馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺、1961年5月5日 - )… 馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺、1961年5月5日 - )は、日本の政治家、元プロレスラー。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)生まれ、石川県金沢市育ち。
職業がレスラー:936人
馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺、1961年5月5日 - )… 馳 浩(はせ ひろし、旧姓:川辺、1961年5月5日 - )は、日本の政治家、元プロレスラー。自由民主党所属の衆議院議員(6期)。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)生まれ、石川県金沢市育ち。
ゴージャス松野のリングネームで知られる松野 行秀(まつの ゆ… ゴージャス松野のリングネームで知られる松野 行秀(まつの ゆきひで、1961年4月18日 - )は、日本の男性タレント、プロレスラー。血液型AB型。福島県福島市出身。DDTプロレスリング所属。 福島市の飯坂温泉の置屋の子に生まれる。福島県立福島高等学校を経て、日本大学経済学部卒業。日大在籍中には劇団テアトロ<海>に所属していた。血液型A型。 マネージャーとしての生命を断たれた松野は、整形しホストクラブ「愛」などに勤務、露天で人生相談をしながら日本を巡業、AV男優、司法試験にチャレンジするも失敗(合格点が42点付近のところ、31点を得点した)など、身を削り様々な話題を提供しては芸能界に露出したことから、松野は「さらし者系芸能人」と評された。
維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいは… 維新力 浩司 (いしんりき こうじ、本名:飯橋 浩司(いいはし こうじ)、1961年1月24日 - )は、日本の元男性プロレスラー、日本の元大相撲力士、飲食店経営者。血液型A型。リングネームは維新力(いしんりき)。東京都杉並区出身。 大相撲時代の最高位は西十両筆頭(1989年11月場所)。 相撲の経験は小学校と中学校時代を通じて地域の祭で開催される相撲大会に出場する程度だったが、兄の影響で格闘技が大好きなため、プロレスラーよりも体格に関する条件が緩かった大相撲力士を志した。高鐵山を尊敬していたということと、大きな部屋だと「君のような小さな人は行司か床山になりなさい」と言われる恐れがあると考えたことから、弟子が2人しかいなかった高鐵山が率いる大鳴戸部屋に入門。
ダンプ松本(ダンプまつもと、1960年11月11日 - )は… ダンプ松本(ダンプまつもと、1960年11月11日 - )は、日本の女子プロレスラー。タレント。本名・松本 香(まつもと かおる)。
冬木 弘道(ふゆき こうどう〈本名:ひろみち〉、1960年〈… 冬木 弘道(ふゆき こうどう〈本名:ひろみち〉、1960年〈昭和35年〉5月11日 - 2003年〈平成15年〉3月19日)は、日本の元男性プロレスラー。血液型A型。東京都江東区生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜商科大学高等学校出身。身長180cm、体重128kg。旧リングネームは、同じ表記で本名の冬木 弘道(ふゆき ひろみち)、サムソン冬木(Samson Fuyuki)。 横浜商科大学高等学校卒業後、1979年(昭和54年)5月6日に国際プロレスへ入門する。 デビュー戦は1980年5月4日、北海道紋別市スポーツセンターの米村勉(後の米村天心)戦。国際では高杉正彦・菅原伸義(後のアポロ菅原)とともに「若手三羽烏」と呼ばれた。
ルーシー加山(ルーシーかやま、1960年2月3日 - )は、… ルーシー加山(ルーシーかやま、1960年2月3日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都江東区出身。
小笠原 和彦(おがさわら かずひこ、1959年12月12日 … 小笠原 和彦(おがさわら かずひこ、1959年12月12日 - )は、日本の空手家(八段)・プロレスラー。静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。空手道創天極真小笠原道場、プロ空手押忍闘夢STORM代表。東海大学文学部史学科卒業。 元極真会館城西支部所属。得意技の飛び後ろ蹴りを武器に、1983年に行われた第15回全日本空手道選手権大会で準優勝。以降も、第16回大会では第5位に、第18回大会では第7位に入賞。 1984年11月18日、百人組手に挑戦するも43人で失敗に終わった。 2002年1月6日、プロレスリングZERO-ONE後楽園ホール興行に乱入し、試合後の橋本真也に「お前の蹴りには蝿が止まる」と喧嘩を売った事がきっかけでプロレスに進出。
マキ上田(マキうえだ、1959年3月8日 - )は、元女子プ… マキ上田(マキうえだ、1959年3月8日 - )は、元女子プロレスラー。本名:上田 真基子(うえだ まきこ)。ジャッキー佐藤とのタッグ「ビューティ・ペア」で一世を風靡した。 三人姉妹の長女。兄が1人居たが、マキが生まれる前に肺炎により死去。 鳥取県立鳥取農業高等学校(2001年に鳥取県立鳥取湖陵高等学校に統合)を1年で中退して全日本女子プロレスに入門し、1975年3月19日デビュー。デビュー戦は後にビューティ・ペアのパートナーとなるジャッキー佐藤よりわずかに早い。 ジャッキーとビューティ・ペアを結成して、結成初戦の1976年2月24日にWWWA世界タッグ王座決定戦で、シルビア・ハックニー&ソニア・オリアーナペアに勝利し、同王座を獲得する。
前田 日明(まえだ あきら、1959年〈昭和34年〉1月24… 前田 日明(まえだ あきら、1959年〈昭和34年〉1月24日 - )は、大阪府大阪市大正区出身の格闘技プロモーター、元プロレスラー。在日韓国人三世として生まれ、その後日本に帰化した韓国系日本人である。旧リングネーム前田 明(まえだ あきら)、クイック・キック・リー(Kwik-Kik Lee)。韓国名は高 日明(コ・イルミョン、韓: 고일명)。 元リングスCEO、元THE OUTSIDERプロデューサー。また、保守寄りの政治信条を持ち政治的な問題への関心も示しており、過去には選挙への出馬に関する報道がなされた経験もあった他、YouTubeチャンネルで持論を語ったり、著書『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』を上梓し、歯に衣着せぬ発言が注目されている。
トミー青山(トミーあおやま、1958年10月6日 - 201… トミー青山(トミーあおやま、1958年10月6日 - 2011年7月19日)は、元女子プロレスラー。本名:冨高 千賀子。 元陸上五種競技の選手。中京大学を中退して全日本女子プロレスに「昭和52年組」として入門。メキシコ遠征でルチャ・リブレを経験し、空中技を中心に多くの技をマスターした。 ルーシー加山とのタッグ「クイーン・エンジェルス」として活躍し、シングルレコード「ローリングラブ」をリリースした。 リングネームは苗字から「トミー」、「青山」は全女の経営者である松永兄弟が青山で飲んでいた際に思いついたのが由来。 新人時代のライオネス飛鳥が付き人をしていた。 引退後は結婚して2児の母となったが、離婚。
越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、… 越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。日本工業大学駒場高等学校卒業。血液型B型。 越中のプロレスとの出会いは小学校時代であり、当時は金曜日の8時からTVで放映していた。ぶつかり合いの迫力に子供心に圧倒された。中学時代に全日本プロレスを見てファンになる。中学時代は音楽にも熱中していたが、曲作りに必要な良いアイデアが出ないため音楽の道は断念した。高校時代は野球部に入り2年目はファースト・3年目はキャッチャーとレギュラーになるも、甲子園に行くことは出来なかった。野球は団体競技であり、自分1人で競技を行って自分で試合に責任を持つことをしたいという越中の志向には合致しなかった。
池下ユミ(いけした ゆみ、1958年8月7日 - )は、広島… 池下ユミ(いけした ゆみ、1958年8月7日 - )は、広島県出身の元女子プロレスラー。本名(旧姓)池下 由美(読みは同じ)。 1975年、全日本女子プロレスに入門。同年9月11日、後楽園ホールにおける阿蘇しのぶ戦でデビューする。 悪役レスラーとして売り出され、阿蘇しのぶとの悪役タッグチーム「ブラック・ペア」として同期であるビューティ・ペア(ジャッキー佐藤・マキ上田)のライバルとして抗争を展開し、WWWA世界タッグ王座にも君臨した。阿蘇の退団後は漆原幸恵(後のルーシー加山)、マミ熊野らと「ブラック軍団(ブラックデビル)」を結成した。後にデビル雅美も加わっている。 一方で、1977年9月1日に新設されたハワイアンパシフィック王座を獲得し、後に改名され初代オールパシフィック王者となる。
リトル・フランキー(1958年2月20日 - 2002年8月… リトル・フランキー(1958年2月20日 - 2002年8月15日)は、日本のプロレスラー、スーツアクター。昭和から平成にかけて、日本のミゼットプロレスを代表する選手として活躍した。
佐山 聡(さやま さとる、1957年11月27日 - )は、… 佐山 聡(さやま さとる、1957年11月27日 - )は、日本の男性プロレスラー、格闘家。総合格闘技の元祖とされる競技・シューティング(のちの修斗)の創始者。山口県下関市長府出身。血液型B型。 1976年に新日本プロレスでプロレスラーとしてデビュー。若手時代はメキシコ、イギリスで活躍。イギリスではサミー・リーをリングネームに。1981年にタイガーマスク(初代)に扮し、空中技を駆使したファイトスタイルで国民的な人気を集め、一大プロレスブームを巻き起こした。1983年に理想の格闘技確立を目指して現役を引退したが、1984年には現役復帰してザ・タイガー、スーパータイガーのリングネームで第1次UWFに参戦した。
ジャッキー佐藤(ジャッキーさとう、1957年(昭和32年)1… ジャッキー佐藤(ジャッキーさとう、1957年(昭和32年)10月30日 - 1999年(平成11年)8月9日)は、日本の女子プロレスラー。本名は、佐藤 尚子(さとう なおこ)。神奈川県横浜市港南区出身。 出生時の体重は3900gだった。川崎市立桜本小学校、横浜市立浜中学校を卒業した。小学生時から長身で、中学ではバスケットボール部に在籍した。インターハイへの出場やバスケットボール実業団からスカウトもあったが、1975年3月に神奈川県立商工高等学校を2年で中退し家出すると全日本女子プロレス(以下「全女」)に入門した。デビュー戦は同年4月27日の対マキ上田戦で、15分戦ったのち引き分けとなっている。 1976年2月24日にマキと「ビューティ・ペア」を結成しWWWA世界タッグ王座を獲得した。
大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )… 大仁田 厚(おおにた あつし、1957年10月25日 - )は、日本のプロレスラー、政治家、タレント、俳優。長崎県長崎市出身。元参議院議員。身長181cm、体重77kg(全盛時は100kg)。弟(異父弟)は大東文化大学法学部教授の松原孝明。2012年に現役プロレスラーとしてヘルパー2級を取得。株式会社アルファ・ジャパンプロモーション所属。
阿蘇 しのぶ(あそ しのぶ、1957年5月21日 - )は、… 阿蘇 しのぶ(あそ しのぶ、1957年5月21日 - )は、 日本の元女子プロレスラー。本名・坂本 克代。熊本県熊本市出身。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
大黒坊 弁慶(だいこくぼう べんけい、1957年4月3日 -… 大黒坊 弁慶(だいこくぼう べんけい、1957年4月3日 - )は、日本の男性元プロレスラーである。本名は、小谷 一美(こたに かずみ)。和歌山県日高郡由良町出身、身長190cm、体重150kg。 かつて花籠部屋所属の元大相撲力士であった。大相撲時代の四股名は花嵐(はなあらし)、最高位は東十両9枚目(1984年9月場所)、得意手は左四つ、寄り。当時の体格は身長187cm、体重158kg。 中学時代には柔道をやっていたが、南部高等学校進学後に相撲を始める。大会での活躍が目立ったことで相撲部屋から誘われるが、日本大学出身の教師に薦められ同大に進学した。名門と言われる日大相撲部で活躍し、大学4年時に全国学生相撲選手権大会で優勝したことをきっかけに大相撲に進むことを決意する。
青柳 政司(あおやぎ まさし、1956年12月27日 - 2… 青柳 政司(あおやぎ まさし、1956年12月27日 - 2022年7月6日)は、日本の男性空手家、プロレスラー。愛知県豊田市出身、福岡県糟屋郡出生。血液型AB型。身長172cm、体重93kg。空手道場・国際空手拳法連盟「誠心会館」の館長であり、通称「青柳館長(あおやぎかんちょう)」。プロレスへの参戦活動で知られ、数多くの団体を渡り歩いた。 福岡県で炭鉱労働者の家庭に生まれるが、いわゆるエネルギー革命の影響で父親が職を失ったため愛知県豊田市に移住。小中学生時代は水泳をやっており、県大会の代表に選ばれたこともある。 プロレスへの憧れは中学生時代からあったが、当時は身長180cmに満たない選手など稀な時代であったため、あきらめていた。
平田 淳嗣(ひらた じゅんじ、1956年12月20日 - )… 平田 淳嗣(ひらた じゅんじ、1956年12月20日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:同じ、旧名・旧リングネーム:平田 淳二(読みは同じ)。神奈川県平塚市出身。新日本プロレス所属。
島田 宏(しまだ ひろし、1956年11月10日 - )は、… 島田 宏(しまだ ひろし、1956年11月10日 - )は、日本のプロレスラー。 アマチュアレスリングの選手として、大東文化大学、自衛隊体育学校、東京三洋電機などで活動。 1991年9月20日、W★ING伊勢崎市第二市民体育館大会において、社会人レスリング時代の同僚でもある茂木正淑を相手にデビュー。 2000年、栃木県のアマチュアプロレス団体「格闘技団体EAGLE」のプロ化に尽力し、自らもプロ化したイーグルプロレスに所属。 2010年5月23日、イーグルプロレス邑楽町大会において、イーグル・ソルジャーとタッグを組み天龍源一郎&折原昌夫組と対戦。 2013年5月26日、イーグルプロレス邑楽町大会において、高山善廣とタッグを組み折原昌夫&舞牙組と対戦。
ハル薗田(ハル そのだ、本名:薗田 一治(そのだ かずはる)… ハル薗田(ハル そのだ、本名:薗田 一治(そのだ かずはる)、1956年9月16日 - 1987年11月28日)は、日本のプロレスラー。 元FMWの女子レスラー石倉由加利は姪にあたる。 中学・高校時代は柔道で活動し、1974年7月25日に全日本プロレスへ入門。10月からレフェリーとしてリングに上がり、その後1か月ほどレフェリーを務める。 1975年1月15日、名瀬市で渕正信戦にてデビュー。渕や大仁田厚と共に「若手三羽烏」と呼ばれる。初期のリングネームは本名を用いているが、字は草冠なしの「園田」としていた。 1978年4月、短期ながら東南アジア遠征を体験。これは選手個人の海外修行ではなく全日本プロレスの海外興行であった。
谷津 嘉章(やつ よしあき、1956年7月19日 - )は、… 谷津 嘉章(やつ よしあき、1956年7月19日 - )は、日本のレスリング選手、プロレスラー。 学生時代はアマチュアレスリングのフリースタイル重量級で国内無敵を誇り、オリンピックの日本代表に2大会連続で選ばれる。プロレスラーとしては新日本プロレスからキャリアを始め、全日本プロレスやSWS、WJプロレスなどで主力選手として活躍。2019年に糖尿病の影響で右足を切断して以降は障がい者レスリングに取り組む。 足利工業大学附属高等学校でレスリングを始める。日本大学レスリング部時代には全日本学生選手権や全日本選手権で優勝を重ね、1976年には日本代表としてモントリオールオリンピックに出場(8位)。1980年モスクワオリンピックでも日本代表に選ばれたが、日本が不参加だったため2大会連続出場はならなかった。
後藤 達俊(ごとう たつとし、1956年5月25日 - )は… 後藤 達俊(ごとう たつとし、1956年5月25日 - )は、日本のプロレスラー。愛知県常滑市出身。2006年まで新日本プロレスに所属していた。若手や中堅時代を除き、プロレスラーとしてのキャリアの殆どをヒールとして活動している。 名城大学附属高等学校、名城大学卒業。学生時代はウエイトリフティングで活躍し、インターカレッジ3位の成績を残す。大学卒業後、日産自動車に入社。1982年8月、アントニオ猪木が名誉会長をつとめる寛水流空手の初代会長水谷征夫の紹介により、26歳で新日本プロレスに入門。1982年12月2日、先輩でもある山崎一夫を相手に地元愛知県の豊田市体育館でデビュー。 デビュー後の一時期、後藤は猪木の付き人を務めていた。
中牧 昭二(なかまき しょうじ、1956年3月6日 - )は… 中牧 昭二(なかまき しょうじ、1956年3月6日 - )は、日本の元衆議院議員秘書、元プロレスラー。長野県上田市出身。『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』の著者として知られる。 拓殖大学ではアメフト部に所属し、1979年に運動用具メーカーのカドヤスポーツに入社。販売促進課に勤務した。 1990年に出版した『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』がベストセラーとなり、1990年の単行本・ノンフィクション部門で年間売上8位を記録した。 後にプロレスラーに転向するためSWSの入団テストを受けたが不合格となり、大仁田厚率いるFMWに入団。 1992年5月31日に、ターザン後藤戦でデビュー。その後はW★ING→IWAジャパン→大日本プロレスとインディー団体を転々とし、画鋲デスマッチ等の流血の多い激しい試合を展開した。
保永 昇男(ほなが のりお、1955年8月11日 - )は、… 保永 昇男(ほなが のりお、1955年8月11日 - )は、日本の元プロレスラー、男性レフェリー。東京都足立区出身。拓殖大学北海道短期大学卒業。リキプロ所属。血液型O型。 現役時代はえり足を伸ばし、刈り込みの入った金髪のパンチパーマがトレードマーク。現役時はスポットライトの当たる選手では無かったが、独自のプロレス感と対戦相手を引き立てる技術で試合を作り上げる職人レスラーであった。 足立学園高校柔道部出身、木村政彦の師事を受ける。拓殖大学北海道短期大学卒業後、東京へ戻り全日本プロレスの入門テストを受けるも不合格となる。植木屋に勤めながらボディビルで体を鍛え、1979年4月に新日本プロレスへ入門。1980年4月25日に後楽園ホールの斎藤弘幸戦でプロデビュー。
アポロ菅原(アポロすがわら、1954年2月10日 - )は、… アポロ菅原(アポロすがわら、1954年2月10日 - )は、日本のプロレスラー。本名:菅原 伸義(すがわら のぶよし)。 高校時代は秋田工高に属してレスリングを始める。落合博満と同級。1971年の第26回黒潮国体(和歌山県)でレスリング少年の部優勝(フリースタイル81kg級)。またインターハイでは75kg以上級において4位の成績を残した。 高校卒業後は三井造船千葉造船所で勤務していたが、通っていたジムのオーナーである遠藤光男の推薦もあり、1979年5月に退社して国際プロレスに入門。同年9月17日の福岡大会での高杉正彦戦でデビュー。国際では高杉や冬木弘道(後のサムソン冬木)とともに「若手三羽烏」と呼ばれた。
渕 正信(ふち まさのぶ、1954年1月14日 - )は、日… 渕 正信(ふち まさのぶ、1954年1月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。福岡県北九州市戸畑区出身。全日本プロレス所属。血液型B型。愛称は「フッチー」。 八幡大学付属高校時代は、レスリングと陸上競技で鍛え上げる。八幡大学へ進学も中退し、日本プロレスへの入門を目指し上京するが、列車の中で読んだ九州スポーツで日プロの崩壊を知り、渕も一旦九州に帰らざるをえなくなった。 1974年4月10日に全日本プロレスに入門。この年、ライバル団体である新日本プロレスもすでに旗揚げされていたが、日プロ時代のファンでもある渕は「馬場さんと猪木さんでは、スターとしては格がまったく違うじゃないですか」と後に語るほど馬場に憧れており、全日本プロレスを選んだ。
赤城 マリ子(あかぎ まりこ、1954年1月6日 - )は、… 赤城 マリ子(あかぎ まりこ、1954年1月6日 - )は、岩手県盛岡市出身の元女子プロレスラー。本名・加瀬谷 東子。 中学卒業後に上京。会社員として勤務後、全日本女子プロレスに入門。当時の女子プロレスラーには珍しい、数々の技を使いこなす随一のテクニシャンだった。全女を経営する松永家とは親戚に当たる(これは初代・赤木マリ子の情報)2代目は縁故関係はない。 リングネームは赤木まり子より2代目を襲名(初代はマスクをかぶりマスクド・マリに変身)。後に表記は「赤城マリ子」に変わった。 1970年3月19日デビュー。 1972年10月11日、ジャンボ宮本と組み、WWWA世界タッグを獲得。ペギー黒田、佐々木順子、柳みゆき、マッハ文朱とのタッグでも王座に君臨した。
藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名: 藤波 辰巳、1953年… 藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名: 藤波 辰巳、1953年12月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。YouTuber。大分県東国東郡武蔵町(現・国東市)出身。ニックネームは「ドラゴン」。血液型O型。プロレス活動はドラディション、芸能活動はカートプロモーション所属。長男は藤波怜於南。 第77代NWA世界ヘビー級王者。日本人2人目のWWE殿堂入りレスラー。海外武者修行時のリングネームは、アメリカではドクター・フジナミ、メキシコではドクトル・フヒナミおよびリング・フヒナミとしていた。 1953年12月28日、大分県国東郡に生まれる。中学時代は陸上競技を行っていた。この頃にアントニオ猪木に憧れ、プロレスラーを目指す。
木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日… 木村 健悟(きむら けんご、1953年9月4日 - )は、日本の政治家、元男性プロレスラー、宮城野部屋所属の元大相撲力士、元歌手。品川区議会議員(4期)。現災害・環境対策特別委員長。区議会議員としては「木村けんご」名を使用。本名は、木村 聖裔(きむらせいえい)。愛媛県新居浜市出身。血液型B型。ニックネームは「稲妻戦士」。妻は東京都目黒区議会議員を6期務めた木村洋子。 1980年代の新日本プロレスにおいて、藤波辰巳の盟友および抗争相手として活躍した。2003年の引退後は実業家を経て、区議会議員であった夫人の影響で2011年に自らも政治家に転身した。 1969年、大相撲の宮城野部屋に入門、木村山(きむらやま)の四股名で同年7月場所初土俵。
石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、… 石川 孝志(いしかわ たかし、1953年2月5日 - )は、日本の元プロレスラー、花籠部屋所属の元大相撲力士。 石川 隆士および石川 泰士のリングネームでも活動していた(読みは同じ)。大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。大相撲時代は身長179cm、体重123kg。 中学時代までは野球少年であったが、酒田南高等学校進学後に相撲に没頭、国民体育大会高校の部で優勝するなど実力を発揮、素質にも恵まれ、この時点で相撲部屋からのスカウトもあったがこれを断り日本大学に進学。名門日大相撲部で活躍し、全日本相撲選手権大会に優勝してアマチュア横綱など数多くのタイトルを獲得、主将も務めたが4年時に糖尿病を患った。
長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、… 長州 力(ちょうしゅう りき1951年12月3日 - )は、日本の元プロレスラー、YouTuber。山口県徳山市(現・周南市)出身。静岡県熱海市在住。北海道猿払村ふるさと納税大使。 在日韓国人2世として生まれ、2016年に日本へ帰化した。韓国名は郭 光雄(かく こうゆう、クァク・クァンウン、곽광웅)。現在の本名(日本名及び旧リングネーム)は吉田 光雄(よしだ みつお)。 ニックネームは「革命戦士」。入場曲は異母犯抄作曲のオリジナルテーマ曲『パワーホール』(後述も参照)。血液型O型。 1951年12月3日、山口県徳山市で四人兄弟の末っ子として生まれる。父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し、廃品回収業を営んでいた。
ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年〈昭和26年〉3月2… ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年〈昭和26年〉3月25日 - 2000年〈平成12年〉5月13日)は、日本のプロレスラー、スポーツ科学研究者。本名及び旧リングネーム:鶴田 友美(つるた ともみ)。 全日本プロレスで活動した三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初の第30代AWA世界ヘビー級王者である。 1972年ミュンヘンオリンピックのレスリングである、グレコローマンスタイル最重量級日本代表を経て、その後全日本プロレスへ入門する。ジャイアント馬場の後を継ぐ次世代・全日本プロレスの若き大型エースとしても期待され、順調に頭角を現しトップレスラーの1人として活動した。しかし後にB型肝炎を発症したことにより第一線を退く形となる。
ミスター・ポーゴ(1951年2月5日 - 2017年6月23… ミスター・ポーゴ(1951年2月5日 - 2017年6月23日)は、日本のプロレスラー。本名は、関川 哲夫。群馬県伊勢崎市出身。元大相撲力士。バックボーンは柔道。 地元名士で、群馬県議会議員を6期、議長まで務めた関川勝三郎の末子。坊ちゃん扱いされて育った。 恵まれた体格を活かして小学3年から柔道を習い、伊勢崎工高から中央大学法学部にスポーツ推薦で進学(ジャンボ鶴田と同期)したものの、勉学と柔道部の厳しい練習には付いて行けず、更に父の急逝にショックを受けて1年で退学。 父の没後、周囲の人間が手の平を返したような態度に絶望して「腕っ節だけで成り上がってやるよ!」という思いを強め、亡父の後援者の仲介で大相撲・二所ノ関部屋に入門し、四股名は「関川」として1971年7月場所で初土俵。
グラン浜田(グランはまだ、1950年11月27日 - 202… グラン浜田(グランはまだ、1950年11月27日 - 2025年2月15日)は、日本のプロレスラー。本名は濱田 廣秋(はまだ ひろあき)。群馬県前橋市出身。身長167cm、体重90kg。その軽量な体を生かしてルチャリブレを活動の中心としている。最も著名な日本人ルチャドールの1人とされ、日本およびメキシコにおいて顕著な活躍を残している。 娘のソチ浜田、浜田文子も元プロレスラーである。 身長も小さく、ルチャリブレでの活躍とスタイルからシュート系の強さと無縁と思われがちであるが、浜田自身は柔道のミュンヘンオリンピック候補選手であり、その気の強さも相まって昭和新日本プロレスの中でも有数の猛者であった。治安の悪いメキシコで成功した理由に、プロレスセンスの良さとシュートの強さが比例していた背景がある。
天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 … 天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう、1950年2月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、タレント。本名は嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重112kg)。血液型A型。所属事務所はMILLENNIUM PRO。エクセリングと業務提携している。 多くの同年代レスラーが年齢とともに引退および前座でファンを楽しませる役割に回るなか、天龍は65歳まで第一線で活躍。日本のプロレス界において「生ける伝説(Living Legend)」として一目置かれる存在だった。 福井県の勝山市にて農家の長男として生まれる。
藤原 喜明(ふじわら よしあき、1949年4月27日 - )… 藤原 喜明(ふじわら よしあき、1949年4月27日 - )は、日本のプロレスラー、俳優、タレント、イラストレーター、陶芸家、エッセイスト。岩手県江釣子村(現:北上市)出身。「関節技の鬼」と称される。愛称は「藤原組長」。 両親は農家。後にイラストレーターとして活動することもあったが小学校時代は絵が嫌いであり、絵の授業を担当する教師がこうしろああしろというのが嫌だったというのを2017年に行われた画家の五木田智央との対談で明かしており、学校の美術担当の教員に関しては「絵描きになり損ねたヤツらばっかりなんだから、そんなことを言うあれじゃないんだよ」と批判している。岩手県立黒沢尻工業高等学校時代、体育と応用力学、機械工作の評定は5であり、非常に器用であった。
マイティ井上(マイティいのうえ / Mighty Inoue… マイティ井上(マイティいのうえ / Mighty Inoue、1949年4月12日 - 2024年11月27日)は、日本の元プロレスラー。日本の元プロレス・レフェリー。 大阪府大阪市福島区出身。 本名:井上 末雄(いのうえ すえお)。 リングネームの「マイティ」は新人時代にコーチを務めていたマティ鈴木が由来。 大阪学院大学高等学校時代は柔道を行い、高校卒業(後述)後に国際プロレス入り。1967年7月21日、名古屋市金山体育館における仙台強戦でデビュー。小林省三、藤井康行とともにマティ鈴木のコーチを受ける。1970年8月からは小林と共にヨーロッパ遠征に出向き、ミッキー・イノウエ(Mikki Inoue)のリングネームで活動した。
鶴見 五郎(つるみ ごろう、1948年11月23日 - 20… 鶴見 五郎(つるみ ごろう、1948年11月23日 - 2022年8月26日)は、日本の男性プロレスラー、トレーニングジム経営者。本名:田中 隆雄。 悪役レスラーとして人気を集めた。 神奈川県横浜市出身。東海大学理学部物理学科卒業。大学に入学後、勉学と同時にレスリングに打ち込んでいたが、入学当時同大学にはまだレスリング部がなく、場所を転々としながら独自に練習していた。1971年6月、サンダー杉山の知り合いのつてで国際プロレスに入門。 7月12日、札幌中島スポーツセンターでの大磯武戦でデビューする。 1973年3月、八木宏(後の剛竜馬)と共に海外武者修行としてヨーロッパに渡り、主に西ドイツやイギリスで活動。
大西 弘子(おおにし ひろこ、1948年10月3日 - 20… 大西 弘子(おおにし ひろこ、1948年10月3日 - 2001年7月13日)は、神奈川県横須賀市出身の元女子プロレスラー。全日本女子プロレスに所属していた。 1969年デビュー。直後に覆面を被ってマスクド・リーを名乗り、柳みゆき(マスクド・キラー)、赤木まり子(マスクド・マリー)ともに「マスクド・シスターズ」の一員となった。キラーとのタッグでAGWAインターナショナルタッグ王座にも君臨。来日外国人選手とのタッグでもWWWA世界タッグ王座に何度も君臨した。 1974年よりミスZを名乗る。改名後も2度WWWA世界タッグ王座を獲得した。 1976年に引退し7年間の現役生活を終えている。 1999年2月1日、神奈川県警は横須賀市安浦町で売春宿を摘発、経営者グループにいた大西は売春防止法違反の疑いで逮捕された。
桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 20… 桜田 一男(さくらだ かずお、1948年9月26日 - 2020年1月12日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。北海道網走市出身。本名(戸籍上の表記):櫻田 一男(読みは同じ)。ケンドー・ナガサキのリングネームで知られる。 父は網走刑務所の職員だった。中学卒業後大相撲の立浪部屋に入門し、1964年1月初土俵。1966年9月場所には序二段で全勝優勝を果たしている。同期には島田(後の天龍源一郎)がいる。本名の櫻田の後『網走洋(あばしりなだ)』『翠巒(みどりみね)』の四股名を名乗るが、先輩力士とのトラブルに端を発して部屋の親方と反りが合わなくなり、1971年3月廃業。同年日本プロレスに入門し、6月27日に戸口正徳戦でデビューした。
百田 光雄(ももた みつお、1948年9月21日 - )は、… 百田 光雄(ももた みつお、1948年9月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都港区出身。血液型A型。個人事務所「リキエンタープライズ」所属。 日本のプロレス界の礎を作った力道山の次男であり、百田義浩の実弟。息子の百田力もプロレスラーである。 全日本プロレスの取締役副社長、プロレスリング・ノアの取締役副社長を歴任した。 力道山の息子として、兄の義浩と共にスパルタ教育を受けた。「水泳の練習と称して水深2メートルのプールに放り込まれ、何度も沈んで浮き方を覚えた」「スキーに行けばボーゲンもできない状態で、最上級コースを滑らされて大怪我をしたこともあった」などのエピソードがある。ただし先述のスキーで骨折した際には、寝ずに看病をしてくれたとのことである。
ザ・グレート・カブキ(The Great Kabuki、本名… ザ・グレート・カブキ(The Great Kabuki、本名:米良 明久 / めら あきひさ、1948年9月8日 - )は、日本の元プロレスラー、レフェリー。宮崎県延岡市出身。 東洋の神秘の異名を持つペイントレスラーとして、アメリカでも大きな成功を収めた。歌舞伎風メイク、毒霧、ヌンチャクなどのオリエンタルなギミックは、グレート・ムタなど後のレスラーに強い影響を与えた。 宮崎県延岡市に3人兄弟の末っ子として生まれる。父親は戦艦大和の元乗組員で、国体の前身である明治神宮競技大会にも出場しており、戦後は自転車店を営んでいた。中学2年生のときに愛知県知立市に移住。学生時代は水泳選手として活躍したほか、柔道にも打ち込んでいた。
佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )… 佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )は、滋賀県栗太郡栗東町(現在の栗東市)出身で朝日山部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は日吉山(ひよしやま)で、最高位は序二段62枚目。本名は佐野 実(さの みのる)。身長186cm、体重90kg。 瀬田工業高校卒業後、大相撲の朝日山部屋に入門して1965年5月場所に17歳で初土俵を踏む。入門同期に花田満(のちの貴ノ花利彰)がいる。同部屋には兄弟子に三重ノ山(柴田勝久)や二瀬海(サムソン・クツワダ)が在籍し、さらに当時中学2年の鶴田友美も入門しているが、初土俵を踏むことなく辞めている。翌1966年5月場所に四股名を佐野から日吉山に改名したが伸び悩み、勝ち越しは1場所のみにとどまり1967年1月場所限りで廃業する。
タイガー戸口(タイガーとぐち、1948年2月7日 - )は、… タイガー戸口(タイガーとぐち、1948年2月7日 - )は、在日韓国人の元プロレスラー。本名は表 正徳(表 正德 / ピョ・ジョンドク / 표 정덕 / Pyo Jeongdeok)、日本名は母方の名字から戸口 正徳(とぐち まさのり)。東京都葛飾区出身。 キム・ドク、タイガー・チャン・リーのリングネームでも知られ、日本では日本プロレスを経て全日本プロレスや新日本プロレス、アメリカではNWA、AWA、WWFなどのメジャー団体で活動した。 修徳高等学校ではバスケットボールと柔道で活躍する。柔道では各大学からスカウトの声がかかっていたが、1967年3月12日、大木金太郎の口利きにより日本プロレスに入門。
輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11… 輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 2018年(平成30年)10月8日)は、石川県七尾市出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。 本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。大相撲時代は身長184cm、体重129kg。ニックネームは蔵前の星、黄金の左、現役引退後はワジー。 七尾市立石崎小学校3年から相撲を始め七尾市立香島中学校3年時の石川県中学生相撲大会で個人優勝。金沢高等学校では監督の家に下宿し1年時の山口国体で優勝。2年時には大鵬が二所ノ関部屋へ勧誘するべく実家まで訪れたこともある。日本大学文理学部に進み、日大相撲部では1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)の2年連続で学生横綱に輝くなど14個のタイトルを獲得した。
アニマル浜口(アニマルはまぐち / Animal Hamag… アニマル浜口(アニマルはまぐち / Animal Hamaguchi、1947年8月31日 - )は、日本の元プロレスラー、ボディビル指導者。本名は濱口 平吾(はまぐち へいご)。ボディビルダー出身で国際プロレスや新日本プロレスで活躍し、闘将のニックネームで呼ばれた。愛称は「浜さん」。別リングネームミスター浜口(ミスターはまぐち)、ヒゴ・ハマグチ(Higo Hamaguchi)。 武蔵野学院大学日本総合研究所客員教授。アニマル浜口レスリング道場主宰。血液型A型。 長女は元レスリング選手の浜口京子。 9人兄弟の8番目(五男)として島根県浜田市に生まれる。父親が事業に失敗し、家族の生活が困窮したため、小学5年生時(1958年)、母親と妹と一緒に親戚の住む大阪府堺市へ移る。
サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡… サムソン・クツワダ(Samson Kutsuwada)こと轡田 友継(くつわだ ともつぐ、1947年5月1日 - 2004年10月12日)は、日本の元大相撲力士、元プロレスラー。北海道江別市出身。 大相撲時代は朝日山部屋に所属、四股名は二瀬海(ふたせうみ)、最高位は幕下23枚目。プロレス転向後は日本プロレスを経て全日本プロレスに所属し、サムソン・クツワダをリングネームに大型のパワーファイターとして活躍した。 1962年1月場所にて轡田の四股名で初土俵、1964年1月場所で二瀬海に改名したものの伸び悩み、幕下23枚目の番付となった1967年9月場所限りで廃業した。なおこの9月場所は休場しており、実質土俵を務めたのは同年の7月場所限りである。
キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 … キラー・カーン(Killer Khan、1947年3月6日 - )は、春日野部屋所属の元大相撲力士、元プロレスラー。新潟県西蒲原郡吉田町(現:燕市)出身。本名は小澤 正志(おざわ まさし)。キラー・カンとも表記される。大相撲時代の四股名は越錦(こしにしき)で、最高位は幕下40枚目。