四宮 正貴(しのみや まさき、1947年〈昭和22年〉3月1… 四宮 正貴(しのみや まさき、1947年〈昭和22年〉3月17日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の右翼、作家、評論家。「四宮政治文化研究所」主宰。 東京都文京区出身。1969年(昭和44年)二松学舎大学文学部国文学科卒。1969年4月から7年間、二松学舎大学付属図書館で司書として勤務し、国文学科研究室助手を兼務。1972年(昭和47年)5月、鈴木邦男や阿部勉、犬塚博英らと新右翼団体「一水会」を創設。1976年(昭和51年)から新聞記者・フリーライターに転身し、1982年(昭和57年)に「四宮政治文化研究所」を設立、1984年(昭和59年)から月刊誌『政治文化情報』を刊行。2010年(平成22年)3月から季刊『伝統と革新』をたちばな出版で発行。
武田 鏡村(たけだ きょうそん、1947年2月15日 - )… 武田 鏡村(たけだ きょうそん、1947年2月15日 - )は、日本の歴史家、仏教評論家。 新潟県生まれ。1969年新潟大学教育学部卒業。日本歴史宗教研究所所長。
宇田川 悟(うだがわ さとる、1947年2月7日- )は、日… 宇田川 悟(うだがわ さとる、1947年2月7日- )は、日本の料理評論家、写真家、翻訳家。 東京都出身。早稲田大学政経学部政治学科卒。フランスの社会・文化・食文化に詳しい。 フランス政府農事功労章シュヴァリエを受章、ブルゴーニュワインの騎士団、シャンパーニュ騎士団、コマンドリー・ド・ボルドー、フランスチーズ鑑評騎士の会などに叙任。
小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、… 小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・評論家・解説者。
山崎 行太郎(やまざき こうたろう、1947年1月26日 -… 山崎 行太郎(やまざき こうたろう、1947年1月26日 - )は、日本の文芸評論家、インタビュアー、ブロガー。鹿児島県出身。東京工業大学、埼玉大学講師を経て、2016年現在は日本大学芸術学部非常勤講師。2016年現在は、「月刊日本」に「マルクスとエンゲルス」を連載中。
島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 20… 島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。月刊誌『広告批評』の2代目編集長・発行人を務めた。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1969年に立教大学社会学部を卒業。講談社に入社し、児童図書(子ども向け百科事典や絵本)などの編集に関わった。 1971年、天野祐吉のマドラ・プロダクションに移る。『キャッチフレーズ3000選』『今日の広告』の編集に携わりながら、広告評論活動も開始した。1979年、天野と共に『広告批評』を創刊。副編集長・メインインタビュアーを経て、1988年に天野から編集長を引き継いだ。 1990年にはフジテレビ「FNN NEWSCOM」のキャスターを務めたほか、TBSテレビ「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活動した。
竹内 宏介(たけうち こうすけ、1947年1月6日 - 20… 竹内 宏介(たけうち こうすけ、1947年1月6日 - 2012年5月3日)は、日本のスポーツジャーナリスト、プロレス評論家、解説者。 元日本スポーツ出版社代表取締役社長、のち顧問。ニックネームは「魂の解説者」「ミスター・ゴング」「昭和プロレスの伝道師」「魂のプロレス請負人」。 静岡県熱海市にて出生し、後に東京都台東区にて育つ。幼少時代、力道山による空前のプロレスブームが起こり、竹内も例外ではなく、街頭テレビに映る力道山に熱中した。 1965年にベースボール・マガジン社に入社し、格闘技専門誌である『プロレス&ボクシング』のカメラマンとしてプロレスに携わる。記事も執筆しており、19歳で『プロレス&ボクシング』、『月刊ボディビルマガジン』の編集長に就任するが、日本スポーツ出版社から新雑誌創刊のためにヘッドハンティングされたことを受け、1968年に日本スポーツ出版社へ転職し、『週刊ゴング』の前身である『月刊ゴング』を創刊する。
石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1… 石川 好(いしかわ よしみ、男性、1947年(昭和22年)1月5日 - 2024年(令和6年)8月19日)は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト、時事問題評論家。妻は小説家の殿谷みな子。 1947年、東京都伊豆大島(大島町波浮港)生まれ。1959年、大島町立第三中学校入学。1962年、東京都立大島高等学校入学。大島高校では野球部に所属し主将を務めた。1965年、都立高校卒業と同時に先行渡米していた実兄を頼り、短期農業移民資格でアメリカ・カリフォルニア州へ渡る。カリフォルニア州では、兄の勤めていた農園で働く。1969年に帰国。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後、再渡米し、庭園業を営む。
尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 - )は、日本… 尾木 直樹(おぎ なおき、1947年1月3日 - )は、日本の教育評論家、法政大学名誉教授、臨床教育研究所「虹」主宰、一般社団法人包括的性教育研究協議会代表。愛称は「尾木ママ」。 姉と弟を持つ3人姉弟の真ん中として誕生する。滋賀県坂田郡伊吹町(現:米原市)生まれ。高松第一高等学校を経て早稲田大学教育学部卒業後、高校・中学校教諭、東京大学教育学部非常勤講師などを歴任。教員生活22年間を経て1994年に教員を退職。同年、臨床教育研究所「虹」を設立。東日本大震災後の被災地に何度か足を運び、教育や子育て支援活動にも取り組んだ。2011年7月2日、故郷の滋賀県米原市の「まいばらふるさと大使」に任命され、講演先の大津市で委嘱式が行われた。
石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本の… 石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本のジャーナリスト、辞書編纂者、評論家、英語学者、桐蔭横浜大学客員教授。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業。「グル-基金」(米国大学留学制度)奨学生選抜試験合格、渡米。1969年ミドルベリー大学教養学部政治学科卒業。 1970年タフツ大学フレッチャ-法律外交大学院修士課程修了。 1971年サイマル・インターナショナル会議通訳者、1972年東京大学研究生、1973年AP通信(米国)記者、1980年ザ・タイムズ(ロンドン)記者、1983年ストレーツタイムズ(シンガポール)記者、1988年ビジネスタイムズ(シンガポール)記者 (金融担当)、1992年駒沢女子短期大学英文科助教授、1999年桐蔭横浜大学法学部助教授、2004年同教授、2010年客員教授となり、時事英語、ビジネス英語、ジャーナリズム入門等を教えている。
舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )… 舘内 端(たてうち ただし、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の自動車評論家、レーシングエンジニア。電動モビリティシステム専門職大学電気自動車システム工学部准教授。 東京大学宇宙航空研究所、株式会社ベルコでの勤務を経て、フリーランスとなった。 群馬県出身の自動車評論家、レーシングエンジニアである。日本EVクラブ代表や日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務めた。初期の著作は、レース活動にまつわる内容のものだが、1990年代ごろからは、自動車にまつわる環境問題を技術的側面から捉えたものが多い。 群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等学校、日本大学理工学部機械工学科卒業。 東京大学宇宙航空研究所(現・文部科学省宇宙科学研究所)勤務の後、ベルコ入社。
田原 八郎(たはら はちろう、1947年 - )は、日本の哲… 田原 八郎(たはら はちろう、1947年 - )は、日本の哲学者・評論家、民俗学者。 大阪府大阪市に生まれる。大阪府立大手前高等学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業した。引き続き同大学大学院に進み、比較文学比較文化専攻を博士課程満期退学した。 大谷女子大学専任講師、富山国際大学助教授を経て、教授となる。 また、京都大学体育会ボクシング部監督、日本アマチュアボクシング連盟理事を務めた。 はじめヘーゲル哲学を研究していたが、次第に関心をボクシングから日本史、心性史などに移行させ、多くの著作がある。 日本民俗を「神事・農耕・渡世」の三つに分け取り分け「渡世」の民俗を研究の中心にしている。 相撲・歌舞伎・花柳・侠客・博徒・渡り鳥・魚屋・人斬り・医師などの渡世集団の存在を挙げ、新選組も「人斬り」の「剣戟戦闘渡世集団」と位置付けている。
鳥取 絹子(とっとり きぬこ、1947年 - )は、日本の翻… 鳥取 絹子(とっとり きぬこ、1947年 - )は、日本の翻訳家、評論家。 富山県生まれ。お茶の水女子大学家政学部食物学科卒業後、柴田書店勤務。1972年から1974年パリ滞在。帰国後、翻訳家およびジャーナリスト。
後藤 雅洋(ごとう まさひろ、1947年 - )は、日本のジ… 後藤 雅洋(ごとう まさひろ、1947年 - )は、日本のジャズ評論家、ジャズ喫茶「いーぐる」店主。 東京都生まれ。中等部から慶應義塾で学ぶ。慶應義塾大学商学部在学中の1967年、四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開店、現在も営業を続けている。1988年『ジャズ・オブ・パラダイス』を上梓以来、ジャズ評論でも著書多数。「いーぐる」の常連客には村井康司、杉田宏樹、林建紀、高野雲などのジャズ評論家が多数いることから同店は「ジャズ道場」としても知られている。
紺野 馨(こんの かおる、1947年 - )は、日本の文芸評… 紺野 馨(こんの かおる、1947年 - )は、日本の文芸評論家、社会学者。群像新人文学賞評論部門受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
井崎 正敏(いざき まさとし、1947年 - )は、日本の評… 井崎 正敏(いざき まさとし、1947年 - )は、日本の評論家。 東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業後、筑摩書房に入社する。「ちくま学芸文庫」編集長、「ちくま新書」編集長、専務取締役編集部長を経て、2001年退社、批評活動に入る。この間に武蔵大学客員教授を務めた。
石川 理夫(いしかわ みちお、1947年 - )は、日本の温… 石川 理夫(いしかわ みちお、1947年 - )は、日本の温泉評論家。日本温泉地域学会会長。環境省中央環境審議会温泉小委員会専門委員。 仙台市生まれ。東京大学法学部卒業。出版社勤務後、企画編集会社を起業。その傍ら、国内外の温泉地と国内外の温泉地取材と温泉史・共同湯・温泉文化論の研究活動に携わり、日本における温泉評論の草分けとなる。NHKBS『ふだん着の温泉スペシャル』『ぜんぶ、温泉!』やNHKラジオ深夜便温泉紀行担当をはじめテレビ・ラジオ出演、雑誌・新聞等での温泉執筆や講演会などを数多くこなす。日本温泉地域学会主催「温泉観光士養成講座」では温泉文化論を担当している。温泉執筆や評論活動はよく知られているが、共同湯の考察をはじめ温泉史・温泉文化論に関する研究活動も行っている。
行田 稔彦(こうだ としひこ、1947年 - )は、日本の教… 行田 稔彦(こうだ としひこ、1947年 - )は、日本の教育者、評論家。新潟県生まれ。新潟大学教育学部卒業。和光小学校・和光鶴川小学校元校長。日本生活教育連盟委員長。
田中 長徳(たなか ちょうとく、1947年 - )は、日本の… 田中 長徳(たなか ちょうとく、1947年 - )は、日本の写真家、カメラ評論家。 偽ライカ同盟・特攻隊長、「東京カメラ倶楽部」特別会員、コシナ研究会顧問。 東京都生まれ。日本大学藝術学部(日藝)写真学科卒業。同期にカンボジアで亡くなった一ノ瀬泰造がいる。大学在学中から、ニコンサロンで学生としては初の個展を開催したり、写真雑誌に作品を発表する。 大学卒業後、ウィーンへ滞在。同地で地道な撮影活動ののち、1980年に帰国。 その後は文化庁の公費派遣芸術家としてニューヨークにも滞在。写真雑誌『チョートクのカメラジャーナル』(124号で終刊)主筆を担当。現在も各専門誌への執筆を続けている。カメラをテーマにしたエッセイが中心で、キャリアを積んできた銀塩カメラにとどまらず、デジタルカメラにも造詣が深い。
柴橋 伴夫(しばはし ともお、1947年 - )は、日本の詩… 柴橋 伴夫(しばはし ともお、1947年 - )は、日本の詩人・美術評論家、北海道立文学館評議員 ー道内外の抽象彫刻家のトリエンナーレ形式の展覧会/自主企画/ 3回開催(会場は時計台ギャラリー、ギャラリーユリイカ、大同ギャラリー、器のギャラリー中森、とわの森三愛中庭など毎回複数空間で同時開催 1986年〜) ー抽象絵画のビエンナーレ形式の展覧会 自主企画 5回開催 1988年〜
篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政… 篠原 文也(しのはら ふみや、1947年 - )は、日本の政治解説者(評論家)、元政治部記者、元テレビ東京解説委員、昭和女子大学客員教授。 大分県大分市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治経済学科卒業後、1971年4月日本経済新聞社に入社。政治部記者として、総理大臣官邸、自民党キャップ、1986年4月、政治部次長、1990年9月の人事にて、宇都宮支局長へ異動。1993年4月付けで、テレビ東京の報道局解説委員を担当。解説委員長を含め務め、2007年11月まで担当し同時に日経新聞社を退職。 京都工芸繊維大学特別教授、昭和女子大学客員教授。2009年3月、文部科学省中央教育審議会委員、2012年3月から内閣府再就職等監視委員会委員を務める。
横田 庄一郎(よこた しょういちろう、1947年 -2014… 横田 庄一郎(よこた しょういちろう、1947年 -2014年 )は、日本のノンフィクション作家、評論家。朝日新聞記者。 早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院政治学研究科修士課程修了後、1970年に朝日新聞社入社。新聞記者の傍ら、主にグレン・グールドやフルトヴェングラーに関する音楽史や明治時代初頭のノンフィクション作品を発表している。資料主義による精妙な取材と筆致に定評がある。
勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家… 勢古 浩爾(せこ こうじ、1947年 - )は、日本の評論家、エッセイスト。 1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒、明治大学大学院政治学修士課程修了。橋川文三に師事。大学院修了後、洋書輸入会社に勤務。「石原吉郎論」で開高健賞候補。その後文筆活動に入り、『まれに見るバカ』がベストセラーとなる。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。2006年退社し文筆に専念。新書による人生論が多かったが、2009年本格評論『大和よ武蔵よ』を刊行。
神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸… 神山睦美(かみやま むつみ、1947年 - )は、日本の文芸評論家。思想評論家。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。1965年 岩手県立水沢高等学校卒業。1971年 東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。1972年 東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程入学(修士を終えずに除籍)。桐生外語学院、東進ハイスクール、河合塾文理など予備校講師を務める。 全共闘活動の後、個人学習塾を開く。その後も、予備校の教壇に立ちながら、在野での思想、評論活動を行う。詩、小説、思想と批評対象は多岐にわたり、通常1年交替の図書新聞文芸時評を3年間続けた。2013年3月17日「吉本隆明さん―逝去一年の会」の事務局代表をつとめ、毎年「横超忌」(吉本隆明を偲ぶ会)開催の決定に尽力した。
土屋 恵一郎(つちや けいいちろう、1946年12月23日 … 土屋 恵一郎(つちや けいいちろう、1946年12月23日 - )は、日本の法学者(法哲学)、演劇評論家。前明治大学学長、名誉教授、博士(法学)。教務理事。観世文庫理事。北京大学日本文化研究所顧問。 東京都墨田区向島出身。1969年明治大学法学部卒業、法学研究科博士課程単位取得満期退学。明治大学法学部助教授、教授をへて、学長を2020年まで務め、名誉教授。中村雄二郎のもとでハンス・ケルゼン、ジェレミ・ベンサムなどの研究をするかたわら、能を中心とした演劇研究の「橋の会」に参加し、身体論とりわけ舞踏・舞踊・ダンスについての評論があり、1990年『能 現在の芸術のために』で芸術選奨新人賞受賞。芸術選奨選考委員。
光栄 堯夫(みつはな たかお、1946年12月22日 - )… 光栄 堯夫(みつはな たかお、1946年12月22日 - )は歌人、文芸評論家。 茨城県生まれ。東洋大学文学部国文学科卒業、上智大学大学院文学研究科修士課程修了。 大学在学中より詩誌「L'ETRANGER」を編集。その後、歌誌「個性」の同人として、加藤克巳に師事。詩、短歌以外にも、評論、小説と広く文芸の領域に関わる。歌集『姿なき客人』(五月書房、2003年)は、デザイナー・田淵裕一とのコラボレーションによる展覧会「輪郭の幻影 光栄堯夫歌集「姿なき客人」から」へと発展する。 現在は短歌を中心に活動を行っているが、その作風は、モダニズム短歌の影響を受けながら、いわば現代の黙示録的状況を描く手段として活用するところに独自性がある。
三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は… 三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日本の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て評論家に。文学、芸術、思想を中心に批評活動を展開する。著書に『メランコリーの水脈』(1984年)、『小説という植民地』(1991年)、『考える身体』(1999年)、『人生という作品』(2010年)など。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 1969年、青土社創業とともに入社、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。
大崎茂芳(おおさき しげよし、1946年12月3日 - )は… 大崎茂芳(おおさき しげよし、1946年12月3日 - )は、日本の化学者、評論家、奈良県立医科大学名誉教授。 兵庫県神崎郡生まれ。兵庫県立福崎高等学校を卒業し、1969年に大阪大学理学部卒業、76年同大学院理学研究科博士課程修了、「ポリ弗化ビニリデンの高温誘電緩和」で理学博士、90年「マイクロ波領域における誘電的異方性によるシート状材料の繊維配向の評価」で京都大学農学博士。1975年神崎製紙研究所、1990年ニチイ経営企画室部長、1994年マイカル商品研究所所長、1995年島根大学教育学部教授に転じ、1999年奈良県立医科大学教授、2012年定年退官、特任教授を経て名誉教授。クモの糸に関する著作で知られる。
荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は… 荒木 正見(あらき まさみ、1946年11月23日 - )は、日本の哲学者・歌人・評論家。哲学・論理学・倫理学を軸として、心理学・医学・文学・スポーツ科学等との学際的研究、講義と著述、評論、実践指導。短歌、エセー等創作。尾道学の提唱者である。 福岡県生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1971年名古屋大学文学部哲学科卒業。1977年九州大学大学院文学研究科哲学・哲学史専攻科博士課程単位取得退学。1978年梅光女学院大学専任講師、84年助教授、1990年福岡女学院大学助教授、94年教授、2001年日本赤十字九州国際看護大学教授、福岡歯科大学教授、文京学院大学教授。文学博士(ph.d.)。名誉博士(フィリピン国立サマール大学)
北中 正和(きたなか まさかず、1946年11月7日 - )… 北中 正和(きたなか まさかず、1946年11月7日 - )は、日本の音楽評論家。 1946年、奈良県に生まれる。京都大学理学部卒業。四国の製薬会社に就職するが半年で退社。 1969年に上京。村元武から田川律を紹介され、雑誌『ニューミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン))の編集者となり、ポピュラー音楽についての評論活動を行う。 その後ワールドミュージックに傾倒し、世界の民族音楽やポピュラー音楽についての本を出版。また、J-POP草創期の日本の音楽文化についても造詣が深い。ウェブ上の音楽雑誌『ERIS』編集協力。 2000年からNHK-FM放送によるラジオ『ワールドミュージックタイム』のDJも務めた(2013年まで)。
花井 伸夫(はない のぶお、1946年 11月2日- 202… 花井 伸夫(はない のぶお、1946年 11月2日- 2025年5月23日)は、ジャーナリスト、演芸・芸能・演劇評論家。元スポーツニッポン東京本社文化社会部編集委員。 東京都出身。法政大学文学部卒業後スポーツニッポンに入社、文化社会部記者として芸能・文化関連の記事を多数執筆。スポニチ・毎日新聞に舞台・演芸評を執筆。演芸関係では雑誌「落語界」「落語」に多数執筆。芸能人や舞台人、演芸関係者との交友関係も幅広く、桂小益の桂文楽(9代目)、柳家三語楼の柳家小さん(6代目)襲名など多くの芸能関連のスクープ記事を報じている。 スポーツニッポン記者の肩書きでテレビ番組にも出演した。大衆芸能関連の審査員、委員なども歴任。
山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )… 山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )は、広島県佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。スカパーJSATグループ番組審議会委員。 本名および旧登録名(1974年まで、後述)は「山本 浩司(読み同じ)」。 2014年から2022年まで日本プロ野球名球会理事長を務めた。 「ミスター赤ヘル」(ミスターあかヘル)の愛称で知られ、現役時代は広島東洋カープのスター選手として活躍し、引退後は広島の監督を2度務め、日本代表の監督も務めた。 NPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物で、セ・リーグ初の外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞し、セ・リーグ最多記録となるダイヤモンドグラブ賞を10回受賞している。
目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - 202… 目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - 2023年1月19日)は、日本のエッセイスト・文芸評論家・編集者。 ペンネームに北上 次郎(きたがみ じろう)、藤代 三郎(ふじしろ さぶろう)などがある。 日本推理作家協会会員。 著書を数多くものしており、初めはジャンルごとに異なるペンネームを使っていた。 など。他に、榊吾郎、館六郎、車堂郎のペンネームを使用した。私小説の目黒考二とミステリー文学評論家の北上次郎、競馬評論家の藤代三郎が主に使われ、自分でも収拾がつかなくなったため他ペンネームはほぼ使われていない。のち群一郎の「群」は、群ようこの作家デビューに際して贈られた。 東京都生まれ、明治大学文学部卒業。
平尾 隆弘(ひらお たかひろ、1946年10月3日 - )は… 平尾 隆弘(ひらお たかひろ、1946年10月3日 - )は、日本の女性雑誌・週刊誌・文芸雑誌等の発掘編集者(acquisitions editor)にして記者、また文芸評論家。クレア編集長、週刊文春編集長、文藝春秋編集長、株式会社文藝春秋社長・日本文学振興会理事長を歴任。 大阪に生まれる。小学校時代はNHK児童劇団に所属し実家は吹田市にあった。小学校時代から新聞を作り、大阪府立茨木高等学校では卓球部に所属する傍ら、同人雑誌を作った。1965年、茨木高等学校を卒業。神戸市外国語大学に入学し、英米語学科を1970年に卒業した。 神戸市外国語大学への進学理由は、一浪後に第一志望の京都大学受験に失敗し、国公立二期校から受験先を選ぶ際に大阪外国語大学は勉強していない地理が必修だったことと、大阪大学と神戸市外国語大学に合格した友人の姉が神戸市外国語大学に進学していたことによる。
須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013… 須藤 徹(すどう とおる、1946年10月1日 - 2013年6月29日)は、日本の俳人、文芸評論家。多田裕計、小川双々子の門下生。俳句を中心とした文芸誌「ぶるうまりん」の代表(編集・発行人)を務めた。「豈」同人。 東京都杉並区生まれ。神奈川県立平塚江南高等学校卒業後、上智大学文学部ドイツ哲学科へ進学した。在学中同大学の文芸誌「紀尾井文学」の編集に従事、小説・評論等を発表。開高健選の「ソフィア祭賞」の「小説」部門に応募、最終4作に残った(入選作なし)。 「上智大学新聞」(1967年10月30日号)に掲載された、開高健の選評「精錬された一語一句」において、当該作品「出発できない朝」につき、懇切な批評を受ける。
田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は… 田淵 幸一(たぶち こういち、1946年9月24日 - )は、東京都豊島区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)・指導者(監督、コーチ)、野球解説者、野球評論家、タレント。阪神タイガースOB会会長(第6代)。 株式会社タブチエンタープライズ所属(FIRST AGENTにも業務提携で在籍)。ニックネームは「ブチ」「ブッちゃん」「タブタ」「オッサン(東尾修が使用)」。3代目ミスタータイガースとも称される。 現役時代は阪神タイガースの主砲として活躍し、1979年に移籍した西武ライオンズではチームの2年連続リーグ優勝・日本一に貢献した。引退後は福岡ダイエーホークス監督、阪神・楽天のコーチを歴任。また、北京オリンピック野球日本代表ヘッド兼打撃コーチも務めた。
呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、日… 呉 智英(くれ ともふさ、1946年9月19日 - )は、日本の評論家、漫画評論家。京都精華大学マンガ学部客員教授。日本マンガ学会2代目会長、現理事。筆名の読みは「ご ちえい」とも。 本名は新崎 智(しんざき さとし)。ペンネームは『水滸伝』の「呉用」に由来する。愛知県西枇杷島町(現・清須市)出身。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)生まれ。東海高等学校卒業。 1965年、早稲田大学法学部入学。 学生運動では無党派の活動家として全共闘運動に参加。早稲田大学2年生の時、学費値上げなどを巡るストライキを防衛しようと、スト破りを計画する運動部の学生と乱闘して逮捕、起訴。2年半にわたる公判の後、1969年、4年生の終わりの頃に執行猶予つきの有罪判決を受けたが、大学からは何の処分も受けなかった。
村井 健(むらい けん、1946年9月14日[リンク切れ] … 村井 健(むらい けん、1946年9月14日[リンク切れ] - 2015年10月5日)は日本の演劇評論家。 秋田県北秋田市(旧・北秋田郡鷹巣町)出身。明治大学文学部卒業後、而立書房の編集者を経て、1982年から『朝日ジャーナル』『週刊朝日』などで劇評を連載、演劇評論家となる。NHKテレビ『芸術劇場』、NHK-FMラジオ『芸術ジャーナル』、『アサヒグラフ』などでも活躍。1999年に「日露演劇会議」を設立した。 2005年に文化庁の国際文化交流使に指名され、モスクワ、サンクトペテルブルク、オムスク、ノヴォシビルスクなどロシア連邦の4都市17会場で日本の演劇文化について講演活動を行った。 また、ロシア国立オムスク大学と連携し、同大学に「日本文化講座」を開設、毎年日本から講師を送り込むほか、日本の現代戯曲のロシア語版のロシアでの出版、ロシアの主要演劇大学の学長を日本に招聘して講演会を開催したほか、日本の劇団のロシア公演、ロシアの演劇大学への留学支援・サポートなどを精力的に行っていた。
田家 秀樹(たけ ひでき、1946年9月12日 - )は、日… 田家 秀樹(たけ ひでき、1946年9月12日 - )は、日本の音楽評論家、ノンフィクション作家、音楽番組パーソナリティ、音楽番組監修者、日本放送作家協会会員、「日本レコード大賞」審査副委員長、「ソングコンテストグランプリ」審査員、元東京医科歯科大学(教養部芸術担当)講師。千葉県船橋市出身、中央大学法学部政治学科卒業。息子は音楽プロデューサーの田家大知。 日本のロック、ポップスを創生期から見続けている。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者になり、文化放送「セイ!ヤング」などの放送作家、「レタス」(サンリオ)などの若者向け雑誌編集長などを経験。放送作家としては、日本民間放送連盟賞ラジオエンターテインメント部門で最優秀賞(2001年)や優秀賞などを受賞。
井上 義夫(いのうえ よしお、1946年9月 - )は、日本… 井上 義夫(いのうえ よしお、1946年9月 - )は、日本の文芸評論家、イギリス文学研究者、翻訳家。一橋大学名誉教授。和辻哲郎文化賞受賞。 徳島県生まれ。徳島県立城南高等学校を経て、1969年一橋大学経済学部卒業、1974年一橋大学大学院社会学研究科博士課程中退。指導教官は増谷外世嗣。同年相模女子大学短期大学部専任講師、1976年助教授、1980年一橋大学法学部助教授、1983年から1985年ケンブリッジ大学客員研究員、1990年一橋大学教授、1998年から1999年、2000年から2002年評議員、2000年言語社会研究科長、2003年から2004年にウィーン大学客員教授。2010年一橋大学名誉教授、一橋大学大学院言語社会研究科特任教授、テクスト研究学会会長。
間 章(あいだ あきら、Aquirax Aida、1946年… 間 章(あいだ あきら、Aquirax Aida、1946年8月18日 - 1978年12月12日)は、音楽評論家、現代思想家。新潟県生まれ。立教大学中退。1969年よりフリー・ジャズを中心とした音楽批評活動を展開し、イベントやレコードのプロデュース活動を行った。1978年12月12日、脳出血により死去。享年32。
坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )… 坂東 眞理子(ばんどう まりこ、1946年8月17日 - )は、日本の婦人問題評論家、元官僚。 第5代学校法人昭和女子大学総長。朝日生命保険相互会社役員。社団法人農山漁村女性・生活活動支援協会会長。 富山県出身。富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部心理学科卒業後、1969年総理府に入省。1975年総理府婦人問題担当室(男女共同参画室の前身)に入室、当時最年少の担当官だった。1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当した。1980年よりハーバード大学へ留学。帰国後、統計局消費統計課長、埼玉県副知事、在豪州ブリスベン総領事(女性初の総領事)、総理府男女共同参画室長などを歴任。2001年には内閣府男女共同参画局の初代局長を経て2003年に退官。
板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年… 板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年〈昭和21年〉8月7日 - )は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 広島県呉市に生まれる(旧本籍地は鳥取県東伯郡大栄町(現北栄町)、現在はさいたま市在籍)。 東工大理工学部附属工業高校、中央大学法学部法律学科、海上自衛隊幹部候補生学校入校(第23期一般幹部候補生課程)。 1972年、毎日新聞社東京本社記者となり、社会部、政治部に所属。首相官邸に詰め福田赳夫・大平正芳、安倍晋太郎・田中六助各内閣官房長官の番記者を担当した。日本医師会、日本歯科医師会、全国健康保険組合連合会や、経済部に籍を置いて東証記者クラブにも所属、東京証券取引所、四大証券会社(大和・日興・野村・山一)、公正取引委員会などを担当した。
木幡 和枝(こばた かずえ、1946年7月26日 - 201… 木幡 和枝(こばた かずえ、1946年7月26日 - 2019年4月15日)は、日本の芸術評論家、アートプロデューサー、翻訳家。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科名誉教授。新潟市民芸術文化会館アドバイザリー・プロデューサー。舞踊資源研究所管理責任者。 東京都生まれ。1965年、雙葉高等学校卒業。1969年、上智大学文学部新聞学科卒業。 同年から1973年まで、TBSブリタニカの編集者で、百科事典「世界子ども百科」編集長。工作舎+フォーラム・インターナショナルの編集者も務めた。後に、1978年に独立。 1970年代より美術、音楽、ダンスのプロデューサー。1981年、東京都中野区にある地下の先駆的パフォーマンススペースplan-Bの設立メンバー、実行委員。
中村 福治(なかむら ふくじ、1946年〈昭和21年〉7月2… 中村 福治(なかむら ふくじ、1946年〈昭和21年〉7月23日 - 2004年〈平成16年〉11月20日)は、日本の経営学者、文芸評論家、翻訳家。 大阪府生まれ。1969年小樽商科大学卒業、東北大学大学院修士課程修了。 1994年「北川宗蔵 創造の道をまっすぐに」で立命館大学博士(経営学)。立命館大学経営学部助教授、教授。58歳で死去。 野間宏などの文学における裏面の研究もおこなった。
宮崎 正弘(みやざき まさひろ、1946年〈昭和21年〉7月… 宮崎 正弘(みやざき まさひろ、1946年〈昭和21年〉7月19日 - )は、日本の国際政治評論家、作家、ジャーナリスト。 拓殖大学日本文化研究所客員教授。「南シナ海問題を考える会」代表。石川県金沢市出身。 金沢市立十一屋町小学校、金沢市立野田中学校、石川県立金沢二水高等学校卒業。早稲田大学教育学部英語英文学科除籍。早大在学中は日本学生同盟に所属し「日本学生新聞」編集長を務めた。 雑誌「浪漫」企画室長を経て、貿易会社を経営。1982年、講談社から「もうひとつの資源戦争」を刊行し、論壇へデビュー。以降、「日米先端特許戦争」「軍事ロボット戦」「中国、次の10年」「中国大分裂」「人民元大暴落」「中国広東軍、反乱す」「金正日の核弾頭」などの著作がある。
塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日… 塩田 潮(しおた うしお、1946年7月14日 - )は、日本の評論家、ノンフィクション作家。 本名・満彦。高知県吾川郡いの町生まれ。土佐中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒(中村菊男ゼミ)。1970年に日本能率協会に入り、「月刊マネジメント」編集部に勤務する。民社党法務政策委員長たる衆院議員岡澤完治秘書、「文藝春秋」記者などを経てノンフィクション作家。1983年『霞が関が震えた日』で講談社ノンフィクション賞受賞。主として現代政治について執筆。
柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021… 柏木 博(かしわぎ ひろし、1946年7月6日 - 2021年12月13日)は、日本のデザイン評論家、武蔵野美術大学名誉教授。兵庫県神戸市出身。 近代日本デザイン史、広告論、都市論を中心として研究。デザインを通して近代社会を考察した。著書に『日用品のデザイン思想』(1984年)、『「しきり」の文化論』(2004年)、『日記で読む文豪の部屋』(2014年)など。 1970年武蔵野美術大学産業デザイン学科卒。卒業後、自宅アパートでデザイン論・デザイン史を研究し始める。編集者などを経て、1983年東京造形大学助教授。1994年勝見勝賞受賞。文化庁芸術選奨選考委員となる。1996年武蔵野美術大学(近代デザイン史)教授。
清水 義和(しみず よしかず、1946年7月 - )は、日本… 清水 義和(しみず よしかず、1946年7月 - )は、日本の演劇研究・評論家、愛知学院大学名誉教授。 岐阜県大垣市生まれ。1969年東洋大学英文科卒、77年立正大学大学院英文学博士課程満期退学。愛知学院大学教養部助教授、教授、客員教授を経て現在は名誉教授。国際寺山修司学会会長。日本英語音声学会副会長。韓国音声学会終身会員。名古屋演劇ペンクラブ会員。松原英治・若尾正也記念演劇賞審査委員。88年日本英語音声学会賞受賞。98年韓国音声学会奨励賞受賞。
渋川 育由(しぶかわ いくよし 1946年6月28日 - )… 渋川 育由(しぶかわ いくよし 1946年6月28日 - )は日本のグラフィック・デザイナー、風景評論家、装幀家。 島根県出身。1969年、武蔵野美術大学産業デザイン学部商業デザイン学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。