山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美… 山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美術監督、デザイナー。
職業がデザイナー:1,089人
山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美… 山口 修(やまぐち しゅう、1946年 - )は日本の映画美術監督、デザイナー。
佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグ… 佐々木 多利爾(ささき たりじ、1946年 -)は、日本のグラフィックデザイナー。宮城県大崎市出身。『月刊コロコロコミック』の表紙装丁の2代目デザイナーとして知られる(初代は有賀一宇)。 小学館とのかかわりが長く、『コロコロコミック』の表紙装丁を1986年1月号(No.93)から担当。2020年11月18日には、同一の児童向け雑誌の表紙を最も長く担当したデザイナーとしてギネス世界記録に認定され、認定証を授与された(同年7月15日までの34年213日が「同一雑誌の表紙をデザインした最長期間」とされている)。 以前は『幼稚園』のデザインにも携わっており、『コロコロコミック』の創刊準備室が『幼稚園』編集部の隣にあったことから、『コロコロコミック』との縁が生まれたという。
杉本 貴志(すぎもと たかし、1945年(昭和20年)3月3… 杉本 貴志(すぎもと たかし、1945年(昭和20年)3月31日 - 2018年(平成30年)4月5日)は、日本のインテリアデザイナー。デザイン事務所である株式会社スーパーポテト創業者。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科名誉教授。日本商環境デザイン協会名誉会員。 1945年3月31日に東京都中野で生まれる。 1968年に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業する。 1973年に株式会社スーパーポテトを設立し、代表取締役となる。1986年には株式会社春秋を設立して、こちらでも代表取締役に就任した。 1992年に武蔵野美術大学空間演出デザイン学科教授に就任した(2010年退任)。2012年に名誉教授となる。
植木 莞爾(うえき かんじ、1945年 - 2026年)は、… 植木 莞爾(うえき かんじ、1945年 - 2026年)は、日本のインテリアデザイナー。日本人で初めてニューヨーク近代美術館のインテリアデザインを手がけた。また、スティーブ・ジョブスがApple Store1号店(アメリカ合衆国)をデザインするに当たって、最終段階で関わったことで知られる。 1945年、東京都で生まれる。 1968年に慶應義塾大学を卒業後、イタリアへ渡り、1969年にはミラノのリナシェンテデパート本店デザイン室、アルド・ヤコベル建築設計事務所に勤務する。 1975年にイタリアから日本に戻り、カザッポアンドアソシエイツ(Casappo&Associates)を設立する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグ… 古村理(ふるむら おさむ、1945年 - )は京都市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、日本を代表するブランディングディレクター。愛称「ロングセラーの古村」と呼ばれている。 1945年京都市嵯峨野に生まれる。1968年多摩美術大学卒。日本デザインセンター入社。 1978年シーソーアソシエイツを設立(2009年、ブランドニュー株式会社に改称)。 グラフィックデザイン この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
野井 成正(のい しげまさ、1944年11月17日 - 20… 野井 成正(のい しげまさ、1944年11月17日 - 2022年8月17日)は日本のインテリアデザイナー。インテルナ・カガヤ、インテリアデザインオフィス・ノブ、ジーベックを経て1982年に個人アトリエ設立。以後、関西圏を中心に主に飲食、物販店舗など商業空間のインテリアデザインを手がける。 1944年11月17日に疎開先の大阪府東大阪市で生まれる。1960年に大阪府立西野田工業高校(現・大阪府立西野田工科高等学校)デザイン課に入学。1963年頃から中之島 (大阪府)のグタイピナコテカに通い、向井修二の制作などを手伝いながら具体美術の活動に触れる。1965年に展示会、ウィンドウディスプレイの制作を手がけはじめ、1967年からはインテルナ・カガヤで店舗のインテリアデザインやディスプレイデザインに携わる。
園 勲夫(その いさお、1944年10月 - )は日本のカー… 園 勲夫(その いさお、1944年10月 - )は日本のカーデザイナー、グラフィックデザイナーである。 1944年に京都府京都市に生まれる。 幼い頃から絵が好きで一時期画家を志したが、京都府立洛東高等学校時代に父親からの助言により大学進学を前に進路を変え、日本大学芸術学部へ進学し、工業デザインを学ぶ。 大学卒業後の1969年に日産自動車へ入社。入社後はカーデザイナーとして多くの車種のエクステリアデザインを手がける。 1996年に日産を退職する。その後は学生時代から趣味として続けてきた水彩画に専念し絵画塾などで指導も行っている。
河村 要助(かわむら ようすけ、1944年4月28日 - 2… 河村 要助(かわむら ようすけ、1944年4月28日 - 2019年6月4日)は、日本のグラフィックデザイナー、イラストレーター、音楽評論家。 東京芸術大学美術学部ビジュアルデザイン専攻卒業。グラフィックデザイナーとして西武百貨店やパルコなどの広告を制作。1970年には、矢吹申彦、湯村輝彦と「100%スタジオ」を結成(1974年まで)。1974年、湯村輝彦、原田治、佐藤憲吉、大西重成と「ホームラン」というイラストレーター・チームを結成。ニュース・ペーパー『ホームラン』を創刊する。しかし数か月でこのチームは分解する。 1971年よりフリーランスのイラストレーターとなり、『話の特集』『MUSIC MAGAZINE』(旧『NEW MUSIC MAGAZINE』)などの表紙や挿絵を担当。
矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 202… 矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 2022年10月28日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、装丁家、随筆家。俳号は矢吹猿人(さるんど)。 東京都世田谷区出身。東京都立駒場高等学校卒業。1965年に桑沢デザイン研究所へ入学、1967年に同研究所抹籍。同年から、フリーのグラフィックデザイナー、イラストレーターに。専門学校時代から音楽雑誌のイラストなどを手がける。和田誠のアシスタントをしながら、雑誌『話の特集』のスタッフもつとめていた。 1969〜76年月刊『ニューミュージック・マガジン』のADと表紙絵を担当。1981〜1990年月刊『潮』、1983年〜季刊『教育と施設』、1992〜1995年月刊『東京人』各誌の表紙絵担当。
西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )… 西角 友宏(にしかど ともひろ、1944年3月31日 - )は、日本のゲームデザイナー・ゲームクリエイター。株式会社タイトー アミューズメント開発部アドバイザー。株式会社ドリームス創業者・元会長。ゲーム保存協会名誉会員。 『スペースインベーダー』の生みの親として知られる。 大阪府岸和田市出身。東京電機大学工学部電気通信工学科卒業後、音響メーカーに就職。後に1969年にタイトーの子会社であるパシフィック工業に入社、吸収によりタイトーに移籍となっている。 元々、エレメカのエンジニアを務めていたが、『ポン』やCPUの存在を知った時「これからはゲームの度に部品を全て作り直すのでなく、集積回路のデータを書き換えるだけで、ゲームバランスの調整や新ゲームの作成が楽になる」というメリットを見抜いており、日本のアーケードビデオゲーム黎明期において、後述する傑作を何作も手がけた。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山本 寛斎(やまもと かんさい、1944年2月8日 - 20… 山本 寛斎(やまもと かんさい、1944年2月8日 - 2020年7月21日)は、日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサー。 寛斎スーパースタジオ会長。別名表記はやまもと 寛斎。神奈川県横浜市出生、岐阜県岐阜市出身。本名は山本 寛斎(やまもと のぶよし)。 岐阜県立岐阜工業高等学校卒業、日本大学文理学部英文科中退。 1971年に日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催したことでも知られる。このロンドンのショーがデビューとなり、1974年にパリコレクション、1979年にはニューヨークコレクションに参加。フランス・パリ、イタリア・ミラノ、米国・ニューヨーク、スペイン・マドリードなど世界各地の主要都市に「ブティック寛斎」を出店しファッションデザイナーとしての地位を確立した。
野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 … 野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉1月2日、本名:野口 勝)は日本の漫画家、デザイナー、イラストレーター。別名:野口まさる、久留米東、野口太陽。福岡県久留米市東町出身。 学生時代から絵を描いており、県展に入賞するなどしていた。美術大学を志望していた時期もあったが金銭面から断念し、高校卒業後に上京。 石森章太郎の漫画『世界まんがる記』を読んで漫画家を志す。石森を訪ね弟子入りを志願し断られるが、代わりに紹介されたスタジオ・ゼロに入社し、漫画『オバケのQ太郎』の背景を担当した。その後、多忙となった石森の専属アシスタントとなり、『おかしなおかしなおかしなあの子』や『サイボーグ009』に参加。
児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カ… 児玉 英雄(こだま ひでお、1944年 - ) は、日本人カーデザイナー。ゼネラルモーターズ(以降、GM)傘下のオペルでデザイナーとして約40年在籍していた経歴を持つ日本以外の自動車メーカーで活動する日本人カーデザイナーの草分け的存在でもある。2012年現在、ドイツ在住。 車と触れ合うきっかけは中学生の頃、父親の仕事の送り迎えで使われていたシトロエンの11CVを見たことであり、この頃からカーデザイナーになりたいという願望を持つようになる。 オペル入社のきっかけは多摩美術大学在籍中にGMに直筆の手紙を送ったことであり、児玉は描きためていたデッサンをGMに送ったところ、あっさりと内定の返事をもらった。
碇 穹一(いかり きゅういち、1944年 - 2016年11… 碇 穹一(いかり きゅういち、1944年 - 2016年11月20日)は、日本のカーデザイナー。富士重工業(現・SUBARU)のデザイナーとして、スバル・アルシオーネのデザインを手がけた人物として知られる。 1944年(昭和19年)、千葉県に生まれる。幼少期を八日市場(現・匝瑳市)で過ごし、旭市で映画館を経営していた叔父の影響で自動車に関心を持つ。中学生のとき自動車の設計士を志し、千葉県立匝瑳高等学校を卒業後、御茶の水美術学院での浪人生活を経て、スバル・360のデザイナー・佐々木達三が教鞭を振るっていた武蔵野美術大学に進学した。大学では造形学部工芸工業デザイン学科を専攻し、1969年(昭和44年)に卒業。
山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は… 山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、日本のファッションデザイナー。ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 長女の山本里美(英: Limi Feu )(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。ヨウジヤマモトグループである。 歌舞伎町で百貨店に総菜を卸す会社を経営する父・山本文雄と、その経理や事務作業を手伝っていた母・山本冨美の長男として東京都新宿区に生まれた。父がルソン島で戦死した後、母は歌舞伎町でオーダーメイドの洋装店(フミ洋装店)を営んでいた(母も文化服装学院出身)。 歌舞伎町の風紀の悪さを密かに心配していた茨城県水戸市に住む叔母(母の妹)の勧めで、新宿区立大久保小学校から暁星小学校に編入(小6)。
井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は… 井口 昭彦(いぐち あきひこ、1943年6月29日 - )は日本のデザイナー、美術監督。特殊美術GAM主宰。かつて、本名の高橋昭彦名義で活動していた時期もあった。また亜㐂比古というサインも用いている。 長男は映画カメラマンの高橋創。長女はCGデザイナーの高橋玲香。 長野県松本市出身。長野県松本深志高等学校卒業後、武蔵野美術大学で美術を学ぶ。同時期の在校生には、のちに円谷プロ作品などで仕事を共にする池谷仙克がいた。舞台美術の世界を志していたが、大学在学中にTBSテレビの美術スタッフを経て、円谷プロで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの特撮美術スタッフに加わる。『マイティジャック』よりデザイナーを務める。
新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本の… 新谷 雅弘(しんたに まさひろ、1943年 - )は、日本のエディトリアルデザイナー、アートディレクター。 大阪市立工芸高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。多摩美術大学入学直後に装幀家の菊地信義と出会い、共同制作を繰り返したのち、たどり着いたのが本のデザインだった。卒業後は恩師の福田繁雄の紹介で、アド・センターに入社。グラフィックデザイナーで絵本作家の堀内誠一の助手となる。1970年、堀内誠一とともに雑誌「an・an」(平凡出版・現マガジンハウス)の創刊に参加し、170号まで携わる。1975年、「Made in U.S.A.1-2」(読売新聞社)、「POPEYE」(マガジンハウス)を1976年の創刊から80号まで手がける。
竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本の… 竹内 大三(たけうち だいぞう、1943年 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。長野県塩尻町(現・塩尻市)出身。 テレビ番組『笑点』のオープニング・アニメーションやイラストを手掛けていることで知られる。 小学生の頃より、通信教育で大人向け漫画を学び描いていた。その一方で、落語にも傾倒していたという。 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。卒業と同時に上京し絵本出版社に就職したのち、美術大学の通信学生にもなる。 1963年、20歳の時に東映動画へ入社。同期には宮崎駿がいる。 東映動画退社後は放送動画制作を経て、フリーで活動。アニメのほか、絵本や漫画、似顔絵など様々な仕事をこなす。
安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月3… 安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月30日)は福井県出身のブックデザイナー、編集者、著述家。 「木の聲舎」代表。武蔵野美術大学機関誌「武蔵野美術」の元編集主幹兼アートディレクター。元武蔵野美術大学講師。 「あらちふみと」「森 魚名」名義での著書・寄稿も存在する。 東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
山田 満郎(やまだ みつろう、1943年(昭和18年) - … 山田 満郎(やまだ みつろう、1943年(昭和18年) - 2016年(平成28年)6月5日)は、美術セットデザイナー。東京都生まれ。武蔵野美術大学芸能デザイン科卒業。 バラエティ番組のセットデザインを数多く担当。特に『8時だョ!全員集合』では1969年10月の第1回放送から第765回放送までほぼ全てのセットデザインを担当した。 1967年、TBSに入社。 1969年10月より放送が始まった『8時だョ!全員集合』にセットデザイナーとして参加。以後、全てのセットデザインを一手に引き受ける。(~第765回放送まで) 1980年、『全員集合』のセットデザインが評価され、バラエティ番組史上初の伊藤熹朔賞を受賞する。
塚本 哲(つかもと さとし、1942年11月21日 - )は… 塚本 哲(つかもと さとし、1942年11月21日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。熊本県人吉市出身、日本デザインスクール卒。 1972年 - 1999年、広告代理店(株)マッキャンエリクソン博報堂(現マッキャンエリクソン)勤務、アソシエイトクリェイティブディレクター務める。時代とともに広告のあり方も変化し、日本コカ・コーラ社などのテレビ広告や銀座の三愛ドリームセンタービル広告など様々な企業広告から、国土交通省/農林水産省や国連難民高等弁務官事務所などの公共性の高い広告・広報活動に幅広く参加・参画してきている。
湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は… 湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は、イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、スウィート・ソウルなどのR&Bや、Gラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のベテランである。東京都新宿区角筈(現在の西新宿)生まれ。ペンネームはTerry Johnson(テリー・ジョンスン)、ゴンゾ。また、かつては、「FLAMINGO TERRY」、「FRAMINA TERRENO GONZO」、「TERRINO FLAMINI' GONZAREZ」、「紅鶴照万太」などのペンネームも用いていた。愛称は「キング・テリー」(略して、「キンテリ」とも)。
川久保 玲(かわくぼ れい、1942年10月11日 - )は… 川久保 玲(かわくぼ れい、1942年10月11日 - )は、日本のファッションデザイナー、実業家。ファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」創始者で、株式会社コムデギャルソン設立から現在まで代表取締役社長を務めるオーナーデザイナー。 東京にて出生。父親は慶應義塾大学の理事、母親は英語教師(のち離婚)。幼稚舎から慶應義塾で学ぶ。慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻を卒業後、株式会社旭化成宣伝部に入社。3年で退職し、フリーランスのスタイリストとなる。 1969年にファッションブランド「コムデギャルソン」(Comme des Garçons、仏:少年のように)を立ち上げ、高級既製服(プレタポルテ、婦人服)の製造・販売を開始。
横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2… 横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2024年4月4日)は、日本の経営コンサルタント、社会システムデザイナー。県立広島大学大学院経営管理研究科研究科長。オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)企画・推進責任者。広島県出身。 広島大学附属高等学校を経て東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。 前川國男建築設計事務所、デイビス・ブロディアンドアソシエーツを経て、1975年(昭和50年)マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、1987年(昭和62年)同社ディレクター、1989年(平成元年)同社東京支社長を歴任し、2002年(平成14年)6月同社退職。
原田 昭 (はらだ あきら、1942年3月11日 - )は、… 原田 昭 (はらだ あきら、1942年3月11日 - )は、日本のインダストリアルデザイナー、建築学者。博士(デザイン学)。筑波大学名誉教授。札幌市立大学元学長。専門は感性工学。教育工学。大阪府出身。 1964年 東京教育大学教育学部芸術学科卒業。1964年 GKインダストリアルデザイン研究所に入社。同社計画部部長を経て、1978年 筑波大学芸術学系講師。1985年 同芸術学系助教授。1993年 同芸術学系教授。1996年筑波大学にて「概念設計の実践的方法と評価に関する研究」で博士号取得。1997年 同芸術専門学群副学群長。1999年 同大学院博士課程芸術学研究科長。2001年 同大学院博士課程人間総合科学研究科感性認知脳科学専攻長。
清水 忠男(しみず ただお、1942年 - )は、千葉県千葉… 清水 忠男(しみず ただお、1942年 - )は、千葉県千葉市出身のデザイナー。アメリカの事務所や大学で勤務後、千葉大学工学部助教授に就任し、デザインスタジオTADを設立。2014年から金沢美術工芸大学の大学院専任教授を務める。千葉大学名誉教授。インテリアデザイン、環境デザインを専門にしている。 ほか国内外での受賞多数。 ほか著書・論文多数。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
舟橋 全二(ふなばし ぜんじ、1942年- 2023年12月… 舟橋 全二(ふなばし ぜんじ、1942年- 2023年12月19日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー。イラストレーターのささめやゆきとは従兄弟関係。 1942年神奈川県生まれ。65年、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。70年からカナダ、アメリカに移住。80年に帰国、以後フリー。TIS会員。 1968年、日宣美出品作品「チャップリン」にて特選受賞。この作品は、つや消し銀紙にシルクスクリーンで刷ったものであった。その後大塚清六の事務所でアシスタントをする。1970年にカナダへ。「デザイナーとしてやって行く前に、できたら2〜3年外国で暮らしてみたい」という単純な同期であった。カナダでデザイナーとして計7年過ごした後、映画監督のジョン・コーティーからアニメーションの仕事を誘われ、カリフォルニアに移る。
加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日… 加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日本の実業家、エンジン技術者、レーシングカーデザイナーである。 株式会社サードの会長兼社長、株式会社シグマオートモーティブ会長、株式会社シグマ商事会長。父はトヨタ自動車販売社長加藤誠之。 1941年12月千葉県市川市に生まれる。 1965年日本大学理工学部工業経営学科(現・生産工学部)を卒業し、この当時父誠之()がトヨタ自動車販売で副社長であり「トヨタでもレースをやるようだから、そっちへ行ったらどうか」と入社を勧め、1965年4月トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社し試作課(後に車両試験課に改名)配属となった。トヨタ社員時代の研修で、キャロル・シェルビーの元でレースシリーズに同行しエンジニアリングとレースチーム運営のノウハウを学ぶ。
仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日… 仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日本の建築家(東京工業大学工学博士)、環境デザイナー。株式会社環境デザイン研究所会長(創設者)。 東京工業大学名誉教授。専門は、建築学・環境デザイン。1982年(昭和57年)に「こどものあそび環境の構造に関する研究」で東京工業大学より工学博士号を取得。 神奈川県横浜市出身。東京工業大学建築学科卒業後、1964年菊竹清訓建築設計事務所へ入所。1968年環境デザイン研究所を創設し代表に就任。琉球大学工学部建築学科教授(1984年 - 1987年)、名古屋工業大学社会開発工学科教授(1988年 - 1992年)、東京工業大学工学部建築学科教授(1992年 - 2005年)、日本建築学会会長(2001年 - 2003年)、放送大学教養学部教授(2007年 - 2012年)。
島田 順子(しまだじゅんこ、Junko Shimada、19… 島田 順子(しまだじゅんこ、Junko Shimada、1941年7月7日 - )は日本のファッションデザイナー、パリ在住。
石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )… 石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )は、日本のテキスタイルデザイナー。マリメッコ社(フィンランド)のテキスタイルデザイナーとして活躍。
高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月… 高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉11月8日)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督、キャラクターデザイナー。宮城県石巻市出身。 1959年3月に宮城県石巻高等学校卒業後、石巻市役所に就職。美術を学ぶため、日本デザインスクールに入学するも1963年に同校を中退。第一広告(現・I&S BBDO)、文珠デザインスタジオの商業デザイナーを経て、草月アニメフェスティバルでアニメに興味を持ち、1966年8月に新聞の社員募集広告に応募して竜の子プロダクション(タツノコプロ)へ入社。 同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
竹原 あき子(たけはら あきこ、1940年11月1日- )は… 竹原 あき子(たけはら あきこ、1940年11月1日- )は、日本の工業デザイナー、和光大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。1964年千葉大学工学部工業意匠学科卒、キヤノンカメラ株式会社デザイン課勤務。1968年フランス政府給費留学生として渡仏。1968年フランス国立高等工芸大学。1970年パリ環境研究院。1972年フランス高等インスチチュート。1975年和光大学芸術学科助教授。1984年教授、2011年定年、名誉教授。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長… 原田泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - )は、長野県諏訪市出身の画家・グラフィックデザイナー。シンガーソングライターのさだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。
松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日… 松永 真(まつなが しん、1940年4月13日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)理事。東京藝術大学客員教授。日本デザインコミッティー理事。 東京市芝区高輪生まれ。父は書家。第二次世界大戦中の5歳から福岡県筑豊地域、15歳からを京都で過ごす。 1964年、東京藝術大学美術学部デザイン科卒。資生堂の宣伝部に7年在籍した後、1971年松永真デザイン事務所設立。 1997年『松永真のデザイン展』(セゾン美術館)開催。 各企業のCI計画やポスターなど、携わった作品多数。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年… 齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年8月)は日本とアメリカで活躍した日本人カーデザイナー、工業デザイナー。スポーツ・クーペのフォード・プローブのデザインにチーフ・デザイナーとして携わるなど、海外で活躍する日本人デザイナーの草分け的存在として知られる。曾祖父は、幕末の土佐藩家老で、明治政府で刑部大輔、参議、元老院議官を務めた斎藤利行、娘婿は、国際政治学者で日本大学准教授の井手康仁である。墓所は青山霊園にある。 1940年、東京府東京市(現東京都)牛込区生まれ。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1962年、慶應義塾大学工学部(現理工学部)機械工学科卒業。 1965年、渡米してカリフォルニア州のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学。
大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。… 大木 紀元(おおき きげん、1940年 - )はデザイナー。創造学園大学教授。群馬県出身。群馬県立高崎高等学校、武蔵野美術大学卒業。 大学在学中にダッコちゃんを手がけ、卒業後に大紀デザインを設立。 日本で初めて週刊誌にピンナップフォトページを導入した。また、電車の中吊りポスターを立体でデザインした。 FM・OZE解説員をつとめる。
伊藤 紀之 (いとう のりゆき、1940年 - )は、日本の… 伊藤 紀之 (いとう のりゆき、1940年 - )は、日本のインダストリアルデザイナー。共立女子大学名誉教授。服飾文化学会元会長。日本手芸普及協会前会長。国際浮世絵学会理事。 1964年に千葉大学工学部工業意匠学科を卒業後、東芝に入社。家電・家具・ユニフォームのデザイナーとなる。その後、大学院に戻り、1973年に同研究科修士課程修了。共立女子大学に専任講師として就任。1978年に助教授に、1992年に教授。2011年に共立女子大学名誉教授。その間、服飾文化学会会長、日本手芸普及協会会長、日本デザイン学会監事、国際浮世絵学会理事を歴任。2020年春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 家政学の中で生活デザインを定義した人物の一人であり、湯たんぽ研究の第一人者である。
伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出… 伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、タイポグラファー。 伊藤勝一デザイン室代表。多摩美術大学造形表現学部非常勤講師。JAGDA会員・日本タイポグラフィ協会 OB会員。 1962年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒。 (株) エージー、(株) グレイ大広を経て1977年 伊藤勝一デザイン室創設。
川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザ… 川上 元美(かわかみ もとみ、1940年 - )は日本のデザイナー、川上デザインルーム代表。東京芸術大学、金沢美術工芸大学、神戸芸術工科大学などの客員教授を歴任。現在、多摩美術大学美術学部環境デザイン学科客員教授。GENOVA家具展金賞(イタリア)、アメリカ建築家協会主催インターナショナル・チェア・デザインコンペティション1席(USA)、iFデザイン賞(ドイツ)など国内外の賞を多数受賞。 1940年(昭和15年)、兵庫県に生まれる。兵庫県立芦屋高等学校、東京芸術大学美術学部工芸科(ID専攻)卒業。東京芸術大学院美術研究科(デザイン)修士課程終了。その間、作品集『アンジェロ・マンジャロッティ1955-64』(青銅社)に出会い、強く感銘する。
保沢 紀(ほざわ おさむ、1940年 - )は、日本の衣装デ… 保沢 紀(ほざわ おさむ、1940年 - )は、日本の衣装デザイナー。テレビ番組衣装担当。東京衣裳の社員だった。 「フジテレビ衣裳部の鬼・保沢紀」としてバラエティ番組に出演したことで知られる。通称「衣装の保沢さん」。 栃木県生まれ。1959年に栃木県立栃木高等学校卒業。同校の第60回卒業の同期生には、ヤマトホールディングス会長の有富慶二、京都大学名誉教授の入倉孝次郎、キッコーマン社長の牛久崇司、東邦大学名誉教授の岸清がいた。 東京衣裳入社後、フジテレビ詰めとなり、同局の多くの番組で出演者の衣裳を担当した。 1985年7月2日放送の『ものまね王座決定戦』に「フジテレビ衣裳部所属」の肩書きで審査員として出演し、以降はレギュラー審査員として出演を続けた。
稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭… 稲葉 賀惠(いなば よしえ、本名:稲葉 佳枝、1939年(昭和14年)12月18日 - )は、日本のファッションデザイナー、モデル。 東京出身。八重洲生まれ、鎌倉・横浜育ち。祖父・父は横浜でタイプライターを取り扱う「稲葉商会」を営んでいた。 1958年、横浜雙葉学園を卒業。1960年に文化学院美術科を卒業。文化学院の同級生に山東昭子、鳥居ユキ、安井かずみ、菊池武夫。1963年菊池と共に原のぶ子アカデミー洋裁学園(現・青山ファッションカレッジ)を卒業。その頃東京に進出した欧米のオートクチュールのアトリエで働くことを志願したが叶わず、1964年に赤羽に自らのアトリエを開いた。その後1970年に菊池や大楠裕二とともに、ビギ(BIGI)を設立。
小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2… 小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2009年12月17日 )は日本のグラフィックデザイナー。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイン協会会員、ニューヨークアートディレクターズクラブ会員、東京タイプディレクターズクラブ会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
コシノ ジュンコ(1939年〈昭和14年〉8月25日 - )… コシノ ジュンコ(1939年〈昭和14年〉8月25日 - )は、日本のデザイナー。JUNKO KOSHINO株式会社所属、BiS終身名誉メンバー、文化功労者。文化勲章受章者。本名は鈴木 順子(すずき じゅんこ)。旧姓は小篠(こしの)。 大阪府岸和田市出身のデザイナーである。京都美術工芸大学客員教授を兼任し、アイドルグループ「BiS」の終身名誉メンバーでもある。 母の小篠綾子のほか、姉コシノヒロコ(小篠弘子)と妹コシノミチコ(小篠美智子)も同じくファッションデザイナーであり、「コシノ三姉妹」として知られる。姪の小篠ゆま(ヒロコの娘)も同じくファッションデザイナーである。夫の鈴木弘之は「JUNKO KOSHINO株式会社」の代表取締役も務める一方で写真家としても活躍。
マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 20… 青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 2011年7月9日)は、日本のグラフィックデザイナー。
金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日… 金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランド「ピンクハウス」(1973年)や自身の名前を冠した「カネコイサオ」(1990年)、ほか「インゲボルグ(INGEBORG)」や「カールヘルム(Karl Helmut)」などのブランドを創業。なかでも「ピンクハウス」はDCブランドやフォークロアのブームに後押しを受ける形で1980年代に一世を風靡した。妻は1970年代に雑誌「an・an」などで活躍したファッションモデルの立川ユリ。 山口県に出生。高田賢三、松田光弘らと共に文化服装学院を卒業後、セツ・モードセミナーを卒業。アドセンターに入社し、広告等の製作に携わる。