宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日… 秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日 - 2013年〈平成25年〉10月2日)は、日本の文芸評論家、日本藝術院会員。位階は従四位。本名は駿(すすむ)。 東京府池袋出身。旧制東京都立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て、1948年に旧制第二早稲田高等学院入学、翌年学制改革により新制早稲田大学第一文学部仏文科に移り、1953年に卒業する。1956年6月、報知新聞社に入社。1960年「小林秀雄」で『群像』第3回新人文学賞評論部門受賞。評論「内部の人間」「想像する自由」(いずれも1963年発表)などを、久保田正文や三島由紀夫に激賞された。1979年から1993年まで東京農工大学教授、1997年から武蔵野女子短期大学・武蔵野女子大学教授。
松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 20… 松永 伍一(まつなが ごいち、1930年4月22日 - 2008年3月3日)は、日本の詩人、文学・美術関係の評論家、作家。 福岡県大木町出身。福岡県立八女高等学校卒。詩人の丸山豊と出会い、詩誌「母音」に参加した。中学教師を経て、1957年に上京して文筆活動に入る。1955年に詩集を刊行し、農民や切支丹、落人などの敗者や弱者への共感を叙情的に歌い上げる作風で知られる。このほか、児童文学、美術関係の評論、いわさきちひろの画集編纂、五木寛之との対談、小説など多岐にわたる著述を残した。子守歌の研究でも知られた。1970年『日本農民詩史』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。 2008年3月3日午前0時7分、心不全のため東京都練馬区の病院で死去。
山本 容朗(やまもと ようろう、1930年4月20日 -20… 山本 容朗(やまもと ようろう、1930年4月20日 -2013年12月4日)は、日本の文芸評論家。 埼玉県本庄市生まれ。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1953年國學院大學国文科卒。角川書店で編集者として1953年~1964年まで在籍し、文芸書、特に「角川小説新書」を担当した。1975年にフリーとなり、文筆業。 吉行淳之介について一貫して論じ編纂しているが、食味エッセイでも知られ、また文人の随筆の編纂も多い。
石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2… 石澤 秀二(いしざわ しゅうじ、1930年4月10日 - 2025年12月9日)は、日本の演劇評論家、演出家。石沢秀二とも表記する。本名は石澤秀男。妻は劇作家の石沢富子。 東京都出身。早稲田大学卒、同大学院演劇専攻修士課程修了。1964年、フランス政府招へい芸術留学生として渡仏し、1967年に青年座に入団。雑誌「新劇」編集長を経て、1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に参加し、教授。同退職後、青年座文芸部長を経て、日本演出者協会副理事長、国際演劇評論家協会日本センター会長、日韓演劇交流センター会長を歴任。2005年「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞。1974―1981年岸田国士戯曲賞選考委員を務めた。
岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8… 岡崎 久彦(おかざき ひさひこ、1930年〈昭和5年〉4月8日 - 2014年〈平成26年〉10月26日)は、日本の外交官、評論家。位階は従三位。サウジアラビアとタイ王国で特命全権大使を歴任し、また外務省で情報調査局長を務めた。祖父の岡崎邦輔は、陸奥宗光の従弟にあたる。 関東州・大連生まれ。白金小学校、旧制府立高等学校を経て、東京大学法学部入学。東大法学部在学中に外交官試験合格。大学を中退し、外務省に入省。八木秀次によれば、岡崎は卒業証書は小学校のものしか持っておらず、その後は大学まですべて「飛び級」だったという。岡崎邦輔は祖父。 外務省ではケンブリッジ大学での英語研修を皮切りに、在外で在フィリピン大使館、在フランス大使館、在米国大使館、在韓国大使館に駐在し、本省では国際連合局に勤務する。
竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7… 竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7日 - 2019年〈令和元年〉7月8日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。1989年第5回『正論』大賞受賞。 大阪府大阪市東成区(現:生野区)生まれ。旧制大阪府立生野中学校の1年生の時に、父の実家のある兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)に引っ越す。旧制兵庫県立生野中学校に転校。卒業後、旧制姫路高等学校文科甲類(現:神戸大学文学部)に入学するが、学制改革により翌年新制京都大学に編入。アメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学(旧:パリ大学)で学ぶ。
岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 … 岩波 剛(いわなみ ごう、1930年(昭和5年)3月26日 - 2023年(令和5年)10月15日)は、昭和・平成期の演劇評論家・編集者。 東京大学文学部卒業。新潮社に編集者として勤務しつつ、外部媒体に演劇評論を執筆。 2023年10月15日、肺炎のため東京都の自宅で死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 -… 長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては当時としても小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。 愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。
明珍 昇(みょうちん のぼる、1930年3月20日 - 20… 明珍 昇(みょうちん のぼる、1930年3月20日 - 2002年3月13日)は、日本の詩人、文芸評論家。 大阪府出身。関西大学専門部二部国文科を経て、1959年同大学院国文学修士課程修了。大阪府の愛唱歌「あなたの胸に わたしの胸に」を作詞した。大阪府立旭高等学校の教員時に、同校の校歌も作詞した。 関西詩人協会の運営委員として、1994年の協会設立当時から活動していた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年… 和田 旦(わだ あきら、1930年3月19日 - 2020年7月6日)は、英文学者、音楽評論家、慶應義塾大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 福岡県生まれ。1958年慶應義塾大学大学院修士課程修了(英文学専攻)。慶應義塾大学教養部助教授、教授、95年定年、名誉教授、埼玉短期大学教授・学長。文芸誌『同時代』同人。2020年、7月6日死去。叙従四位。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10… 高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10日 - 1998年(平成10年)7月13日)は、日本のジャーナリスト、評論家。 1953年(昭和28年)、熊本大学文学部英文学科卒業。同年、朝日新聞社入社。鹿児島支局、西部本社、東京本社社会部、首都部次長を経て、1974年(昭和49年)から東京本社編集委員。 全共闘運動の時代から学生運動に関わる記事を多数執筆し、次いで部落問題の専門記者として鳴らした。1980年(昭和55年)までは部落解放同盟の見解に共鳴し、部落解放同盟寄りの記者と見られていた。この間、シルクロード踏査隊に参加。 1982年(昭和57年)から北九州市同和対策審議会委員。
大畑 佳司(おおはた よしじ、1930年3月10日 - 20… 大畑 佳司(おおはた よしじ、1930年3月10日 - 2016年1月21日)は、日本の教育者、教育評論家。 埼玉県秩父市出身。秩父青年学校卒業。浦和市立文蔵小学校教諭など小学校教師を務めた。全国生活指導研究協議会(全生研)会員。教育に関する多くの著作をなした。
畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は… 畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は、日本の児童文学研究者、教育評論家、詩人。 長崎県対馬生まれ。15歳で西浦上で原爆に遭う。1949年長崎師範学校卒、五年間教師をして1954年上京、1956年國學院大学文学部卒業。公立学校教師を経て、1982年東京都公立学校教頭、1986年調布市立国領小学校校長、1990年定年退職後、白百合女子大学・東京学芸大学・山梨大学講師、東京保育専門学校長を経て、同校理事・学監。20年余、小学校国語教科書(学校図書)の編集に携わる。現代少年詩の会代表(「少年詩の学校」主宰)。日本児童文学者協会会員。
菊地 良輔(きくち りょうすけ、1930年2月25日 - 2… 菊地 良輔(きくち りょうすけ、1930年2月25日 - 2014年6月29日)は、日本の教育評論家。 東京生まれ。1952年東京大学文学部心理学科卒、地方公務員として教員となり、東京都杉並区立神明中学校教諭(国語)など、1983年まで東京の公立中学校教諭。東京経済大学講師などを務めた。 全国進路指導研究会常任委員長歴任。
飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 199… 飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 1996年4月26日)は、日本の政治評論家、コメンテーター、選挙プランナー。 埼玉県児玉郡児玉町生まれ。中央大学法学部卒業。 商事会社経営、サラリーマンを経たのち、政治研究グループ「山王クラブ」を結成し選挙問題の研究を始めた。また、藤山愛一郎の主催する政治塾「藤山政治大学院」で受講生の指導にあたった。「政治をよくするためには選挙制度をよくしなければならない」という考えの下、「理想の選挙」を掲げ、レポートを国会議員に配布するが、ほとんどの議員から「選挙を実際に知らないから、こんなことが言えるのだ」と冷笑されたという。 1962年7月の自民党総裁選への出馬を見据えた藤山は、この年の参院選全国区の候補者に、いとこでタレントの藤原あきを擁立。
檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、… 檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、日本の中国文学者、文芸評論家。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科を卒業した。東大在学中より『新日本文学』の編集に携わり、同誌を中心に文芸評論を執筆、大岡昇平が大衆文学を批判した際に反論した。のち広島大学教授、青陵女子短期大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
饗庭 孝男(あえば たかお、1930年〈昭和5年〉1月27日… 饗庭 孝男(あえば たかお、1930年〈昭和5年〉1月27日 - 2017年〈平成29年〉2月21日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者。青山学院大学名誉教授。 西欧の文化や風土と、その精神や思想を、時に日本と対比しつつ考察論述した。 代表作に『石と光の思想』(1971年)、『幻想の都市』(1992年)、『知の歴史学』(1997年)など。 フランス文学を専門とし、日本や西欧の文化、思想を広く研究。近代日本文学の存在意義を問うた著作も多い。 滋賀県大津市生まれ。父は滋賀県視学。名古屋市在住を経て、湖北の故地饗庭村に移り、1949年(昭和24年)滋賀県立高島高等学校卒業、1953年(昭和28年)、南山大学人文学部卒業、南山大学文学部助手。
安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1… 安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1990年3月17日)は、日本の児童文学作家・文芸評論家。日本女子大学家政学部教授。本名は安藤 一郎。 京都府京都市出身。1954年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、北海道で高校教師を務める。その傍ら、1957年頃よりイタリア児童文学の翻訳の刊行を始め、自ら創作を始めて、1961年『白いりす』でデビューし、産経児童文化賞を受賞。1962年、評論「ピノッキオとクォーレ」で高山賞(日本児童文学者協会主催)受賞。 1972年、北海道から東京都東大和市に移り、日本女子大学家政学部児童学科の非常勤講師となる。1973年『でんでんむしの競馬』で国際アンデルセン賞作品賞・野間児童文芸賞・日本児童文学者協会賞・赤い鳥文学賞・サンケイ児童出版文化賞受賞。
三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10… 三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉11月15日)は、日本の政治評論家、コメンテーター。元毎日新聞記者。 1930年(昭和5年)、現在の東京都杉並区阿佐谷南一丁目、杉並区役所のすぐ隣の家で生まれた。父は日立製作所の技術者。6歳のときに父が北九州工場に総務課長として転勤となり、福岡県戸畑市に引っ越し、私立小学校である明治学園に通った。 太平洋戦争が始まった翌年、東京府立十九中に入学。ゲートルを巻いた国民服のような制服を着て通った。三年生から昭島に通い、九七式艦上攻撃機などの海軍の飛行機をつくる会社で組み立て作業をした。 1949年(昭和24年)に早稲田大学第一文学部独文科に入学。
菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、… 菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。
徳岡 孝夫(とくおか たかお、1930年〈昭和5年〉1月2日… 徳岡 孝夫(とくおか たかお、1930年〈昭和5年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉4月12日)は、日本のジャーナリスト、評論家、翻訳家。 大阪に生まれる。旧制北野中学を経て京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学在学中に毎日新聞社に入社(正式採用は翌年の卒論提出後)。1955年(昭和30年)10月よりフルブライト奨学生としてアメリカのシラキュース大学に留学。社会部記者、バンコク特派員、編集次長、編集委員などを歴任した。横浜市港南区に在住した。 海外特派員としてイスラエル・中近東、ベトナム戦争などを取材した、定年を前に、1985年(昭和60年)学芸部編集委員をもって退社。 『サンデー毎日』記者時代の1970年(昭和45年)11月25日の三島事件の当日に、交流があった三島由紀夫から電話で依頼され、市谷本村町の市ヶ谷会館で、NHK記者だった伊達宗克と共に、楯の会関係者から手紙と檄文を託され、隣接する市ヶ谷駐屯地の東部方面本部総監室で起きた事件の目撃者となった。
師岡 孝次(もろおか こうじ、1930年1月2日 - 202… 師岡 孝次(もろおか こうじ、1930年1月2日 - 2021年11月15日)は、日本の経営工学者、医事評論家。元東海大学名誉教授。 東京市(現・東京都)生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。1960年同大学院博士課程満期退学。1969年「作業習熟に関する二・三の考察」で工学博士。 1960年慶大専任講師、助教授を経て、1975年東海大学工学部教授。1980年ウインザー大学客員教授。1993年、中国医科大学顧問教授。2000年東海大学を定年となり、名誉教授。2005年国際学士院大学副総長、日本健康科学学会名誉会員。1997年日本医師会優功賞受賞。2002年社会文化功労賞受賞。 1990年代から、アガリクス、プロポリスなどのがんに効くという民間療法に関する著作、監修本を多く執筆しているが、2001年の『即効性アガリクスで末期ガン消滅!』のインタビュー内容がフリーライターによる捏造であるとして問題になった。
東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、… 東川 清一(とうかわ せいいち、1930年1月2日- )は、日本の音楽学者であり音楽評論家、東京学芸大学名誉教授。 富山県滑川市生まれ。1957年東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。1965~67年アレクサンダー・フォン・フンボルト財団給費留学生としてケルン大学音楽学研究所に留学。東京学芸大学助教授、教授、93年定年退官、名誉教授、東海大学教授。2010年退任。バッハ研究の権威として名高い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
守屋 陽一(もりや よういち、1930年 - 1999年)は… 守屋 陽一(もりや よういち、1930年 - 1999年)は、日本の翻訳家、英米文学者、株式評論家。 東京生まれ。慶應義塾大学英文科卒業。オスカー・ワイルド、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、サマセット・モーム、F・スコット・フィッツジェラルドなどを翻訳していたが、50歳を過ぎてから株式投資の入門書を多く書き、一方ライマン・フランク・ボームの「オズの魔法使い」シリーズを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
上野 明(うえの あきら、1930年 - )は、日本の評論家… 上野 明(うえの あきら、1930年 - )は、日本の評論家、経済学者。 野村證券株式会社調査部での勤務を経て、株式会社野村総合研究所主席研究員、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長(第3代)などを歴任した。 東京府出身。1953年(昭和28年)、東京大学経済学部を卒業し、野村證券に入社する。同社では調査部に勤務する。1965年(昭和40年)、野村総合研究所に移り、次長に就任する。1975年(昭和50年)、主席研究員に就任した。その後、静岡県立大学に転じ、国際関係学部の教授に就任した。国際関係学部においては、主として国際関係学科の講義を担当した。前任の美尾浩子の急逝を受けて、1992年(平成4年)1月から1993年(平成5年)12月にかけて学部長も兼務した。
永田 龍太郎(ながた りゅうたろう、1930年 - 2025… 永田 龍太郎(ながた りゅうたろう、1930年 - 2025年没)は、日本の文芸評論家・出版者。雅号は「龍葵」。 長野県に生まれる。1945年、陸軍幼年学校に入校するが同年敗戦を迎える。 東京大学を卒業し、通信社記者を経て1966年に永田書房を創立した。同年より、主に英文学者の同人雑誌『詩と散文』(1950年創刊)の主宰者ともなった。1977年には、尾崎一雄、中西悟堂、荒垣秀雄、扇谷正造、井上友一郎、赤松月船(永平寺)、岡村二一(共同通信社役員、後東京タイムズ社創立者)他14人の委員による月刊雑誌『連峰』を創刊している。 その他の役職として、国際俳句交流協会専務理事、ジャパンタイムズ企画顧問を務めた。
西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8… 西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、評論家、大学教授。
松尾 羊一(まつお よういち、1930年〈昭和5年〉 - 2… 松尾 羊一(まつお よういち、1930年〈昭和5年〉 - 2024年〈令和6年〉2月22日)は、東京都出身の放送評論家。本名は吉村育夫。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2… 松原 正 (まつばら ただし、1929年12月22日 - 2016年6月8日) は、日本の英文学者、評論家、劇作家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 自らも保守派でありながら、革新派は元より西部邁や西尾幹二ら保守派に分類される論客への厳しい批判で知られる。 東京都生まれ。1952年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。学生時代より福田恆存に師事し、正字体、歴史的仮名遣で文章を書く。 早い時期から文藝評論家を目指し、高田保を通して福田の知遇を得た。のち英米演劇を専門にして翻訳のみならず幾つかの戯曲を発表、早稲田大学で教鞭をとることになる(文学部非常勤講師→社会科学部助教授→文学部教授)。 かつて『中央公論』などにも文章を発表、産経新聞にも寄稿したことがあるが、1980年代以降は主に『月曜評論』などのミニコミ誌に執筆していた(2004年8月号で同誌が廃刊)。
高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015… 高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015年7月6日)は、宇宙物理学者、教育評論家。 大阪府堺市出身。松山高等学校(旧制)卒、京都大学理学部卒、1959年同大学院宇宙物理学博士課程満期退学、小・中・高校教師ののち、宇宙学者・教育研究者として南米、ヨーロッパに招かれ、八年間を過ごす。ペルー中部大学教授(教育学)、ベネズエラ東部大学教授(理学部)を務め、その体験に基づいた『みにくい日本人』がベストセラーとなる。のち大阪府教育研究所。東海学園大学教授を務めた。
渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日… 小林 彰太郎(こばやし しょうたろう、1929年11月12日 - 2013年10月28日)は、日本の自動車評論家、自動車社会史研究者。 世界的に著名な自動車評論家の1人であり、日本の「モータージャーナリズム」を築き上げた第一人者として、戦後の日本車発展に大きく貢献した。また、自動車史研究やクラシックカーの権威としても知られ、欧州志向の伝統的な自動車趣味を自ら実践し、その魅力を発信した。自動車雑誌『カーグラフィック』(二玄社)の創刊者および名誉編集長であったほか、日本自動車ジャーナリスト協会副会長、日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会委員長、カー・オブ・ザ・センチュリー名誉専門委員会副委員長等を歴任した。
中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は… 中村 智子(なかむら ともこ、1929年11月7日 - )は、日本の編集者、評論家。 東京生まれ。1952年日本女子大学英文科卒業、中央公論社に入社。「婦人公論」「思想の科学」「中央公論」編集部に属し、のち書籍編集者となり、1978年に退社。東京大学新聞研究所講師をつとめた。 思想の科学研究会会員、離婚後、評論活動を始める。小田切秀雄に師事し、宮本百合子の伝記を描いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 201… 志賀 信夫(しが のぶお、1929年10月23日 - 2012年10月29日)は、日本の放送評論家。 福島県生まれ。1953年(昭和28年)早稲田大学大学院修士課程修了。飯島正に師事。早大講師、多摩大学非常勤講師なども務めた。 羽佐間重彰(フジテレビ社長、産経新聞会長)は、大学と大学院の同級生。羽佐間によると志賀は、録画機器のない当時、月給の10倍以上の値がしたテレビを数台所有し、各局の番組を同時に鑑賞していたという。 1960年(昭和35年)、内村直也らとともに放送批評懇談会を設立し、78年理事長、08年名誉会長。10年には創設メンバーである志賀の功績を記念して、ギャラクシー賞に「志賀信夫賞」が創設された。
狩野 敏也(かの としや、1929年9月17日 - 2019… 狩野 敏也(かの としや、1929年9月17日 - 2019年2月3日)は、日本の詩人、料理評論家。児童書ではかのりゅうの筆名も用いる。 北海道標津郡標津町出身。1952年北海道大学法経学部政治学科卒業後、日本放送協会に就職する。札幌、函館、室蘭、東京の各地で記者、ディレクター、資料部員、考査室主査などを務める。1964年、山之口貘の紹介により土橋治重主宰の詩誌「風」の同人となり、終刊まで参加。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本ペンクラブ名誉会員。俳誌「花林花」同人として俳句も詠んだ。 1987年に退職後、十文字学園女子短期大学教授に就任し、2000年までコミュニケーション論、現代詩作法などを講じた。
渡辺 広士(わたなべ ひろし、1929年9月5日 - )は、… 渡辺 広士(わたなべ ひろし、1929年9月5日 - )は、日本の文芸評論家、フランス文学者、翻訳家。 広島県生まれ。東京大学仏文科卒業。1965年「三島由紀夫と大江健三郎」で群像新人文学賞受賞、雑誌『審美』に参加。1968年法政大学助教授、のち教授を2000年まで務めた。 ロートレアモンなどを研究、翻訳し、戦後文学を論じた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4… 小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4年)8月8日 - 2015年(平成27年)3月30日)は、日本の古典芸能評論家。 学習院大学国劇部創立メンバー。伝統歌舞伎懇話会会長、江戸勘亭流書道家元、国立劇場講師、日本演劇興行協会理事、松竹顧問。宗家神崎流理事(神崎秀扇)。本名:小山 昭元(こやま てるもと)。 歌舞伎座や国立劇場などにおいて歌舞伎と文楽のイヤホンガイド導入の中心的人物として著名。 東京府出身。初等科から大学まで学習院に在籍。戦後、川尻清譚に師事、歌舞伎の研究をするかたわら雑誌「歌舞伎」の編集に参画。1952年(昭和27年)に電通に入社し、おもに放送番組企画制作畑を歩み、1975年(昭和50年)に同社を退職。
青木 貞伸(あおき さだのぶ、1929年8月1日 - 200… 青木 貞伸(あおき さだのぶ、1929年8月1日 - 2000年8月22日)は、日本の放送評論家。 東京生まれ。東北大学理学部卒。東北大学助手を経て、産経新聞社に入社後、東京大学新聞研究所講師、『放送批評』編集長などを務めた。
栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023… 栗田 勇(くりた いさむ、1929年7月18日 - 2023年5月5日)は、日本のフランス文学者、美術評論家、作家、翻訳家。駒沢女子大学日本文化研究所名誉所長。 フランス象徴主義の詩人・ロートレアモン伯爵の作品を日本で初めて全訳し、レフ・トロツキーの翻訳も行った。また詩人でもあり、戯曲も書いた。多彩な創作、評論活動を展開し、仏教、寺院建築、美術等に関する日本文化論の著書を多く発表した。 東京生まれ、満洲出身。父は栗田健男。 1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。1955年、同大学院修士課程修了。1960年より文筆活動に入る。 1962年、松田政男、山口健二、川仁宏らが企画した自立学校で、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、森秀人らとともに、講師をつとめる。
伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13… 伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13日 - 2015年〈平成27年〉1月14日)は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。文学博士。 岐阜県大垣市生まれ。1953年(昭和28年)に東京大学文学部哲学科を卒業。1960年(昭和35年)、同大学院博士課程中退、東大文学部助手。1963年(昭和38年)、北海道大学文学部助教授。1972年(昭和47年)、埼玉大学教養学部教授。1988年(昭和63年)、埼玉大学名誉教授。東京女子大学文理学部教授、1998年(平成10年)退任。 1972年(昭和47年)「デカルトの人間像」で東大文学博士。デカルト、パスカル哲学専攻ながら文学への関心が強く、三島由紀夫に心酔し、文芸評論も書く。
高野斗志美(たかの としみ、男性、1929年7月7日 - 2… 高野斗志美(たかの としみ、男性、1929年7月7日 - 2002年7月9日)は、日本の文芸評論家、旭川大学名誉教授、新日本文学会会員。 北海道鷹栖村(現鷹栖町)生まれ。旧制富良野中学校、旧制弘前高校、東北大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科修士課程修了。 旭川北高等学校ほか北海道立高校教員(地方公務員)を務める。1964年にサルトル論で第4回新日本文学賞。北海道士別高等学校教諭だった1966年、旭川ベ平連代表となる。1971年旭川大学経済学部助教授、1974年旭川大学経済学部教授。1980年~1982年旭川大学学長代行、1985年~1988年旭川大学学長。三浦綾子と親交が深く、三浦作品の13編に解説を寄せるなど三浦文学の研究者。
谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6… 谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の国文学者、文芸評論家、書誌学者。専門は書誌学、日本近代文学。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大江小学校、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て、1947年関西大学予科に入学。1952年関西大学文学部国文学科卒業。1955年関西大学文学部助手、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得。1959年同大学文学部専任講師、1962年同助教授、1968年同教授。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。 1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞。
日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 200… 日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家、文芸評論家。東大社会学科卒。新聞社特派員としての韓国・ベトナム駐在経験が創作の基調。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。『あの夕陽』(1975年)で芥川賞受賞。日本芸術院会員。 東京府豊多摩郡生まれ。5歳の時に父親の仕事のため朝鮮に移り、小中学校時代を慶尚南道密陽で暮らした。1942年にソウルに移って、龍山中学に通う。敗戦後は父親の故郷広島県福山市に引き揚げ、広島県立府中中学校(現広島県立府中高等学校)を経て、1946年に旧制一高入学、この頃野間宏、椎名麟三などの戦後文学に関心を持ち、大岡信、丸山一郎(佐野洋)らと同人誌『二十代』、次いで同じメンバーで『現代文学』を作り、文芸評論を執筆した。
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は… なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、日本の精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。 本名は堀内 秀(ほりうち しげる)。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。本名名義での翻訳書もある。 東京生まれ。両親は蒲田で小さな酒屋を営んでいたが、大震災で店が焼失してしまったので、酒屋稼業に見切りをつけて、御嶽山と呼ばれる田園地帯(現:東京都大田区)に移り、自宅を建てた。家の周りはじゃがいも畑だらけだったという。父は耕地整理組合に勤めた。 1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一、フランキー堺、加藤武、仲谷昇、2年上に北杜夫、3年上に奥野健男、5年上に吉行淳之介がいた。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1… 秋山 邦晴(あきやま くにはる、1929年5月22日 - 1996年8月17日)は、日本の音楽評論家、音楽プロデューサー、詩人、作曲家。東京都生まれ。 父は陸軍軍人でのち牧車の号で俳人となった秋山邦雄。父の転任により、1935年から1937年までの幼年期を天津で過ごす。東京都立六中(現・東京都立新宿高等学校)、長野県松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、早稲田大学第二高等学院を経て早稲田大学文学部フランス文学科に入学。1950年代、日比谷にあったGHQのCIE図書館(民間情報教育局)でレコード・コンサートをシリーズで開き、アメリカやヨーロッパの現代音楽を紹介。また、音楽雑誌「レコード音楽」編集長などを務めた。
久保田 暁一(くぼた ぎょういち、1929年5月22日 - … 久保田 暁一(くぼた ぎょういち、1929年5月22日 - 2016年6月15日)は、日本の文芸評論家。 滋賀県生まれ。滋賀大学卒。高校教師、中部女子短期大学教授を務めた。同人誌『滋賀作家』代表。キリスト教文学を論じた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
武田 勝彦(たけだ かつひこ、1929年5月4日 - 201… 武田 勝彦(たけだ かつひこ、1929年5月4日 - 2016年11月25日)は、日本の英文学者・文芸評論家。 東京小石川出身。早稲田大学名誉教授。上智大学卒業、上智大学大学院修士課程修了。本名、武田春樹。 慶應義塾大学講師、トロント大学、ハワイ大学客員教授を経て早稲田大学政治経済学部助教授に就任。のちに教授。インディアナ大学、ヴァンダービルト大学、ブラウン大学客員教授も務める。 本来の専攻は英文学で、英語学習の著作、サリンジャーの翻訳、研究もあるが、日本文学についても多く論じ、また日本文学の英語圏での受容についても研究、川端康成、立原正秋に関心が深い。『富士ふたつ』は、北米移民についての実録小説であり、ジャーナリスト的な視点から数多くの著作がある。
雑喉 潤(ざこう じゅん、1929年5月3日 - 2024年… 雑喉 潤(ざこう じゅん、1929年5月3日 - 2024年5月16日[要出典]または2021年ごろ)は、日本の評論家、元新聞記者。 神戸市生まれ。1953年京都大学文学部中国文学科卒業(吉川幸次郎・門下生)、朝日新聞社に入社、学芸部編集委員、学芸部長、音楽担当編集委員、浜離宮朝日ホール総合プロデューサーなどを務め、93年退職。97年名古屋自由学院短期大学教授、のち名誉教授。