福嶋 浩彦(ふくしま ひろひこ、1956年(昭和31年)9月… 福嶋 浩彦(ふくしま ひろひこ、1956年(昭和31年)9月26日 - )は、日本の政治家。住民目線の会の共同代表。東京財団上席研究員。 消費者庁長官(第2代)、千葉県 我孫子市長(3期)、同市議会議員(3期)を務めた。 社会新報の記者を経て、生活協同組合我孫子センターに勤務した。その後、我孫子市議会議員や我孫子市長などを歴任し、全国青年市長会会長などを務めた。市長退任後は東京財団上席研究員に就任。2010年、消費者庁長官に任命され、2012年8月まで務める。 鳥取県米子市生まれ。鳥取県立米子東高等学校を卒業し、筑波大学第一学群社会学類に入学。しかし、1980年に学園祭の開催を求めてデモや集会を開き、学生運動を主導したことを理由に、1981年3月に除籍処分を受ける。
山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は… 山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、中央大学法学部卒。 卒業後、司法試験に合格、司法修習後、判事補、裁判官として東京や熊本など各地の裁判所に勤務する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で鳥取2区より出馬したが、自由民主党の相澤英之に敗れ、比例復活もできずに落選。その後、新進党解党に伴い、民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で再び鳥取2区から出馬し、小選挙区では相澤に敗れるも比例中国ブロックより復活し初当選した。以後2期連続当選。 党内では民主党鳥取県連代表代行や「あすの内閣」法務副大臣などを務めた。
浜田 和幸(濵田 和幸、はまだ かずゆき、1953年3月17… 浜田 和幸(濵田 和幸、はまだ かずゆき、1953年3月17日 - )は、日本の政治家、国際政治経済学者。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官(菅直人第2次改造内閣)、外務大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、国民新党政務調査会長、同幹事長(第4代)兼代表代行、次世代の党選挙対策委員長(第2代)、日本のこころを大切にする党議員総会長などを歴任。 鳥取県米子市出身。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、2010年参院選にて鳥取県選挙区から立候補し当選。総務大臣政務官や外務大臣政務官を歴任。 専門は「技術と社会の未来予測」「国家と個人の安全保障」「長寿企業の戦略経営」。
野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22… 野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22日 - )は、日本の政治家、元外交官。元鳥取県米子市長(通算4期)。 鳥取県米子市出身。東京大学経済学部中退。1969年外務省入省。在英国大使館公使、在バンクーバー総領事などを歴任。2003年旧米子市長選で初当選。2005年の新市長選で当選。2013年4月、3選を果たした。祖父は洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んでいた野坂康久(“十字屋”経営主)。祖母のいとこには戦後、米子市長をつとめた野坂寛治がいる。 父・野坂陞三、母・千年の間に生まれた。1人っ子である。祖父野坂康久は、米子市東倉吉町で「十字屋」を経営、父や母、おばがこれを手伝っていたが、野坂が幼いころは、市会議員もしていた。
茅野 恒治(かやの つねはる、大正14年(1925年)7月1… 茅野 恒治(かやの つねはる、大正14年(1925年)7月19日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。茅野工業相談役。元米子市議会議長。 昭和20年(1945年)徳島工業専門学校電気科卒業。昭和27年(1952年)茅野工業(有)を設立、取締役に就任。 昭和46年(1971年)米子商工会議所議員。同年米子市議会議員に当選。 昭和47年(1972年)地裁・家裁司法調停委員。同年中国新日本運輸(株)を設立、代表取締役社長に就任。 昭和54年(1979年)市議会副議長。 昭和61年(1986年)米子商工会議所常議員。同年市議会議長。 趣味はスポーツ。信条・座右の銘は健康第一。住所は米子市角盤町。 (鳥取県米子市角盤町)
武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 -… 武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 - 2001年(平成13年)4月24日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。位階は正四位。 鳥取県米子市出身。1938年(昭和13年)鳥取県立米子商蚕学校(現鳥取県立米子南高等学校)商業科卒。1945年(昭和20年)米子郵便局に入局。1955年(昭和30年)鳥取県総評議長に就任し10期務めた。 1963年(昭和38年)第31回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本社会党公認で立候補し次点で落選。1967年(昭和42年)第31回総選挙で初当選。1986年(昭和61年)の第38回総選挙で落選。1990年(平成2年)第39回総選挙で復帰。
堀安 成文(ほりやす なりふみ、大正元年(1912年)9月2… 堀安 成文(ほりやす なりふみ、大正元年(1912年)9月26日 - 昭和54年(1979年)6月8日)は、日本の柔道家、政治家。元鳥取県議会副議長。元県柔道連盟米子支部顧問。 堀安家は松江城主堀尾吉晴の末裔である。 鳥取県米子市出身。堀安憲の長男。立命館大学卒業。 昭和30年(1955年)から約10年間にわたって県公安委員長。昭和42年(1967年)県議初当選以来、連続三期当選。昭和52年(1977年)7月~昭和54年(1979年)4月県議会副議長。 代々堀安家は制剛流俰を伝える家であり、堀安成文は制剛流15代目であった。 大学在中柔道主将、卒業後講道館で柔道を錬磨し五段を授けらる。邸内に礎道館を設立、広く柔道の普及興隆に尽力。
足鹿 覚(足鹿 覺、あしか かく、1904年(明治37年)1… 足鹿 覚(足鹿 覺、あしか かく、1904年(明治37年)12月28日 – 1988年(昭和63年)5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員、参議院議員。全日本農民組合連合会長。 生家は半農半漁で家計は苦しく、そうした環境が彼に労働者としての自覚を促した。 東京帝国大学セツルメント労働学校を終えた後、帰郷して農民運動をする。1926年(大正15年)労働農民党の創立に参加し、労働組合運動にも参加。 1931年(昭和6年)米子市会議員、1935年(昭和10年)鳥取県会議員を経て、戦後は日本社会党に入り、1949年(昭和24年)から衆議院議員に7期当選。1968年(昭和43年)から参議院議員1期。農政を中心とする思想・見識は国民の共感を得た。
大谷 虎三(おおたに とらぞう、明治32年〈1899年〉1月… 大谷 虎三(おおたに とらぞう、明治32年〈1899年〉1月27日 - 没年不詳)は、日本の実業家、政治家。元赤沢組社長。元協同建設社長。元米子市議会議員。 大正14年(1925年)、鉄道省指定請負赤沢康平本店に入る。昭和2年(1927年)、同店代人。昭和7年(1932年)、赤沢組常務となり、昭和8年(1933年)、大鉄工業取締役米子支店長。昭和19年(1944年)、同社相談役。 昭和20年(1945年)、赤沢組社長に就任。昭和21年(1946年)、伯耆貨物自動車監査役。昭和22年(1947年)、同社取締役を各兼任。なお山陰日日新聞社取締役米子商工会議所常議員を兼務。この間、昭和22年(1947年)、昭和26年(1951年)米子市議各当選。
内田 保秀(うちだ やすひで、明治31年(1898年)1月1… 内田 保秀(うちだ やすひで、明治31年(1898年)1月14日 - 昭和32年(1957年)6月23日)は日本の実業家、政治家。元米吾代表取締役。内田家の12代目。元米子市議会副議長。 大正15年(1926年)社長職に就いた保秀にとって、先代・秀蔵とともに建設を始めた「米子米吾ビル」の竣工が初仕事となった。 昭和22年(1947年)、米子市議会議員に立候補し初当選を果たした。昭和24年(1949年)には、「米吾」を有限会社とした。昭和28年~30年(1953~1955年)には市議会副議長をつとめた。 内田家は代々米問屋を家業としていた。明治7年(1874年)廃業、旅館経営へ転業。明治35年(1902年)国鉄山陰線敷設以来、米子駅構内営業を始める。
野坂 康久(のざか やすひさ、明治22年(1889年)6月1… 野坂 康久(のざか やすひさ、明治22年(1889年)6月18日 - 没)は、日本の実業家、政治家。旧姓稲田。洋食のレストラン“十字屋”経営主。元米子市会議員(議長)。 外交官、米子市長だった野坂康夫の祖父。弁護士・公証人雑賀愛造の実兄。戦後米子市長を務めた野坂寛治は姻戚関係にある。 鳥取県米子市出身。酒造業稲田家に生まれた。養父は野坂吉五郎。 米子中学校(現米子東高校)から大阪高等工業学校醸造科に進み、同校を明治45年(1912年)3月卒業。初めの10年程は家業に従事したが、海陸運送業、楽器販売、飲食業と、転々仕事を新たにして終戦時に及んだ。 その間昭和8年(1933年)米子商工会議所議員、昭和10年(1935年)米子市会議員に当選。
桜内 辰郎(さくらうち たつろう、旧字体: 櫻內 辰郞、18… 桜内 辰郎(さくらうち たつろう、旧字体: 櫻內 辰郞、1886年〈明治19年〉3月13日 - 1954年〈昭和29年〉11月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 1928年、東京府1区から立憲民政党に属し衆院議員に選出され、次期選挙にも当選した。1947年には東京都から参院議員に当選、国民民主党最高委員を歴任。 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)で生まれた。島根県士族・櫻内和一郎の二男。早稲田大学政治経済科で学んだ(1930年に推薦校友となる)。 亀崎銀行に入り、常務取締役に挙げられた。興國銀行取締役を経て、日本人造絹絲会社を創立し常務取締役に就任した。櫻組工業、日本コナミルク各会社取締役となった。
船越 作一郎(ふなこし さくいちろう、1885年〈明治18年… 船越 作一郎(ふなこし さくいちろう、1885年〈明治18年〉9月20日 - 1967年〈昭和42年〉5月14日)は、日本の実業家、政治家、鳥取県多額納税者、地主。船越合名会社社主。日本クローム工業社長。鳥取県会議員(政友会系中立→中立)。 鳥取県米子市出身。船越熊治郎の長男。1909年、家督を相続する。1907年、早稲田大学専門部政経科を卒業。鉱山業に従事。また貸金業を営む。 1915年、鳥取県議に当選し、少壯團を組織。1925年9月に鳥取県立米子工業学校建築費金1千円を寄附したため1928年8月14日に褒状が下賜される。1927年、米子市議に当選。 『陰陽八郡郡勢一斑』によると、船越の人柄は「資性活達、荘重明敏で、義気に富む」という。
三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(188… 三好 英之(みよし ひでゆき、旧名栄次郎、明治18年(1885年)8月29日 - 昭和31年(1956年)2月14日)は、日本の実業家、政治家。元衆議院議員、参議院議員。元国務大臣北海道開発庁長官。鳥取県米子市名誉市民。三好家第10代当主。鳥取県平民。 大正13年(1924年)衆議院議員に初当選し、戦前に6回の当選を重ねた。地元振興の貢献としては、山陰鉄道開通記念の博覧会に尽力したのをはじめ、山陰実業銀行を設立、戦後はラジオ山陰(現山陰放送)の開局に携わるなど調整能力、行動力は抜群であった。家系は清和源氏、小笠原氏の支流・三好氏。 米子道笑町の商家に生まれる。三好常次郎の次男。 県立第二中学校(現米子東高校)、東京の京華中学を経て明治39年(1906年)に早稲田大学政治経済科を卒業。
後藤 脩(ごとう しゅう、1879年(明治12年)8月11日… 後藤 脩(ごとう しゅう、1879年(明治12年)8月11日 - 1957年(昭和32年)1月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(当選1回、三重県第二区選出)。三重県松阪市長。日本出版社長。 鳥取県会見郡彦名村(現在の米子市)出身。後藤綾の弟。学歴等は不明。 1903年(明治36年)より三重県津市で出版業を始める。1906年(明治39年)、組織を改めて「合資会社三重出版社」とする。1924年(大正13年)に組織を「三重出版社株式会社」に改め、社長に就任した。そのかたわら南勢新聞社常務取締役、松阪信用組合理事などに就任した。さらに松阪町会議員、同市会議員、三重県会議員、同参事会員に選出された。
西尾 常彦(にしお つねひこ、1877年(明治10年)1月1… 西尾 常彦(にしお つねひこ、1877年(明治10年)1月14日 - 1947年(昭和22年))は、大正から昭和時代前期の政治家、警察官。鳥取県米子市長。 西尾利平の長男。鳥取県会見郡彦名村(西伯郡彦名村を経て現米子市)出身。1906年(明治39年)1月、鳥取県警部に任じ、島根県警視を経て、松江警察署長となる。1919年(大正8年)5月、島根県能義郡長に転じ、美濃郡長、簸川郡長などを歴任したのち1922年(大正11年)米子町長に就任した。1926年(大正15年)4月、再選を経て1927年(昭和2年)4月、米子市設立と共に市長代理となり、同年6月21日、米子市長に就任した。
落合 恒雄(おちあい つねお、1872年〈明治5年〉 - 1… 落合 恒雄(おちあい つねお、1872年〈明治5年〉 - 1940年〈昭和15年〉)は、日本の武道家、政治家。 鳥取県出身。米子市西町、落合甚大夫の養子。少時より剣道を修業する。米子中学校(現・米子東高校)修学。1905年、大日本武徳会教員養成所に入所、内藤高治範士の門下生となる。卒業後米子中学校(現・米子東高校)武道教員を拝命する。 1912年に師範学校、中学校教員剣道講習会において課程を修了する。1917年12月より1921年10月まで西区長として自治に尽力する。1921年9月より1927年3月まで米子町会議員として町政に参与する。1927年7月、西区長に再任。 1921年に剣道精錬証を取得、武徳会地方幹事、青年演武大会審判員となる。
坂口 惣五郎(さかぐち そうごろう、1870年12月25日〈… 坂口 惣五郎(さかぐち そうごろう、1870年12月25日〈明治3年11月4日〉 - 1939年〈昭和14年〉3月17日)は、日本の政治家、実業家、地主。米子市会議員。カギさ醤油醸造元坂口商店取締役社長。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡米子町大字尾高町(現・米子市尾高町)出身で、生家は木綿問屋。木綿商・坂口平吉郎の四男。1902年、兄・平兵衛方より分家をする。 会社の重役であり、坂口商店代表取締役、大谷オフセット社長、米子家畜市場、日本製絲、山陰水産、米子電車軌道、米子製鋼所各取締役、米子電車軌道、博愛病院各監査役、有限責任米子信用組合第二代組合長などをつとめる。 1907年から1911年まで米子町収入役をつとめる。
長谷川 万蔵(はせがわ まんぞう、明治3年(1870年)8月… 長谷川 万蔵(はせがわ まんぞう、明治3年(1870年)8月 - 没年不明)は日本の政治家。元鳥取県議会議員。元富益村長。 現在の鳥取県米子市富益町に生まれた。善十郎の二男。家は代々農を業とす。教えを郷校に受け和漢の書を修めた。前代より副業として質商を営んだが万蔵の代に至り倍々業務に勉め隆昌に向かう。 明治32年(1899年)富益村長に当選。明治32年(1899年)9月郡会議員に当選。米子外十四ヶ町村組合角盤高等小学校議員米川水利組合議員等責務に就き多年村治に郡政に尽瘁する。 衆民の輿望により県会議員に当選。 県下有数の名士として庶民の推重を受くる。 『陰陽八郡郡勢一斑』には「性温厚にして寡言、堂々たる風丰全く長者の風備はる」とある。
稲田 藤治郎(いなだ とうじろう、明治2年3月21日(186… 稲田 藤治郎(いなだ とうじろう、明治2年3月21日(1869年5月2日) - 昭和17年(1942年)2月22日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。稲田家の七代目。鳥取県平民。 弁護士・公証人雑賀愛造、洋食のレストラン“十字屋”経営主で元米子市会議員野坂康久などは稲田一族の出身である。 鳥取県米子市久米町出身。稲田喜重郎の二男。家業は酒・醤油醸造業(現・稲田本店)。 明治21年(1888年)東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業。 明治25年(1892年) 久米町にてビール工場を建設。本場ドイツで学んだ技師を雇い入れ、瓶は手拭で手造り、長いコルク栓でガス漏れを防ぐ等の工夫を凝らし“イナタビール”として売り出す。
野坂 吉五郎( 慶応2年9月21日(1866年10月29日)… 野坂 吉五郎( 慶応2年9月21日(1866年10月29日) - 没年不明)は日本の実業家、政治家。元中国興業銀行常務取締役。元中国貯蓄銀行取締役。元米子町会議員、郡会議員。自治功労者。地主。 元衆議院議員野坂茂三郎の弟。元米子市長野坂寛治の叔父。洋食のレストラン“十字屋”経営主で米子市会議員を務めた野坂康久の養父。米子市長野坂康夫は曾孫にあたる。 伯耆国米子法勝寺町(現鳥取県米子市法勝寺町)の商家に生まれた。屋号は油屋。野坂與八郎の五男。 明治14年(1881年)家督を相続す。 大正2年(1913年)9月、町会議員(一級)に当選。 大正4年(1915年)9月30日 - 大正8年(1919年)9月29日、郡会議員。
中本 範治(なかもと はんじ、1865年〈慶応元年〉 - 没… 中本 範治(なかもと はんじ、1865年〈慶応元年〉 - 没年不明)は、日本の会社役員、地主、名望家、篤農家、政治家。鳥取県西伯郡県村長。古豊千村、八幡村組合村長。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡県村(現・米子市)出身。宇平の嫡男。村夫子に従い漢籍、句読、習字、算数の術を学ぶ。 1890年、自由党に入党する。政友会の組織が成立すると、その会員となる。町村制実施と共に村役場書記となり、1894年に郡書記に栄転する。 1898年、県村長に推される。郡立病院監事、米子農業倉庫監事、尾高井手水利組合管理者等を兼ねる。大山自動車取締役、県報徳社理事、保証責任製糸信用販売購買利用組合理事をつとめる。郡会議員、郡参事会員、その他の公職に就く。
坂口 常次郎(さかぐち つねじろう、1863年5月31日〈文… 坂口 常次郎(さかぐち つねじろう、1863年5月31日〈文久3年4月14日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。坂口商店代表社員。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡米子町大字尾高町(現・米子市尾高町)出身。木綿商・坂口平吉郎の三男。坂口喜平の養子となる。 尾高区区長、西伯郡会議員、米子町収入役、米子町会議員、米子製糸取締役、米子製鋼所監査役、西伯酒造組合長、西伯醤油製造同業組合長などをつとめる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
野坂 茂三郎(のさか もさぶろう、万延2年2月11日(186… 野坂 茂三郎(のさか もさぶろう、万延2年2月11日(1861年3月21日) - 大正12年(1923年)5月7日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、郡会議員、町会議員。中国貯蓄銀行頭取、米子銀行取締役。鳥取県平民。大地主。 元米子市長野坂寛治の父。 伯耆国米子法勝寺町(現鳥取県米子市法勝寺町)の商家に生まれた。屋号は油屋。野坂與八郎四男。 地方村夫子に従い漢学句読習字算術等の教授を受く。小学校設立に及び入校し或は豫科学所に入り勤学す。 明治10年(1877年)1月分家して一家を創立す。明治15年(1882年)呉服商をはじめて営む。明治17年(1884年)米綿仲買商を兼業した。 明治31年(1898年)3月実施された第5回総選挙で第三区から衆議院議員に当選した。
住田 善平(安政2年11月7日(1855年12月15日) -… 住田 善平(安政2年11月7日(1855年12月15日) - 明治39年(1906年)9月8日)は、日本の実業家、政治家。住田呉服店の主人。旧姓・瀬尾。元米子銀行監査役。初代米子町名誉助役。第四代米子町長。 元米子町会議員住田寅次郎の父。娘は境町(現境港市)の回船問屋武良(むら)家に嫁いだ。漫画家水木しげる(本名:武良茂)は善平の曾孫にあたる。 鳥取県西伯郡成実村大字美吉・瀬尾家に生まれた。與喜蔵の二男。幼名を光太郎と称す。米子東倉吉町住田善吉の養嗣となり家督を継承し四代の主となる。住田氏は近世期中ごろから東倉吉町に居住し、“住田屋”を号した。衣料、雑貨を営業し、近代に入って呉服類を中心に営業を継続拡張した。
田村 源太郎(たむら げんたろう、1855年4月30日〈安政… 田村 源太郎(たむら げんたろう、1855年4月30日〈安政2年3月14日〉 - 1926年〈大正15年〉4月28日)は、日本の商人(肥料商)、醸造家、政治家、地主。 鳥取県西伯郡米子町(現・米子市)の人。芳太郎の長男。家業は肥料及び酒類醸造業で、屋号は田村屋。家業に努め奮励したため貨財を倍殖し、名望いよいよ起り、米子有数の豪商となる。1901年、東糀区区長に当選。 1913年、米子町会議員に当選する。終始一貫熱心精励町治の発展に尽瘁する。1926年、米子町功労者旌表規定により功労章を贈られる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
稲田 秀太郎(いなだ ひでたろう、安政元年9月9日〈1854… 稲田 秀太郎(いなだ ひでたろう、安政元年9月9日〈1854年10月30日〉 - 昭和15年8月31日〈1940年8月31日〉)は、日本の政治家、実業家。地主。 伯耆国米子(現、鳥取県米子市紺屋町)出身。元米子町会議員。酒・醤油醸造業合名会社稲田本店代表社員。稲田家の六代目。鳥取県平民。米子銀行監査役。元衆議院議員、稲田家の七代目稲田藤治郎の兄。 当時、商工業の有力者は同時に地主でもあった。この年度における米子町の地価1000円以上の地主名を挙げると次の通りである。10000円〜15000円の部に稲田秀太郎の名前がみえる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
初代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、嘉永7年6月9日(18… 初代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、嘉永7年6月9日(1854年7月3日)- 昭和8年(1933年)7月31日)は、日本の実業家、政治家。貴族院議員、町会議員、郡会議長を務めた。鳥取県平民。鳥取県多額納税者。 坂口合名会社・代表社員会長2代目坂口平兵衛の実父。 米子・尾高町に生まれた。坂口家は藩政時代“沢屋”と称し、綿、木綿仲買業を営んでいた。米子の商家ではまず中堅クラスであった。 青少年時代についてはくわしいことはわからない。同家所蔵の『歴代伝記』によると、幼にして学に志ざし、今井芳斎、高嶋倫閑、樋野含斎などの門に入り漢学を修め、長ずるに及んで家業のため大いに妨げられたが、余暇常に書をひもとき竹馬の友と遊びごとはほとんどなかったと述べている。
野波 令蔵(野波 令藏、のなみ れいぞう、1848年2月17… 野波 令蔵(野波 令藏、のなみ れいぞう、1848年2月17日〈嘉永元年1月13日〉 - 1917年〈大正6年〉12月)は、日本の醸造家、実業家、政治家、地主。鳥取県会議員(憲政党系中立)。野波商店。幼名は安太郎。族籍は鳥取県平民。 鳥取県西伯郡米子町法勝寺町(現・米子市法勝寺町)の人。常重の長男。生家は紺屋業を営む。幼時、村夫子に従い、漢学句読を受け、算数習字を修学する。家督を継承し、令蔵と改め、7代の主となる。1872年以来公職公事に就いたが、1872年に法勝寺町肆長を申付けられたのを初めとする。 1886年に紺屋業を廃止し、醤油醸造業を開始する。醤油醸造業を営み、また米子米綿取引所監査役、西伯家畜会社社長、鳥取県会議員・同副議長、米子町会議員、学務委員、米子銀行監査役、米子町名誉助役などをつとめる。
名島 嘉吉郎(なしま かきちろう、弘化元年12月25日(18… 名島 嘉吉郎(なしま かきちろう、弘化元年12月25日(1845年2月1日) - 明治42年(1909年)5月27日)は、日本の実業家、政治家。米子銀行、中国貯蓄銀行、倉庫会社の各取締役。元米子町会議員。鳥取県平民。 博労町に生まれた。平次郎の嫡男。幼名虎之助と称す。屋号を名和川屋と号し、醤油醸造幷に砂糖綛糸卸売業を営む。 明治22年(1889年)8月、町会議員(一級)当選。 明治28年(1895年)9月、町会議員(一級)当選。 米子銀行、中国貯蓄銀行、倉庫会社の各取締役の重任を帯び各責務に尽瘁した。 『明治人名辞典Ⅱ 下巻』(底本・『日本現今人名辞典(明治三三年)』) なノ七十五によると、 明治35年(1902年)2月の『鳥取県伯耆国一円地価所得税詳覧』によって、米子町を含む西伯郡の地価一万円以上の大地主をみると以下のとおりである。
鹿島 重好(かしま しげよし、天保元年(1830年) - 明… 鹿島 重好(かしま しげよし、天保元年(1830年) - 明治25年(1892年))は、日本の商人、政治家。島根県会議員。米子町年寄。 米子に下鹿島家2代重意の四男として生まれ、嘉永7年(1854年)分家して岩倉町に住み“岩鹿”と称された。家業は質屋で醤油・砂糖・荒物も商った。 安政7年(1860年)2月米子為替座御用を務め、文久2年(1862年)には藍座にも関与、慶応元年(1865年)2月町年寄仮役に任ぜられ、以後町年寄として働き、明治2年(1869年)4月荒尾氏の自分手政治廃止後も町年寄役を命ぜられた。 明治5年(1872年)1月第83・84区の仮戸長となり、明治7年(1874年)東倉吉町戸長となった。