牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 20… 牧田 哲明(まきた てつあき、1935年10月4日 - 2022年11月23日)は、日本の版画家(木版画)。自動車画家としても知られる。戦前生まれの世代ながら自動車レースやクラシックカーを題材に独自の木版画作品を制作、国内外に名を知られた。 1935年10月4日、愛知県豊橋市に生まれる。 豊橋市立豊城中学校から愛知県立時習館高等学校へ進学し、高校では美術部に所属して写実画家の野田弘志らと活動した。 愛知大学を卒業後、大阪や東京の商社勤務を経て故郷の豊橋に戻り、地元のデザイン会社にデザイナーとして勤務。その後、創作活動に専念するため独立し、自動車画家・版画家としてのキャリアを開始。独立後は各地の展覧会で作品を発表するとともに、自動車イベントのポスター制作や企業からの依頼作品も手掛けた。
青沼 茜雲(あおぬま せいうん、1935年8月21日 - 2… 青沼 茜雲(あおぬま せいうん、1935年8月21日 - 2021年3月31日)は、福岡県出身の日本の洋画家。本名、青沼茂男。福岡教育大学卒業後、石橋美術館学芸員補を経て高校教員となる。サロン・ドートンヌ会員。ノーベル財団認定作家。
小本 章(こもと あきら、1935年8月14日[要出典] -… 小本 章(こもと あきら、1935年8月14日[要出典] - 2017年)は、日本の画家。本名は小本 昌彰(こもと まさあき)[要出典]。 野外での作品を中心に活動した。景観写真に屋内でのスケッチを組み合わせた作品を制作し、「美術の新しい表現方法の1つ」と評された。 東京府東京市大森区(現・東京都大田区)に生まれる。間もなく母の実家のある岐阜県武儀郡関町(現・関市)に移る。少年期より図画工作を好み、小学校高学年で水彩画コンクールに入賞。中学時代に油絵を学び、祖父所蔵のカメラで写真撮影も始める。[要出典] 1954年、岐阜大学学芸学部美術工芸学科(現・教育学部美術教育講座)に入学し坂井範一に師事。
白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )… 白岩 伸介(しろいわ しんすけ、1935年7月18日 - )は日本画家、教育者。本名は圭介(けいすけ) 。 福島県常葉町生まれ。東京藝術大学日本画科卒・専攻科修了。青郁会、鎌倉会所属。前田青邨、平山郁夫、須田珙中に師事。日本美術院院友。魚と人との関係のテーマの作品多数、その他ヨーロッパ風景画等。昭和49年、高松塚古墳復刻プロジェクトに携わる(白虎担当)農林水産省分室会議室、長官室、ウズベキスタン・日本人材開発センター等に飾られている。
森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月… 森村 道美(もりむら みちよし、1935年〈昭和10年〉6月25日 - 2012年〈平成24年〉10月29日)は、日本の都市計画家。都市研究者。東京大学、長岡技術科学大学教授を歴任。工学博士(1987年)。ケーススタディを駆使した都市計画の策定や研究で知られる。 群馬県伊勢崎市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1959年(昭和34年)東京大学工学部建築学科を卒業。1964年(昭和39年)同大学院博士課程単位取得退学。同助手となり、1971年(昭和46年)同助教授を経て1987年(昭和62年)教授に就任。 1987年(昭和62年)度日本都市計画学会学会賞受賞。1995年(平成7年)、東京大学大学院工学系研究科教授。
渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日… 渡辺 修渡舟(わたなべ おさむとしゅう、1935年6月25日 - 2007年3月2日)は、日本の画家、彫刻家。 武者小路実篤が「人間らしく生きる」「自己を生かす」ことができる社会を目指して提唱し、その同志が建設した理想郷「新しき村」で義務労働の傍ら、絵画や彫刻の制作に励む。村で毎日絵筆をとる生活をし、絵画教室も開いていた。渡辺登州(わたなべ としゅう)と名乗ることもあった。本名、渡辺修(わたなべ おさむ)。武者小路実篤や高田博厚に師事した。 鳥取県東伯郡中山村(現・西伯郡大山町)で生まれ、中学生の頃から絵を描きたいという思いを持ち、武者小路実篤の作品も熱心に読んでいた。将来は教員でもやりながら絵を描こうと思っていたが、高校教師だった兄の話を聞いて教師との両立に疑問を抱く。
交楽 龍弾(まずら りゅうだん、1935年〈昭和10年〉6月… 交楽 龍弾(まずら りゅうだん、1935年〈昭和10年〉6月5日 - 2007年〈平成19年〉12月27日)は、日本の画家、書家、歌手。東京府出身。越智松平家第12代当主。美作浜田会顧問、日本占い師連盟総裁、宮崎インターネット大学校名誉教授、NPO法人日本少子化対策協議会総裁、総合藝術文化財団最高顧問などの肩書きがあった。交楽 竜弾とも表記する。本名は松平 武龍(まつだいら ぶりゅう)。別名は松平 龍門(まつだいら りゅうもん)。 1935年(昭和10年)6月5日、画家松島正幸と松平鈴子(越智松平家第9代当主松平武修(たけなが)の長女)の長男として生まれる。生まれた時の姓名は松島正迪。関西学院大学文学部美学科卒業、関西学院大学大学院哲学科中退。
秋野 亥左牟(あきの いさむ、1935年4月7日 - 201… 秋野 亥左牟(あきの いさむ、1935年4月7日 - 2011年11月23日)は、日本の画家、絵本画家。沢宏靱と秋野不矩の次男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2… 中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2024年9月24日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。日展元理事長 (現在は顧問)。白日会会長。福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。 9歳で大分県に疎開。1950年に15歳で県展に入選。 中津西高校(現・大分県立中津南高等学校)卒業後上京して伊藤清永に入門。アルバイトのかたわら三輪孝主宰の阿佐ヶ谷洋画研究所に学ぶ。1965年の結婚以来は、良江夫人をモデルにした美人画を描き続けた。結婚を機に1966年に市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居。1970年に市川市国府台に画室を新築して転居。
水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1… 水谷 穎介(みずたに えいすけ、1935年2月14日 - 1993年2月4日)は東京都世田谷区出身の建築家、都市計画家。一級建築士、技術士(都市及び地方計画)などの資格の他、工学博士を晩年授与している。 座右の銘は村野藤吾の「時流にのるな、多数になるな、在野精神」。 代表的な都市計画として、六甲アイランド、ポートアイランド、シーサイドももちなどのウォーターフロント開発、八幡浜市総合計画や大谷幸夫との協働による麹町再開発計画(1961年)などがある。 福岡シーサイドももちでは、親友関係である宮脇檀をコーディネーターとして招き、当時では珍しい地元の建築家の参加によるまちづくり、住宅地開発を行っている。
入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本… 入江 観(いりえ かん、1935年2月14日 - )は、日本の洋画家。女子美術大学名誉教授/女子美術大学付属高等学校・中学校顧問、日本美術家連盟理事長/国際造形芸術連盟(IAA)日本委員会委員長、春陽会会員。 栃木県日光町(現・日光市)出身。日光町第一国民学校(現・日光市立日光小学校)で油絵の指導を受け、1953年に東京藝術大学美術学部芸術学科へ入学。藝大で加山四郎に師事しポール・セザンヌの影響を受ける。1956年に春陽会展に初入選。1957年に東京藝術大学を卒業し、中学校の美術教師を勤めながら春陽会展に出品。柳亮の主宰する「黎明会」に参画。 1962年にフランス政府給費留学生として渡仏。国立高等美術学校でモーリス・ブリアンション(フランス語版)に師事しセザンヌの研究を行う。
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2… 村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2024年10月20日)は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長及び会長。元代表取締役所長。そのほか、社団法人環境情報科学センター評議員。杉並区まちづくり博覧会会長。 神奈川県地震被害想定調査委員会委員長、地域安全学会会長、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の国土審議会特別委員、中央防災会議専門委員を歴任。 学位は工学博士。名古屋市生まれ。広島育ち。父は天文学者の村上忠敬(広島大学名誉教授)。
手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日… 手島 圭三郎(てじま けいざぶろう、1935年 - )は、日本の版画家、絵本作家。主な作品に『きたきつねのゆめ』『しまふくろうのみずうみ』『おおはくちょうのそら』がある。北海道紋別市出身。江別市在住。 父が鉄道員で転勤が多く、主にオホーツク海沿いの農漁村を転々として育った。1957年、北海道学芸大学(現・北海道教育大学)札幌校卒業。20年にわたって中学校教師を務めた後に木版画家として独立する。 1981年に日本版画協会展に出展したシマフクロウの版画が福武書店の編集者の目にとまり、絵本作家としてデビュー。シマフクロウ、キタキツネ、ヒグマなど北海道の動物を題材とした作品を発表し、藤村久和と組んでアイヌのユカラを絵本化したシリーズでも知られる。
悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画… 悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画家、浮世絵研究家(国際浮世絵学会会員)。浮世絵研究ではとりわけ、歌川国芳の研究において定評がある。 1935年、東京に生まれる。高校時代より細島昇一に就き絵を学ぶ。1953年、示現会及び日本水彩画会初入選(高校在学中)、以後毎年出品後、示現会退会。1958年、武蔵野美術学校洋画科卒。1960年、サエグサ画廊にて三人展。1961年、無土画廊にて初個展。1964年、国際青年美術家展入選。一陽会・光風会展等に入選。1970-74年、日本橋画廊にて二人展及び個展。1978年、悳俊彦画集出版(形象社)。1981年、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演、武蔵野風景を紹介。
大澤 喜一(おおさわ きいち、1935年 -)は、日本の画家… 大澤 喜一(おおさわ きいち、1935年 -)は、日本の画家。東京出身、神田生まれの新橋育ち。現在鎌倉在住。 斉藤三郎(勲四等瑞宝章)の元に師事し、角浩、大野五郎(デッサン)の元でも手ほどきを受ける。 単純化された構図と美しい色鮮やかな色彩美が特徴の画家 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤森 兼明(ふじもり かねあき、1935年 - )は、日本の… 藤森 兼明(ふじもり かねあき、1935年 - )は、日本の洋画家。富山県砺波市出身。 日展内閣総理大臣賞・芸術院賞受賞。日展顧問、光風会理事長、金沢美術工芸大学非常勤講師、日本芸術院会員。
佐藤 晨(さとう しん、1935年 - )は、昭和期の日本画… 佐藤 晨(さとう しん、1935年 - )は、昭和期の日本画家。東京都荒川区日暮里に生まれる。
伊牟田 經正(いむた つねまさ、1934年11月5日-201… 伊牟田 經正(いむた つねまさ、1934年11月5日-2018年5月18日)は、日本の洋画家。光風会名誉会員、日展会員。日展評議員、光風会理事を歴任。 鹿児島県喜入村中名(現・鹿児島市喜入中名町)生まれ。小学生の頃から図画が得意だった。鹿児島県立甲南高等学校では美術部に所属し油絵を描き始め2年生の頃に画家を志す。高校時代、南日本美術展に出品。また、彼が3年生の時に、同校文学部が機関誌『深海魚族』を創刊した際、頼まれて表紙絵を提供している。甲南高校卒業後に上京し、新橋の光風会美術研究所で学ぶ。デザイン会社、映画看板屋、ペンキ屋などを遍歴した後、レーシングカーのサインペインターをしながら絵画制作を続ける。
久保田 政子(くぼた まさこ、1934年(昭和9年)8月30… 久保田 政子(くぼた まさこ、1934年(昭和9年)8月30日 - )は、青森県八戸市鮫町出身の画家。主に馬を題材にした油絵を描いている。女子美術大学卒業。 馬を描く画家として知られており、日本中央競馬会・競馬博物館メモリアルホールに、顕彰馬のトウショウボーイ、メジロマックイーン、タイキシャトルなどを描く。軍馬として徴用された馬への鎮魂の思いも込め、これまでに8,000頭以上の馬の絵を描いている。1990年以降は、青森県南の各神社に大絵馬を奉納。2005年以降は、等身大の馬の絵を描くため、廃校となった小学校での制作も行っており、銀座フォルム画廊、銀座松屋、八戸市のさくら野百貨店、青森県立美術館、八戸市美術館、東京芸術劇場(2015年4月)など各地で個展を開催した。
奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、… 奥谷 博(おくたに ひろし、1934年8月12日 - )は、日本の洋画家。勲等は文化勲章。日本芸術院会員、文化功労者。 愛知県立芸術大学美術学部講師、愛知県立芸術大学美術学部助教授、東京芸術大学美術学部客員教授などを歴任した。 高知県出身の洋画家である。独立美術協会に所属し、神奈川県三浦郡葉山町に居住している。愛知県立芸術大学では講師を経て助教授を務め、東京芸術大学では客員教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。1996年には日本芸術院の会員に選出されている。2007年には文化功労者として顕彰された。2017年には文化勲章を受章した。 1934年高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)に生まれる 。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋… 山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋画家、日本藝術院会員。 東京生まれ。武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)卒。1957年「青い円」で二紀展初入選。1964年渡米、アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1997年二紀会理事長。2004年「少年のいる夏」で日本芸術院賞、同年芸術院会員。2010年から2020年まで日本美術家連盟理事長。2017年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。風景画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月1… 金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月15日)は、画家、イラストレーターである。
池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23… 池田 満寿夫(いけだ ますお、1934年〈昭和9年〉2月23日 - 1997年〈平成9年〉3月8日)は、日本の画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。しかし、多岐にわたる活動や多才さは、かえって“池田芸術”の高い知名度にふさわしい正当な評価を困難にしている。 旧満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に生まれ、戦後長野県長野市で育つ。長野市立柳町中学校、長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)定時制課程卒業。高校在学中に絵画が入選、画家を志し上京するが、東京芸術大学の受験に3度失敗し大学進学を断念。
笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出… 笠木 茂(かさぎ しげる、1934年2月 - )は、岐阜県出身の洋画家。ル・サロン会員、日本美術連盟会員。 岐阜県中津川市に生まれる。東京芸術大学卒業。特許庁を経て、東京芸術大学大学院修了。伊藤廉、中根寛、フランス国立高等装飾美校・デピェール教授に師事。安宅賞受賞。ル・サロン、サロン・ドートンヌなどに出品。資生堂ギャラリー、梅田画廊などで個展を開く。 地元の恵那山など、古里の中津川市を描いた作品を多く手掛ける。かつてはカラフルな、柔らかいタッチの油彩画や、シルクスクリーンを使用した花を描いたものが多かった。近年では油彩でありながら水彩画のような風合いのものを、海洋を主題として描くことが多い。 2012年、岐阜県各界功労者表彰(文化・芸術)を受けた。
馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日… 馬越 陽子(まこし ようこ、1934年(昭和9年)1月27日 - )は、日本の洋画家。本名は瀬谷陽子。現在の東京都港区青山出身。 独立美術協会会員、女流画家協会委員、多摩美術大学大学院客員教授、2014年より日本美術家連盟洋画部理事。 1934年(昭和9年)1月27日、東京府東京市赤坂区青山に生まれる。 1952年(昭和27年)東京都立三田高等学校卒業 1964年(昭和39年)東京芸術大学油画科卒業、同年独立美術協会の独立展へ初出品、初入選。1966年(昭和41年)東京芸術大学大学院を修了。翌1967年(昭和42年)、「夜明けをまつ人達」が女流画家協会展でH夫人賞を受賞。 1973年(昭和48年)、文化庁芸術家在外研修員のうち初の女性芸術家としてヨーロッパの10カ国およびアメリカ合衆国、旧ソビエト連邦など欧米各国200箇所以上の美術館で1974年(昭和49年)まで1年間に渡って研修を行った。
赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月… 赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月3日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の洋画家。 岡山県岡山市に生まれる。第2次大戦後、家が戦災で焼け出されたため各地移転。 岡山大学理学部物理学科を卒業後フランスに渡り、長らくパリに在住していた。油彩、水彩、リトグラフによるパリ、フランスの風景を描き続ける。ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。その他フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞受賞等。 また、岡山県の山陽放送に月に1回「パリ通信」、山陽新聞に「フランス日本・遠眼鏡」を寄稿している。 (以来フランスの各種具象美術団体展に出品)
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。
五木 玲子(いつき れいこ、1934年 - )は、日本の医師… 五木 玲子(いつき れいこ、1934年 - )は、日本の医師・版画家。旧姓は岡(おか)。石川県金沢市出身。 父は石川県選出の衆議院議員(のち金沢市長)岡良一。夫は小説家の五木寛之。 金沢大学附属高等学校、早稲田大学文学部、東邦大学医学部卒業。1965年結婚。
上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)… 上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)は、日本の画家。逆さ絵や錯視を利用した精密な作品が特徴とされる。 1934年、福岡県久留米市に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校を卒業後、1956年に上京。1957年、武蔵野美術学校に入学。1959年、同校在学中に第3回シェル美術賞を受賞する。1961年、丸善石油美術奨励賞選抜展出展。担当教授に卒業課題の卒業制作を有名作家のコピーと誤解されて卒業できず、同校を中退する[要出典]。1962年、第2回太平洋青年美術家展に入選[要出典]。1963年には第3回パリ青年ビエンナーレ展に日本代表として宮脇愛子、渡辺恂三、工藤哲巳らとともに出展。同年、現代日本美術展入選、二紀会同人努力賞受賞。
児浦 純大(こうら すみなが、1934年-)は、日本の洋画家… 児浦 純大(こうら すみなが、1934年-)は、日本の洋画家。鹿児島県を中心に活動。 鹿児島県鹿児島市出身。1950年に鹿児島県立甲南高等学校へ入学し、美術部に所属。同年秋に鹿児島県甲南高校美術部と鹿児島玉龍高等学校美術部で鹿児島県高校美術展を旗揚げし、2年後の第3回展で児浦は最高賞を受賞。1953年、鹿児島県甲南高校を卒業。美大進学を親に反対されて鹿児島大学農学部に進学し、農業化学を専攻。1957年に鹿児島大学を卒業し、一度は化学教師になったが、夢を捨てきれず28歳のときに決心して絵画へ転向。教壇に立ちながら武蔵野美術短期大学の公開講座(通信教育)を受けて美術教員の資格を得た。 鹿屋市立百引中学校、鹿児島県立串木野高等学校、鹿児島県立鹿児島南高等学校で美術教諭を務める。
中村 貞夫(なかむら さだお、1934年 - )は、風景画… 中村 貞夫(なかむら さだお、1934年 - )は、風景画の大作を描き続ける画家。富士の四季シリーズ、四大文明シリーズに取り組む。 『中村貞夫画集』 作成:共進社印刷株式会社
桜田久美(さくらだ ひさみ、1934年 - )は、日本の洋画… 桜田久美(さくらだ ひさみ、1934年 - )は、日本の洋画家。日展評議員、日洋会理事、日本美術家連盟会員。実父は洋画壇の巨匠・桜田精一である。 『千葉県美術家名鑑』に経歴記載あり。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を… 菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 1952年北海道札幌工業高等学校採鉱科卒業。同年、三菱鉱業芦別鉱業所に入社。1954年に同社を退職し、画家に転向。1955年に読売日本アンデパンダン展に出展や、東京・銀座養生堂画廊で個展を開催。 北海道振興代表取締役社長久末鉄男の助力を得て、1964年にスナックバー (飲食店)の「バー・サン」を経営。さらに、シャンソンバーやパブを手掛け、1966年ドリームフード株式会社を札幌に設立し、同社代表取締役社長に就任。1970年に居酒屋「いろはにほへと」を札幌にオープンさせ、全国にチェーン店方式を採用し、「いろはにほへと」のほか「春花秋灯」「常盤うどん」などの飲食店チェーンを札幌圏を中心に出店する一方、関東、関西、東北にも進出。
戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHI… 戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHIMA, 1934年 – 2006年7月20日)は、栃木県出身の画家。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。 1934年、栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)に生まれた。1939年に父親が肺結核で病死したため、親の故郷である秋田県北秋田郡坊沢村(現・北秋田市)に引っ越し、母子家庭(母、靖昌、弟、妹)で育った。実家は大地主の富農であり、代々坊沢村長を務める名家だった。なお、出生地が鷹巣町坊沢であるとされることもあるが、生涯にわたって戸嶋の作品を取り扱った清澄画廊は戸嶋の出生地を栃木県であるとしている。坊沢村立尋常小学校、坊沢村立小学校、秋田県立大館中学校(旧制中学/現・秋田県立大館鳳鳴高校)に進学し、大館中学校美術部では部長を務めた。
岡田 嘉夫(おかだ よしお、1934年 - 2021年1月3… 岡田 嘉夫(おかだ よしお、1934年 - 2021年1月31日)は、日本の画家、グラフィックデザイナー。 源氏物語などの古典作品を題材とした小説の挿画や、田辺聖子をはじめとする作家との共著により、現代的な絵草紙を数多く手がける。鮮やかな色彩、大胆な構図、官能的な描線を駆使することで独自の世界を構築し、現代の浮世絵師とも称されている。[誰によって?]近年[いつ?]においては、作家・橋本治とともに、歌舞伎を題材にした作品に取り組み、「歌舞伎絵」の創作に力を注ぐ一方、自ら古典落語のアレンジ及びプロデュースも手がける。ほか、一点物の派手なシャツ「エエマイシャツ」のデザインも手掛ける。 姉は新興キネマの女優・松浦妙子、又姪(まためい)は元宝塚歌劇団雪組の未涼亜希。
大嵩 禮造(おおたけ れいぞう、1934年-2003年1月7… 大嵩 禮造(おおたけ れいぞう、1934年-2003年1月7日)は、日本の洋画家。独立美術協会会員、鹿児島市立美術館館長、鹿児島大学名誉教授。同大教授のほか、鹿児島県美術協会会長、南日本美術展審査員を務め、地元の美術振興と後進の育成に貢献。 鹿児島県鹿児島市出身。1954年鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校では鮫島梓が指導する美術部に所属。高校2年生で南日本美術展に初入選。 1958年鹿児島大学教育学部美術科卒業。1959年の第14回南日本美術展で「花の碑」が県知事賞(最高賞)を受賞。初の鹿児島県海外美術派遣留学生となり翌年渡仏しパリ留学。審査委員長海老原喜之助の紹介状を持って藤田嗣治のもとを訪ね、時代の潮流でなやむ姿を目の当たりにして、巨匠がこうなのだから自分は自分なりの絵を描くしかないと感じる。
文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 20… 文田 哲雄(ふみた てつお、1933年12月31日 - 2022年12月12日)は、日本の洋画家。鹿児島県立短期大学名誉教授。鹿児島市立美術館第12代館長。二科会会員・参与だった。 奄美群島の徳之島にある鹿児島県大島郡天城町兼久生まれ。京都府立京都第二中学校(旧制)から鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制)に転校し、学制改革で鹿児島県甲南高等学校となった同校を1955年3月に卒業。在学中に結核を発症して療養のため休学したので、旧制鹿児島二中・新制鹿児島県甲南高校に通算で約9年間在籍し、本来は鹿児島県甲南高校3期生だったが6期生として卒業した。高校在学中は美術部に在籍し、南日本美術展に1953年奨励賞、1954年県教育委員会賞で連続受賞。
紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 20… 紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 2013年5月12日)は、日本の画家、元・アニメーター、アニメーション演出家。主体美術協会会員。1957年北海道美術協会主催第32回道展知事賞。東映動画のアニメーター、虫プロダクションの初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の原画担当者・演出家としても知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
那波多目 功一(なばため こういち、1933年〈昭和8年〉1… 那波多目 功一(なばため こういち、1933年〈昭和8年〉11月8日 - 2026年〈令和8年〉7月1日)は、茨城県出身の日本画家。 日本芸術院会員、日本美術院代表理事・同人・評議員。父は日本画家那波多目煌星。歌人花香煌星は弟。松尾敏男に師事。写生に基づく繊細で優雅な画風が特徴で、四季の花をモチーフにした作品が多い。現存作家の中でも花の名手として知られ、その中でも赤い薔薇が代表的。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 19… 石井 茂雄(いしい しげお、1933年10月19日 - 1962年2月8日)は、日本の画家。東京都文京区出身。オノ・ヨーコは従姉。 1950年に文化学院を卒業。 第28回日本版画協会展(東京都美術館)にて「タレントたちA、B」が協会賞を受賞。会友となった。 主な作品に「暴力シリーズ」、「戒厳状態シリーズ」などがある。 持病の喘息が悪化し、1962年に28歳で夭折した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - … 與那覇 朝大(よなは ちょうたい、1933年10月8日 - 2008年7月2日)は、沖縄県石垣市出身の画家、陶芸家。沖縄を代表する画家の1人であった。陶芸家の与那覇朝一は実弟、美術家の与那覇大智は息子。2002年に結婚した妻は歌手のGWINKO。 沖縄県石垣市に生まれる。19歳の時に画家となり、コザ市(現沖縄市)でアメリカ兵相手に肖像画を描いた。 1971年の新美術協会展で新人賞を受賞、1977年に沖縄県産業デザインコンクールで会長賞、1986年第33回新美術協会展で光琳賞、日本美術選賞を受賞した。1992年、新美術協会展で桃山芸術大賞、1998年、アート・オブ・ジ・イヤーのグランプリを受賞した。
依田 和夫(よだ かずお、1933年(昭和8年)9月24日-… 依田 和夫(よだ かずお、1933年(昭和8年)9月24日-2001年(平成13年)6月27日)は、日本の都市計画家。建設省などでプロジェクト指向の行政プランナーとして知られる。また慶応義塾大学教授として後進の育成にもあたる。日本都市計画学会名誉会員。学会会長、公益財団法人区画整理促進機構理事長も歴任。神奈川県鎌倉町生まれ。 1952(昭和27)年3月神奈川県立湘南高等学校を卒業。同期生には石原慎太郎がおり、都知事時代、自身が亡くなる2カ月前に東京の震災復興計画が依頼されている。 大学の同級生で慶應時代は同僚であった伊藤滋は依田について「スマートな東京っ子の雰囲気にあふれていた。そして人を包みこむ品の良さを持っていた。
中路 融人(なかじ ゆうじん、1933年〈昭和8年〉9月20… 中路 融人(なかじ ゆうじん、1933年〈昭和8年〉9月20日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本画家。日展常務理事、日本藝術院会員、晨鳥社会長。 1996年4月に開館した近江商人博物館(東近江市五個荘竜田町583)では、2016年4月に中路融人の作品が多数寄贈されたことで中路融人記念館を加えている。
寺坂 公雄(てらさか ただお、1933年9月6日 - )は、… 寺坂 公雄(てらさか ただお、1933年9月6日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員。 広島県広島市出身。旧制松山中学、愛媛大学教育学部美術科を卒業。 戦後に母の郷里松山市に転居する。大学在学中に、愛媛県展の洋画部門・日本画部門で知事賞を受賞。 1954年、「画室の隅」が光風会展初入選。同年「室内」が日展初入選。 大学卒業後、上京し中学校美術教員として勤務しながら日展・光風会展を主たる舞台に活躍。 1975年より山梨県北杜市にアトリエを構えている。 1988年から1999年まで山梨大学教授。 2001年、「デルフォイへの道」で日展文部科学大臣賞。光風会常務理事。 2005年、「アクロポリスへの道」で日本芸術院賞。
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2… 島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学元学長。兄は歌人の島田修二。 神奈川県横須賀市生まれ。父の英之は長野県の出身で、京都高等工芸学校図案科を卒業後、浦賀船渠の客船インテリアデザイナーを経て横須賀市議会議員、同市議会副議長を歴任、1970年には横須賀市の市政功労者に選ばれている。また、京都滞在中は黒田重太郎にデッサンを学んだという。母の敏子は斎藤茂吉に師事し、「上泉鶴」の名で『アララギ』に投稿していた。 ヨーロッパ留学中にピカソやブラックらキュビズム画家の作品に触れ、「キュビズムを日本人の言葉で翻訳」することを自らの課題として見出した。
戸沼 幸市(とぬま こういち、1933年4月19日 - )は… 戸沼 幸市(とぬま こういち、1933年4月19日 - )は、日本の都市計画家。建築家。工学博士。早稲田大学名誉教授。 日本都市計画学会会長、早稲田大学専門学校校長、早稲田大学芸術学校初代校長、新宿区都市計画審議会会長、 及び第一生命財団理事等を歴任。2016年瑞宝中綬章受章。 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町生まれ、北海道函館市育ち。1970年から東京都の景観をつくる都民会議に参画。1979年から1985年まで、国土庁首都改造計画委員会委員、1990年から1992年まで首都機能移転に関する懇談会委員。 1959年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同大学大学院に進学する。1966年、博士課程修了。学位を取得し、建築学科都市計画コース講師に任用される。
上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12… 上村 淳之(うえむら あつし、1933年〈昭和8年〉4月12日 - 2024年〈令和6年〉11月1日)は、日本の日本画家。特に花鳥画を能くした。本名は上村 淳(読み同じ)。位階は従三位。画業で日本芸術院会員に選ばれ、文化勲章を受章したほか、大学で美術教育にも努め、京都市立芸術大学教授(のちに名誉教授)、京都市立美術大学教授・副学長を務めた。愛鳥家であり、作画の参考を兼ねて自宅で数百種類の鳥を飼っていた。日本鳥類保護連盟奈良研究所所長。 美人画の巨匠である上村松園(しょうえん)を祖母に、花鳥画の名手上村松篁(しょうこう)を父とする画家の家系で京都市に生まれ、自らは晩年にかけて奈良市に暮らした。 京都市に生まれ、京都小学校特別科学学級での同級に伊丹十三がいた。
村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 20… 村上 善男(むらかみ よしお、1933年3月14日 - 2006年5月4日)は、日本の画家・現代美術家。岩手県盛岡市出身。岩手大学学芸学部卒業。弘前大学名誉教授。 岡本太郎に師事。1953年に二科展に初入選。1960年、第4回シェル美術賞展で佳作。東北を拠点に前衛美術家として活動した。また、詩人としての執筆活動もある。 2006年5月4日に心不全で死去。享年73。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
頭川 政始(ずかわ まさし、1933年(昭和8年) – 19… 頭川 政始(ずかわ まさし、1933年(昭和8年) – 1993年(平成5年))は、昭和時代から平成時代にかけての洋画家、漆芸家。富山5人展の一人、通称「闇の作家」。 富山県高岡市に生まれる。漆芸家の山崎立山に師事。1957年第13回日展に「初秋」(工芸)で初入選。金沢美術工芸大学工業デザイン科卒業後、1962年漆芸から画家に転身する。1969年から1988年まで「5人展」に出品。1989年に筋萎縮性側索硬化症を発症し、1993年に逝去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。