徳本 修一(とくもと しゅういち、1975年11月22日 -… 徳本 修一(とくもと しゅういち、1975年11月22日 - )は、日本の農業経営者。日本のYouTuber。トゥリーアンドノーフ株式会社 代表取締役。農水省官民タスクフォースメンバー。農水省 食料・農業・農村政策審議会 委員。日本バイオ作物ネットワーク(Japan Biotech Crop Network)理事長。世界農業フォーラム評議員。グローバル・ファーマー・ネットワークのメンバー。 鳥取県鳥取市の生まれ。1994年3月、鳥取県立鳥取商業高等学校を卒業。県東部消防局に奉職する。1999年4月、上京。タレントのマネジャー・歌手・ITベンチャー役員。2009年、在職中に地元鳥取県にUターンし食料品を中心とした名産品を扱うネット通販サービス「わったい菜」を開始。
中江 康人(なかえ やすひと、1967年(昭和42年)4月2… 中江 康人(なかえ やすひと、1967年(昭和42年)4月28日 - )は、日本の実業家。KANAMEL株式会社代表取締役グループCEO。
田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - … 田村 耕太郎(たむら こうたろう、1963年7月23日 - )は、日本の経営者、元政治家。元参議院議員(2期)。一橋大学ビジネス・スクール(国際企業戦略専攻(ICS)、英語プログラム)の客員教授を2023年から2026年に努める。 義父は新日本海新聞社社主、グッドヒル社長を務めた吉岡利固。 鳥取市立遷喬小学校、鳥取市立北中学校、鳥取県立鳥取西高等学校、早稲田大学商学部卒業、慶應義塾大学大学院経営管理研究科経営管理専攻修士課程修了(MBA課程)。在学中にフランス高等経営大学院(HEC-ISA)に交換留学。 山一證券に新入社員として入社すると、企業買収・合併担当に抜擢され、1990年から1991年に全社で営業成績第1位となった。
井上 法雄(いのうえ のりお、1962年 - )は、鳥取市在… 井上 法雄(いのうえ のりお、1962年 - )は、鳥取市在住、和歌山県田辺市出身の実業家。有限会社ウイル社長。幼少のころより鳥取に移住。父親は大阪府出身(父方の親戚は石川県加賀市)。母親は鳥取市伏野出身。鳥取県立鳥取東高等学校卒、東海大学中退。
山本 孝義(やまもと たかよし、1951年 - )は、日本の… 山本 孝義(やまもと たかよし、1951年 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。中京テレビ放送代表取締役社長や、日本民間放送連盟副会長、鳥取県県政顧問等を務めた。 鳥取県鳥取市出身。1973年名古屋工業大学工学部電気工学科卒業、中京テレビ放送入社、総務部配属。労働基準法などを取り扱ったのち、音声ミキシング担当を経て、テレビ番組制作部門でアシスタントディレクターから始めディレクターを務めるなど演出に19年間携わった。2006年取締役経理局長。2007年取締役総務局長。2011年常務取締役総務局長に就任。2013年から代表取締役社長を務めた。2014年鳥取県県政顧問、日本民間放送連盟副会長。
鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日… 鉄永 幸紀(てつなが ゆきのり、男性、1947年11月21日 - 2015年12月8日)は、日本の政治家・実業家。青谷町議会議員(4期)、鳥取県議会議員(6期)。社会福祉法人青谷福祉会理事長。有限会社鉄永商店代表取締役。 鳥取県気高郡青谷町(現・鳥取市)生まれ。 1966年3月、鳥取県立鳥取西高等学校卒業。大阪大学理学部在学中の1969年1月、父を交通事故で亡くし、家業「鉄永商店」を継ぐため中退。その後、鉄永商店の経営再建を成功させた。 1973年7月、25歳で青谷町議会議員に初当選。1985年7月、青谷町議会議長。1988年7月、鳥取県町村議会議長会議長。 1991年4月、鳥取県議会議員で初当選。
金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 … 金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 - )は、日本の実業家。明治生命と安田生命の合併を実現し、明治安田生命の初代社長や、生命保険協会会長を務めた。 鳥取県鳥取市出身。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1965年一橋大学経済学部卒業、明治生命保険入社。 1991年取締役首都圏業務部長、常務、1997年専務。 1998年明治生命保険社長就任。宮本三喜彦(安田生命社長)とともに、相互会社形式をとったまま安田生命と合併することを決定 2004年明治安田生命保険社長就任。 この間、2000年三菱東京フィナンシャル・グループ取締役。2001年生命保険協会会長。
八村 輝夫(はちむら てるお、1937年〈昭和12年〉10月… 八村 輝夫(はちむら てるお、1937年〈昭和12年〉10月8日 - )は日本の実業家。鳥取銀行元頭取。鳥取商工会議所元会頭。鳥取環境大学元理事長。父は鳥取銀行元頭取の八村信三。兄は小野田セメント(現:太平洋セメント)取締役の八村義郎。弟は工学者で立命館大学名誉教授の八村広三郎。 鳥取県鳥取市出身。鳥取銀行元頭取の八村信三・緑夫妻の二男として生まれる。鳥取県立鳥取東高等学校を経て、1961年(昭和36年)東京大学法学部を卒業し、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行。1974年(昭和49年)7月シカゴ支店調査役、1977年(昭和52年)営業本部第二部次長、1978年(昭和53年)4月同第一部次長を歴任。
鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5… 鬼塚 喜八郎(おにつか きはちろう、1918年〈大正7年〉5月29日 - 2007年〈平成19年〉9月29日)は、日本の実業家で、アシックスの前身のひとつである鬼塚商会の創業者、アシックス社長。 鳥取県気高郡明治村大字松上(現・鳥取市松上)に農業・坂口伝太郎 かめの3男2女の末子として生まれた。喜八郎の名は、大倉財閥を興した大倉喜八郎にちなむという。 坂口家は、もとは小作人だったが祖父・伝十郎の代に地主となった。祖父は農業の傍ら和紙、因幡紙の仲買人なども行っていたという。長兄の坂口伝三郎は後に明治村村長を務めている。 1936年(昭和11年)に鳥取県立鳥取第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業。
児嶋 恒吉(こじま つねきち、明治43年(1910年)9月9… 児嶋 恒吉(こじま つねきち、明治43年(1910年)9月9日 - 平成3年(1991年)7月15日)は鳥取ガス株式会社の第3代社長。昭和52年(1977年)に黄綬褒章受章。 鳥取県の文化活動の中心として活躍した実業家。文化人。著書『黙堂閑話』。鳥取市出身。 昭和7年(1932)合名会社児嶋商店を継ぐ。昭和28年(1953)に鳥取ガス株式会社代表取締役社長、同年鳥取ガス産業株式会社代表取締役社長に就任し、ガス供給事業に尽力。昭和49年(1974)に日本ガス協会理事に就任し、ガス業界の発展に寄与した。昭和50年(1975)に君司酒造株式会社、昭和62年(1987)に鳥取ガス株式会社、昭和63年(1988)に鳥取ガス産業株式会社のそれぞれ代表取締役会長に就任。
三橋 誠(みつはし まこと、1907年 <明治40年> 1月… 三橋 誠(みつはし まこと、1907年 <明治40年> 1月16日 - 1990年 <平成2年> 10月20日)は、日本の経営者、バスケットボール選手。全国農業協同組合連合会会長を務めた。位階は従四位。 鳥取県鳥取市出身。1933年に京都帝国大学農業経済科を卒業。山陰日日新聞社取締役などを経て、1955年に鳥取県議員となり、後に副議長も務めた。1957年6月に全国購買農業協同組合連合会会長に就任し、1972年3月には全国農業協同組合連合会会長に就任。 バスケットボール選手としても活躍し、1934年には極東大会に出場し、1936年のベルリン・オリンピックでは、日本代表チームのヘッドコーチを務め、1967年11月には日本バスケットボール協会理事長に就任。
浜崎 芳雄(はまさき よしお、1903年〈明治36年〉4月3… 浜崎 芳雄(はまさき よしお、1903年〈明治36年〉4月3日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。浜崎芳雄商店会長。鳥取生コン会長。鳥取振興開発社長。日本海テレビジョン放送監査役。鳥取市議会議長(31代)。 鳥取県鳥取市(旧青谷町)出身。1921年(大正10年)、銅鉄商・黒川明四郎商店に入社し、大阪市立実業学校商業簿記専修科を卒業する。1924年(大正13年)に神戸営業所支配人。 1931年(昭和6年)に退社し、銅鋼鉄商・浜崎芳雄商店を設立する。1964年(昭和39年)、株式に改組、社長となる。1960年(昭和35年)12月、鳥取市議会議長に就任する。 高額所得者である。宗教は浄土宗。趣味はスポーツ、旅行、ゴルフ。
遠藤 常久(えんどう つねひさ、1897年(明治30年)12… 遠藤 常久(えんどう つねひさ、1897年(明治30年)12月15日 - 1989年(平成元年)12月)は、日本の実業家。作家・遠藤周作の父。フジテレビジョン代表取締役社長を務めた遠藤龍之介の祖父。 鳥取市出身。愛媛県温泉郡北吉井村出身の弁護士・和泉漱三の三男として生まれ、東伯郡浅津村下浅津(現・湯梨浜町下浅津)の医師・遠藤河津三の養子となる。遠藤家は鳥取藩の典医を務めた家系で、河津三には後嗣がいなかったため、常久を迎えた。 東京帝国大学法学部(独法科)に進学。在学中の1920年に郁と知り合い、翌1921年に結婚。同年に長男の正介、その2年後に次男の周作が誕生した。 卒業後は第三銀行に就職。第三銀行は1923年に安田銀行に統合されている。
池内 新蔵(いけうち しんぞう、1895年〈明治28年〉6月… 池内 新蔵(いけうち しんぞう、1895年〈明治28年〉6月6日 - 没年不明)は、日本の実業家、鳥取県多額納税者、地主。池内綿糸店社長。鳥取商工会議所顧問。 鳥取県鳥取市出身。池内新蔵の長男。1913年、旧制鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)を卒業する。家業の綿糸商を継承する。池内綿糸店、とりせんビル、丸興綿業各社長、鳥取大丸、鳥取瓦斯、日ノ丸証券、日ノ丸金属、日本海テレビ各取締役をつとめる。 鳥取市の豪商である。趣味は刀剣、読書。宗教は真宗。住所は鳥取市元大工町。 池内家は、藩政時代に主として酒造業により繁栄し、「高砂屋十家」と称された高砂屋一族のうちの一家である。「高砂屋十家」はいずれも高砂の郷士・池内氏を祖とし、本町四丁目にあった沢氏(初代高砂屋惣兵衛)と川端二丁目にあった小川氏(初代高砂屋六兵衛)を高砂屋両本家としていた。
長田 清治郎 (ながた せいじろう、1891年〈明治24年〉… 長田 清治郎 (ながた せいじろう、1891年〈明治24年〉7月27日 - 1961年〈昭和36年〉1月10日)は、日本の実業家。三菱化工機社長。 鳥取県鳥取市出身。呉服太物商・長田幾蔵の長男。1915年、神戸高等商業学校を卒業。三菱合資に入社、三菱重工業に配属され長崎支店をふり出しに、本店営業第五部長、機械部長、三原車輛製作所長等を歴任して1946年12月に取締役に選任される。 1950年中日本重工業の取締役に転じて活躍中、偶々三菱化工機が潰れかかったので同社の再建に起用され、1952年1月同社に顧問で入り、翌2月社長に就任する。 1961年1月10日、突然脳出血を起こして東京都世田谷区上馬1丁目の自宅で逝去する。
由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1… 由谷 義治(ゆたに よしはる、明治21年(1888年)3月1日 - 昭和33年(1958年)10月8日)は、日本の政治家、実業家。鳥取県多額納税者。鳥取市会議員、鳥取県会議員、衆議院議員。鳥取電機製造社長。 鳥取市川端四丁目、鹿野街道の呉服商で地主の由谷喜八郎の長男に生まれる。油谷家は県内屈指の資産家。 旧制鳥取県第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校卒業。在校中に同級生の橋浦時雄らと社会主義グループを結成。早稲田大学中退。父・喜八郎が創業した運送業に従事。1912年家督を相続する。二十代はもっぱら運送屋の若主人として、厚司と前垂れ姿でよく働いた。 1919年(大正8年)5月に市会議員、9月に県会議員となり、1924年に第15回衆議院議員総選挙で衆議院議員に当選して以来、太平洋戦争終結まで政治家として活躍した。
米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)1… 米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)11月16日 - 昭和42年(1967年)10月19日)は日本の実業家、政治家。鳥取県多額納税者。鳥取県会議員、貴族院議員。鳥取市名誉市民。旧姓藤縄。 鳥取県八頭郡河原町(現・鳥取市)に生まれた。実父の範七は1885年に県会議員となったが1890年に病没、その後家運は衰退した。国英村の八上高等小学校を終えると鳥取県立簡易農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)に入った。17歳の春に同校を卒業すると、若桜小学校で代用教員として短期間勤務した。 1900年9月、大日本農会附属私立東京農学校(現・東京農業大学)に入学、1903年に卒業。続いて早稲田大学専門部政治経済科に入学。
谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16… 谷口 源十郎(たにぐち げんじゅうろう、1883年〈明治16年〉5月7日 - 1979年〈昭和54年〉11月21日)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者。衆議院議員(当選2回)。鳥取銀行取締・相談役。 鳥取県岩美郡大路村(のち岩美郡米里村東大路、現・鳥取市東大路)の豪農の家に生まれた。谷口竫晃の長男。1902年、鳥取県立鳥取中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。農業を営む。 鳥取税務署管内所得調査委員、広島税務署監督局管内所得審査委員、鳥取県議、米里村議、岩美郡農会長、鳥取県農会議員となる。因伯産業社長、大正鳥取銀行取締役、鳥取新報社監査役、鳥取県米穀会副会長、鳥取銀行頭取、鳥取大丸取締役となる。
下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日… 下田 勘次(しもだ かんじ、1875年(明治8年)11月4日 - 1939年(昭和14年)7月3日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。大正鳥取銀行監査役。鳥取新報社長。鳥取県平民。 元鳥取大学長下田光造、元参議院議員田中信義の兄。 鳥取県八頭郡佐貫村和奈見(現鳥取市河原町)出身。下田弥平の長男。 鳥取一中(現鳥取西高)に学び、また漢籍を林良造に学んだ。 1904年(明治37年)村会議員、1907年(明治40年)に八頭郡会議員、1911年(明治44年)鳥取県会議員となり、引き続き1920年(大正9年)まで3期当選した。この間佐貫村長も務めた。 1920年(大正9年)5月、原内閣のときの第14回衆議院議員総選挙では、憲政会に推されて鳥取県第2区から立候補して当選し、1期在任した。
奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日… 奥田 柳蔵(柳藏、おくだ りゅうぞう、1868年12月15日(明治元年11月2日)- 1942年(昭和17年)2月10日)は、明治から昭和前期の大地主、農業経営者、林業家、実業家、政治家。衆議院議員、14代奥田家当主。 因幡国高草郡猪子村(鳥取県高草郡大和村、気高郡大和村字猪子を経て現鳥取市猪子)で、大地主、大庄屋・奥田長十郎の長男として生まれ、1884年(明治17年)1月、家督を相続した。漢籍を修めた 国民協会に加わり、その解散後、同志と政治結社・因幡同志会を結成した。1895年(明治28年)大和村会議員となる。気高郡会議員も務め、1899年(明治32年)鳥取県会議員に選出され1期在任した。1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で鳥取県郡部から出馬して初当選。
臼田 久内(うすだ きゅうない、1864年2月26日〈文久4… 臼田 久内(うすだ きゅうない、1864年2月26日〈文久4年1月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉7月4日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。族籍は鳥取県士族。 因幡国法美郡立川町(現鳥取県鳥取市立川町)で、鳥取藩士・臼田久雄、つね夫妻の二男として生まれる。立川小学校を卒業後、京都市丸太町烏丸の林益習館で学んだ。 小学校教員を経て、第八十二国立銀行に勤務。1895年(明治28年)神戸の戸崎商店に入り大牟田支店詰となる。1905年(明治38年)に独立して臼田商会を設立。鉄道鉱山用材料の輸入商を営み、炭鉱に鉄類などを納入して事業を発展させた。 その後、三池無尽取締役、大牟田瓦斯取締役社長、帝国セメント監査役、大牟田製氷取締役社長、博多株式取引所理事などを務めた。
筧 馬蔵(筧 馬藏、かけい うまぞう、1862年1月7日〈文… 筧 馬蔵(筧 馬藏、かけい うまぞう、1862年1月7日〈文久元年12月8日〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。吉岡ホテル社長。 因幡国高草郡下味野村(のち鳥取県気高郡美穂村下味野、現・鳥取県鳥取市下味野)出身。筧橘五郎の四男。寺子屋式の教育を受ける。吉岡村に分家する。酒小売、質商を営む。 村区長、村評議員、村会議員、信用組合長、気高漁業、山陰倉庫各監査役等をつとめる。酒造会社を経営する。 趣味は骨董、囲碁。住所は鳥取県気高郡吉岡村大字吉岡(現・鳥取市吉岡温泉町)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
八村 八太郎(はちむら やたろう、1862年1月2日〈文久元… 八村 八太郎(はちむら やたろう、1862年1月2日〈文久元年12月3日〉 - 1926年〈大正15年〉10月17日)は、日本の商人(呉服商)、地主、会社役員、政治家。鳥取県会議員。鳥取市会副議長(15代)。鳥取勧業取締役。 鳥取市元魚町1丁目、八村八次郎の長男。森本晩盛塾に、漢学を学ぶ。家業の呉服商に従事したが、1887年頃に廃業した。1892年に鳥取市会議員となり、1911年1月に副議長に就任した。 1911年6月に鳥取県会議員補欠選挙に当選した。帝国党、憲政会に所属。1915年10月に県参事会員となり、1916年11月に辞職した。 趣味は茶の湯、生花、書画、骨董。住所は鳥取市元魚町1丁目。
児嶋 幸吉(こじま こうきち、安政4年11月1日(1857年… 児嶋 幸吉(こじま こうきち、安政4年11月1日(1857年12月16日) - 昭和4年(1929年)12月1日)は日本の実業家。鳥取ガス株式会社の創業者。昭和44年(1969年)9月24日、鳥取市名誉市民に選ばれた。 商家に育ったからさしたる教育は受けていなかったが、心が至って敏く、物事に綿密で早くからなかなか商才に富んでいた。 明治9年(1876年)19歳で酒造業を開設、明治21年(1888年)因幡酒造組合を設立し、組合長として業界の指導に当たり、明治23年(1890年)市会議員に当選して4期11年間市政に参画し、都市計画、発電計画案を作るなど市政の発展と経済の振興に尽力された。明治25年(1892年)鳥取汽船会社を設立して阪神地方へ農産物の移出を行う。
筧 雄平(かけい ゆうへい、1842年11月12日〈天保13… 筧 雄平(かけい ゆうへい、1842年11月12日〈天保13年10月10日〉 - 1916年〈大正5年〉3月12日)は、日本の実業家、豪農、篤志家、鳥取県の大地主。筧融通合名会社代表社員。慈善及び教育事業に尽くす。日本最初の季節保育所の創始者である。族籍は鳥取県平民。 因幡国高草郡下味野村(のち鳥取県気高郡美穂村下味野、現・鳥取県鳥取市下味野)出身。筧橘五郎の長男。家業である農業の発達につとめ、傍ら鳥取市で酒類醸造業を営む。1876年、村有原野の開拓と共有林造成事業に着手する。1890年、繁忙期の農家のため託児所を開設する。 下味野に分教場を設けることに尽力し、社会的・経済的に劣悪な環境にあり就学率が低かった赤池部落の子弟のための学校教育の道を開く。
木下 荘平(莊平、きのした しょうへい、1840年(天保11… 木下 荘平(莊平、きのした しょうへい、1840年(天保11年8月)- 1906年(明治39年)5月14日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、鳥取県会議長。 因幡国八上郡布袋村(鳥取県八上郡三保村、河原村、八頭郡河原村、河原町を経て現鳥取市河原町)で、代々大庄屋を務めた家に生まれた。鳥取の藩儒・正墻適処(薫)に師事し和漢学を修めた。 八上郡農兵組頭、智頭郡農兵組頭、戸長、大区長、学区取締、准十二等出仕、八束郡長などを歴任。1881年(明治14年)鳥取県が再置され、同年11月、鳥取県会議員に当選し、同常置委員、同議長(第3、4、7代)を務めた。 岡崎平内の辞職に伴い1891年(明治24年)9月に実施された第1回衆議院議員総選挙鳥取県第1区補欠選挙で当選し、以後、第2回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。