杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日… 杉 彩文海(すぎ さふみ、2001年8月10日 - )は、日本の陸上競技選手。福岡県吉井町出身。明治大学文学部史学地理学科卒業。三菱重工マラソン部所属。 うきは市立吉井中学校、佐賀県立鳥栖工業高等学校、明治大学出身。 1、2年時は三大駅伝の出場はなかった。 3年時の第99回箱根駅伝で7区を走り、三大駅伝デビューを飾る。創価大学の葛西潤と同タイムで区間賞を獲得し、順位を12位から10位に引き上げた。しかし、明治大学はその後再び順位を落とし、3年連続でシード権を逃した。 4年時の第100回箱根駅伝では3区を走ったが、22位から順位を上げることはできず。明治大学はその後順位を落とし、往路は最下位でのフィニッシュとなった。
石井 武志(いしい たけし、1999年10月26日 - )は… 石井 武志(いしい たけし、1999年10月26日 - )は、日本のプロボクサー。元キックボクサー。福岡県うきは市出身。大橋ボクシングジム所属。第24代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者。 高校卒業後、プロのキックボクサーになり大和KICK52.5キロ級王者となったが、K-1などに上がるのは体重が合わなかったことからボクシングに転向。 2022年5月19日のプロデビュー戦は2回TKO勝ち。 そして2022年東軍ミニマム級新人王として、西軍代表池田雅史を相手に1回2分59秒TKO勝ちで全日本新人王と敢闘賞獲得。 翌2023年9月12日、後楽園ホールで開催の「フェニックスバトル104」にてWBC世界ミニマム級15位のリト・ダンテと対戦し、8回1-2(75-77×2、77-75)判定負けを喫した。
今村 駿介(いまむら しゅんすけ、1998年2月14日 - … 今村 駿介(いまむら しゅんすけ、1998年2月14日 - )は、福岡県うきは市出身の男子自転車競技選手。ワンティ・NIPPO・リユーズ(英語版)所属。 競輪選手の父今村保徳の元に生まれ、小学生高学年の頃には父親のような自転車選手に憧れを抱いていたが、社会人を経て競輪選手となった父のスタンスもあり、英才教育のようなものは受けなかった。中学時代は高校から自転車競技を始めることを見越して、陸上部に入部、中距離走に取り組んだ。祐誠高等学校に入学後、自転車競技を開始するが、すでに自転車競技を始めていた同級生との差を知ることとなる。高校1年にはインターハイにもエントリーできなかったが、高校2年終わりくらいから少しずつ結果を残せるようになり、高校3年の2015年、ジュニア世界選手権自転車競技大会で首位獲得し、日本人初の快挙を達成した。
朝久 泰央(あさひさ たいおう、1998年1月16日 - )… 朝久 泰央(あさひさ たいおう、1998年1月16日 - )は、日本の男性キックボクサー、空手家。福岡県うきは市出身。第8代K-1 WORLD GPスーパーライト級王者。第5代K-1 WORLD GPライト級王者。K-1 2階級制覇王者。 兄はキックボクサーの朝久裕貴。 新国際空手道連盟・朝久道場の館長である父・朝久篤(ストリート(ファイト)の鬼)のもとに生まれ、兄である裕貴とともに朝久道場で空手を学ぶ。2014年、16歳でJ-NETWORKのNext Generation Cup -55kgに出場し、優勝。 2015年からKrushに出場。2018年3月に武林風WLF -60kg級王座決定トーナメントのリザーブファイトで勝利。
朝久 裕貴(あさひさ ひろたか、1996年6月21日 - )… 朝久 裕貴(あさひさ ひろたか、1996年6月21日 - )は、日本の男性キックボクサー。福岡県うきは市出身。朝久道場所属。武林風四天王。現WLF武林風-60kg級王者。弟は第5代K-1 WORLD GP ライト級王者・朝久泰央。
上杉 あずさ(うえすぎ あずさ、1990年8月7日 - )は… 上杉 あずさ(うえすぎ あずさ、1990年8月7日 - )は、日本の女性ローカルタレント、ラジオパーソナリティ、スポーツライター。福岡県うきは市出身、ワタナベエンターテインメント九州事業本部所属。
後藤 理沙(ごとう りさ、1983年6月18日 - )は、日… 後藤 理沙(ごとう りさ、1983年6月18日 - )は、日本の女優。
三浦 広光(みうら ひろみつ、1981年9月22日 - 20… 三浦 広光(みうら ひろみつ、1981年9月22日 - 2024年10月26日)は、日本の男性総合格闘家、プロボクサー。福岡県浮羽郡浮羽町(現・うきは市)出身。SAMURAI SWORD/リングス所属。元ウェルター級キング・オブ・パンクラシスト。 3歳年上の姉の影響で小学1年から柔道を始める。西日本短大附属高校では県大会で2年連続2位。大東文化大学では正力杯-81kg級ベスト8となった。 2001年11月25日、第5回全日本コンバットレスリングオープン選手権大会-85kg級に出場し、優勝した。 2004年3月、大学卒業後に総合格闘技の練習を開始し、6月6日には第30回全日本サンボ選手権大会90kg級に出場し、優勝した。
樽美酒 研二(だるびっしゅ けんじ、1980年11月28日 … 樽美酒 研二(だるびっしゅ けんじ、1980年11月28日 - )は、日本のヴィジュアル系エアーバンドゴールデンボンバーのDoramu。 福岡県うきは市(旧・浮羽郡吉井町)出身。ユークリッド・エージェンシー所属。 福岡県うきは市(旧浮羽郡吉井町)出身。 小学校1年生の頃よりプロ野球選手を目指して打ち込む生活を送り、野球推薦で高校に入学する頃までは本気で野球に取り組んでいた。ポジションはそれぞれ小学生でピッチャーとキャッチャーを兼任、その後中学ではセカンド、高校でキャッチャーを担当した。しかし、中学校卒業時に身長が伸び悩んだことで野球選手の夢を諦め、高校に入ると野球部に所属しながら、周囲の影響でBOØWYに関心を持ったことや異性に好かれたいという動機でバンド活動を始める。
鬼塚 智徳(おにつか とものり、1980年(昭和55年)3月… 鬼塚 智徳(おにつか とものり、1980年(昭和55年)3月21日 - )は、福岡県うきは市生まれのトレイルランナー。元・九電工陸上競技部所属(1998年 - 2010年)。現・THE NORTH FACE ATHLETE。 浮羽高校3年生の時にインターハイに出場。卒業後は実業団の九電工に進み、1999年世界クロスカントリー選手権日本代表、2000年全日本実業団ハーフマラソン3位、2005年別府大分毎日マラソン4位入賞などの実績を残す。 2010年に陸上部から退部してからも引き続き九電工でフルタイム勤務の傍らで市民ランナーとして競技を続け、2013年のおきなわマラソンでは優勝を果たした。 それ以上に特筆すべきなのが、トレイルランでの実績である。
穂高 ゆう(ほだか ゆう、1973年3月22日 - )は、日… 穂高 ゆう(ほだか ゆう、1973年3月22日 - )は、日本の女優、モデル、ラジオパーソナリティ。宝塚歌劇団出身(男役・宝塚歌劇団78期生)。身長175㎝。福岡県立朝倉高等学校中退。 福岡県うきは市出身。中学時代に宝塚は一度見たことはあったが特に意識はしておらず、学生時代はずっとバスケットボールをやっていた。高校1年生の時にバスケ部のマネージャーに誘われて試験会場である関西への旅行気分で宝塚音楽学校を受験。音楽・ダンスはまったくの未経験だったためバレエの試験で動くことさえできずに不合格となったが、記念にと観劇した宝塚の舞台に魅せられ再度の受験を決意。バスケ部は辞めてバレエを習い始め、翌年の試験で合格を勝ち取った。
竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 -… 竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 - )は、福岡県浮羽郡浮羽町(現:同県うきは市、出生地は同県八幡市)出身で、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は田崎 誠(たざき まこと)。現役時代の体格は176cm、121kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭13枚目(1986年9月場所)。 現役引退後は、1989年6月から2004年8月までと、2010年12月から2022年7月までの2度にわたり宮城野部屋の師匠となり、横綱白鵬らを育成した。 幼い頃から相撲を始め、北九州市立黒崎中学校では相撲部がなかったため、野球部に所属した。 中学2年時に父の知人から勧誘され、中学卒業と同時に宮城野部屋へ入門し、1973年3月場所にて初土俵を踏んだ。
石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月2… 石井 邦生(いしい くにお、1941年(昭和16年)10月20日 - )は、囲碁の棋士。福岡県うきは市出身、日本棋院関西総本部所属、細川千仭九段門下、九段。元院生師範。名人戦リーグ2期、本因坊戦リーグ2期など。兄は石井衛九段。門下に史上初の七冠同時制覇を達成した井山裕太や、兆乾がいる。 1953年に細川千仭九段に入門、翌年日本棋院院生となり、1956年入段。関西学院大学中退。1968年八段。1969年、新鋭トーナメント戦決勝で石田芳夫に敗れ準優勝。1973、74年に本因坊リーグ入り。1977年、碁聖戦リーグ入り。1978年九段。1979年に棋聖戦九段戦で準優勝、最高棋士決定戦ベスト4に進出するが、準決勝で橋本昌二に敗れる。
鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年… 鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年〉3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。辺野古基金共同代表。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、歌手の鳥越さやかは次女。 1940年、福岡県浮羽郡吉井町(現:うきは市)出身。父親は俊雄といい、その俊の一字をとって俊太郎という名前がついた。父親は大学を卒業して企業に入り、現場で様々ないじめにあい神経症を発症、俊太郎が生まれたときは九州大学の精神科の病棟に入院していた。 1946年、小学校へ入学し、戦後教育の第一期生となる。久留米大学附設高等学校を経て、1965年、京都大学文学部(国史学専攻)を学生運動にのめり込んだため、二年留年した後に卒業。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月1… 村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。 浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。
鑓水 速太(やりみず はやた、1908年4月14日 - 20… 鑓水 速太(やりみず はやた、1908年4月14日 - 2017年9月10日)は、日本の政治家。浮羽町長(6期)を務めた。 1908年4月14日、福岡県浮羽郡浮羽町(現うきは市)に生まれる。1935年、福岡師範学校(現福岡教育大学)専攻科卒業。1941年3月、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験日本史東洋史に合格し、1942年1月より、福岡県学務部社会教育課兼学務課勤務となった。その後、三井地方事務所教育課長、教育庁三井出張所長、糟屋出張所長、福岡県教育委員会社会教育課長を歴任し、1963年8月に福岡県国民健康保険課長在職時に退職した。1969年12月、浮羽町長に無投票で初当選した。1981年11月21日、無投票で6選を果たした。
生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27… 生野 初子(いくの はつこ、1907年〈明治40年〉4月27日 - 1967年〈昭和42年〉)は、日本の女優である。本名は出生名が生野 静子(いくの しずこ)、俳優の高木新平と結婚して高木 静子(たかぎ しずこ)となった。 1907年4月27日、福岡県浮羽郡吉井町(現在の同県うきは市吉井町)に「生野静子」として生まれる。 満12歳になる1919年(大正8年)に女歌舞伎の一座に入団し、熊本市内にあった旭座で初舞台を踏む。1924年(大正13年)1月、京都のマキノ映画製作所等持院撮影所に入社、阪東妻三郎主演、寿々喜多呂九平脚本、後藤秋声監督のサイレント映画『山猫の眼』に阪東の相手役として出演し、「生野初子」の名で映画界にデビューした。
菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 -… 菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 - 1937年7月21日)は、福岡県出身のジャーナリスト。五・一五事件に際し、福岡日日新聞の紙上で軍部批判・憲政擁護の論陣を張ったことで知られる。六鼓(六皷)は号で、本名は淳(すなお)。兄に政治家の菊竹博之がいる。 菊竹六鼓の論説は、昭和初期に軍が議会制民主主義をないがしろにした日本近代政治史の転換点において、一貫してメディアを通して戦う姿勢を見せたものであった。その代表は、大正期から護憲運動の擁護者で軍備縮小を進めた犬養首相を暗殺した五・一五事件についての論説であり、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論を軍国主義へ誘導し、あるいは軍国主義世論に迎合する中でのものであった。
三浦 修吾(みうら しゅうご、1875年〈明治8年〉 - 1… 三浦 修吾(みうら しゅうご、1875年〈明治8年〉 - 1920年〈大正9年〉)は、日本の教育者である。 福岡県浮羽郡吉井町若宮(現うきは市)出身。 福岡師範を卒業後、東京高等師範に進学し、その英語科を卒業。鹿児島師範を経て、姫路師範に転出。鹿児島師範当時の教え子に、玉川学園を創立した小原国芳がいる。同付属小学校主事となる。姫路師範在職2年で結核に罹り、1915年(大正4年)退職。療養生活の中でも執筆などの活動は継続、上京して成蹊学園の機関誌『新時代』の編集主任を務める。45歳で死去。クリスチャンであった。 『学校教師論』が名著の誉れが高い。戦前の東京府青山師範学校では、教育学の教科書に使われていたという。
篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政11年11月16日〈… 篠原 泰之進(しのはら たいのしん、文政11年11月16日〈1828年12月22日〉 - 1911年〈明治44年〉6月13日)は、江戸時代後期の志士。新選組隊士(諸士調役兼監察方及び柔術師範)、御陵衛士。幼名は泰輔、変名を篠塚友平、秦河内(はた かわち)。維新後は、秦林親(はた しげちか)と改名。 筑後国生葉郡高見村(現在の福岡県うきは市浮羽町高見)の豪農および石工業者である篠原元助の長男として生まれる。幼時より武芸を好み、久留米藩の森兵右衛門や種田宝蔵院流槍術師範に槍術と剣術を学ぶ。弘化2年(1845年)、良移心倒流柔術師範の下坂五郎兵衛に柔術を学ぶ。 嘉永5年(1852年)、藩士・小倉一之進に仕えた後、家老・有馬右近の中間となる。
鳥越 彦三郎(とりごえ ひこさぶろう、生年不明 - 1942… 鳥越 彦三郎(とりごえ ひこさぶろう、生年不明 - 1942年〈昭和17年〉2月20日)は、福岡県吉井町の商人(米穀商)。鳥越製粉創業者。ジャーナリスト鳥越俊太郎の曽祖父。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。実父は鳥越半助。鳥越家は江戸の末期くらいから米を脱穀する仕事をやっていた。裕福な家庭の二男坊として何不自由なく育つ。 1877年、父から独立を言い渡される。徴兵強化の風評は高まっていたが、一家の嗣子、長男だけは兵役を猶予されるので、父は彦三郎を身内の鳥越順作の養嗣子として入籍させた。 1877年、吉井町で米穀・日用雑貨取扱業を創業。大地主である鳥越家の斜め向かい50坪の場所で米を量り売りする米穀商店を始めた。