内間 拓馬(うちま たくま、1998年11月21日 - )は… 内間 拓馬(うちま たくま、1998年11月21日 - )は、沖縄県国頭郡本部町出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 本部町立本部小学校時代は本部少年野球クラブでプレーし、本部町立本部中学校時代は軟式野球部に所属していた。 沖縄県立宜野座高等学校では、3年夏の県大会はリリーフ1試合、1イニングのみ出場であり、目立った活躍は見せられなかった。 亜細亜大学では、3年時に大学野球日本代表に選出されているほか、4年間で通算30試合に登板し、7勝6敗、防御率3.13を記録。大学の同期には平内龍太、矢野雅哉らがいる。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、東北楽天ゴールデンイーグルスから4位指名を受け、11月30日に契約金4500万円、年俸820万円(推定)で仮契約した。
江藤 光喜(えとう こうき、1988年2月8日 - )は、日… 江藤 光喜(えとう こうき、1988年2月8日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県国頭郡本部町出身。白井・具志堅スポーツジム所属。元WBA世界フライ級暫定王者(JBC非公認)。第40代OPBF東洋太平洋フライ級王者。WBA暫定王座は2013年8月1日、日本人男子ボクサーとして初めてタイで世界戦に勝利し、担当トレーナーの野木丈司らとともに勝ち取ったもの。沖縄県立北部農林高等学校林業科卒業。 “江藤三兄弟”の長男で、双子の弟・大喜と末弟・伸悟もプロボクサー。ボクシングを最初に始めたのは大喜で、最もキャリアが浅いのが光喜である。一軒家で弟2人と暮らし、大喜とともにラーメン店で働いている。タイでのWBA世界フライ級暫定王座挑戦が決まった頃、大喜の怪我や仕事の忙しさから2人の弟はボクシングへの情熱を失いつつあり、光喜には「なんとしても結果を残さなければならない。
新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の… 新城 俊昭(あらしろ としあき、1950年 - )は、日本の教師、沖縄大学客員教授。沖縄県の県立高等学校に歴史教師として長年勤務し、沖縄史教育の普及や平和教育に関わる社会的活動で知られ、沖縄歴史教育研究会代表、顧問、沖縄県平和祈念資料館の監修委員、運営委員、米軍人・軍属による事件被害者の会の代表世話人などを務めた。 沖縄県本部町生まれ。1956年3月、新城が5歳のときに、当時28歳だった父親が米兵の運転する自動車に轢かれて事故死し、その後、母親が妹たちを連れて家を出たため一家は離散し、新城は祖母や親族のもとで育った。 高校時代の1968年には、陸上競技400メートル競走の選手として高校総体にも出場したが、広島県で行なわれた大会の際に、他県の選手などから向けられた沖縄についての質問の多くに答えられなかったことが、沖縄の歴史に取り組むひとつの契機となった。
山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )… 山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。名桜大学学長。琉球大学名誉教授。 沖縄県本部町出身。1972年、琉球大学法文学部英語英文科卒業。1974年、ハワイ大学マノア校大学院英米文学修士課程修了。1987年、カリフォルニア大学デービス校大学院英米文学専攻博士課程修了。 1975年より琉球大学法文学部助手、教授、副学長。日本文学環境学会会長、九州アメリカ文学会会長などを歴任。2013年、名桜大学教授および国際文化研究科長に就任。2014年、同大学学長に就任。 著書『琉大物語 1947-1972』では、アメリカ合衆国政府によって創立された琉球大学の歴史を詳細に記述した。
嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日… 嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年〈昭和16年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉10月15日)は、日本の政治家。沖縄県本部町出身。自由民主党所属の元衆議院議員(4回)。 1941年6月1日生まれ。1966年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業。1980年、沖縄県議会議員に当選し、5期務めた。1994年には県議会議長に就任する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に宮里松正の後継者として自民党から初当選(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・大村秀章・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・滝実・棚橋泰文・田村憲久・谷畑孝・戸井田徹・松本純など)。防衛庁長官政務官や内閣府大臣政務官を歴任。
根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2… 根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2025年3月28日)は、日本の獣医ウイルス学者。獣医学博士。有限会社生物資源研究所代表取締役・所長。スペインかぜウイルスのルーツを解明するなど、インフルエンザウイルス研究及びワクチン開発の第一人者とされる。沖縄県国頭郡本部町出身。 ・沖縄県立北部農林高等学校卒業。
稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 恵一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。
稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月… 稲嶺 惠一(いなみね けいいち、1933年(昭和8年)10月14日 - )は、日本の実業家、元政治家(沖縄県知事)。沖縄県国頭郡本部町出身。父は、琉球石油(現・りゅうせき)創業者で元参議院議員の稲嶺一郎。旭日重光章。報道などでは新字体を用い稲嶺 恵一とも表記される。 知事時代の功績には、2000年に開催された九州・沖縄サミットの誘致と二千円札(弐千円券)の発行、沖縄都市モノレール線の開通などがある。 防衛官僚の守屋武昌は普天間基地移設問題の早期決着を目指していたが、2005年の日米合意2日後に反対を表明した稲嶺知事(当時)から「守屋さん、沖縄では大きな仕事は20年かかるんですよ。新石垣空港だってそうでしょう。
上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月1… 上原 康助(うえはら こうすけ、1932年〈昭和7年〉9月19日 - 2017年〈平成29年〉8月6日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は従三位、勲等は勲一等。 衆議院議員(10期)、北海道開発庁長官(第59代)、沖縄開発庁長官(第28代)、国土庁長官(第24代)を歴任。 沖縄県国頭郡本部町字伊豆味に、農業・上原幸福の二男として生まれる。1951年沖縄県立北山高等学校を卒業後、米軍沖縄地区工作隊に就職する。当時の米軍基地では、USCARの布令116号でストライキに参加することは違法で解雇とされ、琉球住民への賃金差別をはじめとする差別待遇が横行していた。やがてある日一方的に解雇通告を受けたことを契機に労働問題への関心を強め、1960年上原が中心となって「軍労働問題研究会」を立ち上げ、翌1961年には全沖縄軍労働組合連合会を結成、委員長となる。
北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 20… 北島 角子(きたじま すみこ、1931年5月20日 - 2017年4月9日)は、沖縄県本部町出身の女優である。 父は沖縄芝居の役者で劇作家の上間昌成。1939年、家族とともに日本の委任統治下のパラオへ移住。パラオにて女学校へ進学。第二次世界大戦末期は野戦病院で看護師見習いに従事。1946年、米軍の輸送船で沖縄へ引き揚げた。名護高校を卒業ののち役者となった。
新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - … 新垣 雄久(あらかき たけひさ、1930年<昭和5年> - 2021年 <令和3年> 7月21日)は、日本の地方公務員。沖縄県教育長、同出納長、同副知事、沖縄県平和祈念財団会長を歴任。勲三等瑞宝章受章。 本部町出身。沖縄戦で父母、弟妹の家族4人を失った。沖縄県立知念高等学校卒業。1957年 琉球政府職員となり、本土復帰後は沖縄県庁で総務部長、沖縄県教育委員会教育長を経て、1984年10月 出納長、1987年1月 副知事。沖縄国体では皇太子時代の上皇明仁・上皇后美智子夫妻の案内役を務めた。1989年1月 副知事退任。 退任後、沖縄県社会福祉協議会会長、同県平和祈念財団会長。2021年7月21日午後8時39分、那覇市の病院で死去。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1… 稲嶺 一郎(いなみね いちろう、1905年9月23日 - 1989年6月19日)は、日本の政治家・実業家・軍人。沖縄県国頭郡本部村出身。元沖縄県知事稲嶺惠一の父。
仲程 倫由(なかほど のりよし)は、日本の内閣府官僚。内閣府… 仲程 倫由(なかほど のりよし)は、日本の内閣府官僚。内閣府政策統括官(防災担当)付企画官、内閣府大臣官房参事官、内閣府沖縄総合事務局次長等を歴任した。 沖縄県国頭郡本部町出身。沖縄県立名護高等学校を経て、1983年琉球大学法文学部卒業、総理府入庁。沖縄の開発を志し、沖縄開発庁などで勤務した。内閣府政策統括官(防災担当)付企画官(災害予防担当)、内閣府沖縄振興局参事官(特定事業担当) 、内閣府大臣官房参事官(総務担当)等を経て、2013年内閣府沖縄総合事務局総務部長。2015年から内閣府沖縄総合事務局次長(総務等担当)を務め、沖縄の生産性向上に向けた働き方改革促進などにあたった。2020年依願退官、北部港運顧問、沖縄美ら島財団参与。