吉田 守一(よしだ しゅいち、2001年3月26日 - )は… 吉田 守一(よしだ しゅいち、2001年3月26日 - )は、和歌山県紀の川市出身のハンドボール選手。フランスリーグHBCナント所属。 2016年、那賀高校でハンドボールを始める。その翌年の1月にNTSセンタートレーニングに招集された。 高校卒業後、2019年4月に筑波大学へ進学。その年の12月に日本代表2019年度第3回強化合宿に招集され、2020年1月の第19回男子アジア選手権で日本代表として国際大会デビューを飾った。同年2月、徳田廉之介も在籍するポーランドリーグのTarnówへ加入。2023年にフランスリーグのダンケルクへ移籍し、1年早く契約解消。2024年7月からナントと2年契約を結んだ。
村田 昴(むらた すばる、1996年10月19日 - )は、… 村田 昴(むらた すばる、1996年10月19日 - )は、日本のプロボクサー。和歌山県紀の川市出身。KOBE長谷川ボクシングジム所属。かつては帝拳ボクシングジムに所属していた。元WBOアジア太平洋スーパーバンタム級王者。 最初は空手をやっていたが、小学5年生から真正ボクシングジムでボクシングを始めた。貴志川高校で高校3冠を達成。日本大学卒業後、自衛隊体育学校に進んだ。 2014年4月、ブルガリアのソフィアで行われた世界ユース選手権のライトフライ級(49kg)に出場し、準々決勝で敗れるが、ボックスオフで勝ちユースオリンピックへの出場権を獲得した。 2014年8月、南京ユースオリンピックのライトフライ級(49kg)で銅メダルを獲得。
植 万由香(うえ まゆか、1994年6月1日 - )は、日本… 植 万由香(うえ まゆか、1994年6月1日 - )は、日本のアナウンサー、女優、元子役、元アイドル。 和歌山県紀の川市出身。 小学生時代は、ファッションショーのモデルや映画、ミュージカルに出演するなど子役として活動。小学6年生の時に、第11回全日本国民的美少女コンテストに参加し、ファイナリスト21名のうちの1人として本選への出場を果たした。 高校在学中の2011年からは、和歌山ローカルのアイドルグループZagaDaの第1期メンバーとして活動していた。グループ在籍時の愛称は「まゆちぃ」。 神戸女子大学を卒業後、2017年4月に山梨放送(YBS)にアナウンサーとして入社し(同期アナウンサーは林輝彦)、翌年6月末まで同局で活動した。
山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 -… 山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた。 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。
潰滝 大記(つえたき ひろのり、1993年5月8日 - )は… 潰滝 大記(つえたき ひろのり、1993年5月8日 - )は日本の陸上競技選手。専門は長距離走。和歌山県那賀郡粉河町(現紀の川市)出身。粉河中学校、和歌山県立笠田高等学校、中央学院大学法学部卒業。富士通所属中。第99回日本陸上競技選手権大会及び第100回日本陸上競技選手権大会男子3000mSC優勝者。
西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は… 西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。
平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和… 平井 諒(ひらい りょう、1991年4月23日 - )は、和歌山県那賀郡粉河町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 小学校2年生のときに野球を始める。中学校では粉河シニアに所属した。帝京五高に入学後、投手へ転向。2年夏に愛媛大会決勝に進出。2回戦の対新居浜東高戦ではノーヒットノーランを記録。準々決勝の今治西高戦では延長10回1失点完投勝利。決勝は左太もも肉離れもあり[要出典]、済美高に大敗を喫した。 3年夏は2回戦の対北条高戦で13奪三振を記録するなど力投した。準々決勝で秋山拓巳を擁する西条高と対戦し、被安打12、7四球、8失点で敗退した。 2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから4位指名を受ける。
坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は… 坂口 真規(さかぐち まさき、1990年9月29日 - )は、和歌山県那賀郡打田町(現・紀の川市)出身の元プロ野球選手(内野手)。
立具 敬司(たてぐ けいじ、1990年(平成2年)2月24日… 立具 敬司(たてぐ けいじ、1990年(平成2年)2月24日 - )は、和歌山県紀の川市出身の競艇選手(ボートレーサー)。 登録第4865号。身長170cm。血液型A型。116期。大阪支部所属。同期に、大山千広 、入海馨らがいる。
益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は… 益田 直也(ますだ なおや、1989年10月25日 - )は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
久保 裕一(くぼ ゆういち、1988年9月26日 - )は、… 久保 裕一(くぼ ゆういち、1988年9月26日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 高校時代は吉田麻也、酒井隆介らと共に名古屋グランパスエイトU-18に所属していた。明治大学時代は関東大学1部リーグ戦で優勝に貢献し、ベストイレブンに選出されたこともあった。笠原昂史、小林裕紀、山田大記は大学の同期生。 2010年、ジェフユナイテッド市原・千葉の特別指定選手に承認し、徳島戦で初出場を果たした。2011年に正式加入し、同年11月6日の大分戦でJ初ゴールを挙げた。これによって、プロA契約締結条件である公式戦(J2)900分以上を出場し、プロC契約からプロA契約へ移行した。
岡 豊洋(おか とよひろ、1987年1月6日 - )は、和歌… 岡 豊洋(おか とよひろ、1987年1月6日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元自転車競技(ロードレース)選手。引退後は主に東京都と神奈川県で展開している自転車販売チェーン店、ベックスイソヤで働き、現在はトレック・ジャパン本社で働いている。 2008年、京都産業大学で走る傍ら、中国のUCIコンチネンタルチーム、マルコポーロに加入。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
大黒笑 けいけい(だいこくしょう けいけい、1984年4月1… 大黒笑 けいけい(だいこくしょう けいけい、1984年4月10日 - )は、吉本新喜劇に所属する日本の舞台芸人である。旧芸名は大黒 ケイイチ(だいこく けいいち)。 和歌山県紀の川市(旧:那賀郡桃山町)出身。吉本興業所属。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
薪谷 翠(しんたに みどり、1980年8月15日 - )は、… 薪谷 翠(しんたに みどり、1980年8月15日 - )は、和歌山県那賀町(現:紀の川市)出身の日本の女性柔道家。現在はミキハウス柔道部でコーチを務める。身長163cm。体重93kg。塚田真希とともに日本の女子柔道重量級を支えた選手のひとり。 柔道は小学校4年の時に始める。中学1年の時には全国中学校柔道大会56kg超級で1年生にして優勝を果たした。また、柔道の他に寝技強化のためにレスリングも習い始めて、同じく中学1年の時には全日本レスリング選手権大会75kg級に出場して史上最年少の12歳で優勝を飾ったものの、柔道の強化にはならないと判断してレスリングはやめた。その後、大阪工業大学高等学校、筑波大学体育専門学群を経て、2003年にミキハウスに入社する。
小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は… 小坂 将商(こさか まさあき、1977年7月23日 - )は、和歌山県那賀郡那賀町(現紀の川市)出身の高校野球指導者。智辯学園高等学校(奈良県五條市)・硬式野球部監督。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
矢田 直己(やた なおき、1973年8月21日 - )は、日… 矢田 直己(やた なおき、1973年8月21日 - )は、日本の囲碁棋士。関西棋院所属、九段。和歌山県紀の川市出身。 14歳でプロ入りし、長年にわたり関西棋院の中堅棋士として活動している。 師匠は白石裕九段。門下に稲葉かりん二段、新谷洋佑三段がいる。 和歌山県紀の川市に生まれる。 1988年、14歳で関西棋院からプロ入り。2000年に九段昇段。堅実な棋風を持ち、多くの若手棋士の育成にも携わっている。 関西地方を中心に囲碁の普及活動を行っており、和歌山県では指導碁会や囲碁イベントの解説などに積極的に参加している。
薮上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は… 薮上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山… 土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山県那賀郡池田村(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手。 1956年に那賀高校から大阪タイガースに入団。当時は貴重な左腕で1958年に20試合に登板し2勝を挙げた。しかし、その後は精彩を欠き1962年高井良一男と共に、飯尾為男・福塚勝哉との2対2の交換トレードで毎日大映オリオンズに移籍。移籍後の登板はほとんどなく、1963年に退団した。
伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1… 伊勢川 真澄(いせがわ ますみ、1921年6月30日 - 1996年7月26日)は、和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(捕手)。 粉河中学を卒業後、1940年にライオン軍(1941年から朝日軍)へ入団。新人ながら正捕手・広田修三の控えとして49試合に捕手として出場し、1941年・1942年は正捕手を務めた。42年暮れに応召。戦後の1946年に旧朝日軍の選手が独立してゴールドスターを立ち上げる中、伊勢川は旧朝日軍の流れを汲むパシフィックに参加する。ここでも引き続き正捕手を務め、1946年は打率.230(リーグ37位)ながら、主砲の森下重好(54打点)に次ぐ51打点を挙げ、1947年は打率.257(リーグ19位)を記録している。
清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月… 清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月27日 - 1967年(昭和42年)11月11日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 和歌山県那賀郡(現紀の川市)で、清原英三の長男として生まれる。旧制・和歌山県立粉河中学校、旧制・第一高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。 1923年12月、高等試験行政科試験に合格し、1924年5月、裁判所書記兼司法属に任官し東京地方裁判所書記兼大臣官房調査課に配属された。同年12月、高等試験司法科試験に合格し、1925年3月、司法官試補に任官し大阪地方裁判所詰となる。1926年11月、検事に任官し大阪地裁予備検事となる。
千田 修二(せんだ しゅうじ、1886年(明治19年)9月1… 千田 修二(せんだ しゅうじ、1886年(明治19年)9月15日 - 1965年(昭和40年))は日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍少佐。西本組(後の三井建設、現三井住友建設)社長。 和歌山県那賀郡粉河町(現紀の川市)出身。1905年(明治38年)海軍兵学校入学、1908年(明治41年)卒業(36期)。結婚後に西本組に入社して本店勤務、京城支店長。 1933年(昭和8年)12月27日、朝鮮土木談合事件において京城地方法院から詐欺で懲役1年の実刑判決。1936年(昭和11年)2月17日、京城高等法院は上告棄却、確定。これにより後備役海軍少佐を失官、正六位を失位、勲四等及び大正三四年従軍記章/大正三年乃至九年戦役従軍記章戦捷記章、大礼記念章(大正/昭和)を褫奪された。
恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年(明治10年)1… 恩賀 徳之助(おんが とくのすけ、1877年(明治10年)1月21日 - 1963年(昭和38年)1月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 和歌山県那賀郡粉河村で、恩賀定一郎の二男として生まれる。大阪桃山学校を経て東京法学院で学んだが、二年で中退し、帰郷して家業の綿ネル製造業に従事。 1904年8月、北海道函館に移り末広町で呉服太物商を営む。以後、函館商業会議所議員、同常議員、函館呉服太物卸商組合長、函館区会議員、同議長、函館市会議員、同初代・第3代議長(1922年11月7日から1923年6月4日、1924年11月21日から1926年10月30日)、北海道会議員などを歴任。 1932年2月、第18回衆議院議員総選挙で北海道第三区から出馬し当選した林儀作が1935年1月に死去し、同年7月の補欠選挙に出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
根来 源之(ねごろ もとゆき、1875年(明治8年)6月14… 根来 源之(ねごろ もとゆき、1875年(明治8年)6月14日 - 1939年(昭和14年)4月18日)は、日系アメリカ人[要出典]の労働運動者である。 和歌山県池田村(後の打田町、現在の紀の川市)に生まれる。福沢塾(慶応義塾大学)出身の本多和一郎の門人となり彼が建てた共修学舎で学び、卒業後法学を学ぶために渡米した。カリフォルニア大学に入学し、苦労を重ねながらも法学博士を取得しハワイのホノルルにて法律事務所を開設する。 その後は、日本人のハワイ移民による労働の改善のために1905年に革新同志会を創設し、ホノルル日本国総領事の更迭に貢献した。1908年には人種差別問題による賃金改善の目的で同地で活動る耕地労働者のために、翌1909年までにハワイ移民約7000人の大規模なストライキを起こし首謀者として指導し、後に逮捕され投獄された。
久下 豊忠(くげ とよただ、明治3年4月8日(1870年5月… 久下 豊忠(くげ とよただ、明治3年4月8日(1870年5月8日) - 昭和12年(1937年)12月10日)は、日本の衆議院議員、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡上名手村(現在の和歌山県紀の川市)の三井家に生まれ、久下純菴の養子となった。英仏学舎、大阪英学舎に学ぶ。1893年(明治26年)、読売新聞社の記者となった。1897年(明治30年)、和歌山新報社に入り、主筆、社長を歴任した。1899年(明治32年)より和歌山県会議員を務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
中西 巌(なかにし いわお、1867年(慶應3年)5月 - … 中西 巌(なかにし いわお、1867年(慶應3年)5月 - 1961年[要出典])は、日本の実業家、株式仲買人である。東京株式取引所一般取引員、丸中商店(中西巌商店)店主、丸九商店、中西証券社長。 慶應3年5月、和歌山縣那賀郡西貴志村鳥居(現紀の川市)の郷士の父:繁蔵の八男として生まれる。当家は古くより那賀郡に住し、庄屋役を務め名字帯刀を許されたる家柄であった。 1885年(明治18年)縣立和歌山師範学校を卒業して、小学校に教鞭を執り19歳で伊都郡五茂村小学校長に任命されるが、その後心機一転して逓信官吏を志し和歌山郵便局に奉職したのち、岐阜逓信局勤務を経て、名古屋郵便局逓信課長となり、1900年(明治33年)には東京逓信局に転任し逓信課長に任ぜられる。
前川 虎造(まえかわ とらぞう、1864年4月9日(元治元年… 前川 虎造(まえかわ とらぞう、1864年4月9日(元治元年3月4日) - 1926年(大正15年)6月17日)は、衆議院議員(立憲国民党→革新倶楽部)、ジャーナリスト。族籍は和歌山県平民。 紀伊国那賀郡田中村(現在の和歌山県紀の川市)出身。前川彌兵衛の長男。 年少のころより政治に興味を持ち、自由民権運動に心酔した。1885年(明治18年)、那賀郡長児玉仲児の知遇を得て、郡書記となるが、児玉の欧化主義と合わず、2年で辞職した。その後、和歌山県会の書記となるが、児玉が県会議員に当選し、議長に就任したため辞職した。 官を辞した後は新聞記者となり、紀陽新報主筆を経て、大阪で立憲改進党機関紙の「東雲新聞」に入った。
千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(185… 千田 軍之助(せんだ ぐんのすけ、安政3年2月11日(1856年3月17日) – 大正3年(1914年)3月2日)は、衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、ジャーナリスト。 紀伊国那賀郡南志野村(現在の和歌山県紀の川市)の郷士の家に生まれた。1874年(明治7年)、副戸長となり、第三大区第二小区会議所に勤務した。1876年(明治9年)、地租改正にあたって県令神山郡廉に地価の不当を訴えたが、容れられなかったため副戸長を辞した。その後、児玉庄右衛門(児玉仲児の父)らとともに自由民権運動を展開したため、投獄された。これに対し数百の民衆が彼らを奪還しようと蜂起したため、神山は大阪鎮台に出兵を乞う事態となった(粉河騒動)。
児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849… 児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849年12月28日) - 明治42年(1909年)1月24日)は、和歌山県の民権家、官吏、衆議院議員(3期)、大日本水産会名誉会員。 紀伊国那賀郡中山村(粉河村、粉河町を経て現紀の川市)生まれ。同窓に濱口梧陵、陸奥宗光など。 はじめ、森田節斎について漢学を学び、京阪の鴻儒について文学を修める。明治6年(1873年)に慶應義塾に入学し、卒業後に大蔵省記録局(13等)に出仕。のちに辞して自由民権運動に参加。明治9年(1876年)の地租改正について、和歌山県令・神山郡廉に提出した建白書を発端にして、「粉河騒動」の端緒となる。 明治10年(1877年)陸奥宗光の協力により、粉河に風猛学校を設立し、翌年に自由民権の結社・実学社、木国同友会を率いる。
中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1… 中西 光三郎(なかにし みつさぶろう、弘化2年1月15日(1845年2月21日) – 明治43年(1910年)7月10日)は、衆議院議員(立憲政友会)、貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡井ノ口村(現在の和歌山県紀の川市)の豪農の家に生まれた。1862年(文久2年)、父の跡を継いで庄屋となり、1872年(明治5年)に大区小区制が実施されると区長に就任した。1879年(明治12年)、県会制度が制定されると初代副議長に選出された(議長は濱口梧陵)。1881年(明治14年)、議長に就任。同年、木国同友会という政社を結成し、濱口会長のもと副会長に就いた。やがて松本鼎県令と対立し、松本は懐柔のため郡長就任をたびたび要請した。
桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 191… 桂 文左衛門(かつら ぶんざえもん、 1844年 - 1916年5月16日)は、紀州粉河(現在の和歌山県紀の川市)生まれの上方噺家。本名: 渡辺 儀助。享年72。 最初初代桂萬光門下で初代桂南光を名乗る。明治2年に立川三光(3代目立川三光)門下で初代立川三木助の後、明治5年9月に初代桂文枝門下で初代桂文三、1881年12月に2代目桂文枝を経て、1904年に桂文左衛門を名乗る。同門の2代目桂文都(後の2代目月亭文都)、初代桂文之助、初代桂文團治と共に、当時の「四天王」と呼ばれる。 1874年4月3日、師匠の初代文枝が亡くなると、一門の桂文都との間で2代目襲名問題が起こり、勝利した文三が2代目文枝を名乗り、「桂派」の総領に就任。
松山 棟庵(まつやま とうあん、1839年10月23日(天保… 松山 棟庵(まつやま とうあん、1839年10月23日(天保10年9月17日) - 1919年(大正8年)12月12日)は、幕末・明治の日本の医師。大学東校(現東京大学医学部)大教授。慶應義塾医学所校長。東京慈恵会医科大学創立者。初名は勤。棟庵は名、字は功、号は棲菝で尊生舎と称した。紀州藩出身。 紀伊国那賀郡神田村(現・和歌山県紀の川市)で。医師松山庄太郎の四男として生まれた。兄は蘭方医新宮凉庭の養子の凉介。帯刀を許されていた藩士で、浜口梧陵と共に、福沢諭吉を6000石で紀州藩に招聘しようと企てたが拒否されたため、紀州和歌山藩の選抜留学生として江戸の慶應義塾に派遣される。紀州藩士の慶應義塾留学に重要な役割を果たしたといわれる山口良蔵が同門に居る。
前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- … 前田 謙祐(まえだ けんすけ、1836年(天保7年2月)- 1891年(明治24年)6月1日)は、明治期の地主、政治家。貴族院多額納税者議員。 紀伊国那賀郡 (和歌山県) 前田村(和歌山県那賀郡中貴志村、貴志川町を経て現紀の川市)で、屋号「一本木(いっぽんぎ)」豪農・前田若右衛門の長男として生まれる。家山角蔵に師事した。 1870年(明治3年)小倉組郷長に就任。1873年(明治6年)4月、小学校世話係となる。1874年(明治7年)前田・北山・尼寺3ヵ村戸長に就任し、以後、前田村戸長、上野山外10カ戸長を歴任した。 1876年(明治9年)地租改正の和歌山県案が紀北地方に不公平との不満から各地で騒動が頻発した際に、貴志地方の総代として農民側として解決に尽力した。
豊岡 んみ(とよおか んみ、12月21日 - )は、日本のタ… 豊岡 んみ(とよおか んみ、12月21日 - )は、日本のタレント、女優。和歌山県紀の川市出身。 19歳で出身地の和歌山県から大阪へ移住後、俳優の養成所で芝居を学ぶ。その後、俳優の活動を始める。2020年現在は関東、関西が活動の中心となっている。出演映画がゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映された。 2024年6月、俳優業引退をSNSにて発表。 映画出演を中心に、トーク番組MCやトークライブ、司会の仕事も多くしている。好きなものは小説、漫画、ウイスキー、ご飯、アニメ、美容、食品サンプル、オカルト、深海、宇宙、都市伝説。太宰文学研究会会員。