田中 幹保(たなか みきやす、1955年3月18日 - )は… 田中 幹保(たなか みきやす、1955年3月18日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本男子代表監督。 兵庫県飾磨郡夢前町(現姫路市)出身。兵庫県立姫路東高校から1973年新日鐵に入社。強烈なスパイクを武器に1年目からレギュラーとして活躍。同年の都市対抗全日本選手権大会(現・黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会)ではチームのベスト4進出の原動力となる。 同年、18歳で全日本代表に初選出され、以後オリンピックに2回(モントリオール・ロサンゼルス)、ワールドカップには2回出場。1977年ワールドカップ東京大会では銀メダルを獲得した。 ロサンゼルスでは、下村英士とともにドーピング疑惑で失格となり話題となった。
横山 樹理(よこやま じゅり、現姓:西川、1955年3月9日… 横山 樹理(よこやま じゅり、現姓:西川、1955年3月9日 - )は、日本のバレーボール指導者、元選手。 豪快なスパイクと『ジュリ・スマイル』と呼ばれた笑顔で幅広いファンに親しまれた。 福岡県北九州市出身。中学からバレーボールを始め、博多女子商業高等学校(現:博多女子高等学校)ではインターハイで優勝した。 1973年にユニチカに入社。同年6月に18歳で全日本入りした。入社4年目の1976年に行われたモントリオール五輪では控えのメンバーとして出場し金メダルを獲得。白井貴子や前田悦智子が引退した後の全日本を支え、1978年世界選手権、1981年ワールドカップではエースとして活躍し銀メダルを獲得した。
葛和 伸元(くずわ のぶちか、1955年1月6日 - )は、… 葛和 伸元(くずわ のぶちか、1955年1月6日 - )は、日本の元バレーボール選手・指導者。元全日本女子監督。 大阪府羽曳野市出身。大阪商大附属高等学校から法政大学を経て、卒業後は日本電気男子バレー部に入部した。選手として活躍後、女子バレー部コーチを経て同部監督となる。1997年にはVリーグ優勝に導き、同年から2000年まで全日本女子バレーボールチーム監督を務めた。 全日本女子監督就任後は大型化を推進し、アタッカーだった大貫美奈子をセッターにコンバートしたものの上手くいかず、NECの教え子である竹下佳江を正セッターに抜擢して2000年シドニーオリンピック世界最終予選に臨んだ。しかし、日本は3勝4敗の6位で敗退し日本女子バレー史上初の五輪出場を逃す結果に終わり、責任を取って辞任した。
矢野 広美(やの ひろみ、現姓:池田、1955年1月5日 -… 矢野 広美(やの ひろみ、現姓:池田、1955年1月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。
辻合 真一郎(つじあい しんいちろう、1954年11月6日 … 辻合 真一郎(つじあい しんいちろう、1954年11月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。バレーボール日本男子代表監督も務めた。 大阪府大阪市出身。大商大附属高校卒業後、新日本製鐵に入社。現役時代にレシーブの名手として活躍し、1977年ワールドカップバレーボール、1978年バレーボール世界選手権に日本代表として出場した。 引退後は1991年から1995年まで大古誠司監督のもと、男子代表チームのコーチを務めた。大古監督の突然の退任により、1996年に監督になったが、アトランタオリンピックのアジア予選で五輪出場権を逃し退任した。 その後はVリーグ中継等で解説を務める等、バレーボールに携わっている。
吉田 敏明(よしだ としあき、1954年10月2日 - )は… 吉田 敏明(よしだ としあき、1954年10月2日 - )は、日本のバレーボール指導者。元アメリカ女子代表監督。 山形県山形市出身。山形六中時代にバレーボールを始め、全国制覇(6人制)。 山形南高校、順天堂大学を経て、筑波大学大学院でコーチ学を学ぶ。 修士課程終了後の1979年に渡米。アリー・セリンジャー監督の元、アメリカ女子代表アシスタントコーチを務める。 帰国後の1982年、日立の監督に就任。日本リーグで優勝。その後、1983年4月から東京学芸大学の助教授に就任し、その傍ら女子バレー部監督を務める。 1998年に渡米し、再びアメリカ女子代表コーチに就任。 シドニーオリンピック後、日本人として初めてとなるアメリカ女子代表監督に就任。
吉田 昌子(よしだ しょうこ、旧姓:高柳、1954年9月13… 吉田 昌子(よしだ しょうこ、旧姓:高柳、1954年9月13日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。1976年モントリオールオリンピックバレーボール女子金メダリスト。 大分県出身。中津南高校時の1972年、エースを務めた第3回春の高校バレーで優勝。卒業後、日立武蔵(当時)に入団。 1976年、全日本メンバーに選出され、モントリオールオリンピックにおいて金メダルを獲得した。日本リーグでも2年連続でベスト6賞を獲得。 現役引退後は、2001年から2008年まで柏エンゼルクロスで監督を務め、後進の指導にあたった。
滑川 玉江(なめかわ たまえ、1954年5月22日 - )は… 滑川 玉江(なめかわ たまえ、1954年5月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 千葉県銚子市出身。中学1年のときにバレーボールを始める。 共栄学園高校を経て、1973年に日本リーグのヤシカ(当時)に入部。1977年、ヤシカの廃部とともに日本電気に全体移籍。 1978年に全日本入りを果たし、同年の世界選手権に出場、銀メダル獲得に貢献した。 国内では1979年の第10回実業団リーグ優勝、日本リーグ昇格に大きく貢献し、第13回日本リーグにおいて、スパイク賞とベスト6に輝いた。日本電気の大沢長蔵監督(当時)は「速さ、変化、馬力が持ち味でブロックにも威力がある」と評した。
花輪 晴彦(はなわ はるひこ、1954年5月7日 - )は、… 花輪 晴彦(はなわ はるひこ、1954年5月7日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元全日本男子代表。 山梨県出身。山梨県立韮崎工業高校を経て、中央大学に進学。 1975年、全日本男女学生代表として、中国への遠征試合に派遣され、北京・南京・天津を転戦。 1977年、大学卒業後、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)に入社。 1987年、現役を引退。 現役時代は、「今牛若丸」と愛称された。
石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、… 石川 嘉枝(いしかわ よしえ、1954年4月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都新宿区出身。名古屋市立桜台高等学校を経て、1973年に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入団。 ブロックの名手として知られ、1977年の日本リーグ準優勝に貢献しブロック賞を獲得、翌年にもブロック賞獲得。1979-80シーズンではコーチ役に退いたがリーグ戦第2戦目から一線に復帰し、同期の横山樹理とともにユニチカ優勝の原動力となり、自らも3年連続となるブロック賞およびベスト6賞に輝いた。日本リーグ歴代通算ブロック本数でもベスト10入りをマークしている。 1978年に全日本入りを果たし、1978年の世界選手権では銀メダルを獲得した。
金坂 克子(かねさか かつこ、現姓:田中、1954年3月1日… 金坂 克子(かねさか かつこ、現姓:田中、1954年3月1日 - )は、日本の元バレーボール選手。1976年モントリオールオリンピックバレーボール女子金メダリスト。 千葉県大網白里市出身。習志野高校を経て、1972年に日本リーグの日立武蔵(当時)に入団。 日立武蔵では垂直跳び68cmのジャンプ力を活かしセンターとしてプレーしていたが1974年のメキシコで行われた世界選手権の直前に怪我をした松田紀子に代わって正セッターとして金メダルを獲得、松田復帰後は控えセッター、1974年に全日本メンバーに選出され、世界選手権やモントリオールオリンピックにおいて金メダルを獲得した。日本リーグでも1977年にレシーブ賞、ベスト6賞を獲得。
荒木田 裕子(あらきだ ゆうこ、1954年2月14日 - 2… 荒木田 裕子(あらきだ ゆうこ、1954年2月14日 - 2024年8月30日)は、秋田県仙北郡田沢湖町(現仙北市)出身の元バレーボール日本代表、バレーボール指導者。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会副会長を務めた。 日本バレーボール協会強化事業本部長、女子強化委員会GM兼務。日本オリンピック委員会理事、同アスリート専門部会長、アジア・オリンピック評議会理事、国際オリンピック委員会プログラム委員などの要職を歴任。 2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事だった2021年、森喜朗の女性に関する発言でにわかに組織委内で女性登用を進める必要が高まったため、3月の理事会で急遽7人目の副会長に選出された。
川又 洋子(かわまた ようこ、1953年6月28日 - )は… 川又 洋子(かわまた ようこ、1953年6月28日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 茨城県鹿島郡鉾田町(現鉾田市)出身。中学時代に学級対抗でハイジャンプに出場していたところ、先生に勧められてバレーボール部に入部する。 水戸大成女子高校在学中には、インターハイや国体、春高バレーなどで活躍した。国体関東ブロック戦では久喜高校や中村高校など強豪校を破って優勝に貢献した。1972年に日本リーグの東京三洋電機(当時)に入部。1976年から2シーズンチーム主将を務めた。 1978年に全日本入りを果たし、アジア大会(1978年)、アジア選手権(1979年)に出場した。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。
河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は… 河本 昭義(かわもと あきよし、1953年4月7日 - )は、日本のバレーボール指導者。岡山県笠岡市出身。現在はV・プレミアリーグの岡山シーガルズ部長兼総監督。
丸山 孝(まるやま たかし、1953年1月28日 - )は、… 丸山 孝(まるやま たかし、1953年1月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)、バレーボール指導者。 東京都出身。中央大学附属高等学校3年の時に三冠を達成。中央大学進学後、ユニバーシアードモスクワ大会(1973年)に出場し、3年次に全日本入り。4年次には秋リーグとインカレの全タイトルで優勝を果たした。卒業後の1975年に日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)に入社し、NKKナイツの選手として活躍。 1976年モントリオールオリンピックバレーボール4位入賞。 1980年度からNKKナイツの主将を務め、1983年度からは花輪晴彦に主将を引き継いで選手兼任コーチとなった(1986年度まで)。
保田 靖則(やすだ やすのり、1952年11月20日 - )… 保田 靖則(やすだ やすのり、1952年11月20日 - )は、日本の元男子バレーボール選手(全日本代表)、バレーボール指導者。 神奈川県南足柄市出身。 藤沢高等学校時代は3年連続で全国大会出場を果たした。卒業後の1971年、富士フイルムに入社し、富士フイルム・プラネッツ(自身の出身地に本拠地を持つ)の選手として活躍。1977年度から主将を務め、1980年度からは御嶽和也に主将を引き継いで選手兼任コーチとなった(1983年度まで)。1984年度から1989年度まで専任コーチを務めた。
会田 きよ子(あいだ きよこ、1952年9月18日 - )は… 会田 きよ子(あいだ きよこ、1952年9月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、… 達川 実(たつかわ みのる、1952年8月16日 - )は、日本のバレーボール指導者。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高等学校時代には第1回全国高等学校バレーボール選抜優勝大会(春高バレー)に出場。 大阪商業大学を経て1975年にユニチカに入社。同社女子バレーボール部(1991年よりユニチカ・フェニックス)コーチに就任した。 1992年、バルセロナオリンピックで全日本女子代表のコーチを務めた。 1995年、吉田国昭の後任としてユニチカ・フェニックス監督に就任。就任1年目にして第2回Vリーグ優勝に導く。 2000年、ユニチカ・フェニックス廃部に伴い、東レアローズに全体移籍。引き続き監督を務める。
小田 勝美(おだ かつみ、1952年5月6日 - )は、日本… 小田 勝美(おだ かつみ、1952年5月6日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 株式会社ブレイザーズスポーツクラブ常務取締役、堺ブレイザーズ(V・プレミアリーグ所属男子バレーボール部)部長、Vリーグ機構理事、公益財団法人日本バレーボール協会強化事業本部副本部長を歴任。 兵庫県春日町(現・丹波市)出身。 大路中学卒業後、国鉄に勤務する叔父の世話で関西鉄道学園に入学。農林業を営む小田の父は卒業後に息子を国鉄に入れ、将来は地元の駅長にしたいという希望を持っていた。ところが、鉄道学園の近くの松下電器の練習を見学したことをきっかけに、小田はバレーボールに興味を持つようになる。そこで、ファンである新日鉄堺の中村祐造宛に、自分は192cmの身長がありバレーボールをやりたいという内容の手紙を送った。
松田 紀子(まつだ のりこ、1952年3月5日 - )は、日… 松田 紀子(まつだ のりこ、1952年3月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。モントリオール五輪金メダリスト。 北海道釧路市出身。釧路商業高校を卒業後、日立武蔵に入社。入社当初は目立たない存在で、レギュラーの練習をコートの外で見つめボール拾いをする日々が1年半ほど続いた。『ボール拾いをするために日立に入社したのではありません』と監督の山田重雄に不満をぶつけるとセッター転向を命ぜられ、その後全日本に選出された。 1976年モントリオール五輪に出場し金メダルを獲得。1978年引退して出身地の釧路に戻るが、1983年にダイエーバレー部が創部すると選手に復帰し、3年間で1部リーグ昇格を果たした。
前田 悦智子(まえだ えちこ、現姓・田村、1952年1月31… 前田 悦智子(まえだ えちこ、現姓・田村、1952年1月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1976年モントリオールオリンピック金メダリスト。1970年代の女子バレーボール界を支えたミドルブロッカーとして、世界の頂点を制した名選手。引退後も、その影響力はスポーツ界のみならず、地域社会や文化活動、国際支援活動へと広がり、現在に至るまで精力的に活動。 中国人の父を持つ4人兄妹の末っ子として東京都大田区に生まれる。トキワ松学園高校を経て、1970年に実業団リーグの三洋電機(当時)に入部。 1974年に全日本入りを果たし、1974年の世界選手権金メダル、1976年のモントリオールオリンピックでも金メダルを獲得。
岡本 真理子(おかもと まりこ、現姓:中野、1951年12月… 岡本 真理子(おかもと まりこ、現姓:中野、1951年12月28日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1976年モントリオールオリンピックバレーボール女子金メダリスト。
御嶽 和也(みたけ かずや、1951年8月14日 - )は、… 御嶽 和也(みたけ かずや、1951年8月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 神奈川県足柄下郡湯河原町出身・中学3年次よりバレーボールを始める。藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)卒業後、日本大学に進学しアタッカーとして活躍する。 1974年に富士フイルム・プラネッツに所属し、セッターへ転身。 1981年に全日本入り、同年ワールドカップに出場。1982年に第10回世界選手権出場、1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場と活躍した。1988年ソウルオリンピックではコーチを担当した。 現役引退後は、富士フイルムのコーチ、トレーナーなどを務めた。
柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - … 柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - )は、日本のバレーボール元選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本女子チーム監督。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高校卒業後、1970年帝人三原に入団。翌1971年新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)に移籍。以降、主力セッターとして活躍。1973年、全日本代表に初招集されるが、猫田勝敏の控えに甘んじることとなる。1974年アジア大会で優勝、同年世界選手権で銅メダル獲得、1976年モントリオールオリンピックに出場し、4位入賞するなど活躍を見せた。 1980年から監督兼任となり、1982年日本リーグ(現Vリーグ)優勝。1985年からタイ男子代表監督を1年間務める。
古橋 美知子(ふるはし みちこ、女性、旧姓:塩川、1951年… 古橋 美知子(ふるはし みちこ、女性、旧姓:塩川、1951年(昭和26年)1月26日 - )は、日本の元バレーボール選手。 島根県松江市出身。「他に部活がなくて」小学5年よりバレーボールを始める。四天王寺高校を経て、1969年(昭和44年)に日本リーグのユニチカ貝塚(当時)に入部。 1970年(昭和45年)に全日本メンバーに選出され、1970年(昭和45年)の世界選手権銀メダル、1972年(昭和47年)のミュンヘンオリンピック銀メダルを獲得した。 一方国内では、1973年(昭和48年)からチーム主将を務め、1976年(昭和51年)の第9回日本リーグにおいてサーブ賞を獲得し、チーム準優勝に大きく貢献した。
西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )… 西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。1972年ミュンヘンオリンピック金メダリスト。 広島県広島市宇品(現南区宇品)出身。中学まではサッカー選手で、バレーボールは未経験だったが、崇徳高校入学後にバレーボール部に入部。体の大きさを買われてエースアタッカーとして鍛えられ、3年時の1968年、セッター・主将の米田一典らと高校総体で中大附属高校を降し優勝。同年国体では、柳本晶一がまだアタッカーだった大商大付属高校と当時のライバル校を降し優勝、崇徳初の高校2冠の原動力となった。(春高バレーは1970年から) 1969年、高校卒業後、先輩・猫田勝敏らのいた地元チーム・専売広島(現JTサンダーズ)入りし、猫田と共にチームを牽引した。
山崎 八重子(やまざき やえこ、現姓:古後、1950年9月2… 山崎 八重子(やまざき やえこ、現姓:古後、1950年9月2日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール銀メダリスト。 福岡県大牟田市出身。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 20… 米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 2012年2月26日)は、日本のバレーボール元選手・指導者。元全日本女子バレーボールチーム監督、チャレンジリーグ・仙台ベルフィーユ監督を歴任。広島県広島市安佐南区出身。 崇徳高校3年生時の1968年高校総体で、セッター・主将として中大附属高校を降し優勝。同年国体では柳本晶一擁する大商大付属高校を降して優勝し、2冠を達成した。 1973年、法政大学在学中に日立女子バレーボール部にコーチとして就任。1975年、監督に昇格し日立を常勝チームに育て上げた。 1974年には全日本女子チームコーチに就任、山田重雄監督の片腕として活躍し、1976年モントリオールオリンピック、1977年W杯の金メダル獲得に貢献した。
深尾 吉英(ふかお よしひで、1949年7月1日 - )は、… 深尾 吉英(ふかお よしひで、1949年7月1日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、元指導者。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール男子金メダリスト。 滋賀県彦根市出身。中学2年よりバレーボールを始める。滋賀県立彦根工業高等学校を経て、1968年にバレーボール実業団チームの東レ九鱗会に入団し、センタープレーヤーとして活躍した。東レ時代の晩年は、同コーチや監督も務めた。 一方国際大会では、1972年のミュンヘンオリンピック金メダル、世界選手権で1970年および1974年銅メダルを獲得した。
嶋岡 健治(しまおか けんじ、1949年5月9日 - )は、… 嶋岡 健治(しまおか けんじ、1949年5月9日 - )は、日本の元バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール男子金メダリスト。 東京都出身。中央大学附属高校を経て、1972年、中央大学卒業。同年、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)入社。 アタッカーとしてだけでなく、セッターとしても活躍。 現役時代は「プリンス嶋岡」 とも愛称された。 2014年9月より日本バレーボールリーグ機構理事・副会長に就任。 2015年7月6日の日本バレーボールリーグ機構の臨時理事会で代表理事会長に就任した。 2017年8月30日、日本バレーボール協会の代表理事会長に就任した。 2021年4月30日、日本バレーボールリーグ機構会長を退任し、理事となる。
佐藤 哲夫(さとう てつお、1949年3月12日 - 202… 佐藤 哲夫(さとう てつお、1949年3月12日 - 2025年6月11日)は、日本の元男子バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール男子金メダリスト。 福島県相馬市出身。現役当時は富士フイルムに所属していた。 息子は元・日本代表、元Bリーグプロバスケットボール選手の佐藤浩貴。 2025年6月11日に死去。76歳没。
斎藤 春枝(さいとう はるえ、1949年2月20日 - )は… 斎藤 春枝(さいとう はるえ、1949年2月20日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 東京都東村山市出身。 1967年ユニバーシアード東京大会代表の優勝、1970年ユニバーシアードトリノ大会準優勝に貢献し、1971年に日本リーグの全鐘紡(当時)入部。 1974年に全日本入りし、 バレーボール世界選手権において金メダルを獲得した。
島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )… 島影 せい子(しまかげ せいこ、1949年2月16日 - )は、日本の元バレーボール選手、プロゴルファー。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 山形県酒田市出身。酒田市立酒田中央高等学校を経て、1967年に日本リーグの日立武蔵(当時)に入部。日立武蔵は生沼スミエ、高山鈴江などレギュラーが決まっており、活躍の場を求め1968年の後期日本リーグからニチボー貝塚に移籍した。1970年の世界選手権、1972年のミュンヘンオリンピックでそれぞれ銀メダルを獲得した。 引退後の1977年にゴルフのプロテストに合格し、プロゴルファーに転身。1981年のシンコークラシック女子プロゴルフトーナメントで生涯唯一の優勝を飾っている。
大古 誠司(おおこ せいじ、1948年2月15日 - )は、… 大古 誠司(おおこ せいじ、1948年2月15日 - )は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)。元バレーボール全日本男子監督。 現在は、沖縄県バレーボール協会スーパーアドバイザー。中山農場顧問。日本大学鶴ヶ丘高等学校、東芝学園卒業。 神奈川県川崎市出身。甥に元プロサッカー選手の水内猛がいる。
都澤 凡夫(みやこざわ ただお、1948年1月23日 - 2… 都澤 凡夫(みやこざわ ただお、1948年1月23日 - 2015年1月10日)は、日本のバレーボール指導者、筑波大学名誉教授、元バレーボール選手。 北海道留萌市生まれ。ヤクルトスワローズの若松勉元監督と留萌中学野球部の同級生である。中学時代は野球部の中心選手として注目されていたがバレーボールは素人だった。 留萌高校で、長身に目を付けられバレー部に強引に入れさせられる。全国大会への出場経験はない。 東京教育大学(現・筑波大学)の新入生の中で一番へたくそ(本人談)だが基礎体力はあったので猛練習をして中心選手として活躍した。 富士フイルムに入団後すぐにレギュラーの座を勝ち取り、全日本候補にもなった。
岩本 洋(いわもと ひろし、1947年〈昭和22年〉11月2… 岩本 洋(いわもと ひろし、1947年〈昭和22年〉11月21日 - 2018年〈平成30年〉5月20日)は、日本のバレーボール指導者。元バレーボール全日本女子監督である。 長崎県出身。日本体育大学卒業後、松蔭高等学校の教師としてバレーボール部の監督を務めた後、日本リーグの監督としては、1986年度から1988年度まで日立(日立ベルフィーユの歴代選手・スタッフ一覧#日立時代に参照)、1989年度から1997年度まで小田急(小田急ジュノーの歴代選手・スタッフ一覧に参照)にてそれぞれ務めた。 1987年にはバレーボール全日本女子監督を務めた。1996年にはアトランタオリンピックビーチバレー女子監督を務めた。
横田 忠義(よこた ただよし、1947年9月26日 - 20… 横田 忠義(よこた ただよし、1947年9月26日 - 2023年5月9日)は、日本の元バレーボール選手、元全日本女子監督。 香川県三豊市出身。息子に元堺ブレイザーズ・福岡ウイニングスピリッツの横田一義がいる。
森田 淳悟(もりた じゅんご、1947年8月9日 - )は、… 森田 淳悟(もりた じゅんご、1947年8月9日 - )は、日本の元バレーボール選手、元全日本代表・指導者。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本体育大学卒業。 現在は日本体育大学体育学科教授、NPO法人日本オリンピアンズ協会理事。前・公益財団法人日本バレーボール協会強化事業本部本部長。 北海道北見市出身。中学時代は野球部で、2年の時に陸上部を作ってハイジャンプもしていた。日本大学鶴ヶ丘高等学校入学後に長身を見込まれてバレーボールをはじめる。恩師の原田先生の出身校でもある日本体育大学へ進学。入学した1966年に世界選手権で全日本デビュー。ミスターバレーボールと云われている。1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。
福中 佐知子(ふくなか さちこ、現姓:石川、1947年4月5… 福中 佐知子(ふくなか さちこ、現姓:石川、1947年4月5日 - )は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 この項目は、バレーボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Pバレーボール/PJバレーボール)。
古川 牧子(ふるかわ まきこ、1947年1月22日 - )は… 古川 牧子(ふるかわ まきこ、1947年1月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 千葉県印旛郡船穂村(現印西市)出身。印西町立船穂中学校時代に実姉の影響でバレーボールを始める。 習志野高校を経て、1965年日紡貝塚へ入社。日本リーグでは最高殊勲選手賞1回、スパイク賞2回、ブロック賞1回と活躍。全日本では1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得した。1974年6月引退。引退後、小野沢愛子の兄と結婚した。 ニックネームはロッパ(古川ロッパからきている)。
高山 鈴江(たかやま すずえ、現姓:福原、1946年12月1… 高山 鈴江(たかやま すずえ、現姓:福原、1946年12月12日 - )は、日本の元バレーボール選手。 東京都出身。日立武蔵に所属し、1968年にメキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト、日本リーグでMVPに選ばれている。 現役引退後は指導者として、土浦日本大学高等学校女子バレーボール部の監督を務めた。教え子には都澤みどりがいる。
三森 泰明(みつもり やすあき、1946年11月23日 - … 三森 泰明(みつもり やすあき、1946年11月23日 - 2019年5月19日[要出典])は、東京都出身の元バレーボール選手。中央大学附属高校を経て、1969年、中央大学卒業。同年、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)入社。1968年メキシコオリンピックバレーボール男子銀メダリスト。 フライングレシーブの考案者という説がある。
坂口 憲政(さかくち のりまさ、1946年11月23日 - … 坂口 憲政(さかくち のりまさ、1946年11月23日 - )は日本のバレーボール指導者。 鹿児島県指宿市出身。県立指宿高校から日本体育大学に進学し、バレーボールの理論面や指導面を学ぶ。 1969年4月、日本女子経済短期大学(現:嘉悦大学)に教員として着任。同短大ではまだバレーボール部がなく同好会しかなかった。同好会のコーチを2年務め、3年目にバレーボール部に昇格させ初代監督に就任した。関東大学バレーボール連盟に加盟し、1973年春季リーグ9部からスタートした同チームは無敗の快進撃を続け、1977年秋の入替戦で国士舘大学を破り、念願のリーグ1部昇格を果たした。 1985年のユニバーシアード神戸大会では女子チームのコーチとして指導にあたった。
生沼 スミエ(おいぬま すみえ、1946年10月8日 - )… 生沼 スミエ(おいぬま すみえ、1946年10月8日 - )は、日本のバレーボール選手・指導者である。 東京都出身。中学でバレーを始め、都立三鷹高に進学し、山田重雄監督の下でセッターとして活躍し、1963年には全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会で優勝した。 卒業後の1965年、日立製作所に入社。日立武蔵第1期黄金時代の中心選手として、引き続き山田監督の指導を受けて活躍した。バレーボール全日本女子チームでも、1967年世界選手権の優勝に貢献した。 翌1968年、メキシコシティ五輪では、高山鈴江とのツーセッターで銀メダルを獲得した。 1972年、ミュンヘン五輪で2つ目の銀メダルを獲得した後に、現役を引退。
井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は… 井上 節子(いのうえ せつこ、1946年9月16日 - )は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。
宍倉 邦枝(ししくら くにえ、高橋(たかはし)に改姓、194… 宍倉 邦枝(ししくら くにえ、高橋(たかはし)に改姓、1946年7月13日 - 1998年1月4日)は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。 習志野市立第一中から千葉明徳高校に進学。千葉明徳高校時代の指導者は吉野行雄。その後、実業団の日立武蔵(当時)に入部し活躍した。
野口 泰弘(のぐち やすひろ、1946年4月25日 - 20… 野口 泰弘(のぐち やすひろ、1946年4月25日 - 2023年11月29日)は、日本の元バレーボール選手。1972年ミュンヘンオリンピックバレーボール男子金メダリスト。大阪府出身。 1945年4月25日生まれ。大阪府立都島工業高等学校を経て日本大学を卒業後、松下電器(現パナソニック)入部。 2023年11月29日、腎不全のため死去。77歳没。
飯田 高子(いいだ たかこ、現姓:神白(かじろ)、1946年… 飯田 高子(いいだ たかこ、現姓:神白(かじろ)、1946年2月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 愛知県海部郡弥富町(現:弥富市)出身。中学3年次よりバレーボールを始める。名古屋女子商業高校を経て、実業団の帝人名古屋に入部したが、1965年に同チームが廃部となる。 体育教師を目指して、中京大学に入学する。在学中にユニバーシアード代表メンバーに選出される。1970年にヤシカに入社し、同社の女子バレーボール部でセンターとして日本リーグで活躍。バレーボール全日本女子チームにも選ばれ、1972年のミュンヘン五輪ではヤシカのチームメイトである浜恵子とともに銀メダル、1976年のモントリオール五輪では主将としてチームをまとめ金メダルを獲得した。
小嶋 由紀代(こじま ゆきよ、1945年12月20日 - )… 小嶋 由紀代(こじま ゆきよ、1945年12月20日 - )は、日本の元バレーボール選手。1968年メキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト。
小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )… 小野沢 愛子(おのざわ あいこ、1945年8月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。メキシコオリンピック銀メダリスト。 神奈川県津久井郡中野町(現相模原市緑区)出身。高身長だったため、先生の強い勧めで中学1年よりバレーボールを始める。中学時代には陸上競技大会の砲丸投で全国10位入賞の経験がある。 高校は県内強豪校の京浜女子商業高校に進学し、1961年の秋田国体3位入賞に貢献した。卒業後は実業団のヤシカに入部する。 1967年度の第1回日本リーグでは、スパイク賞とブロック賞を獲得し、ヤシカは準優勝ながら最優秀選手に選出された。 1967年に全日本メンバーに選出され、同年の世界選手権優勝、1968年のメキシコオリンピック準優勝に貢献した。