畑 耕一(はた こういち、1974年1月18日 - )は、日… 畑 耕一(はた こういち、1974年1月18日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 京都府京都市出身。花園高校、法政大出身。 1996年、法大監督の勧めで住友金属ギラソールへ入部。同年度の実業団リーグ(現チャレンジリーグ)優勝に貢献、Vリーグ(現プレミアリーグ)昇格を果たす。しかし、母体の都合でギラソールは1998年3月付で廃部となった。 他の選手がクラブチーム「福岡ワンダーズ」を立ち上げ活動している中、畑は移籍を決意したがなかなかチームが見つからなかった。そこへくまもと未来国体に向けて強化していた財団法人熊本県スポーツ振興事業団から声がかかる。1999年、(財)熊本県スポーツ振興事業団に国体までの短期契約で入社する。
江越 由佳(えごし ゆか、1974年1月17日 - )は、日… 江越 由佳(えごし ゆか、1974年1月17日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 佐賀県佐賀市出身。佐賀・昭栄中3年生からバレーボールを始め、博多女子高校を経て、1992年ユニチカに入団。第1回(1994-95年)Vリーグでブロック賞を獲得し、1995年、全日本代表に初選出された。同年のワールドカップ、1997年のワールドグランプリ、グラチャンなどに出場した。1999年JTに移籍。2001年現役引退。2004年4月から8月までJTでマネージャーを務めた。 第5回Vリーグで記録した1シーズンのブロック本数1.44本/セットは、日本人最高記録で今も破られていない。
濱口 純一(はまぐち じゅんいち、1973年12月26日 -… 濱口 純一(はまぐち じゅんいち、1973年12月26日 - )は、日本のバレーボール選手・指導者。 熊本県天草市出身。先輩に誘われて中学1年次よりバレーボールを始め、鎮西高校に進学。1991年の春高バレーにおいて敢闘賞、同年のインターハイでも優秀選手賞を獲得した。 1992年法政大学に進学すると、全日本インカレにおいて、1992年・1993年と連続準優勝し、1995年には優勝の原動力となり自らもMVP・レシーブ賞を獲得した。同年、福岡で開催されたユニバーシアードに出場した。 1996年にVリーグ富士フイルム・プラネッツに入部し、2002年の廃部まで所属した。その後富士フイルムでサラリーマンを続けながら、東京ヴェルディに参加。
古井 千恵美(ふるい ちえみ、1973年10月18日 - )… 古井 千恵美(ふるい ちえみ、1973年10月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 滋賀県愛荘町出身。近江高校を経て、JTに入団。その後当時の東芝シーガルズに移籍し、東芝シーガルズ休部後、クラブチームのシーガルズで活躍。 2002年に現役を引退。その後、母校近江高校にてコーチを務め、2008年より再度岡山シーガルズにて現役復帰するも、2009年6月に現役引退、郷里滋賀県で再びコーチに復帰した。
齋藤 信治(さいとう のぶはる、1973年9月29日 - )… 齋藤 信治(さいとう のぶはる、1973年9月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 父親は185cm、母親は175cm、妹は186cm、曾祖父は190cmあったという。 宇都宮白楊高校時代は無名選手であったが、日本体育大学に入学すると猛練習で成長しインカレでも活躍する。 その後、1996年東レアローズに入団し、2m超の高身長を武器にVリーグで活躍。オポジットとしてプレーしていたが、2000-2001シーズンよりチーム事情でミドルブロッカーにコンバートされた。全日本代表にも何度も選ばれ、国際大会でも活躍したが、2008年北京オリンピック出場をもって現役引退した。 現役引退後は、東レ建設での社業を行いながら、バレーボールの普及活動に努めている。
齋藤 信治(さいとう のぶはる、1973年9月29日 - )… 齋藤 信治(さいとう のぶはる、1973年9月29日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。栃木県今市市出身。ポジションはミドルブロッカー。ニックネームはノブコフ205(のぶこふ にーまるご)。
笠原 紀久(かさはら のりひさ、1973年9月28日 - )… 笠原 紀久(かさはら のりひさ、1973年9月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。東京都武蔵野市出身。ポジションはウイングスパイカー。 学生時代はジュニア代表に選ばれ、世界ジュニア、アジアジュニアに出場。中央大学を卒業後、1996年に東レ・アローズに入団。 元全日本代表の齋藤信治、小林敦とは同期入団で、2005年の第11回Vリーグでは東レ悲願の初優勝に貢献した。 2008年の第57回黒鷲旗大会を最後に現役引退するまで東レの中心選手として活躍した。
小泉 栄子(こいずみ えいこ、現姓:山田、1973年9月1日… 小泉 栄子(こいずみ えいこ、現姓:山田、1973年9月1日 - )は、日本のプロビーチバレー選手(元インドアバレーボール選手)。 岡山県生まれ、兵庫県明石市出身。中学校1年生からバレーボールを始め、県代表として全国大会に出場。氷上高校時代、主将として1991年春高バレー優勝を経験した。 1992年、イトーヨーカドーに入団。1997年、1998年Vリーグオールスター戦に出場した。 1999年、東北パイオニアに移籍。斎藤真由美、内田役子らと共にVリーグ昇格の原動力となった。 2002年にインドアから引退。地元に戻り、OLやスポーツインストラクターなどを経て、2005年からビーチバレーを始める。以来田中姿子とペアを組み、国内外を転戦中。
小糸 敬夫(こいと たかお、1973年8月27日 - )は、… 小糸 敬夫(こいと たかお、1973年8月27日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 京都府京都市出身。ジュニア代表に選ばれアジアジュニアで準優勝。亜細亜大学卒業後、1996年に松下電器(現在のパナソニックパンサーズ)に入団した。以前は選手兼任コーチとしても活躍していた。 ベテランのリベロとして長年チームを支えた。2011年退団。
高橋 昇禎(たかはし のりよし、1973年8月3日 - )は… 高橋 昇禎(たかはし のりよし、1973年8月3日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。 岩手県北上市出身。両親がバレーボールをやっていた影響で、中学1年からバレーボールを始める。岩手県立不来方高等学校在校中には1991年に春高やインターハイ出場を果たす。亜細亜大学に進学後は、全日本インカレにおいて、1994年及び1995年に準優勝する原動力となった。 卒業後、Vリーグ東レアローズに入団。 2001年に引退し、2007年から一関修紅高等学校の監督を務めている。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
高橋 智則(たかはし とものり、1973年7月12日 - )… 高橋 智則(たかはし とものり、1973年7月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 大阪府門真市出身。中学時代には全国都道府県対抗中学バレーボール大会出場。日本体育大学時代の1年次、1992年インカレで優勝している。 大学卒業後1996年、新日鉄ブレイザーズ(現堺ブレイザーズ)に入団。同年の第3回Vリーグ優勝に貢献、新人賞を受賞した。1998年から2001年まで全日本代表入りし、1999年ワールドカップ、シドニー五輪予選、2001年ワールドグランドチャンピオンズカップ、2001年アジア選手権などに出場した。2002年から旭化成スパーキッズに入団。2005年JTサンダーズに移籍、1シーズンプレーし退部・退社、2006年に現役を引退した。
西村 晃一(にしむら こういち、1973年6月30日 - )… 西村 晃一(にしむら こういち、1973年6月30日 - )は、日本の男子バレーボール選手、ビーチバレー選手。WINDS所属。妻は菅山かおる。 京都府京都市出身。山階南小学校4年生の頃からバレーボールを始め、京都市立山科中学校、花園高等学校、立命館大学に進学する。中学3年時の全国都道府県対抗中学バレーボール大会(さわやか杯)、高校3年時の春高バレー、大学4年時の西日本インカレではアタッカーとして優勝を経験した。 1996年、NECホームエレクトロニクスに入社、1年で廃部となりNECブルーロケッツに移籍し、アタッカーとして活躍した。Vリーグ、黒鷲旗で優勝。1998年にリベロとして全日本に選出された。
細川 延由(ほそかわ のぶよし、1973年5月17日 - )… 細川 延由(ほそかわ のぶよし、1973年5月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 東京都中野区出身。東亜学園高校時代には、高校3冠を達成。亜細亜大学へ進学。 1996年4月、大学卒業後、NECブルーロケッツに入団。入団後、ミドルブロッカーからレフトへ転向した。 2001年、全日本代表に初選出され、2001年ワールドグランドチャンピオンズカップ、2002年世界選手権、2003年ワールドカップに出場。2004年アテネオリンピックバレーボール世界最終予選まで代表を務め、全日本ではキャプテンも務めた。 2008年5月、現役を引退。 2025年時点ではNECレッドロケッツ川崎アカデミーでコーチを務めている。
野村 まり(のむら まり、現姓・藤岡、1973年4月8日 -… 野村 まり(のむら まり、現姓・藤岡、1973年4月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 鹿児島県鹿児島市出身。Vプレミアリーグ・岡山シーガルズに所属していた。 2009年6月に現役引退を表明、同年より岡山シーガルズ事務局職員。 1999年からのVリーグ及びVプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の… 藤井 壮浩(ふじい まさひろ、1973年3月6日-)は日本の元男子バレーボール選手、指導者。現在、東海大学体育学部教授、同大学女子バレーボール部監督。 宮城県桃生郡雄勝町(現石巻市)出身。中学1年生よりバレーボールを始める。 1990年、第21回春高バレーにおいて、東北高校のエースとして準優勝に大きく貢献。 東海大学進学後、1993年・1994年の全日本インカレ連覇に貢献し、1995年Vリーグ(当時)のNECブルーロケッツに入団。 NEC時代のVリーグでは、1996年第2回Vリーグ優勝、1999年第5回Vリーグ優勝などに貢献し、2002年現役引退。 現役引退後は指導者として、2008年より東海大学女子バレーボール部監督となり同年全日本インカレ準優勝、2010年の同大会準優勝。
明井 寿枝(みょうい すみえ、1973年1月17日 - )は… 明井 寿枝(みょうい すみえ、1973年1月17日 - )は、日本のバレーボール審判員である。北海道バレーボール協会所属。 国際バレーボール連盟(FIVB)公認の国際審判員であり、FIVBレフェリー(カテゴリーA)に登録されている。 中学校時代にバレーボールを始める。当時のポジションはセッター。 北海道室蘭清水丘高等学校時代に体育教師を志し、日本女子体育大学に進学。大学1年生時は6人制チームの選手として所属し、2年生からマネージャーに転向。 大学卒業後、1年間私立高校で講師を務める。翌年は採用試験対策に専念し、97年から高校の保健体育教諭を務める。 北海道内の高等学校で教員を務めながら、2001年に日本バレーボール協会のA級審判員資格を取得したのち、2007年に国際審判員の資格を取得した。
末国 愛里(すえくに あいり、1972年12月27日 - )… 末国 愛里(すえくに あいり、1972年12月27日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。元バレーボール日本女子代表。 現在は株式会社「Will-Coach Labo」代表を務める。 北海道釧路市生まれ、広島県福山市育ち。 1991年世界ジュニア選手権に出場し、3位を経験。1995年、バレーボール日本女子代表としてワールドカップに出場した。心臓疾患で1996年に現役引退後は社業の傍らNHK-BSで解説者を務めた。現在はコーチング会社「Will-Coach Labo」代表を務める。
坂本 久美子(さかもと くみこ、1972年12月13日 - … 坂本 久美子(さかもと くみこ、1972年12月13日 - )は、日本の元バレーボール選手。 福岡県糟屋郡出身。博多女子高等学校時代は全国高等学校バレーボール選抜優勝大会3位。1990年、17歳で日本代表入りしバレーボール世界選手権に出場した。 1991年、ダイエー・オレンジアタッカーズに入部。10年に一人の逸材として期待され一年目よりレギュラーを獲得し活躍したが、その後外国人選手や佐々木みきらとのポジション争いに敗れ、怪我などもありで長らく控え選手に甘んじた。1999年、オレンジアタッカーズ退部。同年デンソーエアリービーズに入団。2001年現役引退。 春高コーチングキャラバンコーチ等で後進の指導に当たった。
平野 信孝(ひらの のぶたか、1972年12月5日 - )は… 平野 信孝(ひらの のぶたか、1972年12月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 愛知県海部郡七宝町(現在のあま市)出身。七宝中学1年次から家族の影響でバレーを始める。美和高校から東海大学へと進学する。学生時代に世界ユース、世界ジュニア、アジアジュニアを経験した。 1995年4月、日本たばこ産業(JT)入社、JTサンダーズへ入団した。同年度の第1回Vリーグで新人賞、同年度の黒鷲旗では若鷲賞を獲得した。以降JTのエースとして活躍していく。 一方全日本代表では1996年から選抜され、1998年世界選手権、1999年ワールドカップに出場した。 2006-07シーズンに10シーズン230試合以上出場達成し、JTでは初となるVリーグ栄誉賞を受賞した。
星野 賀代(ほしの かよ、現姓:木村、1972年9月12日 … 星野 賀代(ほしの かよ、現姓:木村、1972年9月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 沖縄県宜野湾市出身。中部商業高校在学中に、インターハイに2年連続出場。またジュニア代表に選出され、アジアジュニア選手権優勝や世界ジュニア選手権3位入賞に貢献した。 1991年、日本リーグのNEC(当時)に入部。パワーを武器にアタッカーとして活躍した。1996年のアトランタオリンピックにも出場した。2000年に28歳で現役引退。 引退後はNECで事務職を続けていたが29歳で退職し、オーストラリアに語学留学。遊びレベルでバレーボールを再開したところ、経歴を知ったナショナルチーム関係者からトップチーム強化に力を貸してほしいとの話が進み、オーストラリア女子代表のアシスタントコーチを務めた。
山口 祐之(やまぐち ひろゆき、旧姓・市橋、1972年8月1… 山口 祐之(やまぐち ひろゆき、旧姓・市橋、1972年8月15日 - )は、日本の元バレーボール選手、現指導者。 長野県長野市出身。中学1年次よりバレーボールを始め、長野県代表として1987年のさわやか杯に出場した。高校は県内の強豪校である岡谷工業高等学校に進学し、1990年にインターハイでは準優勝に輝き、自らも優秀選手賞を獲得した。大学は筑波大学に進学し、在学中に全日本インカレでベスト4を3度果たした。 一方、国際大会では1989年に世界ユース、1991年に世界ジュニア、1995年にはユニバーシアードなどに出場した。 1994年に新日鐵ブレイザーズの内定選手となり、10年にわたり中心選手として活躍した。
江藤 直美(えとう なおみ、1972年7月12日 - )は、… 江藤 直美(えとう なおみ、1972年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、バレーボール指導者である。 福岡県北九州市出身。中学校1年生からバレーボールを始める。1987年、第1回全国都道府県対抗中学バレーボール大会に熊本選抜で出場した。決勝トーナメントの初戦で神奈川に敗れたが、身長が183cmあり女子の参加選手中最高身長であったことから、オリンピック有望選手に選出された。 扇城高校(現・東九州龍谷高校)では3年連続インターハイに出場し、高校2年の時には春高バレーで準優勝。1989年世界ユース選手権3位、アジアユース選手権優勝、1990年アジアジュニア選手権優勝(サーブ賞)を経験した。
奥田 晃(おくだ あきら、1972年6月26日 - )は、日… 奥田 晃(おくだ あきら、1972年6月26日 - )は、日本の男子バレーボール選手。 東京都渋谷区出身。東亜学園高等学校、法政大学を経て、1994年、NECブルーロケッツの内定選手となる。1995年、NECに正式入団。 以降、東京ヴェルディでもプレーし、2019年より兵庫デルフィーノでプレー。2022年に退団。クラブチームの東京スリジエに加入した。
多治見 麻子(たじみ あさこ、1972年6月26日 - )は… 多治見 麻子(たじみ あさこ、1972年6月26日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 小学校6年生からバレーを始め、八王子実践高校時代は春高バレー優勝等を経験した。1991年日立に入社。 1990年全日本代表初選出。1992年バルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックと五輪に2度出場。1997年より葛和伸元率いる全日本のキャプテンに抜擢され、1998年世界選手権で主将を務めた。1999年1月に左膝の手術を受けた影響で同年のワールドカップには出場したが満足なプレーが出来なかった。2000年シドニー五輪予選に間に合わず、Vリーグでも99、00年シーズンと本来の活躍ができなかった。
濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は… 濱田 義弘(はまだ よしひろ、1972年4月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 崇徳高等学校、大阪商業大学を経て、1995年、ユニチカ・フェニックスのコーチに就任し、5シーズン在籍した。2001年からパイオニアレッドウィングスのコーチを4年間務め、2005年に久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に移籍し眞鍋政義監督の下でコーチを務めた。コーチとして在籍した3チームでそれぞれリーグ優勝も経験する。2009年、眞鍋の日本女子代表監督就任に伴い久光製薬の監督に昇格する。 2009/10シーズン、久光製薬の監督として、2年ぶりの優勝を目標に掲げ、長所であるレシーブとつなぎの強化をそのまま続け、パワーとスピードの改革を行う方針を打ち出した。
真保 綱一郎(しんぼ こういちろう、1972年4月11日 -… 真保 綱一郎(しんぼ こういちろう、1972年4月11日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 神奈川県横浜市出身。 駒澤大学卒業。1999年、チェコのAero odlena vodaでコーチを務める。2022年からはイタリアのチームでコーチを務める。 2004年より初めて日本でコーチとなり、NECレッドロケッツのコーチに就任。2005年からは久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)で2シーズンコーチを務めた。 2007年からは男子でのキャリアが始まり、パナソニックパンサーズのコーチに就任し、8シーズンに渡ってコーチを務めた。 2014年より男子日本代表のコーチも2シーズン務めた。 2015年から再び海外で活動し、ドイツのベルリン・リサイクリング・バレーズでコーチを1シーズン務めた。
佐々木 太一(ささき たいち、1971年12月14日 - )… 佐々木 太一(ささき たいち、1971年12月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元日本代表。 現在は、サントリーのマーケティング部門社員、ウイスキー・アンバサダーとして、サントリーウイスキーの啓発活動をする一方、バレーボールの解説者としても活動している。 神奈川県横浜市旭区出身。小学生の時にライオンカップに出場。中学、高校とバレー部に所属したが全国大会の出場はなかった。 しかし、専修大学在学時に全日本に選出され、サントリーに入社後も全日本で活躍した。194cmとセンターとしては小柄だが、その長い手足でブロック到達点は330cm、スパイク到達点は343cmを記録した。第5~10回のVリーグ5連覇に貢献し、2002年にスパイク賞、ベスト6にも5回選ばれた。
古田 博幸(ふるた ひろゆき、1971年10月22日 - )… 古田 博幸(ふるた ひろゆき、1971年10月22日 - )は、日本の男子バレーボール選手である。 福岡県直方市出身。先生に勧められて中学1年生からバレーボールを始める。 直方高等学校を経て、1990/91シーズン、高校卒業後に、日本実業団バレーボールリーグ(当時の2部リーグ)に所属する住友金属(後に住友金属ギラソール)に入団した。チームは、1994年にVリーグに昇格した。1シーズンで降格となるが、1997年に復帰した。また、実業団リーグでは、1993/94シーズン、1996/97シーズンにスパイク賞を受賞した。1997/98シーズン、第4回Vリーグでサーブレシーブの日本記録を樹立し、サーブレシーブ賞を受賞。
印東 玄弥(いんどう はるや、1971年8月22日 - )は… 印東 玄弥(いんどう はるや、1971年8月22日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 北海道出身。恵庭南高校から日本体育大学に進学し、バレーボール指導者を目指した。1980年代に世界を席巻した中国代表の強さを研究するため、1993年に北京体育大学に留学した。 大学卒業後の1995年5月にダイエーオレンジアタッカーズのコーチに就任し、名将アリー・セリンジャーの元で学んだ。第4回Vリーグにおいてダイエーオレンジアタッカーズ3年ぶり2回目の優勝に貢献する。 1998年に日立佐和へ移籍後、同チームはVリーグ昇格、第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)で準優勝、 V・サマーリーグ初優勝などの強化に貢献する。
尾﨑 侯(おざき こう、1971年8月4日 - )は、日本の… 尾﨑 侯(おざき こう、1971年8月4日 - )は、日本の元男子インドアバレーボール・ビーチバレーボール選手、現指導者。 青森県弘前市出身。弘前工業高等学校を卒業し、日本体育大学に進学。3年時にインカレ優勝を果たした。 その後、本格的にビーチバレーへ転向。1996年から1998年までは山本知寿とのペアで、1999年と2000年は森川太地とのペアで、ビーチバレージャパンを5連覇した。 2000年からは指導者として活動。 2017年からはトヨタ自動車ビーチバレーボール部コーチを務めた。 2025年1月、アランマーレ山形のコーチに就任。
内田 役子(うちだ ゆきこ、1971年7月18日 - )は、… 内田 役子(うちだ ゆきこ、1971年7月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 広島県廿日市市友田出身。実姉がバレーボールをしていた影響で、小学校3年生からバレーを始める。佐伯中で県大会ベスト4、進徳女子高校では春高バレー・インターハイに出場した。 1990年、イトーヨーカドーに入部。主将を務めるなど活躍したが、1998年引退。その後現役復帰し、熊本選抜(熊本日産自動車)で1999年熊本国体優勝に貢献。国体選抜チーム解散後の同年、当時V1チームの東北パイオニアに入部。Vリーグ昇格に貢献した後、2002年二度目の引退。故郷に戻り一般の仕事をしていたが、チームからの復帰要請で半年後、三たび現役復帰。
本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日… 本多 洋(ほんだ ひろし、1971年6月26日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者。 現崇徳高等学校バレーボール部監督。 広島県広島市出身。崇徳高校、東海大学出身。1993年大学4年次にはキャプテンを務め、大学四冠を達成した。 1994年4月、日本たばこ産業(JT)入社、JTサンダーズへ入団した。オールラウンダーなエースとして活躍するも、肩の故障の影響から1999年に引退、その後は社業に専念していた。 その後退社し、崇徳高校教諭へ転身し、同校バレー部を指導している。2012年には全日本男子ユース代表監督に就任しアジアユース3位、翌2013年ユース世界選手権出場を獲得した。
安井 栄子(やすい えいこ、1971年5月8日 - )は、日… 安井 栄子(やすい えいこ、1971年5月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。元全日本代表。 秋田県生まれ、神奈川県綾瀬市育ち。中学1年よりバレーボールを始める。神奈川県立伊勢原高等学校卒業後は神奈川中央交通に入社し、9人制バレーボールの選手となった。1994年、9人制の選手としては初めて6人制の全日本に選出され、同年10月の第12回アジア競技大会に出場した。1998年には6人制チームの東洋紡オーキスに1シーズン在籍し、リベロとして活躍した。 9人制のプレーヤーが6人制全日本に選出されるのは安井が史上初で、20年後の2014年に選出された宮本小百合が二度目となる。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
神田 千絵(かんだ ちえ、1971年4月12日 - )は、日… 神田 千絵(かんだ ちえ、1971年4月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 埼玉県南埼玉郡白岡町(現:白岡市)出身。中学校時代は地元篠津中学校においてソフトボール部に所属しポジションは投手。県大会に出場。長身を活かした投球が注目された。 高校1年生よりバレーボールを始める。高校卒業後、東芝に入社。1998年全日本代表初選出。同年世界選手権に出場した。1999年東芝休部に伴い、クラブチームとなったシーガルズへ移籍。2009-10シーズンは、プレミアリーグ女子最年長選手であった。 2008年4月、Vリーグ出場試合が234試合となり、2007年にリーグ40回大会を記念し創設された『Vリーグ特別表彰制度』の表彰基準を達成したため、長期活躍選手として特別表彰された。
斎藤 真由美(さいとう まゆみ、1971年2月27日 - )… 斎藤 真由美(さいとう まゆみ、1971年2月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。本名、阿部 真由美。 東京都練馬区春日町で育つ。幼い頃に両親が離婚し母子家庭で育てられた。1976年、練馬区立練馬小学校に入学。バレーボールは母親が趣味のサークルに参加していたこともあり以前から興味は持っていた。[要出典]小学5年生の時、課内クラブでバレーボールを選択し、更に興味を深めていった。[要出典]1982年、練馬区立春日小学校創立に伴い編入。 1983年、練馬区立練馬中学校に入学。バレーボール部に入部するとすぐに頭角を現し、即戦力となった。対抗試合にレギュラーとして出場すると、そのプレイは脚光を浴びる。
中村 和美(なかむら かずみ、現姓:永田、1971年2月24… 中村 和美(なかむら かずみ、現姓:永田、1971年2月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。元全日本代表、日本バレーボール協会職員・バレーボール日本女子代表マネージャー。 石川県羽咋郡宝達志水町(旧押水町)出身。小学校5年生の時に母・姉の影響を受け、バレーボールを始める。高校を卒業した1989年ユニチカに入社、同社のバレーボールチームであったユニチカ・フェニックスに籍を置いた。同年8月世界ジュニア女子(U-20)バレーボール選手権に出場し銅メダルを獲得、ベスト6にも選ばれた。このときのチームメイトの一人に多治見麻子がいる。翌1990年アジアジュニア選手権では主将を務め優勝に貢献、MVPにも選ばれた。
泉川 正幸(いずみかわ まさゆき、1971年1月22日 )は… 泉川 正幸(いずみかわ まさゆき、1971年1月22日 )は、日本の元バレーボール選手(元全日本主将)、指導者。 東京都立川市出身。日本体育大学時代にはインカレで活躍。 1989年、大学1年の時に日本代表に初選出される。 1992年、大学4年の時にバルセロナ五輪に出場する。 1993年、ユニバーシアードで金メダルを獲得した。 大学卒業後、東レに入社。東レアローズでは、レフトプレイヤーとして、すぐに中心選手として活躍。第26回日本リーグでベスト6と新人賞を獲得、ベスト6に3年連続選出された。泉川の東レ入りで、東レは強力チームとなった。現役選手時代の背番号は8番。 1998年の世界選手権、1999年のワールドカップでは、怪我のため日本代表に選出されなかった。
清水 雅之(しみず まさゆき、1971年1月3日 - )は、… 清水 雅之(しみず まさゆき、1971年1月3日 - )は、日本の元バレーボール選手。 新潟県燕市(旧・西蒲原郡吉田町)出身。法政大学からサントリーサンバーズに入団。2006年3月、現役引退し社業専念。 2015年はサンバーズのチームディレクター、2016年から2019年まではゼネラルマネージャーを務めた。
津雲 博子(つくも ひろこ、現姓:吉川、1970年9月11日… 津雲 博子(つくも ひろこ、現姓:吉川、1970年9月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。広島県広島市安佐南区出身。ニックネームはリン。
村田 美穂(むらた みほ、1970年9月3日 - )は、日本… 村田 美穂(むらた みほ、1970年9月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 福島県郡山市出身。中学時代、山田重雄の英才教育バレーチーム「LAエンジェルス」に入りバレーボールを始める。宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある古川商業高校を経て、1989年日立に入社。1994年世界選手権に出場した。1997年東洋紡オーキスに移籍し、1999年現役引退。
福田 記代子(ふくだ きよこ、現姓:小柳、1970年8月4日… 福田 記代子(ふくだ きよこ、現姓:小柳、1970年8月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 埼玉県川口市出身。八王子実践高校を卒業後、1989年日立に入社。高い跳躍力とパワフルなスパイクを武器に、1989年・1991年ワールドカップ、1990年世界選手権、バルセロナ五輪に出場し長年日本のエースとして活躍した。 2001年日立廃部に伴い現役引退。退社後、母校八王子実践高校でコーチを務めた。現在は結婚して、小学生からママさんバレーまで、様々な人を対象にバレーボール講師を務めている。
安保 澄(あぼ きよし、1970年8月4日 - )は、日本の… 安保 澄(あぼ きよし、1970年8月4日 - )は、日本のバレーボール指導者である。 広島県広島市出身。明治大学卒業後、筑波大学大学院修了。 1998年より、筑波大学女子バレーボール部のアシスタントコーチを務める。2年間チームを指導した。 2000年、イトーヨーカドープリオールのアシスタントコーチに就任。2001年、チームの廃部により、武富士バンブーに全体移籍。2002/03シーズンにチームは準優勝を果たす。 2009年、武富士バンブーが廃部となる。同年、女子日本代表アシスタントコーチに就任。女子日本代表は2010年から快進撃を続け、2010年世界選手権で銅メダル、2011年ワールドカップで4位、ロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した。
鳥居 千穂(とりい ちほ、現姓:大川、1970年7月29日 … 鳥居 千穂(とりい ちほ、現姓:大川、1970年7月29日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 京都府長岡京市出身。中学生からバレーボールを始める。京都成安高等学校(現:京都産業大学附属高等学校)に進学し3年間全国大会に出場、3年生の時に京都国体で準優勝した。1989年、ユニチカに入社。1996年アトランタオリンピックに出場した。 現在は相洋高等学校女子バレーボール部の監督を務めている。
大槻 竜也(おおつき りゅうや、1970年5月2日 - )は… 大槻 竜也(おおつき りゅうや、1970年5月2日 - )は、日本のバレーボール選手である。NECブルーロケッツ(現在は廃部)に所属していた。現在は母校の板橋区立上板橋第一中学校にて外部指導員として指導している。
山本 健之(やまもと けんじ、1970年2月12日 - )は… 山本 健之(やまもと けんじ、1970年2月12日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、現指導者。元全日本代表。 広島県広島市安佐南区出身。小学校4年次からバレーボールを始める。1985年、県バレーの強豪・広島工業大学附属工業高校(現広島工業大学高等学校)に入学。1988年、日本体育大学に進学、1990年インカレ優勝に貢献。 その後日本たばこ産業に入社、JTバレーボール部(JTサンダーズ)に入部。小柄ながらレシーブ全般が得意で、リベロ制度ができる前からレシーバーとして活躍した。1994年Vリーグ開幕以降も、リベロとして引き続きチームに在籍した。 一方、1994年全日本に選ばれ、同年ワールドリーグ、同年世界選手権に出場。
野口 拓也(のぐち たくや、1970年1月13日 - )は、… 野口 拓也(のぐち たくや、1970年1月13日 - )は、日本の元男子ビーチバレーボール選手である。 神奈川県大和市出身。藤沢商業で1986年の全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会(インターハイ)、同年の全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春の高校バレー)で優勝、準優勝を果たす。卒業後はウインドサーフィンのプロを志し、日本とハワイを生活の拠点として生活を送る。ビーチバレーボールとの出会いは、たまたまサーフィンで訪れた海岸でビーチバレーボールに出会い競技転向した。 ビーチバレーボールに競技転向後は、1994年第8回ビーチバレージャパン(全日本選手権)で初出場初優勝を果たし強化指定選手として世界を転戦、オリンピックを目指した。
荻野 正二(おぎの まさじ、1970年1月8日 - )は、日… 荻野 正二(おぎの まさじ、1970年1月8日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、元バレーボール全日本選手。 福井県遠敷郡上中町出身。中学時代は野球部に所属していたが、背が大きいことを理由に福井工業大学附属福井高等学校に推薦され、同校でバレーボールを始める。堀豊監督は「息の長い選手になって欲しい」などの考えから、荻野の守備力も鍛え上げた。 1988年、サントリーに入社。堅実なレシーブとトスも上げられる器用さを買われて全日本に抜擢され、1989年に代表デビュー。1992年バルセロナオリンピックに出場した。 その後もユーティリティ性を活かし、入団以来一貫して所属したサントリーサンバーズになくてはならない存在へと成長。
松川 一代(まつかわ かずよ、1970年1月7日 - )は、… 松川 一代(まつかわ かずよ、1970年1月7日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 北海道芦別市出身。ワールドカップのテレビ中継で影響を受けて、中学1年よりバレーボールを始める。 旭川実業高等学校を卒業後、1988年ダイエーバレーボール部に入部。1990年、全日本メンバーに選出され、世界選手権を経験。1994年のアジア大会にも出場し活躍した。1998年、現役引退。
大庭 こずえ(おおば こずえ、1969年11月25日 - )… 大庭 こずえ(おおば こずえ、1969年11月25日 - )は、日本の元バレーボール選手である。 福岡県北九州市出身。地元の強豪校である博多女子商業高校から日本リーグのユニチカに入団した。 1989年8月にペルーのリマで開催された第5回バレーボール女子ジュニア世界選手権に出場し、銅メダルを獲得した。第24回日本リーグをもって現役を引退。 夫は元ケニア代表のゴッドフリー・オクム、娘はAstemoリヴァーレ茨城のオクム大庭冬美ハウィ。
土屋 かおり(つちや かおり、現姓:徳永、1969年〈昭和4… 土屋 かおり(つちや かおり、現姓:徳永、1969年〈昭和44年〉10月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 神奈川県綾瀬市出身。小田急ジュノーが日本リーグ中位で奮闘していた時代に、チームの得点源として活躍したエース。 1995年にはチームの2枚看板である末国愛里と共に念願の全日本入りを果たし、代表でもスタメンを獲得。同年のワールドカップにも出場した。しかし翌年からは、自身の故障やチームの方針転換(若返り)からバックアップ要員に回り、若いチームを支えた。 1998年、チームを退部し、ビーチバレーに転向する(所属企業は小田急のまま)。インドアバレーを離れ、若手時代から大会に出場していたビーチバレーで2年後のシドニー五輪を目指すこととなった。