大山 明彦(おおやま あきひこ、1957年(昭和32年)7月… 大山 明彦(おおやま あきひこ、1957年(昭和32年)7月12日 - )は、現在日本を代表する古典絵画・壁画の復元模写の第一人者で、特に繧繝彩色に関する研究の大家として知られる。山崎昭二郎に師事し、正統な系譜に連なる最後の一人である。 宮内庁正倉院事務所研究職職員を経て、奈良教育大学文化財造形コース(現・文化遺産教育専修)にて古典絵画技法に関する指導を約四半世紀 (1999年10月〜2024年3月) に亘って行った。現在は文化財保存修復学会、大学美術教育学会、日本文化財科学会に所属し、律学戒学院評議員を務めている。 1957年 香川県高松市生まれ。1981年(昭和57年)3月、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。
垂水 千恵(たるみ ちえ、1957年7月 - )は、日本の台… 垂水 千恵(たるみ ちえ、1957年7月 - )は、日本の台湾文学研究者、横浜国立大学国際戦略推進機構教授。四方田犬彦の妻で、四方田 千恵名義でも活動している。 香川県高松市生まれ。1980年お茶の水女子大学文教育学部卒。82年同大学院修士課程修了、2001年、「呂赫若研究」で博士(人文科学)号取得。台湾東海大学外文系専任講師を経て、横浜国立大学留学生センター教授。
小林 健二(こばやし けんじ、1957年3月31日 - )は… 小林 健二(こばやし けんじ、1957年3月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号123。香川県高松市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算1期、順位戦A級通算4期。 1972年に14歳で板谷門下に入門。同年4月に東京・将棋会館の塾生となるが、しばらくすると体調を崩してしまう。そのため師匠の板谷を頼って名古屋に移り、板谷の内弟子となる。1975年12月に四段に昇段。 四段時代の1977年、第18期王位戦の挑戦者決定リーグ戦に進出。白組で有吉道夫八段らを破り5戦全勝で優勝、挑戦者決定戦へ進出した。将棋界初の四段によるタイトル挑戦かと騒がれ、紅組で優勝した米長邦雄八段との対局も途中までは優勢であったが、終盤で逆転負けし、惜しくもタイトル挑戦とはならなかった。
谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の… 谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の雑誌記者、ジャーナリスト。元内閣官房参与、元慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。日本会議会長。 株式会社日経BP編集委員室主任編集委員、外務省外務副報道官、明治大学国際日本学部客員教授などを歴任した。 1957年、香川県高松市に生まれる。1976年に岡山県立岡山朝日高等学校を卒業。上京し、東京大学に進学した。東京大学では法学部に在籍し、1981年に卒業した。大学卒業後は日本朝鮮研究所にて研究員に就任し、1984年まで務めた。同年、東京精密の従業員となり、翌年まで勤務した。 1985年より2005年にかけて日経BPにて勤務した。
井筒 啓之(いづつ ひろゆき、1955年3月6日-)は、日本… 井筒 啓之(いづつ ひろゆき、1955年3月6日-)は、日本のイラストレーターである。東京イラストレーターズ・ソサエティ元理事長。 香川県高松市生まれ、東京育ち。セツ・モードセミナー卒業。1984年日本イラストレーション展入選。1986年長沢節に師事。1998年講談社出版文化賞受賞。2001年クリエイションギャラリーG8で個展。2005年日本橋髙島屋画廊で個展。書籍の装丁イラストレーションを多数手がけている。東京表参道の青山ブックセンターにおいてイラストレーション教室「青山塾」の講師を務める。ガッシュを使用した写実的な絵柄が特徴。 その他文芸誌にさし絵を多数連載。
住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月… 住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は日本の実業家、社会起業家、元政治家。平成レッグス株式会社代表取締役社長、日本スポーツ少年団常任委員。元高松市議会議員(4期、元議長)。元カマタマーレ讃岐代表取締役社長。 香川県高松市出身。高松商業高校ではサッカー部に所属し、高校総体に3年連続出場。3年生時は主将。1976年に弦打サッカースポーツ少年団を創設し、後身の指導に当たる一方、高松商高OBサッカークラブ(高商OBクラブ)の選手として第1回四国サッカーリーグ出場(その後、第2回、第5回に出場)。1980年、スポーツ少年団指導者協議会指導者研修で訪欧し先進的なスポーツクラブについて学ぶ。
多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は… 多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は、日本の実業家。タダノ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、あおぞら銀行取締役。元日本建設機械工業会副会長。藍綬褒章受章。 香川県高松市生まれ。香川県立高松商業高等学校を経て、1977年一橋大学経済学部卒業。大学では体育会陸上ホッケー部に所属。大学卒業後、丸紅株式会社に入社し、ナイジェリアやマレーシアに駐在。 1988年株式会社タダノ入社。ドイツでのM&Aを手がけたのち、社長室長を務めた。1996年ドイツ・FAUN GmbH社社長に就任。2003年から株式会社タダノ代表取締役社長を務め、売上の海外比率を3分の2にまで引き上げるなど、海外展開を進めた。
木村 伊量(きむら ただかず、1953年11月16日 - )… 木村 伊量(きむら ただかず、1953年11月16日 - )は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。朝日新聞社元代表取締役社長。 香川県高松市出身。 損害保険会社員だった父親の転勤に伴い、新居浜、徳島、大宰府、佐賀、大分で育つ。大分県立大分上野丘高等学校、香川県立高松高等学校を経て、1976年3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。学生時代は西洋政治思想史を専攻し、藤原保信ゼミに属した。1911年設立の古い伝統を誇る学術サークル政治経済攻究会でおもに活動。チューターは大学院生の姜尚中(別名・永野鉄男)だった。 同年4月、朝日新聞社に入社。最初の赴任地は岐阜支局だった。平野三郎県知事らが収賄罪に問われた岐阜県政汚職や、9・12豪雨による長良川水害を経験(本人も岐阜市北部で取材中、決壊した支流の濁流に呑み込まれる)。
対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は… 対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - )は、日本の俳人。 香川県高松市に生まれる。小学校高学年より詩に興味を持ちはじめ、香川県立高松高等学校時代は文芸部に所属。1972年日本女子大学文学部国文学科に入学、文芸部に入部し同人誌に詩や短文を執筆。東大学生俳句会と文芸部との合同ハイキングで西村我尼吾と出会い俳句を作り始める。 1973年、国文学科教授中島斌雄が主宰する「麦」入会。同時に東大学生俳句会に学外参加し、東大ホトトギス会にて山口青邨の選を受ける。1976年「麦」同人。大学卒業後、日本女子大学学生課に勤務。1978年我尼吾と結婚。1981年より我尼吾のイェール大学留学に伴いコネティカット州ニューヘブンに1983年まで住む。
山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日… 山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日本の女子陸上競技(短距離走)選手。 香川県綾歌郡端岡村(現:高松市国分寺町)出身。国分寺中学校、香川県立丸亀高等学校、日本体育大学卒。その後は教員となる。 高校1年生時の1969年インターハイで100メートルと200メートルの2冠を達成。3年生時の1971年にも再び100メートルと200メートルの2冠を達成し、この大会で丸亀高校は学校対抗(女子)で総合優勝した。 日本陸上競技選手権大会では1970年、高校2年生のときに100メートルと200メートルの2冠を達成。翌1971年にも2年連続で100メートルと200メートルの2冠を達成。その後、100メートルは1973年まで優勝して4連覇を達成。
喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日… 喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日 - )は、日本の政治家、人権活動家。 日本社会党参議院議員(当選1回)。香川県高松市出身。 1971年 - 高松第一高等学校卒業。1975年 - 大阪市立大学商学部卒業。 1976年 - 日本社会党に入党。香川県本部副委員長などを務める。 1983年6月 - 第13回参議院議員通常選挙で香川県選挙区から出馬し落選。1986年7月 - 第14回参議院議員通常選挙で落選。 1989年7月 - 第15回参議院議員通常選挙で初当選。1994年6月 - 村山内閣で環境政務次官に就任。 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙で落選。1998年7月 - 第19回参議院議員通常選挙で比例区に転出し落選、政界引退。
石村 由起子(いしむら ゆきこ、1952年 - )は、日本の… 石村 由起子(いしむら ゆきこ、1952年 - )は、日本の経営者、空間コーディネーター。奈良市のカフェ「くるみの木」オーナーとして知られる。 香川県高松市に、いずれも中学校の体育教師であった両親のもとに生まれた。高校卒業後、大阪で店舗設計を学んだ。その後、結婚して奈良県奈良市に長く居住しており、同地を中心に事業を展開している。 1984年7月7日、31歳のときに雑貨店を併設したカフェ「くるみの木」を開業したが、当初は12席だけの小さな店舗だった 1994年に2店目の「くるみの木 フィールデイズ店」を出店し、1店目を「くるみの木 一条店」と改称、有限会社くるみの木を設立して社長となった。 カフェを経営しながら、自然を取り入れたライフスタイルを提唱し、著作が注目されるようになった。
山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )… 山地正倫周(やまじりんしゅう、1951年12月17日 - )は、日本のファッションデザイナー。香川県高松市出身。多摩美術大学グラフィック科卒業。 RYNSHU(リンシュウ)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 MAJI STYLED BY RYNSHU、MA-JI MASATOMO、MAJI MAJI、MAJI君等のライセンスブランドのクリエイティブを展開している。 1985年、有限会社MA-JI CREATION設立。 1986年、MAJI MASATOMO、MASATOMO 1992年、株式会社MASATOMO設立。 2010年、RYNSHU 2017年、株式会社RYNSHU設立。
岡内 欣也(おかうち きんや、1951年9月10日 - 20… 岡内 欣也(おかうち きんや、1951年9月10日 - 2013年12月24日)は、日本の実業家。元三菱UFJ信託銀行株式会社代表取締役社長。 香川県高松市出身。1974年東京大学法学部卒業、三菱信託銀行入行。国際業務部長、執行役員ロンドン支店長、常務取締役、専務などを経て、2008年から代表取締役社長を務め、アバディーン・アセット・マネジメントとの資本提携や、リーマン・ショック後の効率化による対応を行うなどした。2013年病没。享年62。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木村 四郎(きむら しろう、1950年10月21日 - )は… 木村 四郎(きむら しろう、1950年10月21日 - )は、日本の男性俳優。かつては、劇団俳優座に所属していた。 香川県高松市生まれ。3歳の時に高松を離れる。 桐朋学園芸術短期大学芸術科演芸専攻卒業後、俳優座に入団。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
熊谷 富由美(くまがい ふゆみ、1950年〈昭和25年〉6月… 熊谷 富由美(くまがい ふゆみ、1950年〈昭和25年〉6月18日 - )は、元西日本放送のアナウンサー。 香川県高松市出身。慶應義塾大学文学部在学中に文化放送でアルバイトを経験。自分の思っていることを音や映像で表現したいという思いが強くなり、アナウンサーを志した。 大学卒業後、1974年西日本放送に入社。テレビの生放送CMでアナウンサーデビュー。 高松高等予備校が提供で、受験シーズンといわれる1月から3月末まで放送されるラジオ番組の「村上良一の『親への提言』」では、ナレーターの槇大輔から「合格の女神」と称されていた。 65歳で西日本放送を定年退職。現在も勤務していた西日本放送ラジオに出演している。
浅野 健一(あさの けんいち、1948年〈昭和23年〉7月2… 浅野 健一(あさの けんいち、1948年〈昭和23年〉7月27日 - )は、日本のジャーナリスト。「人権と報道・連絡会」世話人。元同志社大学教授。 香川県高松市生まれ。香川県立高松高等学校を経て、1972年慶應義塾大学経済学部卒業。同大学新聞研究所修了後、共同通信社入社。1984年「犯罪報道の犯罪」を発表。1989年から1992年までジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。他に、編集局社会部記者、外信部デスクなど歴任。1994年3月退社し、同年4月から同志社大学文学部社会学科教授(新聞学専攻)、同大学大学院文学研究科新聞学専攻博士課程教授。2002 - 2003年、英ウエストミンスター大学客員研究員。
鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は… 鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は日本の政治家。自民党所属の香川県議会議員。当選9回。 高松中心市街地を地盤としている数少ない県議会議員の一人。高松中央商店街の再開発を始めとした市街地活性化や観光振興に積極的に取り組んでいる。香川漆器にも造詣が深く漆芸振興策を訴えている。
松本 一路(まつもと いちろ、1947年10月29日 - )… 松本 一路(まつもと いちろ、1947年10月29日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサーで、2007年11月から嘱託職、現在日本体育大学体育学部講師を兼務。 香川県立高松高等学校、早稲田大学教育学部卒業。1971年NHK入局。スポーツアナウンサーとして野球中継を中心に担当した。1992年9月11日に延長15回引き分け・6時間26分の激闘となった阪神タイガース対ヤクルトスワローズの実況を担当した際には、「十五万語喋ったアナウンサー」として翌日の新聞にも掲載された。
高城 修三(たき しゅうぞう、1947年10月4日 - )は… 高城 修三(たき しゅうぞう、1947年10月4日 - )は、香川県高松市出身の作家。本名は若狭雅信。 香川大学学芸学部附属高松中学校、香川県立高松高等学校、京都大学文学部言語学科卒業。京都の出版社に勤務。 1977年、「榧の木祭り」で新潮新人賞を受賞、同作で同年下半期(1978年1月)芥川賞を受賞。当時は山科区で学習塾経営をしていた。 芥川賞受賞後は小説を書く機会は減り、京都に関するエッセイや古代史関連の著作が中心になっている。連歌会の宗匠としても活動する。
小坂 敏彦(こさか としひこ、1947年9月17日 - )は… 小坂 敏彦(こさか としひこ、1947年9月17日 - )は、香川県出身のプロ野球選手(投手)。
植松 おさみ(うえまつ おさみ、本名は読みが同じで植松 修幹… 植松 おさみ(うえまつ おさみ、本名は読みが同じで植松 修幹、1947年〈昭和22年〉7月27日 - )は、香川県内で活動する男性のフリーアナウンサー。元西日本放送(RNC)アナウンサー。 香川県高松市出身。日本大学卒業後、1970年にRNC入社。全国ネット『ズームイン!!朝!』や香川・岡山ローカルの『カラオケ最前線』など昭和後期~平成初期にかけて活躍。特に『ズームイン!!朝!』では「讃岐弁でインタビューするアナウンサー」として知られた。 その後現場一線を退き、アナウンス部長を経て2003年春55歳でRNCを退職、高松市香南町由佐にうどん店「うえ松」をオープンしたが、その後閉店した。RNC退職後も、古巣のRNCをはじめ他系列の主に紀行番組に出演している。
寒川 旭(さんがわ あきら、1947年4月1日 - )は、日… 寒川 旭(さんがわ あきら、1947年4月1日 - )は、日本の地震考古学者。 香川県高松市生まれ。1973年東北大学理学部地質学科卒、1979年同大学院博士課程修了、「西南日本中央部の第四紀における地殻運動と地形発達」で理学博士。通産省工業技術院地質調査所、独立行政法人産業技術総合研究所研究員を経て、客員研究員。地震考古学を提唱。遺跡に刻まれた地震痕跡を用いて地震の歴史を研究してきた。
大河 賢二郎(おおかわ けんじろう、1945年10月24日 … 大河 賢二郎(おおかわ けんじろう、1945年10月24日 ‐ )は、日本の高校野球・大学野球・社会人野球指導者、元社会人野球選手(内野手、外野手)。香川県高松市出身。 高松市立亀阜小学校から高松市立紫雲中学校に進学。紫雲中野球部では1番・三塁手だった。香川県立高松高等学校の定時制課程に進学。1年秋から野球部ではレギュラーで2年夏には北四国大会に1番・二塁手として出場。専修大学のセレクションに合格したが、家庭の事情で進学できず、当時阪神大学野球連盟所属の大阪商業大学に進学した。 1969年に卒業後は鐘淵化学硬式野球部で外野手として5年間プレーし、1974年からは4年間監督を務め、1975年の第2回社会人野球日本選手権大会では優勝を果たした。
島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日 - )は… 島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)。
香川 征(かがわ すすむ、1944年12月18日 - 202… 香川 征(かがわ すすむ、1944年12月18日 - 2021年4月7日 )は、日本の医学者。徳島大学名誉教授。元国立大学法人徳島大学長。専門は泌尿器科学。香川県高松市出身。徳島大学医学部卒業。
橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は… 橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。
ゆあさ ふみえ(1944年 - 2004年)は、日本の翻訳家… ゆあさ ふみえ(1944年 - 2004年)は、日本の翻訳家・絵本研究家。 本名、湯浅フミエ。香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部英文専修卒業。数多くの絵本の翻訳者として知られ、子供の不登校の問題などにも取り組んだ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
唐渡 興宣(からと おきのり、1943年8月1日 - )は、… 唐渡 興宣(からと おきのり、1943年8月1日 - )は、日本の経済学者。専門はマルクス経済学。北海道大学名誉教授 香川県高松市生まれ。香川県立高松商業高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業。種瀬茂ゼミで指導を受け、1975年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学、北海道大学経済学部講師。1977年同助教授。1986年同教授。1995年経済理論学会幹事。2001年北海道大学大学院経済学研究科長・学部長。退職後、北海道大学名誉教授、国士舘大学21世紀アジア学部教授を経て、2010年国士舘大学大学院グローバルアジア研究科長。ゼミの指導学生に吉原直毅マサチューセッツ大学教授、平野研北海学園大学教授など。
内井 惣七(うちい そうしち、1943年2月3日 - )は、… 内井 惣七(うちい そうしち、1943年2月3日 - )は、京都大学名誉教授。Ph.D.(ミシガン大学、1971年)。 香川県高松市生まれ。1961年、香川県立高松高等学校卒業。1965年 京都大学工学部精密工学科卒業、京都大学文学部哲学科学士入学。1967年、京都大学文学部哲学科卒業、京都大学人文科学研究所助手。 1968年からフルブライト奨学金を得てミシガン大学大学院に留学し、1971年にPh.D.取得。 1979年、大阪市立大学文学部講師。1981年、同助教授。 1990年、京都大学文学部哲学科教授(倫理学講座)。1993年、京都大学文学部文化行動学科教授(科学哲学科科学史講座)。1996年、京都大学大学院文学研究科教授(現代文化学専攻 現代文化学講座)。
増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月… 増田 昌三(ますだ しょうぞう、1942年(昭和17年)8月12日 - )は、日本の政治家、地方公務員。1995年から2007年までの3期12年にわたり高松市長を務めた。 香川県高松市出身。1965年早稲田大学法学部卒。在学中は港区三田にある香川県の県人寮・香川育英会東京学生寮から通学した。同年高松市役所に入る。市図書館長、市教育委員会文化部長などを歴任。1992年に市助役に就任。 1995年の市長選挙では高松市長脇信男の後継者として全国では異例の自民・共産2党の推薦で立候補して、新進・社会・さきがけの3党が推薦する元県議の候補らを破って初当選した。1999年(無投票)と2003年の選挙でも再選した。
山口 富士雄(やまぐち ふじお、1942年7月16日 - )… 山口 富士雄(やまぐち ふじお、1942年7月16日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
三村 昌泰(みむら まさやす、1941年10月11日 - 2… 三村 昌泰(みむら まさやす、1941年10月11日 - 2021年4月8日)は、日本の数学者。広島大学名誉教授。現象数理学専攻。 香川県高松市生まれ。1965年に京都大学工学部を卒業、1967年に同大学大学院修士、1973年に同博士。その後、甲南大学助教授、同教授、広島大学理学部教授、東京大学大学院理学研究科教授、明治大学理工学部教授を歴任。1990年に京都で開催された国際数学者会議では応用数学部門で招待講演を行っている。2021年4月8日に死去。 単著、共著、編著、編集、監修、監訳 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月… 大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月25日 - )は、日本の実業家。香川県高松市出身の名士。元カナック代表取締役会長・社長・相談役、名誉顧問、元カマタマーレ讃岐代表取締役会長、カマタマーレ讃岐後援会会長、元浜田恵造後援会会長、元玉翠会会長、元稲門会香川県支部支部長、西日本土木株式会社監査役、高松市トライアスロン協会名誉会長、盛和塾香川世話人、114あぐら会会長、香川県経営者協会会長、香川県経済同友会代表幹事、香川県ゴルフ協会会長 などを歴任した。 1960年3月(昭和35年) 高松高校卒業 (玉翠会会長) 1965年3月(昭和40年) 早稲田大学理工学部卒業 (稲門会香川県支部支部長) 1966年5月(昭和41年) 関西電業株式会社(現株式会社カナック)取締役 1988年5月(昭和63年) 株式会社カナック代表取締役社長 2007年5月(平成19年) 株式会社カナック代表取締役会長 2008年6月(平成20年) 株式会社カナック相談役 2014年6月(平成26年) 株式会社カナック名誉顧問(現任)
別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元… 別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元アニメプロデューサー。香川県高松市出身。 香川県立坂出高等学校、中央大学商学部卒業。大学卒業後に日通液化ガス(在職中に日通商事へ社名変更。現:NX商事)へ入社し、主計課に配属される。その傍ら、妻の姉の友人である藤岡豊に経理業務の補佐を依頼され、非常勤のアルバイトとしてシンエイ動画の前身である有限会社エイプロダクション(Aプロ)に出入りするようになる。藤岡とはその後義兄弟の関係となる。 アニメ業界への関心が高まったことや、Aプロの社長である楠部大吉郎に乞われたこともあって転職を決意し、1966年11月に日通商事を退社して、総務経理の専従スタッフとしてAプロに入社。
池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の… 池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の画家。童絵作家を名乗って活動している。日本漫画家協会会員。 高松短期大学客員教授、香川県「子育て心配無用教え隊」、埼玉県川越市「小江戸川越大使」、埼玉県狭山市「狭山観光大使」も務めている。 読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞、上毛新聞、四国新聞、日本農業新聞などに、童絵や民話、連載漫画などを掲載。 日本各地の民話を訪ね歩き、『童絵』という独自の画風を確立。観音霊場や祭りに関する多くの著書がある。 香川県高松市出身。高校卒業後、会社勤めを経て1963年に東映動画に入社し、アニメーターとして働く。1983年から、テレビ「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当する。
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 20… 近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 妻は元女優の北沢典子。一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月2… 池田 守男(いけだ もりお、1936年〈昭和11年〉12月25日 - 2013年〈平成25年〉5月20日)は、株式会社資生堂相談役、資生堂美容技術専門学校理事長、東洋英和女学院理事長・院長、株式会社小松製作所社外取締役、教育再生会議座長代理、日本基督教団銀座教会員。香川県高松市出身。神学部卒の異色経営者として知られた。
関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は… 関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は香川県出身の元プロ野球選手。昭和30年代の近鉄球団の主力選手であった。
田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005… 田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005年5月12日)は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8… 小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8日 - 2018年〈平成30年〉2月22日)は、日本のテレビドラマ監督・脚本家。 香川県高松市出身。声優の小松由佳は娘。DTMerのfkomは息子。 幼少期から榎本健一(エノケン)のファンで、本人曰く、その幼い頃から劇場に行ってエノケンの映画を観て育って来たとのこと。地元・高松では無料だったこともあって東宝の映画をよく観ていたという。早稲田大学第一文学部仏文科卒業を控えた就職試験の時に、映画会社では東宝は縁故のコネが無いと受験できなかったということで、これしか募集が無かった東映を受験、しかし当時東映作品と言えばチャンバラの剣劇以外の作品を知らなかったので、口頭試問の時に困ったという。
多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は… 多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日商岩井に入社。 1959年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に転じ、1975年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1985年11月に常務、1993年6月に副社長を経て、1997年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、205年3月からは相談役を務めた。 2004年4月に藍綬褒章を受章。
牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - … 牛川 喜幸(うしかわ よしゆき、1935年10月11日 - 2009年2月16日)は、日本の造園学者。長岡造形大学名誉教授。専門は日本庭園史。農学博士。 香川県高松市出身。1959年、京都大学農学部林学科を卒業し、引き続き大学院に進み、1961年に京都大学大学院農学研究科林学専攻修士課程を修了した。文化庁で主任文化財調査官を務め、奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部長となる。1993年より長岡造形大学造形学部環境デザイン学科教授に就任した。 1998年 - 1999年に日本庭園学会会長、2003年に日本遺跡学会会長をそれぞれ務め、京都橘大学文学部文化財学科教授でもあった。平成18年度日本造園学会賞上原敬二賞を受賞した。
七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、193… 七代目 嵐 徳三郎(しちだいめ あらし とくさぶろう、1933年(昭和8年)12月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は上方の歌舞伎役者。屋号は葉村屋。定紋は三つ橘、替紋は九枚笹。本名は横田 一郎(よこた いちろう)。 香川県高松市生まれ。会社員の父と結髪師の母との間に生まれる。日本大学芸術学部に在学中、国劇研究会の公演で歌舞伎を演じた事が松竹会長の大谷竹次郎に認められ、学士俳優の第一号の一人として大谷ひと江の名で昭和31年 (1956) 4月中座の『五十年忌歌念仏』(お夏清十郎)で初舞台。会長の苗字を芸名にするという破格の待遇だった。 この頃までに関西歌舞伎は凋落の一途をたどっていたが、その中にあっても有望な若手俳優として力をつけ、昭和39年 (1964) 9月の仁左衛門歌舞伎公演で片岡孝夫の相方をつとめた『女殺油地獄』のお吉で大阪府民劇場奨励賞を受賞。
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、… 穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。
手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日… 手島 孝(てしま たかし、1933年3月30日 - )は、日本の法学者・法学博士、九州大学・熊本県立大学名誉教授。専門は憲法・行政法・行政学。 香川県高松市生まれ。1953年九州大学法学部卒業、同助手、56年助教授、64年「アメリカ行政学史論」で法学博士。66年九大法学部教授、94年退官、名誉教授、熊本県立大学学長、教授、名誉教授。2001年退任。専門は憲法・行政法・行政学。妻のるりは江崎悌三の次女。長谷部銀次は孫。 2004年3月23日、弁護士登録(福岡弁護士会)。2010年12月28日、著述に専念のため、弁護士会を退会。
菅 龍一(すが りゅういち、1933年 - )は、日本の劇作… 菅 龍一(すが りゅういち、1933年 - )は、日本の劇作家、児童文学作家、教育評論家。香川県高松市生まれ。 少年時代を山陰の禅寺で過ごす。 京都大学理学部物理学科卒業。32年間神奈川県立定時制高等学校教諭を務め退職。和光大学講師。1964年『女の勤行』で第10回岸田國士戯曲賞受賞。1982年『善財童子ものがたり』で第29回産経児童出版文化賞受賞。
木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、… 木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、日本の経営者。太平洋セメント社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本セメントに入社。1984年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1998年10月には太平洋セメント社長に就任。2002年4月に会長を経て、2008年6月には相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲二等瑞宝章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 … 岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 - 2025年〈令和7年〉11月)は、香川県高松市出身・在住の音楽評論家・ディスクジョッキー。愛称「カンさん」。 早稲田大学政治経済学部卒業。1954年に高島屋飯田に入社するが、家業の旅館業を継ぐために1年で帰郷する。 クラシック音楽・タンゴに特に造詣が深く、地元のラジオ香川→RNCラジオ(西日本放送)が開局した当初(1953年11月)から2017年10月29日まで日曜に放送されていたタンゴ音楽の専門番組「タンゴアルバム」は番組開始当初に構成作家として参加したのち、1955年よりパーソナリティーとなる。番組はじめの「タンゴファンの皆様こんにちは(後に「こんばんは」)。
森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、… 森 實(森 実、もり みのる、1932年1月1日 - )は、日本の会計学者、香川大学・神戸大学名誉教授。 香川県高松市生まれ。高松第一高等学校を経て1955年に香川大学経済学部を卒業。1957年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程を満期退学する。同年、香川大学経済学部助手に就任。講師(1958年)、助教授(1960年)を経て、1967年に教授に昇進した。 1971年、「近代監査思考の展開に関する研究」で経営学博士の学位を取得。 1985年に香川大学名誉教授となり、同年神戸大学経営学部教授に転任。1995年に定年退官し、神戸大学名誉教授となる。同年より大阪学院大学教授。