市村 作知雄(いちむら さちお、1949年 - )は、東京藝… 市村 作知雄(いちむら さちお、1949年 - )は、東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科准教授、東京国際芸術祭ディレクター。 早稲田大学文学部卒業。 山海塾制作、パークタワーホールアートプログラムアドバイザー、トヨタアートマネジメント講座ディレクター、(株)シアター・テレビジョン代表取締役社長などを経て、2000年よりNPO法人アートネットワーク・ジャパン理事長、東京国際芸術祭(TIF)ディレクターを務める。国内外のダンス・パフォーマンス公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の経営以外にも、アートマネジメント、企業と文化を結ぶさまざまなプロジェクト、NPOの調査研究などを手がけている。NPO法人芸術家と子どもたち副理事長、財団法人横浜市芸術文化振興財団理事、日本NPOセンター理事、社団法人企業メセナ協議会研究部会員なども兼任している。
葛西 薫 (かさい かおる、1949年 - )は、日本のアー… 葛西 薫 (かさい かおる、1949年 - )は、日本のアートディレクター。(株)サン・アド取締役副社長。東京造形大学客員教授。北海道札幌市生まれ。4歳で室蘭市に移り、同市で高校時代まで育つ。 高校卒業後、文華印刷(株)に入社。(株)大谷印刷勤務を経て、1973年(株)サン・アドに入社、現在に至る。 アートディレクターとして、サントリーウーロン茶(1982年 - )、ソニーのオーディオ(1979年 - 1992年)、サントリーモルツ(1986年 - )、西武百貨店「日本一の市」(1986 - 1992年)、ユナイテッドアローズ(1997年 - )などの広告キャンペーンを手がける。CIサイン計画では、セゾングループ「uraku」「I.S.」「 tsumori chisato」、長野県諏訪湖博物館・赤彦記念館など。
市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - 20… 市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - 2008年9月19日)は、日本の映画監督、CMディレクター。 本名は、市川 純(読み同じ)。東京都府中市出身。CM演出家を経て1987年に『BU・SU』で映画初監督。以降、幅広い題材に意欲的に取り組み話題作を数多く発表した。 聖パウロ学園高校卒業後、画家を志して東京芸術大学美術学部絵画科への入学を目指すが浪人を繰り返す。1975年にCM制作会社に入社してCM演出家になり、1981年の退社後は無所属で活動する。演出家として禁煙パイポ、タンスにゴン(金鳥)、エバラ焼肉のたれ、ヤクルトタフマン、デューダ等の、テレビCMを手掛ける。1985年にはカンヌ国際広告祭で金賞を受賞している。
松田 行正(まつだ ゆきまさ、1948年10月21日 - )… 松田 行正(まつだ ゆきまさ、1948年10月21日 - )は静岡県出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、装丁家、著作家、出版社経営者。 マツダオフィス及び、出版社「牛若丸出版」主宰。 静岡東高校、中央大学法学部卒業。グラフィックデザイナーとなり、1980年に「マツダオフィス」を創設。 1985年には出版社「牛若丸出版」を起こし、書籍の内容とデザインが一体となったユニークな本を出版。 また、自身も著作活動を行い、2006年には自身の著書「眼の冒険」のブックデザインで講談社出版文化賞を受賞。
戸井 十月(とい じゅうがつ、1948年〈昭和23年〉10月… 戸井 十月(とい じゅうがつ、1948年〈昭和23年〉10月12日 - 2013年〈平成25年〉7月28日)は、日本の作家、ルポライター、映像ディレクター。factory喜望峰(株式会社 喜望峰)所属。 東京都新宿区生まれ。本名も同じ。10月に生まれたため「十月」と父親に名付けられた。 父は画家で、秩父事件研究の第一人者である戸井昌造。母は、人形劇団プークのリーダーだった、川尻東次・川尻泰司兄弟の妹・錦子。妻はイラストレーターの中村鈴子。母の妹の夫(義理の叔父)に俳優の西村晃がいる。 父の影響で画家を志し武蔵野美術大学に入学するが、学生運動に傾倒し中退。イラストレーター、ルポライターを経て作家となる。
秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 20… 秋山 道男(あきやま みちお、1948年9月29日 - 2018年9月19日)は、日本の編集者、プロデューサー、クリエィティブディレクター、装丁家、俳優、作詞家、作曲家。千葉県松戸市生まれ。スコブルコンプレックス會社・主宰。資生堂文化デザイン部編集委員。 本人いわく「都市・空間・商品・宣伝・編集・芸能・芸術・食・身体・生活・ファッションなど多領域の仕事群を『魅力づくり』として遂行」する仕事を行っている。 1960年代には「秋山未知汚」「秋山未痴汚」名義を、1970年代には「秋山ミチヲ」名義を用いていた。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。同級生には南伸坊がいた。高校時代はバンドを組んでいて、おしゃれだった。
渡邉 光男(わたなべ みつお、1948年9月27日 - )は… 渡邉 光男(わたなべ みつお、1948年9月27日 - )は日本のテレビディレクター・テレビプロデューサー。株式会社渡邉光男計画CEO。 フジテレビにてプロデューサー・ディレクターを務めた。 夜のヒットスタジオ海外完全衛星生中継 夜のヒットスタジオスペシャル版※レギュラー放送終了後の特番としての放送
横井 くにえ(よこい くにえ、1948年9月25日 - 20… 横井 くにえ(よこい くにえ、1948年9月25日 - 2006年8月29日)は、近畿地方を拠点に活動していた日本のラジオパーソナリティ、ラジオディレクター。 同志社大学在学中の1960年代からABCラジオの番組に出演していた。学内では、放送サークルの同志社学生放送局に所属。後に同業者となる土谷多恵子は大学の2年後輩で、学生放送局で出会って以来38年に及ぶ交流があった。 卒業後にも引き続きラジオパーソナリティとして活動。1970年代にはAMラジオの深夜放送を中心に活動した。その後は一度日本を離れ、10年余りにわたってアメリカ合衆国で生活していた。 ラジオリスナーたちからは「ハニーちゃん」の愛称で呼ばれて親しまれていた。
荻野 繁(おぎの しげる、1948年8月25日 - )は、日… 荻野 繁(おぎの しげる、1948年8月25日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー。 元フジテレビプロデューサーで、2008年に定年退職。その後は株式会社おぎの屋CREATIVE Mixを設立し、代表取締役を務める。テレビ番組及びCD・DVDの企画制作、放送作家の育成を手掛けるほか、テレビ制作会社・オイコーポレーションの顧問も務めている。 愛称は「ビビンバ」(荻野の好物であることに由来)、「オギリン」。 東京都大田区出身。日本大学芸術学部(同期に高田文夫がいる)卒業後、当時のフジポニー(フジテレビ、ニッポン放送などが出資したフジテレビ系製作子会社。テレビ番組制作とビデオプログラム制作がメイン)に入社し、鹿内春雄フジサンケイグループ議長が行った機構改革に伴い、1980年にフジテレビへ転籍。
朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )… 朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、サインデザイナー。都市計画や大型施設のサイン・ディスプレーのプロデュースを行っている。元女子美術大学短期大学部非常勤講師。 長崎県長崎市に生まれる。 1964年、長崎市立長崎商業高等学校 時代、1年先輩の蛭子能収らと美術部で活動した。1965年、日本宣伝美術会西日本展で準入選となる。 1968年、新宿の歌声喫茶「灯」 で、合唱歌集の楽譜・イラスト等グラフィック面から、舞台装置・照明に至るまで演出を担当する。 1970年、日本万国博覧会においてテーマ館太陽の塔内部の展示計画(ディスプレイ)の一部を、また東京都の世界貿易センタービルのサイン計画を乃村工藝社所属で、それぞれ担当する。
戸田 正寿(とだ せいじゅ、1948年4月10日 - )は、… 戸田 正寿(とだ せいじゅ、1948年4月10日 - )は、日本のアートディレクター。福井県生まれ。東京アートディレクターズクラブ(東京ADC)、JAGDA会員。 福井県立三国高等学校在籍中、同校の教員だった小野忠弘の影響を受け、広告の道に進む。1970年、髙島屋宣伝部を経て1973年日本デザインセンター入社。1976年、戸田事務所設立。 1980年代初めに、アニメーターのひこねのりおと共に制作したパピプペンギンズは、飲料製造企業サントリーが企画した「CANビール」のCMキャラクターとして起用されブームとなった。
関 三喜夫(せき みきお、1948年3月13日 - 2001… 関 三喜夫(せき みきお、1948年3月13日 - 2001年6月19日)は、千葉県出身の広告ディレクター。 東京大学文学部心理学科卒業。在学中は落語研究会に在籍し、会長をつとめる。大学卒業後の1970年、電通に入社する。小田桐昭の部下となり、松下電器などの広告制作に関わる。CMコンクール入賞も多数ある。 電通でおなじく松下を担当していた鏡明とは親交が厚く、共著を刊行している。 電通第2アカウント・プランニング本部第2クリエーティブ・ディレクション局長を務めていた2001年、出張先の上海で急死した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
信藤 三雄(しんどう みつお、英語: Mitsuo Shin… 信藤 三雄(しんどう みつお、英語: Mitsuo Shindō、1948年1月26日 - 2023年2月10日)は、日本のアートディレクター、映像ディレクター、映画監督。東京都出身。 松任谷由実、Mr.Children、サザンオールスターズ、SMAP、MISIAなど、手がけたCD/レコードジャケットの数は2007年時点で約900枚にのぼる。1980年代後半から1990年代にかけて、ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギターといった「渋谷系」ミュージシャンのCD/レコード、宣伝材料一式のアートワークに携わり、渋谷系におけるデザインの方向性を決定づけたといわれる。 グラフィックデザイン以外にも、映像作家としてミュージック・ビデオや映画も手がける。
鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小… 鏡 明(かがみ あきら、1948年1月2日 -)は、日本の小説家、SF作家、翻訳家、音楽・SF作品・漫画等文芸方面の評論家、広告ディレクター。電通顧問(元・執行役員)。 初期は岡田英明名義を使用した。 山形県生まれ。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部に進む。大学時代はワセダミステリクラブや、伝説的なSFファンの集まり「一の日会」に参加。またSF同人誌「宇宙気流」「SF倶楽部」などに関わる。 早稲田大学英文科を全優で卒業(指導教授には修士課程に進むことを切望される)後、電通に勤務。上司に小田桐昭、同僚に関三喜夫がいた。ジョージ・ルーカスを起用したパナソニックのCMなどで知られ、ACC賞、カンヌ国際広告賞、アジア太平洋広告祭をはじめとする国内外の広告賞を多数受賞。
川崎 徹(かわさき とおる、1948年1月2日 - )は、日… 川崎 徹(かわさき とおる、1948年1月2日 - )は、日本のCMディレクター。東京都生まれ。 妻は元フジテレビアナウンサーでプロデューサーの桜井郁子。 早稲田中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。電通映画社に入社し、1971年からCMディレクターとして活躍。1977年のキンチョールの「トンデレラ、シンデレラ」や1980年以降のキンチョール「ハエハエカカカ キンチョール」や富士フイルムCMでの「それなりに」、サントリービール「生樽」CMの「いかにも一般大衆が喜びそうな」など、数々の流行語を生み出すヒットCMを生み出す。 1980年代には、糸井重里や仲畑貴志らと並んで、コピーライターなど広告クリエイターが脚光をあびる広告ブームの立役者の1人となる。
山登 義明(やまと よしあき、1948年 - )は、テレビド… 山登 義明(やまと よしあき、1948年 - )は、テレビドキュメンタリー番組のディレクター、プロデューサー。
石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京… 石川 源(いしかわ みなと、男性、1948年 - )は、東京都出身の日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー、パッケージデザイナー、写真家、アーティスト。 美術大学卒業後、外資系広告代理店のADとして新聞・雑誌広告、TVCFを担当。独立後グラフィックデザインを中心に生活雑貨店のプロデュース、雑誌にインタビューコラム連載、講義講演、自身のアートによる個展、写真撮影・動画制作など多岐に渡って活躍。日本グラフィックデザイナーズ協会会員、日本パッケージデザイン協会会員。日本広告写真家協会正会員
遠藤 盛章(えんどうもりあき、1948年 - 2011年)は… 遠藤 盛章(えんどうもりあき、1948年 - 2011年)はビデオジャーナリスト、映像ディレクター集団「DNA」チーフディレクター。法政大学社会学部卒業後、新聞や雑誌の編集者などを経て、TVのディレクター職につく。 自らカメラを持って単独潜入・取材を行うことによりビデオジャーナリストの活動を開始する。香港マフィア・フィリピンのイスラムゲリラ・麻薬組織の実態解明・ミャンマーのカレン軍・南アフリカの凶悪都市の潜入取材は一見に値する。また、パレスチナのゴラン高原取材・1998年のテポドン発射前の北朝鮮への潜入など活動的に取材を行っている。2000年以降はタリバン政権下のアフガニスタンへの取材。その後のアフガン戦争の取材・アフガン密貿易の取材、さらに2002年から翌年にかけてのイラク戦争の取材を行った。
杉山 恒太郎(すぎやま こうたろう、1948年-)は日本のク… 杉山 恒太郎(すぎやま こうたろう、1948年-)は日本のクリエイティブディレクターである。株式会社電通常務執行役員、顧問を経て、2012年4月、株式会社ライトパブリシティ代表取締役副社長に就任。2015年より代表取締役社長。立教大学現代心理学部映像身体学科元教授。 イギリスの雑誌「キャンペーン」で特集されるなど、世界的広告クリエーターである。東京都出身。
瀧沢 裕二(たきざわ ゆうじ、1948年 - )は、日本の映… 瀧沢 裕二(たきざわ ゆうじ、1948年 - )は、日本の映像プロデューサー・ディレクター。映画祭ディレクター。早稲田大学第1文学部卒業。 早稲田大学第1文学部を卒業後、電通映画社(現:電通テック)に入社。CMディレクター・プロデューサーとなる。電通テックで能力開発部長を経験後、ソニーPCLに転籍。CMを始め、CS放送番組の立ち上げや、デジタルサイネージ、ODS(非映画デジタルコンテンツ)等の映像関連新規事業開発に取り組む。埼玉県川口市のSKIPシティ・プロジェクトには1999年の企画段階から参加し、2000年株式会社SKIPシティ設立に伴い取締役として出向。「映像ミュージアム」「映像制作学習プログラム」「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」等の立ち上げ、運営を行う。
芦澤 泰偉(あしざわ たいい、1948年 - )は日本の装幀… 芦澤 泰偉(あしざわ たいい、1948年 - )は日本の装幀家、アートディレクター。静岡県静岡市出身。 1970年、「第10回現代日本美術展」に入選。この展覧会のレセプション会場で松澤宥と出会い、コンセプション・アートの運動体「ニルバーナ」に参加。以後4年間、現代美術家としてグループ展、個展を開催する。 1976年、工作舎に入社して装幀やエディトリアルデザインの魅力を松岡正剛から教授される。すでに入社していた戸田ツトムの繊細なデザイン作法を学ぶ。同じ年に株式会社イッセイ(広告プロダクション)入社。2年後にアートデレクターになり、川端一誠のプレゼンテーションの方法を身につける。その頃に荒川洋治と出会い、彼の主宰する「紫陽社」の詩集の装幀が10年で130冊に達した。
津島 勝(つしま まさる、1947年7月20日 - 2011… 津島 勝(つしま まさる、1947年7月20日 - 2011年5月4日)は、日本のテレビディレクター・映画監督。 大阪府大阪市出身。奈良女子大附属高校(現:奈良女子大学附属中等教育学校)を経て、1970年京都大学文学部史学科卒業。 大学生になるまで、映画は観たことが無かったという。 京大在学中、俳優・遠藤太津朗宅に家庭教師として出入りしていたのがきっかけで、遠藤の紹介により、東映撮影所に見学に行き、これが映画界との初の接点となった。これが縁となって、卒業後に東映テレビプロダクションの契約助監督となる。以後は主に東映京都製作のテレビ時代劇に助監督として就き、杉良太郎の推薦により、『遠山の金さん(第2シリーズ)』(テレビ朝日)で監督に昇格。
奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )… 奈良橋 陽子(ならはし ようこ、1947年6月17日 - )は、日本のキャスティングディレクター、演出家、映画監督、劇作家、作詞家、英会話教育家である。アップスアカデミー(UPS)代表。モデル・ランゲージ・スタジオ(MLS)会長。 千葉県市川市出身。国際基督教大学言語学専攻卒業。長男は俳優の野村祐人、長女は女優・演出家の米倉リエナ。母方の祖父は関屋貞三郎。元夫はジョニー野村。 父親の奈良橋一郎は外交官で、カナダ・モントリオールにある国際連合の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)日本政府代表部に勤務しており、奈良橋も5歳でカナダに渡る。1962年、日本に帰国し聖心インターナショナルスクールを卒業後、国際基督教大学言語学専攻を卒業した。
妹尾 三郎(せのお さぶろう、1947年5月10日 - )は… 妹尾 三郎(せのお さぶろう、1947年5月10日 - )は、日本の写真家、写真ディレクター、クリエイティブ・ディレクター。日本写真芸術学会会員。京都府京都市生まれ、東京都在住。 1 1984年 3月「野町和嘉写真展/バハル!」新潟・ダイエー 2 1984年 5月「野町和嘉写真展/バハル!」船橋・西武美術館 3 1984年 6月「ロバート・キャパ展/戦争と平和」銀座・松屋 4 1984年 8月「野町和嘉写真展/バハル!」那覇・沖縄三越 5 1984年 8月「野町和嘉写真展/バハル!」名護・琉球新報北部本社ホール 6 1984年 9月「野町和嘉写真展/バハル!」宮古島・平良市民会館 7 1984年 9月「野町和嘉写真展/バハル!」石垣島・ホテルミヤヒラ 8 1984年 9月「サラ・ムーン展」銀座・プランタン銀座 9 1984年12月「野町和嘉写真展/バハル!」高知・とでん西武百貨店 10 1984年11月「サラ・ムーン展」大阪・プランタンなんば 11 1984年12月「ロバート・キャパ展/戦争と平和」大阪・ナビオ美術館 12 1985年 1月「渡辺義雄写真展/古寺大観」銀座・和光 13 1985年 5月「ロバート・キャパ展/戦争と平和」熊本・鶴屋百貨店 14 1985年 5月「アルフレッド・スティーグリッツ展」新宿・小田急百貨店 15 1985年 7月「アンドレ・ケルテス展」銀座・プランタン銀座 16 1985年 9月「アンドレ・ケルテス展」大阪・プランタンなんば 17 1985年 9月「渡辺義雄写真展/古寺大観」新潟・伊勢丹百貨店 18 1985年10月「日本の24時間展」渋谷・西武百貨店 19 1985年11月「アンドレ・ケルテス展」大分・トキハ百貨店 20 1986年 1月「渡辺義雄写真展/古寺大観」守口・京阪百貨店 21 1986年 2月「久保田博二写真展/中国万華」銀座・松屋
伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう も… 伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう もとのぶ〉、1947年〈昭和22年〉4月16日 - )は青森県を中心に活動するローカルタレント、パーソナリティ、ラジオ・CMディレクター、詩人、イラストレーター、シンガーソングライター。有限会社おふぃす・ぐう所属。 青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校、青森短期大学商経科を卒業した。この間、演劇を志しNHK放送劇団に入団。短大卒業後、弘前市の陸奥新報社に入社するも、入社当日に整理部に配属され、午後6時出社を言い渡されて「そんなのやってらんねーや」と思い即日退職。1968年、青森放送に履歴書をレタリング文字で書き応募したのが目にとめられ、入社。
河北 秀也(かわきた ひでや、1947年4月9日 - )は、… 河北 秀也(かわきた ひでや、1947年4月9日 - )は、日本のアートディレクター。日本ベリエールアートセンター主宰。東京芸術大学美術学部デザイン科名誉教授。福岡県久留米市出身。美術評論家河北倫明は伯父に当たる。 久留米大学附設高等学校、東京藝術大学卒業。藝大2年の時にサクマ製菓のキャンディ「いちごみるく」のデザインを手がける。東京藝術大学の卒業制作としては営団地下鉄の地下鉄路線図をデザインした(卒業には間に合わなかったものの、営団に正式に起用された)。 1974年、日本ベリエールアートセンターを設立。70年代から80年代にかけて営団地下鉄(現:東京メトロ)のマナーポスターをシリーズで手がける。
加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、… 加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月 - )は、日本のラジオ番組・テレビ番組制作ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家。 滋賀県出身。別名 弟子 吉治郎(でし きちじろう)。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。 生家は米原市でまんじゅう店を営んでいた。彦根東高校、関西学院大学卒業。中部日本放送 (CBC) 入社後、ラジオ番組のディレクターなどとして活動。1974年、自身がディレクターを担当していた番組『ばつぐんジョッキー』の企画より、地元名古屋市を本拠地とするプロ野球球団・中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』(作詞・作曲:山本正之。
原田 進(はらだ すすむ、1947年 - )は、日本のグラフ… 原田 進(はらだ すすむ、1947年 - )は、日本のグラフィックデザイナー、クリエイティブ・ディレクター。福岡県出身。 主にコーポレートアイデンティティの分野で活動し、自らを「CIデザイナー」または「ブランドデザイナー」と称している。プラクシス株式会社代表取締役。 これまでに、CI プロジェクトは、パイオニアやファミリーマート、メグミルクなどをはじめ、製造・小売・建築・金融・メディア・通信・交通・流通・エネルギー・教育機関・自治体 等、さまざまな分野を担当している。 原田は約400社の企業ブランドデザインを担当した。
榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、東京… 榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、東京都出身のアートディレクター。 武蔵野美術大学造形学部商業デザイン学科卒。1969年同校卒業後、1971年に寺山修司の映画「書を捨てよ町へ出よう」の美術を担当し、1974年に萩原朔美と協力して創刊した雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て、1986年1月15日に株式会社アタマトテ・インターナショナルを設立し、代表となる。この1970年代から1980年代の一連の活動に対し、美術評論家の椹木野衣は2007年の「榎本了壱コーカイ記」展についての紹介記事で、『渋谷を舞台に現在につながる新しいアートの芽生えと発表の機会を誰よりも早く、かつ大規模に支えた。
北川 フラム(きたがわ ふらむ、1946年(昭和21年)10… 北川 フラム(きたがわ ふらむ、1946年(昭和21年)10月5日 - ) は、日本のアートディレクター。父は良寛研究家の北川省一。建築家の原広司は姉・若菜の夫(義兄)。「フラム」は本名であり、ノルウェー語で「前進」を意味する。 新潟県高田市(現・上越市)出身。新潟県立高田高等学校から東京芸術大学美術学部入学。仏教彫刻史を専攻。大学では「東京芸術大学全共闘」として活動する。大学時代から学生運動界隈のつながりから、アングラ文化周辺に集まる人々と協働し、音楽や演劇のイベントを開催するようになる。 大学卒業後の1971年(昭和46年)より、東京芸術大学の学生・卒業生を中心に「ゆりあ・ぺむぺる工房」を発足させ、展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に関わる。
金 鐘守(きん しょうしゅ、1946年9月7日 - )は日本… 金 鐘守(きん しょうしゅ、1946年9月7日 - )は日本のテレビディレクター。京都府京都市出身。 1971年に京都市立芸術大学彫刻科を卒業。同年8月、東映京都撮影所の助監督として入社。1989年の「八百八町夢日記」(里見浩太朗主演)で監督デビュー。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島… 松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島県広島市出身、兵庫県在住のアートディレクター、グラフィックデザイナー。大阪芸術大学短期大学部・デザイン美術学科教授。松井桂三有限会社主宰。様々な企業・ブランドのアートディレクションを手がけている。 広島県立広島国泰寺高等学校、大阪芸術大学デザイン学科を中退後、髙島屋宣伝部に入り広告デザインを多数手がける。独立後、Apple Computerデザインコンサルタント、政府広報のシンボルマーク、関西国際空港株式会社のシンボルマークなどを手がける。また、ヒロココシノのブランディングのアートディレクションほか、多岐にわたり上質なデザイン・ブランディングを手がける。
高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 202… 高久 光雄(たかく みつお、1946年3月31日 - 2024年5月28日)は、日本の音楽ディレクター、音楽プロデューサー、経営者。血液型B型。 東京都大田区出身。祖父は実業家、父はマンドリン奏者の高久肇という家に育つ。明治学院大学経済学部卒業後、日本コロムビアに入社し、エイプリル・フールなどをプロデュース。1971年に、CBS・ソニーのEPIC班に移り、音楽ディレクターとして、ミッシェル・ポルナレフ、矢沢永吉、プロデューサーとして、南佳孝などを、次々にヒットさせる。その後、キティMME、ユニバーサル インターナショナル、ドリーミュージックなどの社長兼CEOを経て相談役。日本レコード協会監事。 2024年5月28日、夕暮れ前に78歳で永眠。
菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )… 菅原 正豊(すがわら まさとよ、1946年1月28日 - )は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター、実業家。 テレビ番組制作会社・ハウフルス代表取締役社長、フルハウス取締役。 東京都大田区出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾高校、慶應義塾大学法学部卒業。 大学時代、アルバイトで『11PM』(日本テレビ)のアシスタントディレクターを務める。卒業後は就職せず、放送作家として企画構成や知人の広告代理店を手伝っていたが、1973年5月にPR代理店フルハウスを関口晃弘、原伸次とともに設立した。1978年にはフルハウスの番組制作部門として「フルハウステレビプロデュース(フルハウスTVP、1991年にハウフルスに社名変更)」を分社設立し、菅原は社長業と並行してテレビディレクターとして活動した。
緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディ… 緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディレクター、プロデューサー、文筆家。 熊本県生まれ。中央大学卒、文化放送記者・ディレクター、プロデューサーを経て1999年より沖縄大学教授。早稲田大学講師など、東アジア共同体研究所理事。
岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオ… 岡崎 正通(おかざき まさみち、1946年 - )は、ラジオディレクター、プロデューサー。音楽評論家(ジャズを中心に評論)。本名、近衛 正通(このえ まさみち)。かつてニッポン放送に在籍していた。 東京都生まれ。公爵で元内閣総理大臣の近衛文麿の孫。親にトランジスタラジオを買ってもらった時がラジオや音楽との出会いであり、本人曰く「どこにでもいるようなポップス小僧」だったとのこと。特に当時洋楽に強かったラジオ関東(現、アール・エフ・ラジオ日本)を良く聴いていたという。高校生になった頃からジャズ喫茶に足繁く通って色々なジャズを聴いており、特に夢中になったミュージシャンとしてトリオ・ロス・パンチョス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーンを挙げている。
石坂 敬一(いしざか けいいち、1945年8月25日 - 2… 石坂 敬一(いしざか けいいち、1945年8月25日 - 2016年12月31日)は、日本の実業家・音楽ディレクター。東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)、日本ポリグラムやユニバーサルミュージックで数々の実績を残し、経営に尽力した。日本レコード協会顧問。2011年11月1日、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長兼CEOに就任。2014年4月より取締役名誉会長を務めていた。親族に石坂泰三、石坂禄朗、石坂信雄、石坂泰章、石坂信也、石坂公成、石坂照子らがいる。 祖父母双方の従兄弟に石坂泰三(第二代経済団体連合会会長)がいる。 東芝EMI(現ユニバーサルミュージック合同会社)在籍時には、『リブ・ヤング!』(フジテレビ)等のテレビ番組に自らプロモーターとして出演するなど、名物ディレクターとして名を知られ、洋楽制作部時代にはザ・ビートルズやピンク・フロイドを手がけた。
三枝 健起(さえぐさ けんき、1945年3月30日 - )は… 三枝 健起(さえぐさ けんき、1945年3月30日 - )は、日本のテレビドラマディレクター、映画監督。NHKエンタープライズエクゼクティブ・ディレクター。名古屋学芸大学メディア造形学部非常勤講師。 神奈川県出身。父は元NHK音楽部プロデューサーの三枝嘉雄(NHKのど自慢を参照)、兄は作曲家の三枝成彰。 1968年早稲田大学文学部演劇科卒業。1969年にNHKに入局、『新日本紀行』などドキュメンタリーや『ニュースセンター9時』を手がけ、1977年ドラマ部に転局。その後大阪放送局、東京番組制作局芸能番組センター・ドラマ部チーフディレクターを経て、現在はNHKエンタープライズエグゼクティブ・ディレクターとなる。
泉屋 政昭(いずみや まさあき、1945年 - )は、日本の… 泉屋 政昭(いずみや まさあき、1945年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、石川県金沢市出身。 1974,78,82,83年ADC賞 、ACC賞、ACCスポット大賞。TDC金賞、銀賞。クリオ賞。ABA賞。NYイラストレーターズクラブ金賞。パリ国際屋外広告グランプリ。NY ADC賞金賞、銀賞。朝日広告大賞、準朝日広告賞、同特別賞。毎日広告大賞。日経広告賞。読売広告大賞。フジサンケイ広告大賞。日本雑誌広告金賞。JRポスターグランプリ賞。産業広告大賞。日本工業広告大賞。カンヌCMフェスティバル銅賞。広告電通賞 。世界トリエンナーレトヤマ銀賞 他多数。 松下電器、ビクター、シチズン、スズキ、SONY、サントリー、日本石油、石油連 盟、資生堂、コマツ、リクルート、ザ・チョイス展、AIWA、京セラ、三菱重工、TOKYO CITY KEIBA、NISSAN、野村證券、PARCO、スバル、HONDA、エステー、ハウス、オリンパス、第一生命、WOWOW、レミーマルタン、MAZDA、LAOX、住友林業、MISAWA、リキテックス、東芝、松竹 他 1987年から1995年まで、泉屋をグループリーダーとして存在した博報堂制作室のグループ。
古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグ… 古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、日本を代表するブランディングディレクター。愛称「ロングセラーの古村」と呼ばれている。 1945年京都市嵯峨野に生まれる。1968年多摩美術大学卒。日本デザインセンター入社。 1978年シーソーアソシエイツを設立(2009年、ブランドニュー株式会社に改称)。 グラフィックデザイン この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
安藤 隆(あんどう たかし、1945年 - )は、日本のコピ… 安藤 隆(あんどう たかし、1945年 - )は、日本のコピーライター、クリエイティブ・ディレクター。大阪府出身。現・サン・アド常勤顧問。立教大学法学部卒業。 大阪府に生まれるも、間もなくして愛知県に移る。立教大学卒業後の1968年に広告代理店「三有社」に入社。その後しばらくして1973年に、現在まで勤務するサン・アドに入社。当時サン・アドの主要クライアントであったホンダが発売したシビックの「クリーン・エイジ1974」でTCC新人賞を受賞する。 その後は同社のメインクライアントのサントリーが発売する製品のコピーを手掛けてゆくと共に、1983年には同社から発売されたサントリー烏龍茶のコピー、「ウーロン茶はサントリー、のこと」で世間に知名度を浸透させると、その後現在に至るまでサントリー烏龍茶(同様に2006年にサントリーから発売された黒烏龍茶の広告コピーも担当している)の広告の企画・制作に携わる一方で、1991年から始まった村田製作所の新聞広告やCFコピーを担当するなど、今日に至るまで長い関係が続いている。
小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は… 小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は、日本のアナウンサー、報道記者、テレビディレクター。 大阪府出身、早稲田大学文学部卒業。 早稲田大学文学部卒業後、1967年4月にTBSにアナウンサー12期生として入社(同期アナウンサーには青木靖雄、石森勝之、河野通太郎、久米宏、林美雄、宮内鎮雄、米沢光規)。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。主にニュース・報道系を担当。 映画が好きで、ラジオ『朝のひととき』では日本映画を紹介。試写会にデンスケを持ち込んで音声をテープ録音したものを映画音楽・内容を紹介した。 その後、報道局ラジオニュース部に所属後、アナウンス職を離れディレクターに転身する。
早河 洋(はやかわ ひろし、1944年1月1日 ‐ )は、日… 早河 洋(はやかわ ひろし、1944年1月1日 ‐ )は、日本のディレクター、プロデューサー、実業家。株式会社テレビ朝日ホールディングス代表取締役会長、株式会社テレビ朝日取締役会長、一般社団法人日本民間放送連盟会長。東映株式会社社外取締役、朝日放送株式会社社外取締役、公益財団法人朝日新聞文化財団評議員、東映アニメーション株式会社社外取締役を歴任した。 山梨県笛吹市(旧・一宮町)出身。山梨県立日川高等学校を経て、中央大学法学部卒業。テレビ朝日の前身である株式会社日本教育テレビ(NETテレビ)に入社。「ANNニュース」を始めとして主に報道畑を歩む。1980年には轡田隆史、内田忠男、安藤優子をキャスターに起用した『BIG NEWS SHOW いま世界は』のディレクターを務め、1983年からは筑紫哲也の『TVスクープ』等も担当。
吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビ… 吉岡 攻(よしおか こう、1944年 - )は、日本のテレビディレクター、写真家、オルタスジャパン相談役兼ディレクター・プロデューサー。弟はノンフィクション作家・日本ペンクラブ前会長の吉岡忍。 長野県佐久市出身。1968年3月、東京写真大学卒業。フリーの写真家として1969年から1972年の復帰まで沖縄県に転居。コザ暴動など、沖縄が日本に復帰するまで激動の4年間を取材する、1971年11月10日に発生した沖縄ゼネスト警察官殺害事件では、現場に居合わせた吉岡は、火炎瓶の炎に包まれ倒れた機動隊員の姿を撮影、そのことを知った琉球警察(当時)は、証拠写真の押収を目的に「殺人及び公務執行妨害」という容疑で自宅に踏み込み、押収したため、沖縄だけではなく本土のマスコミや、メディアで活躍する人たち、日本社会党の国会議員や市民活動家らが『押収は報道の自由を侵すもの』として反対運動を展開。
渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - … 渡辺 忠孝(わたなべ ただたか、1943年12月18日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ディレクターである。実兄は作曲家、編曲家の筒美京平。 東京都港区生まれ。霊南坂教会付属の霊南坂幼稚園を経て、小学校から中学までは青山学院、高校は公立に通い、大学は東京農業大学の農芸化学科に進学した。大学を卒業後、1966年(昭和41年)に日本ビクターのフィリップス事業部に入社する。上司で音楽ディレクターの本城和治のアシスタントとしてザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ザ・カーナビーツ、ザ・リンド&リンダースといったグループサウンズに関わる。その後、単独でザ・ジャガーズを担当することになり1968年(昭和43年)にリリースされた5枚目のシングル「星空の二人」(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)をディレクション、1969年(昭和44年)にはブレッド&バターのデビューシングル「傷だらけの軽井沢」のディレクションをした。
安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2… 安田 匡裕(やすだ まさひろ、1943年11月14日 - 2009年3月8日)は、日本の映画やCMのプロデューサー・ディレクター。兵庫県香住町(現・香美町)出身。 明治大学卒業後に電通映画社に入社、ディレクターとして多くのテレビコマーシャルの企画・演出に携わる(レナウン「シンプルライフ」高倉健出演他)。 同社退社後、CFプロデューサー檀太郎と1984年に株式会社スケールを設立する。 1987年にテレビコマーシャルの制作を中心とする制作プロダクション、株式会社エンジンフイルムを設立する。 設立後、現役の演出家としてテレビコマーシャルの制作に関わる一方で、映画のプロデュースにも意欲を示し、親交のあった相米慎二監督の『東京上空いらっしゃいませ』で初の企画、プロデュースを果たす。
新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本の… 新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本のエディトリアルデザイナー、アートディレクター。 大阪市立工芸高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。多摩美術大学入学直後に装幀家の菊地信義と出会い、共同制作を繰り返したのち、たどり着いたのが本のデザインだった。卒業後は恩師の福田繁雄の紹介で、アド・センターに入社。グラフィックデザイナーで絵本作家の堀内誠一の助手となる。1970年、堀内誠一とともに雑誌「an・an」(平凡出版・現マガジンハウス)の創刊に参加し、170号まで携わる。1975年、「Made in U.S.A.1-2」(読売新聞社)、「POPEYE」(マガジンハウス)を1976年の創刊から80号まで手がける。
疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日… 疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日 - 2025年10月15日または10月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。プロデュース&ディレクション(P&D)代表取締役。 本名は漢字表記は同じで「ひきだ ひらく」と読む。宮崎県日向市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。フジテレビ、テレビ朝日でプロデューサーを務めた。 1968年、日本大学芸術学部放送学科卒業後、NHKに契約職員として入局。その後フジテレビへ中途入社。フジテレビ入社直後に始まった歌謡番組『夜のヒットスタジオ』(『夜ヒット』)に技術担当のADとして参加[要出典]。1973年からはディレクター[要出典]、1976年から1987年6月までプロデューサーとして約20年もの長きにわたって構成作家の塚田茂とともに番組製作の中枢を担い続けた。
吉村 斌(よしむら あきら、1941年7月13日[要出典] … 吉村 斌(よしむら あきら、1941年7月13日[要出典] - )は、日本の放送ディレクター。 愛媛県の放送局である南海放送に入社し、主に番組の演出、脚本を担当する。1978年には、創立25周年記念番組として、愛媛県ゆかりの俳人種田山頭火を題材にしたラジオドラマ「行乞の詩 どうしようもない私」(脚本:長坂秀佳、音楽:池辺晋一郎、6月4日に1時間枠で放送)のディレクターを務め、山頭火役に局のディレクター、脇役に一般市民を起用する機軸を取り入れ、日本民間放送連盟賞を受賞した。 1985年12月に放送された、自身が脚本、演出を務めたラジオドラマ『赤シャツの逆襲』は、1986年に文化庁芸術作品賞、放送文化基金賞を受賞した。
坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は… 坂田 信久(さかた のぶひさ、1941年2月20日 - )は、富山県出身の元テレビディレクター、サッカー選手、実業家。 日本テレビ放送網のスポーツ局次長、東京ヴェルディ1969(現・東京ヴェルディ)社長、国士舘大学大学院教授を歴任した。 富山県立富山中部高等学校時代はサッカー部に所属し、全国高等学校サッカー選手権大会に3年連続で出場した。1959年に入学した東京教育大学(現:筑波大学)でも蹴球部に入り1年生でレギュラーとなった。同期が今西和男、3学年上に上田亮三郎、1学年上に勝澤要、1学年下に松本光弘がいる。 当初は大学卒業後教師になるつもりであったが、1961年に当時サッカー日本代表の指導のため来日していたデットマール・クラマーの講演を聴き、その講演の中でクラマーが指導者の重要性と共に報道機関の重要性を説いたことでマスメディアへの興味がわいたという。