岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ、1958年 - )は、日本の… 岸上 伸啓(きしがみ のぶひろ、1958年 - )は、日本の文化人類学者。神戸女学院大学国際学部グローバルスタディーズ学科・ 客員教授、国立民族学博物館・特定教授、国立民族学博物館・名誉教授、総合研究大学院大学・名誉教授。人間文化研究機構・元理事。 文化人類学者。高知県高知市出身。土佐中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部社会学専攻を経て、早稲田大学大学院文学研究科社会学専修博士前期(修士)課程修了。カナダマギル大学(英語版)人類学科博士課程中退。総合研究大学院大学博士(文学)。 1989年4月早稲田大学文学部・助手、1990年10月北海道教育大学教育学部函館校・専任講師、1992年4月同・助教授、1996年1月国立民族学博物館第1研究部・助教授、1998年先端民族学研究部・助教授、2004年先端人類科学研究部・助教授、2005年10月より2018年3月まで同・教授、総合研究大学院大学・教授(併任)。
西森 秀稔(にしもり ひでとし、1954年 - )は、日本の… 西森 秀稔(にしもり ひでとし、1954年 - )は、日本の物理学者。東京工業大学特任教授。専門は理論物理学、数理物理学、統計物理学。量子アニーリングの提唱者。高知県高知市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
森 裕司(もり ゆうじ、1953年(昭和28年)11月21日… 森 裕司(もり ゆうじ、1953年(昭和28年)11月21日 - 2014年(平成26年)9月17日)は、日本の動物行動学者。高知県出身。東京大学大学院農学生命科学研究科教授。 高知県高知市生まれ。 東京大学農学部を卒業後、同大大学院博士課程、東京農工大学助教授などを経て、東京大学大学院農学生命科学研究科教授となった。 2014年9月17日午後3時24分、閉塞性細気管支炎のため東京都文京区の病院で死去。60歳没。
南 哲行 (みなみ のりゆき、1951年または1952年 -… 南 哲行 (みなみ のりゆき、1951年または1952年 - )は、日本の建設・国土交通技官。国交省砂防部長、北海道大学大学院特任教授、全国治水砂防協会常務理事等を歴任。 高知県高知市出身。1977年 (昭和52年) 京都大学農学部卒。同年建設省入省、北海道庁土木部、九州地方建設局大隅工事事務所長、建設省土木研究所砂防研究室長、奈良県土木部長、国交省東北地方整備局道路部長、同河川部長、水管理・国土保全局砂防計画課長、2011年7月、砂防部長。2013年1月 大野宏之を後任に砂防部長退任、退官。同年 北海道大学大学院農学研究院国土保全学研究室特任教授 。2015年 全国治水砂防協会常務理事。一般財団法人砂防・地すべり技術センター理事長。
秦泉寺 尚(じんぜんじ ひさし、1951年-)は日本の男子ス… 秦泉寺 尚(じんぜんじ ひさし、1951年-)は日本の男子スポーツ科学者。高知県高知市出身。 高知大学卒業で筑波大学大学院修士課程コーチ学専攻修了。学生時代から陸上競技選手として短距離走を専門にしており、今でもマスターズ陸上に選手や役員として参加している。 現在は宮崎大学教育文化学部の助教授を務めている。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
田中 則夫(たなか のりお、1949年9月13日 - 201… 田中 則夫(たなか のりお、1949年9月13日 - 2014年11月12日)は、日本の法学者。国際法が専門。 高知市生まれ。1974年龍谷大学法学部卒、1981年同大学院博士課程満期退学、同大学法学部助教授、1990年教授・2011年副学長。
岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中… 岡崎 郁子(おかざき いくこ、1949年 - )は、日本の中国文学者、元吉備国際大学教授。 高知市生まれ。1973年大東文化大学文学部日本文学科卒、1979年国立台湾大学大学院修士課程修了。2002年岡山大学大学院文化科学研究科人間社会文化学博士課程修了、「戦後台湾の日本語文芸研究 黄霊芝を中心として」で岡山大学文学博士。1990年より吉備国際大学社会学部教授、2020年退職。
大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - … 大久保 茂男(おおくぼ しげお、1946年10月27日 - )は、日本の理論物理学者。高知県立大学名誉教授。専門は原子核理論。原子核のクラスター構造(分子的構造)、原子核虹の研究などを行う。 京都大学理学博士。現在大阪大学核物理研究センター研究員、高知県立大学名誉教授。 高知県高知市出身。京都大学理学部に入学。物理学科でノーベル賞受賞者である湯川秀樹博士および中間子論建設の協力者、小林稔博士の教えを受ける。京都大学大学院理学研究科物理学第2専攻原子核理論研究室(小林稔 研究室)で原子核理論研究を行う。 理論物理学、ハドロン多体系、核理論、原子核のクラスター構造、原子核の虹散乱、虹理論、超変形とクラスター構造、αクラスター構造のボーズ・アインシュタイン凝縮、原子核の虹、核反応、場の理論的超流動クラスター模型 京都大学在学中に湯川秀樹の講義をうけ,また1967年訪日したハイゼンベルグ (W. Heisenberg) の講義を聞く.物理学研究において根底思想としての哲学思想があることを知り影響を受ける.京都大学で研究中に日本で初めて開かれた1975年の原子核の国際会議で来日した英国のブリンク(David Brink),ベルギーのライデマイスター (G. Reidemeister),ドイツのフォン エーレツエン(W. Von Oertzen)と会い,後に共同研究することになる. 1969年ドイツ・ハイデルブルグにあるマックス・プランク・原子核物理学研究所のガウル(G. Gaul)らはα粒子を40Ca原子核に入射散乱させると180度近くの後方角度に異常に大きく散乱されることを発見した.それまで用いられ有効と考えられてきた標準的な光学ポテンシャル模型では全く理解できない現象であり,ラザフォード (E. Rutherford)がα粒子を金に散乱させて後方角に異常に多くα粒子が散乱されることから,原子の中心に固い芯があると考え,原子核の発見にいたったのと似たα粒子散乱の後方角異常散乱を彷彿させるこの未知の現象の背後に未知の原子核の秘密・謎があるのではないかと興味を持つ.当時日本を中心に勃興しつつあったアルファ・クラスター模型の視点から関心を寄せ研究に取り組む.アルファ・クラスター模型は歴史的には古く1937年に提唱された核模型であるが,殻模型,集団運動模型の登場により1950年代にいったんは否定された原子核模型である.1975年には日本で初めて東京大学原子核研究所と理化学研究所によって原子核のクラスター構造と反応に関する国際会議が開かれた.その国際会議ではのちに博士論文となるα粒子散乱の後方角異常とクラスター構造について講演発表した.この国際会議に出席したα粒子の後方散乱異常について研究していたオックスフォード大学のブリンクが会議後京都を訪問し,京都大学の原子核理論研究室でα粒子散乱の後方角異常現象について討論する.1985年にはブリンクのいるオックスフォード大学・理論物理学研究所に滞在し軽い重イオン核融合反応断面積の励起関数にあらわれる未知の振動模様の発現機構について共同研究する.振動模様が内部波と外部波の干渉で生じることを発見する.1985年秋,α粒子の後方角異常現象に興味を持って研究していたベルギー・モンス大学のミシェル(F. Michel)を訪問し,ブリュッセル大学のライデマイスター(G. Reidemeister)も加わりα粒子と40Caの核融合反応機構について共同研究を始める.α+40Ca 核融合反応断面積の励起関数に見られる振動模様が複合系44Ti核のアルファ・クラスター構造によって引き起こされることを発見する.1980年代前半までに日本を中心に進展した原子核のクラスター構造の理論的研究で,軽い原子核ではクラスター模型が殻模型や集団模型では説明できない現象をも含めて核構造を包括的に説明でき非常に有効な模型であることが確立しつつあった.しかし,質量数40以上の重い原子核領域では殻模型構造の根拠となっているスピン・軌道力が非常に重要になるが,その力は他方でα粒子を壊す働きをするので,44Tiのような重い原子核ではアルファ・クラスター構造模型は成立せず殻模型構造的になると考えられていた.α粒子散乱後方角異常と核構造の統一的理解の視点から,α+40Ca系の核融合反応研究を発展させ,典型核である44Ti原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しその証拠となる負パリティ回転アルファ・クラスターバンドの存在することを1986年に理論的に予言.その回転アルファ・クラスターバンドの状態は1990年大阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋 堯らの実験チームによる探索実験で理論の予言通り発見される.理論家として最初から山屋らの実験チームによる実験に加わり実験中に助言を行う.1993年にはベルリンのハーン・マイトナー研究所(現在のヘルムホルツ研究所)のサイクロトロンを用いた実験でグアゾ-ニ(P.Guazzoni)のチームによっても予言された44Tiのアルファ・クラスター回転バンドの状態が確認された.1988年に『Progress Theoretical Physics』誌にて40Ca原子核にもアルファ・クラスター構造をもつ負パリティ回転バンドの存在を予言.予言されたアルファ・クラスター状態は1993年阪大学核物理研究センターのAVF加速器と精密測定器「雷電」を用いて東北大学の山屋らの実験チームにより発見された.質量数40以上のfp殻領域の原子核においてアルファ・クラスター構造が存在しアルファ・クラスター模型が成立することが理論的・実験的に確立され,重い原子核の領域へアルファ・クラスター研究が大きく切り開かれることとなった.アルファ・クラスターが質量数40付近の他の核でも存在することやアルファ・クラスターの負パリティ回転バンド状態がいくつかに分岐することも微視的理論研究で明らかになった.α粒子散乱の後方角異常とアルファ・クラスター構造の存在が同じ相互作用ポテンシャルでもって統一的に理解できること示された.ブリンクらは後方角異常現象が標的原子核の内部領域まで侵入した波である内部波によると半古典的手法で証明したが,その内部波が44Tiにおけるアルファ・クラスター構造の存在と関係していることが明らかになった.1995年には質量数90付近の94Moと212Poの原子核においてもアルファ・クラスター構造が存在するとの論文を発表.さらに重い核の領域でのアルファ・クラスター構造研究のさきがけとなった.
髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )… 髙橋 昌明(たかはし まさあき、1945年1月27日 - )は、日本の歴史学者、神戸大学名誉教授。日本中世史専攻。 高知県高知市生まれ。1969年同志社大学大学院文学研究科修士課程修了。同志社高等学校教諭、滋賀大学教育学部教授、神戸大学大学院人文学研究科教授を歴任する。2002年「武士の成立 武士像の創出」で大阪大学より博士(文学)の学位を受ける。2008年定年退職、神戸大学名誉教授となる。 2007年、平氏政権を最初の武家政権とする論を発表し、「六波羅幕府」と呼び、上横手雅敬と論争になった。2011年8月5日、日本史研究会代表委員としての立場で、大阪府議会における「日の丸」常時掲揚・「君が代」斉唱時起立条例の強行可決に抗議する声明を連名で出した。
高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 … 高垣 忠一郎(たかがき ちゅういちろう、1944年3月7日 - 2024年1月3日)は、日本の臨床心理学者。立命館大学名誉教授。 高知県高知市生まれ。1968年京都大学教育学部卒。1973年同大学院博士課程満期退学。1973年京都大学教育学部助手。河合隼雄助教授(当時)の下で勤務。1974年ひかり協会(森永ヒ素ミルク事件被害者のため設立)の救済対策委員。1976年大阪電気通信大学助教授、1985年教授。1995年立命館大学産業社会学部教授。2001年同応用人間科学科教授。2009年定年退職、特任教授。2014年退職、名誉教授。 2024年1月3日午前7時、病気のため京都府田辺市の自宅で死去。79歳没。
目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学… 目黒 依子(めぐろ よりこ、1938年 - )は日本の社会学者。専門は家族社会学、ジェンダーの社会学、開発とジェンダー。上智大学名誉教授、ケース・ウェスタン・リザーブ大学博士。元日本家族社会学会会長。 高知県高知市出身。高知県立高知小津高等学校、ブライアクリフ・カレッジ、ウェスタン女子大学を経て、1967年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了、1974年ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院社会学専攻博士課程修了、Ph.D.。 1971年4月上智大学文学部社会学科専任講師、同助教授、同教授、上智大学総合人間学部社会学科教授。2009年4月上智大学名誉教授。男女共同参画推進連携会議議員委員、原子力委員会国際関係部会委員、国連婦人の地位委員会日本代表、一般財団法人外務精励会理事なども務める。
松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 202… 松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 2020年1月23日)は、英文学者、成城大学名誉教授。英国ロマン派詩、特にジョン・キーツを研究し、薄田泣菫との比較研究も行った。 高知市出身。神戸大学文学部英文科卒。同大学院博士課程中退、名古屋商科大学助教授、1965年成城大学助教授、教授、1977-1978年オックスフォード大学客員研究員、同大学院特別研究生。1985年「キーツ-その夢と現実」で神戸大学学術博士。2002年定年、名誉教授。2010年秋、瑞宝中綬章受章。 2020年1月23日3時50分、心不全のため、広島県東広島市の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従五位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日… 小島 吉雄(小嶋 吉雄、おじま よしお、1920年1月24日 - 2005年12月28日)は、日本の魚類細胞遺伝学者。 高知市出身。1942年北海道帝国大学理学部動物学科卒。45年同副手。1955年北海道大学理学博士。1948年関西学院大学講師、51年助教授、57年教授。61年理学部教授(理学部新設)、69年理学部長、88年定年退職、名誉教授。日本魚類生物科学研究所長。1988年財団法人染色体学会理事長。1980年兵庫県科学賞、1993年勲三等瑞宝章。 金魚の祖先が中国の鮒の一種「鯽」であることをつきとめた。
目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002… 目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。東洋ゴム工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1937年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、東洋紡での勤務を経て、1944年9月に東洋ゴム工業に入社。1959年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1965年5月に社長に就任。1977年5月に会長に就任し、1983年6月には相談役に就任。 1977年に紺綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月… 桂井 和雄(かつらい かずお、1907年〈明治40年〉12月10日 - 1989年〈平成元年〉8月9日)は、日本の民俗学者。 高知県高知市出身。早稲田第二高等学院中退。小学校教諭、校長、高知県福祉事業財団会長などを務めながら昔話を採集。1984年『土佐民俗選集』で柳田賞受賞。土佐民俗学会長。
伊藤 正一(いとう しょういち、1895年5月15日 - 1… 伊藤 正一(いとう しょういち、1895年5月15日 - 1969年9月15日)は、日本の会計学者。ドイツ会計学専攻。成城大学学長代行等を務めた。 高知県高知市生まれ。1913年高知商業学校(現高知市立高知商業高等学校)卒業。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1920年同専攻部卒業。三菱合資会社入社後、三井物産入社。オランダ領東インドやハワイでの勤務や、青山学院教諭を経て、1926年高岡高等商業学校(現富山大学経済学部)教授に就任。1927年から2年間文部省在外研究員としてドイツ、フランスに留学し会計学を修めた。 1931年横浜専門学校(現神奈川大学)教授。1938年日本通運に入社し、同社の会計組織の確立に尽力した。
岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 … 岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 - 1982年8月6日)は、日本の国文学者・文芸学者。文学博士。日本学士院会員。 高知市生まれ。東京帝国大学卒、1923年東北帝国大学助教授、のち東北大学教授、1955年共立女子大学教授。1965年日本学士院会員。 美学に基づく日本文芸学を唱えた。1937年谷崎潤一郎が『源氏物語』の現代語訳を出した際、光源氏と藤壺の密通の場面が削除されたことを批判した。『岡崎義恵著作集』全10巻がある。 墓所はさいたま市西区三橋の青葉園。
吉田 良三(よしだ りょうぞう、1878年(明治11年)1月… 吉田 良三(よしだ りょうぞう、1878年(明治11年)1月10日 - 1944年(昭和19年)7月12日)は、日本の会計学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。近代簿記会計の開拓者として知られる。早稲田大学教授、東京商科大学教授、中央大学教授を歴任し、会計教育でも大きな影響力を持った。 高知県高知市出身。旧姓・宇賀。海南中学校長の吉田数馬の書生となり、のち養子となる。1903年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部領事科卒、商学士。1935年「間接費の研究」で東京商科大学より商学博士の学位を取得。1902年から早稲田大学で講師として教え、1906年から早稲田大学教授を務める。1913年から欧米に留学し、コロンビア大学で原価計算のJ・リー・ニコルソンに師事するなどした。
柏井 園(かしわい えん、1870年7月22日(明治3年6月… 柏井 園(かしわい えん、1870年7月22日(明治3年6月24日) - 1920年(大正9年)6月25日)は、日本のキリスト教伝道者、キリスト教史学者、キリスト教思想家、文明評論家である。大正時代の日本基督教会の指導者であった。
寺石 正路(てらいし まさみち、1868年10月17日(慶應… 寺石 正路(てらいし まさみち、1868年10月17日(慶應4年9月2日) - 1949年(昭和24年)12月23日)は、高知県の郷土史家。考古学者。作家。
浅川 範彦(あさかわ のりひこ、1865年 - 1907年1… 浅川 範彦(あさかわ のりひこ、1865年 - 1907年1月10日)は、明治時代の細菌学者、医学博士。北里柴三郎に師事し、ジフテリアや破傷風などの血清研究に功績を残した。生前は日本の免疫学の第一人者であり、丹念に追求していくその研究手法は「探偵的研究」とも呼ばれた。日本細菌学会賞の一つに、その功績を記念する浅川賞がある。 1865年(慶応元年)1月に、土佐国土佐郡秦村に生まれる。中江兆民の従兄弟。旧高知藩士。県立医学校で医学を学び、卒業後上京して、済生学舎で造詣を深めた。1889年に郷里に戻って開業、1890年に高知病院に招かれ、副院長となる。 1894年に再び上京して、北里柴三郎に師事。1896年に、浅川丹毒治療法と呼ばれる丹毒の治療法を開発。
島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833… 島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で土佐藩士・島本卓次の二男として生まれた。土佐勤皇党に参加し終身刑の宣告を受けたが、戊辰戦争で伊予松山藩の征伐を命じられる。明治維新後、明治新政府で兵部省、司法省の官僚を歴任、江藤新平の右腕として近代日本国家の検察、警察、弁護士の機構制度の確立に尽力した。1873年、江藤の下野とともに司法省を退職し、東京と大阪に弁護士事務所を開く。 その後、自由民権運動に参加、1887年に保安条例で東京退去の処分を受けるも、明治憲法発布の恩赦で赦免された。