岸本 一馬(きしもとかずま、1979年9月27日 - )は、… 岸本 一馬(きしもとかずま、1979年9月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 京都府出身。京都市立洛陽工業高等学校、近畿大学卒。 1998年全日本バレーボール学生選抜東西対抗戦でサーブ賞を受賞した経験を持つ。全日本代表として2001年ワールドリーグに出場した。豪快なスパイクが持ち味である。 2008年4月に松下電器産業を退社しパナソニックパンサーズを退団。住友電工に入社し、9人制バレーボールの住友電工大阪に加入した。
福田 誉(ふくだ ほまれ、1979年9月12日 - )は、日… 福田 誉(ふくだ ほまれ、1979年9月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 和歌山県御坊市出身。和歌山の私立開智高等学校を経て早稲田大学を卒業。2002年に東京ガス(のちのFC東京)へ入団し、第4回V1リーグで新人賞を獲得。2003年の第5回V1リーグで最優秀選手賞を獲得した。 2006年の第8回V1リーグではサーブレシーブ賞、2006年から2008年にかけてのVチャレンジリーグではチームのキャプテンを務め、2年連続3回目の最優秀選手賞を獲得した。 FC東京のVプレミアリーグ昇格後はコーチ兼任選手として活躍し、2014年に現役引退。2014/2015の1シーズンコーチとして在籍した。
村上 龍介(むらかみ りゅうすけ、1979年9月3日 - )… 村上 龍介(むらかみ りゅうすけ、1979年9月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 鎮西高校から中央大学を経て、大学在学中にサントリーサンバーズの内定選手となり、卒業後の2002年にサントリーに入団した。左利きながらレフトアタッカーを務め、リリーフサーバーとしての登場も多かった。 2007年、プレミアリーグ開幕直前の練習で重度の捻挫を負い、手術をした。 2009年の第58回黒鷲旗大会を最後に現役引退。アナリスト・アシスタントコーチとして2016年まで在籍した。
小西 健太(こにし けんた、1979年6月24日 - )は、… 小西 健太(こにし けんた、1979年6月24日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 香川県高松市出身。友人に誘われて玉藻中学1年の時にバレーボールを始める。高松工芸高校在学時には春高バレー、インターハイに出場し、優秀選手に選ばれている。 高校卒業後の1998年、新日鉄(堺ブレイザーズ)に加入。 2007年、Vプレミアリーグのパナソニックパンサーズに移籍、2011年退団。 2019年から宮古島在住。
越谷 章(こしや あきら、1979年6月12日 - )は、日… 越谷 章(こしや あきら、1979年6月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。バレーボール指導者。 神奈川県横須賀市出身。兄の影響で中1よりバレーボールを始める。全日本ユース代表やジュニア代表を経験し、大学卒業後、東レアローズへ入団。 2003年から2004年にかけて、バレーボール日本男子代表に選抜され活躍した。 2003年ワールドカップバレーボールでのねんざや、2007年の肘の手術など、度々ケガや故障に悩まされて来たが、2007/08シーズンVプレミアリーグで復活を果たし、レシーブ賞を受賞した。 2012年にはロンドンオリンピックへの切符を賭けた全日本代表に8年ぶりに招集され、世界最終予選に出場したが、オリンピック出場を果たすことは成らなかった。
奥谷 信彦(おくたに のぶひこ、1979年5月21日 - )… 奥谷 信彦(おくたに のぶひこ、1979年5月21日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 奈良県大和郡山市出身。友人に誘われて、片桐小学6年(片桐VBC)よりバレーボールを始める。 郡山南中学校から大商大高校、大阪商業大学を経て、大学卒業後の2002年にNECブルーロケッツへ入団した。大学時代はミドルブロッカーだったが、NEC入団後にレフトにポジションを転向した。 2003年アジア太平洋カップにおいて、日本代表としてプレーした。 2009年5月、NECの無期限休部に伴い、現役引退した。 2024年現在はNECレッドロケッツアカデミーのスタッフとしてバレーボールの指導を行っている。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
井村 仁美(いむら ひとみ、1979年5月14日 - )は、… 井村 仁美(いむら ひとみ、1979年5月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 宮崎県延岡市出身。小学2年よりバレーボールを始める。宮崎日大高校在学時にはインターハイや春高バレーなどを経験。 鹿屋体育大学在学中には、全日本インカレ2年連続準優勝に貢献し、自らもレシーブ賞を獲得した。2001年、Vリーグ武富士バンブーの内定選手となる。 2003年、第9回Vリーグにおいて新人賞に輝いた。また2004年から2006年にかけてチーム主将を務めた。2007年、現役引退。 2014年5月、デンソーエアリービーズのコーチに就任。 2016年10月、デンソーエアリービーズで選手兼コーチとして9年ぶりの現役復帰を発表した。
大庭 健裕(おおば たけひろ、1979年5月12日 - )は… 大庭 健裕(おおば たけひろ、1979年5月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。2011年9月までVプレミアリーグのFC東京に所属していた。 香川県高松市(旧香川町出身)。実姉の影響で香川町立香川第一中学1年よりバレーボールを始める。 法政大学を経て、FC東京に入団。第6回V1リーグスパイク賞を受賞。2006-2007シーズンのVチャレンジリーグスパイク賞を受賞。2009年チームのVプレミアリーグ昇格に貢献した。コーチ兼任選手として活躍していた。 2011年8月28日、京都市の路上にて酒に酔った状態でタクシー運転手と口論になり、駆けつけた警察官を暴行したとして公務執行妨害で現行犯逮捕された。
大沼 綾子(おおぬま あやこ、1979年4月17日 - )は… 大沼 綾子(おおぬま あやこ、1979年4月17日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 山形県東田川郡三川町出身。ママさんバレーをしていた母親の影響で、三川町立三川中学校入学後に本格的にバレーボールを始める。3年生時に、山形県代表で全国選抜大会に出場。その際の合宿で訪れた、宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある古川商業高校(現・古川学園高校)の監督にスカウトされ進学する。 古川商業高等学校時代、ドリーム・ガールズ(180cm以上が4人、セッターも172cm)と呼ばれたチームで、1学年先輩だった菅山かおるや同級生の高橋翠らと共に、1996年第27回春高バレー優勝、翌1997年インターハイ準優勝に貢献した。
田辺 修(たなべ おさむ、1979年4月10日 - )は、日… 田辺 修(たなべ おさむ、1979年4月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。実兄の影響で安北小学4年(安北スポーツ少年団)よりバレーボールを始める。 崇徳高校を経て、東亜大学を卒業後、2002年にVリーグの東レアローズへ入団した。 第11回Vリーグでベストリベロ賞を獲得、全日本代表入りを果たし、2005年ワールドリーグに出場。 2009年にはVプレミアリーグでレシーブ賞、黒鷲旗大会でベストリベロ賞を獲得し、全日本代表に再選出。2009年ワールドグランドチャンピオンズカップに出場し、日本の銅メダル獲得に貢献した。 2010年4月2日の堺戦で左足小指を骨折し、全治3ヶ月の怪我を負った。
宇佐美 大輔(うさみ だいすけ、1979年3月29日 - )… 宇佐美 大輔(うさみ だいすけ、1979年3月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 秋田県横手市出身。沼館小学校時代はミニバスケットボールをしていた。当時から身体能力が高く、5年生ながらレギュラーに定着していた。同じチームの1つ上の学年には元トヨタアルバルクの半田圭史がいた。父(秋田県立雄物川高等学校元校長)の勧めでバレーボール(十文字クラブ)を始める。 高校時代まではアタッカーをしていたが、東海大学時代から本格的にセッターを始める。2001年に全日本代表に初選出され、大学卒業後の2002年にNECブルーロケッツへ入団した。 現役時代は抜群の身体能力を生かしたトスワークが特徴であった。
山本 太二(やまもと たいじ、1979年1月6日 - )は、… 山本 太二(やまもと たいじ、1979年1月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。 埼玉県さいたま市出身。中学入学後サッカー部に入部するも、バレー部監督に誘われて美園中学2年よりバレーボールを始める。 深谷高校時代はセッターとして活躍し、春の高校バレーで優勝を経験した。大学では主にアタッカーを務めた。 2001年に東レアローズに入団。2005年全日本代表に選出され、ワールドリーグに出場した。 2009年5月現役を引退し、チームスタッフとなった。2014年6月よりコーチ就任。その後シニアマネージャーを務め、2025年から再びコーチを務める。
小川 貴史(おがわ たかし、1978年12月11日 - )は… 小川 貴史(おがわ たかし、1978年12月11日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 南山高校を卒業後、鹿屋体育大学へ進学。ビーチバレー選手のベテラン高尾和行とペアを組んで出場した2001年のビーチバレージャパンで優勝した。 2003年に三好循環器科EKG(2006年より大分三好ヴァイセアドラー)へ入団。V1リーグ時代の2006年にはチームの初優勝に貢献し、最優秀選手賞と得点王を獲得。Vプレミアリーグ昇格の原動力となった。 2008年のチャレンジ!おおいた国体では炬火リレーランナーに選ばれ、アーチェリー選手の松下紗耶未とともに最終炬火ランナーを務めた。 大分三好ではチームのキャプテンを務めていたが、2009年からコーチ兼任選手になった。
兵動 希(ひょうどう しずか、旧姓:仁木、1978年12月6… 兵動 希(ひょうどう しずか、旧姓:仁木、1978年12月6日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。ニックネームはカズ。奈良県奈良市出身。
鈴木 洋美(すずき ひろみ、1978年11月14日 - )は… 鈴木 洋美(すずき ひろみ、1978年11月14日 - )は、日本の元プロビーチバレー選手、元インドアバレーボール全日本代表選手。 埼玉県熊谷市出身。父・母・姉がバレーボールをしていた影響で、小学校4年生から始める。中学校時代に身長は180cmを超え、春日部共栄高校時代は、世界ユース選手権日本代表に選ばれ優勝に貢献した。 1997年にイトーヨーカドーに入社。1998年、全日本代表初選出。同年世界選手権に出場したが、怪我のため出番はほとんど無かった。1999年ワールドカップでは開幕からサーブ、スパイクに活躍し、日本快進撃の立役者となり「シンデレラガール」と呼ばれた。 2001年にイトーヨーカドーの廃部に伴い武富士へ移籍。
直弘 龍治(なおひろ りゅうじ、1978年10月1日 - )… 直弘 龍治(なおひろ りゅうじ、1978年10月1日 - )は、日本の男子ビーチバレーボール選手、元インドアバレーボール選手。グランビーズ広島所属。 広島県広島市出身。広島市立落合中学校卒業。広島県立広島工業高等学校入学後、野球部に入部するもすぐに退部する。その後、バレーボール部に入部した。バレーを始めたのはこのときからである。 1997年、東亜大学へ進学。1999年3年の時、ユニバーシアード(パルマ・デ・マヨルカ大会)に出場し、準優勝に貢献した。 2001年、JTサンダーズに入団。同期に宮下雅寛。同年のワールドリーグ広島大会で初の全日本代表入り。2006年、全日本代表に選出され、2006年世界選手権に出場。
宮下 雅寛(みやした まさひろ、1978年9月19日 - )… 宮下 雅寛(みやした まさひろ、1978年9月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。妻は元バレーボール選手の佐田樹理。 福岡県福岡市出身。福岡市立柏原中学校1年時からバレーボールを始める。。高校は名門福岡大学附属大濠高等学校へ進学、2つ上に桑田鎮典がいた。1996年3年生時には春高バレーで3位入賞した。 1997年、中央大学へ進学し、正センターとして活躍した。後にJTでもプレーする臺光章や徳元幸人とプレーする。 2001年、JTサンダーズへ加入。同期に直弘龍治。2002年全日本に選出され、釜山アジア大会に出場。2005年バレーボール・ワールドリーグに全日本メンバー登録されている。2007年の天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会制覇に貢献した。
熊倉 由美(くまくら ゆみ、現姓:山本、1978年9月5日 … 熊倉 由美(くまくら ゆみ、現姓:山本、1978年9月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都豊島区出身。実姉の影響で小学2年よりバレーボールを始める。共栄学園高校在学時の1994年にインターハイ優勝を経験。 1995年には春高バレー優勝に貢献し、自らもルーキー賞を獲得した。同年にはバレーボール女子ユース世界選手権に出場、優勝となり、日本人初のMVPを獲得。 1996年に内定選手として、Vリーグのイトーヨーカドープリオールに入部。安定したサーブレシーブが持ち味であり、第7回VリーグにおいてVリーグ歴代4位となるサーブレシーブ成功率(85.55%)をマークした。 2001年に現役引退。
都澤 みどり(みやこざわ みどり、1978年8月10日 - … 都澤 みどり(みやこざわ みどり、1978年8月10日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。つくばユナイテッドSun GAIA理事長。 茨城県つくば市出身。実父はバレーボール選手・指導者の都澤凡夫。 小学2年次よりバレーボールを始める。 少年団で指導を受けていた高山鈴江が監督を務める土浦日大高校に進学。 1997年にスポーツ推薦で筑波大学に進学。関東大学リーグなどで活躍。 2001年にV1リーグ(当時)の日立佐和リヴァーレ(現・Astemoリヴァーレ茨城)に入団し、Vリーグ昇格に貢献した。2003年度からはチーム主将として活躍したが、2006年に現役引退。 2010年、32歳でコーチ兼任として現役復帰を果たしたが、2012年に引退し社業に専念した。
甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、… 甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 宮崎県宮崎市出身。母・(旧姓)脇田代喜美は世界選手権で銀メダルを獲得し、モントリオールオリンピックに出場した元ユニチカのバスケットボール選手。父も弟もバレーボール選手。 宮崎市立高岡中学校入学後、母の影響もあり当初はバスケットをやるつもりだったが、バレー部の先生に誘われてバレーボールを始める。中学3年時にさわやか杯宮崎県選抜に選ばれている。高校は地元バレーの強豪・宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学、1年からレギュラーに抜擢され、全日本ユースやジュニアに選ばれている。 1997年、筑波大学へ進学。 2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部。
山本 隆弘(やまもと たかひろ、1978年7月12日 - )… 山本 隆弘(やまもと たかひろ、1978年7月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール全日本選手。現在はバレーボール指導者、解説者、タレント。 鳥取県鳥取市出身。鳥取市立東中学校1年の秋に、それまでバレーボール部唯一の部員だった友人に誘われてバレーボール部に入ったが、その理由は、2人ならば練習しなくてもいいため「一番楽そうだったから」。しかし中学入学時には158cmだった身長が3年間で192cmにまで伸び、本人曰く「ヘタクソすぎて」「ただデカいだけ」だったが、その体格が注目され、バレーボールの名門、鳥取県立鳥取商業高等学校から声がかかり同校へ進学、それから本格的にプレーするようになり、1年生の時からすぐにレギュラーとなる。
増野 彰(ますの あきら、1978年7月6日 - )は、日本… 増野 彰(ますの あきら、1978年7月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 広島県広島市出身。実兄の影響で、川内小学校4年よりバレーボールを始める。 広島大学を卒業後、2001年に堺ブレイザーズに入団。2006年の第12回Vリーグの堺ブレイザーズの優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞。同年全日本代表に初選出され、2006年ワールドリーグに出場した。 2010年3月19日、2009/10Vプレミアリーグをもって現役を引退することが発表され、4月1日付で和歌山県の県立高校の教員に赴任した。
諸隈 直樹(もろくま なおき、1978年6月19日 - )は… 諸隈 直樹(もろくま なおき、1978年6月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元バレーボール全日本男子監督代行。 1978年6月19日、佐賀県佐賀郡大和町出身。双子の兄である諸隈秀東(諸隈英人)も元バレーボール選手。第7回さわやか杯で佐賀県選抜として準優勝し、鎮西高等学校時代には春の高校バレー、インターハイなどで優勝を経験している。全日本ユースにも選出され、世界ユース選手権ではベストスコアラーを獲得した。 その後、法政大学(経営学部経営学科)を経て、富士フイルムプラネッツに入団。2002年、豊田合成トレフェルサに移籍。2000年から2005年まで全日本メンバーに登録されていた。2008年に現役を引退した。
菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は… 菊池 洋之(きくち ひろゆき、1978年5月15日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。秋田県雄勝郡(現:湯沢市)出身。ポジションはミドルブロッカー。 雄勝中学1年よりバレーボールを始める。雄物川高校を卒業後、亜細亜大学へ進学した。 全日本ユース代表、ジュニア代表、ユニバシアード代表などを経験し、大学卒業後の2001年にNECブルーロケッツに入団。同年全日本代表に初選出され、ワールドリーグに出場した。 2009年5月、NECの無期限休部に伴い、現役引退した。
尾上 健司(おのうえ けんじ、1978年5月12日 - )は… 尾上 健司(おのうえ けんじ、1978年5月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)。 神奈川県足柄上郡中井町出身。小学校の頃はサッカー少年だったが、長続きしなかった。実兄の影響で、中井中学1年よりバレーボールを始める。近所に富士フイルム・プラネッツの本拠地があり、当時の憧れは青山繁だった。 秦野南が丘高校、順天堂大学卒業。 2001年、青山に憧れ富士フイルムに入団するも、同シーズン末に廃部となった。 2002年、JTサンダーズに移籍、主力センターとして活躍した。 2003年、全日本代表に初選出され、同年ワールドカップに出場。2005年、2006年に再び全日本代表に選出され、2006年世界選手権に出場した。
川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、… 川村 慎二(かわむら しんじ、1978年5月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。 滋賀県近江八幡市出身。両親のすすめで武佐小学2年(武佐ガッツ)よりバレーボールを始める。 全日本ユース代表としてアジアユース準優勝などを経験、大阪商業大学を経て、2001年に松下電器・パナソニックパンサーズに入団した。 2007-2008年Vプレミアリーグ、2008年黒鷲旗大会の優勝に貢献し、最高殊勲選手賞(黒鷲賞)とベスト6に選出。2012年の同大会でも、黒鷲賞とベスト6に輝いた。 2014年5月の黒鷲旗大会まで13年間パナソニックでプレーし、直後に(2014/15シーズンより)南部正司監督を引き継ぐ形で同チームの新監督に就任した。
上田 かおり(うえだ かおり、1978年4月21日 - )は… 上田 かおり(うえだ かおり、1978年4月21日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。岡山県御津郡建部町(現・岡山市北区)出身。 2008年に久光製薬スプリングスを退団した。
向井 久子(むかい ひさこ、1978年3月1日 - )は、日… 向井 久子(むかい ひさこ、1978年3月1日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。 広島県廿日市市(旧・佐伯郡宮島町)出身。 高校を卒業後、名門バレーボールチーム「ユニチカ・フェニックス」へ入団。 2000年7月、ユニチカの廃部が決まり、9月にチームを引き継いで結成された東レアローズへ入団。同時に東レ株式会社に入社。 高いジャンプ力とパワーあふれるスパイクを武器に、主将・エースとして若手選手の多いチームを牽引する。 2008年天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝、2007-08プレミアリーグ初優勝の2冠などチームに貢献。日本代表選手としても活躍する。 2008年5月、現役引退を発表。東レアローズ事務局に籍を置き、バレーボール教室やコーチングキャラバンで後進の指導を行った。
高杉 洋平(たかすぎ ようへい、1978年2月4日 - )は… 高杉 洋平(たかすぎ ようへい、1978年2月4日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 実姉の影響で寺島中学1年よりバレーボールを始める。全日本ユース代表やジュニア代表を経験し、東レアローズに入団。 高さとパワーを生かしたジャンプサーブが武器で、必殺仕事人のテーマ曲をバックに、リリーフサーバーとして活躍した。 2009年5月、現役引退。同年7月、東レアローズ女子チームのコーチに就任した。 2021-22シーズン終了をもって東レ女子のコーチを退任し、同チームの事務長に就任。
伊東 克明(いとう かつあき、1977年12月28日 - )… 伊東 克明(いとう かつあき、1977年12月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 愛知県名古屋市出身。大同高校を経て、早稲田大学卒業後、2000年に東京ガスへ入団。その年の第2回V1リーグでサーブ賞を獲得した。 2003年の第5回V1リーグでは殊勲賞、FC東京になった2004年の第6回V1リーグと2005年の第7回V1リーグでは2年連続最優秀選手賞を獲得した。 FC東京のVプレミアリーグ昇格後はコーチ兼任選手としてチームを支えていた。 2009年12月、日本代表の主将として東アジア競技大会へ参加し銀メダルを獲得。 2010年5月にFC東京を退団、現役引退した。引退後は社業に専念。
浅倉 勇(あさくら いさむ、1977年12月10日 - )は… 浅倉 勇(あさくら いさむ、1977年12月10日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪府東大阪市出身。学生時代にユニバーシアード、アジアジュニアに出場し、全日本代表に初選出。東海大学卒業後に松下電器・パナソニックパンサーズ(現・大阪ブルテオン)に入団した。 2002年に全日本代表に再選出され、2002年ワールドリーグに出場。 2004年にNECブルーロケッツに移籍し、2008年に現役を引退した。 2023年にゼネラルマネージャー補佐としてパンサーズに復帰。 2025年1月、大阪ブルテオンのゼネラルマネージャーに就任した。
千葉 進也(ちば しんや、1977年12月5日 - )は、日… 千葉 進也(ちば しんや、1977年12月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 神奈川県横浜市出身。親の勧めで大道中学1年よりバレーボールを始める。釜利谷高校を経て、順天堂大学を卒業後、2000年に堺ブレイザーズ(現・日本製鉄堺ブレイザーズ)へ入団した。 2002年、全日本代表に初選出され、2002年世界選手権に出場。堺ブレイザーズでは主将を務めるかたわら、第12回Vリーグで8年ぶりの優勝に貢献するとともに最高殊勲選手賞を受賞し、2006年に全日本代表に再選出。2006年世界選手権、2007年ワールドカップに出場した。2007年ワールドリーグでは全日本の主将も務めた。 2008年6月25日、グラビアアイドルの番ことみとの結婚を発表。
浦田 景子(うらた けいこ、女性、1977年11月30日 -… 浦田 景子(うらた けいこ、女性、1977年11月30日 - )は、日本のプロビーチバレー選手。 福岡県糟屋郡志免町出身。 2012年、浅尾美和とペアを組み、JBVツアー 2位。 2020年、日本ビーチバレーボール連盟主催の国内大会「ジャパンビーチゲームズフェスティバル千葉2020女子の部」に出場。準々決勝敗退。
門間 希(もんま のぞみ、1977年11月9日 - )は、日… 門間 希(もんま のぞみ、1977年11月9日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 北海道札幌郡広島町(現・北広島市)出身。先生の強い勧めで、中学校1年生からバレーボールを始める。 旭川実業高等学校在学時にはインターハイや春高バレーなどを経験。 1995年東洋紡オーキスに入団し、3年間在籍した。 2008年、地域リーグに降格していた栗山米菓ビービースターズ(現Befco)に入団した。チームは2009年6月にVチャレンジリーグに再昇格し、主将を務める。 2011年3月、2010-11 チャレンジリーグにおいてブロック賞を獲得した。 2012年、Befco休部に伴い引退。
伊藤 信博(いとう のぶひろ、1977年11月4日 - )は… 伊藤 信博(いとう のぶひろ、1977年11月4日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 静岡県浜松市出身。先生の勧誘で庄内中学1年よりバレーボールを始める。 下田南高校を卒業後、デンソーを経て、1999年に新日鐵(現在の堺ブレイザーズ)に入団した。 2002年に全日本代表に初選出され、2002年世界選手権に出場、翌2003年ワールドカップに出場した。 2010年1月21日の練習中に左足ジョーンズ骨折。全治12週間の怪我を負った。6月30日、現役引退を発表。 2010年より賢明学院に事務員として勤務し、賢明学院高校の監督をしていた。 2015年より帝塚山大学のバレーボール部監督をしていた。現在、浜松市内の中高一貫校で社会科教諭。
北川 祐介(きたがわ ゆうすけ、1977年9月30日 - )… 北川 祐介(きたがわ ゆうすけ、1977年9月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。現在は愛知工業大学名電高等学校の保健体育の教員、同校の男子バレーボール部監督。 愛知県額田郡幸田町出身。中学3年よりバレーボールを始める。バスケットボール選手の大野篤史は高校の同期に当たる。 松下電器を退団後、豊田合成トレフェルサでバレーを続ける傍ら、愛知学院大学に通い教員免許を取得。 2010年2月2日、2009-2010年Vプレミアリーグをもって現役を引退し、4月1日から母校の愛知工業大学名電高等学校の教員となることが発表された。東レとの3位決定戦をもって現役を引退した。
磯辺 絵梨子(いそべ えりこ、1977年8月23日 - )は… 磯辺 絵梨子(いそべ えりこ、1977年8月23日 - )は、元女子バレーボール選手である。 東京都足立区出身。共栄学園高等学校時代は温水麻子とツーセッターを組み、1995年の第26回春の高校バレーで優勝。 1996年、ユニチカ・フェニックスに入団。長くチームを支えた中西千枝子の後釜として中西本人から指導を受け、翌年からレギュラーとしてプレーする。1998年にはバレーボール世界選手権の日本代表メンバーに選出される。 2000年にユニチカ・フェニックスの休部に伴い、全体移籍という形で東レアローズに移籍したが、2001年に現役を引退した。本人いわく以前から膝の故障に苦しんでおり、頑張っても現状維持が精一杯であったとのことである。
船崎 恵視(ふなさき めぐみ、現姓:安田、1977年8月14… 船崎 恵視(ふなさき めぐみ、現姓:安田、1977年8月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現指導者。 宮崎県宮崎市出身。友人に誘われて小学5年よりバレーボールを始める。走ることが大好きだったので、中学では陸上部を選択したが、バレーボールへの思いが強くなり、少しでも役立つとの思いからハイジャンプの練習に集中した。高校は県内バレー強豪校の宮崎日大高校へ進学する。セッターとして出場した1年生大会で優勝し、3年次にも宮崎代表となった。 香蘭女子短期大学卒業後、V1リーグの武田薬品に入部したが、3年後に廃部。JTマーヴェラスを経て茂原アルカスに入部するも後に廃部となり、2006年、Vプレミアリーグに昇格したばかりのトヨタ車体クインシーズに入部した。
前田 悟(まえだ さとる、1977年8月9日 - )は、日本… 前田 悟(まえだ さとる、1977年8月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 兵庫県尼崎市出身。尼崎市立大島小学校5年次からバレーボールを始める。尼崎市立大庄北中学校卒業後、履正社高等学校へ入学する。1996年、近畿大学へ進学。1998年3年次には全日本男子学生選抜に選ばれている。 2000年、NTT西日本レグルスに入団。2001年には全日本に選出され東アジア競技大会大阪大会に出場し優勝する。 2002年、レグルスが休部したことに伴い、日本たばこ産業(JT)へ入社、JTサンダーズに入部した。レギュラーセッターとして活躍、2004年および2005年には全日本メンバーに選手登録され、2004年ワールドリーグに出場している。
大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、… 大村 悟(おおむら さとる、1977年7月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 小学校1年生よりバレーボールを始める。東北高校を経て、東海大学時代に秋季リーグで優勝を経験。大学卒業後の2000年4月にNECブルーロケッツに入部した。NECでは長年チームの主将を務めた。 2007年の第56回黒鷲旗大会ではチームを優勝へと導き、黒鷲賞(最高殊勲選手賞)受賞とベスト6に選出された。 2008年5月、現役引退。同年6月、NECレッドロケッツのコーチに就任した。 2017年、2016/17シーズン終了をもってNECのコーチを退任。退任後は社業に専念。 2024年、2023-24 V1女子のリーグ戦途中でデンソーエアリービーズのコーチに就任した。
鈴木 孝政(すずき たかまさ、1977年7月18日 - )は… 鈴木 孝政(すずき たかまさ、1977年7月18日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 熊本県菊池郡菊陽町出身。先生の勧誘を受けて中学1年次よりバレーボールを始める。 全国都道府県対抗中学バレーボール大会「さわやか杯」の第6回大会で準優勝し、オリンピック有望選手を受賞。鎮西高等学校時代には主将を務め、1995年のインターハイで、同校初の全国優勝を成し遂げる。その後法政大学に進学し、旭化成に入社。2002年アジア競技大会(The 14th Asian Games XIV Asiad)で、全日本代表に選出され銅メダルを獲得。2003年3月に半月板を損傷し手術。復帰を果たすが、2006年スパーキッズの休部により社業に専念。
西畑 美希(にしはた みき、1977年4月27日 - )は、… 西畑 美希(にしはた みき、1977年4月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、現バレーボール指導者である。 広島県福山市出身。1989年に日本で開催されたワールドカップの影響を受けて、中学3年時に福山市立向丘中学校から岡山県のバレーボール強豪校である就実中学校に転学して本格的にバレーボールを始める。1992年夏の全中に出場、同年暮れのさわやか杯では全国中学強化選手に選出された。 1993年に就実高校に進学。同期に向井久子(元全日本、石川島播磨呉→ユニチカ)がいる。同年夏のインターハイではいきなり準優勝を果たす。3年次となった1995年にはインターハイで優勝し、自らも優秀選手賞及びベスト6に耀く。
阿南 卓(あなみ たく、1977年4月25日 - )は、日本… 阿南 卓(あなみ たく、1977年4月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪府藤井寺市出身。上宮高校から大阪経法大学を経て、大学在学中にサントリーサンバーズの内定選手となり、卒業後の2000年にサントリーに入団した。 サントリーでは第6回Vリーグから第10回Vリーグにかけて5連覇を経験。出場機会が増えた2006-2007プレミアリーグではチームのミドルブロッカーとして活躍し、6度目の優勝を経験した。 2008年の第57回黒鷲旗大会を最後に現役引退し、サントリーのチームマネージャーに就任した。 2014年に退任し、社業に就いている。
山下 洋子(やました ひろこ、1977年3月22日 - )は… 山下 洋子(やました ひろこ、1977年3月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 北海道千歳市出身。家族は両親と姉、妹の5人家族。 旭川実業高等学校を経て、1995年に東洋紡オーキスに入団。1998年に現役を引退した。
澤畠 雄一郎(さわはた ゆういちろう、1977年3月14日 … 澤畠 雄一郎(さわはた ゆういちろう、1977年3月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。茨城県日立市出身。ポジションはミドルブロッカー。 元上尾メディックス所属のバレーボール選手澤畠文子は妹。 土浦日大高校を経て、国士舘大学を卒業後の1999年に新日鐵(現在の堺ブレイザーズ)へ入団。2001年に全日本代表に初選出され、2001年ワールドリーグ、2002年アジア大会に出場した。 チームではミドルブロッカーとして活躍し、2006年の第12回Vリーグの堺ブレイザーズの優勝に貢献した。 2008年5月31日を以って堺ブレイザーズを退団し、現役を引退した。
清水 綾(しみず あや、1977年3月1日 - )は、元バレ… 清水 綾(しみず あや、1977年3月1日 - )は、元バレーボール選手。 北海道上川郡下川町出身。家族は、両親と妹の4人家族。 旭川実業高等学校在学時には、ライトアタッカーとして、インターハイや春高バレーなど全国大会に出場。 1995年に東洋紡オーキスに入団。 下川町から初となる実業団選手として活躍。 1996年に現役を引退。
関井 陽子(せきい ようこ、1976年12月24日 - )は… 関井 陽子(せきい ようこ、1976年12月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 京都府京都市出身。小学5年の時に「スポーツ教室がバレーボールしかなかった」のでバレーボールを始めた。京都府立北嵯峨高等学校在学時に全国高等学校バレーボール選抜優勝大会3位入賞を果たして、1995年にVリーグダイエー(当時)に入部。 2001年、第7回Vリーグにおいて、久光製薬スプリングアタッカーズの準優勝に大きく貢献し、自らも敢闘賞、ベスト6に輝いた。 センタープレイヤーとしては決して長身ではないが、ずば抜けた身体能力と跳躍力を持った肉体美の選手だった。
佐々木 みき(ささき みき、1976年12月15日 - )は… 佐々木 みき(ささき みき、1976年12月15日 - )は、元女子バレーボール選手。元・北海道大谷室蘭高等学校女子バレーボール部監督。株式会社エール所属。 北海道室蘭市出身。中学校1年生よりバレーボールを始め、1990年さわやか杯で全国強化選手、翌年の同大会でオリンピック有望選手に選ばれる。登別大谷高校では春高バレー、インターハイに出場し、1993年世界ユース選手権準優勝、1994年アジアジュニア選手権準優勝を経験した。 1995年、ダイエーオレンジアタッカーズ入団。1997年第4回Vリーグの優勝に貢献、その後オレンジアタッカーズを経て1999年、東洋紡オーキスに移籍。2000年第7回Vリーグ優勝・ベスト6に輝いた。
増村 雅尚(ますむら まさなお、1976年11月25日 - … 増村 雅尚(ますむら まさなお、1976年11月25日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者、体育学者。九州産業大学人間科学部スポーツ健康科学科教授。元バレーボール日本代表。 長崎県南松浦郡新上五島町(旧奈良尾町)出身。 長崎県立長崎北高等学校卒業後、筑波大学に進学。ユニバーシアード日本代表として1997年と1999年の大会に出場している。 筑波大学4年生で富士フイルム・プラネッツの内定選手として登録され、卒業後の1999年に富士フイルムに入社。 2002年に富士フイルム・プラネッツの廃部に伴い富士フイルムを退社、堺ブレイザーズに移籍。この年日本代表に選出され、ワールドリーグに出場した。 2005年に堺ブレイザーズを退団。
白鳥 勝浩(しらとり かつひろ、1976年10月29日 - … 白鳥 勝浩(しらとり かつひろ、1976年10月29日 - )は、日本の元ビーチバレーボール選手、元インドアバレーボール選手。現在は、ビーチバレー日本代表の女子監督を経て、2013年夏からビーチバレーボール評議会評議会委員 強化委員長。 日本ビーチバレーボール選手会初代会長。 東京都大田区出身。中学時代からバレーボールを始め、バレーボールの名門、東亜学園高等学校で春の高校バレーで準優勝とインターハイで全国3位を経験した。また東海大学では全日本インカレで準優勝するなど活躍した。卒業後はビーチバレー選手として活躍、オリンピック3大会(北京、ロンドン、東京)でビーチバレー日本代表。 日本バレーボール協会ビーチバレーの強化委員長兼女子代表監督を務めたが、2014年12月に職を辞し現役復帰が発表された。