平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき、2000年4月20日 - … 平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき、2000年4月20日 - )は、長崎県平戸市出身で、境川部屋所属の現役大相撲力士。本名は坂口 雄貴(さかぐち ゆうき)。身長178cm、体重140.0kg、血液型はB型。得意技は寄り。最高位は西小結(2024年7月場所 - 9月場所)。 平戸市立紐差小学校1年次から地元の紐差相撲クラブで相撲を始めた。小学校4年次から6年次にわんぱく相撲全国大会に3年連続で出場している。他のスポーツも嗜んでおり、小学校時代は野球とバレーボールにも取り組んだ。平戸市立中部中学校在学中は2年次と3年次に全国中学校相撲選手権大会(全中)と全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場し、3年次に全中でベスト8まで勝ち上がっている。
寺田 匡史(てらだ まさふみ、1994年1月10日 - )は… 寺田 匡史(てらだ まさふみ、1994年1月10日 - )は、長崎県平戸市出身の元サッカー選手。ポジションは、DF。 2016年に鹿屋体育大学を卒業し鹿児島ユナイテッドFCに加入。 2018年、アルティスタ浅間へ期限付き移籍。 2019年、ヴィアティン三重へ期限付き移籍。 2020年にヴィアティン三重に完全移籍。 2023年、現役を引退。
塚本 拓海(つかもと たくみ、1991年1月6日 - )は、… 塚本 拓海(つかもと たくみ、1991年1月6日 - )は、日本の男性プロレスラー。血液型B型。長崎県平戸市(旧生月町)出身。プロレスリングBASARA所属。身長172cm、体重91kg。 長崎県北松浦郡生月町(現平戸市生月町)出身。 小学校6年間で空手、中・高6年間で柔道を経験し、 2009年4月、高校卒業と同時に大日本プロレスに入門。同期の橋本和樹とのエキシビジョンを重ね、9月21日、札幌テイセンホール大会でデビュー。 2012年2月2日の後楽園ホールで045邪猿気違'sと組んで初のデスマッチに挑戦し勝利に貢献。その後9月10日の新木場1stRINGで佐々木貴と組んだ「観客凶器持ち込みデスマッチ」での対バラモン兄弟戦で自ら蛍光灯を持ち込み、試合後にデスマッチ本格参戦を表明した。
安河内 程子(やすこうち みなこ、1990年2月20日 - … 安河内 程子(やすこうち みなこ、1990年2月20日 - )は、日本のアナウンサー(NHK松山放送局契約キャスター→福島テレビ契約アナウンサー→フリー)。 長崎県平戸市出身。長崎県立猶興館高等学校理数科卒業。香川大学農学部応用生物科学科卒業。 2012年3月、大学4年生の時に、西日本放送のバラエティ番組『Doki!』リポーター、雑誌『香川komachi』のコーナー「こまち結婚ナビ」モデル等を務める。 2013年3月、香川大学卒業後にNHK松山放送局契約キャスターを1年間務める。 2014年2月、福島テレビへ移籍。 2015年1月、結婚を機に福島テレビを退職し、フリーアナウンサーとして主にイベント司会やラジオパーソナリティーなどの活動の他、福島市社会福祉協議会のボランティアに登録し、福島市立図書館子どもライブラリー読み聞かせボランティアも行う。
石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は… 石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は、長崎県平戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。2005年の登録名は「石橋 尚至」、2006年から2007年の登録名は「石橋 尚到」(いずれも読み同じ)。 波佐見高では2年秋の九州大会でベスト8、3年夏の県大会で準優勝。無名に近い存在ではあったが、2000年のドラフト6位で広島東洋カープに入団。石橋の指名は波佐見高校出身者としては史上初であった。 高校通算打率.406、通算盗塁200以上と走攻守3拍子揃った内野手として期待され入団し、注目は高かった。ウエスタンリーグでは毎年好成績をマークし、打撃は評価が高いだけに若手の注目株として期待されたが、左膝を故障。
隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき、1976年4月2日 - )… 隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき、1976年4月2日 - )は、長崎県北松浦郡生月町(現在の平戸市)出身で、鳴戸部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾崎 勇記(おざき ゆうき)。最高位は東関脇(2003年1月場所、2003年3月場所)。身長190cm、体重152kg、血液型はA型。得意手は右四つ・上手投げ。父は元プロ野球選手の尾崎亀重。 小学校、中学校と父には野球を強要されたが、反発していた尾崎は頑なに野球をやらなかった。運動神経が良く中学時代はバスケットボール部で活躍した。生月島の宮相撲を視察していた鳴戸親方(元横綱・隆の里)に勧誘され、1992年(平成4年)3月場所初土俵。関脇若の里、元幕内隆の鶴は同部屋で同期生である。
長嶺 超輝(ながみね まさき、1975年8月3日 - )は、… 長嶺 超輝(ながみね まさき、1975年8月3日 - )は、日本のフリーライター。 長崎県平戸市生まれ。3歳から熊本県で育つ。熊本県立熊本高等学校を経て九州大学法学部卒業。司法試験に7回不合格となった後、2004年に上京。法律分野を得意とするライターとして執筆活動を始める。 2007年に発表したデビュー著書『裁判官の爆笑お言葉集』が、30万部を超えるベストセラーとなる。 大学生の頃、初めて最高裁判所裁判官国民審査に投票するに際し、投票用紙に記された裁判官の名前を一人も知らないことにショックを受けたことがきっかけで、最高裁判所に関心を持ち、2005年の第20回最高裁判所裁判官国民審査から、審査対象となる裁判官のプロフィールや判決実績をまとめて、インターネット上のサイトに公表している。
前川 和也(まえかわ かずや、1968年3月22日 - )は… 前川 和也(まえかわ かずや、1968年3月22日 - )は、長崎県平戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。元日本代表。 現在はFCバイエルン・ツネイシ監督を務める。 長男は前川黛也。父同様サッカー選手かつ、GKとしてプレーしている。 現役時代は、大きな体格を活かしたセービングを得意とした。特に相手との1対1の場面でのセービングに定評があり、絶妙な飛び出しで何度もチームを危機から救った。シュートに対する反応はもとよりPKにも強く、またハイボールの処理も巧みにこなした。その様は「生きている壁」と形容された。人柄もサポーターから愛され、広島退団時には涙を流すサポーターもいた。
黒田 成彦(くろだ なるひこ、1960年8月12日 - )は… 黒田 成彦(くろだ なるひこ、1960年8月12日 - )は、日本の政治家。長崎県平戸市長(2期)。元長崎県議会議員(3期)。
石橋 達朗(いしばし たつろう、1949年〈昭和24年〉7月… 石橋 達朗(いしばし たつろう、1949年〈昭和24年〉7月28日 - )は、日本の医学者。専門は眼科学(網膜、硝子体・糖尿病網膜症・加齢黄斑変性)。九州大学大学院医学研究院眼科学分野教授、九州大学病院長、九州大学理事、同副学長などを経て、第24代九州大学総長。 長崎県平戸市出身。父は眼科の開業医で、石橋は父の地域医療ひと筋の背中を見て医師を志した。 小学校6年生の時に福岡へ出て、福岡市立百道中学校に進学。卒業後、福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学医学部へ進学。学生時代は様々な球技に興じ、大学時代は卓球部のキャプテンを務めた。また、麻雀にも勤しみ、学生時代は毎週のように仲間と集まって打ち、医局旅行では朝の4時、5時まで打っていたため、名所を観に行く際にはバスで寝ていたこともあったと言う。
門谷 憲二(かどや けんじ、1948年 - )は、長崎県平戸… 門谷 憲二(かどや けんじ、1948年 - )は、長崎県平戸市出身の作家、作詞家。 早稲田大学中退後、1971年、ライブハウスで偶然出逢った泉谷しげるとともに音楽制作集団「サイクル・ギス」を設立。古井戸、ピピ&コット(佐藤公彦在籍)といった才能に出会い、細々とマネジメントを始める。作家のねじめ正一は中学時代の同級生である。 「サイクル・ギス」のアーティストのデモテープを制作し、旧エレックレコードに認められる。同年11月、泉谷がアルバム「泉谷しげる登場』でレコード・デビュー。同作には門谷の作品『白雪姫の毒りんご』も収録されている。 同年12月にはシングル盤をCBS・ソニーから出す。泉谷のバックバンドに「古井戸」と「ピピ&コット」の金谷あつしとよしだよしこを使う巧みな方法でアーティストに経験を積ませた。
藤島 新(ふじしま しん、1947年7月22日 - )は、日… 藤島 新(ふじしま しん、1947年7月22日 - )は、日本の歌手。 長崎県平戸市出身。本名・藤島三男。上智大学外国語学部英語学科卒業。上智大学グリークラブ(男声合唱団)所属。大学在学時にジァンジァンでシャンソン歌手としてソロデビューした。 一般公募でNHKのヤング101の第二期生のオーディションを受け、約3000人の応募者の中から選ばれた15人の合格者の1人として、1971年7月7日に晴れてNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』にレギュラーとして初出演した。番組オリジナルソングの一つである「愛の限界」(岡田富美子作詞・東海林修作曲)を歌い、高く甘い歌声で人気を得て「101のプリンス」「ヤングのプリンス」と呼ばれた。
北原 健雄(きたはら たけお、1942年8月14日 - 20… 北原 健雄(きたはら たけお、1942年8月14日 - 2013年9月16日)は、日本のアニメーター。東京ムービーや日本アニメーションに所属していた。長崎県平戸市出身。 「北原 匠」「きたはら たてお」と表記されることもある。本名は「きたはら たけかつ」。 『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』ではキャラクターデザインや作画監督を務めた。その後も『シティーハンター』で名を残す。 長崎県立猶興館高等学校卒業後は絵の世界に入りたいと上京し、多摩美術大学油絵科を受験するも不合格、そのうち画家で生活していくのは「夢のまた夢」と認識するようになり、グラフィックデザイナーを目指そうと方向転換、東京ムービーにアルバイトで入社する傍らでデザインスクールにも通う。
栗林 慧(くりばやし さとし、1939年5月2日 - )は、… 栗林 慧(くりばやし さとし、1939年5月2日 - )は、日本の写真家、映像作家。 満洲国奉天市(現在の中華人民共和国瀋陽)生まれ、長崎県北松浦郡田平町(現:平戸市)出身。東京綜合写真専門学校中退。昆虫などの生物写真が専門。息子は現代美術家の栗林隆。 生物の撮影を元々の動機とした機材と技法の研究・開発は、生物写真の枠を超えて評価が高い。昆虫を大写しにするほどの接写であるにもかかわらず背景の無限遠までボケがわずかな、極端に被写界深度の深い「虫の目レンズ」や、飛び出す(ballistic dispersal)花粉等の 1/50000 秒を撮影するシステムの実現などがある。技術やノウハウはスチルにとどまらず動画でもその威力を発揮しており、これまでNHKの番組制作等に活用された。
松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisaj… 松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisajiro Matsunaga, 1930年3月7日-2006年6月2日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック長崎大司教区補佐司教およびカトリック福岡司教区第3代司教を務めた。洗礼名は「ヨゼフ」。 長崎県平戸市深川町出身。小学校時代は鹿児島教区糸永真一司教と侍者仲間であった。長崎公教神学校(現長崎カトリック神学院)で学び、1949年4月に福岡サン・スルピス大神学院に入学。 1953年にローマのプロパガンダ・ウルバノ大学へ留学。1956年12月22日に司祭に叙階され、ラテラノ大学で教会法博士号、アテネオ・アンゼリコ大学で神学博士号を取得した。
糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi … 糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi Itonaga, 1928年7月23日-2016年12月10日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック鹿児島司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 長崎県平戸市紐差町生まれ。紐差教会で幼児洗礼。1941年に長崎公教神学校に入学し、1948年に福岡サン・スルピス大神学院神学科に進んだ。1951年9月にカナダ・モントリオール大学神学部に留学し、1952年9月14日に同所で司祭叙階。1953年に同大学神学部修士課程を終了し帰国。 帰国後はカトリック長崎教区で働き、大司教館で書記長を約10年間務め、1955年5月からカトリック時報の編集にあたる他に、長崎純心短期大学で哲学講師、レジオ・マリエの長崎クリア総指導司祭となった。
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10… 山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS社長を歴任した。 長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任。 1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。
油屋 亮太郎(あぶらや りょうたろう、1920年(大正9年)… 油屋 亮太郎(あぶらや りょうたろう、1920年(大正9年)7月15日 - 1996年(平成8年)11月9日)は、昭和から平成時代の政治家。長崎県平戸市長。平戸市名誉市民。 平戸市出身。長崎県立中学猶興館卒業。 1955年(昭和30年)から平戸市議会議員4期、1971年(昭和46年)から長崎県議会議員を2期務め、1983年(昭和58年)平戸市長に当選し、4期務めた。4期目の1996年(平成8年)、在職中に死去した。
作江 伊之助(さくえ いのすけ、1910年〈明治43年〉10… 作江 伊之助(さくえ いのすけ、1910年〈明治43年〉10月17日 - 1932年〈昭和7年〉2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人で爆弾三勇士の一人。最終階級は工兵伍長。勲八等功六級。長崎県北松浦郡平戸村大字平戸田助浦183番地(現・平戸市田助町)出身。 家族は父・音次郎と、兄が大工をしながら生計をたてていた。運送業に従事していたが、間もなく徴兵され、久留米独立工兵第十八大隊に配属される。1932年(昭和7年)1月18日、第1次上海事変が勃発。2月2日、独立工兵第十八大隊は上海派遣混成第二十四旅団(下元熊弥少将)の工兵部隊に抽出され、5日、佐世保港を出発。7日上海に上陸、ただちに第九師団植田謙吉中将の隷下となった。
金子 岩三(かねこ いわぞう、1907年〈明治40年〉2月2… 金子 岩三(かねこ いわぞう、1907年〈明治40年〉2月20日 - 1986年〈昭和61年〉12月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、科学技術庁長官、農林水産大臣、長崎県議会議長などを歴任。勲一等旭日大綬章受章(1984年)。長崎県知事や農林水産大臣を務めた金子原二郎は次男。鈴木善幸元首相と並んで、自由民主党の代表的な水産族議員として知られた。がんちゃんの愛称で知られる。 長崎県北松浦郡生月村(現・平戸市)に、旅館経営・田中仙蔵の三男として生まれる。その後海産物仲買業・金子源作に見込まれ、10歳の時に金子家の養子となる。1923年生月村山田実業補習学校を卒業後、家業に従事する。1942年生月村議、1947年長崎県議、1955年同県議会議長を経て、1958年1月に西岡竹次郎知事死去に伴う長崎県知事選に出馬するが佐藤勝也に敗れて落選。
黒崎 義介(くろさき よしすけ、1905年3月25日-198… 黒崎 義介(くろさき よしすけ、1905年3月25日-1984年8月12日)は童画画家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)… 柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。 長崎県平戸市出身。旧制長崎県猶興館中学校より海軍兵学校第44期入校。入校時成績順位は100名中第66位、卒業時成績順は95名中第21位。大正14年12月海軍大学(甲種25期)入学。昭和2年11月卒業。同期生のすべてが将官になった珍しいクラスであった。 幼少の頃から成績優秀だったが、実家が富裕ではなかった為に旧制中学校卒業と同時に母校の尋常小学校で代用教員を務め、貯財した上で翌年改めて海軍兵学校に入校するという苦労を強いられている。柳本家は伊勢神宮から平戸に遣わされた神官の家系だったという。
立石 新吉(たていし しんきち、1894年(明治27)1月 … 立石 新吉(たていし しんきち、1894年(明治27)1月 - 1977年(昭和52)10月31日)は、日本の動物学者。 1894年、長崎県北松浦郡南田平村(現・平戸市)生まれ。1914年(大正3)、長崎師範学校を卒業した。 1919年より滋賀県立大津高等女学校(現・滋賀県立大津高等学校)、翌1920年より愛媛県宇和島中学(現・愛媛県立宇和島東高等学校)で教職に就いた。1923年、県立愛知医科大学(現・名古屋大学)助教授となった。1930年から台北帝国大学理農学部動物学教室(比較形態学・哺乳動物学)に助教授として奉職。「もと台湾の台北大学の青木文一郎教授の下にあって研究をされた立石新吉博士(現長崎大学教授)は哺乳類や昆虫類の染色体の研究(1931-)において独自の境地を開いた。
草間 平作(くさま へいさく、1892年7月 - 1985年… 草間 平作(くさま へいさく、1892年7月 - 1985年)は、翻訳家、作家。 長崎県平戸出身。本名・牧山 正彦。北九州の東筑中学校卒、鹿児島の第七高等学校造士館をへて、1919年東京帝国大学法学部卒、この間海老名弾正によってキリスト教に出会う。その後有島武郎の援助で京都帝国大学哲学科に学ぶが、父の病気のため両親を京都に引き取り、22-23年同志社大学予科講師を務めていたが、二番目の妻が重度の神経症となり三重県各地を療養のため転々とし、その間女中に子を産ませる。敗戦直前に長崎県田平町に帰る。1958年妻が死去し再婚するがこれも三年目に病死し、女中だった女と四度目の結婚をする(『夢と燕』)。兎を飼って生活の資とした。
西 済(西 濟、にし いつき、1884年 <明治17年> 1… 西 済(西 濟、にし いつき、1884年 <明治17年> 10月18日 - 1981年 <昭和56年> 4月27日)は、日本の経営者。十條製紙社長を務めた。位階は従四位。 長崎県平戸市出身。1906年に東京高等工業学校機械科を卒業し、同年に鈴木機械製作所に入社。 1910年に王子製紙に転じ、1941年に取締役を経て、1949年8月には十條製紙社長に就任。1957年11月に会長を経て、1968年5月には相談役に就任。 1960年に藍綬褒章を受章し、1965年11月には勲三等瑞宝章を受章。 1981年4月27日、心不全のために死去。96歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
菅沼 周次郎(すがぬま しゅうじろう、1876年(明治9年)… 菅沼 周次郎(すがぬま しゅうじろう、1876年(明治9年)12月15日 - 1963年(昭和38年)12月26日)は、明治時代から昭和時代の日本海軍軍人、教育者。西海学園高等学校の創立者である。 旧平戸藩士菅沼量平の二男として長崎県松浦郡平戸(現平戸市)に生まれる。兄は平戸派南進論者として知られた菅沼貞風で、幼時よりその指導を受けた。 兄の死後、海軍兵学校(26期)に進み海軍入り。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦に従軍。 1924年(大正13年)に少将・佐世保鎮守府人事部長を最後に退官した後、佐世保市助役に推されたが辞退し当時佐世保に無かった男子の進学できる私立普通中学の創設を志した。退官翌年の1925年(大正14年)、「西海中学」(のちの西海学園高等学校)を佐世保市八幡町に開校。
沖 禎介(おき ていすけ、1874年(明治7年)6月8日 -… 沖 禎介(おき ていすけ、1874年(明治7年)6月8日 - 1904年(明治37年)4月21日)は、明治期の諜報活動家(スパイ)。長崎県平戸市出身。 東京専門学校(現在の早稲田大学)中退後、横浜で貿易業に従事。1901年(明治34年)に中国に渡り、北京の東文学社の教師となる。1903年(明治36年)には文明学社を設立した。 1904年(明治37年)、日露戦争開戦に際しては民間人ながら陸軍の特務機関に協力し、ロシア軍の輸送路破壊工作に従事する。横川省三とともにラマ僧に変装して満州に潜伏しているところをロシア兵に捕獲され、ハルピン郊外で処刑される。 処刑に際して当初は絞首刑を予定されていたが、彼らの態度が立派だったため現地の司令官がロシア皇帝ニコライ2世に請願し、銃殺刑に変更されたと言われている。
楠本 海山(くすもと かいざん、1873年(明治6年)3月2… 楠本 海山(くすもと かいざん、1873年(明治6年)3月2日 - 1921年(大正10年)2月5日)は明治から大正にかけての儒学者。楠本端山の子で、楠本正継の父。名は正翼(まさすけ)、字は君翔、別号は晦堂、俟斎主人、遜斎主人、鳶魚斎。 1873年(明治6年)3月2日午後、楠本端山の子として長崎県松浦郡平戸村稗田(平戸市)に生まれた。側室腹だったが、正室には男子がなく、嫡子として育てられた。将来「其の祥翼を正張し、千仞の上に翺翔」することを願って、父に名を正翼、字を君翔と名付けられた。 1881年(明治14年)春、父が松浦詮私塾猶興書院を退職し、故郷針尾島(佐世保市)に移ったため、これに従った。
石橋 禹三郎(いしばし うさぶろう、明治2年7月3日(186… 石橋 禹三郎(いしばし うさぶろう、明治2年7月3日(1869年8月19日) - 1898年(明治31年)3月22日または23日)は明治時代のシャム王国入植者。長崎県平戸島に生まれ、福岡、東京で英語を学んだ後、アメリカ合衆国オークランドに留学した。帰国後シャム王国への植民事業を企てたが、暹羅殖民会社、石橋商会の事業はいずれも失敗し、東京で病没した。 明治2年(1869年)7月3日、肥前国平戸町に呉服太物商石橋彦兵衛の第5子または第10子として生まれた。小学校では威圧的な振る舞いで他の児童から孤立し、また家では仕事を手伝わず、家族を困らせた。 15歳の時針浦退蔵に入門し、2年間余り儒教を学んだ。1883年(明治16年)9月留学を認めない養父長次郎の元を離れて福岡の取引先宅に身を寄せ、当初陸軍予備士官学校に入学しようとしたが、同郷南部重遠の誘いで人参畑高場乱に学んだ。
綾香 造酒太郎(あやか みきたろう、元治元年〈1864年〉1… 綾香 造酒太郎(あやか みきたろう、元治元年〈1864年〉11月24日 - 没年不詳)は、長崎県北松浦郡中野村の漁業家。明治25年(1892年)の暴風雨に際し、遭難した漁夫を断崖絶壁から救出した功績により、明治26年(1893年)に紅綬褒章を受章した 。 綾香造酒太郎は、長崎県北松浦郡中野村(現平戸市)で先代弁蔵の次男として生まれ、家業である漁業に従事した。幼少より漁業を学び、水泳にも優れ、14歳で一人前の漁師と認められた。剛毅で任侠心が厚く、同情心に富んだ人物として知られた。 明治25年11月23日、玄界灘が暴風雨に襲われた際、同村白江沖で広島県安芸郡瀬戸島村の漁夫らが乗る漁船が難破した。遭難者は約20尋(約36m)断崖の下の岩角にしがみついたが、満潮により命の危険にさらされた。
稲垣 満次郎(いながき まんじろう、1861年10月29日(… 稲垣 満次郎(いながき まんじろう、1861年10月29日(文久元年9月26日) - 1908年(明治41年)11月25日)は、明治時代の日本の外交官。著書で南進論を唱えたことで知られる。 肥前国松浦郡平戸(現在の長崎県平戸市)出身。父親は平戸藩士で同藩勘定奉行を務めた天野勇衛。藩立学校維新館、鹿児島私学校等を経て、1882年(明治15年)、東京大学文学部に入学。翌年東京大学明治十六年事件に巻き込まれて、英国ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジに留学、ジョン・ロバート・シーリーに師事する。大学では日本人クラブを設立し、英国紳士のマナーを研究した。また、大学の理事会を説得し、日本人の入学試験からギリシャ語を免除させた。
古川 黄一(黃一、ふるかわ きいち、1847年8月21日(弘… 古川 黄一(黃一、ふるかわ きいち、1847年8月21日(弘化4年7月11日)- 1914年(大正3年)11月3日)は、幕末の平戸藩士、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。 肥前国松浦郡平戸村(長崎県北松浦郡平戸村、平戸町を経て現平戸市)で、平戸藩士・吉川右衛門兵衛の長男として生まれる。藩儒の平田貞次郎、楠本瑞山らから漢学を学んだ。慶応2年(1866年)藩校維新館学員に就任。王政復古の際には藩主松浦詮に従って京都に滞在し、明治2年(1869年)藩主の近侍職となった。 廃藩置県後は実業界に転じた。1885年(明治18年)平戸士族授産生産社副社長に就任し、その後同社長に就任。1887年(明治20年)第九十九銀行(現十八親和銀行)取締役頭取に就任し、1902年(明治35年)7月、同頭取を退任。
籠手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保1… 籠手田 安定(こてだ やすさだ、1840年4月23日(天保11年3月21日) - 1899年(明治32年)3月30日)は、平戸藩士、剣術家、政治家。旧名は桑田源之丞。 滋賀県知事、元老院議官、島根県知事、新潟県知事、貴族院議員を歴任した。心形刀流と一刀正伝無刀流の免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた。 平戸藩家臣桑田安親の長男として肥前国松浦郡平戸村(現・長崎県平戸市)に生まれる。先祖に戦国武将の籠手田安昌、籠手田安経、籠手田安一がいる。 平戸藩(松浦静山)伝の心形刀流剣術を学び、免許皆伝を得る。幕末には藩探索方に任じられ京都で情報収集を行う。その傍ら直心影流戸田一心斎(栄之助)の道場に通い、師範代高山峰三郎と面識を持つ。
中山 愛子(なかやま あいこ、文化14年11月23日(181… 中山 愛子(なかやま あいこ、文化14年11月23日(1817年12月30日) - 明治39年(1906年)1月27日)は、江戸時代末期から明治時代の女性。明治天皇の外祖母。 肥前国平戸藩主松浦清の11女として平戸に生まれる。母は側室の森氏。初名は千代姫、後に愛姫と改める。姉・季子の夫である園基茂の養女として中山忠能に嫁し、3男2女(忠愛・忠光・公董・栄子・慶子)を産んだ。 娘・慶子が孝明天皇に仕え、やがて愛子の孫にあたる皇子・祐宮睦仁親王(のちの明治天皇)を産むと4歳時までその養育を任された。のちに、曾孫・明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)の養育にもあたっており、天皇2代の養育に関わったことになる。
コルネリア・ファン・ネイエンローデ(Cornelia van… コルネリア・ファン・ネイエンローデ(Cornelia van Nijenroode、1629年 - 1691年)は、バタヴィア(ジャカルタ)の実業家。 オランダ人と日本人の子供として平戸に生まれ、江戸時代の鎖国政策によってオランダ植民地のバタヴィアへ追放された。バタヴィアでは東インド会社で働く男性と結婚し、投資などの事業をおこなった。しかし再婚した相手が彼女の資産を求めたために争いとなり、バタヴィア社会やオランダ本土も巻き込んだ訴訟となった。彼女の生活や訴訟を通して、17世紀当時の植民地における混血女性の生活や、バタヴィアの社交界、日本との関係、夫婦財産契約の不平等をうかがえる記録となっている。
トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 -… トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、1590年 - 1634年11月17日(寛永11年9月17日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけてのキリスト教(カトリック)の司祭。1987年に「聖トマス西と15殉教者」の一人としてカトリック教会の聖人に列せられた。 1590年(天正18年)、ガスパル西の次男として肥前国松浦郡生月島(現在の長崎県平戸市)で誕生。母はウルスラ・トイ。両親は敬虔なキリシタンであり、自身もカトリックの幼児洗礼を受けた。幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)のセミナリオで勉学に励み、同宿(教会や修道院で奉仕する人)になり、1620年にマニラに渡る。1624年、ドミニコ会に入り「ロザリオのトマス」の修道名を授かる。
セバスチャン木村(セバスチャンきむら、1566年(永禄9年)… セバスチャン木村(セバスチャンきむら、1566年(永禄9年)ごろ - 1622年9月10日(元和8年8月5日))はカトリック教会の日本人最初の司祭、また日本人最初の殉教司祭である。イエズス会士。元和の大殉教のときに長崎・西坂で殉教した55人の中の一人であり、教皇ピウス9世により1867年7月7日に列福された。記念日は9月10日。 1566年(永禄9年)ごろ、平戸のキリシタン一家に生まれる。祖父は、フランシスコ・ザビエルが1550年秋、鹿児島からミヤコに向かう途中の平戸で宿泊した屋敷の主人で、同地でのザビエルからの最初の受洗者であった。1580年(天正8年)に開設された有馬のセミナリオに最初の生徒20人の一人として入学した。
大山 和栄(おおやま かずえ、生年不詳2月16日 - 201… 大山 和栄(おおやま かずえ、生年不詳2月16日 - 2010年4月)は、日本の女性漫画家。長崎県平戸市出身。血液型はO型。 1973年、小学館の少女向け漫画雑誌『週刊少女コミック』にて「おむこさん志願」でデビュー。以降同誌や、同社の一般女性向けの漫画雑誌『プチセブン』などを中心に多数の連載作品を執筆していた。また講談社、秋田書店などの少女向け漫画誌でも主に短編作品を発表していた。 2002年、乳がんに罹患していることが分かり、摘出手術を受けた。以降、乳がんの撲滅運動であるピンクリボン運動にもかかわっていた。また、その闘病体験を生かした作品である『未来暦』やエッセイ作品『明日への伝言』、『乳がんと闘う!!ピンクのリボン』なども発行された。
川上 光正(かわかみ みつまさ)は、ヨガ・瞑想・呼吸法・潜在… 川上 光正(かわかみ みつまさ)は、ヨガ・瞑想・呼吸法・潜在心理学・精神哲学の指導者、精神世界・スピリチュアル系の著作家。長崎県出身。