白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月1… 白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月13日 - 1989年〈平成元年〉8月30日)は、日本の国語学者。文部官僚。 愛媛県今治市生まれ。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省に入り、文部省調査局国語課長。早稲田大学教育学部教授。1982年定年退任。現代仮名遣いの策定に関わり、国語行政を先導した。
愛媛県 今治市:144人
白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月1… 白石 大二(しらいし だいじ、1912年〈明治45年〉1月13日 - 1989年〈平成元年〉8月30日)は、日本の国語学者。文部官僚。 愛媛県今治市生まれ。1935年東京帝国大学文学部国文科卒。文部省に入り、文部省調査局国語課長。早稲田大学教育学部教授。1982年定年退任。現代仮名遣いの策定に関わり、国語行政を先導した。
岡本 虎二郎(おかもと とらじろう、1910年7月21日 -… 岡本 虎二郎(おかもと とらじろう、1910年7月21日 - 1998年5月29日)は、日本の実業家。月賦百貨店であった緑屋(現:クレディセゾン)の創業者である。 1910年(明治43年)7月21日に愛媛県今治市で、米穀商をしていた岡本繁満太の長男として生まれた。岡本家は後に一家で大阪に移り、岡本虎二郎は天王寺中学校に通っていたが1926年(大正15年)に父親が44歳で死亡し天王寺中学校を中退し大阪の中井洋紙店に奉公した。従兄で月賦販売店の丸共の銀座店の支店長であった辻田貞二に誘われ、1927年(昭和2年)に上京し、丸共銀座店に入店。 1935年(昭和10年)には独立し、義兄の立野究と共同で江戸川区小岩井に一軒の店を構えた。
秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 199… 秋山 博(あきやま ひろし、1909年3月15日 - 1990年4月11日)は、日本の電気工学・半導体物理学者。工学博士。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。 専門は、半導体物理学・電磁気学。 愛媛県今治市出身。東京帝国大学工学部卒業。1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、同学部電気工学科教授を経て、1973年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部電気工学科にて20年以上の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の半導体物理学(のちの半導体工学)・電磁気学の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、電気学会、日本物理学会、応用物理学会など。
田坂輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27… 田坂輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27日 - 1977年(昭和52年)1月18日)は新日本製鐵株式會社の第三代目の社長。
周 襄吉(しゅう じょうきち 1907年5月12日 - 19… 周 襄吉(しゅう じょうきち 1907年5月12日 - 1978年4月25日)日本の西洋画家、モダンアート作家。映画美術作家。教育者。 1907年、愛媛県今治市に生まれる。1924年に上京、川端画学校で学んだ後、1925年に東京美術学校西洋画科に入学。1927年、在学中に第14回二科展で『草花の園』が初入選した。1931年に松竹映画に入社し美術を担当、1938年に退社。1951年にはモダン・アート協会創立に参加し、毎年、モダンアート展に出品するとともに協会の発展に尽力した。1958年から1973年まで文化学院美術科講師を勤めた。 1978年4月25日、肺がんのため神奈川県川崎市の関東労災病院にて死去。
羽藤 栄市(羽藤 榮市、はとう えいいち、1903年3月25… 羽藤 栄市(羽藤 榮市、はとう えいいち、1903年3月25日 - 1985年11月22日)は、日本の政治家。愛媛県副知事・衆議院議員(1期)・愛媛県今治市長(5期)などを歴任した。 愛媛県越智郡桜井村(現:今治市)生まれ。 逓信官吏練習所を卒業後、高等文官試験に合格し逓信省東京逓信局に勤務。青島電信局長などを務めた。1942年には南方総軍司政官に就く。1949年には初代の四国電気通信局長に就任した。 保守分裂となった1951年愛媛県知事選挙で、日本社会党・民主党推薦の久松定武が愛媛県知事に当選すると、久松は社会党が推す羽藤を副知事に抜擢した。副知事となった羽藤は郵政研修所の誘致を実現し、松山郵政局の高松市移転の動きを抑え込んだ。
村瀬 宣親(むらせ のぶちか、1902年(明治35年)1月2… 村瀬 宣親(むらせ のぶちか、1902年(明治35年)1月25日 - 1966年(昭和41年)12月13日)は、昭和期の政治家。衆議院議員、愛媛県越智郡乃万村長。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 愛媛県越智郡乃万村延喜(現今治市)で生まれる。今治中学校(現愛媛県立今治西高等学校)を経て、神戸高等商業学校(のち神戸商業大学)で学んだが中退。今治市役所に入り、産業課長、土木課長などを務めた。その後、中華民国に赴き興亜院嘱託、山東省青島港建設事務所会計課長、青島埠頭 (株) 総務課長などを歴任した。 戦後、今治に引揚げ、乃万村長を務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に愛媛県第2区から民主党公認で出馬して初当選。
徳生 忠常(とくせい ただつね、1901年11月13日 - … 徳生 忠常(とくせい ただつね、1901年11月13日 - 1999年4月27日)は、日本の実業家、九和町議会議員。 1901年(明治34年)に愛媛県の九和村(後の玉川町。現:今治市)にて生誕した。父親には内緒で菊間町にある母親の実家から伊予教員養成所を受験、小学校の準教員(代用教員)となった。その後、正教員の資格をとるために松山師範学校に通ったが父親に知れ、志半ばで退学した。 1929年(昭和3年)に商売の誘いがあり上京し、月賦販売会社の丸共に入社。わずか3年後の1931年(昭和6年)には大井町支店を譲り受け独立を果たした。1938年(昭和13年)9月には支那事変で応召され、南支方面に出征し、翌年1939年(昭和14年)11月に召集解除となった。
菊川 忠雄(きくかわ ただお、1901年3月1日 - 195… 菊川 忠雄(きくかわ ただお、1901年3月1日 - 1954年9月26日)は、日本の労働運動家・政治家。全日本労働総同盟本部総主事・日本労働組合総同盟総主事・衆議院議員(3期)を歴任した。 愛媛県越智郡波方村(現・今治市)に、魚問屋の長男として生まれる。旧制愛媛県立今治中学校を卒業後、商社勤務を経て、1920年、旧制第一高等学校に進学。一高在学中に、社会主義思想に触れ、社会主義運動に身をささげる決意をした。1923年に東京帝国大学経済学部に進学。学内で、学生自治権拡大運動や関東大震災の被災者救援運動などを組織した。新人会会員。 1926年、東大卒業後、日本労働総同盟(総同盟)に就職。以後、労働運動の指導に従事し、1934年の第18回国際労働会議・第1回アジア労働組合会議には日本労働代表として参加した。
向井 一男(むかい かずお、1900年(明治33年)3月27… 向井 一男(むかい かずお、1900年(明治33年)3月27日 - 1969年(昭和44年)1月24日)は、日本の囲碁棋士。愛媛県出身、田坂信太郎門下、方円社、日本棋院所属、八段。1935年の全日本囲棋選手権大会優勝。晩年一時清純を名乗る。日本棋院棋士会長を務めた。 愛媛県越智郡伯方島に生まれる。1914年(大正3年)上京し、郷里に近い尾道出身で方円社の田坂信太郎に入門。1918年初段。1920年に若手棋士による六華会を設立。1924年三段時に日本棋院設立に参加し、1926年の院社対抗戦では4人抜き。この1926年から比叡山の修学院村に1年間籠る。 1935年四段時に本因坊戦の前哨戦である全日本囲棋選手権大会で、トーナメントを勝抜いて鈴木為次郎、呉清源とのリーグ戦出場。
簾 彦次郎(すだれ ひこじろう、1899年9月 - 没年不明… 簾 彦次郎(すだれ ひこじろう、1899年9月 - 没年不明)は、日本の発明家。 愛媛県桜井町(現在の今治市)出身。1918年に大阪市関西電業株式会社に機械仕上工として入社した。1919年に大阪電灯安治川発電所に機械修繕工に転職し、1922年に技手補となった。大阪電灯解散後は大同電力株式会社に引き継がれ、1928年3月まで勤務した。その後、大阪製図学校特許部を経て、針布製造機の試作を行った。 1933年(昭和8年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、進歩賞が授与されている。
宮崎 清(みやざき きよし、1894年(明治27年)4月12… 宮崎 清(みやざき きよし、1894年(明治27年)4月12日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の実業家。三井物産社長や、リッカーミシン会長、日本ユニバック会長等を務めた。 愛媛県今治市生まれ。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、三井物産入社。1943年三井物産常務取締役。1944年から三井物産社長。同年大正海上火災保険取締役。第二次世界大戦後、三井財閥の解体にあたり、住井辰男三井本社筆頭常務理事らと、連合国軍総司令部との交渉にあたった。1946年電気化学工業特別管理人。三井物産解体後は、公職追放となり、白洋貿易社長、リッカーミシン会長、日本ユニバック会長等を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
長野 高一(ながの たかいち、1893年(明治26年)3月1… 長野 高一(ながの たかいち、1893年(明治26年)3月19日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 愛媛県越智郡清水村(現今治市)で長野市太郎の五男として生まれる。私立大成中学校(現大成高等学校)で学んだが1911年(明治44年)に中退し、以後独学した。 1915年(大正4年)自転車製造業を営む。1922年(大正11年)東京自転車同業組合を創立して組合長に就任し、自転車税撤廃運動を推進した。1925年(大正14年)下谷区会議員に選出され、1928年(昭和3年)東京府会議員、1932年(昭和7年)東京市会議員にそれぞれ就任し、中小企業の発展に尽力した。
矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1… 矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。無教会派キリスト教の指導者としても知られる。
八木 繁一(やぎ しげいち、1893年(明治26年)1月15… 八木 繁一(やぎ しげいち、1893年(明治26年)1月15日 - 1980年(昭和55年)6月9日)は、日本の教育者・植物研究家。教員として愛媛県師範学校に長年勤務し、多くの優秀な理科教員を養成するとともに、愛媛県理科教育研究会の会長として愛媛県の理科教育に貢献した。また、教員として勤務するかたわら、牧野富太郎に師事して地元の植物研究に打ち込み、オキチモズクやツバキカンザクラなどを発見したことでも知られている。 1893年(明治26年)1月15日、愛媛県野間郡波方村樋口(現今治市波方町樋口)に生まれた。農家の父・鶴吉と母・ハルの間の11人兄弟の10人目であった。1908年(明治41年)に波方尋常高等小学校(現今治市立波方小学校)高等科を卒業すると、越智郡岩城村の岩城尋常高等小学校(現上島町立岩城小学校)に代用教員として勤務しながら愛媛県師範学校を目指し、1910年(明治43年)に同校に合格、入学した。
中野 義照(なかの ぎしょう、1891年10月5日 - 19… 中野 義照(なかの ぎしょう、1891年10月5日 - 1977年1月31日)は、真言宗の僧、インド哲学研究者。 1891年、愛媛県今治市生まれ。旧姓は白石。11歳で得度する。東京帝国大学文学部印度哲学科で学び、1921年に卒業。高楠順次郎に師事した。卒業後は九州帝国大学講師となり、1929年には高野山大学教授、1933年より中国天津日本図書館長、北京大学文学院教授。 戦後日本へ帰国し、1946年より高野山大学教授に復帰。同文学部長、1951年学長を務めた。1952年「ヤーヂユニヤワルキヤ法典の研究」を九州大学に提出して文学博士号を取得。1958年、密教文化研究所長となる。1964年には再度学長を務める。
矢野 橋村(やの きょうそん、1890年(明治23年)9月8… 矢野 橋村(やの きょうそん、1890年(明治23年)9月8日 - 1965年(昭和40年)4月17日)は、日本画家。愛媛県越智郡(現今治市)出身。本名一智、別号「知道人」。晩年、日本南画院の設立に関わった。 1890年(明治23年)9月8日、愛媛県越智郡に生まれる。大阪陸軍造兵廠にて勤務中に左手首切断の負傷を負う。その後南画家を志し永松春洋へ師事し、右手一本で創作活動を行う。 1914年(大正3年)、第8回文展にて「湖山清暁」が褒章を受賞。1919年(大正8年)、直木三十五、福岡青嵐らと「大阪文化の抜本的改革を提唱する美術・文学・哲学などを文化総体として捉えた研究団体」として主潮社を結成、毎年東京と大阪で個展を開催する。
村上 久米太郎(むらかみ くめたろう、1887年12月3日 … 村上 久米太郎(むらかみ くめたろう、1887年12月3日 - 1958年1月26日)は、日本の陸軍軍人。1934年に満洲で起きた人質事件の解決に貢献したことで知られる。 愛媛県越智郡津島村(現今治市吉海)に生まれた。小学校卒業後は農業に従事し、徴兵で18年間軍隊生活を送り、1925年奉天守備隊員を最後に除隊。その後、旅順や大連でも働いた。 吉林省の事務官時代の1934年8月30日に、ハルビン発新京行きの夜行列車で匪賊の襲撃に遭遇し、乗り合わせた外国人2人を含む9人が人質となって監禁されたときに、救助の日本軍捜索隊の「日本人はいるか?」の呼び声に、匪賊は人質たちに答えるなと命令したが、村上は「日本人ここにあり」と叫び、それを聞いて捜索隊が突入し全員が救助された。
馬越 喜七(まこし きしち、1887年〈明治20年〉2月1日… 馬越 喜七(まこし きしち、1887年〈明治20年〉2月1日 - 1930年〈昭和5年〉9月20日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員の一人であり、海軍初期国産機の製作に携わった。最終階級は海軍中佐。 愛媛県に生まれる。大洲中学校を経て1909年(明治42年)11月19日海軍兵学校(37期)を卒業、1911年(明治44年)2月27日海軍少尉任官。1912年(大正元年)中尉任官、1914年(大正3年)3月海軍航空術研究委員会練習将校(3期生)。同年の青島攻囲戦では水上機母艦若宮飛行隊に所属した。 帰国後は飛行高度・滞空時間の記録を樹て、海軍初期の国産機開発・生産に携わった。1916年(大正5年)12月1日大尉、1922年(大正11年)少佐、1927年(昭和2年)11月29日中佐に昇任したが、病を得て1930年(昭和5年)1月15日に予備役に編入され、同年9月20日に没した。
砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年〈明治17年〉9月1… 砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年〈明治17年〉9月15日 - 1957年〈昭和32年〉12月27日)は、日本の政治家。防衛庁長官(第4代)、衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第2代)などを歴任した。 愛媛県今治市生まれ。父親は退役軍人で、家が貧しかったため役所の給仕として働き、18歳で上京。1904年(明治37年)東京法学院(現・中央大学)を卒業後、司法官補を経て、弁護士を開業する。1920年(大正9年)に立憲国民党から旧兵庫1区にて衆議院議員に初当選。以後当選9回。犬養毅に師事し、立憲国民党→革新倶楽部→立憲政友会と渡り歩く。犬養内閣にて農林政務次官に就任。犬養亡き後は、政務次官時代に大臣として仕えた山本悌二郎派に身を寄せる。
深見 寅之助(ふかみ とらのすけ、1877年〈明治10年〉1… 深見 寅之助(ふかみ とらのすけ、1877年〈明治10年〉11月2日 - 1928年〈昭和3年〉3月6日)は、日本の政治家。東伯方村長、愛媛県会議員、同議長。衆議院議員。 総理府局長を務めた深見吉之助は長男。 愛媛県越智郡木浦村(伯方町を経て現今治市)、伯方島で江戸自体以前より製塩業を営む家に生まれる。幼くして今治の漢学者・菅周庵に師事し、9歳にして宇和島藩藩主伊達宗紀の前で複数回にわたって書を披露した記録が残る。今治市伯方町の三島神社には9歳の書「敬神愛国」の四字額が今も神前に掲げられている。 愛媛で初めてガスが灯された1912年(明治45年)から遅れること2年、1913年(大正2年)東予を営業区域とする今治瓦斯(後の四国ガス)を設立し、愛媛の近代化に貢献した。
堀 英四郎(ほり えいしろう、1874年11月24日 - 1… 堀 英四郎(ほり えいしろう、1874年11月24日 - 1963年7月6日)は、日本の英語学者。 愛媛県今治市出身。1884年徳冨蘆花の英語塾に学び、1888年上京、東京英語学校入学、1894年東京専門学校(早稲田大学)英文科卒、ここで坪内逍遙の講義を受け、神田の国民英学会で英語を教えた。1894年東京府立城北中学校、1897年岡山県立第一中学校に勤め、1902年江田島海軍兵学校教授。1916年-1945年慶応義塾大学教授。この間1932年-1941年NHK英語講座担当。1949年-1954年戸板女子短期大学英文科長。
村上 春太郎(むらかみ はるたろう、明治5年(1872年)1… 村上 春太郎(むらかみ はるたろう、明治5年(1872年)1月2日 - 昭和22年(1947年)6月10日)は、日本の天文学者、物理学者。 愛媛県越智郡東伯方村大字有津の庄屋、村上重吉の長男として生まれる。独学で数学、物理学、化学の高等教員資格検定を合格、教授免状を取得する。 同志社理科学校で教え、明治36年(1903年)9月に第七高等学校造士館に赴任し、物理学教授として教鞭を振るう傍ら、赤道儀を設置した望遠鏡を備えた天文台を建設。啓蒙書「天文学一夕話(島津源蔵、明治35年)」、「天文と地象(恒星社厚生閣、1944、1949)」および旧制高校の教科書「物理学原論」を著した。
八木 春樹(やぎ はるき、1871年8月6日(明治4年6月2… 八木 春樹(やぎ はるき、1871年8月6日(明治4年6月20日) - 1943年(昭和18年)1月25日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・長野。 伊予国越智郡今治町(現愛媛県今治市)で、長野謙吉の弟として生まれる。1892年(明治25年)12月、素封家、酒造業・八木守三郎の養子となり、1911年(明治44年)2月に家督を相続した。 1904年(明治37年)以降、愛媛県越智郡酒造組合長、四国酒造連合会評議員、愛媛県酒造組合連合会会長、同県商工団体連合会副会長、今治商業銀行取締役、伊予相互貯蓄銀行取締役、今治清酒取締役、愛媛水力電気監査役、伊予鉄道電気監査役などを務めた。
村上 紋四郎(むらかみ もんしろう、慶応元年8月15日(18… 村上 紋四郎(むらかみ もんしろう、慶応元年8月15日(1865年10月4日) - 昭和20年(1945年)1月21日)は日本の政治家。愛媛県漁業組合長、宮窪村初代村長、県会議員、今治市長、衆議院議員。 元最高検察庁次長検事村上常太郎は長男。政治家村上誠一郎は曾孫。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
矢野 常太郎(やの じょうたろう、1864年3月11日(文久… 矢野 常太郎(やの じょうたろう、1864年3月11日(文久4年2月4日) - 1922年(大正11年)9月16日)は、海軍主計少将。族籍は愛媛県平民。 伊予国越智郡今治(現・愛媛県今治市)生まれ。矢野和平太の長男。1883年(明治16年)、家督を相続した。1884年(明治17年)、慶應義塾を卒業。海軍主計官志願者の募集試験に応じて合格した。 1885年(明治18年)、海軍御用掛を命ぜられる。主計簿、小主計と昇進し伊東祐亨の秘書として清国を巡航。のちに佐世保海軍団付を命ぜられる。海軍主計学校に通い、海軍省三局勤務となる。その後主計小監・呉海軍工廠会計課長に任命。1901年(明治34年)、主計中監・佐世保計理部第一課長に転じた。
八木 亀三郎(やぎ かめさぶろう、1863年〈文久3年〉12… 八木 亀三郎(やぎ かめさぶろう、1863年〈文久3年〉12月- 1938年〈昭和13年〉7月)は、明治から昭和初期にかけての日本の実業家であり、1938年(昭和13年)まで存在した八木商店の経営者、北洋漁業の先駆者として知られる。愛媛県今治市に残る八木商店本店店舗は登録有形文化財に登録されている。 伊予松山藩(現在の愛媛県今治市)生まれ。1863年(文久3年)に波止浜塩田で製塩・塩廻船業を営む八木友蔵(升屋友蔵)の長男として生まれ、1877年(明治10年)に分家独立した後に水産業に進出、1893年(明治26年)にニコライエフスクに拠点を構え、当時の実業界からは日露貿易・北洋漁業の先駆者の一人と目されていた。
村上 芳太郎(むらかみ よしたろう、1861年4月13日(文… 村上 芳太郎(むらかみ よしたろう、1861年4月13日(文久元年3月4日)- 1909年(明治42年)1月15日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県越智郡今治町長。 伊予国越智郡今治中浜町(愛媛県越智郡今治中浜町、今治町を経て現今治市中浜町)で、商家に生まれた。漢学、法律学、経済学を修めた。 中浜町会議員、今治町会議員を務めた。1886年(明治19年)3月、愛媛県会議員に選出され、1894年(明治27年)9月まで在任。高須峯造の勧めで立憲改進党に所属した。1891年(明治24年)4月、今治町長に就任し1893年(明治26年)2月まで務めた。その他、連合町村会議員、所得税調査委員、学務委員などにも在任した。
高須 峯造(たかす みねぞう、1858年5月8日(安政5年3… 高須 峯造(たかす みねぞう、1858年5月8日(安政5年3月25日)- 1934年(昭和9年)5月14日)は、明治から昭和初期の日本の弁護士・実業家・政治家。衆議院議員。 伊予国越智郡、のちの愛媛県越智郡近見村を経て現今治市)で、農業・高須吉一郎の四男として生れた。農業を手伝い、漢学塾で学ぶ。1878年(明治11年)大阪の難波学舎で学び、1879年(明治12年)慶應義塾に転じ政治学、経済学を修め、1882(明治15年)に帰郷。代言人(弁護士)となった。 1883年(明治16年)愛媛県会議員の越智郡選出議員の欠員により繰上当選し、以後、連続3期在任した。当初、代言人の藤野政高と親交を持ったが、藤野らが松山士族中心の党派形成を行ったことに反発し、小林信近、井上要らと改進党の組織を設け、井上とは共同法律事務所を設置するなど、終生親交を保った。
矢野 七三郎(やの しちさぶろう、1855年(安政2年) -… 矢野 七三郎(やの しちさぶろう、1855年(安政2年) - 1889年(明治22年)12月24日)は、伊予国野間郡宮脇村(現在の愛媛県今治市大西町宮脇)出身の日本の実業家。「伊予ネル」の創始者であり、「今治綿業の父」と呼ばれる。 1855年(安政2年)、伊予国野間郡宮脇村(現在の愛媛県今治市大西町宮脇)の矢野家の長男として生まれた。幼名は通正。父は矢野節太、母は美喜。幼少期には山本五左衛門に学んだ。1879年(明治12年)の今治に四国初のプロテスタント教会(会衆派)が設立されると、七三郎はキリスト教に入信し、キリスト教指導者の横井時雄と親交を深めた。のちに同志社大学を設立する新島襄や、のちに小説家となる徳冨蘆花と知り合っている。
柳瀬 春次郎(やなせ はるじろう、1852年2月20日(嘉永… 柳瀬 春次郎(やなせ はるじろう、1852年2月20日(嘉永5年2月1日)- 1910年(明治43年)5月28日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 伊予国越智郡今治村風早(愛媛県越智郡今治村、今治町を経て現今治市)で生れた。京都同志社で学んだ。 帝国議会前に愛媛県政界が活発になるとこれに加わり、当初は改進派として活動したが、長屋忠明の勧めで大同派に転じた。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第2区、自由党)で当選し、衆議院議員に1期在任。同年9月の第4回総選挙では村上芳太郎に敗れて落選し、政界を引退した。 その後、実業界で活躍し、伊予本木取締役、伊予晒粉監査役、伊予興業合資会社業務担当社員などを務め、柳瀬商行を設立して社長に就任した。
野間 豊五郎(豐五郎、のま とよごろう、1841年3月28日… 野間 豊五郎(豐五郎、のま とよごろう、1841年3月28日(天保12年2月6日) - 1934年(昭和9年)11月11日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 伊予国越智郡本庄村(のち愛媛県越智郡津倉村→吉海町、現・今治市)の大地主の生まれ。漢学と数学を学ぶ。農業を営む。村民総代、学務世話係、本庄村戸長、津倉村助役、同村長、同村会議員、同議長、越智郡会議員、愛媛県会議員、日本赤十字社特別社員となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛媛2区から自由党公認で立候補して初当選。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から出馬して再選を果たした。1902年の第7回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
石原 信樹(いしはら のぶき、1833年8月28日(天保4年… 石原 信樹(いしはら のぶき、1833年8月28日(天保4年7月14日)‐ 1892年(明治25年)1月6日) は、幕末の今治藩士・漢学者、明治期の公吏・政治家。衆議院議員。 伊予国越智郡今治(現愛媛県今治市) で、今治藩士・石原信順の三男として生まれた。藩校・克明館で刻苦精励して同校の助教に就任。嘉永5年(1852年)句読司となり、安政2年5月(1855年)江戸在勤となり学習館の句読司に就任。安政3年7月(1856年8月)帰藩して克明館句読司に復帰。安政4年(1857年)、学識の不足を感じ句読司を辞して京都・摂津に遊学した。安政6年3月(1859年)帰藩して句読司、素読指南、助教を歴任した。 明治元年5月25日(1868年7月14日)甲府警備の参謀に発令され同年12月まで派遣された。
藤澤 友里(ふじさわ ゆり、9月8日 - )は、日本の女性声… 藤澤 友里(ふじさわ ゆり、9月8日 - )は、日本の女性声優。アールグルッペ所属。愛媛県今治市出身。血液型はA型。
いわみ みか。(いわみ みか、「。」は読まない )は、日本の… いわみ みか。(いわみ みか、「。」は読まない )は、日本の色彩設定者。 EMTスクエアード所属。元 studioぴえろ所属。愛媛県今治市出身。 『ふしぎ遊戯』など色指定・色彩設計等のスタッフとして数多くのアニメのクレジットタイトルに登場。『チンプイ』で絵コンテを経験したこともある。 当初は岩見美香、いわみ みか名義であったが、後にいわみ みか。と改名し現在に至る。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
藤本 忍(ふじもと しのぶ)は、愛媛県今治市出身のジャズトラ… 藤本 忍(ふじもと しのぶ)は、愛媛県今治市出身のジャズトランペット奏者。 ファンキー・ジャズを聴いて傾倒。稲垣次郎ビッグソウルメディアでデビュー。のちに高橋達也と東京ユニオンにスカウトされ、スリー・ブラインド・マイスより「God the Spirit」をリリースする。以後、金井英人グループ、岡本章生とゲイスターズなどでソロ演奏者として活動する。原信夫とシャープス&フラッツに抜擢され、「Jazz Unlimited Live’80」を発売する。その後、宮間利之とニューハードオーケストラに入団。世界各国の音楽家が一同に集まった、インドでの「ジャズ・ヤトラ’82フェスティバル」に出演。 翌年、SMSレコードから発売された「ミスティ」では、「アランフェス・コンチェルト」と「いそしぎ」のフィーチャーで好評を博し、芸術祭優秀賞を受賞する。
岡田 麻希(おかだ まき、3月28日 - )は、あいテレビの… 岡田 麻希(おかだ まき、3月28日 - )は、あいテレビのアナウンサー。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校、東京理科大学卒業。愛媛県産の柑橘類を日本各地でPRする「愛媛みかん大使」を1年間務めた後、2007年にあいテレビに入社した。 後に報道記者に転じた同期の金野純子と同様に、当初の肩書きはアナウンサーではなくリポーターであったが、後にあいテレビの公式サイトや同局の YouTube 公式配信動画などでアナウンサーと表記されるようになった。
安永 圭(やすなが けい、2月2日)は、日本の漫画家。愛媛県… 安永 圭(やすなが けい、2月2日)は、日本の漫画家。愛媛県今治市生まれ。愛媛県立今治西高等学校、大阪教育大学卒業。 1995年、『きみとぼく』にて「むっちゃ、すごいねん」でデビュー。以降、『別冊フレンド』『ammie』など講談社系列の漫画雑誌で活動する。
白鞘 慧海(しらさや えみ)は、広島県呉市生まれ、愛媛県今治… 白鞘 慧海(しらさや えみ)は、広島県呉市生まれ、愛媛県今治市育ちのゴスペルシンガーであり、牧師でもある。以前、千恵美・しらさやえみとして歌手活動を行っていた。 愛媛県立今治西高等学校から早稲田大学文学部に進学する頃より、シンガーソングライターとしての活動を始める。 1995年に千恵美として、ビクターエンタテインメントからデビュー。同年にリリースされたアルバム『C』に収録されている『季節は過ぎても』がNHK教育テレビ『みんなのうた』でオンエアされる。 1997年、キューンソニーへ移籍し、しらさやえみとして活動。『Precious Day』がNHK教育テレビ『みんなのうた』でオンエアされる。1999年には、広島県と愛媛県を繋ぐ橋、しまなみ海道のテーマソングとして、『虹の地図』を発表。
Tomochika890(ともちか やっくん)は、歌いながら… Tomochika890(ともちか やっくん)は、歌いながら書道をする日本唯一のシンガーソングライター。愛媛県今治市出身、東京在住。※2021年より「友近890(やっくん)」から「Tomochika890(やっくん)」に表記変更。 本名は友近泰道(ともちか やすみち)。書道家名は友近燧山(ともちか すいざん)。趣味・特技はテニス・書道・IT関連。 旧今治市立美須賀小・旧今治市立美須賀中・愛媛県立今治西高校・松山大学卒業。東京個別指導学院、シーエー・モバイル(サイバーエージェントグループ会社)に勤務。 高校時代は硬式テニス部に所属し、愛媛県大会にてシングルス優勝を飾る(愛媛県国体選手として選抜される)。
長野 翼 は、元フジテレビの女性アナウンサー。夫は、元プロ野… 長野 翼 は、元フジテレビの女性アナウンサー。夫は、元プロ野球選手の内川聖一。
柏谷 増男(かしわだに ますお)は、日本の土木工学者。愛媛大… 柏谷 増男(かしわだに ますお)は、日本の土木工学者。愛媛大学工学部教授。専攻は、都市計画・交通計画・地域計画・国土計画。工学博士(京都大学・1976年)。都市計画・都市開発に関する国土交通省・愛媛県・松山市等の各種委員等を多数歴任。出身地・今治市の今治新都市開発に構想策定当初から関わる。愛媛県今治市生まれ。 所属学会は、土木学会・日本都市計画学会・日本地域学会・応用地域学会・日本計画行政学会ほか。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
浅海 淳一(あさうみ じゅんいち)は、日本の歯科医師、歯学者… 浅海 淳一(あさうみ じゅんいち)は、日本の歯科医師、歯学者。岡山大学医歯薬学総合研究科副研究科長、歯学部長、医歯薬学総合研究科病態制御科学専攻歯科放射線学分野教授。日本歯科放射線学会理事長。愛媛県今治市出身。 1984年 広島大学卒業。以後、西条中央病院、岡山大学歯学部附属病院]合診療室助手、光輝病院歯科・口腔外科科長、岡山大学歯学部附属病院第一口腔外科助手、岡山大学歯学部口腔外科学第1講座助手、水島第一病院、岡山大学歯学部口腔外科学第1講座助手、国立岡山病院歯科・口腔外科厚生技官、岡山大学歯学部歯科放射線学講座助手、岡山大学歯学部附属病院歯科放射線・口腔診断科講師を経て、2008年に教授に就任。
谷本 久美子(たにもと くみこ)はジャズ歌手。愛媛県今治市生… 谷本 久美子(たにもと くみこ)はジャズ歌手。愛媛県今治市生まれ。 立命館大学出身。大学時代、ソウルミュージックに関心を抱き、音楽活動を開始した。その後、藤井貞泰の指導の下で本格的にジャズを始め、大学卒業とともにプロに転向した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。