山下 祥(やました しょう、1993年1月3日 – )は、兵… 山下 祥(やました しょう、1993年1月3日 – )は、兵庫県明石市の市議会議員。長崎県長崎市出身。日本フレスコボール協会ディレクター。国際フレスコボール連盟初代事務局長。2022年度、2023年度フレスコボール男子日本代表。祖父は俳人の中杉隆世。 1993年1月3日、長崎県長崎市生まれ。長崎西高校、早稲田大学人間科学部卒。2015年、都内の広告代理店に営業として入社。2019年、大阪のクリエイティブエージェンシーにコピーライター・CMプランナーとして転身。コピーライターの登竜門である第57回宣伝会議賞にてファイナリスト。 2022年より、日本フレスコボール協会ディレクター。2022年秋に泉房穂明石市長が行った市議公募に当時29歳の最年少候補として選出。
橋本 剛(はしもと つよし、1969年6月28日 - )は、… 橋本 剛(はしもと つよし、1969年6月28日 - )は、日本の政治家、行政書士、農林水産官僚。元長崎市議会議員(1期)。長崎女子短期大学学長兼理事長。 2009年11月16日付で農林水産省を退官し、28日に長崎市内のホテルで開いた記者会見で、長崎県知事選挙に民主党の推薦を受けて出馬する意向を表明した。連立政権を組む社会民主党、国民新党も橋本を推薦した。選挙戦では民主党や連合長崎で構成された政治団体「新生長崎県民の会」を中心に、民主党所属の長崎県選出国会議員や鳩山内閣の閣僚、小沢一郎幹事長らの応援も受けたが、鳩山首相や小沢幹事長の政治資金問題や、連合長崎の加盟組織の一つである長崎県職員組合の自主投票も影響し、前長崎県副知事の中村法道に敗れた。
平田 研(ひらた けん、1967年〈昭和42年〉10月20日… 平田 研(ひらた けん、1967年〈昭和42年〉10月20日 - )は、日本の政治家、建設・国土交通官僚。長崎県知事(公選第21代)。 復興庁統括官、国土交通省不動産・建設経済局長、国土交通省大臣官房総括審議官、長崎県副知事などを歴任。 長崎県長崎市出身。父徳男は五島列島小値賀町出身(口加、長崎南、上五島の各高校、長崎東高校長を歴任。退職後は諫早図書館で勤務)。母は島原半島旧有家町出身。 長崎市立伊良林小学校、長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎南高等学校を経て、1991年(平成3年)、東京大学法学部を卒業。大学ではボート部に所属し、全日本選手権競漕大会で優勝した経験がある。「世のため、人のために仕事をしたい」との考えのもと、同年建設省に入省。
浅田 ますみ(浅田 眞澄美、あさだ ますみ、1966年〈昭和… 浅田 ますみ(浅田 眞澄美、あさだ ますみ、1966年〈昭和41年〉9月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 長崎県議会議員(5期)、長崎県議会予算決算委員会委員長、議会運営委員会委員長、監査委員などを歴任。元ラジオ番組プロデューサー・ディレクター。 長崎県長崎市生まれ。晧台寺幼稚園、長崎市立小島小学校、長崎市立小島中学校、長崎県立長崎南高等学校を経て、活水女子短期大学英文科を卒業。 短大卒業後、株式会社エフエム長崎に入社。その後、放送業界でのキャリアを積むため上京。2000年には有限会社アップトゥユーを設立し、代表取締役に就任。東京を拠点にラジオ番組の制作、プロデューサー、ディレクターとして活動した。
村田 信之(むらた のぶゆき、1966年5月27日 - )は… 村田 信之(むらた のぶゆき、1966年5月27日 - )は、日本のジャーナリスト、政治家、大学教員、一般社団法人ストーンスープ代表理事。 長崎県長崎市出身。海星高等学校卒業。高校ではラグビー部に所属し、3年生のときに長崎県代表チームとして奈良国体に出場した。 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学では佐佐木幸綱のゼミに所属。大学在学中からフリーライターとして新聞や雑誌に寄稿していた。 1993年に蓮舫と結婚したが、2020年に離婚。 2002年より早稲田大学の「グローバル・エデュケーションセンター」の設置科目である「たくましい知性を鍛える」の前身である通称大隈塾「21世紀日本の構想」に関わっていた。
西岡 秀子(にしおか ひでこ、1964年3月15日 ‐ )は… 西岡 秀子(にしおか ひでこ、1964年3月15日 ‐ )は、日本の政治家。国民民主党所属の衆議院議員(4期)。国民民主党長崎県連代表。 父は参議院議長、文部大臣、参議院議員、自由民主党総務会長などを務めた西岡武夫。 長崎県長崎市生まれ。長崎大学教育学部附属小学校、長崎大学教育学部附属中学校、活水高等学校、学習院女子短期大学、学習院大学法学部卒業。大学卒業後、NEC勤務を経て、父・西岡武夫の秘書を務めた。 2016年1月、次期参議院議員通常選挙に民主党公認で長崎県選挙区(定数1)から立候補する意向を表明した。同年3月17日、市民団体が仲介する形で、民主党、日本共産党、社会民主党、生活の党の4党が西岡を長崎県選挙区の野党統一候補とすることに合意した。
大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )… 大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員。身長181cm、体重77kg(全盛時は100kg)。弟(異父弟)は大東文化大学法学部教授の松原孝明。2012年に現役プロレスラーとしてヘルパー2級を取得。株式会社アルファ・ジャパンプロモーション所属。
初村 謙一郎(はつむら けんいちろう、1954年(昭和29年… 初村 謙一郎(はつむら けんいちろう、1954年(昭和29年)2月19日 - )は、日本の政治家(元衆議院議員)。長崎県長崎市出身。父は元参議院議員の初村滝一郎。 1976年明治大学政経学部卒。1979年南カリフォルニア大学大学院修士課程終了。1984年より長崎県議会議員を2期務め(自民党)、1990年(平成2年)の総選挙に長崎1区から自民党公認で立候補し、落選。1993年の総選挙に日本新党から立候補して初当選。日本新党組織委員長。細川護煕の側近として活動し、翌年新進党の結成に参加した。 1995年の参院選に際しては、後にオレンジ共済組合事件を引き起こす年金党の友部達夫から巨額の政治資金を受け取り、その見返りとして友部を比例区の名簿に上位登載者として登録した。
中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月… 中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月26日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、大阪府豊中市議会副議長、民社党書記長、新進党政策審議会長、新党友愛代表(初代)、民主党幹事長、衆議院副議長(第62代)、国家公安委員会委員長(第84代)、拉致問題担当大臣(菅直人再改造内閣)、公務員制度改革担当大臣(菅直人再改造内閣)などを歴任した。 現在[いつ?]は、大阪民社協会常任顧問、吉本興業特別顧問、世界連邦運動協会会長代行、関西大学政治学会顧問を務めている。 長崎県長崎市生まれ。4歳の時に原爆投下を経験している。後に大阪府へ転居し、大阪府立豊中高等学校、関西大学法学部卒業。
達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月… 達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月27日 - )は、昭和期の労働運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(1期)。 長崎県 長崎市出身。1945年(昭和20年)長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業した。 労働運動に加わり、全逓信労働組合(後の日本郵政公社労働組合)長崎県本部執行委員長、長崎県労働組合会議会長、原水爆禁止長崎県民会議会長、日本社会党長崎県本部副委員長などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から社会党公認で出馬し次点で落選したが、当選者の田浦直蔵が死去したため、同年8月24日に繰り上げ当選し、参議院議員に1期在任した。
小渕 正義(小淵 正義、こぶち まさよし、1924年12月2… 小渕 正義(小淵 正義、こぶち まさよし、1924年12月2日 - 2009年10月20日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(4期)。 長崎県長崎市出身。1942年三菱工業青年学校卒。三菱重工業長崎造船所で働く。同所の労組委員長になり、長崎県同盟会長、県地方労働委員会委員、同年金福祉協会理事長を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙で長崎1区から民社党公認で立候補して初当選。連続4期務めた。党内では長崎県連委員長や中央委員などを務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙には立候補しなかった(後継者は高木義明)。 1995年勲二等瑞宝章受章。 2009年10月20日、死去。84歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
倉成 正(くらなり ただし、1918年〈大正7年〉8月31日… 倉成 正(くらなり ただし、1918年〈大正7年〉8月31日 - 1996年〈平成8年〉7月3日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(12期)。外務大臣(第109代)、経済企画庁長官(第25・28代)を歴任。位階は正三位。長男は元衆議院議員の倉成正和。 長崎県長崎市出身。父は衆議院議員を務めた倉成庄八郎。旧制五高を経て1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東洋高圧、長崎県農地農林部長などを経て、1958年の第28回衆議院議員総選挙に自民党公認で長崎1区より立候補し当選する。以後、当選回数12回。自民党では、河野派から中曽根派に所属する。 経済企画政務次官、大蔵政務次官、衆議院社会労働委員長などを経験し、1974年11月に第2次田中第2次改造内閣の経済企画庁長官として初入閣を果たす。
小宮 武喜(こみや たけき、1916年11月20日 - 19… 小宮 武喜(こみや たけき、1916年11月20日 - 1999年4月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 長崎県西彼杵郡香焼町(現長崎市)出身。1933年長崎三菱職工学校卒。三菱重工長崎造船所に勤務する。同所の労組委員長や全日本労働総同盟長崎地方同盟議長、香焼村議、同副議長を経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で長崎1区から民社党公認で立候補して初当選。連続3期務めた。国会内では農林水産、災害対策の各委員、党内では労働対策委員、中央執行委員などを歴任した。1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退した(後継者は小渕正義)。 1987年に勲三等旭日中綬章を受章した。
池田 辰巳(いけだ たつみ、1908年3月30日 - 196… 池田 辰巳(いけだ たつみ、1908年3月30日 - 1969年7月10日)は、長崎県長崎市出身の実業家・政治家。自由民主党所属。長崎県議会議員(4期、1958年~1969年)、長崎県議会議長(1969年)。長崎県議会議長在職中に刺殺された。 1908年(明治41年)3月30日、長崎県長崎市大黒町に生まれた。学歴こそ低いが、度胸や行動力のある人物だったとされる。 温泉街である南高来郡小浜町(現・雲仙市)で、遊廓、旅館、映画館の小浜映劇などを経営した。 1958年(昭和33年)3月、馬渡謙蔵の死去に伴う補欠選挙によって長崎県議会議員に初当選し、1961年(昭和36年)には自由民主党長崎県連幹事長に就任した。
西岡 ハル(にしおか ハル、1905年〈明治38年〉12月2… 西岡 ハル(にしおか ハル、1905年〈明治38年〉12月21日 - 1983年〈昭和58年〉11月30日)は、日本の実業家、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期)。旧姓は大串、永野。長崎県知事西岡竹次郎の妻。 長崎県長崎市桜馬場で、大串金三郎、イチ夫妻の五女(10人兄弟)として生まれ、2歳で叔母の養女となり永野に改姓した。1923年、市内の玉木女学校(現長崎玉成高等学校)を卒業後、社会経験のため資産家宅で女中として1年間働いた。1924年4月、第15回衆議院議員総選挙に出馬する西岡竹次郎の選挙事務所の手伝いの依頼を受けて働き、それがきっかけとなり同年10月に西岡と結婚した。夫の政治活動を支える日々を過ごした。
松尾 信人(まつお のぶと 、1905年〈明治38年〉4月9… 松尾 信人(まつお のぶと 、1905年〈明治38年〉4月9日 - 1990年〈平成2年〉9月19日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。 長崎県長崎市生まれ。1928年(昭和3年)、長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)卒業。同年、長崎税関に入った。長崎税関総務部長、離島振興対策審議会委員を務めた。1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙で長崎1区に公明党から出馬し、初当選。以後連続2期務める。同年の選挙には立候補せずに引退した。 その他、創価学会副理事長や中央選挙管理会予備委員務めた。 1990年(平成2年)9月19日、心不全のため東京都千代田区の東京警察病院で死去した。
則元 卯太郎(のりもと うたろう、1891年(明治24年)1… 則元 卯太郎(のりもと うたろう、1891年(明治24年)11月20日 - 1944年(昭和19年)7月16日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 長崎県長崎市出身。父は衆議院議員則元由庸。長崎県立長崎中学校、第五高等学校を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。同年に長崎市で弁護士を開業した。1930年(昭和5年)、長崎日日新聞社副社長に就任した。 1921年(大正10年)より長崎市会議員に6度当選し、副議長にも選出された。また1923年(大正12年)より長崎県会議員に3度当選し、副議長に選出された。 1938年(昭和13年)、衆議院に補欠当選を果たし、1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙でも再選された。
中村 不二男(なかむら ふじお、1891年(明治24年)2月… 中村 不二男(なかむら ふじお、1891年(明治24年)2月10日 - 1941年(昭和16年)5月9日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。ジャーナリスト。 長崎県西彼杵郡長浦村(現在の長崎市)出身。1909年(明治42年)、長崎県立長崎中学校を卒業。長崎日日新聞記者となり、後に取締役に就任した。また長崎県会議員に2回選ばれた。 1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回、第20回でも再選を果たした。 その他に長崎女子商業学校(現在の長崎女子商業高等学校)校主を務めた。
西岡 竹次郎(にしおか たけじろう、Takejiro Nis… 西岡 竹次郎(にしおか たけじろう、Takejiro Nishioka、1890年〈明治23年〉5月28日 - 1958年〈昭和33年〉1月14日)は、日本の政治家、実業家。西岡伊三次の養子。長崎県知事や戦前から戦後にかけ長崎民友新聞社長を務めた。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 長崎市出身。1916年(大正5年)に早稲田大学法学部を卒業すると、普通選挙運動に関わり1921年(大正10年)からヨーロッパへ外遊。1924年(大正13年)に帰国すると同年5月の総選挙に中立候補として出馬し水産大学の誘致・総合大学の設置・国立博物館の建設等の6大政策を掲げたが、憲政会の対立候補だった本田恒之がそれを利益誘導として西岡を告訴したものの、結果的に本田・則元卯太郎(政友本党)と激戦の末に2,385票の最高点で初当選した。
本田 英作(ほんだ えいさく、1885年(明治18年)4月1… 本田 英作(ほんだ えいさく、1885年(明治18年)4月18日 - 1948年(昭和23年)10月4日)は、衆議院議員(立憲民政党→日本自由党)、弁護士。 長崎市出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。司法官試補を経て、鹿児島地方裁判所や長崎地方裁判所で判事を務めた。退官後は弁護士事務所を開業し、長崎市会議員を3期、長崎県会議員を2期務めた。 1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回・第20回でも再選された。 戦後の1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選。第23回でも再選された。その間、第1次吉田内閣で外務政務次官に就任した。
鍋島 桂次郎(なべしま けいじろう、1860年6月29日(万… 鍋島 桂次郎(なべしま けいじろう、1860年6月29日(万延元年5月11日) - 1933年(昭和8年)1月30日)は、日本の外交官、貴族院勅選議員。神代鍋島家第16代当主。 神代鍋島家13代当主鍋島茂元(佐賀藩9代・鍋島斉直の26男)の次男として生まれる。1884年(明治17年)、外務省御用掛となり、外務属、交際官試補、外務書記官などを歴任。同年6月に兄茂文の後を継ぎ神代鍋島家当主となる。アメリカ、ドイツ、イギリスで公使館一等書記官として勤務した。1906年(明治39年)、統監府書記官兼外務省参事官に任じられ、統監府参与官、統監府外務総長、同外務部長を歴任した。1909年(明治42年)、駐ベルギー公使に任命され、1913年に後任の阿部守太郎が暗殺されたため、1914年(大正3年)まで務め、陸奥広吉と交代した。
西村 規矩(にしむら きく、1858年3月31日(安政5年2… 西村 規矩(にしむら きく、1858年3月31日(安政5年2月17日)- 1903年(明治36年)3月30日)は、明治期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・牟田。 肥前国彼杵郡矢上村(長崎県東彼杵郡矢上村、東長崎町を経て現長崎市)で牟田逸馬の二男として生まれる。1877年(明治10年)西村或之助の養子となる。漢籍を修めた。1877年(明治10年)長崎英語学校普通科を卒業。その後上京して、津田仙の学農社で学び、1880年(明治13年)に卒業した。1886年(明治19年)1月、家督を相続。農業、酒造業を営む。西村製糸場を経営し、諫早銀行頭取、矢上教育銀行監査役、大成社取締役なども務めた。
伊東 巳代治(いとう みよじ、安政4年5月7日〈1857年5… 伊東 巳代治(いとう みよじ、安政4年5月7日〈1857年5月29日〉- 昭和9年〈1934年〉2月19日)は、明治から昭和の日本の官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。栄典は従一位勲一等伯爵。 安政4年(1857年)、長崎町年寄・伊東善平の三男として長崎酒屋町で誕生。早くから長崎英語伝習所でグイド・フルベッキに師事して英語を修め語学を修得。明治4年(1871年)に明治政府の工部省の試験に合格して上京、電信技師となったが退職、明治6年(1873年)に兵庫県に六等訳官として登用され、県令神田孝平から目をかけられた。明治9年(1876年)に神田が元老院議官として上京する際に、伊東も再び上京することを決意。
小川 虎一(おがわ とらいち、1850年(嘉永3年9月) -… 小川 虎一(おがわ とらいち、1850年(嘉永3年9月) - 1916年(大正5年)5月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 肥前国彼杵郡長浦村(のち長崎県西彼杵郡長浦村、琴浦村、琴浦町を経て現長崎市)生まれ。大村藩校五教館で学ぶ。長浦村戸長、同村長、長崎県会議員となる。 1894年(明治27)12月、家永芳彦の辞職による第4回衆議院議員総選挙補欠選挙で長崎1区から立候補して初当選した。続く1898年(明治31年)3月の第5回総選挙では立憲自由党公認で立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、同年8月の第6回総選挙は不出馬。1916年に死去した。
松尾 巳代治(まつお みよじ、1847年(弘化4年11月) … 松尾 巳代治(まつお みよじ、1847年(弘化4年11月) - 1904年(明治37年)7月13日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 肥前国長崎に生まれる。貿易商と綿花、肥料取引、穀物商を営む。長崎土木(株)社長兼専務取締役、(資)松尾精米所社員、長崎委託、長崎新報、東洋浚渫、長崎米穀株式石油取引所各(株)監査役、長崎商業会議所副会頭を務め、長崎市会議員、長崎県会議員に就任。また、1876年のフィラデルフィア万国博覧会特別会員、長崎港荷受問屋総代を務めた。 1899年、浅田次郎の死去による長崎1区の補欠選挙に立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。
松田 源五郎(まつだ げんごろう、1840年5月9日(天保1… 松田 源五郎(まつだ げんごろう、1840年5月9日(天保11年4月8日)- 1901年(明治34年)3月1日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員、長崎市会議長。 肥前国彼杵郡、のちの長崎県長崎区(現長崎市)酒屋町の鶴野家で生まれ、貿易業の叔父・松田勝五郎の養子となる。私塾で学び、家業を継承した。 1872年(明治5年)永見伝三郎と共同で金融業・永見松田商会(立誠会社に改称)を設立し、のちに十八銀行に発展させ頭取に就任。その他、小野組長崎支店支配人、東京築地活版製造所取締役、長崎商法会議所会頭、九州鉄道取締役、長崎電灯(のち長崎電気瓦斯)取締役、長崎製氷取締役、九州倉庫取締役、香港ローラ麦粉取締役、長崎貯蓄銀行頭取、石川島造船所(現IHI)監査役、東洋浚渫社長などを務めた。