宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年… 宮田 雪(みやた きよし、1945年3月3日 - 2011年2月14日)は日本の脚本家、漫画原作者、社会活動家。秋田県出身。早稲田大学文学部中退。 農林省林野庁官僚の父と母の次男として秋田県大曲市(現・大仙市)に生まれる。父の転勤にともない函館市・前橋市などを経て、現在の札幌市豊平区平岸に移り、高校時代まで過ごす。父は短歌の私家集を発行するなど文人としての面も持つが、「文学では飯は食えない」と常に厳しく接していた。雪は厳格な父に反感をおぼえるが、その才を受け継ぎ、密かに脚本家を志すようになる。北海高等学校から早稲田大学文学部へ進学し、「ワセダミステリクラブ」に所属。曽根忠穂(のち「奇想天外」編集長)や石上三登志(のち、CM作家、評論家)らと、映画・漫画などを論じる同人誌『OFF』を上梓。
夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1… 夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1月2日)は、日本の漫画編集者、漫画原作者、スポーツライター。ペンネームに但馬弘介。日本文芸社の創業者夜久勉の養子(旧姓:藤原)。 兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)林垣生まれ。1963年兵庫県立八鹿高等学校卒業。 養父が創立した日本文芸社で長年、漫画雜誌の編集者を務める(経営権は相続しなかった)。『漫画ゴラク』編集者時代に『野望の王国』などを担当。『カスタムコミック』の副編集長時代に、つげ義春に作品を依頼し、それが縁で1984年、つげの作品をメインとする漫画雑誌『COMICばく』を創刊、1987年まで編集長を務めた。 『COMICばく』終刊後、退職。
わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 -… わたせ せいぞう(本名:渡瀬 政造、1945年2月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。福岡県北九州市出身。 兵庫県神戸市で生まれ、生後まもなく小倉市(現北九州市)に転出し、高校まで同地で過ごした。 小倉市立堺町小学校(現北九州市立小倉中央小学校)、明治学園中学校、福岡県立小倉高等学校、早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後は、同和火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)の総合職として勤務。 入社して3年目に作家の永井路子の講演会を聞きに行き、直接話す機会を得る。この時自作の4コマ漫画を持っていったところ、「渡瀬さん、漫画家になりたいんだ!」と言われ、漫画家になることを意識する。永井から『週刊漫画サンデー』の編集長を紹介され、園山俊二に師事する。
小島 利明(こじま としあき、1945年1月2日 - )は、… 小島 利明(こじま としあき、1945年1月2日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。群馬県富岡町(現・富岡市)出身、群馬県立富岡東高等学校 卒。血液型はO型。 ピープロのアニメーターを経て、1969年『少年画報』(少年画報社)にて、『サッカー番長』でデビュー。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
羽山 信樹(はやま のぶき、1944年12月23日 - 19… 羽山 信樹(はやま のぶき、1944年12月23日 - 1997年6月10日)は、日本の小説家、漫画原作者。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年1… 青柳 裕介(あおやぎ ゆうすけ、本名:吉村睦夫、1944年12月4日 - 2001年8月9日)は、日本の漫画家。 高知県香美郡野市町出身。高知市立城東中学校卒業。代表作に『土佐の一本釣り』『土佐の鬼やん』『川歌』がある。地元・高知を舞台にした作品を多く発表した。 中学卒業後、8年間板前修業を続けながら漫画の創作に励み、1966年、『いきぬき』が『COM』の月例新人賞に選ばれデビュー。代表作の一つで長期連載された『土佐の一本釣り』は1980年に松竹より映画化もされた。『ビッグコミック』を主たる作品発表の場としていた。 評論家・石井文男は、青柳の一連の作品は、青春期の愛、希望、苦しみを経糸に、塩の香、魚の匂い、漁船のマスト、さらには路地裏の一杯飲み屋など、高知ならではの舞台をフルに緯糸として使用し、独自世界を作り出したが、作品の舞台は土佐以外はあり得ないし、高知在住だからこそ書ける作品だなどと評した。
畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭… 畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭和19年)10月11日 - 1996年(平成8年)3月11日)は、日本の漫画家、著述家。 漫画集団、日本漫画家協会、東横沿線を語る会、ドラフト会議倶楽部、箸ばみの会、日本三大協会、姉妹型の会、三姉妹クラブ、東横文化研究会、各会員。 岡山県生まれ、東京都出身。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、同大学院経済学専攻に進み、1967年に博士課程修了。在学中、漫画研究会に所属し、鈴木義司に師事した。大沢商会広告課を経て漫画家専業となる。 漫画家としては主に「悪魔」をモチーフとしたイラスト・漫画作品を『SFアドベンチャー』や『週刊ベースボール』などに掲載していた。
高 信太郎(こう しんたろう、1944年9月19日 - )は… 高 信太郎(こう しんたろう、1944年9月19日 - )は、日本の漫画家、芸能評論家、タレント。愛知県蒲郡市出身。本名は高橋信夫。血液型はB型。 公認候補者として所属した自由連合では文化局長を務めた。 1944年、左官の家に生まれる。県立蒲郡高校在学中の1962年に兎月書房より貸本単行本『ゆり子の窓から』で漫画家デビュー。当時のペンネームは高原信也だった。卒業後は家業を継ぐ意志が無かったことから上京して印刷会社へ勤務。後にあすなひろしのアシスタントを務めた。 ナンセンス系の作品を執筆して、1980年前後にマニア層からの強い支持を得る。 その一方で演芸に対する造詣の深さを買われて、テレビのバラエティ番組にアドバイザーとして関わり、自身もコメンテーターとして出演する機会が多かった。
池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日… 池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介されることもある。 福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生のころから貸本漫画に慣れ親しむ。 中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。 1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげるが青林堂の長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。
本村 三四子(もとむら みよこ、1944年3月4日 - )は… 本村 三四子(もとむら みよこ、1944年3月4日 - )は、日本の元漫画家。山口県出身。山口県立徳山高等学校卒業。名前の由来は、三月四日生まれから。 ドラマ化、その後映画化もされた「おくさまは18歳」の原作者として知られるが、2018年現在は引退状態にある。
矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024… 矢玉 四郎(やだま しろう、1944年2月3日 - 2024年7月14日)は、日本の児童文学作家、画家、漫画家、作詞家。日本児童出版美術家連盟(童美連)・日本文藝家協会会員。 大分県別府市に生まれる。千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、商業デザイナーとしてサラリーマン生活の後、漫画家として独立する。週刊少年マガジンなどにナンセンス漫画を発表する。 しかしその後は児童文学に転向し、その第一歩として『おしいれの中のみこたん』を出版。1980年(昭和55年)には『はれときどきぶた』(岩崎書店刊)を発表。たちまち大ヒットとなった上、テレビアニメ化されたり各国語に翻訳されたりとさまざまな反響を呼び、現代を代表する児童文学の代表作ともなった。
ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、… ヒサ クニヒコ(1944年2月3日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、恐竜研究家。本名、久 邦彦(読み同じ)。東京都出身。神奈川県横浜市在住。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。息子は漫画家の久正人、義弟(妹の夫)はイラストレーターの小林弘隆。 1972年に『戦争 漫画太平洋戦史』で第18回文藝春秋漫画賞受賞。2018年に『世界恐竜発見地図』で第65回産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞。 恐竜研究家としても有名で、恐竜関係の本を多数執筆している他、博物館等での講演会講師として活動している。過去には、鉄道関連の書物も著している。趣味でプラモデルを多数所持しており、タミヤのプラモデル「恐竜世界シリーズ」の監修を手がけ、同シリーズには恐竜と同スケール(1/35)のヒサのフィギュアが付属する。
楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1… 楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1974年3月15日)は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。本名:酒井 勝宏。 市井の人々の哀歓を描き、わずか30歳で夭折した劇画作家として知られる。代表作に『おせん』『彩雪に舞う…』がある。 東京都荒川区で、看板の書き文字職人の家に生まれた。中学生の頃から同級生の雨森豪、平野あきらと漫画を描き始める。1957年、近所の貸本屋で長井勝一を紹介され三洋社に出入りするようになる。渡辺美千太郎の元でアシスタントとして修行した後、1960年『剣豪画集』(三洋社)より「必殺奥義」で貸本漫画デビュー。『忍法秘話』(三洋社)や『群狼』(第一プロ)といった貸本短編誌に執筆し、辰巳ヨシヒロらと交友を持つ。
野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 … 野口 竜(のぐち りゅう、1944年〈昭和19年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉1月2日、本名:野口 勝)は日本の漫画家、デザイナー、イラストレーター。別名:野口まさる、久留米東、野口太陽。福岡県久留米市東町出身。 学生時代から絵を描いており、県展に入賞するなどしていた。美術大学を志望していた時期もあったが金銭面から断念し、高校卒業後に上京。 石森章太郎の漫画『世界まんがる記』を読んで漫画家を志す。石森を訪ね弟子入りを志願し断られるが、代わりに紹介されたスタジオ・ゼロに入社し、漫画『オバケのQ太郎』の背景を担当した。その後、多忙となった石森の専属アシスタントとなり、『おかしなおかしなおかしなあの子』や『サイボーグ009』に参加。
高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫… 高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫画家。別名:高須礼二。
森 義一(もり よしかず、1944年 - )は、日本の漫画家… 森 義一(もり よしかず、1944年 - )は、日本の漫画家。香川県丸亀市出身。中城けんたろうに師事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ:漫画家)。
勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 20… 勝又 進(かつまた すすむ、1943年12月27日 - 2007年12月3日[要出典])は、日本の漫画家、イラストレーター。宮城県桃生郡河北町(現:石巻市)出身。 1943年、宮城県百生郡河北町(現:石巻市)に生まれる。父親は生まれてすぐ亡くなったと聞かされて少年時代を過ごす。 1949年8月、母きしえ病死。家を継いだ姉の重子、義兄の栄夫婦に育てられる。 1962年3月、大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校電気科卒業。卒業後は東京の専門商社・日製産業株式会社で電子顕微鏡や理化学機器を研究者に売り込む営業マンとして3年間働いていたが、1965年3月に退職。 1965年4月、東京教育大学物理学科に入学。
車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は… 車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は、日本のタレント・俳優・漫画家。本名:白沢 力(しらさわ つとむ)。浅井企画所属。愛称は、だんちゃん。 東京都、現在の江東区生まれ、千葉県佐倉市在住。立正大学経済学部卒業。身長177cm。 1966年3月、大学卒業後に左とん平に弟子入りしたところ、左に浅井企画を紹介され、事務員として入社。萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だったいわたがん太(のちに岩がん太→岩だん吉と改名)とコンビを組むことになり、芸人に転身した。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉で、はかま満緒の命名による。これは「顔がマンガみたいだから」との理由で、『タンクタンクロー』と『冒険ダン吉』からのもじりである。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。 1943年、東京都目黒区で、航空科学専門学校の教授であった出﨑晶の次男として誕生。明治時代に福島県相馬郡(現・福島県相馬市)で干拓事業を行った出﨑栄太郎の曾孫にあたる。終戦後に相馬に移り住んだが、小学1年生のときに父が結核で死去。
出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 201… 出﨑 統(でざき おさむ、1943年11月18日 - 2011年4月17日)は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画家。東京都目黒区生まれ。クレジットタイトル上では「出崎統」と表記されることもある。別名義として「崎枕」「さきまくら」「斉九洋」「斎九陽」「松戸館」「松戸完」「矢吹徹」「多井雲」など。生前は日本映画監督協会会員。アニメ監督、プロデューサーの出﨑哲は実兄。
西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 20… 西脇 英夫(にしわき ひでお、1943年11月9日 - 2021年6月4日)は、日本の映画評論家・漫画原作者・小説家・脚本家。東京都出身、日本大学芸術学部卒。 1965年に大学卒業後、CFプロダクション勤務、雑誌『東京25時』(アグレマン社)の編集部を経てフリーとなる。以後、『キネマ旬報』(キネマ旬報社)、『映画批評』(新泉社)などの映画雑誌に映画評論のコラムを発表。現在でも『キネマ旬報』でコラムを発表している。 漫画原作を手掛ける際は、主に『東史朗』名義で活動している。また、清彗社の漫画情報誌『だっくす』1978年9・10月号から改名後の『ぱふ』1979年9月号まで、『B級劇画講座』というコラムを連載していた(西脇英夫名義)。
西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本… 西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本名:山田 祥子)は、日本の漫画家。高知県高知市生まれ。高卒後、長期の漫画家の後で中央大学法学部法律学科卒業。代表作に『マリイ・ルウ』『レモンとサクランボ』『ジェシカの世界』『花びら日記』など。 昭和40年代前半、少女漫画が週刊誌時代を迎える中で、青春ラブコメ、学園もの、等身大の少女を描き出し、ジャンルを広げるエポックメーキングな作品を多数発表した。 世代的には、水野英子などのトキワ荘世代・女流草分け世代の後、昭和40年代少女雑誌のマンガスクール世代の前にはさまる。 学園漫画の開拓者と見られ、また自認もしている。恋愛要素の強い学園ものの始まりともいわれるが、学園を場とする同世代群像、また世界を意識的に考える少女の姿、子どもから大人への成長途上の自覚、を持ち込んだことも大きな特徴である。
岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は… 岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は、日本の編集者、漫画原作者、フリーライター。山形県山形市生まれ。 早稲田大学仏文科卒業。少年画報社で漫画雑誌『ヤングコミック』編集部勤務。1971年退社。その後、劇画原作者、フリーライターとなる。 宮谷一彦の実録漫画『ライク ア ローリング ストーン』には、本人役で出演している。
五十嵐 幸吉(いがらし こうきち、1943年5月31日 - … 五十嵐 幸吉(いがらし こうきち、1943年5月31日 - )は、新潟県出身の漫画家。 貸本漫画家としてデビュー。主に野球漫画を執筆している。水島新司に師事していた。
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきや… ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年〈昭和18年〉4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の漫画家。 1943年、東京都の日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は腕のいい朝鮮人の造花職人だった。第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開した。10歳のとき父親が事業に失敗し足利市へ転居。極貧生活を経験する。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した。 高校への進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京し、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。
はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18… はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18年〉3月8日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の漫画家、随筆家、タレントである。血液型はB型。高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)出身で、晩年は東京都文京区小石川に居住した。 1943年3月8日(月曜日)、父の太郎と母の小夜子の長男として高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)に生まれる。姉の美和は元バスガイドで、父はたいらが生まれる前に結核で亡くなった。たいらには餓鬼大将の逸話があり、のちに『最後のガキ大将』で書籍となり『ガキ大将がやってきた』でドラマ化された。 中学生の頃から漫画雑誌への投稿を開始して高知市内の漫画研修会である高知漫画クラブに参加し、当時からナンセンス漫画の才能を発揮した。
梅本 さちお(うめもと さちお、本名:梅本 幸雄、1943年… 梅本 さちお(うめもと さちお、本名:梅本 幸雄、1943年2月6日 - 1993年9月6日)は、日本の男性漫画家、漫画原作者。高知県土佐清水市出身。 2人兄弟の末っ子として出生。父親は梅本が物心つく前に満州にて戦死。母親は病弱な体質であったという。 高知から上京して佐藤まさあきのアシスタントを1ヶ月ほど務めたのちに、大阪のわかば書房で働きながら漫画を勉強する。『ボクにはボクの夢がある』(日の丸文庫)で貸本漫画デビュー。ちばてつやのアシスタントを経て、1968年、『くじら大吾』を『週刊少年ジャンプ』創刊号から連載。その後、専属契約を嫌ってジャンプを去り、1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載。
ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1… ちば あきお(本名:千葉 亜喜生、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1984年〈昭和59年〉9月13日)は、日本の漫画家。満洲国の奉天(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)出身。4人兄弟の三男で、長兄は漫画家のちばてつや、次兄は千葉プロダクション社長の千葉研作(元漫画家)、弟は漫画原作者の七三太朗。 少年時代は手先が器用でラジオの修理なども出来たほど。高校は夜間学校で、昼間は玩具製造工場に勤めていたが、身体を壊し退社した。療養中にちばてつやのアシスタントとして漫画界に携わる。 ちばてつやのアシスタントをする中、1967年『なかよし』(講談社)掲載の『サブとチビ』でデビュー。代表作は『キャプテン』、『プレイボール』など。
オダ シゲ(オダ・シゲ、おだ・しげ、1943年 - 、男性)… オダ シゲ(オダ・シゲ、おだ・しげ、1943年 - 、男性)は、神奈川県川崎市出身の漫画家。本名・長田重親(おさだ しげちか)。日本漫画家会議事務局長。『まんまる団地』が1万7千話を超えて日本最長寿新聞掲載4コマ漫画となり、現在も連載中である。 15歳でニコンに入社し製造系の労働者となる。同時に通っていた定時制高校では美術部に所属し、労働組合機関紙に挿絵を描く程度でプロ漫画家ではなかったが、26歳の時に日本漫画家会議主催の教室に行ったことがきっかけとなり、同会議所属風刺漫画家田村久子の紹介で1974年、『全国商工新聞』に4コマ漫画「のんき通り」の週刊連載が開始される。 その連載を見た赤旗編集局員からの打診で1975年、4コマ漫画「まんまる団地」の日刊連載を開始。
宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)… 宮腰 義勝(みやこし よしかつ、1943年 - 2005年)は、秋田県能代市出身の漫画家。別名義:宮越義勝、塚本光治。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は… 湯村 輝彦(ゆむら てるひこ、1942年11月1日 - )は、イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、スウィート・ソウルなどのR&Bや、Gラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のベテランである。東京都新宿区角筈(現在の西新宿)生まれ。ペンネームはTerry Johnson(テリー・ジョンスン)、ゴンゾ。また、かつては、「FLAMINGO TERRY」、「FRAMINA TERRENO GONZO」、「TERRINO FLAMINI' GONZAREZ」、「紅鶴照万太」などのペンネームも用いていた。愛称は「キング・テリー」(略して、「キンテリ」とも)。
谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 … 谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。愛媛県宇和島市出身。赤塚不二夫と並ぶ日本のギャグ漫画界の巨匠と言われる[誰によって?]。本名、谷岡泰次(やすつぐ)。元プロ野球選手の谷岡潔はいとこにあたる。 1959年、保善高等学校在学中、『中国小学生新聞』(中国印刷)に掲載された『やっちゃん』でデビュー。その後、わちさんぺいのアシスタントを経て本格的に活動する。 愛媛県宇和島市出身。山内一豊の末裔を自称[要出典]。高校生時代からすでにプロであった。実の父親からは「お前は天才だ」と言われていたと本人が雑誌のインタビューで語っている[要出典]。
高橋 わたる(たかはし わたる、1942年8月29日 - 2… 高橋 わたる(たかはし わたる、1942年8月29日 - 2016年4月14日)は、日本の漫画家。群馬県富岡市出身。血液型はA型で、本名は高橋 亘。 1966年、『音無くん』が講談社新人賞を受賞しデビュー。主に青年漫画、麻雀漫画、ゴルフ漫画などで活動。本名名義で活動していたこともあった。晩年は出身地、群馬県富岡市で静かに暮らしていた。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
丘 あつし(おか あつし、1942年8月6日 - 2002年… 丘 あつし(おか あつし、1942年8月6日 - 2002年3月30日)は、日本の漫画家。兵庫県神戸市長田区出身。本名:高岡胖。 兵庫県立長田高等学校卒業。神戸市役所勤務の後、漫画家に転身。代表作に『釣野キチゾー氏とタエ子夫人』(週刊釣りサンデー連載)。長田区で阪神・淡路大震災に被災し、その後月刊神戸センター編集室発行の阪神大震災特別寄稿へ「地震だ!! : 長田区レポート」として寄稿した。2002年3月30日、食道癌のため死去。59歳没。
久保田 千太郎(くぼた せんたろう、1942年7月26日 -… 久保田 千太郎(くぼた せんたろう、1942年7月26日 - 2008年2月17日)は、岡山県出身の脚本家、漫画原作者。早稲田大学第一文学部卒。「劇団NLT」演出部に所属し、劇作を学ぶ。後に独立。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ の… 安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ のぼる)、1942年7月22日 - 2014年3月19日)は、日本のイラストレーター、漫画家、エッセイスト、作家、絵本作家、風俗評論家。日本スノードーム協会会長。 東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区赤坂)生まれ。7人兄弟の末っ子で姉が5人いた。一番上の姉とは7つ離れている。生家は祖父の代から建築設計事務所を営んでいた。 1945年、重い喘息を患い、母の郷里である千葉県千倉町(現・南房総市)に移住。中学校卒業までを千倉で暮らす。その頃の体験や思い出は、初期の漫画作品、エッセイ、小説など多くの作品に登場している。「千倉」は彼にとって重要なキーワードとなっており、すべての心象のルーツであるように描かれている。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )… 中原 とほる(なかはら とほる、1942年5月30日 - )は日本の漫画家、医師。 山口県出身。父は社会科教師。中原は双子として生まれたが、双子の弟は生後半年で腸閉塞により死去。弟も漫画家になりたかったようでもし自分もなるならペンネームは中原とほるにすると決めていた。 1966-1967年のときに『COM』に初めて漫画『かえるになった次郎』を投稿、選外だったが講評のちばてつやから構図のユニークさや台詞回しの良さが挙げられていた。当初、大学の教育学部で学んでいたが嫌になり、計10年かけて1971年、岡山大学医学部卒業。四国の病院で働きだして間もない頃、漫画賞に応募するようになって10年、5回目にして1981年、39歳のときに『点とり虫のサンバ』がちばてつや賞佳作を受賞、特選ではなく佳作なことには残念だったが、これで漫画家を目指すようになる。
吉森 みき男(よしもり みきお、本名:吉森 三喜男、1942… 吉森 みき男(よしもり みきお、本名:吉森 三喜男、1942年3月12日 - 2026年4月24日)は、日本の漫画家。別表記に吉森みきを、吉森みきお。小説家の吉森大祐は長男。 東京都文京区出身。中学生の頃、落語家に憧れるが両親の反対に遭い断念。漫画家を目指し東京都立向丘高等学校に通いながら内野純緒のアシスタントを務める。 中央大学文学部英文科卒業後の1965年、『5つめの宝石』(『別冊マーガレット』、集英社)で漫画家デビュー。しばらくは少女漫画をメインに執筆していたが、1972年より『連勝野郎』(週刊少年ジャンプ連載)で少年漫画家に転身。 1977年より代表作となる『ライパチくん』を読売新聞日曜版に連載した(同作品は1985年、『月曜ドラマランド』の一篇としてドラマ化された)。
光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫… 光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫画家、元アニメーター。福井県出身。 福井市生まれ、北陸高等学校商学部卒業。学生時代より手塚治虫のアシスタントとして活動し、1961年の虫プロダクション(旧社)設立メンバーとなりテレビアニメ『鉄腕アトム』や『ビッグX』、アニメーション映画『ある街角の物語』で原画や演出を担当した。その後、村野守美と共に虫プロを離れあなぐまプロダクションに所属。 1966年に有限会社キングプロダクションを設立して独立し、1968年には石川球太の後継で『少年画報』に特撮『怪獣王子』のコミカライズを執筆する。1972年にはカナダのトロントへ渡って現地でアニメのキャラクターデザイン・原画・美術などを担当した。
タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 -… タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家、漫画家、絵本作家、陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)。 筑豊の伊田町(現福岡県田川市)に生まれる。戦後復興から高度成長期の時代に少年期を過ごし、映画や昭和歌謡などに囲まれて過ごした。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始する。最初は本名で活動し、1963年の読売アンデパンダン展でデビュー。画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村とともにアバンギャルドな作風と活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。この時代の立石は和製ポップアートの先駆けと評される。
石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、… 石井 いさみ(いしい いさみ、本名:石井 勇巳〈読み同じ〉、1941年12月8日 - 2022年9月17日)は、日本の男性漫画家。 生家は建築設計業。東京都立蔵前工業高等学校卒業。 高校在学時の1957年、『たけうま兄弟』(講談社『少年クラブ』)でデビュー。 代表作はサッカー漫画の『くたばれ!!涙くん』(小学館『週刊少年サンデー』1969年)と、ナナハンを中心とする各種バイクと青春を題材にした『750ライダー』(秋田書店『週刊少年チャンピオン』1975年)。デビュー当時からバイク好きのカミナリ族で、後にプロレーサーとなった酒井正も友人であったことから描かれた後者はヒット作となり、9年間にわたって連載された。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 … 砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。本名:砂川 恵永(すながわ しげひさ)。
雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉… 雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉10月6日 - )は、日本の漫画原作者、エッセイスト。のりこえねっと共同代表。本名:戸塚 哲也(とつか てつや)。別名に阿月田 伸也(あづきだ しんや)、瀬叩 龍(せたたき りゅう)、雁屋F(かりや えふ)がある。 1941年(民国30年、昭和16年)10月6日、中華民国北京特別市に誕生。終戦後に日本に引き揚げ、東京田園調布で育つ。結核性の感染症に冒されて小中学生時代は入退院を繰り返し、医者にかかる機会が多かったことから自らも医師を志望していたが、東大病院の建物の陰気さに嫌悪感を持ち、志望を変更した。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。
北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22… 北野 英明(きたの ひであき(えいめい)、1941年9月22日 - )は、日本の漫画家、アニメーター。神奈川県横浜市出身。麻雀劇画や原作付きの作品が多い。麻雀の打ち手としては1974年第1期王位戦、1983年第14期名人戦で決勝進出(どちらも5人打ち)の実績がある。 少年のころから絵を描くのが好きで、やがて漫画も描くようになる。横浜商業高校在学中に少女漫画『三つの願い』でデビューした後に手塚治虫と知り合い、卒業後に弟子入りしてアシスタントとしても務める。虫プロダクションにて『どろろ』『ジャングル大帝』『あしたのジョー』等の作画監督や演出を務めた後、29歳の時に独立して漫画家へ。代表作の『牌の魔術師』は、日本で麻雀漫画が連載となった最初の作品であるとされる。
マンガ 太郎(まんが たろう、本名:朝倉 康夫、1941年8… マンガ 太郎(まんが たろう、本名:朝倉 康夫、1941年8月10日 - 2014年8月5日)は、漫画家・芸人。山口県出身。日本漫画家協会会員。東京演芸協会理事、同副会長等を歴任。 創作絵描き歌を披露したり、観客のリクエストに応えて即興で似顔絵を描いたり、ある絵を描いた後に手を加えて別の絵にしてしまったりするなど、漫談をしながらイラスト・漫画を舞台上で描くという芸で知られる。公式プロフィールではその芸を「漫画ボードビルショー」としている。 高校時代は貸本漫画家として活動。漫画芸人(のち画家に転身)の春田美樹の芸を見て刺激を受け、春田に師事。20歳頃に漫画演芸家としてデビューする。海外での公演も数多く行っており、ベトナム戦争の時期には、前線の米軍キャンプで芸を披露した経験があるという。
下元 克己(しももと かつみ(1941年7月20日 - )は… 下元 克己(しももと かつみ(1941年7月20日 - )は、日本の漫画家。山口県宇部市出身。下元克巳とも表記。劇画の寵児として多くの漫画家に影響を与えるが、寡作であり商業漫画家としての活動期間が短かった為、一般的な知名度は低い。しかし現在も精力的に漫画関係者と交流し、業界内での知名度は高い。 1965年、大阪のめばえ書房で短編を描いてデビュー。その後名古屋のセントラル出版や、上京し桜井昌一の誘いで東考社などの貸本漫画で複数の漫画作品を発表する。当時主流であった手塚治虫系列の漫画(トキワ荘)に対抗し国分寺に劇画家が集まり、さいとう・たかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロ、みやわき心太郎らと交友。一時漫画業から離れ新宿で清掃のアルバイトに従事。
つげ 忠男(つげ ただお、男性、1941年7月2日 - )は… つげ 忠男(つげ ただお、男性、1941年7月2日 - )は、日本の漫画家。本名:柘植 忠男。『ガロ』を中心に作品を発表。つげ義春は兄。 東京府大島町生まれ、千葉県大原町(現在のいすみ市)育ち。幼少期の大半(6歳~15、16歳)を葛飾区立石町で過ごす。小学校4年生ころからは大人の知恵を身に着け、見様見真似ながら物事を自分で判断し行動するようになる。物不足は深刻で、常に空腹を抱えてはいたもののよく遊び、学校から帰宅するなり一目散に屋外へ出た。 病弱で労働もできずに家にいた癇癪持ちの義父と、血の気の多い母、漁師上がりで荒くれ者の母の義父が一つ屋根の下で反目し合いながら暮らしており、忠男は訳も分からずにいきなり殴られる場所であったため、外出は逃亡であった。
やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、19… やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、1941年6月19日 - )は、日本の漫画原作者。代表作は画:北見けんいちにより『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて連載されている『釣りバカ日誌』。 宮崎県都城市に7人きょうだいの3男として生まれる。実家は学校教材等を取り扱う大規模な文具店の山崎文科堂で、『釣りバカ日誌』にてハマちゃんの実家「浜崎文科堂」として登場したが、2013年12月18日に火災被害に遭い全焼している。 中学時代は野球部で投手を務めて宮崎県大会で優勝し、野球の才能を見込まれて宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学、1年生のときには補欠で甲子園に出場した。しかし、2年生で腰を痛めて野球を挫折し、加えて肺浸潤で2か月の入院生活をした後に映画を観るようになる。