赤坂熱供給代表取締役社長を歴任。
竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月… 竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年〈昭和26年〉3月3日 - )は、日本の実業家、政治家、経済学者。勲等は旭日大綬章。東洋大学グローバル・イノベーション学研究センター客員研究員。慶應義塾大学名誉教授。専門は経済政策。 世界経済フォーラム理事、SBIホールディングス社外取締役、森ビルアカデミーヒルズ理事長、日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所首席研究理事、アドビ International Advisory Board メンバー、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、一般財団法人教育支援グローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、RIZAPグループ経営諮問委員会委員、日本からヘイトをなくす会アドバイザー等を務める。
竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月1… 竹中 宣雄(たけなか のぶお、1948年(昭和23年)7月16日 - )は、日本の実業家。ミサワホーム代表取締役社長を経て、同社取締役会長、プレハブ建築協会副会長。 和歌山県和歌山市生まれ。1972年に法政大学社会学部を卒業し、(旧)ミサワホームに入社した。松本での新人時代には、3年半で100棟売った逸話を持つ。ミサワホーム青森(現:東北ミサワホーム)赴任時には、39歳で代表取締役青森支店店長に就任。猛烈な営業で業績を向上させた。 1992年には、三澤千代治からの抜擢によって本社の営業企画部長に就任。1995年取締役に選出される。その後、千葉ミサワホーム(現:ミサワホーム東関東)、ミサワホーム東京の地域販社社長を歴任した。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は… 亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1982年6月に関東信越国税局長、1985年6月に大臣官房審議官、1986年6月に造幣局長、1987年7月に住宅金融公庫理事を経て、1989年6月には泉州銀行専務に就任。1992年5月に副頭取を経て、1993年3月には頭取に就任。1999年6月に会長を経て、2000年6月には相談役に就任。 2007年4月に瑞宝中綬章を受章。
雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業… 雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業家。東洋ライス代表取締役。創業者。東京農業大学客員教授。一般社団法人和歌山県発明協会副会長。和歌山市少年少女発明クラブ副会長。一般財団法人雑賀技術研究所名誉会長。全国無洗米協会顧問。 和歌山県和歌山市に生まれる。1949年、和歌山市立城東中学校を卒業。祖父が1916年(大正5年)に設立した雜賀商会を手伝う。1961年に石抜機を発明(無石米)。11月1日、株式会社東洋精米機製作所を設立。1963年4月8日、財団法人雑賀技術研究所を設立し会長に就任。1985年、東洋精米機製作所社長に就任。1990年、味度計を開発。1991年、無洗米を発明。
弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 20… 弓倉 礼一(ゆみくら れいいち、1929年1月2日 - 2009年8月20日)は、日本の経営者。旭化成工業社長を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1952年に京都大学法学部を卒業し、同年に旭化成工業に入社。 1976年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1997年6月までに務めた。 1999年6月に藍綬褒章を受章。 2009年8月20日、急性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
新山 滋(にいやま しげる、1909年4月1日 - 1994… 新山 滋(にいやま しげる、1909年4月1日 - 1994年7月18日)は、日本の経営者。 和歌山県和歌山市出身。1927年に海草中学校を卒業し、同年に南海鉄道(南海電気鉄道の前身)に入社し、1959年6月に総務部長に就任した。その一方で、1964年10月から1974年10月までに南海ホークス球団社長を務め、1972年にはパ・リーグ理事長に就任した。 1994年7月18日、急性肺炎のために堺市の病院で死去。85歳没。
竹中 治(たけなか おさむ、1900年4月10日 - 196… 竹中 治(たけなか おさむ、1900年4月10日 - 1967年4月15日)は、日本の実業家。ジャパンライン(現商船三井)創業者・初代社長。 和歌山県和歌山市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、商工省入省。小学校で両親を失い、家庭教師をしながら大学に通った。 その後退官し、1937年日東鉱業汽船設立。海運業のほか証券業、新聞業、石油、ガス、石炭、金属、不動産、化学などを幅広い事業を手がける。 戦後1947年に日東商船創立。1964年大阪商船との合併交渉が決裂し、大同海運と合併し、ジャパンライン設立、同社社長に就任。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した。
今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年… 今村 長太郎(いまむら ちょうたろう、1900年(明治33年)3月25日 – 1969年(昭和44年)6月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。 和歌山県和歌山市で生まれた。メリヤス製造業を営み、和歌山商工会議所議員、和歌山メリヤス生地工業組合理事長、和歌山県莫大小製造統制組合理事長、同県メリヤス商工業協同組合理事長、日本メリヤス工業会理事、同会生地部全国委員長、日本メリヤス統制取締役などを務めた。 政界では、1940年(昭和15年)から1947年(昭和22年)まで和歌山市会議員に在任。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙で和歌山県第1区から日本自由党公認で立候補して当選し、次の第24回総選挙でも当選し、衆議院議員に連続2期在任した。
松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉… 松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。 パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。 1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。 1899年頃、父が米相場で失敗して破産したため、一家で和歌山市本町1丁目に転居し、下駄屋を始めた。
前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31… 前田 善治(まえだ ぜんじ、1893年(明治26年)5月31日 - 1970年(昭和45年)6月2日)は、日本の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県名草郡安原村字吉原(現・和歌山市)で前田和一の長男として生まれ、1910年、前田勝之助の養子となる。北海道庁立上川中学校を経て、慶應義塾大学部理財科で学んだ。北海道に戻り農業を営む。 旭川信用組合監事、北日本無尽 (株) 監査役、下村育英財団理事、前田和一商店社長、旭川小型モータース社長、旭川信用金庫理事、旭川瓦斯 (株) 常任監査役、人事調停委員などを務めた。 政界では、旭川市会議員、同議長、北海道会議員、同参事会員を歴任。この間、旭川市長候補者に推薦されたが承諾しなかった。
杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9… 杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9月19日 - 昭和48年(1973年)3月10日)は、日本の実業家。豊年製油(現J-オイルミルズ)会長。
紀 俊秀(きい としひで、明治3年10月24日(1870年1… 紀 俊秀(きい としひで、明治3年10月24日(1870年11月17日) - 昭和15年(1940年)9月20日)は、日本の政治家、実業家、日前神宮・國懸神宮宮司。栄典は正三位勲三等男爵。貴族院議員(通算6期29年)。 明治3年(1870年)10月24日、日前神宮・國懸神宮宮司・紀俊尚と鶴子の三男として紀伊国名草郡秋月村(現在の和歌山県和歌山市秋月)で生まれる。幼名は文麿(ふみまろ)。学習院高等学科卒業。明治24年(1891年)1月に名を俊秀と改め、同年10月に日前神宮・國懸神宮宮司となる。明治29年(1896年)8月26日、家督を相続して男爵を襲爵した。明治30年(1897年)7月10日の第2回伯子男爵議員選挙で初当選し、貴族院議員に就任した。
荒木 栄蔵(荒木 榮藏、あらき えいぞう、旧姓・鍵岡、186… 荒木 栄蔵(荒木 榮藏、あらき えいぞう、旧姓・鍵岡、1865年3月5日〈慶応元年2月8日〉 - 1934年〈昭和9年〉9月24日)は、日本の商人(皮革商、皮革貿易商)、資産家、実業家。族籍は大阪府平民。 和歌山市生まれ。鍵岡惣四郎の三男。1881年、荒木栄蔵の養子となる。1913年に先代が逝去し、義弟栄典の後を襲い家督を相続する。 荒木商店という商号の下に家業を継承し、皮革貿易商に従事する。大阪皮革商同業組合組長、六甲製革取締役、西浜土地建物取締役・同社長、共榮合名会社代表社員などをつとめる。 また公共事業に尽力する。賞勲局総裁より褒章を、また日本赤十字社社長より有功章を下賜される。 『部落の人豪』によると「西浜部落の大資産家である」という。
岩橋 謹次郎(いわはし きんじろう、1861年(文久元年) … 岩橋 謹次郎(いわはし きんじろう、1861年(文久元年) - 1912年(明治45年)3月12日)は、明治期の実業家、白木屋呉服店主。岩橋リボン製織所創設者。 紀伊国和歌山(現和歌山県和歌山市)出身。維新後に大蔵大輔、第四十四国立銀行頭取となった紀州藩士・岩橋徹助(徹輔)の息子。慶應義塾に入学し大学部を卒業(『慶應義塾入社帳』第一巻586頁,第五巻246頁)。父が華族の援助を受けて道内各地で企てた「開進社」に参加して北海道開拓を研究し、明治24年、開拓は保護政策を排し、自由開拓、随意移住に任すべきを主張した著書を公にした。開進社の事業は失敗したが、その志は長く残った。 白木屋呉服店主を経て帽子用リボン等を製織する岩橋リボン製織所を渋沢栄一が出資して組織し、1896年匿名組合となる。
岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7… 岡崎 邦輔(おかざき くにすけ、1854年4月12日(嘉永7年3月15日) - 1936年(昭和11年)7月22日)は、日本の政治家・実業家。号は晩香。 自由党を経て、立憲政友会衆議院議員、加藤高明内閣の農林大臣、貴族院議員を歴任する。陸奥宗光の配下として活躍し、政界の寝業師、策士として知られた。 現在の和歌山市で、嘉永7年(1854年)3月15日(衆議院に提出した履歴による。嘉永6年(1853年)説もあり)、紀州藩士・長坂学弥(がくや)の子として生まれる。孫の岡崎久彦によれば、長坂家は長坂血鑓九郎の末裔であるという。江戸の旗本直参・長坂本家との関係は、系図に明らかでなく、大坂夏の陣後の元和年間に徳川頼宣に従って紀州入りしたときに与えられた1,000石のお墨付が遺るのみという。
神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永… 神崎 修三(こうざき しゅうぞう、1853年1月25日(嘉永5年12月16日)– 1917年(大正6年)5月4日)は、明治・大正期の地主、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・堀内。 紀伊国名草郡神前村(和歌山県名草郡岡崎村、海草郡岡崎村を経て現和歌山市)で堀内伊兵衛の長男として生まれ、豪農・神前吉次郎の養子となる。漢学を修めた。 1888年(明治21年)1月、補欠選挙で和歌山県会議員に当選。1889年(明治22年)、1894年(明治27年)、1898年(明治31年)に再選され、1899年(明治32年)9月に退任。1901年(明治34年)5月に補欠選挙で当選し、1902年(明治35年)8月に衆議院議員に当選のため辞職した。
草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘… 草郷 清四郎(そうごう せいしろう、1846年1月28日〈弘化3年1月2日〉 - 1924年〈大正13年〉8月9日)は、幕末の武士、明治・大正期の実業家である。 和歌山出身で元は紀州藩士。福澤諭吉の慶應義塾で学び、明治維新後は義塾の塾監や大学東校総幹事など教育に関わっていたが1880年(明治13年)より実業界に転身。主として鉄道会社の経営に関わり小田原電気鉄道(小田急箱根の前身)を長く務めた。 草郷清四郎は、弘化3年1月2日(新暦:1846年1月28日)、草郷久次郎の三男として生まれた。出身地は紀伊国和歌山城下の岡領町(現・和歌山県和歌山市)で、父は紀州藩士であった。13歳で父が死去すると遠縁にあたる勢州奉行三木家に寄居し文武を修める。
石橋 八九郎(いしばし はちくろう、旧姓・阪本、幼名・甚七、… 石橋 八九郎(いしばし はちくろう、旧姓・阪本、幼名・甚七、1833年〈天保4年〉 - 没年不明)は、日本の商人・会社役員・慈善家。救恤を致す。 紀州の人。海草郡加太村(現・和歌山市)生まれ。阪本甚右衛門の子である。家は代々網綱を商とし、「十一屋」と称する。成長すると紀泉両州に行商し、網綱を販ぎ1日も懈怠せず、「十一屋」の名が大に揚がる。 安政5年、石橋家を嗣ぐ。当時石橋家の資産は富裕ではなく、僅かに米穀と肥物を商い唯数畝の菜園あるのみであったが、八九郎が励精刻苦、家事を見るとまもなく漸く富裕となった。紀州銀行取締役、南陽肥料取締役などをつとめる。 性格は慈善を好み、救恤を致し、官は褒賞を賜うことになったが、八九郎は固辞して受けなかった。